仮想空間

趣味の変体仮名

艶容女舞衣(竹本三郎兵衛・豊竹応律)中の巻


読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      ニ10-00038


30(左頁)
   中の巻  新町橋の段
色の浮世と 恋風に靡く 柳は有弥や共 浪花三筋の曲輪道 世渡る見世も
所から 梅花の油 小間物屋大内 煙草の匂ひ入 刻みもよしの述紙かみや 千早 万
の神々も 実繁昌としられたり 昼も往来(ゆきゝ)を当てにして はり出す見世の占hび者 失せ
物待ち人願ひ望み事男女相性の考へ 見てござらぬかとおつ声に 呼れてふはと糊立ちし
羽織は藍の目も引ず 年は今年で丁十七 丙午でもこざらぬが女房斗も十六人
詮方尽きて此間十八に成る筵敷 可愛らしいに引されて 何が精出した加減にや此四


31
五日は天窓がふら/\ どふぞ病ひの出ぬ様に呪ふて下さらぬか 成程/\ イヤモずん
と達者なお生質(うまれつき) 定めて宗旨は真言宗でござりませふが ハテ奇妙 其宗旨迄
が見へますが 見へる共/\ ソリヤ又何で ハテ弘法大師を念ずるには 腎ばり親仁が頬張り
たや うん共すん共逃ぼへの逝ると跡へ又一人 コレわしは今年廿一 こちの女房は四十三譬に
違はぬ足の裏 ひつ付合ては寝るけれど 時々思はぬ女夫喧嘩 どふぞ是は直る様
占ふて下されと いふ顔つれ/\本くり返し ムゝコリヤ喧嘩召さるゝ筈じや マアこな様が申 お内
義が戌の年 其上二人共金性 申と戌るの持ち合い 金と金とを合すればこん/\とん/\

お性と申して お内儀の四十三も其元の廿一も 離の卦に当つて離るゝの体 コリヤ
二人共名をかへさつしやれ ムゝ何じや名をかへいソリヤいつち心安い シテ其名はマア何とかへたがよからふ
なァ ムゝ先お自分の名はお半と付けお内儀の名を長右衛門と付るじや ヤアそりや又とふして
ハテ桂川のうつふけじやと 出たらめ八卦の銭取虫 エゝあたぶの悪い占ひめ 畳んでしまへと立
かゝり 喚く間に後ろからそつと逃れば大勢が ソリヤ遁すなと口々に 呼はり/\走り行 日も早西
に 茜屋の 半七が身のよるべさへ 親の勘当詫の綱引手に 靡く三勝が 戻りを爰に町
つゞき新町橋にさしかゝり ムゝけふも替らず十内殿で此曲輪へ来て居るとしらしにはおこされど 知れ


32(裏面)


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た舞子の座敷斗 無粋らしう呼出されもせまい トいふて爰に待ても居られまい堀江迄一
走りと 歩む向ふへ南無三宝 あれは慥に女房お園逢ては何と云訳の 跡へも先へも行
なやむ身の隠れ笠幸と 占ひ見世に隠れ居る 斯とはいさや白歯をば 染かひもなき
茜屋の 嫁のお園は?の闘諍(いさかい)故に親里へ帰りし日から願かけし 金毘羅様の戻り足けふも
かはらぬ道筋の 占ひ見世を見廻してほんに噂に聞及んだ 見通しの法印様は慥爰しやといふ事しやが
違ひはせまいか アゝ儘よ 若違ふたら今一度見直すぶんの事 どふやら爰がよさそふなと見せ先に
立寄りて イヤ申大事なくばついちよつと ごらふして下さりませと 夫と知らぬ女房が頼みに否も半七が

わし共得云はずうぢ/\もじ/\ 何の儘よと出ほうだい イヤモ占ふが前の家業何成共 サア
早ふ/\ アイあなたに申も恥しながら 嫁入してからけふ迄も終に殿御の肌しらず 剰へ此
程は親里へ戻つて居る 訳はといへば夫には外に馴染の女中様 其親切さ睦じさ わたしも
どふぞ其様に 可愛からるゝ仕やうをば つい占ふて下さんせと 何所やら含む詞の間
半七尚も悟られしと コレ女中マアこなさんの年はいくつ アイ私は十九 何十九 ムゝ火性に
て午の年 アゝイエ/\私は慥戌の年 ヲゝ夫々戌の年/\ エゝ午と戌とたんと違ひも
せなんだ 扨お連れ合は廿五の辰の年じやの イヤ申私が年で主の年迄知ますかへ


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ヤアほんにおれとした事が麁相千万 今の先見てやつた余所の事をつい口がすべつき
しかしこな様の連れ合もマア廿五よ 是則木性の辰で木性火と賞翫すれど 互に厄の
祟りにてひとつに居れば大悪縁 やつぱり男の詞に付き抱かれて寝ぬ方が女房の役
ハテ歌にさへ 谷深く住家を出る鶯の初めて立つる声のするかな サア此心を能考へ 放れて
さへござつたら 何所ぞで尋ね鶯の初音の床を待つが楽しみ いやがる男を乞慕ひ 子
を産む斗が女房の役ではない 余り世話をやかれなと 八卦に淮(よそ)へ思はずも云は男の
常なりしお園はわつと泣出し 半七様エゝ聞へませぬ 気に入らぬわしじや迚 余りむごい胴

欲と 引寄せれられて 今更にかぶつた笠もしらばけに答ん様もなき涙とゞめて傍に寄り
嫁入してからモウ三年 女房といふ名斗で 帯紐とかぬ他人向 隠れさしやんすお前のしかた いへば恨みは尽きせね
ど 是程も云ぬぞへ 云ぬ身を露程も 可愛と思ふ心はなく歌に淮へてむごたらしう どこ
ぞで尋ね鶯の初音の床を待てよとは よふも云はれた事じや迄 夫程むごいお前でも わしが
為に大切な 夫の勘当赦(ゆり)る様金毘羅様へ 願かけて拝む内にも三勝殿 お通も無
事にと真実に 可愛さ勝るお前の胤 顔見る度に伯母/\と馴染む程猶かはゆふなり
悋気する気は打越て 難面夫がいとしいは 扨もどふした因果じやと 思ふて暮すを


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推量して たつた一言半七様 可愛といふて下さんせと つもり/\し憂思ひ一度にわつ
と取乱す心の内こそいぢらしし 半七漸顔を上 何にも云ぬこらへてたも 皆おれが
悪かつた まだ此上の頼には舅殿へ詫言して そなたもこちへ逝る様 わし迚も親父様
の勘当も赦るやう 詫のたよりはそなあた一人 コレお園用の有る時斗に しなつこらしういふと
ばし 必思ふてたもんなと 義理有女房へ言訳の立端はさらに見へざりし ヲゝ勿体ない 私に何の
詫所 幸こちのとゝ様が越後町へ来てなれば お前も逢て下さんせ アゝイヤ/\ 親の勘
当赦ぬ内舅殿にはどふも逢れぬ 兎角そなたが能やうに わしも是から長町へと 跡は得

云ぬ遠慮がち それと汲取るお園も供に 必やいのも口の内別れて帰る西東見返り
/\歩み行 親方の身上鼻にかけ廻る 中村屋の番頭顔 連れは今市善右衛門跡にお
づ/\平左衛門 もみ手の侘も聞入れぬ 庄九郎がかさ取て コレ/\エゝ埒の明かぬ事分け斗り
道々も云通り親方は格別 勘定預る此庄九郎そんな事聞ては居ぬ きり/\金をた
ちやいの/\ イヤモ段々の仰御無理とは申ませぬ どの道屹度済まします今暫しの所をは イヤ
ならぬ サアそこをどふぞ エゝならぬといふにしらくどい 頬(つら)かたれなと肩肘も金の威光の
はりつよく ひらたふなつてねちかくる 傍からはやす善右衛門 コレ平左貴様悪い了簡じや


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一日/\延す程 利に利が段々重つて 五十両がつい百両 手述びな云訳いはふより其金
おれが借してやろ エゝあのこな様が イカニモ 借てやるかはりには 三勝といふ質物を書入れたら何
時でも五十両は是爰にと いふも儕が得手に帆 首だけ惚れた三勝をせしめてくれ
んと口なべずり いつかな聞ぬ平左衛門 お心ざしは忝いが 貧乏こそすれおれも美濃や平
左衛門 金せがまれるが術ない迚妹を書き入て 借銭済ます男じやない 馬鹿尽すなと一口に
云まくられて善右衛門 きつちり詰れば手代庄九郎 コリヤ尤じや 男らしう云からは 今爰て済
すじや有ろ サア金渡せ今受取ろかい イヤ今といふては済されぬ ながふと云ぬマア四五日 ならぬはい 四

五日は愚か半時も待つ事ならぬ よい/\金がなくば其布子 脱がすがせめて旦那へ云訳 サア
其温袍(わんぼう)脱でそこへ出せ ソリヤ又庄九郎殿余りじや有ろぞや 何があんまりじや 借した金
が済まぬ故 利上げに取るが誤りか サア夫は 脱ぐ事がいやならば ナアレ善右衛門の云るゝ通り 証
文書て金借るか サア夫は サア/\どふじやと二人してせめる牛頭馬頭悪鬼株 地獄の沙
汰も金故にこたゆる無念血の涙 とゞめ兼たる風情也 弱みへ付込む悪手代 きり/\脱げ
と取かゝる腕首しつかと平左衛門 そふすりやこつちも破れかぶれ ちよこざいすなと捻上て
?(よはごし)どうど踏飛せば 同じく取付く善右衛門 平左衛門が胸づくししめ付られても怯まぬ手利き


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ふりほどく間も眼(がん)潰し 透を窺ひ庄九郎が後ろからみにしつかと抱く 體の捻り
正面へ 帯と首筋引掴み 川の深みへまつ逆様 コリヤ叶はぬと善右衛門逃るをやらじと
追て行 喧嘩の様子気つかひと跡へ廻りて三勝が尋る後ろに善右衛門 サア
してやつた上首尾と ほうど抱付間もなく 取てかへす平左衛門 コリヤさせぬ
はと引捕へ 互に取合ふ二人が争ひ 兄様あぶない /\とあせる折しも来かゝる半七
三勝か半七様 こなたへずつお園が親 思はず見合す聟舅 兄も背ける
用水の 桶をざつぷりかづきなげ いはぬこゝろぞ「まさるらん

   長町の段
短き日脚せはしなく 渡る其日は長町に住あらしたるやせ世帯 取ぶき屋根の隙間
もる雨露防ぐ傘の 骨の下手間心の辛苦 削る美濃屋の平左衛門浮き事
繁く暮しける 律義一遍かけ廻る念仏仲間の道心者 名も雲西が門口から 平左
様お宿にかと 天窓(あたま)で暖簾揚り口 ホゝゝゝ珎らしい雲西坊 此四五日見なんだ内いかふ顔の色
が悪い アゝ風でも引たといふ様な事で有ろ へ イエ/\風ぐらいならよけれ共 何が鉄砲汁にあて
られて 既の事即身成仏と成所 助つたは如来の功力 思ひ出すも醜(おそろ)しいアゝなんま


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みだ/\ ムゝ夫はマアあぶない事 併し鉄砲汁とは何でえすぞ 何じやとはしら/\しい 愚僧を
悪がらそふ迚御粋方には似合ぬ詞 イヤサ真実知らぬ平左衛門 遠慮に及ばぬ講釈
/\ シタリ 人は見かけに寄らぬ物 御存なくば雲西が 語つて聞さんよく聞かれよ そも鉄砲とは
世を忍ぶ仮の異名 本名は鰒汁迚其味は事あたかも頤落るがごとし 又鉄砲といふ
謂れは 嶋太夫が浄るりと同し事で 彼当りがひどい故俗に此名を鉄砲汁とは申也 あら/\
因縁かくのごとし ハゝゝゝ謂れを聞けば有がたい 其鰒汁をおぬしはくたか イヤサ喰はせねど ついすゝ
にはいつた斗 咄しはとんと此座限り是じや/\とくる数珠の手持ふさたに見へにける ハテ魚(うを)

は喰れて成仏するといへば こなたに喰れた其鰒は去とはきつい仕合せ者 エゝコリヤ術ない ひよ
んな口をすべらかし とふやらお座にたまられぬさらばお暇申そふと立を引とめ コレ雲西 貴様一体
何しに来たぞい サレバ アゝ何やらで有たがナア平左様 ハテめつそふな夫をおれが何で知ろ コリヤ尤じや
はい 待たんせや ムゝけふ爰へ来た用といふは ハア何やらヲゝそふじや/\思ひ出した/\ お同行の中村や
に明日は志のお勤 皆参つて下さる様同行中を触れ歩行(あるく)大事の用を忘れて退けた 必お
参りなされませ 心もせけば明日と そゝくさいふてはく草履 雪駄片足を引かけて
足早にこそ立帰る テモ扨もけふのさめた自堕落坊主 アゝしたが罪がなふてあれ


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もましかい ヤ夫はそふと今雲西が触れて来た 中村やと聞くやいな 段々延る義理の金 あ
すの非時に参る迄に どふぞ調へ戻したいとは思へ共 力づくにも才覚にも叶はぬ物は是
斗と 又思ひ出す兼てより済ます当途もなみならぬ 武士の行儀の二腰も 端手を
隠せし宮城十内 目印ちらと美濃やが軒 用事有げに立留り 角助案内にナイ/\
奴 頼みませふとつかうど声 コハ何事と平左衛門仕業(しごと)片付飛でおり 出る外面に見合す
侍 美濃屋平左衛門殿宅は是かな ハイ成程則平左衛門は私でござります お尋なさるゝ
お前様は アゝとふやら見たやうな」ヲゝゝゝそれ/\ いつぞや嶋の内でちよつと見請たお侍様

何用有て私が内へ ホゝウ子細有れば折入て ハア左様ならば先あれへ むさくとお通り下さ
りませ イヤ何角助 用事の程も計りがたし 暮を相図に迎ひの用意 旅宿へ帰り
休足せよ 早く/\と追かへし赦し召れと打通る 間所狭き台所 先おたばこと平左衛門
詞のしほに汲に立 端香(はなが)なけれと心の濃茶 御世話無用とこなたにも受る礼義
の侍気質(かたぎ)イヤ申御大身の御前様が 私風情に御用とは サレバ訳をしらずば不審尤
某事は和州桜井の家中宮城十内と申者 いかにも貴殿が云るゝ通り 彼の大七
とやらで見受たれど 遊所の出合と差控へ 今日来りし子細といふは こなたの妹三勝を


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手前一生かゝへに参つた ハテナ すりや妹があなたのお目に アイヤ/\ 当秋座
頭の興行の砌手前主人の若殿様此大坂に私用の次手 女舞を御見物なさ
れしや 三勝が器量になづみ 直ぐ様国へ同道なされ度き望なれ共 附々の手前をいとひ
御帰国有し其折節某を密に召され 何卒請出しくれる様にと仰は重き主君の懇望
延引せしは十内が出仕に暇有らざる故 漸此度罷り越し始めて逢た舞子の三勝 行儀と
いひ器量といひ お目にとまりしも無理ならずと 押て参つた今日の宜義(しぎ)国元へ遣はさ
るれば 主人も満足拙者も悦び さのみ世渡りに苦労も有まじとは思へ共 望あらば

何にても 十内宜しく計はん 必心置るゝなと 夫と云ねど何所やらに花も身も有る詞
の端 平左衛門手をつかへ 段々の仰 背くではござりませねど 妹とは申ながら 縁辺の義は又格別
とは云物のお侍のお顔は立まする 子細ござればあなたの御出 妹が帰つても申さぬが一
思案 先夫迄は奥の離れ家 こちの座敷ではなけれ共 日頃懇意な隣の隠居所 お
心置なく御休足 ムゝ何様早 三勝の兄貴へ程有てさつぱりとした今の一言 然らば奥て相
待間 万事宜しく相談召れ 国へござれば其元のお為共存れど 我々とは又格別 いやと云
れぬ町人かたぎ アゝ芳(かうば)しう存るてや 是は又見立に預り却て迷惑 表をみがくやう


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なれど 高が素町人の胴性骨 魂の置き所はあなた方には似ても似ぬ お恥しうござ
りますと 誉らるゝ身も 誉める身も金の入り訳打明けて 云ぬ妹が身の代の 価千
金千石取り 伴ふ兄が男気も 千万無量の胸の内連立 一間へ「入にける 千代迄と
祝ふ我子の 髪置に連て宮居の戻り道 可愛男に相生の 松の女夫が 門
の口 コレ三勝見や お通めが腹が能やら おれが懐ですや/\と 下に緩りと寝さして
やり そなたもちつと休みやいの イエ/\わしよりお前が辛度かろ サアマア内へござんせと 上る
暖簾の内の体 是はしたり兄様とした事が 内明けてごこへござんしたやら ドレマアぼんを

寝さしましよと 取出す枕 敷蒲団そつと抱取り我子の傍 添乳ながらの臂枕 子
持なれ共かはゆらし 半七も差寄て ほんにそなたの産だ程有て 寝顔迄が愛だらけ
可愛らしいじやないかいの サイナア女の子は爺親に似れば果報が有と お前によふ似た此
お通 齢は千年万年迄も長生きを仕やる様と 連て参つたけふの髪置き 道でお前に
逢たのも 親子三人尽きせぬ縁 悦んで下さんせ ソリヤいやらいでも知れた事 そなたと縁の
切れぬ印 此お通めは二人が中の結ぶの神 随分大事に育ててたも そふ思ふて下さんすがほん
/\゛の女夫中 必かはつて下さんすなと 夫の膝に寄かゝる露もまだ干(ひ)ぬ 袖から袖じつとしめ


42
たるわりなさよ半七わざと振放し ハテ扨嬶になつて居ながら コリヤマア何をするのじやいの アゝ嗜
みや/\ イエ/\何ほ此子を産だといふても お園様といふて れつきとしたお内儀様の有る身
終に逢ねど可愛らしいお方じやげな アレまだいやるわいの 親々の約束で こちの内へ
来ては居れど 終に一度も抱れて寝ず 諸事つん/\て済まして居るはいの ソリヤほんかへ ハテ
何の吾儕(わがみ)に嘘いふ物 ヤ夫はそふtろ 此中吾儕の咄ししやつた 中村屋とやらで借た金 済ま
さねば男が立たぬと平左殿がとつ置いつ おれも夫が気がゝり わきへ咄して置た所も有り
けふ返事を聞ねばならぬ おりや一走り尋に往てこふ 兄貴へもよい様に 坊主めに気をつ

きやと 云つゝ出る半七を ひかゆる袂下行水 後にとと契る妹背鳥 別れてこそは出て
行 跡見送つてとやかくと 恋の渕瀬の手枕や 一人は解ぬ帯の端影と 日南に
咲く花の 所縁もとめて尋来る年も莟の色も香も知る人ぞしる其人に 
愛相 溢るゝ女房ふり 用有そふに美濃やが門ちつと物か尋たふこさりまする
卒爾なから此傍りに 三勝様といふお方はこざりませぬか アイ其三勝といふはわたし
でござんす 尋さしやんすお前様は どれからお出なされたへ コレハ/\おなたが三勝様か 私
は園と申て半七殿の女房でござんする エゝあのお園様とはお前の事かいな 終


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にお目もじ致さねは お顔見知らふ様はなし 何と思ふて私が内へ サアマア是へお上りと 挨拶
とけた様なれど どこやた解ぬ胸帯 引しめ ながら揚り口 そんなら赦して下さんせと
つい馴安き女同士 イヤ申けふ私が尋て来たは 恨みつらみも云に来たかと 思ふ
てもござんしよがさら/\そふした心でなし お前もしつてござんす通り 半七様の爺様
も大和の五条の某なれとも 今は逼塞同然で此大坂の上塩町引越てから
最半年 私も来ると其儘にお前に逢て何の角の礼 半七様を大切にいとしぼ
かつて下さんす 礼も云たし折入て 私か願ひの一通り聞届けて下さんすか ヲゝお園

様とした事が 世間晴たお前の殿様 私に逢て一言の譬お恨おつしやつても
かへす詞は微塵もない 殊にお通を可愛かり人形やつたりつき/\の 小袖も厚
きお前の深切私か方から逢に行て お礼申も何とやら結句で隔る事も
やと 問音信はせぬけれどほんにかけから拝んで居た お園様のおつしやる事身に叶ふ
た事ならば 何なりと聞こはいな サア早ふ聞して下さんせと 尋る胸の結ふれ思ひ いや
ます斗也 是はマアそふいふて下さんす程 私もどふやらいひにくけれどいはで済み
なん胸の中(うち)頼といふは三勝様 半七殿と縁を切て下さんせ エゝあの半七様とかへ


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アイ いやでござんすなんぼう御本妻のおつしやる事でも 是ばつかりはなりませぬ
一夜ながれの勤でも別れを惜む人ごゝろ ましてや深い中といひ 子迄儲けた半
七様縁を切れとは胴欲な わしを追のけ心よふ添てお前の本望か むこい難面(つれない)
お園様 炎の中に暮しても あなたを退て片時も 生きて此世に入られふか ふつ
つりいふて下さんすなと跡先わかぬ女気の 恨涙にくれければ お園も供に涙
ぐみ 訳を云ねば一筋に其腹立は無理ならずとは云ながら三勝様 梅の色能き
浪花津で粋と云れしお前でも 草に育ちし私でも恋といふ字に二つはない

無下なふ退てわし独り何の添ふといふじやない 何を隠さふ半七様は お前故に勘当
請て居さんすはいな エゝそりや何として/\/\/\ コレどふしてと 尋る内も気はうろ
/\ サイナア元はといへば私がほんの爺様年寄気質(かたぎ)の云がゝり 娘お園を滓にして
妾(てかけ)に身を打つ聟の半七 こつちから嫁にはやらぬ戻してくれとやつさもつさ 取なし
云ても聞入れなく 私か戻つた其跡で御勘当と聞くつらさ わしといふ者ないならば心苦労も
有まいと 思ふ程猶此身の上 いつそ死でもしまへかしと 思ふて居さんす半七様 お
前にばつかり心中立 嫌はしやんすはしれた事 譬て云ば深山木と都の花 粋とやら


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不粋とやら訳さへしらぬわしなれば 常々から半七様の お気に入らぬも無理なばず ふつ
つり悋気せまいぞと嗜んで見ても情なや 女に生れた身の因果 嫌は
れる程可愛さがまして義理有るお前の事 引わける気はなけれ共一旦縁を
切たと有 其一言が三方四方元へ納る夫の為 ながふ共いひはせぬ たつた三日の
其間 勘当赦(ゆり)た其上ではやつぱりかはらぬお二人中 いとし可愛が定ならば五度逢ふ
物を三度逢い 二度を一度の辛抱が親御様人の御孝行 お前に向ひ此事が云れる
物か去迚は了簡付けて下さんせと語るも聞くも真実の涙 わかちはなかりける

始終を聞て三勝は 返事否共いな船の漂ふ心押しづめ 神や仏の御異
見でも 別れといふ字は云ね共 案じるお前のお心ざし 殊には夫の勘当も
私が退けば赦るとある 夫レが何と背かれふ 三日は愚か今日限りで さつぱりと 思ひ
切り /\/\ましてござんすわいな かはりにはお園様 お通が事を末長ふ 見捨て
やつて 下さんすなと 底意隈なき月の顔涙に くもる風情なり スリヤ 
真実半七様と 縁切て下さんすか ハテ夫の為にやかへられませぬわいな
エゝ忝ふござんすと悦びいさむ中の間より イヤ妹が縁切らす事なりませぬと聞て


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お園が又恟り ムゝ妹御とおつしやるからは聞かねどしれた平左衛門様 三勝
様が得心で縁切たと有を 切らぬとおつしやる兄御の心底 ホゝ訳といふ
たら半七殿と 女夫にせにやなりませぬ サイナア 其女夫はしれて有れどナ
事をわけてわたしが頼み たった三日の其間 アゝいや其三日をこつちから
三日添した其跡は定つた御本妻 死る迄添ふたがよごんすわいのふ コレ
兄様 そりや何いふのじやいな ヲゝ様子しらねば合点が行まい わりや三日過るを
去お屋敷の奥様じやはい 氏なふて玉の輿 何とめでたい事ではないか エゝ

兄様とした事がじやら/\と何じやいなァ イヤ座興ではない大誓文 抱えにござ
つたお侍と 奥で酒盛手を打たと 聞て恟り コレイナわしに得心さしもせ
ず お前一人が合点してしらぬ屋敷へやらふとは あんまりむごい兄様と訳も涙
の恨み泣き お園も傍に気の毒の 背(せな)なでさるす斗也 平左衛門目
をしばたゝき ヲゝ其恨みは尤なれど 一通り聞てくれ こちの親父殿は 近江やの
治左衛門迚此長町の住人 死なれぬ時はわれはまだ七つ おれじや迚元服した
其当座枕元へ呼寄せて 家に付た借銭が凡そ八貫目余り どふぞして


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済ましてくれ 是ばつかりが迷ひの種 はし折かゞみの兄弟なれば 妹が事も頼む
ぞと云死(いひじゝ)に死なれた跡 美濃や平左衛門と名をかへて 己やれと思へ共何を
いふても姓望(もとで)はなし 人に雇はれ色々と艱難砕く其内に 漸そちを
舞子に仕立て 自前の勤と云ながら そちが是迄儲けた金 一銭でも蹴込で
はと其日を防ぐ傘の骨 削る度毎此兄が 骨身を削る世渡りても おれが誠
が届いたやら 親父殿の借金の内へ大概済ましたが とんと済まぬは中村屋の証文
金 悪手代の庄九郎めが突くやうに云て催促しをる 根を尋れば善右衛門が

われを女房にほしい斗 色々と點頭(うなづき)合い おのれが身代をひけらかし
恥つらあたへる其憎さ じつとこたへる辛抱も皆 そちが 可愛さ故
元来此金の始りは 親父殿が男気で世話にしられた浪人侍 国へ
帰参の入用金 五十両といふ物は其時に借られた金 其借た侍の名
も所も知らねば 是もやつぱり親父の借金 どふぞしてと思ふ矢先
そちを見立てて抱へにござつた やりたい事はなけれ共な 利銀は重なるせがみ
はする せう事なさに約束した 得心して往てくれよ エゝふがいない兄を持ち 好いた


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男に添れぬと 思ふてくれるが悲しさに 一日なりと半七殿と本の女夫に
したい斗 お園殿へひら押に頼んだ訳は此通り こらへてくれヨよいやい妹と涙
はら/\落果てし 親の遺言つど/\に打明死たる身体の 奥底もなき真
実心聞くも 哀れに殊勝なり 三勝涙の顔を上 勿体ない兄様のわしが
事迄苦にやんで 可愛がつて下さる御恩何と報ぜんやうもなき 五十両
の金のかはりわたしさへ行ば爺様への 供養共なり一つにはお園様と半七様 添せ
ましたい斗に 何所へなりと行わいなァ 出かした妹よふ云ふた 其一言で此兄がお

其殿への義理も立ち 心にかゝる借銭もさつぱり済ます嬉しさを 推量せよと
諄(くりこと)云ぬ 程なをせつなけれ お園が身にもふりかゝる 二人の心思ひやり 何と
詮方泣涙 三勝様をやりましては私も夫へ義理立たず 三日の日延べの其内に
主の勘当赦さへすりや 金の工面はどふなりとわしに任せて下さんせと 立を三勝
押とゞめ 夫レをお前の世話になり兄様はどこて立つ お志は請たも同然 此場の
事は捨置て主の勘当赦るやう 夫レ斗をと跡云さす 果しなければ平左衛門 三
勝が縁さへ切れたれば外に用なきお園殿 早帰られよと無義道(もぎだう)に云もやつ


49
はり道筋をわかてふさがるお園が思ひ 是非も なく/\立上り 互の義理を
くり返し見送る三勝 見返るお園 足も萎れて奥の間へ入相告る鐘につれ
心残して帰りける 跡に不便や 三勝は 切るに切られぬ縁の綱 切らで叶はぬ兄の詞
聞に思ひの結ぼふれ 心一つに せめられて我と我身に暇乞 迚も添れぬ物ならば
一旦屋敷へ身を売て 金さへ済めば兄様への言訳も立ち孝も立つ 半七様への言訳は
直に其場で死ぬる此身 ふつつり思ひ切たぞへと 口にはいへど心には思ひ切る瀬の
有らばこそ 親にも身にも引かへていとし男に暫しでも 是が別れて居られふかと

涙に沈む諄にわつと目覚ます我子の傍 ヲゝ可愛やと抱き上 抱しむればやんちや
声 嬶様乳が呑たい 爺様どこへいかしやつた わしも行たい/\とわやくいふ程かはゆく
ヲゝ道理じや/\ わし迚も其通り 逢たふなふて何とせふ 是程こがるゝ夫(つま)や子見
捨てて何と行れふぞいのふ 殊にけふはそなたの身祝ひ 時が時なりや供に供
を連さして 参らすがほんの髪置 夫レに漸此嬶や 爺様の懐に 抱れながら
も悦んで 愛らしいを見るに付 果報拙い生れやと夫さへ悲しう思ふたに未(ま)だ
其上に振捨てて 行かるゝ物か去迚は 浮世の中にからまれし義理程つらい


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物はなし わしがいかねば兄様の尽した事も水の泡 消ても 死でも半七様
ま一度逢たい顔見たい 思へば思ひ廻す程祝ひかざりしけふの日に 可愛ひ子にも夫
にも飽かぬ別れをするといふ わしが為には悪日の報ひか罪か浅ましやと 目元
うろ/\髪乱れわつと斗に声立て泣く音血をはく思ひなり ヲゝそふじや 所詮不孝
に生れた此身 兄親の義理を捨 爰で死れば半七様へ曇らぬわしが身の明り
お園様へも心の潔白 死だと聞て下さつたら 金の事もお通が事も よもや見
捨てて下さるまい 必是を頼むぞへと 心で心取直し死る覚悟を極めても しらぬ

我子の寝顔さへ是今生の見納めと 泣々立て櫛箱の つい引出しの剃刀も 最
期を急ぐ 死神の もふ是迄と取直す どつこいさせぬと平左衛門 コリヤわれが死ぬればお侍へ
言訳立たぬ此兄が 先へ死るが近道と もき取る手先にいがみ付き 兄様堪へて下さんせ 思ひ
切ふと思ふ程惚た罪科修羅道の 苦しみ受ても責られても 行く事はわしやいや
じや 放して殺して/\と 涙の氷柱雪氷 とくる色なき風情なり 不便と思へど
涙も見せず コリやい兄が難儀も親への孝行も 其身の色に引されて凝りかた
まつた胴性骨 お侍への申訳 兄か手にかけ殺してやると 互にみがく兄弟が既に斯よと見へたる


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所 ヤレ待れよ平左衛門 殺すに及ばぬ三勝が命 某が貰ふたと 呼はり出る宮城十内 平
左衛門打向ひ ハテ存せぬ事迚其元に 苦労をかけし拙者が誤り お赦しなされ下され
と 扇子を時の白臺と乗せて差出す小判の包 イヤ申十内様 此金子を請ます
れば 猶妹を渡さねば アゝいや/\ 抱へる望みないと申す証拠は則其金子 先年
某が親重太夫 こなたの親父(しんぶ)に借受た御恩は重き五十両 立身出世の其後
は必返納仕れと 云置く父も早過去り 心にかゝる今日只今 三勝殿御兄弟は 我々親子が恩をき
た治左衛門殿の娘御共 知らず計らず暫くも苦しみをかけたるは我年の足らざる所 片時も早く

其金子 御戻し有て何角の事 併し三勝殿も随分兄弟中能力を付合い 親の遺跡
立るが第一 兎角云中最四つ前 お暇申すと立上る 先暫くと押とゞめ シテお借なされたと
云には 何ぞ慥な証拠ばし ホゝ借受た証拠には 三勝を其儘に連帰らぬが慥な印
ムゝシテ殿様への申訳は ハテ数多の客を勤る三勝 外に見受の客有て我手に入らぬと
申上 殿へ金子を差上るに何事の有べきぞ 気つかひ有なと十内が情をこめし一言は
昔を爰に恩がへし金の威光ぞ有がたき 三勝一人は夢見し心地 死する命を助けられ半七様
と心よふ 女夫になるもあなたのお影 アイヤ/\そりやならぬ 大和五条は半七が住家則


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殿の御領分 其お下に住む茜屋半七 定つた本妻有上は女房とは云れまい 表
向添しては此十内が越度と成 兎角他門へ嫁入し 其身を納る祝言の 三々くどふも
半七と夫婦に成ては某が 主人へ立たぬ其身の上 よく心得て必仇に其名を穢さ
ぬ様 道を守るが肝要と 後の歎きを今爰に思はず聞かす異見の詞 有がた涙に平左衛門 せめ
て道迄御供と立出る門の口 時分遅しと角助が いきせき来る提燈のかげを力に半七が 来
かゝる軒端 見合す三勝 ヤア半七様かと云間なく 戸口をぴつしやり平左衛門 それと
宮城も提燈ばつたり 角助来れの声斗闇に 紛れて「帰りける