仮想空間

趣味の変体仮名

置土産今織上布 中の巻

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      ニ10-00243 

 


22(左頁)
   中の巻
賑はしき 祭りならしの鉦太鼓 流れに響く難波橋 移る日影の遊山舩 袖先にすんと一本(ひともと)
菊の 花の腰簑捲り手に 打込む網も芸子迚 ならの広葉としられたり 屋形舩には
天満屋栄蔵 紙屋次兵衛も相伴に つく/\゛見渡す川の面 さつきにから網打舩も多いが 咲弥(さくや?)
の様な手際は見ぬ こりや兄貴のおつしやる通り 定めて稽古も有まいに 自然の妙といふのか知らん
イヤコレお巻女郎 こつちの用の差つかへで延して置た今日の振舞 俄事じやのにきつい御馳走 コレハ
まあ結構な御挨拶 大事の銀主様を御請待(しやうだい)申まするに ?物(?ねりもの)の相談何やらかやら 仲


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間内の事なら行ねばならぬ 宜しうお断り申す様にと くれ/\゛申て居られました アゝ是咲弥 お客様へ御馳
走に 若しはまつたらどふしやるぞいの 怪我せぬ先に爰へ来てコレ お間(あい?)申てたもいのと 母の親とて
子可愛がり 直ぐな流れをニまたに 大川筋を打登る 下手の網迚瓢箪形(なり)手縄引ぱる
顔付を 笑ふ人声栴檀の木 山崎の端(はな)に差かゝる エゝコリヤ河忠 身さまばつかりやつて居て ひろ
がりもせぬ網打ち 川口三界から旧所/\で恥のかきあき 在所の松も見へる程に ごもくさらいは取置け
/\ 又太兵衛様の例の悪口 さつきに筑前の松の下で 打て取た五年物 手際を見せて置た
のに 何ぬかすやら 腫病ひに喰らはす様な ちつぽけな物を仰山そふに われが網にかゝるといふは

よつ程運の尽た鯉 イヤこいの序に 小春を請出す相談はどふじやい そりや気づかひさんすな 風(ふう)
来者に成たわしを 呼び屋さしてせ話して下んすお前の事 如在せふ筈がない ガ紙次めと張合に成た小春
高ばるのは親方根性 意趣の有る治兵衛めさへ 本家の手前しくぢらしたら身請の相談はすかたん
親方も張合はぬける 心中などゝ出られてはとせき廻る時付込で 安ふこつちへ引抜く工面 年頃な濱
の付合を頼み 次兵衛めが事を天満屋の店で沙汰してもらへば 金の工面は扨置て 勘当が物はぶら
/\する 斯いふ智恵をふるふのも お前様への忠義でごんすはいの イヤ/\そふ斗いふて居られぬ 聞きや
藤五の侍客が 小春を揚詰にして置おるげな 若し請出しはしをるまいか 夫レも気づかひごんせぬ


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藤五は屋敷の出入茶屋 頭役の身分で 女郎を揚詰にして置ては済まぬ 掛はなれな小
茶屋を引合してくれと 牽頭(たいこ)の槌を頼んだげな そこできやつをこまづけ 藤五の揚げの日数が
済むと 我等が宅へ宿坊がへ 取込でさへ置たら そゝり上て身請さすか お前が掴んで埋づんで置くは
表向きで吟味のならぬは 出家侍の悲しさ 金出さずにしめこの積り 何と智恵かと文殊
がる 鼻の先には天満屋栄蔵 是はならぬと楫子に目くばせ 上へ/\と漕出す 鬼神に
横道なしとかや 早日も入りて 月影の登る鷲の尾生駒山花も 紅葉も浪花津の 舩
遊山こそ類ひなき 中にしつぽりほのぐらき ぼんぼりの灯の六角に角取かぬる田舎武士 忍び

黒絽の麦頭巾コレサ小春殿 余りといへば曲がない 拙者執心なればこそ 揚詰にして置では
ないか 夫に何た最前から懐で銭よむ様に?いてばつかり 能く首がだるくないの コレ少しはものをおは
やれと いへ共何とよしあしの 花火や浪花でございと逢向ふでいふ声も 先最初は白玉花火の光り
に小春が顔 見るより次兵衛は気もそゞろ こころで招く気は先へ身は空蝉の ぬけがらと 蝉の初音
でござります 子持らんちう刎たり /\たり/\たりでござります ハテやかましい イヤ何小春殿 涼しさ
はよけれ共 青ざめた其顔付 夜気があたれば気の毒と 障子ぴつしやり差廻せば 移る二人が預け
法師 客は頭巾を頤の動く斗に声聞へず 小春が済ぬ 投首を可愛やおれが事をのみ 思ふて


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居ると飛立思い コレ咲弥 アゝ一所(ひとところ)も気が替らぬ 幸の料理舟 ちつと向ふへ行ふじや有る
まいか ほんに私もあの舩へ 付合がてらサアお出と 乗移りたる通ひ舩 恋の手管の一つ穴 尾花
萱原咲弥が後ろ 屈んで向ふの屋形舩 障子細目に 宅様 きついおしげりじやな 何と見やれ
仲居も連れず只二人 浮舩と出かけたてい 併し例のおしめり顔 病人の夜伽致す様な物じや 幸お
ぬしも供々お諌め申てくりやるまいか コレサ頼む/\と侍も 色には詞押廻す こなたの舩より コレ咲弥 御
退屈なとおつしやる故 若旦那と御いつしよにわしや先へいぬ程にの わがみは跡から其舩でと 気転きかし
て母親は粋の 水上川下へ 漕ぎ別れてぞ押出す 済まぬ小春が顔付を 見て取り客は小声に成 最前

も申通りそもじの心解さる中 無理な床入致してはと 終には手も取ぬ此方 カ承れば紙次とやらに 深い
とやら浅いとやら 互に身を打つ其果は 心中とやら申て あたら命を果す事が 上方には時花申と承はつた
馴染はなけれど武士の役 見殺しには成りにくい 訳品に寄て恋慕を取置 十両や廿両は お世話申す
まい物でもない 侍冥理他云はせぬ サア心底残らず咄したがよいわさ 何と咲弥そふではないか ハイ左様
でござります イヤ是小春 色気放れた今のお詞 何も角も打明て お頼申たがよいわいなと
いへど兎角のいらへさへ涙にくれて 居たりしが 久しい馴染といふでもなし 情らしい詞さへいはぬ私
を夫程迄 御誓言での今のお詞涙が こぼれて忝い 成程御推量の通り 南に勤て居た時


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から 紙次様といふお方に二世の約束 勤の身は水くさいものじやと 思召しも恥しけれど 公界は誰しも
同じ事 どのお客へも好た顔するが勤のならひといへど ちつとは惚てもおりますが おさん様とて
美しいお内儀様に 子達も二人末の詰らぬ 色事と思へど先は夜も昼も 身を打て下んす故
退しほもなく暮す中 一家衆からは付けこたへ 親方様にせかれはする 其上身すから太兵衛といふ悪
者めが身請の相談 紙次様に金はなし いつそ死でくれぬか アイ 死ませふと 引に引れぬ約
束も 心に思はぬ勤の義理 わたし一人を頼みの嬶様 南邊に賃仕業して裏屋住 死だ
跡の歎きより若やお気でも違をかと思へばどふぞ死とむない ならふ事なら四五年も 揚詰にして

下さんせと涙くみてぞ 頼むにぞ 咲弥は恟り エゝコレ小春様 そんならお前 今迄次様との
訳は 勤の習ひ 一通りかいな ヲゝ軻(あき)れと始めて咲弥が驚きより 次兵衛は有るに有られぬ思ひ 扨は年
月狐めにたらされて居たか口惜いと 胸かきたくり咲弥が背中 抓るやら叩くやら訳も涙に男
泣き ヲゝいた エゝコレいたい 咲弥 何とぞ仕召されたか エ サアいたい サイナ アゝいたい あいたい/\と わたし迄歎
さんした物 次様が聞んしたら 大ていは腹を立ててじや有まい そふしたお前の心なら 否(いや)がらんした太兵衛づらに
も こそで逢んした事も有ふし 身請しられていく気で有ろがな ヲゝいやらしい 何の太兵衛に逢をぞいな
夫レ共に身請の事は あの様の金次第 あつたら命捨ふより 其方にしたもましかいな アレましじやといなァ


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/\ エゝ是マ エゝつゝともふ あんまりで有ふかなとぞつこん憎なる咲弥より 憎い売女め 飛込でとつ
こふか イヤ/\夫では腹をいぬ エゝエゝどふせふと心もせきに関の孫六壱尺九寸 影を目当に突込む白
刃 のふこはやと遁るゝ小春侍は 次兵衛が腕首引つかみ生死(しやうじ)の境目明渡せば 咲弥は元
より料理人 手に汗握る斗也 次兵衛はじだんだ気も狂乱 ヤイ畜生め エゝ儕はなァ 命冥加な
やつしやなァ 一突にと思ふたに 仕損じてシエゝ口惜いと 歯切ぎり/\腹立涙心ぞ思ひやら
れたり ムゝウ今の咄してかゝる狼藉 とふ迄もない紙屋次兵衛 客を?(誑)すは遊女の常 女郎
の心を恨みず共 だまされた其方が 不調法を恨んだがよいと 脇指もぎ取置放せば 顔も得

上ず 面目涙 立腹は尤ながら ハゝア遉は若気 コレ能物を合点せられよ わづか女郎の遺恨にて
人を殺せば其身は解死人(げしにん)遖男を磨いたと 思はるゝは了簡違ひ 長の年月欺された 恥を世間へ
知らすといひ 後々迄も諸人の笑ひ 一門一家女房子に 歎きをかける斗でない 其身は死恥 サ先
祖へ不孝に気が付かぬか 何のかけも構はぬ身共が 云れざる異見立てと 定めて心に思はれんが
身共等が国のならひ 抜放た此刀 元の鞘へ納らぬが武士格式 ガ町人の身の上は又格別只
何事も虫を死なし 兎角堪忍の二字が第一 ナサア合点が行たか 田舎者の此方は 僅の間に女郎の
下心知るが無粋か知らぬが粋か 嗜み召されと知らかに 深切籠る情の詞 次兵衛は漸顔を上 かゝる狼藉


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致せし私 お赦し下さるさへ有に 骨身にこたゆる今の御異見 子中なした女房一家 そでになして身体の
手もつれも 皆あいつからおこる事 ふたつと思ひ切た 心残らぬ其証拠と 懐の守袋 明けて取出す小
春が起請 戻せば恋も情もない ソレ請取れと打付るを 中に請取る宅右衛門 ハテさつぱりとした思ひ切 最前
の詞違¥ひなくば 小春も起請を サア早ふと 傍に立寄り小春は懐無理に引出す守袋 ノウコレ
待てと取付くを 引たくつて口押開き 取出す誓紙の其中に フゝン此女文は イエ/\夫は大事の物 こつちへ
返して下さんせと 縋るを突退け件の状 押披(ひら)いて読終り 深山木の其梢とは見へさり
き 桜は花に顕はれにけり ハアゝ色をも恋も打捨 テサテ エハテ見さげ果たる汝が心底 他見は

させぬ 拙者が家土産(いえづと) サコリヤ早舩出せと宅右衛門障子立て切此場の別れ 西と東へ漕ぎ
過る 跡なきかごと世の中は 浪速に橋の早瀬川 横切るこそ恨みなれ 網島の大三で
呑暮したる悪者共 舩檀尻じやと太鼓鉦 追た/\/\/\逢たが不肖播磨屋の 提燈
見付て扨こそ次兵衛め 恋の敵の意趣ばらしヲゝ 合点じやと楫子も供に嶋へひらりと飛上り
漕くる舩のもやい綱 手早く取て大音上 テン/\/\/\てんのてん/\ ヤア此舩に乗たるおそ 紙屋次兵衛
と見しはひが目か 斯申す某は 伊丹の国の住人 脾の臓の強頭(つよかしら) 身すがら太兵衛均(なれ)なしとは我事也
サアこい勝負と手拭ひ打ふりぐる/\舞 相庭(そうば)知らしのごとく也 ホゝゝゝ面白い/\ 気違共の五人や三人 苦にする


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次兵衛でない事は ヤアしやらくさい相人(て)にせいじやい 陸では人立彼是に挨拶が六かしい かけ向ひの川中嶋 信玄
勝負と三人が 尻引からげる其間 我乗て来た網舩を突流さるゝと知らぬうつそり アレ/\舩が流れるといふ
に恟り狼狽ながら どつこいそふはともやい綱取りにかゝるを透さぬ咲弥 てうど切たる出刃包丁 夫レに緩り
とお涼みへ ホゝゝゝ笑ふてこそは「行水の 福徳に天満神の 名を直ぐに 天神橋と行通ふ所も神の
御前町 紙屋次兵衛と名を付けて 営む業も紙店は 千早ふる程 買いにくる神は正直商売
は 所がらなりしにせなり 夫は朝から屋敷の入札 女房おさんが店番に内の事迄取交ぜて 盆前
でせはしいのに市の側迄使いに行て 玉は何して居る事ぞ 此三五郎が戻らぬ事 目盛りじやに

二人の子供か暑からふ お末の乳の呑たい時分もしらぬあほう アゝしんきなやつしやと独云(ひとりごと) かゝ様
独り戻つたはいのふ ヲゝ勘太郎戻りやつたか お末や三五郎は何とした アイ宮に遊んで乳が呑たいと
お末のたんと泣たはいのふ ヲゝそふで有ふ/\ エゝエ顔も體も汗雫 そして眠たふも有し 爰へ転(こけ)
て寝々しやゝ エ此あほうめとふせふと 待兼店へ 駈出れば 蜻蛉(やんま?)ひよ ひよちかへりや 帰りや/\/\/\
アイ/\あほうよ かゝ様の大事の精進日 殺生しおる憎いやつ エゝお家様(えさん) 夫でもな 向ふの辻で
お前を産ました仏神殿は ヤイやんまよ 又内に待て居様が 帰れ/\と云んた そこで夫レを忘れ
ぬ様に云もつて戻つたんしや そりや千松(せんま)といふ事じややい ハアン そしてマアお末は何所に置い


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て来た アゝ何所てやら落して来た 誰そ拾たか知らぬ迄 ヲゝ夫々 山荘(さんしやう)太夫が連ていんだ ヤアそん
ならば人買かと 駈出す向ふへ下女の玉 ヲゝけたゝましいお家様 晩の逮夜の調へ物 残らず買て
さんしました エゝそこ所じやない アノあほうめが お末を人買に取られおつた ナアニおつしやるやら 天神橋で
五左衛門様か 連れましてお帰りなされた 夫レでもあいつか 山荘太夫と云おつた エゝ憎いやつしやと追廻さ
れ 申々々舅太夫の云損ひじや 山荘といふたはぴり/\と 意地の悪そな頬(つら)かまへ アレエ/\と逃
て入 秋来初箒木の実もおのつから つむり丸めた寺参り 嬪一人杖柱 敷居越すより ヤレ/\
辛度や 嫁女精が出ますのと 詞におさん振あをおのき 是はしたり堂嶋のお袋様暑い

のにお寺参り おしめ女郎大義じやの コレ/\勘太郎 お祖母様のお出なさつた 煙草盆持て出
やらぬか 御らふじませ悪あがきで草臥ましたか 寝おつたそうにござります ヲゝヲ可愛そうfに寝させて
置かしやれ 起きたら是をと嬪の袂から出す大融寺前 孫にはお世話を焼きなり いきせき戻る我家
の内 ホイ母者人お出なされ お留主の内へ寄まして 栄蔵の世話やいてあんぺいで一つたべ 跡で思へ
ば精進日 イヤ是おさん 豆腐なと焚て夕飯をあぎやらぬかいの アゝ構はしやんな/\ 夕飯たべに寄り
はせぬ 嫁女爰へと呼寄せて アいかに若い迚二人の子の親 コレ結構な斗みめではないぞや 男の
性の悪いのは皆女房の油断から 身体やぶり女夫別れをする時は 男斗の恥じやない ちつと悋


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気もしやいのふ 是は/\何事かと存じましたら 主の新地通ひの事 此春の御異見
から 茶屋といふ字も嫌ひになられ いふやらも子供を出しに女夫連で 天王寺参り致し
ましたが 水茶屋へ腰もかけず 逢坂の水て賄ひ 一文の銭も弐文にへぎ 始末一遍に暮
されます イヤ/\そふじやないそうなぞや けふもお寺でこなたの爺御 五左衛門殿かあのゝ物の 大事の
娘を悪性者に済まして置く事はならぬ 戻してくれいと云はしやるさかい子も二人有る夫婦中を引わける事も
成ますまい カいにがけに寄て一もんさく 弥噂に違ひがなくば ハテ其時は御勝手次第と 詞つがふて
寄た程に 思案して物をいやと 可愛子に添嫁がはぎ 砂糖漬なる姑も 先ず景物としら

れけり 次兵衛は取ても付ぬ顔 是は又迷惑なお尋 尤燃杭に火が付よいと申す事もご
ざりますれど 此春の御異見 お命を捨ふと迄弟栄蔵の深切と申し 真身に替える私
じやと 思し召て下されまするがお情ない アレまだけんもほろゝな顔 五左衛門殿斗じやない わしも
評判聞て居る 去天満の大尽が紀伊国屋の小春を請出す筈じや 売買高い世の
中でも 金子とたはけは沢山なと こちの店へ取引に見へる衆が 是聞かしに噂する そもやいか
成病ひにて 本復しても刎返る 是といふのも此母があまやかしたる癇の虫 鍼も薬も
ない事かとかつぱと伏て 恨み泣 傍に聞き居る女房より 次兵衛が心とまぐれて暫し詞も泣く斗


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涙払ふて横手を打ち ハアゝよめました/\と 取沙汰の有小春か事なれど 請出す大尽
大きに違ひ 出生は伊丹の者 去年の冬から堂嶋へ問屋店 身すがら太兵衛と申悪者
とふからあいつが請出す筈を 此次兵衛に押へられ 時節到来と見請しをるに極つた しくじり
手代の忠四郎めも そいつが世話で茶屋商売 うぬらが科をあぶせ損ふた遺恨も
有る故 栄蔵店でおれが事の様にいはすと見へた マよふ思ふて御らふじませ 請出すと申し
ても 三百両近い金がなければなりませぬ 人の嘘を誠じやと 思し召てのお疑ひと いへば
おさんも顔色直し 譬私が仏でも 夫が茶屋者請出すを 贔屓しませふ様がない 是斗は

私が証拠 微塵も嘘はござりませぬと 夫婦の詞割符も合ひ 扨はそふかと母親の心も
解る春の雪 水に成る茶を一口飲み 夫婦の衆の咄しを聞て わしは心が落付たれど かたむくろな
五左衛門殿 疑ひの念のない様に 誓紙書すが合点か アゝ何が扨 千枚でも書ませふ 弥嬉しい 斯いふ事も
有ふかと 裏門の山伏殿で熊野の牛王請て来た サア是に書てと差出せば 次兵衛は今更否
応の逢初めてより月々にかはす誓紙を 反古にする 誓紙を書ば三羽宛 死る烏の報ひ
にて 身の果いかに鵲の とだへの橋と観念の 心ならねど神おろし 小刀取出し指つんざき 我名の
下に血判しつかり ヲゝ嬉しい忝い 子中なしてもついに見ぬかため事 主の身の落着より 私が心が落付


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ました ヲゝ尤じや/\ 此気になれば身体も持すへ 商ひ事も繁昌しませふ 一門中が世話するも 皆
次兵衛の為よかれ 二人の孫が可愛さ故 ソリヤそふとお末は何所へ行ましたぞいのふ ハイ遊びに出ました
道で とゝ様が連ていなれましたげにござんす ソレ見やしやれの 仮初にもこちへ来て 娘を戻せ お
さんを帰せと 太鼓鉦入れるやうに云しやつても 孫には目が見へぬぞいの 憎くも憎し是から
往て やけ親仁めに安堵さそ ドリヤ逝にましよと庭におり コリヤやいおしめよ 間が有と睡眠(いねふる)
程にの イヤコレ嫁女子供に暑気(あつけ)の入らぬ様 ちよこ/\行水さしてやらしやれ ヤレ/\嬉しや忝い 是といふも寺
参りのおかげ 爰からなりとお礼申し 南無阿弥陀仏と伏拝む 心が直ぐに阿弥陀様西方さしてぞ立帰る

門送りさへそこ/\に 次兵衛は傍に有合す 定木を枕転寝(うたゝね)の 顔に扇の小夜格子
まだ曽根崎を忘れずかと 思ひながらも傍に寄り さつきに聞けば精進を落ちさしやんしたでは
ないかいな 勘太も寝入て居るそふなり 傍りに人もばい程に 序に精進落ちていなと 退る扇
の地紙さへ涙にしめる其風情 おさんは軻れつく/\゛と 顔打守り/\ 余りじやそ次兵衛
様 夫程名残惜いなら誓紙書ぬがよこさんす 一昨年の十月中の亥猪(いのこ)に炬燵明け 其祝
義迚是爰で枕ならべて以来(このかた)は 女房の懐には鬼が住か蛇が住か 夫程心が残る
なら泣かしやんせ/\ 其涙が蜆川へ 流れよるへの小春殿 大かた汲で飲ましやんしよ 連添女房


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の心にも成て見てくれたがよい 聞へぬわいな胴欲と縋り付たるないじやくり 次兵衛も今更
面目の 涙拭ふて起上り ヲゝ尤じや誤つた 足かけ三年が其間 ふつつり共悋気せぬ
そなたにいふも恥かしながら 此間山崎で残らず聞た小春めが心中 今といふ今夢も覚め
思ひ切ては居るけれど さつきに咄した身すがら太兵衛 急に身受をするとの噂 退て十日も
立たぬ中受出される義理しらずめ 少しも心は残らねど 悪者共か口の端に金の工面に
尽きた故 小春を退たと様々の蔭口を聞く口惜さ 推量してたもいのと 夫の詞に驚く
おさん エゝ何といはしやんす そりや真実でござんすかへ そんならば小春殿は 死なしやんすはいな/\

こりやどふせふと立つ居つ 騒ぐ女房騒がぬ夫ハテ扨 何ぼ発明でも遉町の女房
じや 無心中者何の死なふ イエ/\そふじやござんせぬ 小春に無心中は芥子程もない
けれど 日外からのお前のそぶり 何をいふてもうか/\と 若し悲しい目も見よふかと
案じ過して小春殿へ いとしぼかつて下さんす夫の為じやと諦めて 思ひ切て下さん
せとかき?(くど)いてやつた文 ひかれぬ義理と合点して 身にも替ぬ恋なれど 思ひ切るとの
嬉しい返事 是程に真実な心で何の約束違へ 太兵衛とやらに請出さるゝは 死る
心に違ひない 小春殿を殺しては女子同士の義理立たず どふぞ命か助けたい 思案して


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下さんせと 始めて明かす女房の誠 スリヤ不心中と見せたのは やつぱりおれを大切から そふとは
知らず今迄も義理しらずの畜生のと 恨んた心が恥しい 小春か命助るは半金(かね)なりと手
附に渡し命をつなぐ身請の金は栄蔵の志 ヲゝ夫々 たらずばわしがとかい立て明けて取
出す百両の 兼て斯とはしら茶裏黒羽二重も色かへぬ 浅紫の糸目結
ひつた鹿の子も惜げなふ 子供の物もかいあつめ内ばに見ても三貫目 よもや
借さぬといふ事は ない物迄も有顔に 夫の恥と我義理をひとつに包む風呂敷
の中に情ぞ こもりける わたしや子供は何着いでも 兎角男は世間が大事 身請し

て太兵衛とやらに一分立てて下さんせと いへど諾(いらへ)も涙声 請出して囲ふて置くか 内へ入るにして
からが そなたは何とゝ云さして打しほるれば何のいな 必案じて下さんすな 子供の乳母か
飯焚か 面倒ながら真実の妹持たと思ふてと いふも胸迄突かける 涙呑込み/\で 夫に
立つる貞節は傍で見る目もいぢらしき へエ何にも云ぬ女房共 赦してたもと斗にて伏拝む
手をア/\勿体ない 何事もお前の為 跡に成てはかへらぬ事 サア/\早ふと三五郎呼出し
渡す風呂敷懐へ 金押入て立出る 次兵衛殿お宿にかと 門口這入る五左衛門 コレハしたり舅
殿 よふマアお出も夫婦はうぢ/\ 三五郎が背負ふたる風呂敷取て踏飛し 大方斯で有ふと思ふ


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た 着類着そけを質にまげて お山狂ひに仕あげるのじやな 新地通ひに畳む身体
もふ此方にはお構ひないぞ サア手短におさんに隙やれ 女の子は母に付くが世界の大法 お末
はさつきに連て逝だ 又堂嶋の婆様がわせてコレ 此誓紙をひけらかして置ていなれた
アえらい様でも何所そが女ゴ こんな事で行のじやないぞよ イヤ又世界は広い物じや 去る内町の
銀持(かねもち)医者 丸裸でも大事ない 子を連た器量のよい女房がほしいと云るゝ所へ すつぽり娘を
はめる工面 誓紙のかはりに去状かけ あんだらくさいと引裂き/\ 次兵衛が顔に打付けて お上にどつ
さり臺うすなり につこ共せぬ頬がまへ おさんは聞兼傍に寄り胸ぐら取て声ふるはし エゝコレ

爺様聞へませぬ 元こちの人の身体の 衰へたのも皆お前から起つた事 ないもせぬ銀山に
かゝつたといふて 五貫目から七貫目かり あげくには其銀山が潰れたとやら 元も子もない様に
して仕廻はしやんしたぞや 男気な次兵衛殿 舅の事也公事みやすればこつちも恥 本家へ
聞へても悪いといふて 証文も残らず戻し済まさしやんした其時はコレ 此こはい顔に涙をこ
暮して おれが為の氏神様しやと 悦ばしやんした事忘れはさしやんすまいかの 又主の悪所通ひも
れつきと仕わけて?(もろ)ふた身体 何して金が減たぞと本家の不審が立た時 舅太夫
取られたと鼻毛らしういはれもせず 道具落しにする事じやと 口出して云こそさつしやれね


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心さしを推量してほんに/\初手の間は 茶屋へ行かしやる度々にわしやコレ 後から拝んで居た
はいな 其大恩を打忘れあほうじやのたはけのと 仮初にも勿体ない こらへて下されこちの人
とゝ様逝で下さんせと 宥めつ叱りつ両方へ我身一つにせつなさつらさ思ひやられて道
理也 おさんが申すは皆むだ言私心に存ぜぬ事 只何事も御了簡 此儘添せて下され
と 詫るを聞すイヤならぬ 何にもいふ事聞く事ないわい おさんめ戻せば事は済む しかし持参の
衣裳道具 改めて封付けんと立上れば エゝ爺様 衣裳も道具も揃ふて有 改るに
は及ばぬと かけふさがれば突飛し ぐつと引出しこりやどふじやと 呆れる口も明き箪笥

まだしも爰がと上戸棚 戸を引明れば内には小春 次兵衛は恟り舅を引退け ぴつしやり
とたんに投出す百両 女房おさんが着衣裳道具 不足に有ふが持てござれ ヲゝそふはかい 又
々どふいふても大身体 ハテ結構な寝道具しやな アノ寝道具を見るからは 弥娘
を連て逝る サアうせおらふと引立れば あゝ云出しては聞ぬ爺様 わたしやもふ帰ります 必々未来は夫
婦でござんすぞへ 云迄はないけれど 勘太が事を頼みます ハテ舅殿じやといふて娘の事 とつくりと思案
さつしやつたら まんざらむごふもさつしやるまい 又もどりやる様にならふぞいの 必短気の出ぬ様に エゝ小面倒
くさい暇乞 歩みさらせと引立る 声に目覚す勘太郎 かゝ様のふと縋り付 孫の愛にもおぼれぬ邪見 エゝ


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面倒なと踏飛され わつと泣く子を沖の石嶋隠れして行過る としや遅しとかけ出る小春抱かゝへ
る目は涙 ヲゝ道理じや/\と 今から伯母がと偽寄(すかせ)共 いやじや/\伯母はいやじやかゝ様の傍へ行たいわいの 聞か
ぬ/\と泣わめけば 聞兼出る下女の玉 ほんに泣く子も目を明いて物音も聞へぬ程にの 小春様の最
前から戸棚に忍んでござつた事 お咄しなさる其間お宮へなりと連ていこ コレ嬶様へ行ぞやと 背(せな)に負ふ身も
泣き腫らす目を押拭ひ出て行 跡に二人は 世の憂きを思ひくつおれ涙ぐみ 暫し詞もなかりしが 小春は漸
顔を上 ほんに何から云ふやら いつぞやも山崎であいそ尽(つか)しな悲しいお別れ 思ひ切ては居るけれど 太兵衛
に身受しられては所詮生きては居ぬ覚悟 此世の名残にたつた一目と 来事(きこと)は来ても閾(しき)高く

這入兼しをおさん様 悋気妬の色もなふ 段々の深切首尾を見合せ逢はしてと 情深いお詞に あまへて
隠れる戸棚の内 是程貞女なおさん様に 逢坂の別れさせますも皆私からおこる事 堪忍してくだ
さんせと手を合すれば 治兵衛も涙 あゝ心底の据(すは)つた女房 嫁入せいと云た迚抜けて戻るは知れた事 それ
迄もなふそなたもおれも マ忝ふござんすと 抱すめたる泣(ない)じやくり胸と/\に云せけり 高砂や此重箱
に餅入れて かた言交りあほうの三五郎 卓(つくへ)に乗し三つ具足 両手にかゝへて二人が真中 サア/\気疎(けうと)は物に成た
じやないか 今朝なお前のごんてからお家様のいはんすにや コリヤ三五郎よ 後に二人に祝言さすのじや
われを頼むといふて置んた そこでおれが思ひ付き 花瓶の松に靍亀酒の取たがなかつたさかいでな 水を


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銚子に入て来た 仲人役のおれ様じや 礼には好きの虎屋饅頭 今からあほうと云んすなへ サア/\早ふ
呑せんと いへど二人は諾さへ死なねばならぬ知らせかと 覚悟ながらも今更に目もうろ/\と 成にける
エゝ泣かんすないの/\ 扨は嬉し涙じやの ヲゝヲこな様の云んす通り 嬉し涙がこぼれたわいの 去ながら
次兵衛様と祝言してはおさん様への済まぬ事はごんせいはいの お家様は出しからに成ての 是程高い鰹節を
お前にやらんす事じや物 志を無足にせずときり/\呑でさゝんせいの ホこりや三五郎がいふ通り
祝言じやと思や義理も有る 互に末期の水盃 さらばお酌を申さふかい 涙 ながらに 取上る酒と
水とは土器(かはらけ)に成る迄葬礼の 一本花や靍亀の 蠟燭立も消ゆる身と思へは いとゞ胸

せまる サア/\目出たふ成て来た エゝ誰ぞ謡うたひがこいでなァと 見やる外面へ四つ
子の 墨の衣に草鞋がけ 天下茶屋安養寺常念仏鉢 そりやこそ来たはと
阿房は駈出 抱て這入を顔見て恟り ヤアお末じやないか わりや独り戻つたな そふして
かはつた形をして アイ祖父様にこんな美しいべゝ仕て貰ふた あんまり白ふて悪いによつ
て 書て有る此べゞを とゝ様やおば様にちやつと見せてこいと云て 祖父様が門口迄連て
来て下さつた ヤアと二人は立寄て あたふた脱がす墨染の 下には何か 白無垢におさんが筆のちらし
書き 涙ながらに一筆しめしまいらせそろ 先程も申せし通り 連れ合の命が助けたさ 小春様へわりなきお願ひ


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申上候ひしに 御聞届け給はる嬉しさ海山にもかへまほしく 何ぼう忝ふ存上げまいらせそろ 此御恩を送り
候には末々お二人を御夫婦となし参らせ候より外なく存候故 爺様と申合せけふしのごとく計ひ参らせ候
お末の事は此方乳にて育(はごく)み申べく候 勘太が事を小春様へくれ/\゛頼上まいらせそろ エゝ是はまあ
何の事じやぞいな 是迄悋気妬みもなふ美しう逢はして下さんした 御恩を思ふてお頼み
を聞入たのがかせになり こんな事になつたのは義理に義理を重いといふ事でござんすか 申し/\
次兵衛様 おさん様を呼戻し 千年も万年も連添て下さんせいなァ ナニ/\五左衛門申入候 六年
以前あたはぬ銀山にかゝり御損失をかけ候所 聟舅のよしみを以て証文残らず返し下

され千万忝存じ奉り候 金子の減少本家の聞へを思し召夫レ故の遊所通ひ 始めの嘘が誠と成るは
我人若年の時を思ひ出し申候 先(せん)頃娘に右の入訳委細に承知仕候故 軽少ながら金子三百両
先刻着衣裳相改め候節 箪笥大引出しへ差入おき申候 右金子をもつて小春殿を
請出し長く御添ひ下さるべく候 娘子はお末諸共天下茶屋村安養寺にて今日尼に致し
貞玉智月(ていぎよくちげつ)と法名付け 最前持帰り候百両は二人の者の飯料 則ち寺へ祠堂に上申候 皆迄読
ず両人はわつと斗に声を上げ正気たはいはなかりける 三五郎も目を摺て テモ扨も哀な悲しい事を
仕てのけた けふ昼飯迄権輿(けんによ)もなふ美しう髪結てゞ有たが 最(もふ)あしたからはぐる/\坊主 菊石やちん


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ばの尼と連立 コレ此子の手を引て 天下茶屋安養寺常念仏ハアチと云ふてあふかんすを見る様な
と阿房(あほう)ながらも哀しる 二人はお末に取縋り 声も破るゝ芭蕉葉に涙々の雨やさめ
晴るも 分かず降頻る 折から庭へ竹輿(かご)かき据へ申し/\小春様 揚先からせきに来るもふお帰りと夕
暮前 涙隠して立上り わしや揚先へ行く程にな 手筈はいつものさの字きの字 イヤコレ最揚先へ
行きやるに及ばぬ 五左衛門の志 イエ/\ お前に請出されてはおさん様へ義理が立たぬ やつぱり忍ん
で逢ます程に 必来てと云たさを包みと供に乗移れば早舁出す駕篭の者 暫しの別れ
も千時(ちとき)ぞと 思ふ昔も今更に 泣て別るゝきぬ/\゛を 袖や袂に 夕告げの鳥も 哀や「添ぬらん