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忠義太平記大全 巻之三

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/ 忠義太平記大全

 

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忠義太平記大全巻之三

  目録
立川勘六片谷一之助大岸が宿に来る事
 山村源兵衛三十両の金を盗み落行く事
 大岸が推量符を合するごとく成事

印南野家の後室御なげきの事
 大名登仙院どのへ御いとまごひに参事
 城付きの用金勘定の帳面の事


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小田庄三郎逐電の事
 弓田六郎左衛門大岸渕左衛門庄三郎に逢ふ事
 小田十郎右衛門自害書置の事

大岸由良之助約盟をかたむる事
 百拾五人の士連判起請文の事
 由良之助段々手ぐみ手筈を演(のぶ)る事

忠義太平記大全巻之三

 立川助六片谷一之助大岸が宿に来る事
君につかゆるに忠なく。人とまじはりて信なくんば。なんぞ人
倫といふべしや。忠信をまもらざるは。木に根のなく。水の
みなもとなきに似たり。されば大岸由良之助は。不慮に
主君をうしなひしこと。みなこれ尾花家のわざなれば。亡君
のかたきは此人なり。君父のあたには。ともに、天をいたゝかず
といへり。いあkでかいたづらに。光陰のおくるべき。復讐の心な
くんば。人面獣心といひつべし。いかにもして尾花どのをうつて
会稽のあたを報じ。此うらみをはらしなば。たとひ此身
は寸々にきざまれ。骨は粉にはたかるゝとも。此おもひ
のこすかたあらじと。一味同心のものをあひかたらふにお


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ほくはたねんの重恩をわすれ。心を変じこしをぬかし
て。一味の連判。わづか百十五人なり。臆病者といふ。悪
名をとるだにあるに。あさましきかな。山村源兵衛は、鉄砲頭を
うけたまはり。三百石のひかりを見せて。日ごろ武勇をは
なにかけしが。口と心とは雲泥万里。いづくにか身をよせんと
むね算用に気をいためしが。大岸がかり宿に来り。何か内
談したりしに、立川勘六。片谷一之助等も。同意のもの
にて来りしかば。様々密段数刻におよび。夜に入て酒な
ど出し。もてなしけるほどに。子のこく過にもなりしかば。立川も
片谷も。もはやおいとま申さんといふに。山村源兵衛は。それがし
は最前より殊のほか頭痛仕り。何とやらん。ふらつき申かなれ
ば。こよひはこゝにて御無心申し。一宿仕りかへるべし。をの/\は御

かへり候へしといふ。由良之助きいて御尤/\。此間の御心労。さ
こそつかれ給ふらめ。これに一宿あれといへは。片谷も立川も。
しからば山村どのは。御泊り候へし。此うへにもまたいかやうの。御馳走
あらんもしれ申さじと。たわむれながら帰りぬ。それより山村は。大岸
が方に宿しけるが。今日由良之助が。資材をうりはらひた
る代金。三十両ありけるを。源兵衛よくしりて。夜ふけ人しづ
まりてのち。そろ/\とさがし出し。かの三十両のかねをぬす
み、ゆくえもしらずにげうせけり。夜あけてみれば。山村は居
ず。こはふしぎやと家来のものども、山村をたづぬるを。由良之
助。寝所にて聞。その掛硯をもちきたれよとて。かいこなる。
掛硯をとりよせ。その内を吟味するに。昨日入れをきたる。
払ひものゝ代金。三十両の一つゝみ。あとかたもなくなりて


52(挿絵)


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錠まへは別儀なし。さてこそおもひし事よ。此三十両
かねに目をかけ。昨夜とまりしにてありつるぞや。不忠不義
のふるまひ。犬猫にもおとれりといへば。家来共大におどろき
おのれこそ欠落す共。妻子まで。よもや夜の間にはつれの
くまじ。妻子なりともからめとつて。諸士の見ごらしにせんと
いへば。いや/\山村がしわざをもつて。かれが心をはかるに。かねて
こゝろざしをへんじ。いづかたへなり共。おちゆかんとおもふべけ
れば。さだめて妻子はきのふまでに。人しれずおとしつらん。そ
の覚悟なき男にあらず。しかればかれがやどへ。今に至てゆき
たりとても。喧嘩はてゝの千切り木ならん。かならずゆきむ
かふべからずと。大岸是を制しか共。家来共。あまり腹にす
へかねて山村が宿所へはしりゆきしに。良智の人のまなこ

は。その肺肝(はいかん)を見るがごとく。はや妻子所従も。昨日此とこ
ろを引はらひしとて。あとかたもなくなりしかば。此ものども
よこ手(で)をうつて。主人大岸どのゝ賢察は。凡慮のおよぶと
ころにあらずと。大にこれを感じけり。

 印南野家の後室御なげきの事
只死生は。五運のかゝる所なり。聖智勇の三つのものも。し
らずあたはず。はからざるところ也。されば大岸由良之助は。近日
此ところを。立のくべしとおもひしかば。主君丹下どのゝ
後室登仙院どのと申御かたへ参上す。御台所かぎりなく。
御よろこびあつて。御そばちかくめされ。いかに由良之助。此
ほどはうちたえて。なつかしくこそおもひつれ。君には不慮
におくれまいらせぬ。城地上へめし上られぬれば。わらはゝよ


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るべなき身となりて。ふねながしたる伊勢の海士の。あま
りおもひのやるせなく。かみをもおろしさまをかへ。いかならん
山寺へも。引こもらんとおもへども。つきそひあるものども
の。さま/\゛と制するゆへ。一日/\と日をおくり。わが心にもあ
らぬうき世にながらへて。むかしをかこつ夜半(よは)の月は。あり
しにかはらぬ世の中ながら。ともにながめし人はなく。かはり
はてぬる身のうへぞやとて。ふししづみてなげかせ給ふ。由良
之助も。数行(すかう)のなみだにむせびけるが。御なげきのほど察
し入て候へども。とてもかなはざる御事に候へば。たゞ/\尊
霊の御ためには。御経をも読誦まし/\、御菩提を御と
むらひ候へし。しかりとて御すがたなど。御かへあそばされ候
はん事は。ゆめ/\もつて候まじ。われ/\とても譜代の主

君にはおくれ奉りぬ。相伝の所領にははなれ候ひぬ。只盲
者の杖をうしなひ。暗夜にともし火のきえしごとく。茫然
としてまかりあり候へども。かくてもあるべき事に候はね
ば。近日みやこのかたへ。まかりのぼるべく候。それゆへ御いとまごひ
のため。今一たび。尊顔をはいし奉らんと存じ。参上仕
り候。ついては先年。御あづけをきなされ候金子。内々御
領分のたみ百姓。又は町人などに。かしをき申て候ゆへ。此たび
返納仕るべきむね。あひふれ申候へ共。しか/\とゝのひ申さず
して。やう/\只今にいたり。こと/\゛くとりあつめ。持参仕候なり。
又これは。君に御存じあそばされまじく候へ共御城中にむか
しより。城付きの金子とて。御用意金の御座候ひし。此たび
御城めし上られ。諸家中退散仕る時節。路銀又は当分に


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諸士の飢寒(きかん)をふせがせんために。その分銀相応に。みな
/\わかち拝領いたさせ。わたくし儀も。同事に頂戴仕
り候。此段も知行高に応じ。配分いたすべき事は
つねの法にて候へ共。愚案をめぐらし候ひしに。小身(しん)のとも
がら。末々のものどもは。身上のありつきも。はやくあるものに
て候が。なましいに。われ/\がごとき。大禄をたまはりしものは
先知のほどをおもひ。名をはぢ家をかへりみ候ゆへ。かへつて身上
すみにくきものにて候。さるによつて知行高にかゝはらずし
て。その身/\の人数に応じ。おかねを配分仕りて候。その
のこり候所の金も。わたくし只今まで。あづかりい申候へば。こ
れも同じく。さしあげ申候といふ。登仙院きこしめされ。かね
て和どのに。あづけをきぬる金子のことは。よくぞ/\心にかけ


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諸人の手よりとりおさめて。今持せきたられしこと。み
づからも祝着せりさりながら。君世にいませしそのほどは。世
間のつとめもありしゆへ。金子なども入用のこともありし。今
此身になりぬれば。ついにはかみをもおろしいかならん山林にも。
のがれ入らんとおもふなり。妻子珎宝及王位陰命終時不
随者とは。しやかみほとけの金言なれば。今さら金銀財宝は
なにのためにかもちゆべき。ことに城づきの残金は。なをもつ
て入用なし。みな/\その方へかへすべし。此たび譜代の諸
さふらひの。牢浪せし不便さよ。いまだ身上ありつかず。妻
子眷属をやしなひかね。飢におよぶもあるべければ。それ/\
に見はからひ。みな/\配分せられよと。の給ふこえもなみだ
の雨。くつるばかりのたもとなり。由良之助もなみだにくれ

しばしものをもいはざりしが。やゝあつてかうべをあげ。仰
のむねおどろき入り。感涙そでにあまり候。しかれども
御用金は。御家中の諸士に。それ/\に配りあたへのこると
ころなく候へば。その身をはじめ。妻子つれ/\゛のものまでも。路
頭にたつほどのものも。かつて御座なく候へば。御心やすく。お
ぼしめされ下さるべし。以後にまた。難儀いたすものも候
はゞ。そのせつは。仰のむねにまかせ。頂戴いたさせ候べし。それ
まではまづ御前にさしをかれたまはるべし。わたくし元来
病身に候へば。此たびみやこがたへ。まかりのぼり候はゞ。又下
向仕り。御きげんをうかゞひ候はん事も。なりがたく候べければ。
たゞ今の参上は。もし今生の。御いとまごひにて候はんも。ぞんじ
申さず候なり。かならず御すがたなど。御かへあそばされん事は。御


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勿体なく候と。なみだながら御いとまをこひて。御まへをま
かりたち。つぎの間にて。御めのとの御つぼねにむかひ。やが
て近日。みやこへのぼり候べし。もし書物のごとくなるもの
を。みやこよりさしあげ申すこと候べし。をの/\封を御きり
あり。御内見候ひて。御台さまの御披見にも。御入れなされ
下さるべしとて。いとまをつげてかへりけり。さればそのゝち。主君
のかたき。尾花どのをうちしとき。みやこより飛脚下り
書物のごとくなる。紙包をもちきたりしゆへ人々封をき
りて見しに。お国離散のとき。由良之助。金子七千両をもち
のきて。手づまりし牢人どもにその金子を。相応にあたへ
又用却につかひたる。勘定の帳面なり。御後室をはじ
め。御そばの人々。由良之助が心中の。明白叮嚀なること

をかんじ。おしまずといふものなし

 小田庄三郎逐電の事
こゝに印南野(いなみの)家譜代のさぶらひ。小田十郎右衛門といふもの
の子に。小田庄三郎といふわかものあり。由良之助に同意し
て。忠臣の列に入り。退城ののちは。片山源七兵衛がもとに。
かくまはれいたりしが。目のたつにしたがひて。つく/\゛思案を
めぐらし。いはれざる忠臣だて。二つなきいのちをすて。討死し
はらをきるべきその時を。おもひめぐらすにおそろしく。い
かにしても今からさへ。胴ふるひきみわろければ。とかくいの
ちこそたからなれ。主のために死したりとて。られかよく死し
たりといふて。一銭のたよりには。まるものもあるまじと。死後
までも。欲心ははなれぬ思案。いや/\身があつてのことゝ。心


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は夜の間にかはつて。遠寺(えんじ)の夜半(よなか)を。かすかに吹おくる頃。あた
をは恩にて報ずるとこそいふに恩をばあだにて。ほうどもつ
てまいり。片山が金子をぬすむのみか。かんぼうに矢車の定紋
つきし小袖二つ。しゆちんの蒲団とをぬすみとり。しのび
やかに。片山がもとをにげ出しに。弓田六郎左衛門。大岸渕左衛門
両人つれだち。そのところをとをりしが。片山が門のほとりよ
り。七八間わきにて行あふたり。庄三郎あはやとおもひ。か
の蒲団をかしらにかぶり。こしをかゞめ。あしばやににげと
をる。弓田も大岸も。あやしくはおもひしかども。そのぶんに
して見すて。うちすぎけるが。翌日のあさ。片山にあひ
て。扨もすぎし夜。おかしきものを見たりとて。ありし次第を
かたりしに。片山きゝもあへず。それこそ小田庄三なれ。拙者が

介抱にあづかりし。その恩をわすれ。金二十両と小袖ふと
んをぬすみとり。先夜逐電いたせしといへば。両人よこ手
をうつて。さては庄三めにてありつるか。日ごろの約をたがゆる
といひ。恩をうけし貴殿mだでも。目をぬいてぬすみをし。欠
落をいたせしだん。畜生にもおとりたり。それとしりなば
その時に。一うちにしてくれんずものをと。きばをかんでいか
りけり。こゝに庄三郎が父。小田十郎右衛門は。としをひよはひ
かたむきて。八十(やそぢ)にあまるをひのなみを。ひたいのほどにた
たみ。世をうきふねのやのじなりに。こしかゞみひざふるひ
行歩(ぎやうほ)心にまかせばこそ。麒麟もをひぬれば。努馬に
おとれるこゝちして。むすめが方に介抱せられ。月日を
おくり居たりしに。日ごろ庄三郎が身の行跡。不義のこ


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とのみおほく。士の節義にあらずとて。度々異見し
たりしが。庄三が欠落をきゝ。ふつ/\ものをもいはず。おもひのん
どにせまりしにや。むすめ食事をすゝむれども。これもまたす
すまさりき。老人はさなきだに。朝とく起るものなるを。そのつ
ぎの日のあした。五つにすぐるころまでも。起出ずしてあり
ければ。むすめあやしくおもひ。ゆすりおこせどもおともせ
ず。さてよく寝入られ給ひつると、夜着をすこしあげ
みれば。蒲団ちしほにそまりぬ。こはいかにとよく/\みれ
ば。腹をきり?(ひへ?)をかき。あけになつて死しいたり。むす
めはゆめのこゝちして。あらかなしやとなきさけぶ。むすめの
夫。溝部弓兵衛もはしりきたり。ともになげきかなし
みしが。まくらもとをみれば。一通のかきをきあり。これをひらき

みるに   書置
 亡君の厚恩深重(じんぢう)なることをもへば。山よりもたかく
 海よりもふかし。われら数代。その御恩のもとに、身をよせ
 妻子をやしなひながら。今さら重恩をわするゝは人非
 人とやいはん。鳥獣におおとりたり。なんぞこれを人倫
 といはん。愚息庄三郎め。忠をわすれこれを見るにしの
 びず。欝胸(うつたふ)はらわたをたち。紅涙(かうるい)襟(きん)をうるほす。なん
 ぞこれをはぢざらん。われ此盟約をついて主冠をうち
 忠に死して。会稽を雪がんとほつす。しかりといへども
 八十(やそぢ)に余る行歩心にまかせず。進退自由ならねば。今
 自殺をくはだて。勇士の節義をつくなふものなり


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  月日  生年八十一才 山田十郎右衛門判
と。よみもおはらずなきしかば。むすめは涙をとゞめ。あゝまよ
ひたり/\。なにしになげき候べき。父うへとしをひ給ひ。力量
もあるまじきに。一子の不義をいきどほり。みづからこれを恥
かなしみ。自害して失給ひしこと。これ忠臣の貞節。みづ
から女の身なりとも、由良之助どのゝ組に入り。たとへ身を粉
にくだきても。あだをうつべき一助ともなり、兄は恥辱
をすゝぐべし。御身も忠心ひるがへさず。尾花どのをう
つて。此恥辱をすゝぎてたべ。よく/\おもひめぐらすれば
死するは武士のつね。忠臣の。もつはらまもるとことなれば。な
げく道にさふらはずといふ。溝部手をうち。さりとは兄には似
ぬ心底。父の忠貞をうけつぎて。男にまさりたり。われ


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なんぞ恥ざらん。こゝろやすくおもはれよ。一命をなげうつて
おつつけ尾花どのゝくびをうち。主君のかたき舅のあた
を報ずべし。さるにても一子の不義を。見給ふにしのびず
みづから恥て。今自害し給ひしこと。庄三郎は。子として父
を。手づからころせしに同じ。不孝不義不忠のいたり。天地
の間に入るべからず。かゝる忠義の人を父として。かゝる不義
不忠の子ある事よと。泪とゝもに舅の死骸を。しのびや
かにほうむり。いよ/\義心をかたふせり

 大岸由良之助約盟をかたむる事
君のために。大儀をおもひたつものは。三のわするゝことあ
り。一つには親をわすれ。二つには妻をわすれ。三つには子と
兄弟をわするゝといへり。されば大岸由良之助。今は当国を立

さりて。諸方にわかれちらんとおもひ。一味同心のともが
ら。百拾五人ありけるを。こと/\゛くまねき。かくうか/\日を
かさね。当所にいんことよろしからじ。みな/\手より/\にし
たがひ。諸国に離散仕るべし。しからば一所に会合せんこと
なるべからず存るゆへ。只今まねきあつめたり。内々仏神にち
かひて。契約をいたせしごとく。今の忠義をひるがへさず。此肉
身をもつて。主君のかたきをうたずんば。人倫のかずに入るべき
や。あはれねがはくは。をの/\ふたゝび一統のちかひをなし。義
心をあらはし給へやと。祐筆頭岩波村助を筆とりとして。七
社の牛王(ごわう)。ことさら南部。二月堂の牛王のうらに、約盟の
起請をかき、百拾五人のものども、身体七所より血を出し。
われをとらじと血判し。やがて火中の灰となして。三天の香


62
水にたて。次第/\にのみたりしは。身の毛もよだつていさ
ぎよし。由良之助。心よげにうちわらひ。をの/\忠義を
おもんぜられ。心中一統いたせし段。祝着のいたりなり。当
年は相まちて。来年の冬のころ。かならず本意をたつ
すべし。それまではをの/\。ずいぶん安全堅固をいのり。身を
まつたふして。存念を達せられよ。たゞそれまでは神力を
たのみ。毎日九字護身法を怠らずして。紅葉のまも
りを身にはなたず。三天の呪(じゆ)。愛染不動の呪をとな
へて。丹誠をぬきんでられよ。これ秋津国はもとよりも。神
国たる所以。国風にしたがふの儀なり。もつはら天照大神
宮。春日大明神。八幡大ぼさつ。此三社を念ぜられよ。これす
なはち。かれこれ安全息災のためなり。若き人々は。ことお

かしくやおもはるらん。それ神は。人のうやまふによつてたつと
く。人は神のとくによつて。運をそふといへり。又かれこれ安全
のためとは。かれとはかたき尾花どのよ。これとはおの/\われら
なり。人は不定のさかいにいて。今日あつて明日をしらず。生死
のみにかぎらず。病苦以下のわざわひあり。されば明年の冬
のすえまでは。かたき尾花殿もわれ/\も。災難なく安全にし
て。異議なく本懐をたつせんとの。念願にて候なり。かく約盟
をさだめぬるうへは。をの/\手よりにしたがひて。諸方に離散
あるべきなり。さりながらそれがし。諸方の手くばりをさだ
むべし。まづみやこへは。尾寺千内。間瀬垣休(きう)之丞真(まこと)儀兵衛。海
辺高兵衛。宗野原右衛門。遠松文六。此人々在住して。上京
中立売の。弓手妻手(ゆんでめて)にい給ふべし。岩波村助。冨林佑右衛門


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は。下立売より。七条へんまでに住せられよ。後原休助。神(かん)
木(ぎ)与八郎。市田仲左衛門。孫田奥太夫。尾寺小右衛門。勝山新
兵衛。普川香十郎。松川喜平。八十村嶋右衛門。吉沢細右衛門
武森由(よし)七。橋伝(づて)倉助は。かまくらにしのび下り。かたき尾花
どのゝ近所手よりの方角につきて住せられよ。又塩之
丞。藤水(ふぢみ)早左衛門は。大津より。勢洲桑名までの間
に住せらるべし。真十三郎。定田奥右衛門は。桑名より遠
州浜松までの間。弓嶋与茂七。間瀬垣里弥。和野茅
助此三人は。浜松より。箱根までの間にい給ふべし。立川
勘六。村次三郎次は。箱根より。かまくらまでの間に住して
かまくらのやうだいを。逐一に。みやこへ通せらるべし。片谷一

之助。南沢朝右衛門。百馬次郎兵衛。村本岡平。野金岡右衛門は。摂
州大坂に住して。西国の手よりをきゝ給へ。鯛賀八左衛門
早鷹源六と。それがし三人は。洛外山科伏見へんに居
住せん。まづかくは定むといへども、一がいには定めがたし。人々
の手まはし。又はいとなみにあしく。又はその縁なき人もあらん
それはとにかく。そのよろしきにしたがひ給へ。そのうへそれ
がし。六人の間者ををきて。四方の通路を。日々(にち/\)にきくべき
なり。をの/\も諸方の風聞。怯気。人口。諸事万端。心をつ
けてきゝ給へ。われ/\かくのごとく。離散しぬときこえなば
尾花どのはいふにおよばず。かの一家。関東の一ぞくたちも
しのびのもの見を出して。諸方にをかれんは治定なり。し
かればずいぶん世間に出て。武士ばりたるていをあらはすべ


64
からず。いづれもかたちはかわる共。義心を変じ給ふな。わ
れ/\父子は上がたにのぼり。あるとあらゆるうつけをつく
し。世のあざけりをうくべきなり。もとより傾城野郎にな
れ。昼夜遊里にひたつて。婬酒遊楽(いんしゆゆうがく)。博奕。さま/\゛の悪
性。かずをつくさんと存るなり。そのゆへいかんことなれば。印南野
家の牢人共は。譜代の重恩をもうちわすれ。主君のあ
たをも報ぜざること。人倫の法にあらず。こしぬけよ臆病
者よと、取ざたせんは必定。これみなかたきのともがらに。心を
ゆるさせん手だて。たゞ/\いづれもゝ。牢人とばかりは無用なり。
人もかならず。不審をたてたがる物ばり。面々に手わざをな
して。店(たな)に古道具をみせかけ。又は尺八をふき。又は諷(うたひ)の師
連句俳諧の点者。手習ひの子共をあつめ。あるひは医師


65
針たて。かやうの手わざをもつて。何なりともおもてむき
は家業をなし給ふべし。さて又かまくらに下り。住し給はん
人々は。ずいぶんかたきの取沙汰をきかるべし。第一かたきの
屋形へは。何とぞ手だてをめぐらして。出入をせらるべし。これ
肝要の智謀なり。そのうへ諸方の沙汰様子。たがいに
通じあはするには。隠書。隠符。白筆。白墨。沈顕火現の
法と云て。あるいは状を。火にやきて文字をしり。あるいは水に
しづめ。薬をふりかけて。文体をしる。これみな軍略兵家の
秘密。かやうの奇策をもつて。状通自由にいたすべし。こ
れはもし、状を路頭に取おとし。又はかたきにうばはれても。
それとしれざる手だて。そのうへ状のごとく。封ずるには及ぶ
べからず。鼻紙なんどのごとく。をりたゝみて通用すべし。おの

/\いづくにても、喧嘩口論など仕出して。犬死なんどし
給ふべからず。かたき尾花どのをうつまでは。一大事の身なる
ぞや。わがものとばしおもひ給ふな。且又をの/\。用却につき
て。金銀入用の儀候はゝ。それがしがかたへ。申しこし給ふべし。主君
の御用金を。さしつかはし申さんずるぞ。それとてもわたくしに。
自由いたすにあらず。討死のせつ。御用金の勘定を仕立。払い帳
の目録をしたゝめ。をく方の御覧に入んと存るなりと。大公
子望(しぼう)が肺肝をはいて。手だての段々。のこるかたなくのべけれ
ば。みな人あつと感心し。時に後原休助。神木与八郎すゝみ
出。由良どのゝ演舌し給ふところ。いにしへの孔明が智。かんしん
がはかり事にもおとるべからず。一々理に適当して。感ず
るにあまりあり。さりながらこゝに一つ。不審のこと候也


66
御心中のほどを。たづねうけたまはり候べし。われ/\は一
揆せしむといへども。主人なき一孤のせい。かたきは天下に威
をふるひ給ふ貴族。ことに関東の一ぞくたち。ちからをそへ
給ふなれば。これ又宗徒の御大名。それをもわれ/\が分際に
て。うち申さんとたくむこと。蟷螂がたとへに似て。猫のひや
いなるものを。鼠のねらふにもなをおとれり。尤われ/\。
余譲がはかり事になしつて。身にうるしをさし。あらずみ
をのみてなり共。尾花どのにちかより。本意を達せんと存
れ共。いく年月をかさぬべきも、そのほどははかりがたし。しか
るを明年のくれ。尾花どのをうたんとは。何をもつての
給ふぞ。此段貴意を得ず候といふ。由良之助につことわらひ
御不審は御尤。さりながら。存入れなきにあらず。明年の

冬のくれと、さきだつてきはめしことは。これ虚をもつて
実とし、実をもつて虚とするといふ。手だてにて候なり。
此たびわれ/\離散しなば。印南野家のものどもこ
そ。主人をうたせ。牢浪の身となりて。世にたゝずむべき
かたもなく。とてもうへ死すべき身なれば。主君のあだ尾
花家をうつて。同じ死せんずるいのちを。忠臣義士とよば
れ。討死せんとおもひ。尾花どのをうたんとたくむなんど。もつ
はら世間にとり沙汰すべし。此とり沙汰やまざる中は。尾花
一家の人々も。用意きびしく。諸事に心をつくべき
なり。これぞ世のことわざにいふ。黒いぬにくはれしものは
あくのたれかすに出づるとやらん。かならず油断はすべか
らず。その油断なきは。これすなはち。かたきの実(じつ)といふもの


67
なり。ことに小をもつて大にてきすることなれは。よく
/\世上のあたゝまりをさまし。天下の諸人の。夢にも
いひ出さゞるほど。打わするゝをまつべきなり。これ又天
のほどこしを。まつといふものにて候。天のあたへ給ふとこ
ろの。時節をまつこそ肝要なれ。おの/\見給へ。主
君丹下どの。身に道理をもちながら。心短慮なりし
ゆへ。いまだ時いたらず。いまだ天もほどこし給はざるに。尾
花どのをうたんとし給ひ。かへつて御身をほろぼし給へ
り。御身をほろぼし。国をうしなひ給ふのみか。本意をも
とげ給はざりしこと。みな此失(しつ)によつてなり。されば世間
の。取沙汰といふものは。一月(ひとつき)二月。しいて三月はいはざる
ものなり。此ゆへに一年ばかりもすごして。明年のくれ

と存るなり。それまでには。世間のとり沙汰もやみ
かたきも油断いたすべし。これてきの虚にのつ
て。本意を達するの手だてなり。いづれも明年の
霜月より。面々のかり店を仕舞。かまくらに下り
給へ。いにしへよりの俗語にも。世のとりざたは。七十五
日と申さずや。大概せけんの風聞も。百日はせぬものな
り。且又延引もなりがたし。さるによつて。来年の
くれとは申せしといへば。神木も、後原も。よこ手を
うつて。由良之助どのゝ智は神(しん)に通ず。凡慮のお
よぶ所にあらず。此人の下知にしたがはゞ。何んぞ
本意をとげざらんと。よろこぶことかぎりなし。
一座のものども。みな/\これを感称し。それよ


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り其座をたちけるが。おもひ/\に支度して。おの
がさま/\゛わかれゆく。されば大ぎし由良之助も。
かりやどをとり仕舞。一子力弥とゝもにみやこの
かたへぞのぼりける

忠義太平記大全巻之第三 終