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趣味の変体仮名

忠義太平記大全 巻之七

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/ 忠義太平記大全


138(左頁)
忠義太平記大全巻之第七

 目録

由良之助早鷹源六をまねく事
 大岸手だてをいひきかす事
 源六五十嵐順器をたばかる事

冨林祐右衛門筋違(すぢかい)橋にゆく事
 富林母にさいごのいとまを乞事
 老母自害かきをきの事


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海辺高兵衛夢想をかうふる事
 後原休助いもふとの方へさいごの文送る事
 松川喜平朋友のもとへ和歌を送る事

一味の者どもそば切屋久助が許(もと)に行く事
 夜うちの内談由良之助大智なる事
 和野茅助(やわらのちすけ)かむり付けをする事

忠義太平記大全巻之第七
 由良之助早鷹源六をまねく事

水ぐきの。あとかきながすすみだ川。ことずてやらん人
もなく。ふるさとのこともなつかしくて。心はそらにとびた
つべき。早鷹源六といふ男も。由良に一味同意して。
忠臣義志をもつばらとし。今は中々こゝろをさだめ。近年
かまくらにすみて。さま/\゛肺肝をくだきけるが。日ごろ茶
の道をこのみけるゆへ。かたき尾花どのも。数寄道に心を
よせ。茶の湯を興ぜらるゝときゝ。いかにもして尾花どのへ
縁をもつて出入らんとおもひ。つねに尾花どのへまいる。五
十嵐順器(じゆんき)といへる茶人と。なにとなく入魂(じゆこん)して。へだて
なくまじはりけり。さるによつて尾花どのゝ。屋かたの内の様体


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今はかゝる用心あり。此ほどは用心やみて。か様の遊興ありし
きのふはかくありしと。順器がものがたりによつて。つねに委細
をきゝいたり。由良之助。かねて此ことをしりしゆへ。又早鷹をよ
びよせ。しのびやかに閑所(かんじよ)にまねき。先日も申しあはせしごと
く。来る十四日。かねての本意を達すべき日は。尾花どの。珍客
を得らるゝよし。これは近日。和歌江の新宅へ。移宅あるべき
がゆへに。なごりの振舞なるのむね。溝部内方よりも。委細
にこれをつげしらせ。屋かたの絵図なんどまで。さしこ
され候ひしにより。その絵図をうつし。をの/\かたへも一
枚づゝ。かねてさしつかはし候ひき。そのうへ立川勘六も。来
十七八日ごろには。尾花どの移宅のよし。つげしらされて
候ゆへ。夜討によすべき夜は。来十四日と。あひさだめ候へ

ども。か様のことは一大事の専要にて候へば。よく/\念を入
れて。諸方の口を。きゝさだむべき事に候。さるによつて今
一往。たづねきはめたく候なり。それにつき貴殿は。かねて尾花
どのへ。出入する茶人。五十嵐順器とやらんと。懇意にか
たり給ふよし。か様/\の手だてをもつて。そのやうすを
きゝ給へ。しからば必定。ことの次第はしるべきなりと。はかりこ
とのやうを。耳に口をつけさゝやけば。源六よこ手をうつて。さ
て/\子房韓信(しほうかんしん)ふぁ。はかり事にもまさりたり。此うへの思
案は候まじ。それがし此手だてをもつて。様子をうかゞひさ
だめんこと。たなごゝろの中に候とて。おのが宿所にぞかへ
りける。かくて早鷹源六は。由良がいひし手だてにまか
せ。順器がかたへ書状をおくり。来る十四日申し入れたきよし


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いひつかはす。かねて由良がいひしにたがはず。順器返事
しけるは。来る十四日には。めしよせらるべきのむね。御懇切
の段。かたじけなく存じ奉り候へ共。御存じのごとく。日ごろ
出入りいたし候。尾花右門どのかたへ。十四日には。少弐。大友の
人々を。御請待(しやうたい)なされ候ゆへ。下拙も馳走人として。参上
仕るべきむね。かねて右門どのに。直の御仰をまかりかう
ふり候へば。得伺候仕るまじく候。万端は貴顔(きがん)のせつ。御
礼申上べしとなり。早鷹源六ひとりえみして。さてこ
そおもふ図におちたれと。いそぎ順器が返状を。由良之
助かたへもちゆきて。これ御らんぜよとみせければ。由良之助
ひらき見て。さてはうたはふところなく。決定(けつじやう)して候ぞや。
来る十四日は尾花どの。少弐。大友の人々を。招請(てうしやう)せらるゝ


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うへは。昼夜在宿にきはきはまつたり。ことさらに珍
客なり。夜に入るまでに。遊興などあるべければ。家内の
もの共も。つかれ草臥。酒にえひしづみて。前後もしら
ず寝入るべければ。これぞ最上の夜。千載の一遇なり。あつ
はれ夜うちにをしかけ。うちはたし申すべし。さいわひ亡君
の御忌日。かれといひこれといひ。天運すでに循環して。
日ごろ年ごろこゝろをくだきし。われ/\が本懐を。達すべ
き時いたつて。盲亀(もうき)の浮木(ふぼく)にあふがごとし。よろこび給へ
や早鷹どの。われ/\が一命も。今しばらくのほど
ぞかしとて。酒などいだしもてなして。数刻の密談にお
よびけり。尤勇士の。つねとするところとはいひながら。
あたらいのちをかへりみず。忠義のために死せんことを一致

におもひさだめしこと。あはれなりしことどもなり

 富林祐右衛門筋かへ橋に行く事
こゝに由良が一味の士に。富林祐右衛門といひしは。勇敢のほ
まれあつて。故主在世のときは。馬廻りの列につらな
り。三百石を知行して。諸人もおもんぜし身なりしかども。丹
下どの生害あり。一家中城地をさしあげ。退去せしのちは。
まづみやこにまかりのぼり。四条河原町のかたほとりに。しばら
くかくれすみけるが。亡君のあだ。尾花どのをうたんため。その様
体をうかゞはんと。おひたるはゝをあひともなひ。近年か
まくらにくだりしが。政所(まんどころ)の近所。すじかひ橋といふところに
山口治斎といへる。町医師のかりけるが。すこし由緒あ
るものゆへ。かれがもとに。かの老母をあづけをき。わが身は


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かたき尾花どのゝ。屋かたの近所に借宅して。すがたを
やつしねらひけるに。時すでにいたり。棟梁大岸を
はじめ。一味盟約のもの共。四十八人。みなかまくらにうち
あつまり。すでに夜うちの日限。相きはまりしによつて。今
ははや余命とても。きはまりしことなれば。すぢかひ橋に
ゆきて。はゝに今一度たいめんし。最後のいとまごひをも。
心しづかにせんとおもひ。治斎がやどへとふらひ来り。母
をかたかげによびて。しのびやかにいひけうは。内々物が
たりをも。申上たく候ひしか共。親子の間といへどもかた
くつゝ見候ひしゆへ。今まではかくし申して候なり。亡君丹
下どの。御生害ありしこと。みなこれ尾花どのゆへにて候へ
ば。主君のかたきは右門どの。さるによつて。大岸由良之助

父子をはじめ。同志のもの四十八人。一味連判仕り。かたき尾
花どのをうつて。亡君のあだを報じ。死をいさぎよく
いたさんと。此年月さま/\゛と。心をくだき候とことに。時節
すでに到来して。来る十四日。尾花どのゝやかたへ。夜討にをし
よせうちはたすべきむね。一決仕り候なり。しかればそれがし。
存命のほども。今しばらくの間にて候ゆへ。今生の御いとま
ごひのため。参上いたし候なり。それがし相はて候ひなば。さぞち
からんくおぼしめし。御なげきぞ候はんと。おもひやり候につき
て。これのみ心ぐるしく候なり。それがしいとけなきよりも。御
恩をうけしこと共は。須弥山よりもたかく。蒼海よりもふ
かく。広大無辺に候を。その御恩をも報ぜずして。さきた
ちまいらせんこと。不孝のつみも。のがれがたく候へども。主


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のあたには。ともに天をいたゞかずとやらん。弓矢とる身
のならひ。義のために。すつるいのちにて候へば。ちからおよばず
候。それをいとひ候ひて。一味の人衆にもれ候ひなばあれこ
そ盟約の一味をはづして。死をのがれたるおくびやうもの
よ。こしぬけものよ犬さぶらひよと。人にうしろゆびをさゝ
れんは。末代までの恥辱にして。親祖父(おやおほぢ)の名までくだし
先祖に恥をあたへんは。かへつて不孝の第一。のがるゝとこと候
まじ。とてもかくても此たびは。死なではかなはぬそれが
しが身。是非なきこと御あきらめあつて。御なげき候
な。これまでの縁にてこそ候はめ。それがしこそあひはて候と
も。御身においては女性の御事。何の御とがめもあるまじけ
れば。いかなかたにも立しのばせ給ひ。つゝがなく、此世に


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わたらせ給ひて。さかしまなることながら。なきあとを御
とふらひ下されば。死後までの御恩にてこそ。候はめ。かへ
す/\゛ものこしをき奉つて。さきだち候はんこそ。世にも
心うく候へとて。さめ/\とぞなきにける。老母大におどろき。こ
はそもまことかいつわりか。たゞゆめとこそおもはるれ。さり
ながら主君のために。一命をすつることは。弓矢とる身のなら
ひ。かねておもひもふけざるは。みなあやまりといふものぞや。い
しくもおもひたゝれしこと。さすがは弓馬の家にむまれて
けなげなる心ざし。なげくべきにはあらねども。今さら
ゆめ共うつゝとも。わけかねてこそおぼゆれ。さるにてもみ
づからが。いかに女の身なればとて。御身のためには母ならず
や。それに今までつゝみかくし。しらせられざるうらめし

さよ。女の身ほど世の中に。あさましきものはなきぞとて。
しのびなきになきしかば。祐右衛門なみだをおさへ。御うら
みは御尤にて候へども。由良之助法式をいだし。たとひ親
子兄弟たりといふとも。つげしらすべからざるむね。かたく
制し候ひし。これはことの多聞になりて。かたき尾花ど
のへ。もれきこえんかとの遠慮にて。かくはさだめ候なり。
それゆへしらせ申さゞるにては。かつてもつて候はねども
かねてかくと申しなば。ふかく御なげき候べし。これこそ不
孝のうへの不孝なりと存じ。今までつゝみ候ひしと。
数行(すかう)のなみだにむせびけり。母もしばしはものをもい
はず。さしうつむいて居たりしが。白小袖をとり出し。みづ
からにそふとおもひ。さいごの時は。これをはだに着られよと


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て。祐右衛門にあたへ。又ついなにとなく立て。あるじの治
斎が妻の。つねにすみける部屋に入りて。時うつるまで
出ざりけり。祐右衛門はまちはびて。こはこゝろへぬことかなと。
かの部やへゆきみるに。はや母は自害と見えて。ころもは
血しほにそまり。今はいきさへたえはてぬ。祐右衛門をはじめ。治
斎夫婦おどろきさはぎ。湯にくすりよともがけ共。何
かはもつてかなふべき。是非もなぎさのともちどり。なくより
ほかの事ぞなき。富林は。むなしき死がいにいだきつき。なみだ
はさながら瀧のごとく。しのび音(ね)になきいしが。かたはらをみ
れば。一紙のかきをきあり。いそふぃひらき見るに。
 弓矢とる身の道をまもり。一味のかずにつらなりしこそ。
 かへす/\゛もうれしけれ。もしもみづからにこゝろひかさ

 れ。末期におよんで。未練のはたらきをもせば。父の
 名までもくだし。末代までも。はづかしめをのこす
 べし。しからば世にもいひかひなく。口をしきわざなるべし。子
 をおもふ道にさきだついのち。なにかなごりのをしかるべき。此
 ゆへにみづからは。御身がさいごのはたらきを。いさぎよくせさ
 せんため。かくは死をいそぐなり。おつつけて心よく本望を
 たつし。名を天下にあげられりょ。冥途死出のたびぢ
 にて。まちはんべるぞ かしこ と。よみもおはらずふし
しづみ。なきかなしむぞことわりなる。あまりかなしみのやるか
たなさに。むなしきからにいだきつき。かき口説きけるは。累代
の主君はうえせさせ給ひ。御家は断絶し。牢浪の身とまかり
なり。かくまで武運につきはてゝ。あるに甲斐なきうき身


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ながら。此たびうち死すべきいのちの。つゆちりそれはおし
からで。たゞさきだちてまつらん。御名ごりのみをしく存
じ。心ぐるしく候ひしに。くらきにはあらぬをやの心。子ゆへのみ
ちにさきだちたまひ。今御いのちをすてられしこと。不孝
のつみほねにをりて。かなしくおぼえ候ぞや。義をとれば孝を害
す。孝をおもへば義をすつる。おもひわけざるうき身のはて
未来のほどもしられたりと。たえ入るばかりかなしみが。治斎夫
婦にいさめられ。しばらく心をとりなをし。よし/\これも
ものゝふの。とりつたへたるあづさゆみ。いさめんための御はかりこ
と。いしくもおぼしめしきられたり。女性(しやう)にてましませ共さ
すがは勇士のその家に。むまれさせ給ひたり。なんぞわれを
のことして。これをはぢおもはざらんや。今はおもひをくことなし。

なげくまじ/\。よしなの今のなみだぞや。追つけていさぎよ
く。年来の宿意を達し。早々とおひつき奉り。三途の川は御手
をとりて。御みちしるべ申すべし。今はうき世の中に。おもひの
こすこともなく。恩愛妄想のくもはれて。こゝろにかゝや
く真如の月孝姫(かうひ)の迷衢(めいく)をてらさんこと。なにうたがひの
あるべきやと。ひそかにはゝの遺骸(ゆいかい)の。葬送をとりいとなむ
心のうちぞあはれなる

 海辺高兵衛夢想をかうふる事
あさ霜の。いろにへだつるおもひぐさ。きえずはうとしとよ
みたりし。武蔵のゝ冬がれは。おもひやるだにものさびしく。
野も山も。富士のたかねのこゝちせり。いつよりも例にか
はり。ことしは雪の白たへに。ふりうづむ事たび/\にて。とり


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わき十三日には。しのゝめより雪ふかく、烈風人のはだへに
とをり。いしばりするこゝちして。寒気はげしかりしかば。明
日の夜のはたらきこそ。折から難儀の時節なれと。雪
にあしばをきづかい。心は矢猛(やたけ)におもへども。手あしひへこ
ごへなば。はたらき自由なるまじと。海辺高兵衛は。心にあん
じわつらいけり。ことはりかな。今年七十七さい。としをひよは
ひかたむきたれば。いかなる大剛のものにもせよ。ちから気力
もおとろへなん。されば此ことのいあんじけるが。その夜の
ゆめに。ふしぎの夢想をかうふれり
 雪はれて老木の松やこゝろよき
此海辺は武勇に達し。ほまれあるものなりしかども。よはひ
七旬にあまるまで。和歌のみちはつゆほどもしらず。連歌(れんが)


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俳諧の一句をだに。いひ出さん事は。中々おもひよらざ
る身の。かゝる発句をゆめみぬれば。よろこぶことかぎり
なく。亡君のあたをうつて。御恩を報じたてまつらんとおも
ひつめたる一念を。天も感応まし/\けるにや。宿意を達せ
ん前兆ありがたしかたじけなしと。感涙をながしよろこび
て。その夜のあくるをまちかね。早天におき出て。扇がやつに
はしりゆき。由良之助父子に。夢想のものがたりをせしかば
これこそうたがひもなく。亡君の尊霊の。づげしらさしめ
給ふところ。本意を達せんことうたがひなしと。大によろこ
びいさみ。吉夢(きつむ)のいはひを申さんとて。酒肴を出しもてなし
て。海辺をそかへしける。こゝに由良之助が一味の士。後原休助
は。西国がたに。いもふとのありけるゆへ。はやさいごおちかづき

ぬれば。われ主君のあだを報じ。うちじにせしときこえな
ば。さぞやなげかん不便さよ。年ごろわれ一人を。おやともあに
ともたのみつるに。ちからをおとしかなしむべし。いとまごひのふ
みををくらんとおもひ。こほるゝなみだとともに。ふみこま/\゛とし
たゝめて。これを西国の。いもふとがかたへ。たよりにつきてをくりて
たべと。あひしれる人のかたへ。たのみつかはしけるが
 ふりつもるゆきにやくへし身なりとも
  しらでやいかにわれをまつらん
と。一首の和歌を詠じ。短冊にかきて。おなじく書中に封
じこめ。かのかたにぞおくりける。これもまた。由良が一味盟約の
士に。松川喜平といふものあり。かたき尾花どのをうかゞはんが
ため。近年かまくらにくだり。医を業として。なでつけあたま


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にすがたをかへ。名を隆泉とあらため。尾花どのゝやかたの近
所に。すまひして居たりけるが。すでに夜討の日限も。十四日
に治定せしかば。としごろの朋友のもとへ。名残のふみをおく
りけるが。此たび亡君のあたをうつて。年来の宿意を達せんと。
一味同意のものども。あひさだめ候なり。それがしことは。六十(むそぢ)
にあまる老の身の。なみ/\にむかふとも。中々はか/\しき
ことは。あるまじく候へども。一子三平が存念にまかせ。心ばせばか
りの。はたらきをもいたし。死を同じうせんがため。おもひたち
候とて
 のかれじなにげかくれてもいのちにも。
  かへぬひとつの道をすてなば
と。一首を詠じおくりしとかや。さしもにたけきものゝふの。

やさしかりける心ざし。世の人のちにつたえきゝて。かんぜずと
いふことなく。みな泪のたねとなれり

 一味の者共そば切屋がもとにゆく事
一念の矢さきには。石をもくだくいきほひの。あらいそないのう
ちよする。海辺高兵衛の尉は。すでにさだめし日限も。今日といふ
今日十四日。さるのこくばかりに。日ごろ居住せし近所なる。そば切
屋の久助といへる。あひしれるものゝかたにゆき。なにと久助殿。
此ほどは遠々しや。拙者もちかきころ。借宅をも仕舞。此二三
日このかたはやどなしとなりて。饂飩そばきり。餅まんぢう
なんどの。店屋ものを食して。日をおくり候ぞやといへば。久助おど
ろき。さては左様にて候かや。いかやうの子細にて。店(たな)をばあげ給ひ
しぞととへば。さればとよそれがし儀は。かねてしり給ふごとく。


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牢人の身にして。金銀のたくはへもなく。御当地にまかり下り
近年は手なれもせぬ。あきないにとりつき。きざみたばこ
の。ほそき利潤を目がけ。夜をもやすくはねざれ共。さりとは
渡世なりかねて。めいわくにおよび候。それがしのみにかぎらず
故傍輩のものども、大ぶん当地にまかりあつて。それ/\の
家業をいとなみ候へ共。近年諸色高直(しきかうじき)にてみな/\困窮
におよび。世をわたりけぬるにつき。懇意のものどもいひ
あはせ。すみなれし西国へもかへり。おもひよりにしたがひ。い
かやう共。身のかたづきをすべきがため。明朝早々発足と。しめし
あはせ候が。ひるはゆきもこほりもとけ。みちもあしかるべけれ
ば。みちのはかどりやすきやうに。夜のうちにうつたつべし
と。さだめをき候。さるによつて。こよい九つ時分に。みな/\

と同道せしめ。これへ来り候はん。うんどん五十人まへほど。用意
してたまはるべしとて。金三両あひわたし。?ほど来り候は
んとて。高兵衛はかへりけり。久助はおもひもよらぬ。大ぶんのう
んどんをうけとり。酒さかなまで用意して。今や/\とまつ
ところに。大岸由良之助父子をはじめ。高兵衛が案内にて
四十七人のものども。その夜の亥の下(げ)ごくばかり。そば切のこるところ
なく。うんどんそばきり。のぞみにまかせて出しければ。四十七
人のものども。おもひ/\にこれを食し。酒などのみてうち
くつろぎ。しのびやかに。又内談をはじめけり。由良之助座上
に居て。四十七人の。一味のものどもにうちむかひ。先日
芝がやつにて。申し合せしとをり。少しもそむき給ふべか


152(挿絵)


153
らず。一大事おの場にて候ぞ。それがしが申すところ。存じよ
らるゝ不審あらば。たれ人によらず。遠慮なく論じ給へ。
こよひまづ。尾花どのゝやかたへ切り入らば。三人づゝ。一くみと
してあひはたらかん。これたがひに。たすけあはんがため。又無謀
そこつのはたらきを。させまじきためなれば。老人とわか手
とを。あひまぜて一くみとせん。もしそのうちにて。一人きずをかう
ふらば。ずいぶんのこりの二人として。介抱してたすくべし。もしふ
か手にて。とてもかなひがたしとみば。はやくくびをうつて。てきに
くびをとられざるを。肝要と心得べし。又本意をとげて引
とる時。やりなぎなた等の兵具の。名じつしのつけあるを。
こゝかしこにすてをかれよ。かならずわすれ給ふなといふ。こゝ
に丹下どのゝめのと子に。武森由七といふわかものあり。す

すみ出てとひけるは。由良之助どのゝの給ふところ。感心いた
し候が。さりながら不審あらば。たづぬべしとの給ふほどに。心底
をのこさず候。三人づつのつがひ武者手をひのたすけやう。くび
のあげやう。一々理にあたつておぼえ候。夜うちを引とり候時
節。兵具をすてをき候ことは。いかなる手だてにて候ぞ。ふかき
思慮の候にやといふ。由良之助きいて。それこそふかき思案の
候。夜うちをして引とり候へば。そのあとにては、なにものゝし
わざとも。たしかにしるものなきゆへに。強盗押こみなん
どの。しわざにやあるらんと。悪名をとるものにて候。さるによつ
て。名じるしのあるやりなぎなたを。こゝかしこにすてをくこ
そは。そのためにて候ぞや。あとにて諸人。さては丹下どのゝ家来
のものども。亡君のあだを報ぜしなりと。うたがひをはらさんが


154
ために候。これすなはち。夜うちの法にて候といへば。由七よこ
手をうつて。さては左様にて候か。知(しる)をばしるとせよ。知らざるをば
知らずとせよ。これしるゝなりとは。聖人の金言なり、今まのあ
たり。たづねとひ候ひしゆへに。夜討の法をうけたまはつて候。
あしたに道をきいて。ゆふべに死すとも可なりとは。此ことに
てこそ候はめとて。よろこぶ事かぎりなし。由良之助かさねて。此た
びの夜うちに、たとひうち死をし。又は切腹をいたすとも。そ
の最後の時刻まで、かならず/\。てきの剛臆善悪を。かた
り給ふべからず。たれこそはかくありし。その人こそとありしと。
評判し給ふ事なかれ。又おの/\の故郷のこと。父母妻子など
の事を。おもひ出し給ふべからず。それに心ひかれて。未練のさ
いごにおよびなば。末代までの恥辱。天下の人の。わらひ草

となるべきぞ。こよひ尾花どのをうつて。われ/\本意を
達しなば。速席に切腹を。仰付らるゝ事もあるべし。しから
ば芝がやつ国分寺にて。四十七人立ならび。一同にはらをきつ
て。義死のほまれをあらはすべし。かならずわるびれ給ふべ
からず。心おくれし給ふな。はれの所作にて候ぞ。さだめて当分
は。諸大名へそれ/\に。御あづけと仰出され。諸家へ引わたさる
べきか。しからば大小は。おの方へとるべく候。かならず異議なくわた
し給へ。諸家へ御あづけらば。われ/\が切腹は。今年中には
あるべからす。来二月のはじめたるべし。又われ/\が幼稚の子
共の。こよひの夜討に供せざるは。みな遠嶋に仰付られ。流
罪にぞおこなはれんずらん。これ大概をのぶるところなり。
をの/\見給へ。わがいふところ。かならず相違あらじといへば。宗


155
野原右衛門。片山源七兵衛すゝみ出。由良どのゝ御推量は。かゞみ
にかけて見るがごとく。今までのこと共。一つもたがひ候はねば。
此すえとてもさぞあらんと。をしはかられ候なり。の給ふところ
のごとく。早速われ/\に切腹は仰付られまじ。よく/\ことの
実否を。御きゝさだめあるべければ。まづ当分は諸大名へ。御あづ
けぞ候らん。さりながら。われ/\が切腹を。来春二月のはじめ
ごろとは、何をもつての給ふやらん。又此たびの夜うちに。あひ
供(ぐ)せざるところの。幼少の子共を。遠流(えんる)におこなはれんとの
給ふ。此二つこそ心得ず候へ。おさなきものどもまでも、死罪に
おこなはれんずらんと。われ/\はおもひもふけ候。いかなる御思慮に
て。かくは仰らるゝやらん。承りたくこそ候へといへば。由良之助うちわら
ひ。さおぼしめすこと尤にて候。われ/\早速に。生害仰付られん

は。各別の事たるべし。諸家へ御あづけにおいては。来春
二月の上旬。切腹仰付らるべし。そのゆへいかんとなれば。今日はすで
に極月十四日にては候はずや。しかれば年内とても。今十四五日
のほとなるゆへ。歳末の計会によつて。切腹の儀はさしをかる
べし。今年もくれなば。来春正月は。いはひ月にして賀儀のこと
のみにして。此御沙汰はあるべからず。さるによつて。二月のはじめと
こそ。存じもふけ候なり。又のび/\にして。さしをかるべき事に
あらず。しかればこれあきらかに。しれたる事にて候なり。又幼
稚のものどもを。遠流と推量仕りしことは。いかなるゆへとか
おぼしめさん。よくおもひめぐらし給へ。われ/\ことは。丹下どのゝ。家
来のものどもにして。かまくらどのゝ。陪臣にて候はずや。その陪臣又
ものとよばゝるゝものどもが。かまくらどのゝ御家人高家の貴族


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たる人を。うち奉りたるとがあれば。死罪はのがれあるべから
ず。さありとて。幼少のものどもに。何のとがの候ぞ。しかれども
親を刑戮におこなはるゝゆへ。その子共たれば。そのまゝには
さしをかれがたし。又罪科におこなはるべき。そのいはれも候
はず。さるによつて子共はみな。流罪におこなはるべきこと。明
白にあらはれたり。何の不審か候べき。たゞよく六根。直観(ぢきくわん)
五味。直味(ぢきみ)。無色(むしき)/\。無相/\。五味はこれ分寸(ぶんすん)のうち。たゞよく
未発機をつゝしむ。未発の気をしるときは。己発(いはつ)なん
ぞしらざらん。性はこれ清鏡なり。をしおよぼすときは。知ら
ずんばあらず。器(き)をはなるゝをもつて。良将と号す。天地自
然の権。きかずして知り。くらはずして味ひをあしり。見ずし
てこれを知る。万物は理(り)一なり。たゞ物(こと)に挌(いた)り知に致る

は。学者明将の樞紐(すうちう)とするところなりと。未然のことを
考へて。手にとるやうにいひしかば。宗野。片山をはじめ。一座の
ものどもみな/\あつと感嘆す。時に神木与八郎。大に
感称していひけるは。由良之助どのゝの給ふところ。一々おどろ
き入て候。愚痴なる人は。神かほとけか。それほどにゆくすえ
の事は。なにとてさだめらるべきぞと。あざける人もあるべ
きが。それはいまだ。智のいたらざるとことなり。道をもつて推(をす)
ときは。何かしれざることあらん。山になれたるところの。木の
おぼりの上手を。狐は不審におもはずとかや。それ/\の。道
理をもつてかんがみなば。明日にあらはるべし。たゞゆきあ
たりてしるものは。これ良将にあらず。それすなはち盲


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将なり。此ゆへに孫子がいはく。雷霆(らいせん)を聞てきくとせず。
日月を見て明とせずといへり。かく良将の器(き)にあたれる。由
良どのを大将として。こよひ本意を達せんことは。たなご
ころの中なりといへば。由良之助も。心よげにうちわらひ。こ
よひをの/\とわれと。父子のおもひをなし給へ。をの/\とおの
/\とは。兄弟のちなみをなして。表裏列心意趣遺恨を
かならず心にさしはさまず。一致和合をなし給へ。こよひ一時
の死手のたび。三途の川の先陣ぞ。一統一志のさかづきせ
んと。又酒もりにおよんで。をの/\酔(えい)をもよほし。つはものゝ
ましはり。たのみあるなかの酒宴かなと、何となくうたへども
そこには必死の心をこめて。みないさぎよきていたらく。あは
れにも又心地よし。酒おはりしかば。亭主久助。まかり出。何もお

さかなの候はで。御酒もあがりにくゝぞ候はんずれど。今少あがり
ませずやなどあいさつす。由良之助以下これをきゝて。いや/\
酒もよく。さかなもよかりしゆへに。ことの外大酒せり。過分/\と
給へば。和野茅助(やわのちすけ)。亭主その方は。麺類ばかりを渡世として。
かくは家内くらさるゝか。近頃きどく千万なりわれ/\も近
年は。諸色高直なるゆへに。此かまくらにすいわびて。此仕
合といへば。久助さん候。まへ/\は殊の外。御当地もはんじやう
して。商売がたもいそがはしく。渡世もなりやすく候ひし
が。近年世間もつまり申し。うんどんそば切なども、うれかね
申し候ゆへ。ふ勝手にまあkりなり。ちかいころよりは。当地に
はやり候ゆへ。俳諧のとりつぎなど。仕り候といふ。茅助き
いて。それはおもしろき所作をせるゝぞや。当時は世間。も


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つはら俳諧さかんなり。かむりづけか前句なるか。ちとき
かん。なんのそのといへば。さん候なんのそのと申すかむり。明日ぎり
にて候といふ。茅助うちわらひ。おもしろし/\。さらばつけ
てかつたそと
 なんのその。岩をつんざく弓の勢い
と。付ければ亭主よろこび大さかつき壱つ持いでゝ此さか
つきは私連句かんふり付一番がち仕ほうびにとりし
さかづきなりこよひの御ちそうにこれにて今一こんつゝ召
上られ下されと大岸がまへにおく。由良之助市田宗野尾寺
を初め風雅を好む人なればていしゆそのかんむりはいかにととへ
ばていしゆ憚からず
 夜の内に雲井に名をや郭公(ほとゝぎす)

をの/\きゝたまい扨々亭主作者かなしからは此さかづき順
盃(はい)と大岸初め市田宗野尾寺各々順に廻らし由良之助
申さるゝは何とをの/\ていしゆ。うちし夜の内と云五もじに当(あた)
季の発句仕らうをの/\にあそばせと由良之助とりあへず
 夜の内にちからのいきや霜ばしら 大岸由良之助 作名 玄梅
 そらにいきおふ鈴鷹のこえ 早鷹源六 作名 子葉
 すでに今大さかづきのかたむきて 尾寺千内 作名 里龍
 松の座敷に百たんのあや 市田仲左衛門 作名 春松
   下略
をの/\一順一句に身をいわいいのちあらば又もや来らんと。四十
七人のともがら。これぞ一番がちなるべし。かつたぞ/\と
うちわらふて。一同に座をたち。さらば/\とうちいづ


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る。時刻は今ぞとゆふしほの。引はかへさじものゝぶのやたけ
ごゝろぞあはれなる

忠義太平記大全巻第七 終