仮想空間

趣味の変体仮名

むさしあぶみ 下


読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537561


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   むさしあぶみ 下

明れは十九日江戸中によろこひをなき者
歎きをいたすもの相まじはりていとさう/\゛し
かりけり。焼残りし貴賤その一族どもの類火
にあひしを日ごろのよしみ此時なり。いかでか見す
つべきとそ。焼跡にはせ集りとやかくやと懸
まはる。あるひはかゆを焚てもち来り。あるひは酒
肴ををくりつかはしなんどるす處に。巳のこく
ばかりに小石川の伝通院おもて門の下。新鷹匠
町。大番衆与力の宿所より焼亡出来れり。此
煙のありさまを遠き所よりみるものは。しばし


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が間は旋(つぢ)風にまきあぐる。土煙なりといふ者も有
又きのふの焼野のきえ残りたる煙なりと云
ものもありて。火事とはしかと見さだめず。しか
も北かぜ宵よりも程はげしくふきしかば
時刻をうつさず吉祥寺の学寮院々坊々にもえ
うつり。車輪ほどなる炎くろけふりの中に飛
ちりて。十町二十町が外にもえわたる事。同時に
廿余ヶ所なり。しばしが内に水戸中納言殿さし
もつくりならべ給ひし大きなる御やかたに火か
かり。焔と煙とまきたてもえあがり。大堀をへだ
てゝ本鷹匠町の森のした。飯田町典寿院の御

所。左右典厩公(てんきうこう)の両御殿中の丸横。御殿守二の丸
三の丸を初めとして松平加賀守おなしく伊豆守
土肥遠江守。水野出羽守。本田内記酒井津の守。藤
堂大学頭。小笠原右近太夫。安藤対馬守。土屋民部
少輔。井上河内守。酒井雅楽正(うたのかみ)。松平和泉守。おな
じく五郎。おなじく越前守。これらの御やかた金
銀珠玉をちりばめて。みがき立たる大廈高楼(たいかかうろう)。む
ねとの大名十五ヶ所。其外両町奉行の御番所。中
川半左。伊奈半左衛門。天野五郎太夫。御細工小屋
ともに五ヶ所。ときは橋のうち合せて廿ヶ所。それ
よりうちつゞきて鍛冶橋の内むねとの大身(たいしん)に


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は。細川越中守。松平新太郎。おなじくさがみの守
御執事酒井讃岐守。山内土佐守。有馬中勢(ちうせう)。京
極丹後守。戸田左門。蜂須賀阿波守。森内記。京極主
膳のかみ。小笠原主膳正。吉良わかさのかみ。保科弾
正。松平丹波守。溝口出雲守。新庄越前守。松平但
馬守。織田いなばのかみ。松平遠江守。同出雲守。小出
伊勢守。織田丹後守。杉原帯刀(たてわき)。松平能登守。伊丹
蔵人(くらんど)。久世三四郎。酒部三十郎。おなじく長門守。毛利
市三郎。水野下総守。山名主殿(とのも)。米津(めづの)蔵人介。前田
右近。出野(いでの)甚助。中根吉兵衛。近藤石見守。同縫殿介(ぬいのすけ)。日
根野織部。神尾(かんのお)宮内。伝奏屋形。医師道三に至る迄

大名の屋形廿六ヶ所。小名の屋形十七ヶ所。伊達遠江
奥平大膳正。真田河内守。大久保加賀守。伊井兵部。松平
山城。青山大膳。九鬼大和守。堀美作各々数寄屋橋の内
九ヶ所。南北都合七十二ヶ所年月日頃作り并たる屋形/\
善尽し美尽し。みがき立たる大廈高?(たいかかうしやう)の構。数万間。前後十五町
一同にもえあがり。黒煙天をこがし。炎は雲を焼き。棟木瓦
のくづれ落つる音おびたゝしともいふはかりなし。乾坤(けんこん)
これがためにかたふき。山河此故にくつがへすかと。諸
人肝をけし魂と失ふ。世界さなから猛火となる。たゝ
これ大の三災一時におこりて。国土こと/\゛く劫火の
ために焼うするかとおぼえし


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(挿絵)

申の刻より北風になをりて。いよ/\あらく吹
しかば。これにて焔を吹きりて。紅葉山西の丸は堅
固に残りけるこそあやうけれ。御馬場の近辺。土手
をさかひてやようすかし(八重洲河岸)へとびうつり。北みなみ廿余
町一面になり町屋をさして焼出る。これによつ
て中橋京橋の町人とも。きのふの火事のまださ
めざるにうちそへて。又けふの大火事これはそも
何事ぞや。只今世界は滅却するぞやといふ程こ
そ有けれ。大きに周章(あはて)さはきて。昨日の焼跡へのか
むとて中橋を北へとこゝろざすものもあり。又
風下(した)を心かけ。京ばしを南へとはしる人もありて。


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男女家々も町もうへをしたいもてかへし。鍛冶町と
長崎町のものども。前後ひとつになりて逃出つゝ
いやがうへにせきあひたり。去年霜月の頃より今
日にいたる。まて。既に八十日ばかり雨一滴(しづく)もふらて乾
切たる家のうへに。火の粉おちかゝりはげしき風に
吹たてられて。車輪のごとくなる猛火地にほと
ばしり。町中に引出し火急をのがれてうちすて
たる車長持は。辻小路につみあげせきあひ。人更に
心のまゝにとをりえず。諸人もみあひこみあひ
ひしめく間に。猛火さき/\へもえ渡りしかば。目の
前に京橋より中橋にいたるまで。四方の橋一度に

どうど焼落る。爰におひて火の中にとりまかれた
る諸人。一連れにみなみに行北に帰り。ひがしにしを
あがきめぐり声をそろへておめきさけぶ。すで
にまぢかくせまりてもえきたりけるとき。あまり
にたえかねわれ人をたがひに楯になして火をよ
けんとする中に。まくれかゝる煙にむせびてふし
まろぶものもあり。あるひは五体に火もえ付て
たをれまどふ。せきあひおしあひける中に。煙に
むせび火にかやれてうちたをるれば其うしろなる
ものども将棋だをしのごとく一同にたをれこ
ろぶ其うへゝ焔おちかゝり。煙うずまきおめきさ


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けぶこえ。これや此ぢごくの罪人どもの。せうねつ
大せうねつの焔にこがされ。ごくそつのかしやく
をうけ。けうくはん大けうくはんの声をあげてか
なしみさけぶらんも。かくやとおぼえてあはれ也
是にて焼死するものをこそ二万六千余人。南
北三町東西二町半にかさなり臥す累々たるしがい
更にあき地はなかりけり。家財雑具太刀かた
な。金銀米銭(べいせん)いくらといふかずしらす。辻小路
にうちすてふみ付焼うする。あはれといふもお
ろかなり

(挿絵)
「京はし」


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それよりみなみは新橋木挽町。東は材木町。水
谷町へ焼わたり。二町余りの川むかひ。紀州大納言
尾張台納言の両御蔵屋敷より奥平むまさ
かの守にいたるまで。大名のくらやしき十六ヶ所こと
/\くちりはいとなる。果には鉄砲津へ吹つけて其
日の酉の刻ばかりに海辺にて焼とまる。浅草川
深川よりこれまで惣じて六里あまりの湊々に
て舟どもの焼かる事いく万ぞうとも数しらず。か
くてやう/\焼しずまるかとおもひしに。申の
刻ばかりに江城(かうじやう)の西。小路町五丁目の在家より別(べち)
に火もえ出て。松平出羽守おなじく越後守。同く

但馬守。其外数十ヶ所さしも奇簾巌浄なる
山王権現勧請の地。天神の社にいたるまで。たち
まちに咸陽一朝のけふりとなり。いよ/\西かぜ
はげしくして。東照権現の御屋しろ。紅葉山
へ猛火しきりに吹付しかば。あやうかりける處に
権現おうごの御力をや添られけん。俄に北風と
なりて吹切ければ。西の丸つゝがなく。残りける
こそめでたけれ。それより南のかた大名小路
焼とをる。伊井掃部頭(かもんのかみ)。上杉弾正少輔(せうふ)。毛利長門
伊達陸奥守。嶋津薩摩守。黒田右衛門の佐(すけ)。鍋嶋し
なのかみ。南部山城守。真田伊豆守。丹羽左京。相


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馬大膳。去国刑部少輔。松平伊賀守。同周防守。戸
沢右京。水野美作守。水谷(みづのや)伊勢守。金森長門
板倉周防守。土方河内守相良左兵衛。浅野安芸守
同内匠。同因幡守。仙石越前守。亀井能登守。伊藤大
和守。松平左京太夫。同大和守。柳生主膳正。秋田淡
路守。小出大和守。大田原備前守大関土佐守。鍋嶋。紀伊
守。究竟の屋形。廿六ヶ所。小名には兼松四郎。高木
肥前を始として。都合廿余ヶ所。その外御成(おなり)橋の御
門の中は一ヶ所も残らず。たちまちに片時(へんし)煙と
なりにけり。又西の丸の下に至りて安倍豊後守
堀田上野守。水野監物。松平外記北条出羽守。稲

葉美濃守。大久保右京。酒井備後守。松平縫殿。同
若狭。その外一文字に桜田の町屋に焼うつりて
すぐに愛宕の下大名小路へうちつゞく。まづ大名
には。有馬蔵人大村丹後守。秋月長門守。稲葉能登
守。脇坂淡路守。中川内膳。嶋津但馬守。一柳監物。木
下伊賀守。山崎甲斐守。植村出羽守。桑山修理青木
甲斐守。分部左京。北條美濃守。松平隠岐守。大嶋
茂兵衛。小出大隅守。織田源十郎。堀三右衛門。佐久間不干(ふかん)
内藤左京。能瀬小十郎。伊達政宗中屋敷。毛利長
門守。の下屋敷。同吉川美濃守の宿所をはじめと
して。大名小名の屋かた八十五ヶ所。同時に焼くづれた


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り。さて桜田の火すでに通り町にもえ出て。海辺に
て保科肥後守下屋敷。伊達陸奥守の倉やしき
脇坂淡路守の下やしき。又そのほかに芝の濱手に
は。松平さがみのかみ。亀井能登守下屋かたにい
たるまで。以上都合十八ヶ所。増上寺の中にては
東照権現の社頭。怠徳院おなじく御台の御廟
おなじく本堂経蔵鐘楼五重の塔婆。三門北
のうら門などは。つゝがなく相残れり。されども所
化寮百十ヶ寺。おもての東門神明の本社神楽堂
護摩堂あやしのかずならぬ禿念(?ほこら)にいたるまで
その夜のうしの刻ばかりにみなこと/\く炎

上せり。此時分にはかせおだやかにゆるく吹け
れば。うちけすならばたやすかるべきに。諸人
たゞおどろきあはてゝ。方々ににげちりて命を
大事とかまへたれば。人さらになしかぜはふかね
ども火はこゝろのまゝに焼行ほどに。増上寺
りみなみへ十一町。芝口三町め。海手にいたりて火は
をのづから消にけり


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(挿絵)
「もみち山」

本郷よりこれまでその道すでに六十余町
四方十余里まさにひろき野原となりて渺々(べう/\)と
してほとりなし。惣じて町中五百余町大名小路
五百余町。大みやうの屋かた五百余宇(う)。小みやうの
祝所六百余ヶ所。その外汎々のともがらはあげて
かぞふべからず。御城の殿守大手の御矢ぐらを
はじめて。外郭浅草の見付神田のますがたに
いたるまで。矢ぐらの数三十余ヶ所。又日本橋をはじ
めとして。江戸中にありとあらゆる橋々六十ヶ
所。此うち浅草橋と一石橋一つ。すなはち其橋も
と後藤源左衛門といふものゝ家ばかり。江戸中の名


33
残に只ひとつ焼残り。土蔵のかず九千余庫そ
の中に焼のこりたる八十分が一もこれなし。代々の
重宝家々の記録も此時にあたつて失せぬらん
次に堂社には。神田明神山王権現。天神の社。神明
の本宮。誓願寺。知足院。日輪寺。西東両本願寺。本
誓寺。典学寺。吉祥寺。金剛院。弥勒院。大龍寺。?光(せんくはう)
寺。薬師寺。珠見(しゆけん)寺。願教寺。唯然(ゆいねん)寺。地蔵院。霊巌寺。報
恩寺。朗泉(ちうせん)寺。長久寺。信教寺。常蓮寺。増上寺の所
化寮。開善寺。海晏寺。常徳寺。善徳寺。圓應院。其
ほかの寺院三百五十余宇。みなこと/\く焼ほろ
びたり。昨日十八日の昼より焼おこり。十九日のあけ

ぼの。廿日の辰の刻まで昼夜四日の大火事に。おびたゝ
しき旋(つぢ)風ふきて。猛火さかりになり。十町廿町をへ
だてゝ飛こえ/\もえあがり/\けるほどに
前後さらにわきまへなく。諸人にげまどひて焔
にこがされ煙にむせび。又は大名小名の家々に
日ごろとしごろひさうして立飼れける馬ども
いくらといふかずしらず。家々に火かゝればすべき
かたなく綱をきりて追はなし/\せられしかば
此馬ども人と火とにおどろき。逸散にかけ出し
あまたむらがりたる人の中にかけこみ行つ
まりて。人と馬とおしあひもみあひけれは。これ


34
にふみころされうちたをされ。火にやかれ煙に
むせび。あそこ爰の堀溝に百人弐百人ばかりづゝ
死にたをれてなしといふ所もなし。火しづま
りてのちつぶさにしるし付たれば。をよそ十万
二千百余人とぞかきたりける。一るいけんぞくの有
ものは。尋ねもとめて寺にをくりしもあり。大か
たはいかなる人いづくのものともたしかならず
かはりはてたるありさま。それとさだかにしる
事なし。やがて此しがいをば河原のものに仰付
られ。むさしとしもふさとのさかひなる。牛嶋と
いふところに舟にてはこびつかはし。六十間四方に

ほりうづみ。あたらしく塚をつき。増上寺より
寺をたて。すなはち諸宗山無縁寺回向院と号
し。五七日より前に諸寺の僧衆あつまり。千部の
経を読誦して跡をとふらひ。不断念仏の道場
となされけるこそ有がたけれ。江戸中の老若男
女袖をつらねて参詣し声うちあげてもろ
ともに。念仏申てえかうするこそたうとけれ


35(挿絵)
「えかういん」


36
あるひは老たる祖母(うば)おうぢは生残りて。わかくさかん
なる孫子をうしなひ。あるひはにようばう只
一人残りて子どもや夫にはなれたるもあり。す
べて一家(け)のうちには五人三人。又八十人あまり
もむなしくなりて。つれなく只一人二人生残り
てなげきかなしむといへども。さすがに身をも
すてられねば。血のなみだをながして泣より
ほかのことなし。家々はのこらず焼て江戸中
ひろき野原となりて。とりかこふべき竹のはし
ら。すがごもだになければ。焼つちのうへにうづく
まり。昼はせめてもの音にもまぎれよかし。夜に

いればあとなくものすさまじく。おもひめくら
せばかなしきともつらきともことばにはのべがたし
親にをくれ夫にはなれ。子供をうしなひ妻をころ
してかなしさのあまりに。五輪卒塔婆をかひ
もとめて。回向院につかはし無縁塚のうへに立る。
ある人一家に十人あまりうしなひて。其ため
にそとはを十本もとめけるが。此うちへ今一本を
添て給れといふ。売手おほくはせぬ事なり
何のために一本を添よとはの給ふといへは。此人こ
たへて申さるゝは。親類のうちに焼毒(やけど)をしてい


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たむものあり。もし死たらば。それにもたてゝと
らせんためなりとこたへけり。いにしへ五輪を
添よと申せしはなしの有て。世の笑種(わらひぐさ)とな
れり時にとうてはかやうのことも有けるものかな
あまたの死にかばねをひとつ穴にうづまれし
事なれば。我親類はそこもとに埋(うづも)れたりとは知(しら)
ねどもせめてかなしさのあまりには。おもひ/\に
五輪卒塔婆を塚のうへに立ならべて。聖霊(しやうりやう)頓
証仏果のためとえかうして。花をさし水をくみ
て。跡をとふらひなく/\念仏申すありさ
見きくにつれてあはれなり

(挿絵)
「大はし」

38
其年の十一月より当年正月にをよぶまで。日て
りして青天さやかに黄泉も乾ききりて。今月の
廿日まで雨は一滴(しづく)もふらざりしに。廿一日に。大雪
俄にふりつみて。あらしはげしく寒き事
いふはかりなし。かゝるほどに江戸中には米と云
もの一粒(りう)もなく。三日があひだ大飢饉して。其
うへ竹木(ちくほく)なければ假屋をもはらず。大かたみ
な雪霜にひらうてにうたれて。寒さはさむし
飢凍えて老若男女おほく死けり。一業所感のいん
くは人ども。死すべきときのさだまりけん。火をの
かれては水におぼれ。飢て死に凍て死す。いづ

れ命はたすからず。無慙といふもおろかなり
しかる處に御城の西の方山の手すぢわづかに
残りし大名小名よりして。おもひ/\にあるひは
日本橋あるひは京橋方々におひて假屋をたて
奉行をそへられ粥を煮てうえたるものに
施行せらる。又御城中よりは。内藤帯刀。松浦
肥前。岩木伊予これらの人々を御奉行とし
て。御成橋。新橋。日本橋。筋かひばし。増上寺
に仮屋をたて。かゆを二煮させて飢人(きにん)窮民に
施行し給ふに。江戸中の老若男女あつまりて
給はる。もとよりうけて喰べきいれものもな


39
ければ焼われたる茶碗のかけ。瓦のわれにてうけて
食す。それにも及ばずあまりに寒く飢たる
悲しさに。直に手にてうくるもあり。其諸人の有
さま。あるひは頭(かしら)のかみかた顔半ば焼てうけだるも有
或は小袖の前後ろすそまでもえたうをもみけして
やう/\肩にかけ手足の焼損じたるも有。妻子(めこ)孫
子に別れてなく/\集る人も有。其年(かみ)はさしも富貴栄
華なる人。一跡(せき)皆失ひつゝ。手と身とになり命斗を
たすかりて。寒さのまゝに恥を忘れたる若き女房
なんどもおほく集りて。小鉢(さはち)の破(われ)にかゆをうけて。泪と
ともにくふもあり。あはれなりけるありさま也

(挿絵)


40
さて三月の中頃には。城外の在々には。それ/\に
小屋を立て商売をいとなむ。江戸中の焼出さ
れは。諸縁にしたがひて入こみしかば。貴賤の出入
しげくさしもにぎはひてみゆ。三月の頃にはとかく
才覚をめぐらし町屋どもかたのごとくの柴の庵を
結び西かぜをふせぎしはそのかみに引替ていと
ど物あはれなり。まことに治世安民の政道たゞしき
御事なれば。かたじけなくも公方より銀子壱
万貫目を町人にくだし給はり。これにて家造り
し。もとのごとく商売すべしと仰下さる。御町奉
行神尾(かんのお)備前石谷(いいがへ)将監両人承り江戸中四百町。城

外の邊町。百余町の町人をめしよせて相渡さん
そのとしの九十月には土木の功なりて町并(なみ)一様に
六万間棟をならべ軒をそろへて奇麗にたて侍り
もとの大地はひろさ六間なれば往来せばしとて
今は広さ十間なり。これによつて車馬(しやば)道にとゞ
まらず人のゆきかひやすらかなり。又しろかね
町より柳原まで。町屋一とをりのけられ。高さ
二丈四尺に石をもつて東西十町あまりに土手を
つかせらる。日本橋の南。萬(よろつ)町より四日市までの
町屋をとりのけ。高さ四間に川ばたにそふて北を
うけ。東西二町半に畳上らる。又日本橋より京ば


41
しまで八町の間に町屋三ヶ所をとりのけて。会所
三十間づゝにひろくなれり。是は町屋あまりにせきあ
ひ。諸人いやがうへに入こみ。やゝもすれば失火を出し。人物を
そこなふ事の度々に及ぶ故土手をつきたらば江戸中の者
いか成事有とも。退き足たやすきためにとの御事也。扨右
のとりのけられし五ヶ所の町人共には。引料として家壱
家()け
に付。金子七十両宛(づゝ)請替地にそへて下されけり。又其
年の暮には。焼給ひしやかた/\の大名小名へ残ず黄金
を恩賜有けり。上は公侯より下は民間に至る迄。あまね
き君の御めぐみに。程なくもとのごとく江戸中治り繁
昌して。高家貴人は礼義厚く。あやしの庶民も財産の

利に飽て。めでたくさかふる事日々に百倍せり
(挿絵)


42
楽斎房申すやう。いかに狛物うりどの聞給へ。それがし
ことのほかなる大めんぼくをうしなひたると申は此折か
らの事なり。そてものことに語りてきかせあらん
それがし十八日の火事には親るい家中無事なりs
かばめでたきことなりとて。酒肴買もとめ十九日の朝
祝言(いはひごと)して数献のみける酒に酔(えひ)ふし前後さらに
しらざりしに。又火事よといふに妻子ども我
をいかにとかすべきとて。車長持におし入。錠をおろし
て引出し。芝口にうちすてたり。ぬす人どもあつまり
錠をねぢきり。長持をうちわる音のねみゝに入
て目をさまし。あたりをさぐりまはせば四方は板也

そばにはかたな一腰に小袖なども手にさはれり。それ
がしおもふやう。我は死侍り棺に入て野辺にをく
りたり。ごくそつどもが呵責せんとてかやうに棺を
うち破るなり。此かたなにて一まづふせぎてみばや
とおもひ。引ぬきてをどり出たれば。盗人どもはきもを
けして逃ちりけり。さて立あがりてみれば。あたりはく
らやみにてはるかの東はばう/\ともえて。人のお
めきさけぶ声の聞えしをこゝろにおもふやう。あ
そこはさだめて無間ぢこくなるべし。罪人どもの猛
火にこがされごくそつにかしゃくせらるゝ音やらん
あらおそろしいかにもして極楽のみちにゆかばやとお


43
もひて行ければ。馬どもおほくはなれてかけ来る。さ
てはこゝもとは畜生道のあたりなるべしとおもひて
猶たどりゆくに焼出されの女わらは。老たるもの共人の
肩にかゝり引立られて来るをみては。是は只今む
なしくなりけるざいにんを。しやばせかいよりごくそ
つどものつれてきたるにてぞあるらんと。心に心を
まよはされ。くらきかたに行けるが。芝口に出つゝ。十王
堂の体をみれば。灯明かすかにかゝげ。えんま大王。供(く)
生神(じやうじん)ならび給へり。それがしはしやばに有し時に人
わろかれとも存ぜず。人の物はぬすいたることもなし。
折々念仏は申侍り。さだめて罪科も軽く侍らんに。極

楽にいたりて給はれといふに。もとより木像の焔
魔大王なれば。とかくの返事もなし。いかなる目にか
あふべきとおそろしさにそこをはしり出て。かなた
こなたとする處に。かねの音念仏の声の聞えけり
是そ西方極楽の上品(じやうぼん)上生なるべしとおもひちか
く立よりて門をたゝけば。内より何者ぞといふ
娑婆の往生人にて侍り。爰をあけさせ給へくはん
おんせいし殿。はやく百宝しやうごんの蓮(はちす)のうて
なの上にのぼらんといふに。内より大きにわらひど
よめき。火事にうろたへて気のちがひたるものゝ
きたれるぞやといふ。ちからなく其所を行過る程


44
に夜はほの/\と明にけり。かゝるところに大名方
の焼やしきにてかゆを煮させて施行し給ふを
みれば。諸人あつまり手をさし出してこれをうけ
てくらふすがた。いづれも物がなしくあさましか
りければ。爰はさだめて餓鬼道なるべしとおもひ。又か
たはらをみればものをとりてにぐる盗人を追懸
て只一うちにきりたをすを見ては。修羅道かと
おもひ念仏申て休みいたれば。これか友だち来り
是はいかにといふ。こゝにて夢さめつゝはつかしきこ
とかきりなし。一門妻子(めて)家も宝もみなほろびし
かば。これをのだいのえんとなしすぐにかみをそ

り衣をすみにそめて。これまでさまよひのほ
りしなり。我生ながら六道をめぐりたりとお
ぼえ侍へり。今は中々世をわたる物うさにくらふれ
ば。生佛になりたり。心にまかせて行たきかたに
行つゝ。今すこしの命をたのしみ侍り。仏種(ぶつしゆ)じう縁
起(き)と仏のとき給へり。火事にあふて一跡(せき)みなたを
れしは物うき事ながら。菩提の縁となるからに
はよき善知識に侍らすやといふこま物
うりかさねていふやうまことにかゝる一大事
こそためしもまれなれおもひかけぬ事には
かならす心うろたへてかやうのをこかまし


45
こともある物なり。みに恥とおぼすべからず
さていにしへもかやうに人の大勢一同に死した
るためしもありけるかといふ楽斎こたへ
ていはく。むかしのことをつたへきくに。もろこし
には宗(そう)の仁宗皇帝の御宇。景祐四年十二月
に。おびたゝしき大地震ありて。民の家々
をゆりたをす。これにおされて死するもの
二万二千三百人。疵をかうふりて半死半生に
なり。あるひは一生の片輪になりけるもの国(こく)
中に五千六百人としるせり。そのゝち又大元
の世宗皇帝の御宇。祥興(じやうけう)廿七年八月に。又

大地しきりにうごひて山くつれては谷をう
づみ。大木たをれては川をせき。地はさけわ
かれて。下より泥ををしあげ。くろけふり
天にまひあがりて。国中に人の死する事七
千余人としるせり。おなじく宗の成宗皇帝
の御世。大徳十年八月に。大地震ありて五千余
人死せり。おなじく武宗皇帝の御世至天(?)三
年六月に洪水みなぎり来りて。官舎民家を
をし流す事二万一千八百廿九軒なり。これに
おぼれて死するもの数をしらすとしるせ
り。そのほか飢饉洪水兵火にて人民ほろび


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ける事たび/\おほしとみえたれどお。いまだ
此たびの火難の人数(にんじゆ)には及ばず。又日本にては
人皇第十代崇人天皇の御宇。即位五年に
あたつて。人の死する事天下半ばにすぎたり
といへども。これは疫癘(えきれい)の流行(はやり)しによりてな
り。中ころ平家世をとりてほしいまゝにをご
りけるが。南都の大衆平家をにくみて調伏
すると聞て活承四年十二月廿八日。本三位の中
将重衡三万余騎にて南都にをしよせ。般
若坂の在家より火をかけてせめければ。七大
寺の大衆けふりにむせびてふせきかねて。落

ゆく乾の風はけしく吹て。黒煙すでに大仏
殿にもえつきたり。此大仏殿の上には橋を
かまへて。児(ちご)わらは尼法師いくらといふ事も
なくあがりてかくれいたるところに。猛火すて
に堂にもえつきしかば。我をとらじとをりく
だる程に。梯(はし)をふみおりて下になるものはをし
ころされ。うへなるものは高き天井より落かさ
なりけり。天井のおくに有けるものどもは。何を
とらへて何をふまへてか下り降(くだ)り侍べらん。あ
やしの小屋ならばこそ下よりいだきおろし
足をとらへても引おろすべき。さいも日本第


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の大からんなれば。十丈にあまりし梁(うつばり)の上なり
今更たすかるべき手だてなし。あまりのか
なしさにとびおつるものは。微塵にくだけ
て死ににけり。火のもえ近づくにしたがつてお
めきさけぶこえ。天地にひゞきやうやく煙に
むせびてふしまろび。かしらのかみ身の
衣に火もえつきそのあひたに仏殿の火。ど
つともえたちて焼くづれ佛とともに灰と
なりけりといへり。そのゝち北條平の貞時
天下の権をとりし永仁元年四月に俄に大地
震(しん)して家々をゆりたをす。あるひは長押(なげし)

にをされ壁にをされ。襲(おそひ)の石にて頭をうち
くだかれ。すべてかま倉中に死するもの
一万余人。そのほか手あしをうちそんじ。みゝ
はなをうちかきて。半死半生になり。永き
片輪となるものかすをしらずとしるせ
り。近きころ正保二年には尾州濃(ぜう)州に洪水
ありて人おほく死したりと聞しかど。此たひ
の炎上に数万人の焼(やけ)死たる事前代未聞
の事也。いつのころにやありけん。さゞれ石の
岩ほとなりて。二葉の松の生そひてなどゝ


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いへる小歌のはやりてうたひけるおりにかは。上も
下もめでたくおもしろかりけるものを。何
ものゝつたへてはじめたりけん。此ごろ北国(ほつこく)
の下部の米つき歌とかや柴垣といふ事
世にはやりて。歴々の会合酒宴の坐にても
第一の見ものとなり。いやしけにむくつけき
あら男のまかり出。くろくきたなきはだをぬ
ぎ。えもいはぬつらるきして。目を見出し口を
ゆかめ。肩をうち胸をたゝき。ひたすら身を
もむ事狂人のごとし。右にひだりにねぢか
へり。あふのきうつぶきあがきけるを。座中声を

たすけ。手をうちてもるともに興せられし
を。みる人さへうとましく。片腹いたかりしが。
はたして諸家ともにみな柴垣となり。大かた
はもはや此町にはすまれ申さぬもあり。火に
やかれてのがるゝかたなく。柴垣うち/\果ける
にぞ。謳歌の事も思ひあはせらるゝと。まゆ
をひそめはなばしらをしゞめてつぶやく人も
有けり。かやうの事も時節到来のことはり
なれば。今更おどろくべきことならねども。時
に行あたつて諸人めいわくせしぞかし。されど
も前にかたるごとく。君の御めぐみのいともかし


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こくおはしますゆへに。江戸中二たびさかへ
にきはひて。国もゆたかになひく世の。なを
おさまれるためしとて。松に小松のおひ
そひて。えだもさかゆるわかみどり。あふぐに
あかぬ御世ぞ久しきといふ歌に立かへり侍
り。今はこれまでなり。いとま申とて鳥井の
かたをみなみにむかひて行けり

 万治四年丑三月吉日
    寺町二条下ル町
      中村五兵衛 開板