仮想空間

趣味の変体仮名

薩摩歌 上之巻

 
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     イ14-00002-345 


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  源五兵衛
  おまん  薩摩歌  近松門左衛門 (上之巻)
桜咲やよひはかりの出かはりに しんざのつ
ばめ置つけてあとをにござぬ水のおも はひ
出の蛙二合半くびにかけたか時鳥 木々のこ
ずえもしげ蔵とたがよぶこどりざうり取 一季
半季の花鳥もとかくは御えんしだいなり はやり
小歌も時につれ時の昔とどこへいく 寛文年
のころ加とよ御膝もとは但馬の国。京の屋敷は


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手本通千本立のうへごみも わかばの錦見かけから
長者町をばをしまはし 出若通の長屋門此大屋敷を 預
かり 京江戸御国の御用等一人に承る 御るすい平鹿
の何某殿にこそちうとにやつこざうり取 めしをかるれど
方々よりひきをもとめて目見へする 此頃五人三人つゝ毎
日ぎんみなさるれど よい男さへまれなれば すこしよめなり
女房のびかしやかふるはとがならず 中間頭より親の四十平
した見をして ムゝいづれもよい奉公人衆 扨お家のわかだんな

殿様よりお小姓に召出され 親旦那御同道で只今はお
えどに 御若年のわかだんな気をしつた上方者をかゝえてやらんと
仰られ 小まん様と申あねご様お部屋のお庭へ召出され す
だれごしに御らん有女中よつてのおきはめ 女中おほひと云中にも
せいのすらりとみめのよい 廿余りな女中がうけへんとうを召れふ
はやし殿とてあねご様のお気に入 第一此人のいひなしとは
いひつえん次第仕合次第と云所に 小庭へまはるくるま戸の
かけかねはづす女のこえ 是四十平 奉公人衆そろふたら 一人づゝ


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お庭へまはしやといひすてゝ立帰る それ/\あれが林殿みす
の内はあね姫様 御前がちかいせり合ず下馬前をしてふりま
せい ないといふてぶり出す手さきあがりの頭(づ)八ぶん こしのひねり
に足どりにすろ/\/\ すろ/\すな地にひざをする花かいらぎと
ちる花と ざんざめいたるはき庭のえんの上にはこしもと衆 みすに
はさみしおはな紙あねご様ぞとおくゆかし 中にもはやしは
手をついてみすのうちより何ごとか 御意なさるればあい/\と
お返事申て尋ねける 是々さきないとびんのびんかりつけた

かまひげやつこ 今まではどこにいて在所は京かいな
かゝお小姓がたの奉公はかみさかやきにおこのみ有幸覚へ
あるかとたづぬれば わつちが生国むつのくに七つ道具の
一通り お馬のゆあらひふせおこし武家の奉公しから
せば。ぬかみそしるの花ちりて近年高野に相つとめ
小姓まはしはいたせしが高野六十那智八十 きんかあた
まのわかしゆにて ついにさかやきそつたことごはりませぬと
こたへける きやうとやこはや其様な めでたいわか衆に升かけを


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きり米のぞみ次第ぞや つぎなおとこはどうぞ/\ 拙者は世
伜のじぶんよりいしや衆に相つとめ 町人参やかうぶし
がたの奉公はぶあん内 じたい我等は川?(せんきう)持おなじ所に当帰(たうき)
迄 半夏(はんげ)/\と季をかさね罷在しほうずいの 中いにちよつと
かんざうのあまうまいこと仕り 旦那茯苓(ぶくりやう)いたされせんぎまち/\
麦門冬(ばくもんだう)季なかにそこを追出しぐすりそれより心に莪?(がじゅつ)を
はり よしや浮世は陳皮のかはかたに木香かたげても 地黄に
大根しらが迄かくてははてじと こんのだいなししやうが一へぎ こしに

一本やげんつば つらになべすみひげ人参 せんじつめたる奉
公人せいもん白朮(びやくじゆつ)和中散 身をこぐすりに御奉公定斎(ちやうさい)なし
とぞこたへける げに気のくすりなものなれど 女中の前の長口
上ちか頃びろどの半えりかけた つぎの男は町のふう 武士の
勝手はがつてんか 扨もおめきゝ今ぎはめ黒印(こつくい)うつてわたくし
義は 銀座になが/\つかはれかご乗物のは/\ぶき 京物の正
じんお屋敷がたは新ぶんどう こえになまりはまじらねど少いき
にくいと申す故 ぶをひかれても奉公のしなかへますといひ


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ければ それではこなたにつかはれぬ 末の季迄はつゝみのまゝ
やどにいやゝとわらはるゝ あとなやつこが国所あもとふもとの
あか松をうちわり 松のゆえんひげきみよいあたまのすり
鉢びん えどすりがらしと見へたよな 御意の通りにてつちめは しん
しう木曽の山家者 でつかくひゆるかん国の ひげにつらゝのあさ
あらし 布子一つでお供され ふろかしなのゝ/\ ハツアつめたいな げに
ゆきぐにで身をかんざらしたうがらし 天目にごさしゆせん酒 一両二歩
のとりかへを はるめきながらかりこして 末しらゆきのかひがり くび

だけつもるしやくせんの ふかたに音をかけおちいたし 木曽をは
しつて参りしといへばをの/\打わらひ さやうなものをかゝえては こつ
ちにさん用あはづの原とどつとけふをぞもよほしける お庭の
すみにめをもつてごばんがうしのそめおびを かるたむすびや年ばい
も廿二三四五六七 おせ/\ふつて出ませい 在所古郷はいづくにて
小姓まはしの一通り おえどの勝手覚えてか 供さき乗うち
下馬前に 大名がたのめじるしもしるやいかにと有ければ
せがれ九しうさつまものすいさんながらいにしへは ふたつがたなも


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さそふ水かなはぬぬれに身をひたし ひろいさつまをせばめら
れ ちかいてうせんりうきうより 遠いあづまは日本の地命
なたねにあぶらのなみだ つかみ奉公いたしても恋しいやつめに
ま一どゝ 江戸に三年都に二年公家武家がたのお小姓
かみ ゆひ立は持ませず六十余州の大名様 お右馬印鑓印お
かごをさへの紋印 そらに覚えて罷在御奉公はえんの物 これを
とりえに召をかれば常江戸脇城国脇迄 申せばことも
永いこと 先一国名に高き 城主様がたあらましと口拍子にて つらねけり

  諸国鑓じるし
ぶけはんじやうの御いせい我らが口にかけまくも もつたい
波かぜをさまりしおえどはきせんくんじゆの中 御どうぼうを
つれらるゝは外にかずなきたぐひなき お家の是がしるし
なり かさねもりばの大とりげ ついのお道具つゝ立ておかごの者
はうらぎくの すそにませがきそめたるは名にしあふしう 五
十四ぐんのはたがしら はたはしらはたくろらしやの すぎなり
ざやにはをりきておかごかくのはこればかり どうこくわか


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松のあるじぞとたれしらかはゞ大身の鑓 かごのもんは松かはびし
うろこがたのこしがはり 白がしらのふりかぶろ二本松の城主と
かや すやりのかぎにしだれいとさつとしだれて しだれとりげの大
小は 是なんぶ殿つがる殿 おく大名の長道中たつこがくびもなげ
ざやに こんに手ぎねをつく/\/\/\いはつきの御城主と 名のつ
て出羽の米沢は つみ鳥毛の唐人笠 六尺は重くぎぬき白鳥の笠
ぼこざや すゝ竹らしやの袋ざや大かぎうつたる印こそ 庄内のあるじ
そと 白ぐまの天目ざや 是が秋田の佐竹殿 扨さきの中しめに六尺

もやうはぐる/\/\ 御もんもくるまはえちごの村上 くろらしやのりうご
ざや 同きゝやう十もんじこんに無紋の六尺は かゞに梅鉢百廿万石に
つゞく者なし似たる者なし 御紋斗は越中も似たりやかきつばた花
あやめ しやうぶかはのつの十もんじ 白がしらの大かぶろ是越前家六かくの
つゝざやの二本道具はわかさのをばま けんさきりうごのかぎやりすやりは
いがいせの津の御城主 花有らしやのきんちやくざやわちがひの六
尺は さうしう小田原ときんがしらと大身の鑓は 下総の国佐くらの御
城主くり色のたゝきざや 筆なりの中じめは江しうひこねの御大将 


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くろぐまの如意宝珠かごはわぬけにかくの棒 みのゝかなうのあるじなり
あをがひえにきつたてざたしなのゝ松城 白柄に白さやときん頭かごは
たばね木たんごのみや津 すそぶくらのついのお道具いづもの松江 かごのもんは
丸につたのはのきませ のけ/\とつとのけ/\とうとり鳥毛大鳥毛 いなば
はうきのお国取はりまの同国しるしも似たり ひめぢはあかし明石は
くりしいづれもすやりの中じめにて ふんどうなりの一対はびぜんの岡
山 かぎ鑓に白じゝのつみ毛の棒はびつ中松山 かごの紋は丸にとら
のおひんとはねたるびんごのふく山 こまなりの白鳥毛かごはこんに

ちきりのそめぬき 袋ざやはあきのひろしま扨又四国の御大名
くまのかはのなげざやは讃州高松同じく伊予の松山は くろぐまの唐
さかづきに お道具持がえふたとさ/\ とさ/\とさの高知は中ぶくら
おかごはこんにかうのづなり あはあはぢ両国主 しもくざやと丸十
もんじ 六尺はつなぎびしつなげや/\永楽銭のかごじるし 黒鳥の
末ひろはすはう長門のはぎの殿 扨九州に至つては御紋もこく餅
まん丸鳥毛はちくぜん福岡の御城ぬし らうそくざやと鎌鑓
はちくごのくるめ 天目鳥毛は同国やながは白ぐまのすみ袋 杉なりの


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中じめは ふぜんのこくら中津のあるじ 白ふんどうはぶんごの きつき もへぎ
らしやの袋ざや 白なめしのすそぶくら いてうの丸のかごのもんびぜん佐賀
の御居城 大袋は同国から津ずん切ざやに銀のかさ 手ぎねは嶋原
ひらどの城主 白猪の丸づゝすそぶくら同じく筆ざや かごはあさぎに山道こそ
代々ひごの御国主 けんがたは日向大名十もんしは対馬のあがた くろぐまのかたかまは高
らい迄もかくれなき 大すみさつまの御大将其外諸国のお大名 かずも限り
もあら慮外 申も長柄の御鑓じるしあらましかくとのべければ みすの内そと
ざは/\/\よふ/\云たり申たり 扨も/\とやゝしばし手をたゝいてぞほめらるゝ

やれ幸の奉公人 此者に極めよと 四十平を召出されおと
な殿へ申て 取かへわたした吉日なればけふ中に請判極め こよひから
お屋しきにとまらせよ さつま者と有からはさの字をのけてつま
蔵と御付なさるゝ あれへ立てやすみませい ない/\/\と立ければ
四十平こすみへまねき して切米は何程ほしい はんきに二両二ぶ下
され 四十平きやうさまし それでは一年五両か いかにも/\近年
五両取まする すればそなたはさねもりじや 道理で女中のきに入た
とつれて 入日も 「みじか夜や 秋の初夜過はやよなかむしくり


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あつふねにくやと小まんの君の夜なかおき 庭にとほんとかぜ
うけて アゝなまあつやこちが様にこえた者はなをあつい 男もつて
やせたいぞとひとりごとして是は/\ つち戸の錠がおりずに有 林が
そさうでわすれたか たそこいやいとめす所へ 屋敷まはりの拍子
木のをと月にちかよるかげを見れば しんざのつま蔵ヤアこれは
よいなぐさみと つい立よるも女松のかげ男げいれぬお部屋也 新参は
かつ手しらすどのあくまゝにつゝと入 庭のすみ/\゛ひやうし木うちつまだてゝ
蚊帳の中 このもしそふに見る間にそつと廻つて戸を引立 錠さす

をとにきもつぶし申々 まだ私が出まする錠あけて下されませ
いや/\こゝにかぎはない むさと男のこぬ所へきたがふせうあすまで
まちや ヤアそれでは私がくびがない 是四十平殿おたすけと 拍子木
ならすをエゝかしましい/\ 拍子木をいてもらはふととつてほらつて手を
とつて コレちつ共だじないくにするな おれはこゝのあね娘小まんと云者
そちはぬれ故さつまを出ていやしい奉公すると云 大名衆のしるし
ぞろへきゝたふもなんともない さつまの恋の一通り ねからはから聞ねば
気にかゝつて夜がねられず ひよんな咄しを聞さいてねむたふて目が


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うづく うそなしにはなぞふかいはねば是じやとつめらるゝあいた/\
申ませふ 私はかご嶋でひしかは源五兵衛と申て おや兄共は小知を
取我ら末子のぜひもなく 来迎院と申知行寺へ後住の約束 十
三の秋からとうふこんにやく念仏の外 魚類女類は口にもかけず 善
導か法然の化身で有ふと申た 又寺のだんなにはまの町と云所 ば
せを布屋のおまんと申はつくし一ばん いづみ式部か小式部の化身と
ほめた小娘 きやつが我らを見るたびにときに参ればだき付き はかへ
参ればだき付き めつたむしやうにだきつけ共此方がつてん参るにこそ

いづみ式部の化身めが此法然の化身と すまふをのぞむとお
ぼえたなげてくれふと存じて ある時はかへ参つた所渡しははだかに
なり 長老様のどんすのけさこしにきつとしめ付 さあござれと
だきついた あつちもぬからず四つ手にくみ あせ水ながしてくみあふ
とて。何やらさゝやきつぶやいて たがひにいんぐはをさらし屋のうすから
きねとは此こと まんまと法然上人があなたの十念さづかり しよ
わけの五十相伝うけ四十八夜の常念仏 たがひに忍び忍ばれ
て物三年はよるひるなし 千日のえかう迄一日けだいも仕らず 是が


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しれいて有ものか沙弥が聞ば長老が聞 兄がしれば親がしり
かみをおろさぬ其内に しばりくびうたるゝさた どふも国にたまら
れず おまんと後のけいやくして十九の年にさつまを出 十方世かい
をかけ廻りお尋ねなれば身の上の 願以氏功徳きのどくなお
咄し なりとぞかたりける 扨も/\おかしい様でかなしい咄 其人はおまん
おれは小まん 身になぞらへて涙がこぼるゝ 国ならびのことなればもしは
きゝやつたともあろ おれはひごのくま本 笹野三五兵衛様と云
人とうしろひぼからえんぐみ有 無事でござればとふにひごへよめり

する八年前にかのお人病死なされた便宜有 二もん衆も親達も
さかづきはせずかほは見ず 方々もらひて有内にはやかたづけふと
あつたれ共 くはんぜなしに道をたて十二でこしやくなかみを切 今で後
家はたつれ共わかいをなごのかはいと思や つまこふ犬ねこ鳥つばさ
むしにもをとつて男のはだえしらずにしぬる 今の様な咄を聞度
につみつくられ 当座にしやんとよめつてのければよい物を あほうな
しんしやくしすごいてゆのしぎは水になる すふても見せず心から
にえこじけのわか後家 一字ちかふて名もよふ似た 三五兵衛様と


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思ふてそなたをおまんにかりたいが なんと一夜はかす気か おまんにうけ
やつた五十相伝此小まんにさづけてたも 手を合ておがみますサアなむ
あみだ/\ 是なふなむあみだじやと身をもみしせうしいたはしはづかしゝ
源五もこまりうろたへて おまんが五十相伝は丸はだかで受ました よるは
蚊がくふ明日とにげんとすれば引とゞめ 気がつかなんだ蚊がくはふ蚊
屋へおじやとだきいるゝ いやじや/\もお主のいくはう蚊屋うちあくる
あをちかぜ ありあけさえて是々々 これがあんやう極楽せかいいづくも
恋のやみぞかし おきに入の林はよひより茶の間にねたりしが 土戸に

錠をわすれしと手燭かゝげておねまの次 御用もやと立うかゝへば有
明きえしふすまのあなた しめやかな男のこえがてんがいかぬ蚊のなくこえか
いや/\人にまぎれないとえんさき見れば男のざうり サア悪性に極つ
た男は何ものふすまけやぶりとび入て 二つどうにきりかさねんとをそり
出しがアゝそふでない/\ 笹野三五兵衛共いはるゝ身が 世間は病死と披
露してそうれい迄取をこなひ あらぬ女のまねをして 五年七年しんきを
くだくも大じを思ひ立たる故 念願とげず本名あらはし小事大事を
忘れては 今迄が皆うつけのさた一家一門武門の名おれ かんにんのば


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しあんのばだまれ/\人や見ると もとの女でしやなら/\と立帰る おねまは弥
こえ高く今ぞわかれのさゝめごと エゝねたましく口おしきに下部の持たる拍子
木有 ムゝウ忍び男は下郎よなたとへのぞみとげたり共 三五兵衛が女
房を下郎にぬすまれ目前の女敵見のがしにならふか 日頃ぬつたる
つやおしろいのつやつくろひもいらばこそと すそねぢあげてあしくびも
人に見せじとつゝみたる もみじ袋の有に出るこぶらふともゝいとくろく 女
のすなるひぢりめん 足まとひぞと高からげ男の下ひもあらは成常にたし
なむべにさらも こよひちしほのひざのさらおはぐろつぼのくろがねも 心の

はがねさびおとし引よせ/\一刀 さしぐしかうがいこんこまくらこみぢ
になれと髪かきなで さそくをふんでかけ出しが なむ三宝刀は部屋の
長持に取に帰るは手のび也 むたうでかゝるはふかく也 夜なかはんじの
とけいのこえ心せかするばかり也 ハアゝあのらうかをくる人はほうばいのおしゆん
じや こいつはしやべりのてんばめ見付られては大じぞと からげおろして
前かけ合せ しよていつくればめの前に もとの林とならうちわそらね
ふりこそゆたかなれ おしゆんは何のきもつかず林様こゝになにしてそ
と いへばわざとびつくりして アゝなんぞいのきやうとげなおねまがちかひたし


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なめや あすは月の十五日かね付てねよふか ねて待男もあらばこそ
きさんじなひとりねこゝでねふるも同前そなたもいつて早ふねや あす
あはふぞやといひければさればいの けふひよんなさうしを見てきがさはい
でねられぬ いつもの様にめをことごとしてねませふ こよひはこなさんお内儀に
ならしやんすか但男にならしやんすか アゝどちらに成ても思ひのたね男共
をなご共 見たてしだいといふている下心こそわりなけれ いや/\どふでも
をなごかよいじつかはいらしい女房じや ならば男と生れて貴様と一夜
ねてみたい どふもならぬとふところに手をさし入てだきつけば アゝほて

くろしはなさんせ をなごどうしねよふよりひとりねて本のこと 夢に見たのに
徳が有とじやれにまぎらしにげいれば わしも夢の相伴とをはへてこそは
入にけれ 此人音に源五兵衛あらはれては身のおちど おいとま申とかけ出る
小まんをしとめ かくご有てするからはそなたになんぎかけはせぬ ハテ高が後
家の身いたづらものといはるゝ迄しあんが有待てたもといへ共いや/\おやしきは
どふもあれ 生国さつまは人あらためつよく我らは今にお尋ね者 此ことくにへ
聞へてはめしかへされてざいくはにあひ 一門のはぢおまんがなげきへいをのり
こへ夜の中に 大津迄もと云所へ林はたしなむ長がたな すそばしおつて


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まくり上やつこ殿いごくまいと えんばなにをどり出たるは狂気とならでは見へ
ざりけり ホゝちとがつてんが参るまい是小まん 我こそびしうくま本笹野
三五兵衛 我二歳の時親三五左衛門は ぶしうのあそび所にて石子久
弥と云者にうたれしを えうせうなれば夢にもしらず四歳で母に
をくれ 一門のかいほうにて十四の年あとめをつぎお手前とえんをくみ む
かへ取べき用意の最中毎日門にはり紙して 狂気はいかい様々のらく書
を立家中ゆびさしてうろうする いか成故と聞合すれば親のかたきが有
と云 弓矢八まんしらぬことは力なし かたき石子を討取此はぢをきよめずは 本

国へ帰るまいとふだいの下人に心を合せ 頼みし寺とないだんしめ 三五兵
衛病死と披露し このしろと云魚を以て火葬をあざむき 十六
歳で国を出かみをのばし女と成 十九歳の九月よりことし廿三歳
迄 五年の春秋つきそひ見るにかほもしらぬおつとの為 さげ尼の
身と成まだ/\そばにいる共しらず朝夕我に香華とりしやうじんえ
かうなげきの様子 嬉しいやらふびんなやら部屋に入てはなきくらし 名乗て
聞せて嬉しがるかほ見たいとは思ふたが いや/\本望達する迄と むねに
つゝんでかず/\はふねくるまにも余るべし 日頃にも似ず今夜しもあの


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下郎をねやへ入 見ぐるしきざまは何ごとぞあれていの下主めを 三五
兵衛が女がたきと云も口おし いはんや大じの敵を討迄は無念も恥
もこらえふと 心せいもん立たれ共ぼんしんのならひ めの前のいかり
やみがたくけふやぶつて出るからは 討ともなふても討ねばならぬ 一本さ
せばうぬめも男 サアぬけ相手にしてくれん エゝうぬらふぜいとたち
打はぶうんにつきた口おしいと はがみをなしてなげきしは道理せまつて
あはれ也 源五兵衛にこ/\わらひながら ヤレたとへ主のむすこでも 今ざう
り取するからは下郎といはれてかまはぬこと しかし下郎を相手に

するが無念ならば其無念はやまてやろ コリヤをとにも聞たかさつま
のかご嶋 菱川源五兵衛すゞめのえほどな米を取 馬のせぼねもま
たげた者 そつちもむかしは誰にもせい 当分をなごでいるからはおこし
本の林殿 女は相手にならぬといひたい者じやがそれも口まねわ
らべらしい 但女敵と云悪名 かみ切た後家女にめがたきとはふりくつ
ながら是もしらべていさないこと 女敵ならばめがたきにとしてもお手
前が 親の敵に身をくだくこゝがどふもしかられぬ わき指に手も
かけまい女敵討てかど出いはひ 親の敵を討めされ それとてもぜ


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ひぬけならばぬかふが 身が国のならひで ぬくとさやをたゝきわりふたゝび
さゝずしぬるが 是がさつまの正銘 時にはふたり討死して 親の敵久
弥たつたひとりの仕合なんのやくに立ぬこと 是おこし本をなご衆 女
敵のくびきらしやんせサア くびきつてとらんせと 人を人共思はぬかほさすが
にさつま者なりけり いやさ/\武士のけんくはにぐめんはいらぬ さやわらばわれ
くだかばくだけ サアぬけとつめかくり小まんへだゝりをしとめて 扨は三五兵衛
様かいのこなたを男といふことは 三年さきから見たれ共三五兵衛様で
有ふとは 尤きのつくはづもなくわしやはまつたかぜひもなや よのこし

本ははんきでもきをかさぬればうちとけて ふゆはおなじよるの物夏
はおなじかちやうの内 をなごとをなごの主従ははだを合せてねるほどに
じやれてんがうもいひなぐさむそれに五年のなじみといひ おはてな
れた母様のおはぐろおやにならせられ おれとは兄弟同前に一寸そば
をはなさぬに いかなることか夜にいれば只ねすがたをかくしたがり ついに
そばにねたことなく小ぶろにいればかぜひいたの 物がてきるのなんのとて
とぎに小ぶろへいることなく むねへさはるもいやがつてとかくちゝをかくした
がる 萬立いに心を付見れば見る程男じやが 扨は此小まんしうしん


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かけるやつそふな りんきするかためしの為とわざとこんやあの人を ねや
へよふだは是故 され共仏にちかひを立た道筋はゆがむまいと くらがり
に付ごえしてねさせたは外の者 源五兵衛殿をだました此わびことはいく
えにも 身の明らかなすこをとかちやう打あげ手を取て引いだす お
らんと云おぐしあげかみもほどけてしよだいなく かほをあかめて源五兵衛
様 ゆるして下さんせアゝはづかしと袖おほふ 三五兵衛は詞なく手持ぶ
さたにせきめんする 源五兵衛もむねつきしがちつ共くるしからぬこと 小
まん様もをなごこなたもをなご 人間の身にかはりなしたとへばうどんと

切むぎ 汁は同じしやうゆ どちらでもおふるまひは同前也とぞやはらぐる
小まん取付わつとなき是三五兵衛様 なかずにいはふと思へ共どふも涙が
とめられぬい 出来た仕様じやござんすまい 私明くれ恋したひ泣悲しむ
を見ていながら よふもだまつていられたなふ 去年の春の大煩もこな様故と云
ことは かん病なされたお前がせうこ 男は松をなごは藤ともとからたとへに有げな
松の力で藤もはふ男頼みに女はたつ十二の年から十九迄人のさかりを捨置て
けりやう道を守ればこそ もしきがそれていたづらしたらこな様さつて捨
さんすか 去とてはつれない人 女房かはいがつたとて ひけに成か恥辱に成か


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侍がすたるか 八年の月日を取かやしは成まいと 思ひのかぎりいきかぎりすがり
付て泣ければ 二人の男もリにせまり泣より 外のことぞなき 三五兵衛涙をおさへ
り共ひ共是斗は 一ごんも返答なしそれはよし夫婦の中 源五殿への申わけ
はらを切ふと申共よもきらせはなされまい すればいらぬけしやうわさ名に共い
きやく千万と いへば源五是々々お詞の中なれ共 親の敵ねらふ身は盗をしても
ゆるし有 なんの是式お心にかけられな 扨かの石子久弥と云者は 只今なば道愚
と申雲水の身と成 ある時はせい州に住い又は濃州信州 折々は京東山 勝
軍地蔵のいんとん者にちなみ 詩文など作るよしざうり中間の咄也と云ければ

有がたきお物語 御恩の上のお情と祝あふこそ道理なれ 夜もしら/\としら
む頃家のおとないそべ与茂太夫 より祝の四十平中間四五人非引つれ ろぢ口
たゝいて是々林殿 お部屋のかたに男のこえが聞へる 錠明さつしやれせんさくいた
す林殿/\とぞとよめきけるそりやおやじめがきをつたと あはてさはいで三五兵衛
はやつこふる 源五兵衛はをなごのまね先小まん様かくしませと かやへいるやらかけ出るやら
更にしやべつはなかりけり 中にも源五物ごうしやさはぐまい/\ わたり奉公したお
かげ我ら次第に遊ばせ 私お家にいぬ斗なんの気遣ないことゝ 云内にも戸を
たゝき下々わめけばせんかたなく 土戸の錠をあくるとひとしく与茂太夫つゝと入 扨


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こそしんざめしばれくゝれと取まはす 源五兵衛少もひるまず いやしばらるゝとがは持
ませぬ 夜前初て拍子木役おく共口共存ぜず 戸の明て有からはとしかも念入ま
はる所vをなご衆が見付てこらへうせたはくせ者夜明迄とめ置て おとな殿へわたすとて
錠をおろしていごかせず 蚊にくはれていましたが それでもしばらばおしばりなされと
さも有つべしう云ければ三五兵衛がてんして いかにもあれが云通わしがそさうで 錠
を忘れた其間にお庭にきていました 勝手しらぬと云ながら跡で忘れてはおく
の者のあやまり 夜明てこなたへわたさふと錠おろしてとめました なんの別義もないことゝ
いづれもぶしの一疋共尤らしううそいひなしける 与茂太夫かたい者 何もおくのお道具

に見へぬ物はござらぬかよふぎんみなされたか イヤ何もお道具そろふてう
さんなことはござらぬと いへ共はをかほをしかめ をのれはすかぬやつじや 第一
はなが高ふてがつてんのいかぬつら きつとせんぎの仕様はあれどわきへさはれば
かましい 是四十平すぐに大坂へつれ下り さつま宿へわたして舟に乗迄
見届帰れ わたした弐歩の取返してうせふ早ふ/\とねめつくる ハテかしま
しいかやします おれがはなが高けりやこなたがねめるはづか 一歩はそつち
の一歩はなはおれがはな それかやすとなげ出す三五兵衛も我身さへ 世を
しのぶ身はせんかたなく是そこなもの そちも人の一大事詞のやくにも立


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たであろふ さきの人が侍ならば其をはわすれまいと 心をふくむいひこ
なしおらんはおくよりはしり出 是まちや/\此はな紙入はな紙 なかに
おあしも有そふなお庭におちてあつたが そなたのであろふもつていきや
とあだのちきりもあだにせず こゝろのそこにむすびをく露の
なさけぞあはれなる 源五兵衛もほろりとなり これはいかにも
わたくしの おこゝろざしはさつまでも一生わすれはいたさまいと お
ねまのかたをじろりと見てほんにきりむぎでさへ此お情 こんなことなら
はしついでに うとんも一ぜんもたべましよものおのこり おほやと「出にけり