仮想空間

趣味の変体仮名

男色大鏡 第四巻


読んだ本 http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html
     請求記号:ヘ13_01753
     (5)


2
男色大鑑 本朝若風俗  第四巻

 目録

「一」情に沈む鸚鵡觴(さかづき)  二丁目
女﨟の古筆ア集めし事
りんきの言葉つくしの事
無常は取あけ祖母もまゝならぬ事

「二」身がはりに立つ名も丸袖   六丁目
加賀笠は月も恥姿の事
寺の芭蕉葉夜風の吹事
死なねばすまぬ世の中の中の事


3
「三」待兼しは三年目の命   十二丁目
恋持のうたがひ晴る事
武士は情と義理とやめぬ事
位牌取かはして身をしる事

「四」詠め続けし老木(おひき)の花の頃 十七丁目
年は寄る物ながら心は昔の事
生れつきの丸額も物ずきの事
竹箒に女はちり行桜見の事
「五」色噪ぎは遊び寺の迷惑   廿丁目
現の太刀さきいかなる因果といふ事
外記が命乞ふたる物かけの事
覚えなき美女身捨つる心中の事   目録終


 情に沈む鸚鵡盃
今の都室町通りに。表口もさのみ廣からぬ屋づ
くりを。柱は真桧杉丸太松の皮付欅の八角。又は唐
木をつかひひとつ/\品を替。色々の椽(たるき)鼻壁も五
色に格子も世にある程の竹を揃へける。よろづを嶋の
勘左衛門と云古筆見と指さしておしへける。同じ京
には住ながらかくれもなき此者をしらず。子細は松原通
を西へ大宮丹波口のかたへ日参して。あり難き事爰より
外はと黒谷は浄土宗やら。祇園殿の社は南むきやら。
玉鉾の道を一筋に女郎ぐるひに悩(なづ)み。世々の遊女の
筆跡かたのごとくに集め置しが。我見ぬよの艶文も
あれば。疑ひなく正筆を極めたしといひけるにぞ。をの/\


4
興を覚ましぬ。此男其頃は西嶋(さいとう)第一の大臣新在家の長良
様と名によび。花は咲はじめの吉野を手に入させ給ひ後
は桜の峯つゞき葛城といへる太夫も中絶てさる御所
肩の本恋に身をやつし。明暮の詠め月薄く蛍をあ
だに梢の?をわすれ。軒ばの雪もいつとなくしらけて。
こたつぶとんの下こがれ昼寝の房枕夜すがらの調(たは)
戯(むれ)此上臈十六の春の色藤姫(ふぢいち)とかや名高き御方のおと
し子といへり。妖?(うつくし)さ花の色は移りに絵に書きし小町も
何としてならぶべし。歌道は其家の流れに心ふかく玉
琴常住のもてあそび時勢(いまどき)粧(すがた)をうたはれしは地下人(ちげにん)の
唇うごかし。投節伊勢かはりなどゝは各別にして音曲さ
へかく豊におもしろければ。まして情の道偽りなくて深く

なを年月重ねての契りたがひの心ざし通じて尋常(よのつね)の
かたらひにはあらず。あまたの侍婢(おもとひと)御梳(かんあげ)又は表使ひの女
腰もと色作りたる風俗は当流の御所かゝり。外にあるべ
き女とは思はれず。さなから階前の玉芙蓉たよはき
枝に葉隠れの八重つぼみ雨まちて今なりとひらく
べきよそほひ。濡れの直中うまき事を見ながら人は
人の花とて手折がたし。あるじはわが物とて是を明暮
の遊山所。嵯峨の山陰に座敷をしつらひ。都を目の下
に詠めおろし。嵐の山を庭に取り。大井川を泉水に仕
かけ。弥生の三日爰に躁ぐいまだ其年は桃花もまだ
しく。けふの風情の興なきとて北野なる紙細工幾人
か俄によびよせ。桃の唐花をつくらせ。行水に鸚鵡貝の


5
盃を流し。美女左右の岸根に立ならび詩歌もふるき
事なりと恋の言葉たくみにして。二人づつ立むかひ身の
うへの恥をかへり見ず。随分小きみのよき事をあらけなく
いひあらそはせ詞しなすくなく云まけたる方を色道
執行のたらざる女と奥様の御目通りにて丸裸に
なされ二幅(ふたの)まではづされ広庭を追まはるは同じ
女中間もうたてかりき。書院には御心やすき出入
の者不断医者。楽出家まじりに横手を打ち慟(どよみ・なげく)を
つくつて笑ふ。いかな人も生(しやう)で見ては取乱し何の
わけもなかりき。暮ては小風呂に入まじり奥様
より外は思ひ入目好きに。じだらく御ゆるされて是ぞ
浮世思ひ出やはらか御手に灸の蓋しかへてもろふなど

誠に華清宮(かせいきう)のたのしみ。是には有がたき夢をみる事
ぞかし。されば世間にほしきは金銀也。此旦那殿も人に
かはらね共。此自由は皆小判がさす事と。よく/\思ひ
まはして銀(かね)の利を取りて一生暮す程よき事はなし。
我内の栄華たとへば御所車に乗ちても人はとがめず。
烏帽子を着て牛若丸のまね具足を肩にかけて
道盛のいそがしわざを移し。有時は碁盤の上に座し
たるもおかし。けふは首引の絵を見合せてのやりくり。銘
々の奥様なれど昼髪がほどけましても。高声あげ
の頃か和合して。青梅好み給ひ其身なやませられ。
はや帯の御祝ひなを日を折月をかさね。産(さん)の間を


6(挿絵)


7
立させられ。式法のまつり事ありて。是そ家継ぎのはじめ
と嘉悅の有て。はるかなる腹帯の地蔵に代参りせ
し女もあり。筋目をたゞし抱嫗(だきうば)かゝへ。御乳(おち)を定め。御広
袖のゆたかなるに箔置きの千年(ちとせ)鳥。縫の松竹生れぬ
先の繦袍(むつき)さだめ。待に時をえてしきりに御腹いたみ
出。取揚祖母(とりあげばゝ)玉介(たまたすき)かけて御腰を抱く。役人。右の御手に子
安貝左の御手に海馬をにぎらせ参らせ。御次には産後
産前の名人。銀鍋に蚤(はやめ)薬を仕かけ置ぬ表には叡山祈
祷坊稲荷の神主諸願成就今や/\と待けるに。夢な
れや眠るごとくに息絶脉あがりて。女中泣出し勝手
に驚きさま/\心をつくせ共其甲斐なくて。ついに世の
かぎりとはなりぬ。生死さかいなげきの今。此まゝ置へきに

あらねば。其夜鳥鳥辺山におくりて。宵は煙りて今朝は
炭(はい)塵も残らぬは人の身。他人のかなしむは義理一遍
の念仏。泪は当座の形みの袖程なふ忘るゝを世のなら
はし夫婦よしみ殊更に御悔みも浅からず。万事をすてゝ
出家の願ひ身の取置を見出し。親類目前の歎き
に、此道も思ひとゞまり給ひぬ。百日の立つ事間なく精
進事おはりてから。人々の内証にてはじめて見増さる
美君をまねき長吉の御かたへつかはされけるに。各々
角(かく)のさゝめこともなく。不便や此人生ながらの若後家
なり。然れ共色はやめがたし。女はふつ/\と飽て其後
は小姓を置かれける是ても埒のあく事にぞ


8
  身替りに立名も丸袖
加賀笠きたる姿や誰。金沢に若道さかりの人ある
が中に。野崎専十郎かくも生れ付く美児(びしゃう)世には
有物かと。女のそねむ風俗よは/\敷心根つよし。
此沙汰物になれたる好色のいへり。惣じての女は。女の
そなはる形気よりしやんとしたるをよし。若衆の
男らしく利(するど)なるは勿論なり。うち見は豊に進まぬを上
作物と此道の本阿弥の極めし。扨は此専十郎折紙道
具不破の万作に八割まし。御物にもなるべき人を錦
の袋にも入ずして。目の利かぬ念者に見する事の
口惜。され共此子に第一の疵あり。常々命をちらぬ
花に風をいとはぬ気色。恋の山さながら見えすきて。

皆人おそれて其なりけりに十七の春を過しぬ。山吹
あだに藤のしぼめるを此君にたとへて歎きしに。人こそ
しらね谷の戸ふかく鶯のとまりなりし、竹嶋左善ち
いふ男と年月の念頃、世間に見とがめぬは尤なり。城下
より四五里も遠山陰にありて里々村々を勤むる役人
なり。此取結びしはじめは。其里の屋形ならびに宣十
郎姨(おば)たる人のましまし。梢の秋一しほ物さびしくあはれ
なるを。月みるために漂(たどり)行。東の方によしなや峯の松
くろみ。宵の程はもりくる影を待兼。南はさはりなく浮
雲も心ありげに晴れ天の思ふまゝなる詠め里。遠の碪(きぬた)の
みつ拍子賤も打つやとやさしく。所からの加賀絹も??(はたおり)
鈴虫のほそ声。はや露霜にいたむかと草の葉すえの風


9
をだに我袖によけて見るは人はなき野菊も夜明なば
道行く人の目やとまらんと。世のあり様迄心にふくみ情は
此美童にありぬべし。其夜竹嶋左善は里はつれなる
観音堂を守りし法師と津根にも俳諧の友なれは。
古宵の月いかに見給ふ発句も種つきて当座も脇
聞ためと爰に来にけるに。庵主は戸を引たていかな
るかたへかゆかれける。灯のひかり幽かに北の紙窓に移
るに内紙覗けば歌林名所考など取ひろげて今迄
見られし跡なれや。膳棚のはしに枡落しをしかけ
置かれしは。出家の身にも荒れる鼠はうるさくや。国に
盗人とはいへど錠もおろさぬ入口。いづれ治まる時津
風消かゝる提灯のしんとらせて。懐硯に雫をそ

そぎ軒ちかき芭蕉のひろ葉に書残せし。松に声
あつてあるじの行き方をこたへず。むなしく見すて
し寺前の月。罷り帰つてね酒のたのしみ。夢覚めて
の明の日は私宅にて一菜の齋(とき)まいるべし。茂右衛門
後家の跡の義いよ/\勝手に相済み貴坊も御満
足たるべし。種申請候朝顔今朝よりして見事に
咲初候。近日越前へのたよりに。墨流し幅広の鳥子(とりのこ)
三十枚御申遣はし頼み入候。一昨日は?梅かたじけなく候。扨
内々御物語り申候矢田二三郎事。若衆の心底にあら
ず。子細は念友を迷惑がり。いまだ十七花なるにあた
ら前髪おろし。我ら方へさま/\の詫言おかしく。
其通りにしてゆるし夜前はいづれもうちより大笑ひ


10
して明かしけると心に有事のみ取まぜ。筆のとまりを
定めずあらましに書置ぬ。折ふし爰に専十郎来つ
芭蕉に何事をか書かれし今宵の事なればゆか
敷思はれ。立添て見しに詩歌にはあらずして心当て
とは違ひぬ。され共書おさめに衆道の事おかしくて。
先立左膳が耳に入る程の声して。召つれしにものに
何と世の中思ふまゝまゝならぬとはかゝる事なるべし。
執心を掛られ若衆の身としてそれをあなになす恋
をしらぬといふ物ぞかし。誠ある念者ならは命をおしむは
むねんなり。姿こそかくはやしけれ情しる我を問ふ人なし。
神(しん)ぞ/\此道に夜露はいとはじと。菅笠ぬぎ給ふを。左
膳見しより魂飛かゝつて覚えず御手を掴んて。只今の御

(挿絵)


11
言葉に偽りなくば。是拝みます/\人間壱人御たすけの
如来様と前後弁へす歎くにぞ。つい哀れに痛ましく男振り
に好ける所もありて。てんがうにとはいひがたく。立ながら二世ぞ
と詞をかため帰りければ。南請けの里の屋に名月をしるも
しほらし。塩煮の芋に口欠の徳利かほりは流石菊といへる
山路酒。是を見かけちか付ならぬ無理所望して。盃中も
宿迄を待かね恋にせはしき兄弟けいやく。其後身を左
膳に任せ夢にも面影を見し程になりぬ。おのづから若衆
しとやかに形の花も見よければ。城下にかくれなきこの
道をもてあそびいる。今村六之進といへる男。専十郎を
思ひ初て。数通を投入しに心づよく取あへず。然れ共武
士の申へしを此まゝにはやめがたく。程なく至極になつて

左膳と念頃を尋ね出し。念者に押てもらふべしと心
中定めし時。専十郎分別して六之進と打果すは思ひ
まふけし事なれど。左膳跡にて堪忍なるまじ。とかくいとし
き人の命永かれと思ひ極めひそかに六之進屋形にたづね
行此程の御心遣ひ外に聞にはあらず。しかし申かはせし事
慥ならね共。竹嶋左膳のがれぬ難儀申かけ。口惜きひとつ。
又は心ざし誠なき男かれこれたいくつの折から願ふ所の御
後ろ姿。左膳を人しれず打給はゞ我身は御方へ預け参
らすといへば六之進浅からずよろこび。今夜の内にと進みめる
然しは榎木原の在郷道いつとても四つの時分通ふなれば
辻堂の前にして夜の編笠を左膳がしるべにうちて給
はれといへば。六之進請合ひ其用意して野道に出しは


12
是非もなき浮世そかし。専十郎私宅に帰り行水の後
色を作りて丸袖の羽織編笠ふかく此事を隠し。左
膳姿になり替り申かはせし野路に出。人を忍べる風
情にさし足して並木隠れに行くを。六之進待合す後
より立かゝつて打つけしに。声もせずまして柄に手
も懸す。さりとは最後腑骸なかりき。止目もさしつれ
ど心のせくまゝに所を定め兼て先ず立退き。玉笹の茂
みに入しに。たよりなき声して我はかくなり行ても左
膳殿堅固なればと云に驚き小者に忍び火をうたせ二
たび立添てみるに。是はしたり専十郎なり。しばらく此心底
の程を感じて又の世にも有まじき美道のかたまり是ぞ
恋塚のむかしを思ひ出袖に玉をつらぬき男泣して甲斐

なく。世上にしらねばとてながらへて嬉しからずと命の限
りを極め。小者におもはくを念頃に申ふくめ。専十郎か振
袖に着替かしらは編笠にしのび。竹嶋左膳が里に行きて
小者にあらけなく門をたゝかせ。注進の者と声せはしく
申にぞ。左膳枕をあげて四五度も聞すまして其身をか
ため。すえ/\の者を起こし。素鑓の鞘はつし。物見より様子
を吟味して。扨門をひらけば小物一腰をあらためぬさきに渡し
て。私は今村六之進奴僕(てつち)万七と申候。主人六之進野崎専十郎
昨今衆道念頃申かはし。さま/\の誓紙の上に心懸りは竹
嶋左膳なり。是を謀にてうつべきと内談の定まり。役にも立
べき下人をすくりてあらましを申わたさるゝ時拙者
は胸にあたはさる顔つき。年月の恩をしらぬやつがれと


13
て。諸人中にて蹴立てられ手打にせんといさまれしうち
に。やう/\かけぬけ是に参るのうへは。命を御すくひ給
はれ。いかに下人なればとて主命そむくべきにはあらず
候へ共。武道にあはざるたくみ。こなたにも御侍なるに
昼中(はくちう)名乗あひそんねん晴らされんと見かきり。却て
此屋かたへかけ込むすえを頼み奉ると申せば。左膳思案
におとしかね。何事も夜明てのせんぎそれ迄はその
者汝等に預け置と立入を呼かけ。ちかい証拠には専十
郎殿しのびて先に立追付是へ御入あるはづと申
せば。今は分別かはりて我をくれじと下人あまたつ
れて。木陰より道筋に出れば。小者か申ごとく専
十郎か面影にうたがひなく。大振袖のしのび姿。憎

やとばかり思ひ込み。物しらずめと一打に。枯木か陰に切伏せ
一たひ兄ぶんのけいやく。天命のがるべきかとさしとゞめ。
其後篝に出してみれば。今村六之進なり。是はと驚き
最前の小者を引出しことの子細を尋しに、段々始めを
語るにぞ泪を肌へ迄したし。専十郎が我身に替りし
心の程。六之進が身を捨つる心ざし。それがしながらへて益な
しと死骸に腰懸て。今年廿八歳の秋の末夜の紅葉
を刃に散し。墓なや朝は露となりぬ。前代ためしなき
三人が思ひ入世の取さた七十五日にもやまず。語るに涙聞
に哀れ。恋しる人は云に及ばず心なき野夫馬かた迄も
今に専十郎が最後の土はよけて通り此道はしるぞかし。
かねのわらんぢはきて諸国捜し手も又は有ましきといへり


14
  待兼しは三年目の命
和歌の浦の久しきためし。いつの世の種二葉に栄へて
布引の松古今の有に。なを行すえの静なる時津
海七月十日の夜に定まりて毎年此所より龍灯のあ
がる事うたがひなし。此夜は諸人あそび舟を仕立て。
新堀より乗浮かれて都まさりの女中御座幕の物
見に面影移り。浪い声あつて小歌松に音して琴三味
線大盃も出水が酒呑掛て川下に行に。山の姿も妹背
の中芦辺の思ひ葉わけて。爰の百景詠めにあまりてけ
ふも入日の鳴戸。浪風もなき人の心萬につけて。臻(いた)りせん
さく刃物鞘におさまりししるしぞかし。時しも磯辺をみ
れば棚なし小舟に素人棹さしのべて。美童深編笠の内

のゆかしきに川風吹上に立てり。菊井松三郎とてかくれな
き情け人。兄ぶんのかためもふかき瀬川卯兵衛としばしも
はなるゝ事のなかりしに。けふにかぎり其身ばかり殊更
人を忍ぶ気色。不断の子細をしる人は見るにふしぎの
晴がたし。それより玉津嶋の入江にうかれよるに。若衆七八
人の花舟外とは替り謡鼓の音もなくて。それ/\に
念頃らしき男ふたりつゝかた寄りて。耳ちかく小語風情
あるひは添寝又は一画(くわく)付けの筆慰み。扨は扇引きするも有
思ひあふての恋舟是より浦山敷きはなし、其中に美児
ひとりはなれ物にて艫櫓にあがり。柿地の団を手なれて
それに書付し詩を幾度か吟じ後には諳ずる程になり
ぬ。松三郎小舟さし寄せしのびて聞しに。花質紅顔無(かしつかうがんふでに)


15
筆口夙縁薫處契同床只看夜々多情夢二六時中(くちなししゅくえんくんするところどうしやうにちぎりたゞみるやゝたしやうのゆめにろくじちう)
曽不忘(うつてわすれず)我も此詩はわすれず。兄弟けいやくふかき卯
兵衛殿に先月の十七日の夜。いつよりは首尾よくあふての
別れに。即座にあそばし手水手拭に書残されし。
其人と我より外に此詩の漏るべきにあらず殊に若衆の
手にわたりふかく感心の有さま。是只事にあらずと
俄に赤面して台所舟なる小者に其若衆の御名を
たづねけるに。岩橋虎吉殿と其屋形迄こまかにかたるを
聞届け紀三井寺の入相つく頃屋敷に帰りすぐに卯
兵衛かたへ尋ねけるに。紀玄よろしからぬは同船いたさぬゆへ
かと是非もなき隙入の段々断り毛申を更に聞入ず
御自分侍にてはあらず。其子細は申かはせし情のあまり

に此身の事を御一作。又もなくうれしかりしに。御心おほくて
外なる方へも其詩をつかはされしや。しかじ我らよりとくに
其君に奉れしもしらずと。皆まで語りもあへず口おし
きと泪に沈み其後は命もあやうかりしを。いかにも/\
一通り聞届しと松三郎に魂をおとし付させ。さりとては
若年のいたりなり惣して詩歌はかならず等類も有
物ぞかし、李太白が古郷の妻を思ひやりての詩に。呉州
如看月千里互相思(もしみばつきをせんりたかひにあひおもへ)と作れば。杜子美(としみ)も又今宵武州
月。閨中唯独看(けいちうたゞひとりみるらん)と心は同じ唐土人もかくは通へる
事もあり。和朝の人も月見ばとちぎりて出し古郷
の、人もやと今宵袖ぬらすらんとはよめり。其詩はいか成
若衆の吟じ給ふぞと心静にたづねける。松三郎聞も


16
あへず。其さきの御かた様は我ら申mなでもなし御合点
なるべし。思し召あはされよといへは。卯兵衛分別にあたはす
兎角は其人をしらせ給へといふ。よ所/\敷御風情弥
心外にぞんずるなり。岩橋虎吉といへるうつくしき御
若衆様につかはされけるといひけるに卯兵衛大笑ひ
して。いまだしらずやその虎吉は我らが姉の子
なるはと。ざつと機嫌をなをしてよしなき事をうた
がひ。今更恥かしやなどいへば。深く思ふからなりと猶
意気智をみがきあひてしたしみけるを。人もやさしく
見ゆるしけるに世には又恋しらずあり。横山清蔵と
いひし男松三郎を執心こか。卯兵衛とも近付きなるに
無理所望の状を付けるこそうたてけれ。卯兵衛身に

(挿絵)


17
しては迷惑是に極れり。此恋ちとせと思ふ松三郎事
思ひも寄らずとの返事。いひ懸て引れぬ所清蔵
身拵へして。卯兵衛屋形に行きてうち果すべき願
ひ申せば。思ひまふけし心底をあらはし。時節のべ
てはせんなし。今宵和歌の松原に出合い。死出の同道
弐人と。時とりをいひ合せて。門外に出しが。清蔵立かへ
りて申けるは。我しばらく此事を思ふに。松三郎今年
は十六歳。衆道の花とは今からすえ/\なり。いかにし
ても其方が詠めすてゝ行く事ほいなかるべし。今三
年待ちなば前髪もおろし。其時は世に心懸りもある
まじ。三年が間は是を侍べし。武士のたがひに申合せし
言葉かならず反古(ほんぐ)にはなさじ。三年過ての今月今日

此胸晴すべしと申せは。卯兵衛満足し。其時は何か
浮世の思ひ出かく申せし心根いさぎよく太刀先にて
埒明けんといへば。かた/\約束して清蔵は私宅に帰りぬ。
此事外にはしる人もなかりき、松三郎にもふかくかく
してい常の念頃かはる事なし。其後は卯兵衛清蔵ふ
しぎの縁となりて。朝暮かたりて日数をふりたゞ
いつとなく三年(みとせ)も立事やすし。卯兵衛松三郎が元服
申せば今一年の春にもあふ事といふを。是非にすゝめ
て男になし。首尾此時とよろこび。十月廿七日にあたり
て過にし年申かはせし月日なりと。早天より両人共
に野寺に行きて。つら/\最後の物語り庵主をはじ
め下人共かゝる事ぞとは夢にもしらず現といへば幻し


18
の世や。今ぞと思ふ時卯兵衛鋏箱を明させ。位牌を二つ
取出し兼て。二人が俗名月日までほり付。たがひにとり
かはし香華を手向けしばしが程は物をもいはず。心底をかん
じあひ袖は折ふしの時雨して。偽りのなき仏の利剣
をぬき持ち。卯兵衛は廿三。清蔵は廿四。惜しや花散り月く
もり。跡に残りし松三郎は心の闇にまよひ。其夜半に
弔ひ給へと皆々すゝめても聞入ず。同じ枯野の
霜とは消ぬ。扨も弓馬の家にそなはりし人は。後代に
ほまれを残しかゝる命のすて所。こまかに書き留どめて
世かたりと思ふに情。あまり義理ふかく哀さきだち
こゝろしづみ。爰にて筆すての松は残りし

  詠めつゞけし老木(おひき)の花の頃
御痔の薬あり萬によし、板きれに書付壱間みせ
に明り障子簾をかけて。大橋流の売手本老筆なれば好く
人稀に世わたるたよりには成がたし。幽かに住なせる所は
谷中の門前筋に。軒端は松ねぢけて凌霄(のうぜん)かづら花
のやさしげに咲みだれ。庭に夏菊作りなして井の水
清げにヒ(はね)釣瓶の立木に。とまり烏のおかしく尾羽をから
せし浪人者。若い時より奉公望み絶て貯へし諸道具
を売喰に。一日を暮しける、朝夕の友とては同年の頃
なる老人。碁の相手となり其外にはまだらの陳一疋も
てあそび。かりにも問ひける人もなし、ある日しきりに帷
子の袖をしたし。風の扇も手のたゆく。暮をいそぎて


19
行水しけるに、独りの親仁身の汗を流しけるを友と
せし年寄。後姿を見てかくもなる物かと背骨の
ふくれ立しを撫おろし。腰よりしたの皺を悲しみ
泪にしづみ高歌一曲掩明鏡昨日少年今日白頭(おほふみやうきやうをさくじつはせうねんけふははくとう)
と作りしも。此身のかはるに思ひくらべて悲し。過にし
やさんさぶしをうたはせて。調謔(たはふれ)し事もと手に手を
取かはし湯の水になるまでなげくを。よき後生友達
と思はれしに。子細を聞ば此人々の生国は筑前の城
下にありしむかしは。玉嶋主水とて美形に飛ぶ鳥
おちて博多小女臈かと見し人うたがふ程なり。又の独
りは豊田半右衛門とて武芸おろかならぬ人なりしが。
主水にふかく悩(なづ)めば又半右衛門心ざしに思ひ付。十六十

九の年より若道のかたらひふかく。互に海の中道
かく思ひを重ねし中に。外より主水を執心此事や
むにあらす。竃山の火桜焼つくる人あまたありて
両方共に申かはし。闇を幸の橋に出。首尾よく相手
を助太刀残らず打すまし。其夜忍びて木の丸の
関を越て。身のうき濱より舟に取乗り世間をはゞかる
身となり。今爰に隠れぬ。今年主水は六十三。判右衛門
は六十六まで昔に替らぬ心づかひ、弐人共に一生女の顔
をも見ず。此年迄世を過しは。是恋道児人を好ける鑑ならん。
今もまだ主水を若年のごとく思ひつゞけて黒き筋なき
薄鬢に。花の露をそゝぎ。巻立てに結なすもおかし。気
をとめて見しに此人は角を入たるよしもなく生れ付の


20
丸額是ぞかし。不断も。御前を忘れずして壺打ちの楊枝
手ふれて歯をみがくなど。髭をぬき捨しらぬ人のみては。
かゝる分けとはよもや思ふまじ。されば大名の御情のふかき
御物あがり。妻子のある後迄も。何となく若道の時を
忘れさせ給はぬこそいと殊勝なれ。是を思ふに女道と
は各別なる色なり。女はかりなるもの。若衆の美艶は此
道にいたらずしてわきまへがたし。さりとてはうたてき
女の風俗と。世に住ながら東隣とは火の取かはしもせず。
人心とて自然の夫婦いさかひに鍋釜わるにも。おのれ
らが損よと爰に出合ふ事思ひもよらず。壁越に力を添。亭
主たゝきころして小草履おけと歯切をするもおかし。
折ふしは弥生山上野の桜人をまねき。池田伊丹鴻之

(挿絵)


21
池よりの諸白も此時売切べし。天も酔(えゝ)り地にねだり
くさき足音。内より男女を聞わけ。男の時はもしもや若
衆かとはしり出詠め。女の時は戸口をさしこめ十日頃の心に
なりてしづまりぬ。春も時雨の定めなや。俄にふりくれて姿
の花もちり/\に。けふの名残を惜まれしに。女中一むれ
立さはぎ。彼牢人の軒陰を便に、かくる所に近付きもがな。せん
じ茶涌かせて晩方まであそびて。傘(からかさ)を借て様子に
よつて夕食(めし)も振舞はば喰うて帰るべきに、爰しに子事当なきと
こいきすきたる女。戸を少し明けて内を覗きける面影をみし
より。手元なる竹箒を提(ひつさげ)出。むさしきたなし立のけとあらけ
なく追立て。其跡にかはき砂を蒔きて。四五度も地を改め塩水を
うち清めし。是程女嫌ひ。江戸広しと申せ共又見た事もなし

  色噪ぎは遊び寺の迷惑
仇競(くらべ)とや月のよの雨花盛の風。是は又見るべき春秋
もある世のためしなり。人の身の義理死に程つれなき
物はなかりき。忘れぬ後の世の事は覚束なし。長生のたの
しみ蓬が嶋の(うま)い物を喰て年月暮すは何か心の罪な
し。尾州熱田の宮の宿はづれに。三途川の姥木像にし
て立給ふが。此所往来(ゆきゝ)の人しげきに、死出の旅人ならね
ば此姥の削(はぐ)事もならず。一日も浮世に住む徳ぞかし、爰に
墓なき人の身の程朝顔の種若衆の花盛に生じけ
るかとうたがはれし。当社西の御門に神役の家高き。大
中井兵部太夫一子に大蔵といへるあり。同じ神職
高岡川林太夫と申せし人の子に外記とて。今年十八


22
の角前髪いまだ美童たゝなかなるに。其身ははや念者
にかはり大蔵と申かはし。二年せあまりの心底八釼に命を
懸て誓紙たがひに偽りなく。明暮見に影の添ことくし
ばしも独りは見えず。其時木隠れのあそび寺に若衆友
達あまた集り。住寺の留守をうれ敷けふこそしたい事
してさはげとて。俄に諷(そゝり)出して小鷹和泉かかる業(わざ)籠ぬ
け鉦(どら)鐃鉢(ねうはち)打鳴らし。本堂客殿轟かし。仏も動き出
させ給ひ。後光台座を踏みわられ。蠟燭立の靍亀も
千世万代といはさず細かにくだかれ。作り庭をあらし。早
鐘に近所を轟かし。其後は狂言替りて非人物語三番
つゞきをはじめ。石塔の請より手負のまね興に乗じ
て身を忘れ。外記木刀を捨ててまことの脇指むきもち

目をふさぎこけかゝるを大蔵はしり寄りて。是は何とあ
そばしたと取つく所を覚ずうちける程に。大蔵が首ころ
りと落てなげくにかひはなかりき。いつれも泪にくれて
前後ばうじ。しばらく言葉をかくる人もなし。され共外記
は胸をすえすこしもながらへてせんなし、大蔵只今ま
いるぞと死骸に寄添ひ切腹するを。大勢取つき時節
を延ばしけるこそうたてけれ。折ふし長老かへり給ひ子細を
聞届けて其方命にあらねば。此段大蔵親達にもいん
果かたり思ひを晴させ自分の親にも浮世の暇を乞て
すみやかに相果て。名をすえの世に残し給へと其理をつくし
ていさめければ。いかにも我身ながら命はあづかり物。此うへは
御僧次第に最後をまつ間迄口惜と諸袖したしける。


23(挿絵)


24
此心ざし哀れに物かなしく其座に有し美児いづれ
命を惜むはなく。親類のすえ/\まで此寺にきたり
大蔵がなりゆく有様に涙をつらぬき、寺前の松柏も
枯ぬべし。兵部は我子の事は外になして外記が命の
程をかなしみ。住寺を頼み大蔵がかはりにわたくしが
子になして名跡つがせたき願ひいろ/\申あげしに
御詮議の後御ゆるさるゝ事かたくて切腹いたさせよと
の仰に任せ其段申渡しけるに。かく有へしと思ひ極
めし身なれば。今更心にかゝる事もなく。其用意をし
ておの/\に申けるは。大蔵相果し所なれば。此寺にして
最後とぞんずるなれ共。それがし願ひに任せ年頃
頼めし浄連寺にてと申けるにぞ。心まかせにともなひ行

大乗物の戸さし両方共にうち明て白装束に無紋の
浅黄袴をゆたかに大前髪を結せたる風情のけふ殊に
うるはしく。見をくる人魂はなくさらば/\といふ声も
遠ざかり。道すがら硯紙に筆を常よりうごかせて。
大蔵親たちへ面目もなき言の葉かへす/\も書残し。
程なく御寺になれば心静にりんじうの一大事をさづ
かり。敷畳の上に座して皆々に礼儀を相のへ。小脇
指を取なをい。今ぞと見えし所へ十四五なる美女の
しろき練被せしが。外記に取つき自らも跡には残らじ
と思ひあたつての迷惑。いかなる事ぞととかめ捨て次第を
聞しに外記親林太夫涙をおさへ其方夢々しる事


25
にはあらず。此息女は塚原清左衛門といひし浪人衆の娘我等
共すこしのがれぬ中なれ共。つれ添汝が母とふあひなるに
よつて年久しく忍びて往来(ゆきゝ)をもせしなり。いかにしても
おとなしき所を幾度か見届しによつて。是非に我嫁
に約束し。来年の春の頃は女房が手前をも申なだめ。
目出度くよび入て其方が妻にせんと思ひし事もあだ
になり。さだめなき世のかなしやと此断りを聞人又あら
ためて涙となり。ためしなき女心是を命はとられじと声
々に惜むにぞ大蔵が親兵部太夫一命に掛てか
さねて御訴訟申あげ。願ひのまゝ命を乞請け外記を
我子になし。則かの娘をももらひて祝言の事共なりい
そぎ其家をゆづり親子かたらひをなしけるとなり

 

  (武士篇おわり)

  翻刻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1181373/195