仮想空間

趣味の変体仮名

ひらかな盛衰記 第一

 

 読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-696


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 逆櫓松 矢箙梅 ひらかな盛衰記
頃は元暦元年正月廿日 朝日将軍木曽義仲
悪逆日々に盛んなる 都の騒動しづめよと 鎌倉殿の下知を
請け 大手の大将蒲(かばの)冠者範頼 勢田をさして攻め上らる 搦め手
の大将には九郎御曹子義経 伊勢路を越へて上洛有る
「心ぞ剛に たくましし 付従ふ輩(ともがら)には佐々木の四郎高綱 畠山
の次郎重忠 和田の小太郎義盛 侍大将は梶原平三景時


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其勢二万五千余騎 甲の星を戴て夜昼分かぬ旅なれといさむ駅
路の鈴鹿山去年(こそ)のゆかりと消残る 雪の戸さしの麓の開き 八十瀬に
つゞく加太山 川を越ては山路にかゝり 山を越れば川瀬にひたり 西へ/\と
なびく籏手ぶ 東風がしらする風の森 あけの玉垣見へたるはいか成る神か
しら幣(にぎて)敵追討を祈らんと 暫く床几立させて皆々 休らひ給ひける 詠む
れば 山より山の山道を 腰もふたへの老の杣 杖を便りにとぼ/\と岨(そは)を
伝ひて歩みくる 大将見給ひあの杣めせと有ければ 和田の義盛承り ヤア/\

老人大将のめさるゝぞ 早々是へと招かれて はつと斗に老人は御前間近く畏る 義
経仰出さるゝは 山人なれば案内はしつつらん 是より宇治へ出んには 近道有やと問給へ
ば ハア心安き事のお尋や 御覧遊ばせ西に見へたる平岡をば あらた山と申し夫より先に
頸落(くびおち)の滝といふ所を行んには近道にて候と 云もあへぬにいやコリヤ老人 戦場に
向はんに頸落の滝とは禁忌なり 又其外に道はなきか さん候此御社を弓
手へ廻り 笠置にかゝつてお通り有よき道の候と 申上れば義経重ねて 此御社の
御神体はいか成神ぞ 老人しらずやとの給へば ハアいやしき身なれば委しくは存せね共


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此御神をいとゞの明神と申て 文字には射手(いて)と書候へ共 云女がならはせとは いとゞ
の明神と申なりと 語れば大将御悦喜有いとゞの明神弓手へ廻り 倍(かさ)にかゝ
つて攻めよとは面白し/\ それ老人に恩賞せよと仰もおもき御恵 御褒美あ
また給はりて 早御暇と老人は 宿所をさして帰りける 梶原平三すゝみ出いさまし
/\ 武士の運に叶ひ 弓矢神の御前に暫くも休らふ事 偏に神の御加護
なれば神前にて 的矢を射軍の勝負を試み申さん 見物有れ人々と鎧の
引合せより陣扇取出し幕串にしつかと結い付け 矢頃よき場に立てさすれば 有

あふ人々息をつめ勝負いかにと待つ所に 梶原一世の公業(はれわざ)と 滋藤の弓の
まん中取 広言してぞ罵たり 抑梶原が家に待はる誉といつぱ 先祖鎌倉の
権五郎景政 敵に左の眼を射られ 其矢もぬかず答(とう)の矢を射返し 唐日本に
名を上る 見給へ殿原扇に書し日の丸は 取も直さず朝日将軍木曽義仲 此
景時が一矢にて 朝日の直中射通さんと 鷲の羽のとがり矢打つがひ きり/\と引しぼり
暫しかためて切て放せば 何とかしけん?(ねらひ)はそれて大将の 御白籏横にぬふて止(とゞ)まつ
たり なむ三宝と弓投捨 まじめになれば すはや味方の大事ぞと 眉をひそめぬ者


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ぞなき 大将義経御声高くやおれ梶原 義経が下知をも受ず 鎌倉殿の出
頭を鼻にかけ 出かし顔の采配立て試みの的を射損じ 味方に気おくれさせつるは言語
道断の曲者 夫戦場に日の丸の扇を用る事 浅々敷も思ふべからず 日の
丸は則日輪 日の神の御影を移す陣扇 敵間近く寄ならば さつとひらいて真甲
に指かざし 神の威光を頭に戴き 此日に敵対うふかくの武士 神の御罰に亡す道
理 今度の敵木曽義仲 朝日将軍と名乗る事全く此理に相同じ 扇の的
には大諄(ふとまに)の伝といふ事有故実をしつたる武士は 日の丸をよけて地紙を射るか

蟹目際(かなめぎは)を射る物よ 夫に何ぞや梶原が 朝日の直中射通さんと神に弓引冥
罰にて 却て味方の籏を敗(やぶ)る旁以て不吉の相 よし此上は義経故実を正し
一矢射て 軍の勝負を棣(ため)さんと 思ひためたる弓の裏筈 神の御告を白羽の矢
取てつつ立上り アレ見よ扇は西に有 朝日は東に有物を西に入日を追詰/\ 木
曽が胸板射通して 八本のあばら骨がら/\にしてくれんと 弦打つがひし拳のかたまり
よつぴきひやうど放つ手答あやまたず 蟹目射切れば骨ばら/\ 扇砕けて飛ち
るにぞ 今に初めぬ義経の凡人ならぬ弓勢を 恐れぬ者こそなかりけれ 大将の御弓矢


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畠山重忠受取 恭しく神前に捧げ奉り 敵に打かつ拍手も味方の勝利疑ひ
なしと 御悦びは限りなし ヤア恥を恥と思はぬ梶原 味方の籏を射通したるも弓矢の
故実が二心か 返答聞んときめ付られ 面目なげに頭を上 義経公への申訳只今
切腹仕る 何れもならば佐々木殿介錯頼存ると 鎧の上帯引ほどけば四郎声
かけ アゝ麁忽/\ かゝる大事を抱へながら 腹切んとは同士討も同し事 但大将への面当か
今度の軍に高名あらば 申訳は自然と立つ聊爾有なと押しづめ威儀を正して
御前に向ひ 梶原が切腹某申預らん 又御籏を射ぬいたるは凶事にあらず 却て

吉相君の御軍慮図をはづさず 敵にはたと当るといふ 瑞相めでたし/\と秀
句に寄せて寿けば 義経御感斜めならず高綱いしくも申たり ヤア梶原過(あやまつ)て改む
るに憚らず 以来を屹度慎むべしと物にさはらぬ御詞 あつとはいへど義経に意趣
を?(ふくみ)し其根ざし此時よりとしられける 斯て時刻も過行ば大将采配おつ取て ヤア時
移りなば敵の要害悪しかりなんと 先にすゝんで打立給ふ 寛仁大度の御粧悠々
として勇有義有 巍々たる岩石踏しだき 宇治川さして和泉川威勢は
輝く光明山平等院の北の邊富家の渡りへ着給ふ 源氏の御代の末長く栄へ栄ゆる


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時なれや 九重の空も閑けき 春の 色霞こめたる桧皮(ひわだ)ぶき 美麗を尽し手を尽す
木曽殿の御館には御長男駒若君三つの長生(おひさき)うるはしく わけて母君山吹御前 御
寵愛浅からず付添ふ女中も御機嫌を 取々賑はふ其中にお傍離れぬお気
に入かふでといふて才発者しとやかに手をつかへ 此春は珎らしうお国にかはつて都で年
をお重ね遊ばし 御祝儀申すも漸ときのふけふ 高鞍休める隙もなく又軍の戦ひ
のと心よからぬ世の騒ぎ おあんじも尤ながら 四天王と呼れたる一騎当千の人々に 巴様も
向はせ給ふへば十が九つ味方の勝ち お気つかひ遊ばすな したがなんぼ大力ても殿のお種
 

を身に持て 切つはつつはあぶな物 出物腫物所嫌はず ひよつと其場でけが
付たら サア自も夫レが気遣 殊更左孕みと有ば疑ひもない御男子 何事なう平産
あらば此駒若の弟御 今迄此子をかはゆがつて貰ふたかはり 自も心一ぱいいとしぼがりたい
早ふ抱て見たいはいの ホゝそりやしれた事 道さへどちらもお中がよふて お互にだき合ごく
らお精次第根次第 中に立た殿様もお嬉しからふと打笑ふ 折から告る先走 只今殿
様御帰館と 呼はる声に家中のめん/\地に鼻付けて畏る 叢蘭茂せんと欲すれ共
秋風是を破るとかや 朝日将軍木曽義仲 てり輝ける物の具も龍に翼を


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得るごとき 威勢勇美の御粧ひしづ/\と入給へば 山吹御前出向ひ 是は/\思ひの外
早いお帰り そしてどふやら御顔持も勝れず 早ふ様子が聞ましたい されば/\ 急て御身
も存知の通り鎌倉の討手 範頼義経夜を日についで攻め登れば 宇治の手は楯の
六郎根井の小弥太を指遣はし 勢田の手は今井の四郎兼平に固めさせ 猶又巴
も跡より打立とはいけ共 折悪ふ樋口の次郎は多田蔵人行家を攻ん為 河内国へ立
越ゆれば 味方は小勢敵の多勢にくらぶれば 十分が一中々輙(たやす)く防ぐべき共覚ねば 某
も今出陣し 士卒のかけ引軍配せんと思ふに付き 御暇乞の為院の御所へ参りしに 厳しく

門戸をさし固め物音だに聞へざれば ぜひなくすご/\帰つたり エゝ口惜や浅ましや 過つる
寿永二年砺波篠原両度の戦ひ 平家の大敵を切靡けし勲功によつて朝
日将軍に補せられ高名誉れを顕はせしに 今又平家に従つて朝敵謀叛
と呼るゝも 皆君の為天下の為心を砕くかいもなく 却て隔て疎んぜられ剰さへ鎌倉へ
追討の宣旨をくだし給はり 一門弓箭を合せ 同姓勝負を決する事 偏に君の
叡慮浅きに似たれ共 普天の下卒土(そつと)の内 王土(わうこ)にあらざる所なければ 是迚も
ぜひに及ばず 此上は片時も早くかけ向ひ 腕限り攻め戦ひ潔く討死せんと 思ひ切たる 


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御顔色見るに 悲しき山吹様前 扨はけふの出陣はとくより覚悟遊ばして 討死なされん為
なるか さほど科なき御身の上 時節を待てなぜ申ひらきはなされぬぞ 心やすふ討死とお
前ばつかり合点して 此駒若や巴様の胎内の お子はいとしう思されぬか あんまり気づよいどう
よくぞや どふぞお心ひるがへし お命恙なきやうの御了簡はない事かとすがり付て泣給へば
アゝおろか/\ 夫程の事弁へぬ義仲にはあらね共 御所に中納言兼雅修理太夫親信
を初め 百官百司も大半平家に心を寄すれば 中々申ひらく時節はなし 分けて多田の
蔵人行家は 某に意趣有中 義仲こそ木曽の山家に育たる無骨者 色に迷

ひ酒に超し奢りの余り朝家を乱す謀反人と 讒者の口にかけらるれば 迚もかくても
遁れぬ運命 義仲が胸の読みくもらぬ証拠は天道ならで誰かしらん 泥中の蓮も汚れ
ぬ花の栄へを見ず 我悪名は後代に残し 身は戦場の土ときへ首は大路にさらされ
て 恥に恥を重ねん事返す/\゛も口惜し去ながら 我こそ命を落す共御身は片時
も館を立退き 駒若を養育し 時至らば義仲が罪なき旨を奏問し 再び家名
を雪がれよ ふびんや何のぐはんぜなく 是今生の別れ共 しらずはからず我顔を見て
余念なき笑ひ顔いぢらしさよと斗にて 勇気に撓(たゆま)ぬ大将も 恩愛父子のうき


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別れ暫し 涙にくれ給ふ 山吹御前は今さらにとゞむる方も泣くづおれ たつた今迄子の
行末家の栄へ御身の上千万年も添やうに思ひし事もあだし世の 夢か現か悲しやと 御
身をもだへ伏沈み声もおしまぬさけび泣 見るに身にしむお筆か思ひ お道理様やと
諸共に 袖をしほるぞ哀なる かゝる歎きの折こそ有 間近く聞ゆる轡の音 しやん/\
りん/\さら/\ささつと吹くる春風と 名にあふ名馬に打乗てかけ立て蹴立る馬
煙 生付たる大力に馬上も勝れし巴御前 色をゆかりの紫おどし 鎧かろげの女武者
長刀かい込鞭打立馳せ付く門前ひらりとおり 扨も此度宇治の戦ひ楯根井が計ら

ひにて橋板を引き 岸には垣楯(かいたて)川には乱杭隙間なく 大綱小綱を流しかくれば 鴦(えん)
鴨(おう)などの水鳥も輙(たやすく)通るべし共見へざる所に 血気の大将義経が下知によつて 佐々木四郎
高綱梶原源太景時先陣二陣に川を渡せば ちゝぶ足利三浦の一党 我も/\と
打渡つて攻戦ひ味方敗軍剰楯根井も討死し 士卒もちり/\゛無念ながら引かへし
直に追立勢田の手へ向はんと存ぜし所 既に宇治の手破れしかば 勝に乗たる鎌倉勢
或ひは木幡(こばた)醍醐深草月見の岡 思ひ/\に打こへ馳こへ 都へ乱れ入と聞ば御身の上気づか
はしく立帰り候と云もあへぬに人々ははつと仰天軻れ果暫し 詞もなかりけり 木曽殿少しも


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動じなば ホゝウさこそ/\ 胸にこたへし味方の敗軍死すべき時に死なざれば死にまさる恥多し
今こそ木曽がさいごの門出巴来れとの給へば はつとはいへど伏しづむ 山吹御前お筆が歎き
見れば心も打しほれ 君の先途を見届る 死出のお供は一思ひ跡に残つて便りなき 御身
の上はいか斗 悲しうなふて何とせふ おいとしぼやとかきくどき しやくり上たる歎きにつれ 木曽殿
もうやゝせきくる涙とゞめ兼させ給ひしが 心よはくて叶はじとふり切て馬引寄せ ゆらりと召せ
巴御前も泣く目をはらひ 片手にしつかと轡面取て引立ていさみを付け コレ/\申山吹様
死をかろんするは勇士の道軍のならひ 今我君戦場へ打立給ふといへ共 是又決して

討死共定めがたきは時の運 此巴が付添からは敵何万騎有迚も 我命のつゞかんたけ
片端撫切拝討 くもでわちがひ十文字 十方八方打立追立てまくり立てぜひ一方打破
つてかけ通りいつくいか成奥山にも隠れ遁れて時節を待 御本意とげさせ申すべし 先ず夫迄は
若君諸共しるべの方へ御忍びと 諌むる詞におふでも嬉しく 夫はちつ共気遣有な わたしが
古郷桂の里の爺親は 源氏譜代の侍鎌田兵衛が弟 同名隼人と申す者 年寄
たれ共心は忘れぬ弓矢の家 御主人といひ親子の中 命にかけてくまはん ヲゝ夫こそ究竟
偏に頼む 随分御無事で山吹様 若君様もふさらば お前も達者で 殿様さらば さらば


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さらばと行名残 のこる思ひははてしなき涙と供に延上り 見送り見返る恩愛いもせ主従
の 歎きになづみ行兼る 駒の足取諸手綱引きわかれ行く 「雲のあし 雪吹交りの朝霞
ひらの高根のさへ返り 春めきながら野も山も 雪にまがへて白籏の やえ立つ敵の其
中を心細くも巴御前 御さいごの供は叶はじと 夫也又主命の我身に重き唐錦 古郷へ
帰る鎧の袖供も具せず只一騎 名残涙の玉くしげ手枕ふりしねくたれ髪 夕
部の儘にふり乱し 烏帽子引立眉ふかく見る目もくもる鏡山 女共見へつ又男共いか物
作りの太刀はいて 思ひ切共女気の跡へ/\と 心引く 琵琶の海面(うみつら)弓手に見なし 行先いかに

白月毛駒に任せて行く道の手綱よ二世の 別れの鞭打つに 力ぞなかりける 俄に越
方さはがしく ヤアあの凱歌(かちどき)は敵か味方か 君はいかに 兄はいかにと 覚束な人の便りを松かげに
馬乗とゞめ立たる所へ 勝誇つたる鎌倉勢二三十 落武者返せと呼はつて追取巻く
何落武者とは舌ながし 落ぬか落るか是見よと駒の頭を立直し うづまく我君の
巴のことく 右左に乗廻し蹴立て踏立てかけさすれば 詞は主の恥しらず跡をも見ずして
逃ちつたり ためらふ間もなく暫し/\と呼はつて 歩武者一人軍兵に先立大音上 木
曽殿の御内に男勝りの去る者有と音に聞く 巴御前と見しは僻目か 坂東一の勇者


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と呼れし秩父の重忠見参せんと いふより早く鎧の草摺しつかと取 引おろさんとえい
と引く 巴につこと打笑ひ 男勝りと名を立てられ 強身を見するは恥かしけれど 秩父程の
人がらで坂東一の勇者呼はり聞にくい ならば手がらに引おろして見さんせと 鐙の鳩胸踏
そらし 引くにちつ共動かばこそ 鞍づよにこたへしは つくり付けたるごとくにて 広言放し重忠も大
力の女持て余し 馬人ぐるめにこりや/\/\ 雪間を分けて生ひ出る 春に粟津の草ぞめいわく
踏ちらし引戻しては引づられ ひいつ引れるよるへなき堅田の浦の 釣小舟(おぶね)浪にもまるゝ ごとく
にて こたへもこたへ引きも引く草摺三間引ちきり 尻居にどうど伏たるはにが/\しくもめざましし

跡に続きし佐々木四郎手柄はしがち 御免候へ秩父殿 佐々木が組で見せ申さんとかけ寄れば
のふ/\ねつたい佐々木殿 こはざれなせられそと押隔て 宇治川の先陣はせられしが 巴女には
いかな/\秩父も叶はぬ 今のこけざまを見られしかヤア女 秩父に尻餅つかせたを手柄にして
木曽へ成共どこへ成共勝手次第に早帰れ アレ見られよ 帰れといふに耳へも入ず 鎧づきして
すいといはゞ 勝負せんと待つ大強者 勝てからが女也 秩父が様に尻餅ついて物笑ひ仕出
すか 先ず此陣は引たがよい 合点か/\と目でしらせばヲゝ夫々 勇者の尻餅と高名の首帳
も 筆末ならば付かぬがよい いかにも此陣引くが勝ち のふちゝぶ殿 なふ高綱殿と點頭合 よそに


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饗(もてなし)立帰る弓矢の 情ぞ類なき 後陣に控へし内田三郎 ヤア/\ちゝぶ殿佐々木殿 敵にあふ
て勝負せぬは後ろを見するか二心か 内田三郎家吉参りそふと諸鐙かけ合せ 天晴御
器量武者ぶりや えぼしが下の乱れ髪 象ではなけれど此鼻が 繋れ申す一軍して 内田が
手並を見せ申さん 鎧の上帯下紐も打とけよ 引く手に靡けとしやれ事し 透を見て組
留んと 乗廻す 巴が乗たる俊足は数度の軍にあふ坂の関吹こへて名に高き 春風と
いふ名馬 内田が乗たる韋駄天栗毛 足疾鬼迚足早き 鬼におとらぬ足どりは
両方おとらぬ馬上の達者 駒の足並飛鳥のかけり 行違ひ様内田三郎鎧の袖を引

違へ 巴にむづとひつ組だり シヤ大胆な 義仲といふ主有る女に抱付てヲゝこそば 目顔を
赤めて強い顔なされても 力の有る体でもなし 聞へた/\ 女ゴじや思ふてふか左礼(しやれ)申 人にこそ寄れ
此巴には 麻殻(おがら)でつく釣鐘ならぬ事/\ みらいの為の折檻と 前輪にぐつと引付けてうん
共ぐつ共云さばこそ 片手にすかうべ引掴み太首ちよいと引抜しは 子供遊びの紙雛の首を
抜くより安かりける 和田義盛是に有 聞しに勝る女の働き去ながら 手柄も人による物
と 生(おゝ)る手頃の並木の松ぐつと根ごしに引抜て 馬人共に一打と口にはいへど心には 馬の諸
脛なぎ倒し 遖手取にせん物と 追様向ふ横腹へ なぎ立るを事共せず 巴は馬を乗飛し


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熊の子渡し燕のもじり獅子の洞入なんといふ手綱の秘密に声そへて四足を土に付けば
こそ 宙をかけらし地をくゞらし蹄にかけんと透を待ち暫しあしらふ折こそ有 敵の方に声立
て 朝日将軍義仲を石田次郎が討取たり 今井四郎兼平も一所にさいごと呼はる声聞
に驚くたるみを見て義盛えたりやかしこと 馬の前脛どふとなぐながれて前脛折るよ
と見へし 巴も馬上を真倒(さかさま)落るを其儘おこしも立ず 家の子郎等おり重なりかくる
千筋の誡めも 妹背を結ぶ縁の綱ながき夫婦の初めとは後にぞ 思ひしられける 斯と注
進してければ御大将義経公 ちゝぶ佐々木を召ぐして泥障(あをり)を土手に敷がはや御座に移らせ

給ひける 和田義盛罷出 女を生捕り手がらがましく申上るも おこがましく候へ共 鎌倉の
御前にさた候ひし 木曽殿の妾(おもひもの)巴と申女召捕て候 いかゞ計ひ申さんと申上れば ヲゝいしくも
したんなれ 直い問べき仔細有 早いそふれと御諚にて 引出す縄取共返つて宿に引立て
おめず臆せず御大将の膝近く ふりあをぬいたるかんばせに はら/\かゝる無念の涙 雪に霰
ぞ乱れける 折しも梶原平三景時 武者一人召具し息を切てかけ付け 当手の怨敵は悉く討
亡し 鬼神と呼れし朝日将軍義仲を 石田為久が討取 首を御目にかけくれよと某
を頼 其身は後陣に罷有る 又召連し此男は 井上次郎と申木曽の郎等 主の悪逆を


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疎み 今井四郎兼平が首取て 鎌倉殿へ降参の手土産候と 直垂の袖に包たる
甲首 太刀に貫きたる今井が首 実検に備ゆれば コハ我殿か兄上かと 巴は綱取引立てて
かはり果たる御姿や覚悟の上とは云ながら 思へば/\暁の 鶏(とり)に互の泣別れに
成たかと 二つの首に身を寄て人めも恥ずどうど伏 声も 惜まず泣いたる 梶原いかつて ヤアめ
ろ/\と今に成て何のほへざま 尾籠成と引立させ 恐ながら首御実検なされ 井上次郎に
も御褒美の御詞下さるべしと取持ば つく/\゛と実検有 エゝ浅ましや 同じ清和の臺を出
正しき源氏の累葉として 平家に勝つたる朝敵謀叛の族(やから)と成て 末代源氏

の弓矢を汚す一門の面よごし 憎や/\と持たる扇ふり上て丁々々と打給へば 巴こらへずヤア聞
にくし義経殿 平家に勝る謀反人とは 何が謀叛其訳聞んと詰かくれば ヲゝいふ迄もなし
法就寺(ほうじゆじ)の御前を焼付し高位高官の人々を苦しめし 是が謀叛朝敵で有まいかと以ての
外の御気色 巴涙をはら/\と流し されば夫レこそ木曽殿の深き御思案 謀叛でない物語
並いる人々も聞てたべ 既に木曽殿 礪並(となみ)倶利伽羅篠原の合戦に打勝ち 都へ攻登り
給ふと聞へしかば 平家一門の人々三種の神器を守(もり)奉り 西国へ落下る 木曽殿都に入かはつて
御所を守護し給へば 法皇御感斜めならず 雲の末海の果迄も追詰 平家を討亡し 三


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種の神器を大事故なく 都へうつし参らせよとの宣旨 畏てお請申させ給へ共安からぬ一
大事 三種の神器を取かへさんと直(ひた)攻めに攻るならば 身の置き所ない儘に唐高麗へも
逃渡らば 勿体なや神より伝はる三種の御宝ながく異国の物とならんは日の本の国の恥 水
又海底に沈め失はゞ世は常闇 とやせんかくやと御思案有 義仲朝敵謀叛人の名
を取ば 平家心赦して一致せんな必定 折を窺ひ三種の神器を奪ひ取 跡で平家は
鏖 サア此上の分別なしと 心に工ぬ悪逆の謀 夫とはしらで諸国のかり武士共 我儘を
働しは 木曽殿のしろし召されぬ事ながら まんまと上々の朝敵の名を取給ひ スハ鎌倉の討

手向ふと聞へしかば 寄せられては後手に成 御身に誤りなき由を申分けさせ給へといへば いやとよ
他人より一門は猶恥有 宰我子貢(さいがしこう)が弁舌をかつて云ほどく共 三種の神器を取かへし平
家を悉く討亡さねば 我本心は顕れず 比興げに言訳はすまじいぞ かく成果る我武運
寄せ手を引受 潔く討死せんと御覚悟なされ 夫レ故にこそやみ/\と 今度の負け軍申す詞
に疑ひあらば仰置れし詞の末 召されし甲に子細ぞあらん御読有 いかに思し明らめ手も 心
の内の御口惜さはいか斗 人こそ多けれ石田づれの 名もなき下郎の刃にかゝり 勿体な
や御首に義経が扇を受け 一かたならぬ冥途の御無念 あはれ此身か儘ならば義経殿 飛び


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かゝつて恨いはん物 エゝ口惜や悲しやと立て見居て見身もだへし こぼるゝ涙を押へんとすれ共
縄の強ければ 頭を膝にすりあてゝ前後 ふかくに泣いたる 高綱仰を承り御首に立
寄て 甲を取ば鉢受の絹に巻添し一通有 取出し捧ぐればつく/\御読し仰天有 是見よ
旁 巴が申にちつ共違はず 三種の神器を取かへさん為の計略 思ひ設けぬ朝敵に成たる
悔みの条々 神明仏陀を誓にかけ逐一に書残されたり 扨は反逆にてなかりしな 鎌倉
殿こそ御心付かず共 討手を蒙る此義経 尾張三河の間に軍兵をとゞめ置き 一応も
再応も使を以て事の品を問明らめ 反逆謀叛に極らば其後こそ討べきに 其気の

付かざる我無調法 扇を以て首を汚せし我誤り御詫申す赦してたべと 座を立て義仲の首
取上 義経が名はしやな王丸 貴殿の名は駒王丸 鞍馬と木曽の住所はかはれ共再び源氏の
世になさんと 恥を凌ぎうきめを見し心遣ひは一つにて 平家を西海へぼつ下せし 源氏再興の軍
初めの大切は貴殿こそ立てられし 其功を空しく謀叛人の悪名を取て果給ひし さいごの遺恨をひる
がへし 弓矢擁護の神と成 源氏の武運を添給へと押戴き/\ひたんの涙にくれ給へば 伺候の武
士を初めとして かけ構ひなき下部迄かんるい催す斗なり 和田も哀にかきくれていたりしが御前に向ひ
ハアゝ遉源氏の御血筋迚 驚き入たる木曽殿の御心底 然れば女にかゝつべき御疑も科もなし 殊に


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木曽殿の御胤を懐胎せしと伝へ聞 義盛給はつてふさいに具せんと申はいかゞ 合筵は踏ず共
御子誕生有迄は 我等に預け下さるべしと云せも立ず梶原平三 ヤア心得ぬ義盛の願ひ
どふ書て有ふがどふ云ふが皆嘘々 謀叛人に極つた木曽義仲 其胤を孕だ女を預り
子を産ませて何にせらるゝ 但は其子を守立て又謀叛おこす気か 夫はともかふも鎌倉
殿の御計ひ 先ず差当る拙者が取次の井上次郎 兼平が首取たる獏大の高名 御褒美の
御詞下さるべしと遮て言上すれば秩父の重忠 イヤ梶原殿 義経公は惣軍の御大将
細(なか)成事はしろし召さず 今井四郎兼平は目下(まのあたり)木曽殿討れ給ひぬと 呼はる声を聞しより

太刀をくはへつゝ逆様に落て貫かれ死たる事誰しらぬ者もなし 夫を何ぞや井上次郎が
高名とは 死首取たるが高名か頼まれての取持ちか 自分の贔屓かよし夫はとも有 重恩
の主の討死を 余所に見捨命おしさの降参をかざる表裏の武士 取訳の梶原殿迄
心底疑はし 返答あらば承はらんと一口にやり込れば 井上次郎進み出 ヤアあた/\敷き重忠の仰 主人
の討死を見て降参する様な井上にては候はず 一両年以前より梶原殿を頼 頼朝公へ心を
寄せ 義仲の身の上 嚔(くしやみ)一つ仕られた迄 犬に成て告知らせし某 是斗でも捨ても一ヶ国や二ヶ国が
物は有る 其上に又兼平が首取たるけふの手柄 浦山しうてのわんざんならば 此首御辺に


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おまするぞ 勲功解状に預られよと首取て投出せば 事を破らぬ重忠もこらへるに
こらへ兼 儕等ごときを手にかくるは おとなげなしと思へ共 弓箭をけがす人非人 みぢんになさん
と飛かゝる義経暫しと制し給ひ 井上次郎が忠節は此度初ならず 梶原平三が取次を以
て 急で鎌倉殿へ帰伏せしと申す上は万事鎌倉にて 鎌倉殿の御裁許有べし 夫迄互の
論は無益心得たるか 義盛は願ひの儘巴を汝に預くるぞ去ながら 平産の子男子ならば朝庭
の恐 義仲の名を包み汝が子とし和田の家を相続すべし 巴が戒めとく/\と搦らるゝは義経の情の
詞斗にて 縄もとかるゝ気もとくる朝日将軍義仲の 名を象つて生れ子を朝比奈小太郎義

秀と 古今に秀でし兵は此胎内の子也けり いざや人々都に入て勝軍の御様奏問せん エゝぜひ
もなき浮世のならひ 義仲の首今井が首 土中に埋づみ跡弔ばやと思へ共 院の御気色
がかりがたし けびいしの手に渡さでは叶ふまじと 秩父佐々木に取持せ道を早めて走り井の軍
の備へ九重の都に 蹄をとばせらる 梶原井上手持なく顔見合せ アゝ梶原殿 義経と云ひ
ちゝぶといひ 大抵ではかまれぬ相手 鎌倉殿もあれなればいかふ充てのちがふ事と ぶつつけば何
さ/\ 義経が爰での我儘は鳥ない里の蝙蝠 追付鎌倉殿の御前見せ付ける所で見せ
付る どいつらも覚て居よと睨め廻し 次郎を引具し立出れば 巴すつくと立上り待た/\井上


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次郎 君御存命の内よりも鎌倉へ内通とはたつた今聞た いかいお世話で有たの 夫いふて
せんない恨 指当る兄の敵主君の怨 もふ臨終に間はない 旦那寺へ人やらんせと 曲流詞も
井上が頭の上に雷の落かゝるかとすさましく ナフ梶原殿弓矢取身は相互 今の命をお助けと
脛腰立ず身もわな/\ 頼む人より頼まるゝ梶原も底きみ悪く 人つかひがなくば旦那寺へ
は身がいかづと云捨てかけ出せば 続て逃る井上が綿がみ掴んで引戻され 扨は道が違ふたそふ
な どちらへいても大事ないと逃出す 先には和田が仁王立左義盛右巴 一つ巴にくる/\ぢり/\
廻する井上次郎 命お助/\と云に鰭臥し手を合せ 泣より外の事ぞなき エゝふがいなき業さらし

主君の怨(あだ)兄の敵には不足ながらと引よえて 首ねぢ切んとせし所へ 井上が郎等共主の
命を助けんと 一度に抜つれ切てかゝる ヲゝしほらしや ほしがる主をえさせんと鎧の上帯かい
掴み 落花みぢんに投ちらしむらがりかゝるを引よせ/\ せめては是で色直し追付和田と祝言の 印
今打人礫 身がるき働蝶花形 出合た敵は三々九度むら/\ばつと逃ちつたり 猶も進むを
引とゞめさのみ長追長柄の銚子 かへせ戻せは無益ぞと いさめる駒に角を入れ
時に近江の鮒盛や乗 しづめたる義盛が二葉のひれに相生の 松の栄や
えい この/\/\/\ 此寿をよろ昆布 敵に勝栗のつし熨斗つれて 陣所へ帰りける