仮想空間

趣味の変体仮名

一谷嫩軍記 第三(含熊谷陣屋)

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-01008


43(左頁)
   第三
世にあらば又かへりこん津の国の御影の 松と詠置し 一木と供に年を
経し額の黒痣口くせに 仏の御名を唱ふれば 白毫の弥陀六と 人にしられし
石屋有実交りも信心の同気同行相求朝暮勤る看経(かんきん)の 責念仏
の終りには 諸国諸山に建置し石塔に有我名の数も限りもなむあみだ 願
以此(し)功徳平等の回向の声も殊勝なり 日暮紛れに門口へ連立てくる
石屋共 親父殿内にかといふ声聞てずつと立出 ホウ同行衆ようござつた けふは


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大分閙(いそが)しさに為業の形で直に看経たつた今仕廻た サゝあがらしやれなむあ
みだ/\ イヤこれ弥陀六殿 今夜は数珠つりの数右衛門が逮夜 百万遍申に
よつて誘ひに来ました ほんにそふじやどりや参りましよ コリヤお岩また彦助は戻
らぬか コレ娘が起たら薬あたゝめて飲せ 若し石塔を誂さしやつたお若衆が見へ
たら戻る迄待して置サア/\ごされちやつと念仏かき込で夜食を申そじや有ま
いか ヲイ/\仏も百味のおんじき こちもなら菊の御食せう じよさい仏法念仏 門念
仏を口々に打連てこそ急ぎ行 跡へ下人の彦助が?の先にぶら/\と網縄引かけ立

帰り ヤレ/\しんどやお岩殿方も腕もめり/\いふは ヲゝ道理/\嘸草臥そして石
塔は建ましたか イヤまだ建てはせぬが おりや内に用があろと思ふて先へ戻つたが旦
那殿は奥にか イヤ/\同行中に百万遍が有て参らしやつたはいの ホゝウそんなら幸 此
間に雪様が病気しや迚引こんでござっるは 彼石塔と誂さしやつたお若衆に 恋
煩ひと見たは違はぬ 旦那の耳へ入ぬ内異見せうじや有まいか イヤそりやわしも
如在はない 此間からいろ/\といふてもいかなく 此恋が叶はねば井戸へ身を投るの首し
めて死るのとこはい事斗いふてじや ホウそりやいやなこつちやの ハアそんならかうじや


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たつた一度で思ひ切しやれと とつくと合点さしていつそ逢そじや有舞かハテもふ
せう事がない幸今夜お若衆が見へる筈じやが 其間に旦那が アゝ何のいの百万遍
ならちやつとじや有まい マア娘御に其訳いふて工面さつしやれ おりや寝所で彼時分
独り角力を取ましよと云つゝ勝手と奥の間へ 別れてこそは入にけれ 既に其夜も
丑満の 風しん/\と更渡り いと物すごき時しもあれ ねとりの声の哀げに ほの聞ゆ
ればいとゞ猶 心ほそさといぶかしさ 小雪は部屋を立出て 灯火かゝげ窺へば 門の戸ほと
/\打たゝき 頼ませう/\といふ声はまがふ方なきお若衆様 ヤレ嬉しやと飛でおり 戸口

を明てようこそお出 サア/\こちへと伴ふて 下に居る間も胸せかれ顔は上気のは
ぢ? 指俯いてもじ/\と 挨拶も出ぬ其内に お岩か聞付走出 是は/\お若
衆様今日お出の約束故只今迄待ましたが なぜ更けてお出なされた されば手前は少し
様子有て人目を忍ぶ者なれば 昼は勿論夜迚も密な時刻を心かけ 態と只今参りし
が先達て誂置た石塔が出来ましたら 彼の地へ建て貰たさ 先御亭主に逢
ましたい イヤとゝ様は只今留主でござりますが おまへがお出なされたら待せまして置
様にとナフお岩 アイ申付て出られました 帰られます迄名代は此娘御 お咄の相手にし


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てうつつ答つやつつ返しつとかくお心あふして進ぜて下さりませサア/\奥へとすゝむれば 然ら
ば左様致さんと 何の心もつい立て 一間へ通る後かげ 見送るお岩が手を打て テモ扨も能
器量 あの様なお若衆は日本国を尋ても今一人と有まい 惚さしやんすも道理
/\ したがコレ小雪様うろ付てござる所じやない ちやつといて教た通り何かなしにあたま
から抱付てこけたがえいぞや 夫も上へならぬやう下から随分あしらひなされ アレまだう
ぢかはもどかしや サア/\早ふとむりやりに 押やり突やり跡ぴつしやり アゝ世話やのどふやらかう
やら首尾なつた 是から休もと儘なれどたつた一重の壁ごしに 隣の餅搗聞やうで

寝られそむないよさりじやと いひつゝ勝手へ入跡へ 小雪は立出興さめ顔 テモめん
ようなお若衆様 慥に奥へイ菓子やんしたかかいくれ姿が見へぬはどふじや ふしぎ/\というろ/\
きよろ/\尋る内 こなたの障子さつと明 イヤ爰に居ますはいの 是はしたり意路の悪い
いつの間に抜なさつた 人の思ふ様にもない心づよいお方じやと 云つゝ傍へ指寄ば飛しさつ
てアゝこれ/\ 始終の様子を見聞に付け ?しき人の志 嬉しいとは云ながら 我身は深き様子有て
仮にも妹背のかたらひをなす事叶はず 縁なき事は前生(さきしやう)の 約束ならめと諦めて思ひ切て下
されと いふも遉に気の毒の 打しほれたる其風情 小雪ははつと力を落し 譬様子が有


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迚も 是程に思ひ詰心を尽すかいもなく 情なうもふり捨ていやとおつしやりや生て
は居ぬ むごい難面お心と恨歎けば いやとよ恨は去事ながら 逢は別れの初といふ譬に
洩れぬ我身の上 頼置たる石塔が今にも成就してあらば 再び此家へ来たらぬ故逢見る
事も叶ふまじ 只儘ならぬは世のならひはかなき者は人の身の 一生は皆夢と思へばさのい迷
ひも有まじ 去ながら今を限りの別れといへば 誰しも名残惜い物 若しも恋しき折からは 心の
いさめ共ならん いで/\筐に参らせんと 錦の袋押ひらき青葉さかへし笛竹を 渡す心も
あぢきなく戴く身にもさながらに道理に向ふ矢先はなく ひよんな事じやといふより外詞

も 涙にくれいたる 折から道々口くせになむあみだ なむだみだ六逮夜よりいきせき戻り門
の戸を 明い/\と打たゝけば あいと奥から返事してお岩がかけ出 旦那様のお帰りそふなコレ小雪
様 折角恋になされたあなたを 此儘で思ひ切おまへの心がいかにしておいとしほい せめてもの心ゆかし
此間にちやつと抱付なされとむりに押やり庭におり戸口を明 ホウ旦那様早かつた 何の早かろ
百万べん/\と跡の咄しで斗方もなう夜が更た なむあみだ/\お若衆はござつたか サア
其お方はどふじや/\ サアさつきに見へたけれど 恥しかつたか門口でうちかは/\はいりにくそふにして
で有たを もどかしがつて娘御がついはいらしなされたはいな ヤゝ何じや娘がもふはいらしたか アイ なむ


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あれ/\ ヲゝ旦那様とした事が悪い聞やう 此門口いござつたを内へはいらしなされたといふこつ
ちやはいな ハテそふしつかりといへばえいにどふやら紛はしかつたではつと思ふた どりやお目にかゝろかと
ずつと通つて是は/\ 嘸お待遠にござりましよ 扨お誂の石塔 今日の約束なりや
夜を日についで漸出来し 今朝から若い者等に運ばせたが 大かた建たてござりましよ
それは嬉しやいかい世話でござつた イヤ世話は家業じやがお気に入たらこちも仕合 マア
御らふじて下さりませ 成程/\同道して参りたい そんならお供致しましよと 立て用意
を取急げば コレ/\とゝ様わしも一所に行たいはいな そりや何で ハテ石塔の恰好見に ハテ扨わけ

もない何のわれが見る事ぞ 爰やあそこの所じやなし殊に夜道じや あほういはずとせと
門しめてよう留主せい コリヤお岩 そちも傍から随分気を付誰がこふ共かんまへてついは
いらすなよ 合点かサア/\お出と打連立急てこそは出て行 月もさやけき夜もすがら 四
方の景色もすみのぼる 光りを覆ふ雲ならて雀のやどりかげくらき 松の林に風
あれて 汀の波のおのづから音もはげしく打寄る 高根にひゞく山彦は とう/\さつと布
引の瀧の しら糸たへずと人の とへばかなたと五百崎(いをさき)につゝく 藪池村里も 急て?(とう)
利天上寺 麻耶のお山をめてに見て 行く道筋も 直ならぬ脇の浜辺や礒伝ひ


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神戸も跡に湊川流るゝ水の淀ならば爰も継橋かけ渡す舟を守りの神垣や
森もしげみて置く露の 垂水の里も早過て行ば 程なく上野山一の谷にぞ着け
るが しのゝめ近き横雲のたなびく空も青々と 枝葉しげりし松かげにつつくり立た
御影石 遠目にそれとみだ六が 走り寄て是じや/\ 先達て遣はされた所書きに合せ 若い者
等に云付たりや建てはたてたがちつくり笠にふりが有と 押直してためつすがめつ サア恰好
見て下さりませ何とようござりませうがや 是からくるひのない様に?(とめ)を合すは漆喰
と懐より蓋物取出 重ねの際々塗る所へ山畑かせぐ百姓共鋤鍬かたげどや/\と

通りかゝつて ホウ石屋の親仁殿か おいやいこりや皆とうから精が出るな イヤこちとらよ
りこなたがとうからあぢな所へ石塔を建さしやつたの ハテあの人は業為(しやうばい)じやによつて どこ
で有ふが持運んで建ねばならぬが 誂へ手が怪有なやつじやの アゝこれ/\むさと麁相云ま
い 其施主人が爰にござるぞ ナアお若衆 我も人も亡者の為卒塔婆一枚立ても三悪
道を遁るゝといふ まして大そふな此石塔をお建なさるは御奇特なお若衆様 結構なお志
でござります イヤこれ親仁殿 お若衆の施主人のとへもないにそりや何いはしやる 何とはわい
ら目かさめぬな アレまたどこに人がいるぞいの ハテこれ爰にハアほんに見へぬは ハテめんようなたつた


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今迄爰にで有たが ハアどつちへござつたな お若衆様/\とよべば供々百姓共 爰かそこかと
尋る所へ 娘の小雪がかちはだし息もすた/\走付 お若衆様にたつた一言いひたい事が有て
きた ちよつと逢して下さんせ イヤ逢して所じやない影も形も見へぬはい コレ親仁殿 お若衆がい
やらねば忽ちこなたの損じやぞや 所を知てか 但先銀(さきがね)でも取て置しやつたか いやてや仁体が能
から所も問ず一銭も受取なんだ ハア夫でよめた 石塔をかこ付に何ぞせしめる下工 扨は
衒に極つた 遠くはうせまいぼつかけんサア皆こい/\と立さはげば イヤこれ/\待しやんせ よもやそんな
さもしい心なお方では有まい 其証拠はわしいやるとて コレ此笛を 貰ふたのか ハアどれ/\ ヤこりや

まあ袋が結構な赤金襴じや 扨笛は生竹でもないが節からちつくり枝葉が有 いか様
是を銭にせうなら百が物は有ふかい ナフ親仁殿 ハテ扨何の銭にならふ夫レも娘が一ぱいくた
のじや エゝこんな事ならあたまで半銀(がね)取て置たら まんざらの損もせまいいあたむごたらしい
めにあふたと 悔むにかいもあら笑止や みだ六がぬかれたと伝へて諸事の誂物 手附を取と
いふ事は此時よりとしられたり 時しも跡の松原より足早にくる女は何者成といふ中に 走り近付藤
の局 コレちよつと物とはふ 舟寺はどつちじやの 教てたもと有ければ ハアゝ夫は是からよつ程遠
いが 見れば賤しうない女中の たつた一人かちはだしで何故寺を尋さつしやる さればわらはゝ様子有て


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跡より追手のかゝる者 しばらくかげを隠さん為と宣ふ中に目早くも娘が持たる袋を
見付 なふそでちよつと見せてたべと 手に取給へば紛ひなき青葉の一管 ヤア是
は我子の敦盛が肌身はなさぬ秘蔵の笛 どふしてこなたの手に有と 聞て
親子も不審顔 百姓共口々に 其敦盛といふ人は此間の戦ひに 源氏の侍熊
谷の次郎が手にかゝり 死しやつたじやないかいナア与次郎 ヲゝ其時にいちらしい玉織と
やらいふ内裏上臈も殺されて居たげなと 聞て御台は ヤア/\/\何敦盛は討れし
とや 福原の館にて母様御無事でおさらばと玉織諸共いさぎよう いふたが此世

の暇乞 長い別れに成たかと 有し事共くどき立 人目も恥ぬさけび泣 前後ふかくに
見へにける イヤこれ親仁殿 合点のいかぬ事が有 死しやつた敦盛様があの笛の主なれば
こなたに石塔誂たお若衆とひとつじやないか いかにも サ其死だ人か来そふな物じや
ないぞや いかにも ハゝア聞へた さつきに爰迄連立てきてあの物のいふ中かきけす様に
見へなんだは扨は幽霊で有たよなと いへば皆々興さめ顔 御台は猶も悲しさの思ひ
いやます御歌 小雪も始終を聞に付け はかない事やと斗にて供に袂をしぼりける
折ふし遥かの松かげよりむら/\鳥の搏(はうつ)がごとくかけくる大勢みだ六が あれこそ慥に


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追手の者 先々あなたを隠すに幸 此石塔の後へと御台の手を取忍ばせて 何と
思やるいづれも追手のやつらが此所をすなをに通ればあなたの仕合 若しも何かといぢ
ばらば 是迄平家の領地に住た御恩の為 一働きせうじやないか ヲゝサてん手に鋤鍬の
むね打くらはせぼひまくろと いふ間もあらせず砂煙蹴立踏立かけくるは梶原が郎
等番場の忠太須股軍平先として 数多引連つつと寄り コリヤ/\百姓共 三十余
の女一人此所へきたで有ふ とつちへ逃たそれぬかせ ハア成程/\ 其女はアレ あの道を横
切に 浜辺伝ひに走つたが アゝもふ二三里も行ませう追手の衆なら一足も早うこ

ざれとせかすれば 扨こそ遁すな皆こいと かけ出すふりにて留り 軍平が耳に口
しめし合せてこかげに残し浜辺をさしてかけり行 跡打ながめサア果じや 此間に早ふと御
台を出し コリヤ/\娘 あなた一人は覚束ない 寺迄送つて内へいね ちやつと/\といふ所へ 思ひ
がけなき木影より須股軍平飛で出 ヤアどこへ/\かう有ふと推量し 忠太が我を残し
置れた サア早ふ御台を渡せ 邪魔ひろぐとかたつぱし そつ首ころり打落す何と/\と
罵れば 百姓共せゝら笑ひ コリヤやい そつ首のそつくいのと わいらがほでの動く間に
うつかりとして居よふかい サア相手仕事じや手早にこいと てんでに鋤鍬大熊手 打て


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かゝれば軍平始め数多の家来も一同に抜連/\渡り合 打あふ隙にみた六がソレ
御台様逃た/\ 娘も逃よとあせる中 元来(もとより)達者の百姓共腕先揃へてから
さほ打 かたはし家来を打なぐり 軍平を追取まき 投たりふんだりけとばしたり寄てかゝ
つて打たゝく 急所にや当りけんうんとのつけに反り返れは ソリヤ死だはと逃行家来 又追
かくるをみだ六が コレ/\待たと呼かへし 御台の難義を救ふ為 ぼつちらす斗でよいにアゝ
死たりや尻がむつかしい コリヤまあどふした物であろ どふといふたら逃たがよいサア皆ござ
れといふ所へ かけつてくる庄屋の孫作死骸見付て扨こそ/\ 一人もちらす事なら

ぬぞや コレ皆よう聞きやれ 今梶原様の良等番場の忠太といふお侍がござ
つて 百姓共が狼藉し家来軍平を殺したる由につくいやつ 残らず引立来るべしと
厳しい云付 アゝひよんな事しておらに迄役害をかける遅なはつたら猶おはい サアおじや
といふに皆々尻込の 中にみだ六すゝみ寄 殺したと聞しやつたは大きな間ちがひ わりや
目かまふて死だのじや 其証拠にはソレ 死骸に一つも疵がない ムウ夫が定ならおらも
嬉しい ドレ/\とからだを改め ほんにどこにも疵はない こりやあつちのが大きな麁相 ハテ
そち達が殺さぬからは何のこはい事はない 此中でよう物いふ者たつた一人いて さつぱりと


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云訳すりや済む事じや ほんいんそふじやハア誰がよかろなァ いやこれ年の功じやみだ六
いかしやれ イヤいく分はかまはぬがおりや口くせの念仏か邪魔に成てとふもならぬ そん
なら此庄屋が指図せう 日頃ちよひくさようしやべる雀の忠吉やらふかい イヤわしや
あんまり口早で何のこつちや訳が知まい 扨はひしやの五太衛門かい おりや声が鼻へ入
ぞ といふて丹兵衛は咽がごろつく 与次郎は歯ぬけ也 指詰又平おいきやれ イゝいや
コゝこちやドゝどもりますはいの ハテ扨其様に譲り合ては埒か明ぬ幸爰に石を運
だ縄が有是で鬮取したらよかろ ヲゝそりやいやおふいはさぬやう此庄屋がしてくると

手早に縄切後でもちやくちやひん握り コリヤ結んだのを取た者がいくのじやぞ サア
とれいもよ ヲツト市かゝどきとりやる西国廻つて是々とてんでに縄先引ぱ
れば ハアゝあたま数よんでしたがコリヤ一筋余つたは ハテそりや親の縄じや庄屋殿とら
しゃれ ほんにそふじやおれがころ サアひけ/\かたはしからいなしてくりよ ヤすつとせい/\ハア
悲しや結んだのはおれじや有た サア庄屋殿いかしやれ/\ イヤ待よ おりやいかふ筈がない
此場の様子を知ているわいらが言訳する筈じや デモ鬮が当つた物 そんなら最一度 イヤ
仕直しはならぬ/\むりいはずといかしやれと 寄てかゝつて引立押立 アイハサツサ是はめいわく ヨイヤサツサ


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待てくれんか ヨイヤサツサ了簡ならぬか ヨイヤサツサあんまりどうよく ヨイヤサツサおつ立ひつ立 ヨイヤサツサ て
ヨイヤサツサ こヨイヤサツサそ「行空も いつかはさへん須磨の月 平家は嶋の浪にたゞよひ 源
氏は花の盛を見る中に勝れて熊谷が 陣所は須磨に一構へ 要害厳しき
逆茂木の中に若木の花盛 八重九重も及びなき それかあらぬか人ごとに 熊
谷桜といふぞかし 花からせじとの制札を読で行人読ぬ人 一つ所に立集り 扨
も咲たり/\ 花より見事な此制札 弁慶殿の筆じやげな 扨も見事一つも読ぬ
アゝあれはの 義経様が此花を惜み 一枝きらば指一本切べしとの法度書き ヤア花のかはりに

指きろとは首切下地ヲゝこはや 見ている中も虎の尾を踏む心地する皆ござ
れと 花に嵐の臆病風ちり/\゛にこそ別れ行 はる/\゛と 尋て爰へ熊谷が
妻の相模は子を思ひ夫思ひの旅姿 陣屋の軒を爰やかしこと尋しが 幕
に覚の家の紋 嬉しく爰と内に入 折節家の子堤の軍次立出 是は/\奥様
か ヲゝ軍次そなたも息災さふな マアめでたい/\ 熊谷殿や小次郎もかはる事はないかの
早ふ逢たい逢うせてたも ハア旦那は今日御廟参 小次郎様は先頃より御前勤で御下
りなし マア/\長の御旅路お労れをお休めと 挨拶とり/\゛なる所へ 敦盛卿の御母藤


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の局虎口の難を遁れきて こけつ転びつ花のかげ 陣屋をめがけて走付 跡より追手
のかる者かげを隠して給はれと けはしき体に驚きて相模は傍へ走寄 見るに見か
はす互の顔 ヤアお前は藤のお局様ではないか そふいやるそなたは相模じやないか テモ
久しやなつかしや お床し様やと手を取てマアこなたへと伴ひ入 したしき体に心をきかし軍
次は勝手へ入にけり 相模はやがて手をつかへ 誠に一昔は夢と申ば 大内に御座遊ばす時
勤番の武士佐竹次郎殿と馴初 御所を抜出東へ下り お前様のお身の上を承は
れば 御懐胎のお身ながら平家の御家門 参議経盛様方へ縁つき給ふとの噂

其折は世盛の平家 御威勢はます/\とかげながら悦びましたに此度源平のたゝ
かひ 御一門もちり/\と聞に付 アゝ此藤の方様は何となされたどふ遊ばしたと 一人苦にして
おりましたに マア御機嫌なお顔を見て おめでたやお嬉しや ヲゝそなたも無事でマア
嬉しい 懐胎で出やつた時の子は姫ごぜか男か 息災で育てて居るかと ちよつと
寄ても女ご同士問つつはれつ年月に つもる言の葉くりかへし嬉し涙の種ぞかし 藤
の方涙ぐみ世の盛衰はぜいもなや 其時に産落したは 無官の太夫敦盛迚
器量発明揃ふた子を 今度の軍に討死させ 夫は八嶋の波に漂ひ 我のみ


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残るうきなんぎ浅ましの身の上と かこち給へば お道理/\ 以前の御恩も有 連れ合に
も語りお身の片付後世の営み お心任せに致しませう以前は佐竹次郎と申て 北
面同然の武士只今にては 武蔵国の住人志の党の籏頭 熊谷次郎直実
と人もしつた侍と 聞より御台は ヤアそなたの連れ合の佐竹次郎 今では熊谷次郎
といふか アイ すりやあの熊谷次郎はそなたの夫よな ハアはつと仕胸の気をしづめ 何と
相模 以前大内にて不義顕はれ 佐竹次郎と諸共に禁獄させよとの院宣
自が申定め御所の御門を 夜の内に落してやつたを覚へてか アツア其時の御恩 何の

忘れませうぞいな ムゝ其恩を忘れずば助太刀してそちか夫熊谷を自に討してたも
エゝイそりや又何のお恨で サア最前も咄した院の御所のお胤 無官の太夫敦盛
をそちが夫熊谷が討たはいの エゝそりやまあ誠でござりますか スリヤそなたは何に
もしらぬか サアはる/\゛と東より今きて今の物語聞てとむねの誠しからず追付夫
が帰り次第 様子を尋る其間暫くお控へ下されと 詞を尽し理を尽し なたむる折
に表より 梶原平次景高所用有て推参と呼はる声 ヤア何梶原とや 見付け
られてはお身の大事 先々こちへと御台の手を取一間へ伴ふ其中に 堤の軍次立出


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今日は主人直実志有て廟参 御用あらば某い仰置れ下されと 地に鼻付く
れば平次景高 何熊谷殿は他行とな ソレ家来共 其石屋の親仁め引立来れ
はつと答て科もなき白毫のみだ六を 平次が前に引据ゆれば ヤイなまくら親仁め 儕
何者に頼れ 敦盛が石塔は建たやい 平家は残らず西海へぼつくだし 誂ゆへき相
手なければ 察する所源氏方の二股武士が 頼しに違ひは有ない サア真直に
白状ひろげ 偽ると鉛の熱湯背骨をわつて流し込と おどしかけても正直一
遍 テモ扨も御無理な御詮議 先程も申た通 石塔の拵人は敦盛の幽霊

五りんの事は扨置一りん手附はとらず 建ると其儘石塔の喰逃せめて人魂
でも手附に取たら 小提燈のかはりに致しませうに 冥途へ書出しはやられず 本の是
がそんしやうぼだい 有やうの申上願以此功徳施一切 此通りでござりますると取しめ
なき アゝ何おつしやつても糠に釘と 軍次が詞に平次は悪智恵 大かた石塔を建
させたわろも合点/\ 熊谷戻らば三つ鉄輪の詮議 先そやつめを引立来れと 一間へ
入ば家来共 石屋の親仁をむりやりに引立奥へ連て行 相模は障子押ひらき
日も早西に傾しに 夫の帰りの遅さよと 待間程なく 熊谷次郎直実 花の


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盛の敦盛を討て無道を悟りしか 遉に猛き武士も 物の哀を今ぞしる 思ひを
胸に立帰り 妻の相模を尻目にかけて座に直れば 軍次はやがて覆ひになり 先
達て平次景高殿 何か詮議の節有とて御影の石屋と引連御出有 奥の一
間に御待と 委細を述ぶればムウ詮議とは何事ならん アいや其方は一献を催し
梶原殿を饗し申せ サア早くいけ/\ ハテ扨何を猶予すると 叱ちらされ是非なく
も 相模に顔を見合して心を残し入にけり 跡見送りて熊谷は コリヤ女房 其方は
爰へ何しに来た 国元出達の節 陣中へは便も無用と 堅く書付置たるに 詞を

背くといひ 剰女の身で陣中へ来る事 不届至極の女めと 不興の体に相模
はもぢ/\ 其お叱りを存ながら どふかかふかと案じるは小次郎が初陣 一里いたら様子が
しれうか 五里来たら便があろかと 七里歩む十里歩 百里余りの道をつい 都
迄ホゝゝヲゝしんき 登つて聞ば一の谷とやらで今合戦の最中と 取々の噂ゆへ
子に引されるは親の因果」御了簡下さりませ マア此小次郎は息災で居ますかと
とへば熊谷詞をあらゝけ 戦場へ赴くからば命はなき物 堅固を尋る未練な性
根 若し討死したら何とする いゝえいな小次郎が初陣に よき大将と引組で討死で


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も致したら 嬉しい事でござんしよと夫の心に随ひし 健気な詞に顔色直し 先
小次郎が手柄といふは 平山の武者所と争ひ抜かけの高名軍門にかけ入ての働
手疵少々負たれ共 末代迄家の誉 エゝして其手疵は 急所てはこざりませぬか ソレ
また手疵を悔む顔付 若し急所なら悲しいか イエ何のいな かすり疵でも負程
の働は 出かしたと思ふて嬉しさの余りお尋 其時お前も小次郎と一所に御出なさ
れたか ホウ危しと見るより軍門にかけ入 小次郎をむりに引立小脇にひんたゝき
我陣屋へ連帰り 某が其軍に搦手の大将 無官の太夫敦盛か首取たりと

咄しに扨はと驚く相模 後に聞ゆる御台所我子の敵と有あふ刀 熊谷やら
ぬと抜所鐺掴んで ヤア敵呼はり何やつと引寄るを女房取付 アゝこれ/\聊
爾なされな あなたは藤の御局様と 聞て直実恟りし ハア思ひかけなき御対面と
飛退敬ひ奉れば コリヤ熊谷 軍のならひとは云はがら 年はも行ぬ若武者
を ようむごたらしう首討たなア サア約束じや相模 助太刀して夫を討せ 何と
/\と刀追取せり付け給へば アイあい/\と返事も胸にせまえいながら エゝこれ直実殿
敦盛様は院のお胤としりながら どふ心得て討しやんした 様子が有ふ其訳をと


61
いふもせつなきうろ/\涙 アゝおろか/\ 此度の戦ひ敵と目さすは安徳天皇
夫レに随ふ平家の一門 敦盛は扨置き 誰彼と鎬を削るに用捨かならふか
ナフ藤の御方 戦場の義は是非なしと御諦め下さるべいし 其日の軍の有増と
敦盛卿を討たる次第物語らんと座を構へ 扨も去六日の夜早東雲と明くる
頃 一二を争ひ抜がけの平山熊谷討取れと 切て出たる平家の軍勢 中に一際
勝れし緋威 さしもの平山あしらひ兼浜辺をさして逃出す ハテ健気なる若武
者や 逃る敵に目なかけそ熊谷是に控へたり 返せ 戻せ ヲゝイおいと 扇を持て打

招けば 駒の頭を立直し波の打物二打三打 いでや組んと馬上ながらむんづと組
両馬が間にどうど落 ヤア/\何と其若武者を組敷てか されば御顔をよく見
奉れば かね黒々と細眉に 年はいざよふ我子の年ばい 定て二親ましまさん其歎
はいか斗と 子を持たる身の思ひの余り 上帯取て引立塵打はらひ早落給へとすゝ
めさしやんしたが そんなら討奉るお心ではなかつたの ヲゝ早落給へとすゝむれど イヤ
一旦敵に組しかれ何面目にながらへん 早首取よ熊谷 ナニ首取れといふたかいの
健気な事をいふたなふ サア其仰にいとゝ猶 涙は胸にせき上し まつ此通に我子


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の小次郎 敵に組れて命や捨ん あさましきは武士のならひと太刀も抜兼しに 逃
去たる平山が後の山より声高く 熊谷こそ敦盛を組敷ながら助けるは 二心に極りし
と呼はる声々 エゝ是非もなや 仰置るゝ事あらば 云伝へ参らせんと申上れば 御涙
をうかめ給ひ 父は波濤へ赴給ひ 心にかゝるは母人の事 きのふにかはる雲井の
空定なき世の中をいかゞ過行給ふらん みだいの迷ひ是一つ 熊谷頼の御一言
是非に及ばず御首をと 咄す中より藤の局 ナフ左程母をは思ふなら経盛殿
の詞に付 なぜ都へは身を隠さず 一の谷へは向ひしぞ 健気によいふた其時は

母も供々悦んで すゝめてやりしかはいやな 覚悟の上も今さらに胸もせまり
て悲しやとくどき 歎かせ給ふにぞ 御尤とは思へ共 相模は態と声はげまし イヤ申
お局様 御一門残らず八嶋の浦へ落行給ふ 中に一人踏とゞまり 討死なされた
敦盛様数万騎に勝れたる高名 但逃のび身を隠し 人の笑ひを受給ふが
おまへの気では嬉しいか 御未練な御卑怯なといさめに熊谷 ヲゝでかした/\ コリヤ
女房 御台所此所に御座有てはお為にならぬ 片時も早く何方へも御供せ
よ サア/\早くいけ/\ 我も敦盛の御首実験に備へん 軍次はおらぬか早参


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えと 呼はる声と諸共に一間へこ「そは入相の 鐘は無常の 時を打 陣屋/\の
灯火にいとゞ悲しさ藤の方 アゝ思ひ出せばふびんやな 今はの際迄も肌身は
なさず持たるはコレ 此青葉の笛 我と我身の石塔を建て貰ふた値に
と 渡し置た此笛の 我手に入しも親子の縁 魂魄此世に有ならば なぜ母に
はま見へぬぞ 聞へぬ我子やなつかしい此笛やと 肌に付身に添て 尽きせぬ思ひ
やるせなき コレ申其笛かよい御筐 経だらにより笛の音を手向るか直に追
善 敦盛様のお声をば 聞と思ふて遊ばせと すゝめに随ひ藤の方涙に し

めす歌口も ふるふて音をぞすましける 親子の縁の紲にや障子にうつる
かげらふの姿は慥敦盛卿 藤の局は一目見るより ヤレなつかしの我子やと かけ寄
給ふを相模は抱とめ 香の煙に姿を顕はし実方は死て再び都へ帰りしも
一念のなす所 有まい事にはあらね共 いぶかしき障子のかげ 殊に親子は一世と申
せば 御対面遊ばさば御姿は消失せん イヤなふ四十九日が其間魂宙宇に
迷ふと聞 せめては逢て一言をとふりはなし/\障子くはらりと明給へは 姿は
見へず緋威の鎧斗ぞ残りける はつと斗に藤の方 相模も供に取付て


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扨は鎧のかげなるか 恋しと迷ふ心からお姿を見へけるかと 供にこがれて正体
も泣くどくこそ哀なれ 時刻移ると次郎直実首桶携へ立出れば 相
模は夫の袂を控へ コレ申是が親子御(こゞ)一生のお別れ せめて御首になり共御
暇乞と願ふにぞ 藤の局も涙ながらノフ熊谷 そちも子の有身でないか
野山の猛き獣さへ子を悲しまぬはなき物を 親の思ひを弁へて情に一目見
せてたもと 縋り歎かせ給へ共 イヤ実検に備へぬ中(うち)内見は叶はぬと はね
退突退行所に ヤア熊谷暫し/\ 敦盛の首持参に及ばず 義経

にて見やうずるはと一間をさつと押ひらき立出給ふ御大将 ハゝゝゝむつと次郎直実
思ひ寄ねば女房も 藤の局も諸共に呆れながらに平伏す 義経
に着き給ひ ヤア直実 首実検延引といひ軍中にて暇を願ふ汝が心底
いぶかしく密に来りて最前より 始終の様子は奥にて聞 急ぎ敦盛の首
実検せんと 仰を聞より熊谷はむつと答へ走出 若木の桜に立直し制札
引抜 恐れげなく義経の御前に指置 近曽(さいつごろ)堀川の御所にて 六弥太には
忠度の陣所へ向へと花に短尺 此熊谷には敦盛の首取よとて弁慶


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執筆の此制札則札の面のごとく御諚に任せ 敦盛の首討取たり 御実
検下さるべしと蓋を取れば ヤア其首はとかけ寄女房引寄て息の根とめ 御
台は我子と心も空 立より給へば首を覆ひ コレ申実検に備へし後は お
目にかける此首 おさはぎ有なと熊谷がいさめに遉はしたなう 寄も寄られ
ず悲しさのちゞに砕くる物思ひ 次郎直実謹んで敦盛卿は院の御胤
此花江南の所無は 則南西の嫩 一子をきらば一子を切べし 花に準(よそへ)し制
札の面 察し申して討たる此首 御賢慮に叶ひしか 但 直実 過りしか御批

判いかにと言上す 義経欣然と実検まし/\ ホゝ花を惜む義経が心
を察し アよくも討たりな敦盛に紛れなき其首 ソレ由縁(ゆかり)の人も有へし 見せ
て名残を惜ませよと 仰を聞よりコリヤ女房 敦盛の御首 藤の方へお目
にかけよ アイ あいと斗女房はあへなき首を手に取上 見るも涙にふさがりて
かはる我子の死顔に 胸はせき上身もふるはれ 持たる首のゆるぐのを うな
づくやうに思はれて 門出の時にふり返りにつと笑ふた面ざしが 有ると思へは可
愛さふびんさ声さへ咽につまらせて 申藤の方様 御歎有た敦盛様の


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此首 ヒヤア是は サイナア申 これよう御らん遊してお恨はらしよい首じやと 誉め
ておやりなされて下さりませ 申此首はな 私が館で熊谷殿と忍び逢
懐胎(みもち)ながら東へ下り 産落したはナ これヤ 此敦盛様 其節おまへも懐胎
誕生有し其お子が無官の太夫様 両方ながらおなかに持国を隔て十六年 音
信不通の主従がお役に立たも因縁かや せめて最期は潔う死なされ
たかと怨めしげに とへど夫は瞬きも せん方涙御前を恐れ 余所にいひなす詞
さへ 泣音血を吐く思ひなり 藤の局は御声曇り ナフ相模 今の今迄我

子ぞと 思ひの外な熊谷の情 そなたは嘸や悲しかろ かうした事とは露しらず
敵を取ふの切ふのと いふた詞が恥しい 我子の為には命の親 忝いと手を合せ
此首の生世の中 逢見ぬ事の悔しやと供に 歎かせ給ひしが 是に付いぶかしき
は此濱の石塔 敦盛の幽霊が建させたとの噂といひ 秘蔵せし青葉
の笛石屋の娘が貰ひし迚我手に入 最前其笛吹た時のあの障子に移りし
かげは慥に我子と思ひしが 詞もかはさず消失せしは アいや其笛の音を聞てかけ
出し 敦盛の幽霊 人目有ろ引とゞめ 障子ごしの面かげは義経が志と 聞て


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御台は我子の無事 悟りながらも箒木の有とは見へて隔てられ又も涙にくれ
給ふ 折節風に誘はれて耳を突きぬく法螺貝の音かまびすく聞ゆれば 義経
はいさい立 ヤア/\熊谷 着到しらせの法螺の音出陣の用意/\と仰に直実
畏り急ぎ一間に入にえり 最前より様子を聞居る梶原平次一間の内より踊り出
斯くあらんと思ひし故 石屋めを詮議に事よせ窺ふ所義経 熊谷心を合せ敦
盛を助し段々 鎌倉へ注進と云捨かけ出す後ろより はつしと打たる手裏剣は
骨を貫く鋼鉄(はがね)の石鑿うんと斗に息絶る スハ何者といふ中に 立出る

石屋の親仁 ハゝアお前方の邪魔に成こつぱを捨てて上ました 扨幽霊の
御講約 承はつて先安堵もふお暇と立行をヤア待親仁 コリヤ弥平兵衛宗
清待てと義経の詞に恟り はつと思へどそらさぬ顔 ハレやれ/\とつけもない 御影
の里に隠れのない 百毫のみだ六といふ男でえす ハゝゝ 誠や諺にも 至て憎い
と悲しいと嬉しいとの此三つは 人間一生忘れずといふ 其昔母常盤の懐に
抱かれ 伏見の里にて雪に凍へしを 汝が情を以て親子四人が助かりし嬉しさ 其
時は我三才なれ共面影は目先に残り 見覚有眉間のほくろ隠してもかく


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されまじ 重盛卒去の後は行衛知れずと聞しが ハテ堅固で居たな満足
やと 聞よりみだ六づか/\と立寄 義経の顔穴の明ほど打ながめ テモ醜(おそろ)し
い眼力じやよな 老子は生れながらにさとく 荘子は三つにして人相をしると
聞しが かく弥平兵衛宗清と見られた上は エゝ義経殿其時こなたを見遁さ
ずば 今平家の楯籠る鉄拐(てつかい)が峯 鵯越を責落す大将は有まい物
又池殿と云合せ 頼朝を助ずは平家は今に栄ん物 エゝ宗清が一生の
不覚 是に付ても小松殿御臨終の折から 平家の運命末危うし 汝

武門を遁れ身を隠し一門の跡弔へと 唐土育王山へ祠堂金と偽り
三千両の黄金と 忘れ筐の姫君一人預り 御影の里へ身退き 平家の
一門先立給ふ御旁の石碑 播州一国那智高野近国他国に建直し
施主の知ぬ石塔は 皆是弥平兵衛宗清が 涙の種と御存しらずや
今度敦盛の石塔誂へに見へし時も 御幼少にて御別れ申せし故 御顔は見
覚ね共 心得ぬ風俗は ヒヤ世を忍ぶ平家の御公達ならんと思ふより 心能
受合しが 扨は命にかはりし小次郎がぼだいの為 此濱の石塔は敦盛の志に


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て有けるか ヘツエいかに天命帰すれば迚 我助し頼朝義経此両人の軍配
にて 平家の一門御公達一時に亡ぶるとは ハアゝ是非もなき運命やな 平
家の為に獅子身中の虫とは我事 嘸御一門陪臣の魂魄 我を恨ん浅
ましやと 或は悔み 或は怒り涙は瀧をあらそへり 元来さとき大将義経 ヤア/\
熊谷 障子の内の鎧櫃 ソレこなたへはつと答へて次郎直実出陣の
出立と好む所の大あらめ鍬形の兜を着し 抱出たる鎧櫃御目通りに
直し置 コリヤ親仁 其方が大切に育つる娘へ此鎧櫃届けてくれよ コリヤ弥

陀六ヤアみだ六とはフウ宗清なれば平家の余類源氏の大将か頼へき
筋は ムゝ面白い みだ六め頼まれて進ぜましよ したが 娘へは不相応な下
され物 マア内は何でござります 改めて見ませうと 蓋押明れば敦盛卿
ノウなつかしやと藤の方 かけ寄給へば蓋ぴつしやり イヤ此内には何にもない ヲゝ
何もない/\/\ ホゝ是てちつと虫が納まつた ナフ直実 貴殿への御礼
はコレ/\此制札 一枝をきらば一子を切て ヘツエ忝いといふに相模は夫に向ひ
我子の死だも忠義と聞けばもふあきらめて居ながらも 源平と別


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れし中 どふしてまあ敦盛様と小次郎を取かへやうが ハテ最前も咄した
通り 手負と偽り 無理に小脇にひつばさみ連帰つたが敦盛卿 又平
山を追かけ出たを呼かへて 首討たのが小次郎さ 知た事をと尖なる 咄に
相模はむせび入 エゝどうよくな熊谷殿 こなた一人の子かいなふ 逢ふ/\
と楽しんで百里百里きた物を とつくりと訳もいはず 首討たの
が小次郎さ しれた事をともぎどふに しかる斗が手がらでも ござん
すまいと声を上泣くどくこそ道理なれ 心を汲で御大将いさみを

付んとヤア熊谷 西国出陣時移る用意いかにと仰に直実 恐れながら
先達て願ひ上し暇の一件 かくの通りと兜を取ば切払ふたる有髪のさふ 義
経も感心有 ホゝさも有なん それ武士の高名誉を望むも 子孫に伝
へん家の面目 其伝ふべき子を先立 軍の立ん望は ホツ尤 コリヤ熊谷 願ひ
に任せ暇を得さするぞよ 汝堅固に出家をとげ 父義朝や母常盤
の回向も頼むとしたしき御諚 ハゝア有がたしと立上り 上帯を引ほどき鎧を
ぬげば袈裟白無垢 相模是はと取付を ヤア何驚く女房 大将の御情


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にて 軍半ばに願ひの通り 御暇を給はりし我本懐 熊谷が向ふは西
方弥陀の国 伜小次郎が抜がけしたる九品蓮臺 一つ蓮(はちす)の縁
を結び 今より我名も蓮生と改めん 一念弥陀仏即滅無量
罪 十六年も一むかし アゝ夢で有たなあと ほろりとこぼす涙の露
柊に置く初雪の日かげにとける風情なり ヲゝそふじや/\ 我子の罪障
消滅の加勢は是と切たる黒髪 詞はなくて御大将 藤の局も
諸共に御涙にぞくれ給ふ 長居は無益と弥陀六は 鎧櫃にれん

じやくをかけた思案のしめくゝり コレ/\/\義経殿若し又敦盛生返り平
家の残党駈りあつめ 恩を仇にて返さばいかに ヲゝ夫こそは義経
兄頼朝が助りて 怨を報ひし其ごとく天運次第恨を請ん げに
其時は此熊谷 浮世を捨て不随者と 源平両家に由縁(ゆかり)はなし
互にあらそふ修羅道の 苦患を助る回向の役 此弥陀六は折を
得て 又宗清と心の還俗 我は心も墨染に 黒谷の法然
を師と頼み教へを請んいざさらば 君にも益々御安泰 お暇


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申すと夫婦づれ 石屋は藤のお局を伴ひ出る陣屋の軒 御縁が有
ばと女同士 命があらばと男同士 堅固で暮せの御上意に有がた
涙名残の涙 又思ひ出す小次郎が 首を手づから御大将 此須
磨寺に取納め末世末代敦盛と 其名は朽ちぬこがねざね 武
蔵坊が制札も花を惜めど花よりも 惜む子を捨武士を捨 すみ
所さへ定めなき有為転変の世の中やと 互に見合す顔と
顔 さらば/\ おさらばの声も涙にかきくもりわかれて こそは出て行