仮想空間

趣味の変体仮名

義経千本桜 第一

 

コロナのバカヤローのせいで4月大阪、5月東京ともに文楽義経千本桜」の通し狂言が上演中止となりました。番付は、

初 段  大序  仙洞御所の段
      北嵯峨の段
      堀川御所の段
二段目      伏見稲荷の段
      渡海屋・大物浦の段
三段目      椎の木の段
      小金吾討死の段
      すしやの段
四段目      道行初音旅
      河連法眼館の段

でして、初段以外は全て見取りで観たことがあるのでした。なので「舞台初見の感動と驚き重視」主義を廃し、床本を読むことに致しました。

 

 

 


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     イ14-00002-842


2
  大物舩矢倉
  吉野花矢倉 義経千本桜

忠なる哉忠信成かな信 勾践の本意を達す陶朱
公 功成名遂て身退く 五湖の一葉の波枕 西施(せいし)の
美女を伴ひし 例(ためし)を爰に唐倭 四海やう/\穏かに寿(ことぶき)永
き年号も 短く立て元暦と命(みことのり)も革(あらたまり)戸ざゝぬ垣根
卯の花も 皆白旗と時めきて 武威はます/\
盛んなり 宝祚八十一代の天子安徳帝 八嶋の波に沈み給へば 


3
後白河の法皇政を執り行はせ給ふ 昵近の公卿は左大臣の左大将
藤原の朝方(ともかた)若の御覚へよき儘に己に諂ふ者には 官位昇進
申下し 依怙贔屓の沙汰大方ならず 群臣是をいかん共いはゞ叡慮
に背んかと各(おの/\)舌をまき筆や 大内記御日次(ひなみ)に硯取添座列する
瀧口に案内して源氏の大将 源九郎判官義経院参(いんざん)の其粧ひ
五位の雑胞善尽しはでを尽せし太刀錺 供のかざりは三国一西塔(さいとう)の
武蔵坊弁慶 大紋の袖立て烏帽子僧衣を憚る出立は げにもゆゝ

しく見へにける 大内記取次にて源氏の武士参上と 申上れば左大将いかに
義経 此度八嶋の合戦の様子 法皇委しく聞じ召ず 天皇の入水一門の最
期 お日次に記されん申上よとある 義経はつと承はり さん候今度の戦ひ 平
家は千騎斗と見へ 八嶋の礒に陣を張り 義経が勢は四百余騎只事にては
勝つ事なしと 不時に寄せたる鬨に あはてふためき平家の勢舩に取乗り沖中へ
天皇を具し奉る 其時城に火を放ち 明りに眼さませしやらん 能登守教経
小船(しやうせん)に乗移り 希代の弓力引詰差詰め 射たる矢先は義経が 馬の先に立ふさ


4
がる佐藤次信あばらに受け 馬より下にどうど落つ 其首取んと菊王丸 舩より
磯辺に上る所 弟佐藤忠信が射かへす矢先に敵味方 互に不便の武士(ものゝふ)を
討せし供養と相引に 其日の軍はさつとひく 明れば敵より出す扇 与一宗高射
て落す 箕尾谷景清錣引 敵が感ずる 味方が誉むるされ共 源氏は勝軍
平家は軍兵討なされ能登守教経 安芸の太郎 同じく次郎 二人を左右にひつ挟み
海へかつぱと飛入たり 是を冥途の門脇教盛 同経盛 資盛有盛 行盛
なんど我も/\と続て入る 新中納言知盛は 御前の御供とすゝんで海にざん

ぶと入る 天皇の御事はやはかと存ぜし油断の間に 二位の尼上御供し 海へ入しと聞たる斗御
體(かばね)も求得ず 女院斗助り給ふ 生捕たる輩(ともがら)は先達て一紙に認(したゝ)め 叡覧に備へ
奉れば 申上るに及ばずと事細やかに述らるゝ 其弁舌を其儘に日次(ひなみ)に しるし留めける 朝方
にがつたる気色にて 夫程の功有義経 頼朝に対面叶はず腰越より追かへされた 其
科をいへ聞んと 聞より弁慶すゝみ出 我君の御為には御兄なれ共 蒲(かばの)冠者範頼卿
ぬるいお生れ 手柄がなさに義経公にしなずを付 あつらの手柄にせぐ為に 付従ふ佞
人原が讒言と 気の付ぬは鎌倉殿のぶ詮議といはせも果ず ヤアだまれ弁慶 例へ


5
讒者の業にもせよ 一旦の兄の命(めい)申開かず 腰越よりすご/\と帰りしは 弟の義経
さへあの通と世上の見ごらし 理非弁へぬ麁忽の雑言 尾籠至極と誡の詞 ホゝウ神
妙也義経 軍の次第を奏問して 御前宜しく計はんと うはべはぬつぺり取持顔 寝とり
さゝんと底工み大内記引連て 御殿間深に入にける 小蔀のかげより左大臣朝方の諸太夫
主に劣ぬ人畜の苗字も猪熊大之進 コレ/\義経殿御油断/\ 治つたとは云ながら
平家の残党 小松の三位維盛の簾中若葉の内侍 其儘に置ず共なぜ片付て仕
廻れぬ ホゝウ何事と存ぜしに 女童の事よな 何万人有迚も天下のかひにならぬ事

其儘で事はすむ ムウ済とは どふ成りと成次第ならこつちも勝手 身が主人朝方
公 若葉の内侍に御執心と 皆迄云せず武蔵坊 ヤアならぬ/\ 鎌倉殿のお指図で縁
組はともかくも 平家方の女房を私に引入れるは味方も同然 ならぬ事と云ほゞせば
ヤアしやらくさいおけ/\ 左いふ義経 平大納言時忠の聟ならずや いはいでもそれて知れた 若葉
の内侍もチエ/\くつたな ヤアチエ/\くつたとは我君を 雀のやうにぬかしたりな コリヤこつちが鳥な
ら己は蠅ぶう/\ぬかさずすつこめと 引掴んでりよいとほうる音はどつさり アイタゝゝヤレあら立て
るな武蔵坊 しされ/\とせいする折から 御座の間の御簾巻上左大臣朝方 あやしの箱引ん


6
だかへくはん/\たる其風情 ヤア/\義経敬て承はれ 桓武天皇雨乞の時より 禁庭
に留め置く初音と名付たる鼓 義経兼て望む由聞し召し及ばれ 此度の御恩賞に院
宣に添給はるぞ 拝見せよと指出す 義経はつと頭をさげ 故ならぬ身に及びなき頼
雨乞に用る鼓軍の為にと存ずる所 有がたし/\と箱押戴き/\ 相添られし院宣
はいかなる勅命 いで拝見と箱のふた開けば内には鼓斗 ホゝウ院宣とて外になし 其鼓
が則院宣 惣じて二つ有る物を陰陽に取 兄弟に像(かたど)る 鼓の裏皮表皮 同じ育ちの
乳(ち)ぶくらにかけ合されしは是兄弟 裏は義経 表は頼朝 準へて其鼓を打てと有が院

宣也と聞もあへず ハアゝ其鼓が院宣ならば 頼朝は義経打和らぎ 睦まじく禁庭の守
護致せとの勅(みことのり)候や イヤそふでない/\ 君に忠勤を抽(ぬきん)ずる義経を 科有りと追かへせし
頼朝は 法皇へ敵たふ所存 兄頼朝を打てとある追討の院宣と 理を押枉(まげ)て兄弟中
同士打させて仕廻ん工 義経はつと当惑し指しうつむいて居給ひしが コハ日頃に霊なる法皇
の勅命 譬叡慮に背く共兄を討つ事存じも寄ず 頼朝に科あらば 義経も御刑罰
に罪せらるゝが弟の道 所詮此初音の鼓申請ねば 院宣も承はらずと指し戻せば 朝
方弥(いよ/\)したり顔 綸言は汗のごとし 勅命を背けば義経 朝敵なるが合点かと 無理非


7
道に云枉(まぐ)る工と知ても勅命と いふに返答恐れ有り 只はつ/\と斗也 たまり兼て武蔵
坊ずつと出 コレサ左大将殿とやら 王様は天下の鑑 無理云しやれば天下中が 皆無理いふが
合点か 無理が有るなら傍に居る公家の役でなぜしづめぬ 大敵にもひるまぬ大将よふ一
言でやりこめたな 云負けさせては此腹の虫が堪忍せぬ サア出なをして誤りやと腹立つ
儘の傍若無人 義経はつたとにらませ給ひ やおれ弁慶 高位高官に対しての悪
口 最前より無礼の段々言語道断そこ立され 我目通りへは叶はずと 以ての外の御機
嫌に せんかたもなく立端なく 誤り猪熊よい気味とほくそづくを目もかけず 朝方に

打向ひ 日頃の懇望返つて仇となる鼓 申受ねば君に背く 申受くれば兄に敵対 二つの
命(めい)を背かぬ了簡 打てと有院宣の鼓 たとへ拝領申ても打ちさへせねば義経が 身の誤り
にもならぬ鼓 拝領申奉ると鼓を取て退出す 御手の中に朝方が悪事を調べのしめ
くゝり実(げに)も名高き大将と 末世に仰ぐ篤実の強く優なる其姿 一度にひらく千
本桜栄へ 久しき「君が代や 蘭省の花の時錦帳の中にかしづかれし 小松三位
維盛の御台若葉の内侍 若君六代御前平家都を落しより 今は廬山の隠れ里
北嵯峨の草庵に 親子諸共身を忍び しなれぬ業(わざ)も仏の行と谷の流れを水桶に


8
主の尼と指し荷ひ 庵の内に立帰り コレ申みだい様 わしが一日たが/\するを笑止がつて 荷
ひの片端(はな)お手伝ひなされ それ/\お肩がいたさふな 下々のする業は夢に見もなされまい
時代迚おいとしぼや アレ何聞てやら六代様のにこ/\と笑ふてじやよふおるすなされたなふと
ほだ/\いふてあしらへば だい所も打しほれ しりやる通り夫(つま)の維盛様 御一門と諸共 安徳天皇
を供奉し 都を開さ給ひしより 此庵に親子諸共 永々の世話になるも そなたが昔お館
に 奉公仕やつた少しの所縁(ゆかり)維盛様も西海の軍に海へ沈みお果なされた共 又生きて
ござる共様々の噂なれ共 都をお立なされた日を 御命日と思ふて居る 殊にけふは舅君

重盛様の御命日なれば 心斗の香華取て 阿迦の水も備へん為 手づから水を汲まし
た 取分け此月はお祥月 昔の形で回向せば せめて仏へ追善と けふの細布身せばなる
さもしき 小袖ぬぎ捨て卯の花色の二つ襟 うきに憂き身の数々は 十二単の薄紅梅
思ひの 色や緋の袴 いでそよ元は大内に 宮仕へせしはれの絹 引繕ひ 蒔絵すつたる
手箱より重盛公の 絵蔵を取出しさら/\と 仏間にかけて手を合せ 小松の内府浄蓮
大居士仏果ぼだいと回向して コレ六代 そなたの為には祖父(ぢい)君 稚けれ共平家の嫡
流 よふ手を合して拝みやいの 取わけて此絵像 親子御迚維盛様に生うつし ほんに


9
扨重盛様が今迄生きてござらふなら 平家はよもや亡びはせじ 孫子の為にもよからふ
にあなたがござらぬばつかりで 此憂目を見るわいのと 絵像に向ひ在がごとく くどき立/\
かつばと伏て 泣給ふ 折節表へくる足音 ちやつと心得主の尼 枕屏風を引廻し お姿隠す間
もなく 扉(とぼそ)引明けずつと這入り コレ/\庄屋殿へ判もてごんせ ハアゝ夫レは合点がいかぬ 今迄は一年に
一度 宗旨の改めより外に判の入ぬ独り尼 殊にこなたも月別取にくる歩行(あるき)殿ちは違ふた
マア何事じや聞さつしやれ イヤされば爰らの事では有そもないが 此嵯峨の庵室に数珠
の実で過ぎるは付たり 表向きには仏を見せかけ 内証へ取入ると 小みめのよい髪長を出しかけて

御所出尼出囲ひ者 大海に小海と名を付け 一屏風を何ぼづゝと 仏前の線香を立てて くら商い
をするといの 是といふも 祇王祇女 仏などゝいふ白拍子のしやの果が 尼に成て此嵯峨に
居る故に 夫レで所がみだらに成た迚 人別の判形(ぎやう)此庵にも其様な しだらくはござらぬかや
ヲゝあの云しやる事わいの 仏様は見通し そんあじだらくな事何でせう 聞もけがれるいんで下
され ハテいにます 早う印判おこさつしやれと 家内を見廻し立帰る お気がつまろと主の
尼枕屏風を押のけて 今のをお聞なされたか 覚もない事いふてきて そしてマアきみの悪い
家内をひつた見廻して 是はしたり 今のやつめにおまへのおざうりちよろり一足せしめられた


10
エゝ小盗人で有た物 気が付かいでとられたと いへばみだいも涙ぐみ 世を忍ぶ身の上は何かに
付けて案じがたへぬ 扨も/\情なき 親子の身では有ぞいのと内は 歎きにくもれ共 外は春めく
物売声 すげ笠かゞ笠 ゆす/\一荷(いっか)打かたげ笠をお召なされぬかと 門口より指し覗けば
ヲゝとでもない 尼の内に菅笠が何でいろ うさんなわろじやと治かられて イヤお気づかひな
者でなし わたしでござると笠取てはいるを見れば小金吾武里(たけさと)みだい所へ飛立斗 此間は便り
も聞ずどふかかうかと案ぜしに サア/\爰へと有ければ 小金吾も手をさげて 先はみだい所に
も御健勝 ホゝウ若君も御機嫌よき御顔ばせを拝し 拙者も大悦仕る いか様にも今

日は 先君重盛公の祥月御命日なれば 御装束を改め御回向をなされしよなと 仏
間にくれけるが 拙者めも御見つぎの為 思ひ付たる笠商売 前髪立の此小金吾 何が仕
付けぬ商売なれば 御推量下さるべし 扨先ず申上たきは 主君惟盛卿の御身の上 いまだ御存命
にて高野山に御入と 慥成都の噂 何とぞ拙者も 若君のお供をして高野に上り 御親
子の御対面 一つには小金吾も 再び主君の御顔を拝し申度き願ひ 夫故旅の用意を
致し只今参り候と 聞よりみだいも夢見しごとく 何を夫(つま)の高野とやらんに生ながらへてご


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ざるとや 夫レは嬉しや有がたや六代斗といはず共 女子の上らぬ山ならば 麓迄自らも同道せ
よや武里と悦び涙にくれ給へば ヲゝお嬉しいお道理/\ わしもお供したけれど 足手まと
ひな年寄尼 夫レならば日のたけぬ内一時も早いのが ヲゝ成程寸善尺魔のなき中(うち)に 御親
子供に御用意早ふ 笠はわたしが手の物早速ながら御用に立んと 供に用意の折こそ
あれ 表の方に人音足音 尼は心得いつもの通り仏壇の下戸棚へ みだい親子御押入つき
やる其間もなく 朝方の諸太夫猪熊大之進 家来引具し柴の戸踏のけどや/\と乱れ
入 此庵室に維盛のみだい若葉の内侍 伜六代諸共にかくまひ置由 注進によつてめし

捕に向ふたり 何国(いづく)に隠せし有やうに白状せよと 星をさゝれて主の尼 はつと思へどそし
らぬ顔 是は又御難題 惟盛のみだいとは所縁(ゆかり)かゝりもなければ かくまはふ筈もなしと いふに傍
から小金吾武里 夫レは定めて庵室違ひ 外を御詮議遊ばせと聞もあへず ヤア前髪
めが小指し出た指図 先うぬは何やつ イヤ私菅笠売 ヤア商人(あきんど)ならばとつとゝ帰れと 家来に
持たせし絹緒の草履取出し あらがはすまい為に家来を所の歩行にして入込せ 証拠の為に取
たる草履 年寄尼めが赤たれたはき物はきはせまい サア是でもあらがふか 奥へ連れ行責
さいなみ白状させんと 主の尼が小肘(こかいな)取てぐつと捻上ソレ家来共 拷問せよとあらけなく


12
引立/\一間の中へ入にける 小金吾は気も気ならず何とせんかとせんと 奥口窺ひ透間
を見て みだい親子を出し参らせ幸いの菅笠荷と 細引かなぐりふた押明け 荷底にふたりを入参ら
せ 旅の用意の風呂敷包 重盛公の絵像迄 取ては押込さらへ込み あたふたしつらふ其中に
尼を一間にしばり上立出る大之進 さつする所風をくらふてふけちらした物であろ 菅笠屋め存
ぜぬか アゝいか様 夫レならば此庵の裏伝ひを けたかい女が子を連て 逃たのはたつた今と 聞より猪
熊目をひからし ヲゝ夫に極つた 高が女の足なればぼつかけて搦とらん 家来二人は是に残り奥
の尼めを取逃すなと 跡をしたふておつかけ行 してやつたりと小金吾は心も空に荷を打か

たげ 行んとするを二人の家来 両方より小金吾が棒端取てどつと引すへ動さねば コリヤ
どふなさる ヤアどふするとは胡乱者 此荷底に挟まれたは女の着物 イヤ是は誂への笠のいたゞき ヤア
ぬけ/\とぬかすまい みだい親子に極つた ぶち明て詮議せんと 立かゝる両人が 肩骨つかんで
引退くる 詮議させぬは曲者とすらりと抜て切かくる 引ぱづし/\朸をふり上 弓手めてへたゝき
ふせ 急所/\を力に任せ たゝきのめでば二人の家来 目鼻より血を出しのた打廻つて死でけり
敵の帰らぬ其中にと 荷を打かたげ声はり上 菅笠かゞ笠網笠 網を遁れて
「出て行 花の姿も引かへて 主従七騎駒のはな 営(たむろ)の岡でかへり咲き 再び御運開かれし


13
彼の頼義の 奥州責 君は八嶋の勝ち軍 国もしづかゞ舞扇 いや/\どつと誉(ほむ)るこえ
鯨波とは打かはり賑ふ御所は二条堀川 九郎義経の奥方勇めの御催し 中座の御殿は
卿の君神殿は九郎義経 一方女中が取まけば かたへにならぶ駿河次郎 次は功有亀井の
六郎 陪臣外様に至る迄舞の様子はしらね共 やつちや名入お上手と 静(しづか)誉るも君褒る色
めきてこそ見へにけれ 御殿から御殿への女中の使こなたより 亀井がが使者の御口上互にめで
たい面白い お気はつきぬかよい慰みと 御夫婦中でも礼義式事納れば楽屋より 装束改め
静御前 広庇に立出 駿河亀井に会釈して 御台所の御前に向ひ 御望と有故拙

舞ぶりお目にかけ おはもじさよと述ければ イヤノウ始めて見ましたが面白い事 此間より
医の助けを請ても 心あしく暮せしに 我君様のおすゝめてけふは思はぬよい慰み そもじには御大
義と仰いはつと辞儀に余り 其御機嫌にあまへ申上たいお願ひ有りお取上下されう
かと物々しげに云上る 其尋に及ぬ事願ひとはよそ/\しい 近う寄て物語と仰に猶
も恐れ入 お願ひと申は外でもなし 気の毒は武蔵坊弁慶殿 何か大きな仕損ひした
迚 楽屋へきて大つけない ほろ/\泣わたしを頼 つき詰つた気の細いおひお人そふで余りと申
せばいぢらしし 何とぞお詞添られ 我君様の御機嫌も直る故 此事ひたすらお願ひと 申


14
上ればみだいはおかしく君にも笑ひ 駿河次郎ぶつてう顔 いやはやかゝつた事ではない 六郎お聞きや
つたか 武蔵坊弁慶共いはるゝ者が 女中を頼んでお詫言楽屋へいて泣くといの ホウちつとそふ
であろ/\ 彼めと馬のあふた伊勢片岡 熊井鷲の尾軍治つてより 休息のお暇で国
々へ帰る 頼みに思ふ佐藤忠信は 母の病気と有て出羽の国へいぬる 貴殿と某は相手になら
ず どこ打て舞ふで舞から乱入て詫言 まそつと懲らしていつその事 坊主天窓(あたま)を奴にせう
と いふて見たらば猶よかろと 内証評議も猶おかしく みだいは笑ひの内よりもいか成仕損じ
せし事ぞ 笑止おかしい取なしと仰有ば義経公 過つる参内の折から禁庭にての我儘

左大臣朝方公への悪口 御家来を踏み打擲 其場で屹度叱付け 我目通りへ叶はぬと申付け
たが夫故ならん 手綱赦すと人喰馬 公家でも武家でもたまらさぬ 持あぐんだ鯱(しやちほこ)坊
主め まそつと懲らせと御上意に 駿河次郎図に乗て じだいあの七つ道具か大きな邪魔 源
氏には坊主の大工が有るとお家の名おれ 此義も屹度止める様 仰付られ然るべしと 申上れば
亀井の六郎 イヤまだ七つ道具は御普請の役にも立が 難義な物はあの大長刀 柄も四
尺 刃も四尺 八尺の物を振廻すによつて 傍邊の鼻がたまらぬ 太平の代には役に立ぬ
人間 兎角当分押込めて置がよかろと評議区々(まち/\) みだいは笑止とヤレ其様に誹を聞


15
たら又おころ 供々お詫と取なしあれば義経公 性懲りもなき坊主め 屹度異見し重ねて
荒気を出さぬ様 静も供にと座を立給ひ 駿河亀井と引連て一間へこそは入給ふ 静は
嬉しくサア急いで武蔵様を呼ましてと女中を走らせ 御前のお詞添た故 有がたう存じま
すと挨拶すれば イヤそもじのお願ひ故と互の辞儀も恋の義理 悋気嫉妬の角(かく)も
なく丸い天窓の武蔵坊 嬪婢に引立られこはい/\で七尺の體も三尺八九寸 四尺に
余る大太刀を 引ずらしてぞ這ひ出る 嬪共口々に さりとては片意路な坊様 アレ御らうじませ 跡
ぢより斗致されますと 告口いへば是さ/\ 其様に悪くいはぬ物 弱身へ付込でむごいわ

ろ達 人にはむくひが有ぞよと見廻す目玉に アレ又睨まれます コレサ細目だ/\と目顔
しかめて 身をちゞむ 静は手を取御前へ連出 モウ堪忍しておやりなされて下さりませと 半分
笑ひの取なしに 卿の君はしとやかに 君は舩也臣は水 浪立つ時はおのづから 君のお舩を覆す
家来の業迚云訳ないぞ 重て急度荒気をやめ おとなしう成たらよかろと子供異見
に弁慶は たゞアイ/\ともみ手して誤り入し風情也 然る所へ遠見の役人 篠原藤内あ
はたゞ敷罷り出 今日大津坂本の邉(ほとり)を順見致せしに 忍び/\に鎌倉武士都へ入込候中に
も 土佐防正尊海野ゝ太郎行永 熊野詣と偽り我君の討手に向ふと専らの風聞


16
殊に只今鎌倉の大老川越太郎重頼 我君へ直談迚お次に控へ罷り有り いかゞ計らひ申
さんやと尋申せば卿の君 心得ぬ事共や 其川越太郎は自らとは故有る人 土佐防海野が討
手の様子 しらさん為に来りしか 何にもせよ縁あれば苦しうなし通し申せ 其旨君へも申あ
げん 次手に武蔵もお目見へと 座を立給へば武蔵坊 討手とはうまし/\我等が世盛り
忝い 土佐防でも海野でも たつた一呑一掴 首引抜て参らんと かけ出すを静は押
留め ソレそれがモウ悪い お上の御意も待たずおとましの坊様やと むりに引立みだいと供に 義
経公のおはします奥の「殿へぞ急ぎ行 程なく入来る武士(ものゝふ)は 鎌倉評定の役人川越太

郎重頼 大紋えぼし爽に としも五十の分別盛 広庇に入来れば 御主九郎判官御装
束を改められ しづ/\と立出給ひ ヤア珎らしや重頼 兄頼朝にも御かはりなく 百侯百
司も恙なしやと仰にはつと頭をさげ 先は御堅体(けんてお)を拝し恐悦至極 右大将にも安全に
渡らせられ 諸大名も毎日の出勤 賢慮安んじ下さるべしと申上れば義経公 シテ其方は
海野土佐防同役にて登りつらん 但しは外に用事有りやと尋に重頼さればの義 君に御
不審三が条一々お尋申上 御返答によつて海野土佐防と同役 恐れながら過言は御
赦免なされ 尋る子細御返答と申上ればホ面白し 此義経に不審あらば 兄頼朝


17
に成かはり過言は赦す 尋て見よ申開かん遠慮無用と 仰に猶も平伏し 冥加に
余る仕合せ 迚の事に御座改め下されよと 席を立てば大将も末座へさがつて川越を 上
座へこそは請ぜらる 席改まつて川越太郎いかに義経 平家の大敵を亡し軍功を立てながら
腰越より追かへされ無念にあらん 但しさもなかりしが はつと義経袖かき合せ 親兄(しんきやう)の礼をお
もんずれば無念な共存ぜず ヤア其詞虚言/\ 親兄の礼を重んずる者が平家の首の
内新中納言知盛 二位中将惟盛 能登守教経 此三人の首はは贋者 なぜ偽つて
渡したぞ まつ此通の御立腹サア御返答と尋れば ホヲゝ其云訳いと安し 贋首を以て真(まこと)

とし 実(まこと)を以て贋とするは軍慮の奥義 平家は廿四年の栄華 亡び失せても旧臣倍
臣国々へ分散し 赤籏のへんぽんする時を待つ 一門の中にも三位中将惟盛は 小松の嫡子
で平家の嫡流 殊に親重盛仁を以て人を懐け 厚恩の者其数をしらず 維盛ながらへ
有るとしらば残党再び取立るは治定(ぢぢやう)又新中納言知盛 能登守教経は古今独歩
のえせ者 大将の器量有と招きに従ひ馳せ集る者多からん さすれば天下穏やかならず 何
れも入水討死と世上の風聞幸に 一門残らず討取しと 贋首を以て欺きしは 一旦天下を
せいひつさせん義経が計略と 有て捨置かれぬ大敵故 熊井鷲の尾伊勢片岡


18
究竟の輩(ともがら)休息と偽り国々へわけ遣はし 忍び/\に討取る手筈 かく都に安座すれ
共心は今に戦場の苦しみ 兄頼朝は鎌倉山の星月夜と 諸大名に傅かれ 月雪花
の翫(もてあそ)び 同じ清和の種ながら 晨(あした)には禁庭に膝を屈し 夕部には御代長久の基(もとひ)
をはかる いつか枕を安ぜん浅間しの身の上と 打しほれ給ふにぞ げに理りと重頼
も 思ひながらも役目の説破 ムウ扨は其御述懐有故御謀叛思し立れしかと いは
せも立ずくはつとせき上 ヤア穢らはし 謀叛とは何を以て何を目当と 御気色かはれど
ちつ共恐れず 君鎌倉を亡さんと院宣を乞ひ給ひしに 初音の鼓を以て裏皮は

義経 表皮は頼朝打といふ声有とて頂戴有しとは 左大臣朝方公より急のしらせと
聞て義経扨は朝方が讒言せしな 其鼓の事は某兼ての懇望 下し置るゝ場
に成て反逆によせたる詞の品 是朝方のはからひとは思へ共 院中より下さるゝ恩物(もつ)
請け納めずは綸命に背く 受けては兄頼朝へ孝心立ずと 望に望し一挺なれ共 打ては鼓
に声有りと アレあのごろく 床にかざりて詠むる斗 神明仏陀も上覧あれ 打ちもせず手に
もふれずと仰に川越ハゝゝゝはつと三拝 其御誓言の上何疑ひ奉らん 二つの仰分けられさつ
ぱり明白去ながら 情なきは今一つ 御廉中卿の君は平大納言時忠の娘 平家に御縁組ま


19
れし心はいかに ヤアおろかな尋 兄頼朝のみだい政子は北条が娘 時政氏は平家に有
ずや イヤ夫レは主君頼朝 伊豆の伊東に御座有る時 北条一家を味方に付けん計略の御
縁組 ヤアいふな/\ 元卿の君は汝が娘 平大納言へ貰られ育てたは時忠 肉親血を分けた親
は其方 なぜ夫程の事鎌倉にて云訳せざるや 但し義経と縁有と思はれては 身の瑕
瑾と思ひ隠し包んだか 卑怯至極と仰を聞より川越太郎 居たる所をどつかと居たをり
ヤアお情ない義経公 清和天皇の末流(ばつりう) 九郎義経を聟に持た恐らく日本の舅頭(がしら)五十
に余る川越が 名を惜んで禄を貪らふや 今肉縁をあかせば こなたの云訳するも

暗く縁者の証拠と成故に ヲ鎌倉では隠した包んだ かげに成日向に成 云くろむ
れ共御前には讒者の舌は強くなり 智者といはれし秩父さへ力に及ばぬ平家と
縁組 今に成て川越が娘といふて得心有ふか 卑怯至極と思しめす御心根も
面目なし 皺腹一つが御土産と 指添手早に抜はなす ノウこれ待ってと卿の君かけ出
て手にすがり 其云訳は自らと刃物もぎ取我咽へぐつと突立どうど伏す 是はと驚く
義経公静もかけ出抱起し 薬よ 水よとうろたへて涙より外詞なし 川越は見向き
もせず 出かされた時忠の娘 そふなうては御兄弟 御和睦の願ひも叶はず


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とくに呼出し我手にかけんと思ひしが 我と最期をとげさして死後に貞女と云せ
たく わざと自滅と見せかけし よふ抜身を奪取た 遖健気な女中やとよそ
に誉むるも心は涙 義経間近く立寄給ひ かくあらんと思ひし故 わざと川越が血筋
を顕はし 平家の縁を除かんと 思ひし甲斐もなき最期 あさましの身の果よしなきち
ぎりをかはせしと 御目に余る涙の色静御前も諸共に あなたこなたを思ひやり 泣
しづみ給ふにぞ 手負は君を恋しげに 打ながめ/\ 一つならず二つ迄 大切な云訳立 残る一つ
は平家と縁組 其科わたしが皆なす業(わざ)恋慕ふ身をお身捨なう 是迄はいかい

お情 世につれないとはかないは 明日を定めぬ人の命 短ふお別れ申ます 静殿
我君様を大切に 頼むぞやいのとせき上てわつと斗に 泣けるが サア川越殿 大納言
時忠が娘の首 頼朝様へお目にかけ 御兄弟の御和睦 それが冥途へよい見やげと 首指し
のばす心根を 思ひやる程川越太郎 胸にみちくる涙をば呑こみ/\傍に立より
似合ざる喩(たとへ)なれ共 玄宗の后楊貴妃は馬嵬(ばぐわい)が原にて 哥舒翰(かじよかん)に討たれ 天
下の煩ひを払ふ 御兄弟確執とならば万民の歎き 清き最期も天下の為 でかさ
れた遖々 あかの他人の某が介錯してしんじやうと 刀するりと抜はなす ノウ其


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あかの他人の お手をかるも深き御縁 迚もの事にたつた一言 親子の名乗は未来
でせう さらば/\ さらば /\と討つ首よりも體は先へ川越が どうど座してぞしほれ
居る心そ 思ひやられたり 静御前義経も歎きに沈み給ふ折から 耳を突ぬく鐘
太鼓 ときをどつとぞ上にける コハいかにと静は仰天君も驚き扨が海野土佐防め
が責かけしと覚たり 亀井駿河と仰の内よりおつ取刀で両人が 表をさしてかけ出るを
ヤレ待れよと太郎は呼留 仰分けを聞迄はと留置きしを責めかけたは 彼等も讒者と一味
の族(やから) とはいへ両人鎌倉殿の名代 過ち有て敵対するも同前 只速やかに追かへすか

おそしの遠矢で防がれよ さないと忽ち義経(ぎけい)の怨(あだ)と 云含むれば両人は 道理と呑
込で表をさしてかけり行 義経公も川越が詞至極と猶も気を付け 無分別の弁
慶か心元なし 武蔵/\と呼給へば嬪立出 武蔵殿は最前より打しほれ居られしが 鯨
波を聞くとはや 悦びいさんで行れしと 聞よりこいつ事仕出さん 静参つて急ぎ制せよ 矢
先危うしソレ鎧 はつと嬪持出る 其間に長押(なげし)の長刀かい込み 表へ走る女武者 堀川
夜討に静が働き末世にいふも是ならん いかゞと案じ給ふ所へ亀井駿河かけ戻り
我々味方を制して的矢を射させ 追っ帰さんと存せし所 武蔵坊の無法者玄翁(けんのう)かけ


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やを以て敵をみしやぎ 大鋸にて人を引切り 討手の大将海野の太郎を てつぺいからつま先
迄擲き砕いて候と 申上れば大将さきれ 川越太郎ははつと斗 ヘエしなしたりひろいだり 討
手の大将討取ては 御連枝和睦お願ひも叶はず 不便や娘も全なき犬死 是非も
なき世の有様と 悔み涙に義経公 古人は人を恨みず 傾く運のなすわざと思へば
恨も悔もpなし 武蔵が無骨を幸に 都をひらかば綸命も背かず 兄頼朝の怒り
もやすまる 是を思へば卿の君が最期 残り多やと御涙皆夢の世の有為転変
我も浮世に捨られて駅露の鈴の音さかん 亀井駿河供させよと立出給へば

川越太郎しほれながら暫しと留め 床にかざりし鼓たづさへ 君多年御懇望有し
重宝残し置れては 取落されしと申すも残念 院勅に打といふ声有とは 皮より
穢れし讒者の詞 打つを拙者がしらべかへ ふたゝび御連枝ぐはいの取持 長路の旅の御
物わすれと心をこめて指出す 義経御手にふれ給ひ したしき兄弟の因みをば
打切らるゝも運のつき 結びかへせよ川越と 駿河亀井を御供にてすご/\館を
出給ふ 御心根のいたはしさ見おくる人も鎌倉へ是非なく/\も立帰る世の成行き
ぞ 是非もなき 跡は貝がね鯨波しんどうするも理りや 武蔵坊弁慶が海


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野の太郎を討取て 次手に土佐防せしめてくれんと 追かけ廻つて正尊が 乗た
る馬の尻邊に乗りぼる立て卦蹴立白洲の庭 館もゆるぐ鐘(つきがね)声 ヤア/\我君や
おはする 討手に向ひし海野は粉にして土佐防めを生捕たり 亀井駿河はいづく
に居る 武蔵が料理の喰残し賞翫せぬかと呼はつても 館はひつそとしづまつて
答ゆる人もなきふしぎ 不思議/\と見廻す内 坂東一の土佐防が腰のかは帯ひき
切て 馬より飛おり大声上 者共来れと下知の内 兵具のつはもの数百人 ソレ
討てとれと追取まく 武蔵も馬より一足飛び 太刀も刀も鷲づかみ 熊鷹づ

かみの首の骨 握るときれる数万力雨かあられか人礫 透間を見て土佐
坊が武蔵がよは腰しつかとだく シヤ小僧めが味をやる 腰の療治でひねる
かもむか さすつておけろのぶり/\どさり 尻餅ついてもひるまぬ曲者 四尺に
あまるだんびら物 討てかゝればひらりとはづし てうど切れば柄先て しやんと請留め
ホゝゝ出かす/\ 腰をさすつた其かはり 首筋ひねつてくれんずと ぱつしとはねて
身をかはし 大太刀蹴落としそつ首掴みぐつと引よせ 腰にぴつ付け我君様 御台様 亀
井やい 駿河やいと引ずり廻り呼廻り 尋廻れど人々の御行方も見へされば 扨は


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此家を落給ふか コハ何ゆへと身の科と思ひよらねばいふ人も 答る人も梢の
烏泣て詫する土佐防を 右を左へ持直し じたいこいつが逃廻り 隙取た故お供に
おくれた 己が首の飛ぶ方が我君の御行方 よい投げ算と引つかみ 直平(ちよくべい)天(あ)
窓(たま)を頭巾ごし すぽりと抜て空へ投げ こけたる方は巽の間 うばらおはらの方でも有
まい 元は牛若丑の方 巳午もよしや吉野も気遣ひ 爰に戌亥や酉ならで程は有
まい追付んと 忠義と思ひせし事も 今に成ては未申 思ひ違ひの荒者が あら砂蹴立つる
響きはとう/\どろ/\ 踏しめ/\踏ならし義経の 跡を寅の刻風を 起して追てゆく