仮想空間

趣味の変体仮名

ひらかな盛衰記 第二

 

 読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-696

 

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   第二
鷹は水に入て芸なく 鵜は山に有て能なし 筋目有侍も世事には疎き町
住居 削る楊枝さへ細望姓(ほそもとで)しんく果もじ身すぎ楊枝 商売磨やうじの看
板 猿もくはねど高楊枝 浪人とこそしられたれ 此家の家主門口から 暮迄精
の出るは急な誂へ物でござるか コリヤお家主様 けふは何事がおこつてやらちよこ/\お出 ムウ聞へた
晦日(つごもり)前なりや家賃の催促 私も油断は致さぬ 此楊枝仕立てて先へやれば 其値
で家賃は野々山 跡の月の残りも受取次第上ませう いや催促斗にくるでもお

じやらぬ楊枝斗削ては埒の明ぬ身代 取付きから知ているなじみのそなた はかの行かぬ世
話が笑止さに思ひ付た事も有咄して見たさ来事はきても以前が侍麁相な事は
云出されぬ 是は/\御遠慮迷惑 御懇意の上お咄とは先ず耳寄 早ふ聞たう存ます
ムウ其気なら咄しませう 浪人殿にはよい娘持たれて 木曽殿へ奉公じやと聞ている 此間
の騒動 木曽殿も死めしたりやお娘は浪人ならぬ身代に口がふへては弥いくまい 幸いと
おれがしつた大金持 器量のよいおてかをほしがる 捨金の廿両や卅両は此家主が受合 あぶ
なけもなふ家賃も取る 重一(でつち)打出した仕合ときて見るも充が有 夕部八つ過爰な表を


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頻りに叩き其跡は内へはいり咄ししたは女の声と 相借しやの者がしらしたで扨はお娘と来て
見れば いつもかはらぬ古長持と古親仁 破れ屏風かけべつい 鍋洗ふて待ているに戻らぬの
ヲゝ御存知の上は隠すに及ぬ 成程奉公致させ置た 木曽殿の没落(もつらく)に付 娘が事案じぬ
でもござらぬ 去ながら軍の法で 女子には指もさゝぬ由 又差すやつが有てもさゝれている様な
どんなやつでもござらぬ 親の内はしれて有此桂の里 遅いか早いか戻りませう 夕部門を叩
たは夜通参りの愛宕の下向 又隣の両がへ店と取違へ こちの戸をわれる程叩く 何じやと
表明けたれば銭がほしいといふた故おれもほしいと云かへし笑ふて仕廻たといひければ ムウ夫で聞へた

談合は娘の顔見てからコレ 手に取ぬ咄し充にして 為業(しごと)後れて家賃待てといふまいぞ
咄す内に日も暮た 店の仕廻手伝はふ 夫はお慮外じやおじやらぬ一人してぐはたひし
すりや 店が損ねて家主のめいわく エゝ此猿めが守しおるで売ぬ楊枝もこいつも
内へ取々 店下店上て そこで?門の戸しめて 家賃の夜なべ精出そそや合点で
ござります お娘の事もサア合点 ようお出なされました 家賃も娘も来次第にこちらから
御左右致しませう お出には及ぬと門送りして家主が内へはいるを能見届 立帰つてし
むる門の戸の 日破(われ)ふし穴釘穴より 若しも覗く人もやと筵立かけ古暖簾店の道具で取繕


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サア是で覗く気遣ひない 嘸お気詰り御窮屈と長持のふた明くれば いたはしや山吹御前 駒
若君を抱参らせお筆諸共出給へば 引さがつて頭をさげ 移りかはる世のならひとは申
ながら 朝日将軍の御台若君かゝる垣生(あばらや)に隠れ忍び日かげもさゝぬ櫃の中 若君
の長(をとな)しう出たい共おつしやれずむつかりもなされず よふ御堪忍遊ばした お気晴しにハア何で
お慰みヲゝ夫レよ 店守の此猿まめなにあやかりおはしませ まさるめてたい御寿命と祝ひ
申て指出せば いたいけ顔のにこやかに猿の頭をたゝいつ撫つ 御きげんよげに見へければ山吹
御前の御悦び 何から礼をいはふやら譜代でもない主従お筆に連て親御迄いかいせわに成ま

する 義仲様御さいごと聞よりも同じ道にと思ひしが 遺言も有此若を捨ても死れぬ身
のつらさ 思ひやつてと斗にて跡はつきせぬ御涙 ヲゝ勿体ない 私がとつ様に何御礼 ヲゝ娘よふ
いふた 元来某も源氏の譜代 野間の内海(うつみ)にて相果し 鎌田兵衛政清が弟 鎌田
隼人(はいと)清次と申者 子細有て兄政清が不興を受け 義朝卿の御先途も見届ず 本
意を失ふ痩せ浪人 古主の源氏へ帰参の望 二人有我娘姉のお筆を御前へ指上
千鳥といふ妹を鎌倉へ遣はし 出頭の梶原家へ奉公さすも 帰参の便りと存ぜし所に 思
ひも寄ぬ源氏と源氏の御軍 指当り姉が主人見捨てて出世の望は致さぬ 年こそ寄


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たれ心一ぱいお力に成申さん ヤア夫に付き 木曽殿の御内に四天王の随一と呼れし 樋口次
郎兼光 討死とのさたもなし 存命でいるならばみだい若君引受て 世話致すべき樋口が
安否 お聞及びなされずや さればいの 樋口次郎は多田蔵人を攻ん迚 河内の城へ向ひしが
其後はいなせも聞ず 世につれる人心頼みに思ひし樋口にさへ見捨られたる親子の者 自が身
は厭はぬ何とぞ若をもり育て 二度世にもあらせて下され 頼は隼人一人ぞと又泣しづむ
御ふぜい お筆親子も諸共に しぼり兼たる袖袂げにや至て悲しきに膓を断つといふ
猿の楊枝や曲者ぞと 梶原が郎等番場忠太家主に案内させ 聞耳立る

表はひそ/\内には忍ぶないじやくり扨こそ知れたと打點頭 門の戸あらく打たゝく 隼人驚き
是は又家主はいらせては事やまかしと 欠(あくび)交りの声しはぶき うまうねている所を誰じやい
の 用が有ならあしたござれと ねざめの体にもてなせば いやおれじや家主じや ヲゝ其家主
合点じや 夜夜半迄家賃の催促 夜が明次第誂への楊枝先へ渡し 銭受取て急
度済ます 起きるのが大さうなあすの事にと云つゝそつと指足して 戸口の透間を窺ひ
見れば 表に捕手のあら者共すは打入ん屹相也 なむ三宝あの大勢 外に落る道もなし
とやせんかくやと胸も心も砕くる斗 門の戸猶も打たゝく ヲゝ夫よ/\よき思案と 娘が耳


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に口指寄せ 若君のお小袖をコリヤ かふしてな 其跡は かう/\/\と しらすれば打點き 破れ屏風
引立て 若君みだい諸共に身拵へする其中に 隼人は戸を明お家主 何事でござりま
すとぬつと出ればそれとかけ声番場が家来 十手ふり上おつ取巻 アゝこれ/\/\ 聊爾なさ
れな ヤア聊爾とはのぶといやつ 木曽が女房小伜かくまふたに紛れなく 主人梶原の下知を
受け番場忠太が捕りにきた 尋常に渡せばよし さなくばぶつてぶちすゆる コレ浪人殿もぐ
叶はぬ かくまふた子をあなたへ渡せば御褒美を下さる いぢばらるゝと楊枝の様な
其腕が 背中へ廻つて青細引 家主の過怠にそなたの飯を運ばにやならぬ 家賃取ぬ

其上に そふ成ては家主めつきやく サア早ふ渡されいと 歯の根も合ぬ震ひ声 いや
家主のなんぎより指当つて此身が可愛 若君を渡しましよ 迚もの事にかうなさ
れて下されぬか イヤかうとは細言(こまごと)願ひあらば早まき出せ アノ物でござります 仮初にも
娘が主人 取て出しては此頬が世間へ出されぬ 私も立何我も立了簡は何かなしに爰
には置れぬ 出て行けと追出します 皆は表に隠れてござつて此内を出る所 彼の若君を引
たくつて 女ゴにはお構ひ有まひ すりや娘も助かる そこもかしこもよい様に御了簡頼
入ると 手をつけば忠太點き 夫程の義は宥免をしてくれう かくまふた者共早ふ


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出せ 家来共は提燈かた寄せ物音すなと 其身も小かげに立忍ぶ 隼人は悦び内
に入又囁いて親子が談合 わざと表へ聞する大声 ヤイ娘 親を充に思ふても吟
味が強い 背中に腹はかへられぬ 主人の供してとつとゝうせふ エゝとゝ様そりや聞へぬ 他
人でも義理はしる 娘の主人を出て行とはどうよくな事斗と 声には泣けど目に泣かぬ
親子が狂言 表にはすは出をるかと待受る 番場忠太が腕まくり 内には隼人が 心
付け笠取てやり杖渡し なんぼ吼ても叶はぬ/\ 出ていきおれといふては旅の用意のゆ
たん 渡してはヤレうせいと いふてはきせるたばこ迄 残る方なく取持せ あれ/\しぶとい吼づらと

二人を門へつき出せば待ちに待たる番場忠太 山吹御前を引とらへ ヤこいつは手ぶり次のめ
らうが抱ておる 此伜めとかいつかむ こは情なや渡さじとあらそふお筆が手をもぎはなし
若君を奪ひ取儕も供にといふ声に のふ恐ろしやお助け有れと 山吹御前の御手を取
こけつまろびつ落て行 やれ/\嬉しや家主になんぎもかゝらすお手に入ておめでたい
ちつぽけな形(なり)をして結構な物着ていると いふに番場も心付き こいつごねたか しやち
ばり返つて木ほせの様な小伜と 提燈取寄せとつくと見 ヤア駒若じやないこりや猿
松 見せざらしで恥さらしたにつくい浪人 ふんごんでぶち放せと一度にとし込む門口の 小脇に


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隼人は隠れいて 捕手とやりこし入かはり ずつと出て表の戸 外より引立?手早くえび錠
おろす 内には転手に畳を上げすのこの下から長持の 底迄たゝけどこりやおらぬ ぬけ道は
なし ムウ扨は門へと引かへす 表の戸口は外から立て切 忠太主従家主まじり コリヤどふじや/\
と うろ/\うろたへ爰明よと 内からたゝく門の戸の外に隼人が心地よく コレ家主 家
賃せがむがめんどさに家を明て今行ぞ 楊枝やが猿ぢえは儕等に置みやげ 若
君は爰に抱ていると 内懐よりお顔を出し 御運つよきにこやか顔見せたけれ共マアなら
ぬ ゆるりとそこにけつかれと 山吹御前の御跡したひいつさんに落て行 ヤア耄(おひぼれ)め遁す

なと 番場主従声々に門の戸ぶちわり店ふみ砕きいづく迄もと追っかくる 跡には
家主口あんごり コリヤさゝほうさにしおつたな 家は砕かれ家賃は取らず エゝ儘よ百貫
のかたに猿一疋 こいつめに着物きせ 爰をさるとは秀句じやの さる迚はよふしおつた さる
てんごうとは思はれぬ 儕楊枝やめ 力こぶ楊枝出さば出せ 家賃をとらで置べきか
と 跡をしたふて「急ぎ行 げに武士(ものゝふ)の ならひとて夫は都の軍場(いくさば)につまは東(あづま)の
留主住居 梶原平三景時が屋敷には 嫡子源太景季が誕生日の祝
ひ迚 上段の床に兜鎧をかざり立て 敵にかちんの備へ物 御神酒の三方熨斗


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昆布 取々運ぶ其中に 千鳥といふ鎌田隼人清次が乙娘 親の出世の便りに
と望有身の宦(みやづかへ)友朋輩にも憎まれぬ 顔容より心迄愛嬌有てかは
いらし サア/\奥様の云付の通り お備物も残らず揃ふた 此障子をかうしやんと立て切
ともふ仕廻 アゝ嬉しやと云ければ ヲゝそなたは取分け嬉しい筈 何がな御用聞たがりや
る若旦那の誕生日 都の軍も勝じやげな どうかかうかとお案じなされた母
御様より 百倍増倍心がいそ/\千鳥様 ハテ此お館に奉公する身嬉しいにkはりは
ない イヤかはりの有証拠云ましよ 若旦那のお立の時 長い別れにならぬ様にめで

たう凱陣遊ばし お顔見せて下さんせと 涙かたてに抱つきやつたを見ているに
隠すが憎い擽(こそぐつ)て白状さしよと立かゝれば のふ誤つたとこらへて下され 心安
い朋輩中隠したには訳が有 よい事には寸善尺磨と 弟御の平次景高様
此千鳥に惚た迚くどかるゝ其つらさ わたしは兄御の源太様にと そふもいはれぬ日頃
の気質 こんなけびらい聞かすがいなやたまらぬ/\ かんまへてさたなしにと 咄の中の間の
襖そつと押明 病の床より立出る梶原平次景高 一重帯に大脇差伊達紙
子大広袖を打かけ ヤアあたやかましいめろさいめら 母人の伽はせないで何をほざく 奥へ


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うせふときめ付られあいと一度に立て行 コリヤ/\千鳥 そち斗はこゝい居い いや私も
お袋様の傍へ と云てはづそふでな そりやならぬ 願ふてもない上首尾 サアこいねま
へと手を取ばふりはなし お前には御病気故 親御様のお供もなされず おるすに残つて御
養生の最中 夫レにマアおねまへとは お傍に居るさへわたしはこはい ムゝ病人とは無粋な
業呑むは仮令(けれう)の見せかけ 鼻も引ぬ達者な平次 フンすりや煩ひはなされぬか ヲゝうそ
じや そりやなぜに なぜにとはよそ/\しい そちをおれが手にいれうで 邪魔なわろ達
京へ登し うまいるす事せうでな 作兵衛と出かけた心中男 君よ憎ふは有まいがな サイナ

夫程迄わたしが事 思召て下さりますを忝いと云れぬは 京に居られますとゝ様は
鎌田隼人清次と申て 源氏譜代の家来筋 頼朝様へ帰参の望 御出頭の此お家
御奉公致しまするも 折おあらば右の願ひ申上たい下心 お袋様の赦しもないにお前の仰に
随へば いたづら者とお隙の出るは定の物 さすれば親の望も叶はず爰をよふ聞分けて ヤア
だまれ千鳥 赦しが出ねば随はれぬといふ者が 兄源太とはなぜねた いやわたしは いやとはど
こへ たつた今儕が口から よい事いは寸善尺魔と ぬかさぬ先から知てはいれど 云出して
は物がない ハテ儕さへかうといや 兄のわけてもいたゞく合点 かう底を打わるからはいやとは


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云さぬ 手も足も引くゝつてむりやりに抱てねる サア応といふかいやといふてくゝらるゝか
どふじや/\と肩口とらへ手詰に成て動かさねば コレ無体な事なさるゝと平次様の
病は嘘 作病でござりますと大きな声で云ますぞへ 夫いふてたまる物か いふなな
らこゝ放して 放しては恋が叶はぬ そんなりや云ます いや云はさぬと口に手をあてせり合所へ
都より急用有て横須賀軍内 只今下着と打通れば 平次恟りエゝ邪魔な所へ
と うろ付く隙をそつと抜け千鳥は奥へ逃て行 景高居直り ヤア軍内 急用と
は気づかはし様子いかにと尋れば さん候御惣領の源太殿 鎌倉へお返しなさるゝ其義に

付て 奥様へ親旦那より御内意の此文箱 先へ参つてお渡し申せ 畏つたと急ぎの道中
川々の水に隙取て漸只今 源太殿にも追付お着き 何じや兄貴が戻る エゝ夫ではこつち
の工面がちがふ 何角に付てめんどいわろ 何の為に帰さるゝそちやしらぬか 成程知ておりま
する 其様子はお前の御果報 今度宇治川の先陣 佐々木四郎に高名せられ 源太殿
は後(おくれ)を取京中の物笑ひ 何が手ひどい親旦那御機嫌さん/\゛ 京で殺せは恥の上塗
鎌倉で腹切せ汝をやるは検使同前 必手ぬるく致すなときつと仰付られた 惣領殿
を仕廻ふてやれば 御家督は指詰お前めでたうは思さぬか めでたい/\ 結構な吉左右能


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しらせた 委しい事は奥で聞ふ 先其文箱を母人へと打連てこそ入にける 時もあらせ
ず表の方 若旦那の御帰国とざゝめく声々 梶原源太景季鎌倉の風流
男 戦場より立帰るえぼしのかけ緒古実を正し大紋の袖たぶやかに座敷へ通れば 母の延
寿何源太が帰りしか いづらや/\と立出給ひ ナフ源太 頼朝卿の御運つよく木曽殿を
亡し給ふ 範頼義経両大将を初め参らせ 誰々も恙なしと聞つるが 顔を見て落付き
ました 仰のごとく木曽の狼藉早速に切しづめ 押続いて西国表平家の大敵
攻亡し 法皇の宸襟(しんきん)を休め奉らんと 攻支度の評定取々 父にも益々御勇健 先は

かはらぬ母人の御有様 拝し申て祝着と慎で述ければ いやとよ源太 跡は未だ軍なかば
そなた一人帰されしは心得ず 父御の仰は聞ざるか いや何共承はらず 鎌倉へ立帰り子細は
母に尋よと 仰も辞(いなみ)がたければぜひに及ず罷帰る 母人の御方はいかゞ申参りしやらん
覚束なしと窺へば ヲゝ軍内が渡せし文箱 是見よ封もなだ切ず 心元なや披きみ見んと
ふた押明る其隙に 千鳥は恋しい殿御の顔守りつめても親子の中 包む恋路のやる
せなさ 申源太様常さへ旅は憂き物に たんと御苦労なされしやらお顔のほそつた事は
いな お気もじ悪ふはござりませぬか ホゝしほらしい そちが問ふで気が付た 身が発足の時分


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には弟平次病気で有たが本復をしめされたか アイナ本復やら 達者過て
めいわくを致します 夫レは一段どこにおやる対面したい イヤ兄者人 平次是に罷有ると 一間
の内よりのさばり出 先何角指置きて聞たいは 宇治川の先陣 見事な高名遊ばしたで
ござらふの ヲゝ此源太が身に取ては 過分なる今度の高名 何高名とはコリヤ珎らしいお咄
なされ承らふ ホゝ語つて聞さん承れ 去程に義経の御せい 都合二万五千余騎
山城国宇治の郡に押寄る 頃は睦月の末つかた四方の山々 雪解して水倍増りし
彼大河 宇治橋の中の間引はなし 向ふの岸には乱杭逆茂木すき間もなく 甲(よろふ)たる
 
武者五六千川を渡さは射落さんと 鏃を揃へて待かけたり かゝる時節に渡さずば い
つか誉を顕はさんと 我君より給はつたる磨墨(するすみ)と云名馬に泥隙(あをり)はづしてゆらり
打乗り 名に橘の小嶋が崎より逸散に かけ出せば つゞいて跡に武者一騎 春のあしたの
川風に さそふ轡の音はりん/\ 誰ならんと見返れば古歌の心ににたるぞや おぼろ/\と
白玉の霞の隙よりかけ来るは 佐々木四郎高綱 馬はおとらぬ生唼(いけずき)磨墨 二騎相
並んでざんぶ/\と打入る コレ兄じや人 是迄は咄しもならふ 是から先が勝負の肝文 自身
には云にくかろ兄弟の佳(よしみ)平次がかはつて咄さうと いふに千鳥が聞急て 兄御様の高名咄


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横合から腰からずとだまつて聞て居さしやんせ ヤアいやらしは肩持な われには構はぬ
今の跡はかうであろ 佐々木は聞ゆる剛の者 兄貴は知れたぬるま殿 ついに佐々木に
乗負けて いや/\/\何のあなたが負給はん しらぬながら千鳥が推量 敵は川を渡さじと
水底に 大綱小綱十文字に引渡し 駒の足を悩ませしに 頓智の源太景季御太刀
を するりと抜給ひ 大綱小綱切流し/\なされたでござんしやう ヲゝ千鳥がいふに違ひなく
綱を残らず切払ひ佐々木が乗たる生唼に 一段斗乗勝たり アレ聞給へ負けはなさ
れぬ アゝ嬉しや夫聞て痞へがおりたと悦べば 平次頭を打ふつて 某佐々木に成かはり一問

答仕らん 其時高綱大音上 コレ/\景季馬の腹帯が延び候 鞍かへされて怪家有る
なと声をかけたで有ふがの ホゝ委しくも能知たり 某はつと心付き 弓の弦を口にくはへ
馬の腹帯に諸手をかけ 引上ゆり上しつかとしめる コレ/\夫レがうつかり延びぬ腹帯を延
たといふは こなたの鼻毛を見ぬいた計略 うぢ/\めさるゝ其隙に さつと佐々木が打ち渡
つて 宇多の天皇九代の後胤 近江源氏嫡流佐々木四郎高綱 宇治川
の先陣なりと呼はりしは 天晴手柄こなたは大恥 みぢんも違は有まいがと 倍(かさ)にかゝつて恥し
むれば 源太は黙していらへなし 傍からハア/\/\/\とあせる斗に女ゴ気の 何とせんかた泣千鳥 平


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次景高せゝら笑ひ どいつおこいつも吼づら ハテ気味のよい事の コレ母者人 惣領の恥か
き殿を しまへといふて来ませうがの 其状おれにも見せさつしやれと 指出す腕を擲
のけ コリヤ此文は母への名充 何が書て有ふと儘そちには見せぬ 母を指置き出しやばるな
と 呵る声さへおろ/\涙又くり返す文体に 心をいさめおはします エゝ子に甘いも事に寄る 生け
て置程親兄弟の面よごし コレ爰な腰抜殿 せめては親の催促待ずてこにようと
思ふ気はないか 夫レも成まい 世間は切腹したにして其首刎て埒明ふと ずはと抜て
切かゝる刀の鍔際むずと取 兄親に対し尾籠の振廻 腰抜の手並腰骨に

覚へよと 引かついでどふど投付 起しも立ず刀の背(むね)打りう/\はつしとぶちのめせば あい
た/\と顔しかめはふ/\逃てぞ入にける コリヤ/\千鳥 源太が母へ申上る子細有 次へ参
れと人を除け かく申さば景季が命惜むににたれ共 ゆめ/\助かる所存にあらず 此度宇
治の合戦前 父にて候平三殿軍の勝負を試みんと 御赦しもなき的を射損じ 其矢
が計らず大将の御白籏に当りしは 味方の不吉父の不運 申訳立がたく切腹に極りし
を 佐々木四郎が情によつて君の御前を云直し 父の命を助けたり 其場に某有合
さず跡にてかくと承り 佐々木に逢て礼をと 思ふ間もなく早合戦 宇治川の先


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陣は我も人も望む所 有が中にも川を渡すは佐々木と某 なむ三宝父の為には恩有る
佐々木 此人に乗り勝ては侍の道立ずと 心一つに了簡定め 先陣を彼に譲り
手柄させしは情の返礼 後れを取し某は元来(もとより)覚悟の上なれば 恥も命もちつ共厭ず
先陣の高名におさ/\おとらぬ孝行の 高名と存ずれど白地(あからさま)申されぬは 武士と
/\の誠の情 父の為に捨る命お暇申母上と 指添に手をかくればやれ待て源
太 それ程知た身の言訳 父御へはなぜ云ぬ いや言訳を仕れば 佐々木が手柄を無に
する道理 據(よんどころ)なく母上へ申上しも本意ならず 死後とても此事は御沙汰なされて

下さるな いや/\夫は若気の了簡 今死では忠孝にならぬぞよ こは仰共覚へず
義を知て相果れば忠も立 いや立たぬなぜといへ梶原の家は坂本の八平
氏 其氏を名に顕はす 平三殿の惣領のそちなれば 名をば平太といふべきを 源太と
付しは忝くも征夷大将軍 源の頼朝卿石橋山のふし木隠れ 危き御命助けられし
平三殿を命の親と宣ひて勿体なくも家来の子を兄弟分に思召され 源の氏を
給はり源太となのらせ 源氏嫡流の御召有り 産衣といふ鎧迄下されたえぼし子 爰
をよう合点仕や 今命を捨ててはな産みの親への孝行は立ふが 烏帽子親の我君


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へはどの命で御恩を送る 主なり親なり忠孝が立たぬとは 爰の事をいふはいの イヤ
其御恩をわすれは致さぬ 烏帽子親とは憚り有 主従は三世の契り生きかは
り死かはり 君に仕へる侍の魂 ヤレ情ない三世の契りのお主には未来でも逢
れうが 親子は一世此世斗で又逢れぬ 母を置て死ふといふ子もどうよく 殺せ
と書て送られし連合いは猶どうよく わるい子でさへ捨兼るは親の因果 まして
健気な子でないか 虫けらの命でさへ科ない者は殺されぬに ちりあくたかなんぞ
のやうに心やすそに捨よとは 父御斗の子かいのふ母が為にも子じや物を 問ひ

談合に及びもせず軍内を検使にやると 逸徹短慮な此文体見るも
うらめしいま/\しと ずん/\に引さき/\口に含んでかみしだき 夫を恨み子をかこち
わつとさけび入給ふ 母の慈悲心きもにめいし六根五臓をしぼり出す な
みだもあつき恩愛の親子の歎きぞ道理なる 横須賀軍内憚りなく
つつと通り 親旦那の御状御読みの上は申に及ばぬ 某は検使の役 サア源太殿
腹めされとにがり切ていひ放せば ヲゝ覚悟は兼て極めしと 身づくろひする所
を母は立より取てふせ ヤアどこへ腹とはそりやならぬ 恥かいた人でなし大小もいで


38
あほう払ひ手うるい爺御の指図より きびしい母が仕置を見しよ 誰中
間共が古布子持てこい 早ふ/\と呼声にあつとこたへて平次景高 古わん
ぼうひつさげ出 申母人 此布子どふなさるゝ どふするとはしれた事 こいつめに着
せかへて門前からぼつぱらへ それこそ望む所よと無法の主従立かゝり 転
手にもぎ取太刀烏帽子 たゝき落されおつぽろ髪 素襖袴の帯紐
も引しやなぐるやら引切やら 上着中着の綾錦古わんぼうにきせかへさ
せ 腰にくひ入縄帯しめ付け おれをさつきに投おつた 礼は平次がおすね

でいふと 縁より下へ踏落とし さつても気味のよいさまのと一度にどつと打笑ふ
源太はかはりし我姿の 恥も無念も忍び泣 母は我子を助けん為人まへ作る
皺面(じうめん)顔 いかなぎせいもにが口も詞と心はうら表 命がはりの勘当じやと思ふて
かんにんしてくれと いひたさつらさ泣きたさを胸に包めどつゝまれぬ 悲しい色目
さとられじと ヤア皆の者があのざま見て おかしがるので母もおかしい あんまり
笑ふて涙が出る ハゝゝゝと高笑ひ泣くよりも猶あはれなり 千鳥はかくと聞よりも
有るにもあられずはしり出 かはりし源太がうき姿二目共見もかず おどうよくな


39
母御様 勝も負けるも軍のならひ 誰しもかうした不覚は有る物 父御様から殺
せと有をお詫言はなされいで あほうばらひの勘当のと是がほんのてゝ打
母打 二人の親御に憎まれて源太様のお身がどこで立つ あれ程むごうな
された上はもふ堪忍して上まして下さりませいと斗にて かつぱとふして泣わ
ぶr ヤア此母が采配 こしやくなそちが何しつて コリヤよう聞け 源太めがあのざまは
弟への見せしめ あの恥を無念と思はゞ 西国へ攻め下つて平家を亡し 手柄して
我君の御用に立は ナ勘当はせぬ ナ平次ナ心得たか 必ず手柄を得ている 母が

詞をわするゝなと弟が事にいひなして兄をはげます詞のなぞ/\とくより母
の御慈悲とは しる程おもき源太が額土にすり付泣居たる 平次景高
したり顔 コリヤ千鳥なんぼ吼ても叶はぬ 是からは分別しかへ 泥坊めが事思ひ
切おれが云事聞さへすりや 母へ願ふてコリヤ奥様じや 嬉しいかと せなか擲けばエゝっけ
がらはしい聞ともない 憎まれ子世にはゞかると 何所迄はゞかりなされうがいやじや
/\わしやいやじや ヤアしぶといめらうめと掴みかゝるを母押のけ 何じや千鳥と
源太が狂ふている エゝ年よりひねた徒者 こいつはおれが仕様が有る源太めを追


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まくれと千鳥を引立奥に入 コリヤ軍内 下部共に云付けきやつを早ふまくし出
せ イヤサおせきなさるゝな 母御の仰はとも角も某が存るは コレかう/\と平次が
耳に吹こめば ヲゝそふじやよい分別と 二人白洲に飛おり/\声をもかけず抜
討に 源太をめがけ切付るさしつたりと引ぱづし かいくゞる身のひねり軍内が
諸ひざかき のめらす隙を又切かくる 平次が刀もひらりとはづし ひつ掴んで
もんどりうたせ 二人を踏付け立たるはこゝちよくこそ見へにけれ ヤア平次千鳥が事
を根葉に持 兄に敵対畜生め 今踏殺すは安けれど わるい子迚も

捨られぬと 母のお詞聞捨られず助け置く 源太にかはつて孝行に仕れと
ゆん手にさし上くる/\とふりまはし 七八間打付れば からき命をたすか
りて跡をも見せずにげて行 ヤア軍内 親共からの使いなれば儕もとふ
も殺されぬ そこを源太が了簡して 殺してしまふ仕様はりう/\これ見
おれ うぬが刀でうぬが首 ころりと落すは自業自得果 源太は殺さ
ぬ手斗うごくと いふより早く首と胴との生別れ 親子の別れ今一度
母の御目にいや/\/\ 仰に随ひ平家の戦ひ 四国九国の果迄もぼつ詰/\


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高名し 其時お顔を拝んづと思ひ諦め立出る うしろの障子さつとひらく音
に驚きふり返れば 母はすつくと立ながら 源太が方へは目もやらず 四国九国
の合戦も素肌武者では手柄が成まい 勘当した子に持て行と教は
せぬが 頼朝卿より給はりし産衣の甲兜(よろひかぶと)誕生日の祝儀迚かざらせて爰に
有 我物を取て行に 誰が否といはふぞ但はいらぬか 主もない此鎧早取かけ嬪共
女共はどこにいる こいよ/\と呼はり/\入給ふ ハアゝ重々深き御憐愍忝し/\と かけ上
つて甲兜を取のくれば 思ひがけなき具足櫃よりずつと出たる嬪千鳥 ヤアそち

爰に何として サア是も母御様のお情 不義をした科で此箱に入糾明さ
す 其跡は隙をやる いきたい方へ連立ていきおれと おじひ深い御了簡 何母人が
ハツアハゝゝゝ有がたや冥加なや あたに思はゞ逆罰(さかばち)受けん恐ろし/\是より直ぐに此源太
が恥辱をすゝぐ合戦の首途(かどで)お暇申奉ると母の方を伏拝み/\おまめで
ござつて下さりませと いふも尽きせぬ別れの涙 しぼり兼たる袖のまふかき御
恩をかうむりしは 身一つならぬ友千鳥なく/\出しが又立どまり ふりかへ
りては親と子の はてし名残のうき別れよき世に うき身かこつらん