仮想空間

趣味の変体仮名

忠義太平記大全 巻之十

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/ 忠義太平記大全


208(左頁)
忠義太平記大全巻之第十

 目録

亀が谷(やつ)より国分寺に使をつかはす事
 国分寺の和尚勇気ある事
 鉄羊坊(てつようぼう)石鯨(けい)坊首おくりの事

片山源七兵衛下人にいとまをやらんといふ事
 草履取の鹿助自害せんとづる事
 奥太夫鹿助をなだめし事


209
岡木角之丞国分寺にて自害の事
 竹の下角之丞岡木の養子と成事 
 岡木京都にて病気の事

源六尾花どのゝ最期物がたりの事
 大川八郎病気異見の事
 盟約の者共名刀を帯する事

忠義太平記大全巻之第十

 亀が谷(やつ)より国分寺に使いをつかはす事
漢高は。三尺の剱をもつて。四海を平定すといへども。ついに閻
王のつかひを。ふせぐことを得ず。魯陽は。日を三舎にかへすいきほひ
世の人をして。おそれさせしむといへども。獄卒のしもとをふせぐ
ことを得ず。威せいあつて人をしたがへ。肥馬(ひば)のまへにちりをのぞ
ませ。高門の外に地をはらわすも。たゞ一世の名聞(みやうもん)にして。死
して何の益かある。年ごろの郎従も。めいど黄泉(くわうせん)のそこには
相したがふものもなし。されば尾花どのゝぼだい所。亀が谷の寿福
寺より。国分寺へ使僧を以て。尾花どのゝ御くびを。此方へたまはり
候へ。葬送をもとりいとなみ。ぼだいをもとひ参らせたく候と。いん
ぎんにいひおくらる。仙覚和尚。しばらく思案し給ひしが。心中


210
にをちざりしかば。由良之助かたにゆき。此儀いかにととひ給ふ
由良之助きいて。此方には。もはや此くび。入用は候はず。いかやう共
御はからひ候へといふ。一子力弥。かたわらに居たりしが。もはやのぞ
みのとをりに。亡君には手向奉りつ。此方にありても無益(むやく)のく
び。たゞなげ出してつかはされよと。から/\と打わらへば。由良之助
きいて。なんぢ若輩ゆへ。楚忽なる事を申すものかな。ちかごろ
わか気のいたりぞや。尾花どのをうち奉りし事。その人をころせし
にあらず。これ不義をころせしなり。大名高高家の御くびを麁
末なる申しやう。かならずをろそかにすべからず。とかく和尚の御こゝ
ろ次第に。御はからひ下さるべしといへば。和尚きゝ給ひ。いかに出
家の身なりとて。丹下どのゝかたきのくびを。なみ/\にてはかへす
まじ。しからば愚僧に。御まかせ候へとて。又おもてに立出。尾花どの


211
の御くびを。わたし申さん事は。決してかなひ候ましとてしゆ福寺(寿福寺)の
使僧をかへし。さて又由良之助にたいめんし尾花どのゝ御くびは。い
かゞはからひ候べき。たとひ坊主くびは引ぬかれ。尸(かばね)は粉(こ)にくだかるゝ
共。人によりて。わたし申すまじく候。とかく御さし図にまかせたく候
と。ひたすらにいはれしかば。しかるうへは。尾花どのゝやかたへ。おくり
つかはされ候ひて。しかるべくぞんじ候といふ。さるによつて。尾花どのゝ
御くびを。箱に入れ乗物にのせて。鉄羊坊。石鯨坊といふ。無
双の悪僧二人をそへ。尾花どのゝ屋かたへ。さしつかはさる。尾花どの
がたには。よろこぶ事かぎりなく。いそぎくびを渡しつゝ国分寺
にぞかへりける。そのゝち箱をひらき見るに。尾花どのゝ御くび
の。ありしにもあらぬありさまなれば。右田。長井をはじめ。近習宗
徒のともがら。こあそもかはりし御ありさまやあえなくお人手に

かゝり。かくなりはてさせ給ふこと。さくがに仏神三宝も。すてはて
させ給へるかと。なきかなしむといへども。かへるべき道ならねば葬
送をぞいとなみける

 片山源七兵衛下人にいとまをやらんといふ事
こゝに同意盟約の中。片山源七兵衛が。幼少よりめしつかひける。
鹿助といふ草履取あり。つねに貞心なるものなる故。日頃片
山も。別してなさけをかけゝるが。先年本国を立のきける時も。
かれにいとまをとらせずして。此たびかまくらまでも。めしつれて下
れるなり。しかるにさんぬる十三日の朝。源七兵衛。鹿助をまねき
なんぢもかねて知れるとをり。浪人のかなしさは。渡世今はゆきつま
り。次第にめいわくに及ぶなれば。近日又他所へも立こえ。身上を
かせぎ見ん。この近国に親類等もあることなれば。これらへも立


212
よりて。相談をもすべきなり。左あれば浪人の身として。下人
までも引つれんは。人のおもはんところもあり。かれこれをおもふ
ゆへ。なごりをしくはおもへども。なんぢにいとまをとらするなり。いづ
かたへも立こえ。相応の奉公にもありつくか。又はすみなれし故
郷へもかへり。いかやうのかせぎをもして。後世のやねともなすべし
と。ねんごろにいひしかば。鹿助大におどろき。かほうちながめて
しばしはものをもいはざりしが。まづ/\御身上の儀。おぼしめした
たれし段。珎重に存候。それにつきわたくしにも。御いとま
を下さるべきむね。御尤には候へども。それはあまり御なさけな
き。御一言にて候。尤御一家がたへ。御こしなされ候に。下人までめ
しつれられんは。御遠慮のほど。至極仕候へども。只今にいた
つて。君を見すて奉り。いかでかわかれ候べき。此うへはいづかた

へ。めしつれられ候とも。先様又は旦那様の。御厄介にはなり候
はじ。一所にさしをかれがたく候はゞ。別になり共まかりあり
一人ぐらしにいたしてなり共。御先途のやうを見とゞけ申したく
候と。又余儀もなく返事して。中々にいづかたへも。さるべきてい
はなかりけり。片山も。なが/\めしつかひつるものなるゆへ。同死させん
をふ便(びん)におもひ。なにとそかれをすかし。国本へかへさんとおもひ
いやさ鹿助。最前よりいひきかすべけれ共。数年なじみたるもの
といひ。当地までもめしつれたるものなれば。只なにとなくいと
まをやらんといひしなり。され共なんぢ。われをうらむるうへは。
真実をいひきかすべし。まことはなんぢが奉公ぶり。いに
しへとはかわり。無奉公なる仕かたのみにて。心ざしもかはりた
るやうにおぼしゅ。これといふもそれがし。素浪人の身となり。


213
心もおのづからひがめるか。此ごろは。なんぢがするほどのこと。
わが心に入らず。なにともあぐみはてたるゆへ。いとまをは得
さするなり。とく/\いづかたへも。かたづくべっしといひしかば。鹿
助なみだをはら/\とながし。さて/\是非なき御意のおもむき
わたくし数年。御奉公つかまつり。今日にいたり候へども。いまだ
か様の御言葉は。ついに承り候はず。此うへはとかく申し上げ候はん
も。かへつてはゞかりおほく。存じ奉り候とて。やがて立しりぞき
けるが。そのてい何とやらん。心得がたくおぼえしかば。源七兵衛もつゞ
いてぞと座をたち。様子をうかゞひ見るに。案のごとく鹿助
は。物かげへ行て。自害せんとぞしたりける。片山おどろきはし
りより。わきざしをうばひとり。何としたる存念にて。かく自
害にはおよばんとするぞ。沙汰のかぎりなる仕かた。われに難


214
儀をかけんためかと。あるいはいかり又はなだめ。さま/\゛と制しけ
り。鹿助はとかふもいはず。さめ/\゛となき居しが。是非/\わた
くしが所存にまかせ。死なしてたまはり候べし。かほどまで御見
かぎりに。あひたてまつり候上は。いづくにか身をよせ候べき。ずいぶ
んとぞんじ奉り。御奉公仕り候へ共。御心にかなはざるうへは。生き甲
斐も候はず。主君に見すてられ候ひて。片時もながらへ候はゞ。仏
三宝も。さこそにくしとおぼすらめ。とかく今までの御なさけ
には。死なしてなまはり候へと。むせかへりてぞなきにける。源七兵衛
もなましいなることをいひ出し。いかんともせんかたなく。ともに
なみだにくれたりしが。まづ存じ入れもある間。孫田奥太夫
さいわひ近所にありしかば。孫田をやがてまねきよせ。右の次第

をひそかにかたる孫田これをきゝて。ともになみだをながし
かれが心底。ちかごろ不便のいたり。忠義のほど感じ入て。下
﨟とはいひがたし。明夜はもはや。世間の沙汰になるべければ。こよ
ひ一夜のうちに。たれにかはもらすべき。そとしらせ申されよと
いへば。片山これに同じ。鹿助をちかつげ。両人して一大事をあり
のまゝにぞかたりける。鹿助大にきもをけし。さて/\一大事の儀
を。わたくし式に御しらせ下さるゝ段。生々(しやう/\)世々。わすれがたく候。ま
ことに貴となく賤(せん)となく。主君の御恩は。報じがたき事に候
左様にも候はじ。その場まで御供いたし。心ざしまでの御奉公を
仕り候はんといふ。片山きいて。なんぢが心底。ちかごろ感じ入りたれ
共大切なる主人のかたきをうちとらんためなれば。一味同心のほか
尾花どのゝ門内は。一人もかなひがたし。さるによつて下人にお


215
いては。かたくめしつれまじきむね。由良之助裁判にて。しめし
合せぬるうへは。是非におよばざるところなり。さてかたきをうち
おふたなば。御ぼだい所において。切腹をいたすべし。そのときも下
人においては。一人もめしつるゝ事。かたく無用ときはめいれば
それがし一人その契約を。たがへんことも難儀なり。なんぢが
心ざしのほどは。ちかごろ祝着のいたりなれ共。右の仕合なれ
ば。ちからおよばぬ所なりといふ。鹿助は。つく/\゛ときゝいし
が。委細承りとゞけ候。何を申しあげ候も。とかく御ためを存じ
ての事。此うへはいかやう共。御意次第に仕るべし。しかしなから
御奉公を。仕り候ことも。もはや明暁までにして。此世のなご
りにて候へば。かの門のほとりまて。よそながらなり共見おく
り奉りたく候といふ。片山打つなづき。尤なり/\。しからばあと

にさがり。ひそかに門外までは。来るべしとぞゆるしける。かくて
四十余人の者共。尾花どのゝ屋かたへをしよせ。やす/\と本
望とげ。門外へ引とりけるに。なにものとはしらず。男一人まち
/\来る。まだしのゝめもあけやらで。ものゝあやめもわけかた
ければ。もしてきがたのものにやと。をの/\あゆみとがめけるに
源七兵衛すゝみ出。かれは拙者が下人にて候。御きづかひ候まじ
とて。ちか/\゛とあゆみより。なんぢはまだ。かへらざるやといへば。
さん候。御本望は達せられ候やととふ。中々の事尾花どのを
うつて。本懐を達したりといへばまづ/\尾花よく御う
ちなされ。ふたゝびあひ奉る事。よろこび入て候とて。懐中
より蜜柑おほくとり出し。源七兵衛をはじめ。のこる人々
にもさぞや御咽かはかるべし。御息つぎなさるべしとて。こ


216
と/\゛くこれをくばり。いづかたまでも。御立のき候かたへ。御とも
仕り候はんといふ。片山きいて。心ざしは神妙なれ共。かねていひし
とをりなれば。かならずあとをしたふべからず。はや/\いづかたへ
も立のくべし。これそれがしがためなりと。さま/\゛ことばをつ
くせば。此うへは仰にしたがひ奉らん。今生の御いとまごひ。これまで
にて候とてたちわかれけるが。ゆきがたしらずなりにけり。さ
れば源七兵衛。御あづけの内にも。鹿助がことを。たび/\いひ
出し。なみだにむせびければ。あづかりの御大名此事をきゝ
給ひ。下﨟にはまれなる心底いかにもしてたづね出し。
めしかゝへばやとて。かまくら中をそれとなく。しのびやかに
たづねさせ給ひしか共。いづくへかゆきけん。又自害もやし
たりけん。ついにゆくえしれざりけり。下﨟といひながら。尤


217
希代のものなるべし

 岡木角之丞国分寺にて自害の事
おなじき廿五日。芝がやつ国分寺へ。たれとはしらず侍一人や
び装束にて参詣し。印南野丹下どのゝ御墓所にまいり
花をたて香をたき。なみだにむせび拝しけるが。すこしかたは
らへ立しりぞき。をし肌ぬいで腹かき切り。そのかたなをとりな
をし。みづからふえをかきて。うつぶしになつてぞ死だりける。
寺中の衆徒等大におどろき。何人やらんと。さま/\゛詮議を
したりしに。これは岡木角之丞とて。丹下どのゝ御内(みうち)にて。千
石の禄をたまはり。家老職にさしつゞき。宗徒のものと
いひ。じつはかまくらにてかくれなき。竹の下の孫八左衛門どのゝ。お
とゝにてあありけるが。丹下どのゝ御内なる。岡木の家へ。養子

として来れるなり。近年はみやこのほとりに。身をひそめ居
たりしが。由良之助が。此たびのもよほしによつて。かまくらに下
向せんとて。すでに出立んとせしところに。にはかに大病を引
うけ。十死一生のていなりしかば。かれこれと養生し。大かた
本腹せしかば。とるものもとりあえず。かまくらさしてはせたり
しに。はや由良之助以下の者共。年来の本意を達し。尾花
どのを討しときゝて。大にちからをおとし。喧嘩はてゝの千(ち)
切木(ぎりき)。さても是非なき事共かな。此うへは自害して。亡君
丹下どのゝ尊霊に。心中まことをあらはし。申しひらきに
すべしといひしに。兄弟一ぞくの面々。さま/\゛といさめしが共。か
つてこれを許容せず。それがし此たび死をのがれて。百年の
寿(じゆ)をたもつべきか。十年二十年の遅速はありとも。とても


218
死すべきいのちなり。夫(それ)勇士たるものゝ。死すべきところに
て死せざれば。恥を見るものにて候とて。とまるべくも見えざ
りしが。ついにしのんで国分寺に来り。かくは自害しけると
かや。大丈夫たる人の節義。たれもかくこそあるべけれと天
下の諸人美談して。ほまれを後代にぞとゞめける

 源六尾花どのゝ最期物がたりの事
運の通塞(つうそく)時の否泰(ひたい)。ゆめとやせんうつゝとやいはん。時うつり
事さつて。哀楽たがひにあひかはる。うきをならひの世の中に。
たのしみても何かせん。かなしんてもよしなかるべし。されば盟約
四十余人のともがらは。めし人(うど)となりて。あづけられ居たりしかども
何に不足なる事もなく。さま/\゛いたはり給ひしかば。今は中々
引かへて。安楽にぞくらしける。あるときもてなしのため。その座

に出たる侍大川八郎といひしもの。なさけある男にて。さ
ま/\゛といたわりけるが。あるとき由良にむかひ。尾花どのわ
いかゞしてうたれ給ひしやらん。うけたまはりたく候といふ。由良き
きて。尾花どのも。さすがは累代の武門。御名を惜まれて候や。
はなやかなる御はたらき。かんじ入て候。その外御家来中どれ/\
も。いさぎよきうち死共。目をおどろかし候といへば。大川きいて。
御尤なる御あいさつ。かんじ入り候へども。今ははやかくのごとく。へだ
てなく申し談じ候上は。真実をうけたまはりたく候。つゝまず御
かたり候へといへば源六打わらひ。しからばまことの一とをりを。申し
きかせ候べし。御家来の面々は。こゝかしこににげかくれ。少々
うち出候ひしも。おほくは手疵をかうふり。ころびたをれ候故
尾花どのはいづくにやらんと。こゝかしこと手をわけ。たづねさ


219
がし候へ共。御ゆきがたのしれ申さず候ひき。それより雑蔵(さうくら)に。さ
しかゝり候へば。桶のかげに何ものやらん。かくれしのび候ゆへ。手
むかひをせざるものはすこしも手はさすまじきぞ。尾花どのゝ
御座所を。をしへよと申せしかば。とかふの返事にもおよばず。炭
なんどをなげつけしを。若もの共心せき。やがて手やりをもつ
て。つきふせて候。みな/\立より見候へば。はだには白き小袖。うへに
唐綾のひたゝれをちやくし。年のほど。六十余りと見え候ひ
しかば。さては尾花どのにやとて。吟味仕り候ひしに。先年丹
下に切られ給ひし。疵あと分明に候ひし。そのyへいあねて。く
びの実否(じつぷ)をしらんため。門の番人三人。いけどりをき候ひし
を。一人づゝ引わけ。かの死がいを見せ候へば。うたがひもなき右門
どのなりと。三人共に申せしゆへ。御くびをたまはつて候。御家来


220
の人々の儀は。手むかひ仕らず候はゞ。かまひ申間敷むね。か
ねて申し合せしにより。長屋の前を三度まで。相ふれて候。そのう
へにても。きつて出し人々は。是非なくうちすて申して候。味方に
も。手をひ少々候ひしか共。これは夜中のことなるゆへ。ぬき身の
やいばに行あたり。共具足にあやまつて。不慮の疵多く候。そ
のゝち彼(かの)場を仕舞。門外より二三町も。引とりては候へ共。火の
もといかゞと存じ。みな/\立かへり候ひて。火燵に水をうちこ
み。方々へ水をうちいれてのち。心しづかに引とり申して候ひし
と。委細に物がたりせしかば。大川八郎よこ手をうつて。さて/\
大勇のふるまひ。おどろき入て候なり。力弥どのゝ御事は。いまだ
若輩の御身として。此たびのくわだてに。相くわゝりたまふ事。
ちかごろ神妙に候といへば。由良きいて。さん候若輩ものにて

候へば。此たび存命仕り。父がぼだいをとひ候へと。京にて申し候
ひしか共。此たびいきのこり候ひて。たれにかおもてをむけ候
べき。末代までの恥辱。これにすぎ候はゞ。是非/\了簡に
およびがたく候はゞ。切腹仕り候はんと。逹て申し候ひしゆへ。此
たびめしつれ候といふ。八郎かさねて。かゝる大事のくはだてを。いかゞ
してなされ候ぞ。中々とゝのひがたからんといへば。さん候。大儀の
計略さだめがたく。そのうへ大ぜいうちよりて。密談いたす
べき場所なきゆへ。京にては嶋原。伏見の撞木町。かやうの
遊女町へ。たび/\かよひ候ひて。あひことばをつくり。密談い
たし候といへば。大川八郎なみだをながし。さても/\丹下殿
には。かゝる大剛の人々を。おほくもち給ひしものかな。一
騎当千の勇士とは。をの/\の事なるべしと。大にかんじ


221
居たろぇろ。四十余人のともがらは。みな一やうに。下にはあさ
ぎの両面の半切。うは着は人々おもひ/\。うらはもみうら。
又は紅梅。もゝいろなんどもありしなり。それを小袖に着かへし
中に。富林祐衛門は。下に白小袖を着しけるが。わたくしごと
きのもの。不相応の下着かなと。おぼしめし候はん。これには子
細の候。此たび討死をあひきはめ。老たる母がもとへ。いとまご
ひにまいりしに。死なばよく死ねかならず死したるあとまで
も。見ぐるしからぬやうにすべし。これは母にそふとおもひ。最後
に着用すべしとて。此小袖をそれがしにくれ。母に心ひかれ
なば。未練のはたらきをもすべきかとて。わが身はそのまゝ自
害して。相はてゝ候。さるにより此たびも。はだ着に着し
候といへば。八郎をはじめ。もてなしの諸侍。老母の心底をかん

じ。落涙せずといふものなし。盟約のともがら。みないひ
合せしにや。朝夕の料理をも。おの/\少食にして。そのうへ
菜をば食ふことなし。一両日すぎしかば。今より以後は。精進汁
を。たまはるべしとのぞみけり。されば昼夜によらず。いかやうのもの
出ても。ことわりを申したべざりけり。これは何どきによらず。切
腹すべき用意のため。かくは遠慮せしならん。料理は二汁五菜な
りしを。盟約のもの共申すやう。主人丹下相はて候以後。われ/\
はこと/\゛く。精進にてまかりくらし候へども。此間御馳走ゆへ。さま/\
の御もてなし。かたじけなく候。明日より。一汁一菜。精進に仰
付られなば。別してかたじけなかるべきよし。かたく辞退申し
けり。そのうへ夜食などは。かつてもつてたべず。こよひは別して
寒気つよく。何々の食物を。主人申しつけ候へば。すこしは是非


222
共めさるべしと。達て八郎がいふときは。是非なくみな/\たべし
とかや。浴(ゆあみ)なども。毎日にてありけるを。おの/\下帯を仕ながら。湯
の中へも入りけるに。日ごとに人別。ゆかた一重。下帯一すぢつゝ
出にけり。これも毎日浴の儀。かたじめなくは候へども。是非とも
御ことわり。申し上たく候。切腹仕る時分は此方よりこひうけて
浴を仕り候べしとて。それより四五日に一度づゝ浴をぞし
たりける。かゝるところに力弥いかゞはしけん。やまひにおかされ。相
わづらひけるほどに。大川八郎。力弥にちかづき。此ほどは。御病気
もつての外にして。われ/\までも。心をくるしめ候なり。さるに
よつて。医師に脈をうかゞはせ。くするを服用なさるべきよし
主人申しつけ候といふ。かねてより死をきはめ。おもひつめたる
力弥なれば。療治の儀。仰付下さるゝ段。かたじけなく候へど

も。とても近日死すべき身に。きはまりぬるものを。いつまでい
のちをかばはんとて。服薬したりなんそ。世の人口にかゝらんは。か
ばねの上の恥辱。とかく御免下さるべしと。かたく辞退し
たりしかば。大川八郎も。いかんともすべき手だてなく。傍輩。四(わ)
月朔日(たぬき)笠之進といひ合せ。両人由良に対面しさても力
弥どの。此ほど病気にあひおかされ。起居やすからず見え候
ゆへ。医師をかけ。ずいぶん療養をくはふべきよし。旦那申つ
け候へども。力どのには。かつて御承引候はず。此うへは力弥どのへ
御薬服用の儀。申付候へかしといふ。由良きいて。さて/\御懇
意の段。ありがたき事共。とかふ申し上がたく候。さりながら。かやう
にまかりなり候上は。やまひを療養仕りても。益なきこと
と存じ。服薬は仕らねと。推量仕て候。尤親子にては候へ共。さ


223
やうにおもひつめ候上は。いかやうに申すとも。よも承引は仕
まじ。たゞそのまゝにてさしをかれ。下さるべしといひしか
ば。是非なくしてやみにけり。力弥若年なりといへども。
死を一途におもひきはめ。くすりを用ひざる心ざし。父又
これをさつし。寵愛の一子に服薬をすゝめざる。心の中を
おしはかつて。上下なみだをながし。そでをぬらさずといふもの
なし。さて又盟約のともがらが。帯したる太刀かたな。此たび
の打あひに。こと/\゛くそんぜしゆへ。みな/\こしらへなをすべ
きよし。旦那申しつけ候とて。大川八郎。細工人共をまねき
こと/\゛くいひつけしに。かの太刀刀。代金一枚を下として
みな/\至極の名刀。札付折紙の道具なるよし。細工人
共申しけり。大川おどろき。さて/\おの/\には。結構な

る御刃物を。所持なされ候といへば。由良打わらひ。いかさま
此太刀かたなの中に。少々名刀も候へば。われ/\ごときの
ものに。不相応の刃物かなと。御不審も候べし。これは主人
丹下儀。つね/\゛名刀をこのみ。さま/\゛の太刀かたなを。所持
仕り候ひしが。折にふれ家人どのへ。引出物として。あたへた
るにて候。それゆへ少々。名刀も候なりと。物がたりしせし
とかや。

忠義太平記大全巻之第十終