仮想空間

趣味の変体仮名

薩摩歌妓鑑 第九

 

 読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/

      ニ10-02059


63(右頁5行目)
   第九  松が端(はな)の段
難波の 芦は濱荻と草の名さへも 其昔 室の里にて芸子と呼れ 晒の里で
お内儀様 此頃爰に松が端親の 内では娘のおまん 暑気(あつけ)の悩みの物思ひかてゝくはへて源

太郎が 寝冷のいたみ枕かや 添寝に夢や結ぶらん 表は晒の手間取共行つ戻りつ布へる程
尋どりながら仇口々 サア/\手早に仕廻はふぞや 白雨(よたち・ゆうだち)三日といふからはけふも又追付くるであろ 五々
作殿の嫌ひ物 ごろ/\殿が先走り きのふもきつい侍りやう けふはどこぞへぴしゃりぽん落たら跡は涼し
かろノウ?兵衛 イヤ白雨も昼で仕合せ 貴様もおれも夜は畠の番に行ねばならぬ 又此畠盗
人は今に知れぬかいの サレバイノ 夕部(よんべ)の寄合の噂には 畑の勝手覚た盗人なれば どふで小百姓の内で
あろと庄屋殿が心付き 大きな声はならぬが 爰な五々作殿がよつ程の目角 ヲゝおれもそふ聞た 五々
作が持丸長者では有まいし 昼は僅な晒の手間賃 日が暮つと此松が端から喰らはぬかい/\


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のなら茶売り 高のしれた身代夫に日外(いつぞや)から浪人者じやの イヤ若旦那じやと びらしやらした
女連がざはつく故 在所中が是ざた あの人に限りよもやとは思へ共 イヤそりや知れぬ 人の心は上から見
へぬ 上から見へるはソリヤばら/\ 早片付けよと晒布てんでに皮籠(かはご)へ押込みへし込み ソリヤ光つたぞおふ
こは合点と指荷ひ 漸内へ走り込 おまんの騒ぎに起直り ヲゝ為業(しごと)はもふ仕廻ひかや けふは七月十
二日 経宗の仏迎へる日 追付お客達で閙(いそ)がしい 節季前は為業もけふ切る 皆休んで下さ
れや ハイ/\そんならお暇 わたしらもいんで又仏様事やら盗人事やら 忙しうてなりませんと うさん
らしげに隅々見廻し 我家/\へ帰りける おまんは跡に ほつしりと世の取ざたを聞に付け 心一つの物思ひ

気がゝりな人の噂 此一両日以前 国元から戻らしやつたる源五兵衛殿 又江戸表へお願ひ有て
早々にお下りの筈 其路銀用意の才覚を呑込でいあるとゝ様 頼み寺に預けた 銀が有る/\とは
おつしやれど つんと誠にならず 娘可愛聟大事とふつとした出来心 若しや悪い気が イヤ/\/\ アゝ
勿体ない親の事 思ふも罪とぐど/\とあんじ煩ふ折からに 編笠取て源五兵衛 内に入より 扨も
降たり照たり 上戸の額盆の前 親父殿はどこへぞ 急に逢たい事が有 イヤ坊主めはよいか 扨も
すんぞらかして寝おつたは そなたはどふじやあんばいがよいか アイ わたしや当分の事 源太もちつとした
寝冷なれど 夜はしく/\泣故に若殿様への遠慮で お前の戻らしやんしたを幸に内での養


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生 もふよござんす気遣なされな ムゝそりや嬉しい 此中そなたにちよつと咄す通り 大学親子の奴
原が悪工の段々 討て仕廻は安けれど親源二左衛門殿は老巧 きやつら親子は関東よりの付け家老
一家中を手に入ているは必定 三五兵衛諸共密に江戸表へ出達し 大学めが自筆にて伜が方へ
遣したる コレ此状を証拠に 直訴願ひを申上 其上にて討て捨んと談合一決 又三五兵衛夫婦の
者もあすは早々国元より帰る筈 帰らば直ぐに江戸へ出達 気の番は爰の事 若殿御両所を始め三
五兵衛夫婦 おれといひそなたといひ 五々作殿の世話の上の世話 其上へ又路銀の才覚 アゝコレ其事
は気遣有な 今宵(こんや)夜半(よなか)迄にお前へ手渡しすると たつた今寺へ銀(かね)受取にでござんする 留

主の事も気遣なし 笹野殿とわたしがとふなりとして 若殿様御夫婦は イヤ夫で思ひ出した 笹
野は江戸へ同道する筈 ソリヤ又なぜへ サア大事の願ひなれば日数の込むまい物でもない まさかの
時には軍用金の二度の勤めと三五兵衛が思ひ付き 笹野もとつくりと呑込でいると 咄し
半ばへ でっちの長太とつかはと 申源五兵衛様 国元から三五兵衛様の御状がたつた今 ぜひあしたはお帰り
の筈 ちやつと呼でこいと旦那様の云付早ふお帰り ホゝそりやいなざ成まい 親父殿の戻られ
たら間違ぬ様に 今の事を頼むぞや 坊主め連て追付おじやと 云捨てこど急ぎ行 跡に源太
がうつゝ声 とゝ様の声がする とゝ様/\と呼たければ ヲゝとゝ様はたつた今晒へお帰り 追付かゝが連


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て行 なま寝しやれば機嫌がわるい コレ又雷殿が鳴ぞや わしも爰にと引寄せし枕の上の一思案
胸の思ひぞやるせなき 雷嫌ひの親五々作殿 空はごろ/\どん亀いかきに聖霊(しやうれう)の 買
物調へ立帰れば 跡から足早晒屋の下手代 コレ五々作殿 さつきにから呼かけるのにきつい龍耳(つんぼ)で
は有はいの イヤ龍耳なりやよけれ共ごろ/\が耳へ入と 人のいふ事は一つも聞へぬ シテどこへいかしやつた イヤ
どこへといふたら約束の晒受取に来ました ほんにそふじや コレ/\幸かはごは爰に有と ふた押明け
てイヤどふもけふは渡されぬ きのふからの白雨でろくに一丁あがらぬ あした今一ぺん晒てから渡し
ませう エゝどんな事じやのふ こつちも盆前の仕込はもふ仕廻 其晒毛綿(もめん)は遅めの仕込み

なれば急はせねども約束がけふの日切 そんならあすの晩方来ませうと 立出ればコレお手代 晒代
持てござつたじや有ふ 節季の事なりやちつと斗でもこつちに入用 今銀渡して下されぬか ハテ
どふ成共勝手次第 正直なこなたの事 違ひもせまいと懐より 銀取出す表の方 五々作殿
内にか さつきにはよふお出 何やら安い売物が有る買てくれと有た故 節季なれど安くば
相談せうかいの ホイ 是は枚方の古手や殿 ちつと爰に取込み マアおたばこと挨拶そこ/\こちら
も商 コレ親仁殿 三十疋で十五匁 晒の手間代渡します 晒はあすの晩方 ヤアあなた是にご
ざりませもふお暇 ムゝ晒や殿お帰りか そんならあすの晩方 受取にくる事忘れまいぞや いかにも/\


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ぬかりはせぬと云捨て足早にこそ帰りける 五々作は跡見送り ハゝゝどこもかも節季前で いそ
がしそうにとつかはいなれた イヤ嘸お待遠 コリヤおまん/\寝ているか ムゝ幸々と一人點き以前の皮
籠 コレ売物とは此晒 今いなれたは晒やの手代 若いわろじや所で ちつと内証に入る事が有 親
方の方は大事ない 大がいな値で売てくれ 金はあすの晩方受取たいと頼にわせた 地はずんど能
何ぼ程にお買なさるゝといへば立寄木綿を改め 何十疋有 晒の数は卅疋 ムゝそんならかう
かと懐中のそろばん出しぱつち/\ 是程かい まつと買しやれぬか わしが一文利を取物ではなけれ
共 頼れたれば売人(うりて)も同前 マア拾匁買てやらしやれ イヤ/\こつちに余り望みはなけれど 安く

ばと商づく ムゝ夫なれば 一反が五匁えい負けふぞ さらり/\ 然らば銀渡そふと懐より 紙入出し金
五両 相場はよけれど正直な親父殿 尻のくる気遣有まいし 端だけは儲けにさつしやれと右から
左てつきりこ 皮籠は借っていにますと荷を背負ふてぞ帰りけり 五々作はひとり笑 むまし
/\と戸棚の財布 銀(かね)ぐはら/\と取ひろげ そろばん引寄せ目の子算 扨と マア是が八十四
匁西瓜代よ 又是が五十匁真瓜(まくは)の代 こいつが大物二百五十匁藍の代 是へ晒木綿の代が
三百匁 ヲゝまだ有/\ 十五匁晒の手間代 都合六百九十九匁 是を金に直せば 十一両二歩
余り 代金を女夫の者に見せて渡したら 嘸嬉しがろ エゝ忝い/\と財布に入て押戴き 元の戸棚


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へ持運び 悦ぶ親の後ろかげおまんは始終最前より 聞に付け見るに付け 冥加ないやら悲しいやら 胸へ
せき上せき上て堪て見てもこたへ兼 涙に枕うき思ひわつと斗に泣出す 五々作は恟り顔
何としたおまん 何ぞこはい夢でも見たか コレまあ泣やめ エゝ聞へた けふは聖霊のお客達が見へる
日 嬶が事を思ひ出しまめでござつたらはと思ふて それで泣たか エゝ孝行な者じやなと 背(せな)撫
さすればないじやくり 何の/\わたしが孝行にござりませう 見ずしらすのお人でさへ 正直な親
仁様 虫も殺さぬ法性なお人じやと 人の手本にする程の 大事の/\とゝ様を わしが一人が苦をかけ
まし 盗人掛りの悪工も皆わたしからおこつた事 夫を隠して孝行な娘じやとは 聞へませぬ

爺様 今夜聖霊のお客にござるかゝ様に どふ云訳がなる物ぞ 娘可愛聟大事孫可愛
が定ならば 悪い心を止めてたべコレ 拝みますとゝ様と 千万おまんが涙の雨白雨よりも先立り 五々
作もぎつくりろ胸に当れど空笑ひ ハゝゝハア女ゴといふ者は 鼻の先な物じや コリヤまあよう
聞 可愛そちや大事の聟 爰に寝ておる孫が為に悪い事してよい物か そんな事したら忽ち
大事の聟殿へ難義がくると 若殿様の不忠に成る すりやそちも孫も 爰迄した御奉公も
水の泡 それしらぬおれではない 皆ありや人の為 又畠物もない事ではない あれも百姓の
息子共が 親々に隠しての事 正直なおれを頼んだりや是非がない いかふいふのにうそはない


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疑ひはらしてたも 祖師様に蹴殺さるゝ法も有れ何々の誓文 嬶の妙意も追付くるであろ
祖師様の前で三つ鉄輪(かなわ)疑ひ晴たか まだうさんそふな顔付 ドリヤ仏前の拵せうど云紛かし
納戸を覗て 嬶様 お迎団子拵へてか ヲツトよし/\ サアおまんも手伝やと聖霊の買物
たがへ奥へ入る おまんは跡に只一人 さらに誠と思はねば心も済ずうつとりと案じ いや増す折からに
爰ら在所の奉公を肝煎らしきたゞの親仁 門口覗ておまん様/\ ちよつとお目にかゝりたい
といへばおまんもひそ/\声 ヲゝ六兵衛様が大事ない わしも急に逢たかつたマア爰へ 此中ちよつと噂
した 今の筋はどふじやいな サレバ其事でわしもちよつときた 此中いふ通り 近江の鏡山といふ所へ

お上から傾城毎町を赦され 京 伊勢 尾張の茶屋が 能奉公人を吟味の為 大坂へ登り
下り 晒の里でこな様をちらりと見て 近所なればわしが所へ立寄て あれはどふじや 成まい
かと有た故 是の親仁の気は知ている 成まいとは思へされど マア大坂へいてござれ 尋ておこふ
と ちよつと転業(てんごう)の様にこな様に咄したりや 急に金が入る程に一年斗出て見よふと有た故
わしも少々儲ける事 親方に咄したりや 飛付てほしがる 迚も出る気ならまあ半年増して
一年半 七十両では今でも済むがどふさんす 幸々まあ半年の事にめかりはない ドレ其七十
今渡して下さんせ エゝめつそふな おれに銀が有物か 弥行く気なら今連立ていて 証文


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と金と引かへ 親仁殿にもそふ云をか イエ/\ とゝ様へはさたなし 跡で知れる分は大事ない 金はわたしに
当分親分にこなさんが成て下さんせ そんなら一所にいきませふ 一時なりと早ふ/\ そんなら
納戸に隠れて待て居て下さんせと しめし合せて奥の一間 申とゝ様そこにかへ たつた今晒
の里から源五兵衛殿の使が来て 若殿様の御用が有る ちよつとこいとしらせ故一走りいてき
ますぞへ ヲゝそりやいかざ成まい 源五兵衛殿は弥あす七つ立 おらが渡す物も有り 坊主め
が目が明き次第暇乞の為 仏もむかへは跡からいこ いておじやと何にしらがのかけ素麵 聖霊
走する人もしらぬが仏仏壇を かざる横顔源太が寝顔 心の内で暇乞 今一度抱きたい

物云たいと思へば胸もはりさけて くらむ心をイヤ/\/\ 夫の為 お主の為 銀受とらばとゝ様の悪気の
金も済む物と三筋 四筋を一筋道 胸を据たる女の膽(きも)肝煎 連れ立出て行 五々作は
斯共しらず仏壇かざり客迎ひ 律義も見へすく布羽織耳に長数珠引かけて仏を
迎ふ苧(を)がらの火 娘が為には門火共 しらば心の鼠尾草(みそはぎ)や 手向の水は片口の片言交りに
数珠すり/\妙法蓮華経如来寿量品第十六 妙法蓮華経/\/\ ハアハゝゝゝ仏達
がござつた/\ サア/\是へすつとお通り 祖父様も祖母様も一家一門皆なじみの仏達 嬶の妙意殿
かよふござつたのふ おまんもまめで戻つて居るはいの ヲゝ嬉しかろ 知院近付き法界の衆


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もお出/\ 去年晒から此松が端へ 宿がへしたをよふ知てよふこそ/\ サア/\/\ 仏壇へ苧がら
のはしごヲツトあぶないぞや/\ ソレ 御馳走の青畳の蓮の葉 アレそこから見や 枕がやの内
なは孫の源太 後に逢そ かゝ様 其迎ひ団子も何もかもちやつと/\ ヲゝ丁寧に拵へられた
先ず団子よ それ芋牛蒡(ごんぼ) ぼた餅はあすの朝 仏様方御遠慮なしによふまいれ 毎時作是(さぜ)
念 以何令(いがれう)衆生 得入無上道 速成就仏身 南無妙法蓮華経/\/\ 勤めも終り
勝手へ出 かゝ様茶一つ下され ヲゝ茶でなくと夕飯まいらぬか ホンニ忘れていました お迎団
子もよかろがや ヲ何成りとまいりませと 入子の体のしんきあへ膳拵への黄昏時 表へひそ

/\百姓共つぶやきさゝやき数十人 手頃の鋤鍬引かたげさもいまはしき制札を 門口に押立
て 五々作宿にか 誰じやこつちへはいらしやれ ヲゝはいらいではと三四人ずつと寄て両手を引 立横(わう)
着者サアおじやと引立れば 是は無体な何の科と いはせも立ずたぶさ髪 引掴て筵へすり
付け 何の科とはどうずりめ コレ 此たばこ入わごりよのであろ イヤ夫は いやとは云さぬ 西瓜受取
の書付 真瓜(まくは)の受取逢いの受取 皆われが名宛 サアぐつとでもぬかして見い こちとらが身代
打込だ畑物 よふも/\大盗人め コリヤ/\善太の五兵衛よ わりや先へいて成敗場掘ておけ
いけ/\ 直ぐに畑へ埋づんでこます サア立上れと引立れば マア/\/\待て下され 待てとは何を/\ ハア是


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迄じや 是非がない 成程隠さぬ 急に金が入る事が有ての出来心 どふぞあすの朝迄 埋づむのを
待て下され 今夜七つにめでたふ旅立祝ふ人が有る 其人におれが埋られた形(なり)を見せては どふ
も顔が立ませぬといふて渡す金はなし あすの七つの旅立仕廻ふ迄 コレ慈悲じや 情じや どう
ぞ待て下され エゝ得手勝手な盗人め サアうせあがれと情なく首筋掴んで引すり廻し 表
をさして出行ば 雇はれ嬶もうろ/\とマア/\どふぞ了簡をと いふを構はずつき飛し畑を
「さして引立行 おまんは聞より狂気のごとく走り帰つて我家の内 息もひい/\コレ かゝ様 とゝ
様の様子はどふじや 道でちらりと聞たれど 大勢の百姓の中に取巻れてござるとゝ様 傍へ

とては寄付かれず 内へいんで様子をとへどめつたむしやうに突飛し つき飛されてせう事なし こな
たは内で聞で有ふ どふじやの ナゝゝ何としたと問れてかゝも涙声 サレバイナ五々作様が お
勤め仕廻ふて夕飯喰はふと膳にすはり 箸取ふとなされた所へ 百姓衆がどや/\/\ 畑盗人は
儕じやと無理無体に引立て行ました いとしや今時分は 首だけ埋られてござらふ 嘸ひもじ
かろおいとしやと皆迄聞ずコリヤ/\/\源太目を覚しや 祖父様は畑に埋られてござるとやい
夫レがマアだまつてあられふ物か コレかゝ様 其迎団子何ぞへ包で がてんでごんすと小ふろ敷 源
太が背中にわゆかけて 涙はら/\空もばら/\降る夕立 めざすもしらぬ暮相頃 ごろ/\鳴神


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ふる雨に びつかり光る蛇の目のかさ 源太がさるかさあみだ笠 かゝ様こはいを片手に引立片手の
かさに風を持ち 吹上吹折る横しぶき 取られじ物と両手をかくれば吹上られ 吹おろされてはふは/\/\
ふうわり下は綿(わた)畑 どろ/\/\と泥まぶれ ひつしやりぐはら/\鳴る雷(いかづち)細道あぜ道に裾まと
  第十 掟の段       はれてすべりこけ 親故運ぶ雨の足こけつ転びつ