仮想空間

趣味の変体仮名

当世芝居気質 巻之三

 

読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_00654/index.html

 

2
当世芝居気質巻の三
 ①敵役(かたきやく)の性根をあらはす掛取(かけとり)の毒薬
一人貪戻(いつじんたんれい)なれば一国乱をおこす 一人立敵(いちにんたてがたき)あれば
一日狂言を出来(でか)すとはむべなるかな 顔見世の座組
もまづ立敵が大事なりと芝居仕の名言(めいごん)
敵役が舞台へ出ると見物がいやがり あのやうな
わるいやつはないたれぞ来て意趣ばらしせぬ
かいとおもふほどのにくみがなふてはかね取とは
いはれず 半三(はんざ)ばゝ 鐘平と憎い所が大かねとり
女形の愛がないのと敵役のかわいがらるゝは立身
の出来ぬもとなり 爰に江戸はへぬきの敵役


3
坂東国右衛門は元来呉服屋の大番頭国七とて信
州生れ しばい谷へ仕入商ひ掛損(かけぞん)にあふて親方
へ立(たゝ)ぬと役者の内へにじり込み いつそおれも役
者に成て余所の呉服屋をたおして見みや大
銀(がね)取て掛おこさぬ因縁がしれぬと あぢいな
所から役者となり 元が番頭より出たるといふを
すぐに坂東と呼び 国七を国右衛門とてぬつと
出るから引かけよく大敵の次になをり 人品
といゝこわいろきつと親玉に成べき舞台と
見物の受よければ替り狂言たび/\に国右衛門
でなくばと町々の評判 くつと自身ものりか

くるは芸者のつね慢心鼻あぶらにあらはれ 楽屋入
してわが部屋へ直りあたりにらみ廻し どいつもこ
いつも赤下手であるといはんばかり頤と目づかひ
であいさつし 其いぢのわるさ憎てらしさ
舞台の狂言にかはらぬ体相なれ共 生れ付は
むしもふみ殺さぬ正直者 敵役がしみこんだ身
持は末たのもしいと銀主の呑込もよかりし
されども世話敵 手代役 又はちやり敵などさして
は見物はらいたをおこしてよろこび 手をたゝいて
おらのだ/\ともてはやされ 或替り狂言に一日
反謀人(むほんにん)の親玉病気なりとて替り役を国


4
右衛門に頭取よりだん/\たのまれぜひなく替り
つとめけるが 其位々にて反謀人といふ姿はねからう
つらず 元より一度も位あるむほん人に成た事
なければ其姿のやすさ目黒の不動を公家にし
たやうでこわいばかりでゆつたり気(げ)なし なれ
たもひいきの国右衛門がかはりする事打こむ見物も
なく狂言も今しばし例の反謀の顕はるゝ段
に成て寒気(かんき)はたつ星はおつるどんちやん/\と
せめよする鐘太鼓になれば国右衛門爰ぞとおもひ
しが 屹と四方をにらみまはしちんぷんかんの
寒気ぜりふいはんとせしがすとんと忘れ なんぼう

にらんでも/\一口も出ばこそなんなりと出ほうだい
にいわふと思ふても夫も才覚ならずあたりを
見れども狂言方は居ず 物ほしそふに見まはすを
後見さし心得立よつて何でござると尋ぬれ
ば にらみまはしながら爰のせりふわすれた何
じや/\とちいさい声でいふとおもへど気を取
のぼしたかどうなり声 後見も是にはこまり私
もぞんじませぬ作者をよんで参りませうと
走込む首筋を引とらへコリヤヤイ作者よんで来
るほどならおれがぢきにいくわい おれを見に来た
見物が夫まで何を見て居る物だ ばかなやらうで


5
は有わいといゝさま咽ぶとぐつとしめるおもひ入して
むかふのから井戸へ投込み 是も狂言にある顔で
にらみまはし居たり 見物も同じく夢中 そふ
だ/\わすれても大事ないぶち廻しておけろ
/\と場中一同にめつたぼめに 国右衛門ぬからぬ
顔で何さ/\忘れたぐらいをはつとおもつて
役者がならふかばかな見物だはやいとにらみ付
れば 見物も狂言見に来たではなふて問答気
に成りそれに又ワリヤ何をすべいとおもつて
つゝぱたかるやい 是かヲゝサ是は外の役者めらが
おそく出るからにらみ出すのさイヤそりやうそだ

せりふをわすれたのだ イヤサおらは経宗だが今日
七面大ぼさつにかけていつわりは申さない イゝヤそれ
もうそだ十九日ならば七面殿にうけてともいへけふ
は廿日だわやい 成ほどそんならこふだ七面の明(あく)る
日なれば八面殿にかけてだはやいと 狂言はさし置
見物との問答にはてねば 頭取罷出て日も晩
景に及びますれば今日は是切(これぎり)と断いふて果太鼓(はてだいこ)
群集(ぐんじゆ)の見物とり/\゛に けふは中々おもしろく有た
国右衛門めが忘れた時のつらがまへどふもいへない 明日
もあいつが替りすべいから今(ま)一度見物せねば
ならないと仕そこなひがかへつて愛に成ての大評判


6
さりながら 根が正直ものゆへか其夜よりふるいつき
大焦(ねつ)にてたわことにも昼の問答わすれたが口おし
い一生の不覚をとりしとにらみまはすにぞ家
内あわてさわぎ頭取が聞つけ見廻(みまい)に来るか 銀
主が医者を引合すやらあへかへして介抱夜明方
に本性になりかねて心やすふはなしに来たる芝
野道的(しばの・どうてき)といふ医者をまねき療治たのみいつ
までに治しくれるやと尋ねぬるに 道的もいつ
までといふて日銀は近日で有ふ 夫(それ)とも養生
次第役者といふものは大かたが不養生がち そこ
をきつとやうじやうあらば此晦日(つごもり)までには平癒

有べしと聞て眉にしわよせ 喰たいものも喰ず
飲たい酒も好の変童(わかしゆ)も買ねば治るだ治る事
ならやうじやうすべいと病気でいながらうねくり
ぜりふ よし/\とひとりうなづき医者がいふた通
をきつとまもりほどなく晦日になれど本腹(ほんぶく)せ
ざれば道的を呼よせ コリヤ医者けふは晦日じやが
治らぬぞやと寝ながら医者の首すし引つけて
舞台の借銭乞の形でゆすりかゝるに医者も
医者にて サアよいてや/\治る/\ イヤ治らんぞや
おれが好の酒は呑さず うまい物はくふなとくちを
ひづめ青楼(ちやや)へいくなと気のつまる事斗 其上


7

f:id:tiiibikuro:20200116180042j:plain

夜中 までは
こよひの うちじや
そさう しやるな

さあいしやぼん
やまい
どうするのじや


8
薬見りやみかんの皮やけしずみのやうな物や粒ご
せうのやうな物もあり木の葉ばつかり一つにし呑
し治ふはづがない せめて甘草(かんさう)でもおゝくいれて
有りやまだしものことだ 病がなをらんと此国右衛門が
敵だからいけてはおかない覚悟せろと 銀の胴がね
入しわきざし片手にからだはうごかねども 只天晴
病人ではないきほひぐみにねちらるゝ心地ほとんと
こまり坊主あたまなでまはし サア尤は尤じやがそち
も芸で覚ていやう 夜半(よなか)の鐘ごんと撞までは
晦日のうちだはそれまでに治れば云ぶんは有まい
それにまだ日もくれぬうち治るなをらないの

さいそくする法が有るかサアへんとうぶつどふだ
やいと一寸のがれの理屈にぐつとにらみ付よはみ
を見せぬどすごえでそれならゆるしてこます
とつきはなされ 道的ものりが来てそふも
あるまい/\もし又夜半までに本腹せば
おらを手ごめにしたかわりおぬしもたゞは置ない
ぞ ソリヤたがひだ今宵夜半のかねをごんとつい
たが生死(しやうじ)のさかい ヲゝサ遺恨をはらす匕の
むねうち 本腹せないけりやたつた一打 国右衛門
医者坊(ぼん) しかと詞をつがつたぞさらbだとにげ
かへる 医者もいしやなり病人も 鬼神に横道(わうだう)


9
なんなくも夜半はうてど病俄になをらふ筈
もなく国右衛門大きにおこり につくいやつ此国右衛門
をいつわつたる下手くそ医者 しよせんうせまいあやつ
がところへふんごんでけいやくいたしたからぶちころ
すとのゝしりながら脇指杖に立ふとしても
からだはうごかず エゝ無念口惜しや仮に国右衛門
ともいはるゝ者がまや医者めにたばかられ 此年
月病めにおれがからだをたゞかしたかと思へば
腹がたつ これからは病めをあつ燗で飲しめ追
出してくりやう さて/\是までも養生したが
損だむねがくら/\湯玉がたつと身をもがいて

はらを立れば 世夜伽の者どもさま/\゛介抱し尤
ごうしにたゝきつけふとん打きせいる所へ贔屓に
おほしめす大名家より典薬を引付られ上手
下手のちがひ気のもつれたるとの見たてにて
酒ものめ喰たひものもくへ わかしゆもかへとゆる
してのりやうぢは 所詮本ぶくするまで物の味が
かはつて思ふやうにならん事を知つてゆるせしは
医者の発明是に国右衛門もげんきづき 又典薬
は格別上手だ養生して病がなをらば医者はいら
ないと独り理屈こねまはし 我とわが気がはつさん
するなり薬が的中なり やがて本腹せし悦びとて


10
一座気のあふたる役者朋友(ともだち)へ廻状つかはし本腹振廻(ふるまひ)
をふれける 国右衛門が事きつと馳走するで有ふと
のどずんばいうつてはせあつまる 国右衛門大あぐらで
あいさつ 皆よく来てくれた けふは七月十三日だ
から精霊(せうれう)まつり おらが死だら鬼子母神を祭る
やうに葛の葉に牡丹餅もいけないから鰒百はい
買て料理させた 死るが活きたといふいわひだから
一礼のため鬼子母神へ鰒汁すへておいた 随
ぶん喰ふてくれ/\ ヤア本腹振舞にふぐ汁
精霊祭と一つにして呼とは粋(すい)だ/\ ハテ此国兵衛
がする事にひけとる事はせない 薬が病に当つて

本腹したといふしるし 元より役者だからあたる
といふえんぎで貴様達を呼ぶえゝか/\ そふだ
/\親玉がする事にてんうつやつはばかものだ
サア呑め/\元気組夜通しに飲明し うきよ
壱じ五りんのくらし もとより一寸さきは当てのない十
四日 いつでもはらひのわるい芝居もめが出来たを
さいわいに一文も給金とらねど節季といふ軍
兵門口に勢ぞろへしてこみ入 古借(こしやく)新借居催
促もうつとうしい手代にことはりいはすもふるめかし
当節季はおれがはらひせう ことはりいふてかへす
は馬鹿だ 借銭乞めらがせう事なくてかえる


11
やうになぐさみたいものだがと かねて用意せし
鑵子(かんす)にさゆちん/\たぎらせ 蒔絵のたばこぼん
ひかへ天秤まへに芝居小判の百両づゝ三つ四つ
開平十露盤(そろばん)をひねくり あつはれ払ふと見へ
白い閻魔大王が地獄の勘定する体相(ていさう) 借銭乞
共あきれかへり是は国右衛門様今日はお事多ふご
ざりませう ヲゝ呉服屋殿か節季に事多ふない
所が有ふかいかいばかではある 此残暑に掛取に
あるくとくわくらんがおこる そこでおらが能い
暑気ばらひもらつたから一はいのんでござれと
巴豆(はづ)の粉薬二匕三匕さゆに立てのませば 是は/\

お心の付ました此暑気はどふもこたへられませぬと
云つゝがふ/\/\ 家来衆も一つまいれ それは
おりよぐわい忝しと咽へ通るや通らぬうち腹中
ぐはら/\こたへられねば 後ほど参りませうも
そこ/\に 立かはり来る米屋兵右衛門同じく暑
気ばらひじやと呑むやいなや顔しかめしりつまへ
る体にて御無心ながら便事場(ようじば)かして下され
と走りゆくのもまたず大はらくだり 国右衛門にた
/\さこそ/\おらに借銭乞ふとはくわんたい
千万よい気味/\ それでかさねて乞に参る
なとひとり言 次に酒屋肴屋蒔屋醤油屋


12
追ひ/\来る人ごとに呑せば かけ乞ふている者も
なくみな/\後(のち)かた/\と立帰り 借銭方一人も
のこらず断りいはずかへせしはなんと国右衛門が謀計の
ほど思ひしつたかやあいとにらみまわせしも
舞台のにくみがすぐにあくちやり/\

 ②立役の慢心発起したる悋気の捌き方
立役に生るゝ種は幾百人芸者も多き中に
長村甚蔵は畠山重忠の後胤とて代々請つぐ
捌役 上下来て舞台へずつと出た處はあつ
ぱれ大名国取共見へる人体 一生理屈いふ
狂言ばつかり 誰とらまへて狂言かしても大い

たわけでは有はい乗物やれで高給銀取り ある
年江戸下りの花方顔見世の仕うち評判程にあ
ないと土地請わるく 二のかわりもお定まりの曾我
狂言二の宮の役あまりほつこりともせぬは衣裳
と顔とをけたゝましうせぬうへ声色がにやくなとて
土地の気風にあはず はねめなければ楽屋の習ひ
下手じやの もてない役者だと耳こすりの鏡台
まへ遠慮会釈もせら笑ふ 甚蔵胸にすへかね
手代を我部屋へ呼よせ 割ひざに長きせる 声
音つくろひ小鼻いからせ 其許(そのもと)をよびよせましたは
余の義でもござらぬ わたくし身分の義御当


13
所へまかりくだりまして御見物様の御きげんに叶
はぬはコリヤぜひもない私が下手我身を悔みおり
まする 去ながら役者と申ものは大名役は及ばずな
がらお大名の姿身持をうつし 小身(てうしん)の侍役な
ればそれ/\にすがたばかりてない心持の思ひ入を
いたす 其心はお作者方がよく御ぞんじそれに
御当所のお役者がたの仕内を見ますれば侍がうで
まくりし競(きほい)組様とやらを見る様に下作な事の
仕うち 勿論工藤佑経になるお役者名はわすれ
ましたが出合まして狂言のなされやうを見ま
すれば 右大将頼朝公の名代を勤る仕うちは

少しもなく 曾我兄弟をとらへコナ磔野郎めばか
なつらけちな素野郎では有わいとにらみまはし
てけちらし 工藤といふ大名ではなふて上方の
わるものが酒のんであばれるやうな思ひ入れ 所を
御見物が親玉め/\と手をたゝいて御よろこびの体
アリヤまことは上手じやとおほめなさるではない 気
違をおだてる心でごさる 夫をよいかとおもふて切
幕上させずつと出るとにらみまはし 低い背を
高ふみせんとつぎ足をまたつまだて そりか
へつてしやきばるは作り物の風の神 おはらが
立ふか存ぜねど我一人ではめはづす大入と心得


14
ちがへ芝居といふ物は御ぞんじの通り座中一統に
持ち合ねば銀子は上らず大入とは申されぬ そこへ
心の付ぬは井の内の蛙鳥ない里の蝙蝠とやら
それと私と一口におぼしめしくだされては大き
なめいわく 一生致さねばならぬ狂言 年のまわりで
御見物のうけのわるいとよいとは芝居をなさるゝ各々
の仕合不仕合 なんとさふは思召さぬかどふか/\と
すりよつて鏡台ならびを打こむ意趣ばらし
我ひとりよがつて慢心と悪口とでまるめた偏
執 手代も返答にあたまのはげるほど術ながり
諸事ヘイ/\で前後に心づかひ 是が根になり

がくやのすれ 芝居がつぶれねばよいがと向ふの事に
ひやあせたら/\゛ あてこすりがいゝたさに呼付たと
はしかりながらかへらつしやれといはねば立にもたゝれ
ずうぢ/\もぢ/\ 甚蔵は心よげにせきばらひ
いかさま御退屈にござりませふ家来お茶あげい
イヤナニごゆるりされませ身じまひを致しまするサア/\
御遠慮なくなされたがよくござりますしからば
御めんくだされいと 誰にあふてもいんぎんあいさつ
舞台にかはらぬ行儀をつくれど老年といふつは
もの口おしながら衣裳も後から着せかへさせ
かづらを取れば天窓(あたま)は丸で茶瓶 はげたといふは


15
まだなこと ぼんのくぼにうぶけまじりにつまむほど
有やらないやらこんがうかくしでかいなで/\びん
からわげまで惣つけ髪 ゆい立るではないひつ付て
まはるを見て 手代はふつと吹出したい所扇でかく
しせきばらひ 心でつく/\゛とんとの坊主だ牛の
陰鬢(どうびん)見るやうなあたまで居ながら根性のわる
いと歯でかむやうに思ふている顔が前の鏡に
うつりしが御手代様何をにた/\おわらひなさ
る 私が此天窓を其許様に見せまするは面目
次第もない 御覧のとふり月代は青土佐ではり
ましたやうに青黛(せいたい)でつくり立 髪はぶせうで化

しますれど コレ是にはほとんどよはりますると
顔の皺ゆびざししての述懐は真実心 イヤモ其
元様にもよい年をしていつまでもうか/\勤るは
金銀がほしさ 欲には限りがないもつては死なぬと
おさげしみも有ふが中々欲徳ではないコリヤ是
今までの舞台冥加と存ての義 且又当年
久しぶりにて御当地へ帰り新参も身延山
へ参詣いたし度き願ひ 夫ゆへ給金はいかほど成
ともとおりきわめいたさず道中金の上せば
かりで下りましたので御推量下されいと まけ
おしみの口上は一生やまず 給銀高ばつては誰も


16
かゝへぬ身の上 是までの芸の徳で甚蔵といふ
名ばかりかゝへる芝居仕の臆念そこへ心が付ても
付かぬつよひ顔 しかし御沙汰は無用かやうに年
よりましても女子にあふてはまだ鉄壁でご
ざりますハゝゝゝゝと いくつに成ても若い事いふ
心底も見へほどよぼけはせぬと云はぬばかりの
おどけばなし 手代もおかしうはなけねど其
立端なき折ふし お迎ひの篭参りしと部屋
の小口まで舁込む見てくれ 甚蔵はよろ/\
と立上りかの篭にのりうつり まだだんじたき

義は明日ひそかに もうお帰りなされ 家来乗物
やれと舞台の狂言がしみこんでの口くせ 天晴
立者またとない上手なれ共きりんも老ぬ
れば駑馬 芸者も年よれば若年がつき廻さふ
と物いゝのたね 年中たがひにすれのなき事
もなき楽屋 それよりは甚蔵が家内のもめ
女房おえんがりんきぶかさ まかなひ女子に手を
かけたをかぎ出し火のやうに成ている所へ 甚蔵
かごにゆられて我家の内 はいるやはいらず女房
がつゝかゝり コレ旦那殿 ヤア/\ ヤア所じやない何も
かもよふ知つていれど今までしらぬ顔して


17

f:id:tiiibikuro:20200116180119j:plain

此ていなれば
さうほうも
ろんはむやく
さらば/\

あのやうな
者に
どこが
見こみで
あた
いやらしい
おいて もらおふ

それはあんまり
もぎどうな
まあまつて下さり ませ


18
いればよい事かとおもふてよし/\と昼寝は我
まし 毎朝/\ゆをわかして白粉(おしろい)ぬるか 髪には
三時半づゝかゝつておまへがもどると旦那さん/\
と舌をなやしてめかすが気にくはぬ もうよい
かげんに切あげて仕廻はしやれとおもひがけなく
わめかれて 甚蔵わざとそしらぬてい ソリヤ
こなた誰が事をなんといふのじや ハテとぼけさ
つしやるなこなさんがつまんでくたそれそこに
いる女童(めろう)の事じやわいのふ それがなんとした/\
エゝ其おちついた顔が猶はらがたつあたすかん
網杓子にちりがみはつたやうな顔しくさつて

どふしなさいこうしなさいとなまりちらしてあた
いやらしいあんないけん女子を物くひのよい大かたかぶせ
たのじや有ふ 何じややら江戸さんかいへ来てろく
な色事かかつへたらしいよい年して ソリヤもう役者
の事ならいくつに成ても色事せまい物じやな
けれどあんな小便たれをば外聞のわるい 今わし
が見るまへで隙やつてしまや/\と ざんげざく
らりんきからおこつたあくたい 女子も聞かねコレ
上み様そないにわるくいわないものだ おらがいつ夜(よ)
尿(ばり)をして小便たれたとはわるはう付めさる おらが
器量のわるいははらからでもない疱瘡(いほ)からのこの


19
へんば ソリヤがつてんで旦那さまがおなぶりなさい
しんじつだとおつしやつたからせう事なしと皆迄
いはさず エゝもういやるな其しんじつが猶すかん お
まへもあんなものにせいごんだてさんしたかいのふ/\
と 甚蔵がむなづくしとつてゆりまはされ ハテ
見ぐるしいこゝはなしやれ 腹の立事も有ふが妬(と)な
ればさるといふてあまり物ねたみする女は去つて
しまへと聖人のおしへ なれども此事はそふ無得心
にもなしそなたに見かへて女房にするても
ない さすれば当分の一興其やうに角目立ぬがよい
わい イゝエつのめだゝにやなりません そんなら此間の

ばんにおらを上様にしてやるといゝなさいたはいつわり
か あてこともない事聞てはおらぬと下女がつゝかゝれば
女房があれあの通りあつちはつよふ来るはづ わし
をさつてあの女子を女房にもつと 又われもお
れをさらしてぬく/\と内へはいらふとはそふう
まふはさすまい 三十年からうへ付添ふたわしじや
慮外ながら公儀(こうぎに)してもめつたにさられていよふ
かこなさんもあんなあほうらしい事がよふいはれた
のふ/\ イヤモ唐土(もろこし)の聖人孔子 大聖世尊(だいしやうせそん)
釈迦牟尼仏も煩悩の道ははなれ給はず ま
してや日本伊弉諾伊弉冉尊天の浮はし


20
にて陰陽和合をはじめ給ひし己来(このかた)穴嬉しやの
詞のはじまり 是むつごとの神道秘事としかつ
べらしういふも云はさず エゝ聞とむあいちんふんかん
そんあこといふ口で其女子をすつぱりとわしが目の
まへで隙やつてしまや 女童(めらう)われもとつとゝ出ていけ
おれが置かぬと額の筋 あらけ立たる下女の顔
まつ黒になつてはらをたて いかにかみ様だとゆつ
てそふごうはいにいはれてはおらも女子だこん
りんざい旦那殿とえんはきらん 切らんといふてどふ
しおる ハテどふせふにやおらが爰の上様に成て
見せる イヤならぬ なつて見せうと下女女房 いぢと

りんきのしゆらもやし のちにはたがひになげうち
のきせるへしおりはぎしみはぎり畳たゝいてくろ
くすぼり モウ主とはいはさぬ イヤ下司女めと立かゝり
双方たぶさつかみあふ家内の騒動 甚蔵も老人
の制しかねハテさてはしたない両人共に立つ思
案があるマア/\まてと調子はり上ひよろ/\/\
さすがは女あぶない/\と両方から抱きとめ シテ
又わしらが一ぶんの立しあんとは されば/\ 伝へ
きく加藤重氏は妾(てかけ)本妻のねみだれ髪蛇と
成てくひあひしを見て 外面(げめん)似菩薩内心如
夜叉とさとり 其まゝ髪を切て発心せし事


21
芝居の狂言と思ひくらせしが今まのあたり蛇
よりおそろしき鬼女のあらあそひ 見るに心の
煩悩即菩提 女のよれる髪すじには大象も
つなぐといへど我は中々つながれぬ証拠の
黒髪切はらふに及ばぬぶせうかづらと鬟を
もつて引はなし二人が中へぽいとほふれば
きもをつぶし 双方一度に付髪のはし引ぱり
あひ そんならわいsらがあらそひを見てあい
そつかして発心なされ其つむりで出てゆく
のか なんぼうでもやりやせぬ/\と取つくを
左右へふりはらひ 今さら未練千万棺桶へ

はいる時はどふで一度はのがれぬ坊主 加藤重氏はかる
かや道心 我は是より今同心 もとよりそらずに引
はなしたる黒髪 猶なつかしき天窓のうつり香といふ
古歌の心 そんならどふでも御出家にハアと大泣すれ
ばこなたは衣紋つくろひ 両人の女えんあらば重ね
てあをふと云すてゝ出て行し所は高野とをい
行たい所々ずつとゆかれしはとめてとまらぬ
  ざんねん/\

当世芝居気質巻之三終