仮想空間

趣味の変体仮名

傾城反魂香 中之巻

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
     ニ10-01140

 


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 中之巻
里は都のひつじさるなり通ひても 通ひたらぬぞ三筋
町西に洞院中道寺 えもんがばゝの一方口まだ大門のを
そ桜 忍びてひらけ一ばん門の東がしらむドン どんと打たる
太このばん太 何者やら大門口にきられているとよばゝるこ
えにぐつわ屋わげ屋茶屋おろせくるわの年寄立合 見
れば年頃廿斗くつきやうの侍 二つ重の白むく白乗宇(ぢやう)

に縫紋もみうらに 源氏雪の裾ぐゝみなんばんころの大小 対の
金鍔毛彫は波に山王祭七所御物蒔絵の印籠大川さご
じゆはさもなくて 大疵五ヶ所肝先にとゞめ有といさいに書付 官領
所へうつたへさせしがいをかこふ横はしご 二かいから女房かひてやり
手の亀はくびのはし 松はねほれたかほ出しまだおき/\のかぶろ
共 つねねいく野と手を引舟もはしつてきて 堀にくらかけ木
に取付かほる様あれ見さんせ 吉野様のだいたんなはきだめ山へのぼつ


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て えびのかはで足つかんすなついたら大じか きられてしぬる人さへ有
とあだ口々のやかましさ あのきられている人はかづらき様の大じん 不
破伴様に似たじやないか ほんにそふじや伴様に極つた サア伴
左衛門がきられたと京わらんべの物見だけく 手負見がてらけい
せい見にくんじゆはをしも分られず すはやけんしと人をはらひ官
領の雑式供人引ぐししがいをといて疵あらため 江州高嶋の
執権不破の伴左衛門に極つたり 扨此者のかふたる傾城の

いふた意趣有者の覚はなきか口論などはなかりしか まつすぐに
申せ当分かくして 後日にしれながくせごろ也とぞ仰けり とく
より罷出 上林(かんばやし)のかづらきと申太夫を 千二百両にて請出
さるゝはづの所 名古屋山三と申労人衆とかづらきと 行末
深い約束とて談合成かね申せし故 両方意趣をふくみい
られしが 是ならで覚候はずとつまびらかにぞいひわくる 雑式
一々口出し 名護屋山三は牢人なれ共もとは伴左と傍輩(はうばい) 旁(かた/\゛)


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大じのせんぎ也先かづらきがやり手をよべ やり手出ませとよぶ声に
玉はおく病年寄也 やら恐ろしやわしが出てなんといはふ しばら
れたらどふせふぞ なふ悲しやめがまふた気付はないかと泣いたる
是では埒が明まいどれぞきてんなやり手衆を 頼んで見んといふ
打ちに出ませ/\としきりの使 エイ思ひ付た一もんじやの和国に
付ている みやと云やり手は越前つるがで遠山とよばれた
ぜんせいの太夫 恋故今はあの躰すゝどげなふてちえまん/\ えんま

の廰でもいひぬける此みやを頼まふ あれ/\あそこへ大福帳かた
げてくるは みやじやないかといふ所へおしよぼからげのいそがしげに
皆さん是にござります まあ/\きやうといことができまして 御くらう
でござんすいひ捨通るを是々おみや 検使の衆葛城がやり手を召
るれ共 玉はぐどんでおく病也何をおとひなされふやらいひをしへて
すまぬこと くるわ中の頼みじやかづらきがやり手に成て出て 請
返答をしてたも恩に受ふと云ければ あのしがいのそばへ出ることか


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アゝえづ 去ながらいやと云もしさいらしいひそこなふたら大じか
口に任せてやつてくれよてんほのかはとぞ出にける 雑式かなぶち
よこたへ をのれがかづらきやり手めか 用有て召出すに何として
をそなはる おうちやく者きずい者とかさをかけてしからるゝ アゝ
あのさんはいのあたまからしからんす なんのきずいでごあんしよ十
二人の太夫様をひとりしてまはせば 毎々やり手がいそがしさく
ぜつの中をおしへだて 打物わざにてかなふまじと日にいくたびの

わびことやらよるの身持はあげ屋の吸物同前ちよつちよと座
敷へ出るたびに一はいつゝも呑酒に ふら/\ねふりのいきたをれ朝
から晩迄ひのはかま 花色じゆすの巾着も 中は秋の夜の 長紐
さげた鎰の穴から天をのぞけばほの/\゛明よね様達の身仕舞
ふろの手洗水の髪あらひの なべよ杓子ようすよ杵よ 正月し
まえばせつく朔日けふは二日の払日也 やひともすえたしうはら
辰もゝせなかにはら しやうばいにはかへられずかは切こらへて出る心 其


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様にいはんすなくるわは諸国の立合 常住きつてのはつての是程のけん
くはゝ おちやのこ/\茶の子ぞや アゝぎやうさんなと笑ひける 雑
式いかつていやさをのれが身の上はとはず 此伴左衛門千二百両にて
かづらきを請出すとな 傾城はうり物ぜだん極り上からは なごや
山三がさまたげいふても叶はぬはづ 然るといらんに及ぶとはうぬら
がもがりと覚たり きり手もしらいで叶ぶはづまつすぐに申せ
と詞あらくとひかくる 少しもおくせずえしやくして 御意の通りうり

物とは申しながら 神仏の奉加と同じことで かね出しながらおがます
るは恐しくせかいに傾城ばつかり かふてくれるが嬉しいとて親がゝちや
お主持の 恋路のやみの一寸さき見へぬ所をそばから見て かひての
お身もすたらず女郎ものぼさぬ様に かぢを取が引舟めのさやは
づすがやり手の役 大じにかけるせうこには世間に心中十(トヲ)あれば くる
わに一つ有かなし 伴左様は御大身おかねに不足も有まいが 御主人の
おみゝに立 お身のかい共成時は御一門の評議にのり 人をはぐのだま


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すのとおつる所はくるわのなん こゝのいきを立るが色里のたしなみ 身請
の談合やぶれたも伴左様のお身の上 大じに思ふ上のことでござんす 道で
きられさんしたはそこ迄は存じませぬ 定めししにとも有あるまいし尤
有ても見さんしよ そこに如在も有まいがさきの相手がつよいか
身の取まはしのわつさりしらんでやんすとこたへける 検使の人々もてある
かいよいは/\もふだまれ 一時にせんぎ成がたししがいを酒にひたし置 後
日の評定たるべしそれ/\とて役人共 かけをしはらひしがいをおさめ

酒くみ入てなはからみ籠屋へやれとかき上たり 雑式重て年寄/\
しやうばいなれば傾城にはかまひなし 去ながら夜前よりのかひ手共
ことすむ迄名所を 一々に書とめよこりややり手め 重てのせん
ぎには水をくれる用心せよと おどして立共おぢもせずエイをかんせ
かねくれるやり手に水くれるとはわるごふなと 笑ひをしほにいひ
じらけさきをはらひて立かへる けんいを見せてつきならすかなほう
のをと三味線に 引かはりたる三筋町恋の 市場と「なまめ


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かし 名古屋山三 春平は 通ひなれにし六条の 道には石がいくつ有
迄 よみ覚えたる一貫町の茶屋は よしずのよしやよし 里になげ
打命ぞと 大門口の与右衛門も門ばんには二代の後胤(こういん) 平の供して口か
るく舞靍屋にぞ入にける てい主伝三を始としあまたの女郎
やり手迄 是は/\様子はお聞なされふが 先四五日もお出なされぬ
がよいはづ 日頃いしゆ有伴左衛門きり手は名古屋山三じやとどこ
ともなしの取さた かづらき様のおあんじ我らふうふの気遣 此おみやが

弁舌でけふはすらりとやりましたが 伴左衛門がしがいをならづけにし
て後日のせんぎ ことにお客の名所書しるせとのいひ付 お身に
覚がなふてからせんぎまんきもやかましし お前を外様(とざま)へつくばはせて
此伝三が立ませぬ 帳面にとめぬまに先お帰りと云ければ いや
伝三そふでない お手前こそ念頃 くるわ中女郎衆へくらうを
かけた此山三が せんさくにあふ悲しやとかゞんている程ならば さと
通ひもよねまじりもあたまからせぬかよし 先和国様からお礼申す


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大じのやり手をおかしなされ忝い 扨みやのはたらき心ざし詞の礼
はいふ程ふるい 三千石取た山三が手をついて頭をさげる ひたひに
千石両の手に二千石 主人の外一生に 此式さほうはみや一人是が
礼ぞと手をつけば アゝ勿体ないなんのお礼が入ませふ ちよつとかづら
様にあはせていなせましたい物じやが わたしがいけばめに立 和国様
一ふでしんぜて下さんせ いや文もいかゞじやわたしらじきにさそふ
て 遊びに出るかほでつれましてきませふサアみんなござんせとざし

きをこそは立にけれ然らばこゝは人もくる二かいへお通りなされといへ
ば ヤレ何がこはふてかくれふぞ 伴左衛門をきつたるは誰とか思ふ 此山
三が手にかけ討てすてたるぞ かづらきがいしゆはわづかのことかれめ
と傍輩たりし時 狩野四郎二郎を身が取持にて奉公に出せし
所に 伴左衛門親子雲谷と云絵師をひき 御在京のお供のるす
無実をいひかけ刃傷に及び 四郎二郎は行がたしれず 剰外戚(げしやく)腹
の姫君いてうの前 四郎二郎に心をかけ御祝言有はづを さまたげ


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入てらうぜきし某迄もざんそうし 牢人の身と成なれば重々のい
こん有 ことに四郎二郎はかくれもなき名筆 大内絵所の官にもすゝむ
身を 某しいて国にとゞめなんぎをかけて見ていられず 姫君
ろふうふになし四郎二郎へ出世すれば 本望/\いけてをかば四郎
二郎にいか成あたをかなすべきと 傾城のいしゆを幸に討て捨たる
伴左衛門 しれて切腹する斗四郎二郎故にすてん命 いさゝかおしいと
思ふにこそ武家に生れたふせうには 大門口で立腹きり新ざう

衆やかふろ共しばいでするよなことして見せふヤアかづらきはどふ
じやの てい主うたへと三味せんの天柱にかほを筋かひ身 糸のね
いろもめの色も人をきつたる体はなく てい主はけつく色ちがへ先
お咄はいらぬ物 内外の者共必あだ口聞まいぞと わな/\ふるひ手
しやくにてめつたにのんでぞいたりける みやも聞よりおどろき
て扨は我二世迄と 思ひこふだる四郎二郎様にかく迄深きをんを見
せ お命をも捨んとはアゝ頼もしや忝や 我こそと名のつて一礼い


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はふか いや/\ 姫君とやらへ聞へては 御祝言のじやまぞと遠ざけ
らるゝはしれたこと 只よそながらあのおかたの為に成 お命を助ける
こそ我おつとへの奉公と 思ひ定て是伝三様 お侍のかくごのうへを
女子が了簡すいさんなことながら おのさんに腹きらせをんを受た
四郎二郎 いづくのうらで聞付てもよもやいきてはいられまい人の
ゆかりはしれぬ物どれからどれへどうつゝて たが悲しみとならふやら山三
様のお身のなん のがるゝぐめんは有まいかしあんは今でござるぞやと

よそをいふのもおつとのことあんじて余る涙の色ぬねなでおろすも
道理なり ヲゝわがみが云通り をつ取てくれわのめいわくお仕置に
は法が有 はら切たいとおつしやつてもよふあたゝかに 見ぐるしいざいに
あはた口したからどふもはかられぬといへば 山三はつとしてアゝウよい
所へ気がついた 三味線所でないはいの 相手は主持こちは牢人あ
ばれ者にしなされ みゝつくのとまつた様にごくもんなどにさらされては
先祖一家の恥辱今さつはりとはら切ても 其段からはしがい迄弥


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恥はおもう成 エゝ 主持ぬ身の無念さよとはぎりをしてぞ涙
ぐむ みやは聞程我男の 身にせまりくる悲しさのどふぞよい分
別して しんぜて下され頼みますと身に引かけてなげく体 てい
主しばらくしあんし是々よい仕様有 こゝへよりやと小ごえに成
是をついでにかづらき様を とんと請出しおく様に定める 時におや
かたとはだを合せ 手形の日付をとつと跡の月にして 外様へは借宅(しやくたく)
見たての其間くるわに少し逗留分すれば御夫婦と云物よ き

のふ迄伴左衛門かくどひた状文にぎつてからはまおとこの証
拠慥也 女(め)敵討は天下のおゆるし千人切てもきり徳 此
分別はどふ有ふ みやは悦びヲゝできた/\ めでたい/\ちえ者(しや) 
めとあをぎ立れば アゝむしやうにめでたがりまい 当分請出
すおかねがない 客おこしの物をそれ迄の質物に遣はされば
私が加判で太夫様をよつた今門を出して見せませふが お
侍におこしの物とはなふおみや どふも申かねるはいの ハテおの


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しのお身斗かづびんいなさるゝ四郎二郎迄 命を助かることな
れば 御了簡ばしませと 手を合せるやらなげくやら山三
もともに涙をうかめ ヲゝ/\何が扨/\ 皆の衆にくらうを
させ 何しにいなといはふぞ近頃過分千万 コレ是は重代の
左文字 二千五百の折紙有 おしゝとは思はね共 七さい
の時より今日迄終にわきざし一本で 他所にいたことしらぬ
身が刀のみやうがにつきたかと 涙は雨やさめざやの脇ざし

斗でおくに入うしろ姿を見送りておいとしや/\伝三様
どふぞ首尾して下さんせ まきぞへが入ならばわしがしゆすの
おびも有 八丈の袷もござんすと 歎けばともに泣ごえの
ヲゝきどくによふいやつた おれも男じや気遣すなかゝを
そうかにうつて也と 埒を明ぬといふことはなひて出るぞ頼もし
き みやがうき身の うき思ひ 口でいはねばきにつかへめになが
るゝは百分一 むねに涙のとゝこほり山三様にほねおるも 男


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の心の悲しみを 思ひやり手となつたるものゝぞんざいでなら
れふか 恋がこふじて遠山が此ざまになつたとは しらぬか聞ぬ
か男めがどこにいるやらしんだやら なしもつぶてもうつとりと
たばこのんでもきせつより咽が通らぬうすけぶり 人の見ぬ
間に思ふ程なくをしよざいか おぢきなや 内を首尾してかづら
きは走つてくるよりかけあがり みや殿こゝにかいかひせわであつ
たげな 忝いぞや土になつても忘れはしませぬ おれがこゝろ

さつしてたもほんに/\物日なかにやせたはいな こなたは今はなんの
くもなふてらくであろ やり手の身はうら山しい山様はおくにかの
ちよつとあふてこふぞや 後に/\と云すてゝ行を見るにもなを涙
つらいぞういぞと云中にも男をそばへ引つけては うきをしの
ぐも力が有此身にはくも有まいとや 明くれつきあふ人めに
さへらくな様に見へる物 遠国へだてた男気に思ひやりのないこ
とは むり共いはれず去とては 責て有しよが聞たいとこえを 立


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ねばないじやくり 気もしづみ入時しもあれ心ぼそげな鞁弓(こきう)
のこえ あはれ催すあひの山われになみだをそへよとや ゆふべ
あしたの かねのこえじやくめつ いらくとひゞけ共 聞て おどろく人もなし
通りや 只の時さへあひの山聞はあはれで涙がこぼれる かなしゆ
てならぬとうぶくらに あた聞ともない通りや 通りやといひ
て涙をおしのごふ のべよりあなたの 友とてはけちみやく 一つにじゆ
ず一れん是が めいどの友となる アゝしたゝるい手の隙がない 通りや

/\と云こえに心にくのない新ぞうかぶろばら/\と走り出こちらす
きじやあひの山 聞て泣たい所望/\と立かゝる エゝいちのわるい子
共じや それ程何が泣たいこと やつてなそと巾着の 紐をといて
取出す 銭は一せん二世のえんきれてもきれぬ笠の中 泣しづみたる顔
見れば恋しゆかしの四郎二郎 互にハアゝ ハアゝと斗にめくれ 心はしみ/\゛と
だきつきたふもあたりにはかぶろがめもと小ざかしく こらへるたけと
つゝめ共むせびふくろび泣いたり アゝいなせましたらよいものか ま


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ちつとあはれな心をうたふて聞せて下さんせ あつと涙にするさゝら
こきうのつるもほそきこえ 定めなき世に 捨られて身のじやく
めつがしらせたく文は かけ共便なし ひとり ねざめの友とては 夢に
見た夜のおもかげが是が ねざめの友となる 折しも二かいおくざし
きこいよ/\と手をたゝく あい /\あいとかぶろ共 立まをそゝと走り
より 是こふしたとも有ふかとうき命をも捨なんだ よふかほ見せ
て下さんせと すがれば男もいだきしめ涙の ほかはこえもなし なふ恋

しいの床しいのとはたいてい恋路のならひぞや それをとんと打くし
て主親かたにもそむきし故 奈良伏見迄うり渡され今此
京でやり手となり 花の都も我身にはきかいが嶋に住(すむ)心 胼(ひゞ)霜
やけにくるしみても手足のくらうは成もせふ 心をいためつ斗じや
ない力わざにもさいかくにも 叶はぬ物はあひたいと 思ふてやるせがな
かつたとあまへ くどくぞふびん成 四郎二郎もつきせぬ涙ヲゝ道理/\
いとをしや 度々文でも云通 そなたのけがにて大じの絵をかき誉を


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取 けい約たがへず身請をせふと思ふ間に 不慮のこと共命が有と云
斗 恩をきた名古屋山三我故の牢人 行先も/\めでたいと云
字は書様も忘れて 今は扇団の絵あしや釜のしたえに露命
をつなぎ 大津でとへば奈良といふ難波で聞ば伏見とやら 是
は釆女うたの介ふたりの弟子のかいほうで 丸四年めにかほを見て
嬉しいことはどこへやら おれと云者ないならばとふによい仕合 前だれ
かぎはさげまいとおやごのこと迄思はれて いきた心はせぬぞとて男泣

に泣ければナフそふ打明て下んすがほん/\の御しんじつ わしはいつ
そ親のこと思ふ所へいかなんだ わたしにばちが当らずは当る者は有まい
と くどき立れば四郎二郎二人の弟子もとも涙 さゝらの竹もいにしへの
紫竹(しちく)にそむる斗なり やゝ有て四郎二郎先いふべきは 名古屋山三
平氏所にて不破の伴左衛門を討て せんぎにあふよし洛中の是
ざた いこんのもとは某故聞捨てをかれぬあいさつ くるわの説はどふぞ
といへばさればいなァ くはしいことも聞ました山三様にするせわは こ


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なさんへの奉公とさま/\゛心をくだいてなんの波風ない様に 十の物が九つ
追付埒が明はづで あれおくにじやはいなァ 是は大けい先通つて
対面せふ イヤ/\またんせそりやならぬ こな様を尋出し 姫君
とふうふにせねば侍がすたると 今も今いふた人にあはずといんで
下さんせ エゝぐちなこと斗 我故に一命をはたさふと云山三じや
ないか あはずにかへつて人外(にんくはい)の名をとれか げしうあはせまいなれば
こゝで腹をきらふかと 脇ざしに手をかくるハテしなんせではない

かいの外におく様持つまいと云せい文立てぬはんせヲゝ姫君は扨置
たとへもち屋のおふくでも 山姥と祝言するとても 山三が
詞を一たん立ずに置れふか エゝ世間見た様にもない気がせばい
ぞやと恥しむる 世間はから迄しつても気はむさし野程
広づても 大じの男を人にはそはさぬ 山三様にあふて四郎二郎が女
房は 此みやでござんすと罷出てことはらふ ヲゝいひ度ばいや詞
の中にわき指を 此はらへつきこむサアどふぞ/\とつめられて 泣


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より外は何を云最大切さ そんならいふまいそくさいでいてく
だんせ 去ながらどふぞいひぬけらるゝなら いひぬけて見てく
だんせとまだぐど/\の忍びなき 尤々男のつら役 かふいふとて
なんの如在が有物ぞ 弟子衆こちへと涙ながらおくへ行間もおし
まれて 是釆女様雅楽(うた)様 祝言の咄が出たらいひけしてくだ
さんせと 頼む返事のいやおふは涙にまぎらし入にけり 心もとなさ
あぶなさに心さはぎておち付ず ふすまのきはにさしあしし たち

聞すれば伴左衛門を討とめた物語アゝ嬉しや女房ごとは出
ぬそふな まちつと聞ふ あのさゝやきはなんじやしらぬ 聞たい
迄とみゝをよせ アゝ悲しやつれて帰つて姫君と めをとに
せふといひくさる こちの男がりかうそうに こなたの詞はそむ
きませぬと ぬかしづらは何ごとじや エゝ聞まい物をはらの立
と みゝをふきいづ立つ居つ身をもみ歎くぞあはれなる 舞靍
屋の伝三郎やり手引舟下男 いきりきつて大ごえ上 こりや


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/\かづらき様の身請さらりつと埒明た 跡の三月二日に隙を
やるとの一札 王様の御綸旨より高直(かうじき)な物にぎつた 乗物の
戸をくはらりと明て今でも大門お出んされと わめく声
に人々悦び走り出 アゝ/\お手がら/\酒呑童子の首より取
にくいこと 主持ぬ身はこゝが過分手を引あふて門を出て 名
古屋山三とかづらきと後々迄の咄を残さふ ヤアてい主近
付になつてをきや 狩野の四郎二郎元信めぐりあはふ斗に 互の

くらうはしる通身はかつらきを請出す四郎二郎は大名の御姫
様をほり出す 祝言の夜はかつ手へ見まや 扨みての礼は今は申
さぬ前だれ鎰を捨させ 武家か公家か町人か望次第に
数ならね共 拙者が親分先姫君の祝言には 侍女郎に頼
もふといさみかけてもなげ首に めも泣はらして返事もせずこ
らへかねてつゝと出 いはんとするを四郎二郎つかに手をかけはらをさ
すれば手を合せ なく/\したれどなをたまられず思ひ切てい


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はんとす 四郎二郎ねをし明すでにかふよと見せかくる アゝ/\申
四郎二郎様わたしやなんにも申ませぬ 御そくさいで姫君と
夫婦になつて下さんせと わつとさけびふしければ ともにせき
くる四郎二郎ヲゝよいがてん/\ くるわの衆は涙もろくめでたいことに
も泣たがる 身請する女郎衆になごりおしいは尤ながら 他
国へ行ず死はせず追付あはふなきやるなと よそにいふきへつゝ
みかねめはうろ/\と成にけり サアお乗物が参つた早ふお出な

されませ いや/\乗物ふるひと立出れば一家の太夫天神こひがつ
らき様さらばや さらばでござんす門迄をくれ跡にぎやかく 打たり
まふたり舞靍屋伝三が萬受たんだ 置みやげをやり手衆おは
るおなつといさめ共 みやが心はあきがらの こしの巾着ぶら/\と物
さびしげにぞ「見へにけり花の三月 はや過て姫の年も
廿さほ いつのまいかは長持に桐のはじけるよめり月 いてうの
前の御祝言名古屋山三のはからひにて 四郎二郎元信を北


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野の社人にかりざしき なご屋が家の子世継瀬兵衛こゝぞへ
にて 供女中の出立や 地くろぢあさぎべにひはだ右近のばゝに
ぞ気給ふ なみ木の佐倉くれからりまだ人息も 白むくきたる若
き女のよこあひより よめりの供さきをしわり/\打もたゝくも
こと共せず しつかとすがつて引程に乗物の戸はくだけてはな
れ 姫君あつとさけび給ふをむなぐらつかんで引すり出し どて
にをし付ひつすへたり瀬兵衛刀のそりを打 六尺かち衆をつ取ま

はしそこをはなせはなさずは ぶち殺せねぢ殺せと口々によ
ばゝれば 姫君せいしてアゝだまつていやかまやかな よめりする身に
女のざいで只のことゝは思はぬ 四郎二郎の手かけか但時のたはふれに
末では妻にせふなどゝ男の当座まに合を 一筋な心から其恨
で有ふの我身にしらぬことながら 殿をもつ役なれば聞まいとはい
はぬ 道理さへ立ことでまける道ならまけもせふ 又筋もない道いつ
て見や我にも手も有足も有 いてうの前がりふじんといはれ


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てはおとなげない 相手向ひにしてをきやサアなんぞ聞ふと 口はろく
ぢを分なから 胸はしどろの山坂や顔はつゝじのごとく也 女ためいき
かほを上アゝさすがでござんすな 其うつくしい出様には こふ取た
むなぐらをはなし様にこまつた 我とても中々らうぜきするき
はみぢんもなく お乗物にすがつて歎きを申お情を受ふと 七本
松から跡先に是迄伺ひ参りしが あたまのかゝりがとふもなく思はず
慮外いたせし也 ぎやう/\しい白むくきたは討はたしてのなんのと

いふ おどしてもみせでもない思ふ願ひが叶ずは 西所(さいしよ)かはらが舟岡へ
すぐにとばふと思ふきで わたしが為のしゆら出立高いもひくいも
をなごには 大なれ小なれ此気はあれどいはぬでもつた世の中 色に
出さぬをたしなみと心で心をしかつて見ても いか成欲もはなれふ
が男に欲はえはなれぬ 去とてはきたない気はづかしゆござると
こえをあげわけをもいはず泣いたり 瀬兵衛を始女房御祝
言のじこくちがふ 道行斗いはず共 入こと斗申せ/\とせめければ ヲゝ


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御尤/\私は土佐の将監が娘 をきな名はおみつ親のうき世に身を
うり 越前のつがるで遠山と申せしながれの者 四郎二郎殿とは故
有て 起請一筆かゝね共釘かすがいよりはなれぬ中 身も持く
づし方々をうろたへ 今は六条三筋町上林が内みやと云 ながれ
の身よりあさましいやり手はしてもをのれやれ 一どは狩野の元信が
内儀といあhれふ/\と 四年が間の気のはり弓はつたりとつる切て
泣にも力あらばこそむり共そん共余り無法なことながら 長ふは

入ぬ一七日こよひのよめりを下されば 跡はお前と万々年七
日そふてわかれて後は此世のいき顔見せまいし たとへ死でもあ
の人のみらいのえかうは受ますまい もふ此跡は申ませぬと 涙を
ながし手を合せふしまろぶこそあはれなれ 姫君あきれておは
せしが聞ば笑山いたはしや いやと云はたいていどうよく者とい
はれふず 心へたといふてからめいわくするは我ひとり 新枕はどふ
こうときほひかゝつて行よめり 道からかして帰るとは咄にも聞


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ぬこと こちや義理ずくめになつたかとこえを上て 泣給ふ道理
の 上の道理也 やゝ有て涙をおさへムゝよし/\がてんした そなたが其思
ひからは男も心にかゝるはづ ふたりのえんのはなれぬ中へよめりして
おかしうない ふたもかけごも打あけたこそめをとなれ 男をかし
てやる程に互の心をはらしてたも 去ながら余りかけごをあけ過し
そこぬきやつたらこちや聞ぬと 涙ながらにの給へばアゝ有がたやと
遠山は 姫君にいだき付かすお心よりかる心御すい量遊ばせと

泣こえよそにとび梅の神もあはれみ給ふべしサアとてもなら早い
がよし元信はかねてより 傾城ずきと聞し故此に袖を見やくる
わもやうに云付た 是きていきやと打かけぬいで七日といふも
いま/\し 来月一はい借(かす)ぞや アゝお心ざしは有がたけれどついにわ
かるゝ此身也 然らば七々四十九日が中はわたしが妻と思召せ 此
ぶんでしんだらば定めし男のがき道へ落ませふと 泣々立ば姫君
そふいふて皆吸ほしやんなどこぞ少は残してたも こちは是からこし


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本つれてひろふてもどる あの乗物で皆供しやと帰るさを
見て遠山は 姫君様の情程我身のつみはおもうなる かる時の
地蔵芥に捨られかやす時のえんまの廰 どふ云てのがれふと
涙をかこふ神がきや神も仏も見通しに すいもあまいも梅
青む北野の かり屋に「よめ取のよめの手道具 御厨子
鏡台うちみだれ箱 つゞらかひおけはさみ箱 長刀持せて
やり手のみやが来るとは思ひがけもなし 其心底のとゞきしこと姫

君の情といひかた/\もだしがたければ門弟うたの介釆女隼人大
学なんど宗徒(むねと)の弟子共 すべよくまかなひ春平にも内意をえ
表向はいてうの前御入有しと披露すれば 方々の音物(いんぶつ)樽よ肴よ
巻物よ 太刀折紙の馬代銀五拾目懸のらうそくの 明ぬくれぬ
と賑ひてけふ五日めのあさ上下 雑煮のこく餅子持節つき/\゛
「しくぞ見へにける其日も漸 かたぶく頃なご屋山三春平はお見廻
申すとあん内ある うたの介出向ひ 先以此度は姫君様了簡うつくしく


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おみやも念はれ元信心も落付申こと皆是公の御かげ門弟
中も忝く 悦び存候といづれも礼をなしにける 是はめいわく元信
為と存れば 各同前の大けい 扨けふは五日め五百八十の餅をついて
里帰りと云ことえんへんの式法なれ共 親もとは遠所祝ふて我等
が宅へよびたいと かづらきも申がちよつと尋て見たいとあれば うた
の介打笑ひイヤ尋るに及ず 頓る(とまる?)わかるゝ日切のめをとめいるま
もおしいとて 顔と顔をつき合せかぶりもふらぬしたゝるさ 里帰

りは扨置だい所へも出られませぬぞれはきやうなくひ付様そふし
て互にあかせたら 跡の為には珍重元信筆は達者也 一日一夜に
はん年のしごとは出けfと笑るゝかゝる所に無紋の色にあさぎの上
下 あみ笠取て入を見れば舞靍屋の伝三郎 出口の与右衛門打し
ほれたるふぜい也 なご屋を始め門弟中興さめて 是伝三あんま
りそれはすい過た 聞ぬと云こと有まいそうれいのもどりに 祝言
家へ立よるはなめ過たふだうけ おかしうないかへれ/\とにが/\敷し


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かられ はな打かみてめをすり/\ 姫君様の御祝言と遠慮いたして見
ましたが 脇からさたが有てはお恨の程もいかゞと かゝが心付まして
けふ七日めのはか参りついでなからのおしらせ 常々きだてがけつかう
で おみやとはいはず仏々と申たに あつたら仏をやくたいもない こつ仏
にしてのけたとさめ/\゛とぞ泣いたり 人々更に誠とせず酒にえふたか
狂気か みやは少様子有て姫君にかはり 四郎二郎と祝言し 五日
前よりおくにふうふならんでじや やはけたことぬかすまい イヤわたしを

たはけになさるゝが七日前にしんだ人が五日前に来る物かれんだいし
せんよ様の御いんだう舟岡山て灰になし 和国様を始女郎衆から名
代に かぶろ共が灰よせ五輪迄立た物 なんの偽り申ませふとまが
ほにいへば人々も ぞつとこはげも立よりて してしんじつかどふしてしな
れたことぞといへば しんじつかとはいとしぼげに常がしやく持ぶら/\とはし
ながら 一日とねられたこともない人が いつぞやかづらき様見請のばん
から頭痛するとて引こんで それから枕あがらず次第におもつてくる


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程に お客衆のひき/\゛で柳原の法印様半井(なからい)の御てんやく幸と和
国様へ つしまの客から参つた朝鮮人参 をはり大根見る様なを刻もせ
ず丸ぐち 人じんのふろふきを一ごの身はじめ 人参でお鉄砲でもいかな
咽を通すにこそ もふないに極つて私をよびよせ 今迄はかくした
遠山といふた昔から 四郎二郎様と夫婦のけいやくし めでたふねがひ
かなふたら めをとづれで熊野参りを致そふと 願ひをかけ此笠の
紐(ひぼ)も手づからくけました 是をきて四郎二郎様くまのけ参つて下され しゝ

ても心はつれ立ふ書置もしたいが口でさべつくされぬ筆には中々
まはらぬと 目をほつしりとあいてなむあみだ仏 /\と七八へんは聞まし
た なふかんじんの時には念仏といふ物もなんおごくに立までぬ なむあみ
さへすう/\だぶつ迄やらずに ころりと取ていきましたとわつとさけべ
ば人々も 扨はぢやうよと手を打て皆々袖をぞしほらるゝ 名古
屋もあきれいられしが うたがひもなくおつとに引るゝこんはくかり
に形を見せけるぞや さもあれ様子を尋る為こし本衆/\と


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よびければあいとこたへておくより出る なんとおみやはきげんはよいかといひ
ければ アゝきげんよふにこ/\笑づてござんする 去ながら心ざし有とて
さゝもとゝも口へよせずしきみの香の煙たやすな 煙たゆればこゝ
にいることならぬろて おねまの内は抹香でふすぼりますといひ
ければ して 四郎二郎はどふしてぞ アゝさればおみや様の頼みで おねまのふ
すまにくまの山のえを遊ばひてござんする 扨はいやのゆう霊疑ふ
所もないとあれば こし本おどろきアゝこはや なふしらひでそばにいまし

たと膝のそばにはひよりて身をかゝむこそ道理なれうたの介心をけつ
せんと思ひ さもあれ狸やかんのわざも有 膝のしゝたるまぼろしは 形
あれ共影うつらずと承る 某参りじきにあふて笠をわたし ともしびを
たてじつふをためし申へし かた/\゛は小庭より障子のかげを御らんあれ たとへ
あやしいこと有共必わつと云まいぞ 何がこはいこと有と誰も口では夕
ぐれや こきみのわるきまがきがほ軒にやぶがの餅つきも 其前だれ
のなごりかと心ぼぞくもたゝずめり うたの介何心なきてうしにて 是は


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くらいおざしきみや様はそれにか 火をとぼしたらよふござらふと云こえす
アゝさればいな 心の迷ふた身の上やみにやみを重ぬるつらさ はらしてほし
やと夕がほのたそかれてらすあんどうの 障子にうつるを能見れば 元信は
もとの人体にて女のかげは五輪をみやが物こし斗人間の地水火風の
風もろき 木のはにむすぶかげろふの露の姿ぞあはれ成 四郎二郎はらう
/\とつかれわびたることく也 うたの介なをいぶかしく 此すげ笠はさとの便に
参りしが 何に入ことぞといへばなふ嬉しや/\ ほんに是がほしかつたわたしがくま

のをしんすることつるかでは遠山三国での名はかつ山伏見へうられ
てあさか山 山と云ふ字を三とつき それ故に木づちでは三つ山と付
られし 思へばくまの三つのお山の名をけがし 牛王(ごわう)のとがめも恐ろし
くおぬしと一所にして下さらば つれ立お礼にまふでませふとかさ
の紐迄くけ置し 追付わかるゝ身なれ共一日でもかふそふからは 願は
かなふた同前神仏にうそはないと 此ふすま戸にお山のえづを頼
みまし 参つた心でおがまんと思ふ所へ此笠は どふした便にきたことぞ


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よのことは何もいはずか又の便に伝三殿へとたへいか成こと有共 四郎二郎
様へ歎きのかゝることなどは しらせまして下さんすなと よふいひ届て
下さんせと こけの下迄我おつといたはる心ぞふびんなる サアめ
をとづれで参りませふこな様はいつ手へいて 後夜(ごや)のかねのなる
迄念仏きらして下さんすな 似合たかしらぬと笠打きたる五輪
のかげ 五つのかりの夢うつゝよそのことではなく/\も もとのざしきへ人々
は宗旨/\の手むけ草 だいもくしんごん念仏のえかうに ふくるも