仮想空間

趣味の変体仮名

各国元首双六

 

読んだ本 http://archive.library.metro.tokyo.jp/da/top

     各国元首双六

 

明治18年、日清日露以前のもの。このまま世界各国と仲良く交流通商できていたらよかったのにな。日本と移民協定を結ぶ直前のハワイは既にイギリス領、そのイギリスがグルメと認識されているのが意外で興味深い。イギリス人の食い倒れなんて諺は聞いた事がないですもん。案外田舎へ行けば今も伝統料理が息づいているのかもしれません。ロンドンのフィッシュ&チップスは美味しいらしいので本場ものを食べてみたい、と思いました。)

  

 


 阿蘭陀帝国
阿蘭陀国は一体に湿
地にて農業に宜しか
らず故に此国の人は
古来より商売にあんれ
て外国の交易甚だ盛
なりければアムステ
ルダムといふ都会な
どには掘割の川多く
舩の運漕便利にして
之に架けたる橋の数
も三百余あり且市街
は掃除よく行届きて
寔に清潔なり又土地
の風俗は都て質素倹
約にして学問にも商
売にも勉強すれども
至て煙草を好むがゆ
えに欧羅巴の諺にく
わへ煙管せぬ阿蘭陀
人を見たことなしとい
ふ程なり


 北米合衆国
北米合衆国は始め英
吉利の領地なりしが
彼国の千七百七十六
年即ち日本の安永五
年国民義兵を挙げ華(わ)
盛頓(しんとん)を大将とし八年
の戦争を経て遂に独
立国となり其より農
業を勉め商売を励み
既に今日は外国との
交易繁昌して毎年此
国え出入する商売舩
の数四五万艘を超せ
る又穀物畑草、砂糖等
を始め金銀銅鉄を産
すること夥く殊に桑港
の金山は長百五十里
巾廿里あり年々採出
す所の金額四五千万
円なりと実に世界第
一の金山なり


 仏蘭西共和国
仏蘭西国は欧羅巴
中央にある大国にし
て時候程能く草木成
長し五穀よく登り産
物多し殊に里昴(リヨン)府に
世に珍しき機織場に
して其の織出す花氈
等は親子二代或は三
代を経て漸々一枚を
仕上る者なりといふ
又此国の都を巴里と
いふ其奇?なること世
界第一と称すべし且
所謂る仏蘭西人の着
倒にて風俗覚て華義
を好めば欧洲にて時
々の流行物は大抵此
府より出づ故に巴里
子といへば人の座を
護ること我邦にて江戸ッ
子といふに均し


 英吉利帝国
英吉利国は欧羅巴
大陸を離れて独り大
西洋に莅みたる一孤
島にして土地の面積
は我邦の北海道を除
きたると粗相似たり
と雖も其領地は世界
に蔓り之を合すれば
二千○六十三里四方
あり欧羅巴洲よりも
大なること一倍半なり
凡海軍の多きと交易
の盛なるは世界第一
なるべし軍艦千艘商
売船三万五千艘余あ
り又此国は都て食物
に奢る風俗なり故に
英吉利人の喰倒とい
ふ諺あり又産物も頗
る多しと雖も寒国に
て米は出来ず


 秘魯共和国
秘魯(ぺおるう)国は南亜米利加
洲の独立国にして北
より南に亘りて国内
を縦貫する大山あり
安的斯(あんぢす)山と云其山東
は沃野千里果穀豊穣
し山西は雨少くして
不毛の地多し京城
即ち其山東海浜
あり利馬(りま)と名く市街
碁盤目の如く家屋は
綺麗にして商売繁昌
なり又産物は金、銀、水
銀、五穀、砂糖、畑草、等就
中世界に有名なるゝは
幾那塩(きなえん)なり又海岸に
ロボスといえる小島
あり海鳥常に群り集
れるを以て鳥糞山の
如し近来は之を以て
田圃の肥料となせり


 瑞典諾威帝国
瑞典諾威(スウェーデンノルウェー)国は素と二
国なれども今一王に
属す国内湖水及河流
多く処々に佳景の瀑
布あり首都斯徳歌摩(すとっくほるむ)
は波羅的(ばるちく)海と水路相
通じ其間に七島あり
許多の橋を架て往来
を通じ堂塔楼閣水面
に映し風景画くが如
し又拉巴蘭(らぷらんど)といふ所
あり冬季は夜のみに
して日を見ず夏季は
昼のみにして夜なし
土人は冬は土中に穴
居し夏は天幕の中に
棲み常に鹿を飼て之
を使ひ又其肉を食ひ
其乳を飲み其皮を剥
で衣服とし其骨を以
て器具を造れり


 丁抹帝国
丁抹(でんまあく)国は往古欧羅巴
の北方に於て大国と
呼れし国なれども当
時は大に衰微して更
に昔の姿なく其人口
とても僅に二百七十
八万人に過ぎず元来
此国の人は正直律儀
にして能く物事に出
精すると雖も兎角昔
の仕来に泥みて改め
進むことをしらず且石
炭鉄の出る山なと又
水車などを仕掛る場
所も不自由にして産
物は至て少し然れど
も五穀は能く登り漁
猟も頗る盛なり又京
城哥界合給(こぺーんはるけーん)といふは
舩入の場所も多く随
分よき港なり


 墺地利帝国
墺地利(おゝすたりや)国は欧羅巴
部の大国にして京城
維也納は多悩河の南
岸に在り人口八十二
万五千余あり帝宮官
衙等皆美麗にして市
衛には七層八層の家
根建連り工業商売と
も随分繁昌なり然れ
ども千八百六十年即
ち我文久元年伊太利
と戦ひ打負けロンバ
ルヂーを割り和睦し
尋で千八百六十六年
我慶応二年普魯士(プロイセン)と
戦ひ亦大に破れ和を
講じてハノーブル、ヘッ
セカッセル、ナッサウ等の
敷地を失ひ更に独逸
同盟中を斥けられ現
今は国勢振わず


 布哇帝国
布哇(はあい)国は太平海中の
小島にして今より九
十七年前即ち我寛政
元年英吉利の舩将コ
ツクの発領せし所な
り国内高峻なる噴火
山多く常に嶺より煙
を起し大空に立上り
熱雲と共に天を覆え
ば日の色朦朧として
光を放たず一日の中
に晴雨縷々変ずとい
ふ此国の土人は大抵
跣足裸体にして淫風
甚識なれば婦人は惣
て男に手を引かれ
ざる者なし又商人は
直径二尺余なる大瓢
箪に諸品を入れて売
り歩くの慣習なり


 伊太利帝国
伊太利国は最も山水
の景色い富るが故に
欧羅巴諸国の竆理(窮理・究理)学
者などのこゝに来り
て学問修行する者甚
だ多しといふ斯る国
柄なれば窮理発明を
以て評判を高くせし
者鮮なからずトリセ
ルは晴雨鍼を発明し
て空気の軽重を以て
晴雨を測り得るに便
を与へ又ガリシは空
気の圧力を以て水を
揚事の理に拠り喞筒
を発明して消防を容
易くせり且此国の人
は彫刻、書画音楽を上
手にし一体の性質気
軽にして物事に器用
なり


 普魯士帝国
普魯士(プロイセン)国は元来独逸
中の一侯国なりしが
フンデリツキイルレ
ムの世に当り教法改
革の騒乱に依て大に
領地を広め始て著名
の一国となり縷々沿
革を経て国勢漸く振
ひ尋て西暦千八百七
十年我邦の明治三年
西班牙の王位相続の
論より仏帝三世拿破
崙と戦ひ大勝利を得
是より普王兼て独逸
皇帝の位に昇り南北
独逸を統べて其盟主
となりぬ又此国は世
界第一の文国にして
都会は勿論田舎の隅
迄も読書の出来ざる
者なしといふ


 魯西亜帝国
魯西亜(ろしあ)国は欧羅巴
北部に在る大国にし
て寒気強く冬分は河
海をも氷張詰て厚さ
五六尺になり帝都ぺ
トルスボルクより
コロンスタツトとい
ふ所まで七八里の間
氷の上を騎馬にて往
来すべし斯く寒国な
れば既に千八百十二
年即ち我文化九年払
帝一世拿破崙(なぽれおん)六十万
の大軍を帥てモスコ
ワといふ都に押寄た
るに魯人は俄に其都
を焼払ひ皆空漠たる
野原となしたるにぞ
仏軍の人馬凍え死た
る者数知れず竟に非
常の大敗を為したり


 白耳義帝国
白耳義(べるぎい)国は阿蘭陀と
仏蘭西との間にある
小国なれども農業に
行届きたるは欧羅巴
第一なるねし産物は
五穀?根、麻、煙草、等又
石炭多く鉄類其外の
金物を製することは英
国に亜で盛なり此国
昔より縷々大合戦あ
りしを以て古戦場多
し即ちワアトルロウ
は仏帝一世拿破崙(なぽれおん)と
英将イルリントンと
合戦なし所なり又国
内にて商売の最も繁
昌するアントエルプ
といへる所の市中に
天王堂あり高さ四十
四丈一尺実に世に珍
らしき高塔なり


 西班牙帝国
西班牙(いすぱにや)国は東南地中
海に臨みたる大半島
にして国中を四十九
州に分ち中央に京城
あり馬徳里(まどりつと)と称ふ王
宮は方形にして四面
各七十八間あり高さ
十丈世余白石を畳で造
る最も壮観なり嘗て
此国の女王イサベラ
の時伊太利国熱亜(ぜのば)の
人閣竜(コロンブス)西方に人間未
?の新世界あるを悟
り来て女王に説く女
王奮て之を助け珍宝
を売て舩三艘を造り
之を与えたるにぞ閣
竜遂に米国を発領す
るを得たりければ女
王の美名青史を照し
て千載朽ちず


 瑞士共和国
瑞士(すいちる・スイス)国は欧羅巴第一
の山国にてして山水の
景色甚だよしと雖も
寒気至強く春夏秋
冬雪を見ざるの時な
しければ山の頂より
雪の塊を落し往来の
人を打殺し或は人家
を押潰すこと往々之あ
り故に冬の間は数多
の大犬を山路に出し
雪に埋りし人を嗅付
て人命を救わしむる
と云又此国は世界に
名高き時計の名所に
て日内瓦(ぜねわ・ジヘノヴァ)といふ処に
て年々製する袖時計
の数二十三万余其外
置時計、オルゴル、指環
等を造る職人三万人
より多し


 葡萄牙帝国
葡萄牙(ぽるとがる)国は欧洲の西
南にあり往古は甚だ
盛にして航海貿易の
術に長じ世界中に属
国多く頻に出交易を
勉め既に足利の末日
は我九州に来て交易
せしこともありければ
亜米利加の喜望峯を
廻て印度海へ遍航の
海路を発顕したる者
葡萄牙人なり然る
の其後次第に衰微し
て当時は弱国となれ
り此国の人は都て惰
弱にして何事にも出
精することなく随て商
売繁昌せず婦人の頂
に野菜を戴て市中
を売り歩くなど其鄙
びたるを知もなし


 朝鮮帝国
朝鮮国は海中に突出
したる半島にして東
南西の三面は皆海に
臨み北の一面は長白
山を以て満州と界し
気候温和土地肥沃に
して産物は木材、錫、鉄
麻の類最も多く其他
所謂る朝鮮人参の名
所なり此国昔より支
那の属国の如くなり
しが輓今は漸く欧米
国人と交際し追々文
明の域に進み我邦え
も留学生を派遣し復
国内に於ても欧州人
を傭入て漸次国事を
改良する由偏に末頼
母しき国柄なり且国
内良港多く常に欧州
人か垂涎する所なり


 大清帝国(シナ)
清国は亜細亜洲の一
大国にして土地の廣
さ二百万方里人口三
億六千九百六十万あ
り国中を十八省に分
京城を北京といふ
凡そ世界の大都会中
人口の多きは英吉利
の倫敦に亜で有名な
り又長城は遼東より
起り山を踰え谷に跨
り西の方嘉峪関に至
る其長さ一千五百里
高さ二丈五尺厚さ一
丈五尺あり今より二
千余年前秦始皇帝
匈奴を防ぐ為に築き
たる者にして??世
に稀なる城壁なり又
産物は米、茶、紙、煙草、
??等最も夥し