仮想空間

趣味の変体仮名

義経千本桜 第三


読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     イ14-00002-842


46(左頁)
   第三
三芳野は丹後武蔵に大和路やわけて名高き金峯山蔵王弥勒の御宝物
御開帳迚野も山も賑ふ道の傍らに 茶店構へて出花汲む青前垂の入ばなは
女房盛りの器量よし 五つか六つの男の子 傍に付添嬶様と いふで端香もさめに
けれ かれ残り 身はいとゞ猶 枝かりや 若葉の内侍若君は 主守(しゆめ)の小金吾武里が さが
を遁れて維盛の若や高野と心ざし 旅の用意の小風呂敷 背(せな)に忍海(おしうみ)吉野なる
下市村に着けるが 若君六代癇疾(かんしつ:疳疾)になやみ給へば幸の茶店 暫く床几へお休みと 内


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侍を誘いひ其身も背負し包をおろし お茶と指図にあい/\と あいそこぼれて指出す
内侍はつく/\゛見給ひ コリヤこなたも子持よの 自らも連合いの忘れ筐を伴ひしに 道よりな
やみて貯へし 薬を残らず飲きらし俄の難義 子持た者は相身互 嗜みあらば所望したし
と仰に女房 夫レはまあいかい御難儀 わたしが子は生れてより腹痛(はらいた)一つおこしませねば 何の
用意もござりませぬ ハテそれは気の毒や イヤ申ほんにそれ/\ 幸い此村の寺の門前
に 洞呂(どろ)川の陀羅輔を 受け売る人がござりますればお供の前髪様(さん)つい一走り イヤ/\身共
は当所不案内 大義ながら其方調へてくれまいか ヲゝそれもお安い事 わたしが調へてき

て上ませう 善太留主(るす)仕や 但は行か おれもとしたふ子をつれて 器量よければ心まで
尊い寺の門前へ薬を買に急ぎ行 ハテ心よい女房やと内侍は見やり コレ六代爰に大分木
の実が有が ひろふて遊ぶ気はないか 金吾がひらふが大事ないかと いさめの詞に引立られ おれ
もひらをと若君の病もわやく半分の起き立給へば内侍もとも/\゛ サア/\ひらを イヤ拙者
がと小金吾が 廿(はたち)に近い大前髪おとなげないも若君の 機嫌取榧栃の実を 拾ひ集む
る折からに 若き男の草臥足是も 旅立風呂敷包 背に負てふら/\茶店を見付 ドリヤ
休んで一ぷくと包をどつかり床几におろし 御免なりませ火を一つとたばこ吸付け コリヤ皆様方は開(かい)


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帳参りでござりますか わこ様は道草か わしらが在所の子供とちがひ 御綺麗な生れ
付やと 誉ても咄ししかけても 心置く身はそこ/\に 詞数なく拾ひ居る 暫休で彼男
コレ/\其落た木の実は虫入で 見かけがよふても皆ほがら 木に有をお取なされと いふに金吾は
こな男何をいふ 二丈余りの高木(かうぼく)かけ上るけづめは持ぬ それを心安ふ取やうがござります
ソリヤどふして さらば鍛練お目にかけふと 小石拾ふて打つ礫枝に当てばら/\/\ 若君悦びな
やみも忘れ 小金吾ひらへの機嫌に内侍も嬉しく ヲゝよい事してもらやつた 過分/\と
一礼も冥加に余るとしらざりし 旅の男は自慢顔 何と手の内御らふじたか まそつと打て進

ぜたいが 遠道かゝへお伽申ても居られず 我等は参ると包を背負 御縁あらば重ねてと いふて
其場を行過る 小金吾木の実を拾ひ仕舞 サア是で勘忍なされ 扨々今の男は気転
者と 見やる床几の風呂敷包 同じ色でもどこやらがちがふた様なと走り寄 内改むれば覚なき
しかも是は張皮籠 こちは衣類の藤箇(こほり)扨は木の実に気を奪せ 取かへうせたか但しは麁
相か 何にもせよ追かけて取かへさんとかけ出す所へ 向ふよりあたふた戻る以前の男 麁相いたした
御免/\と云つゝ包指出し 日暮もちかし心はせく 同じ色の風呂敷故 重い軽いに気も付
ず取ちかへた麁相 道にてふつと心付き取てかへしてお詫言 まつぴら御免下されと 顔に似合ぬ


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テすりたいぼう 小金吾は胸落付き 麁相とあれば云分もおりないが 万一紛失の物有る
と赦さぬが合点か 何が扨相違あらば臺座の別れ 御存分になされませ ムウ其一言なら
疑ふに及ばね共 中改めて受取んと包をひらき 改め見れば相違もなし げに麁相に極つた
申し分なし其方の 荷物も持ておいきやれと 床几に残る風呂敷包 渡せば受取ふしぎ顔
此中ぐゝりのほどけたは イヤ夫レは最前かはつた様には思へ共 もしやとちよつと見た斗と いふ間にひらく
張皮籠 引ちらけて袷の袖 浴衣の間(あい)をさがし見て 恟り仰天箇(こり)打ふるひ コリヤどふじやコリヤ
ないは ないは/\ときよろ/\目玉 何がない何見へぬと 傍も気の毒目をくばれば 兼て工のいがみ

男 腕まくりしてコレ前髪殿 皮籠の中に人に頼れて高野へ上る祠堂金 廿両入れ置
た くすねたな/\ サア出した/\ 出しやいのと 取ても付かぬ難題に小金吾むつと反り打ちかけ
こいつ下郎めが武士に向つて何がなんと 今一度云て見よと きつさうかはれどひく共せず 盗人
たけ/\゛しいと 其高ゆすりくはぬ/\ 赤鰯をひねりかけおどして此場をぬけるのか ほろうまいそんなこと
春永になされ わづか廿両で首綱のかゝらぬ内 四の五のいはずと出した/\と もがりいがみのね
だり者 モウ堪忍がと抜きかけしが お二方の姿を見て じつとこたへて胸撫おろし コレサ若い人そりや
其元の覚へ違ひ 見らるゝ通足よはをお供したれば 例へ何万両落ちて有ても 目をかける所


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存はなし とくとそつちを吟味召されと いはせも果ず コレ其足よは連たが 盗みする付け目じや よ
もやと思はせしてやるが当世のはやり物 何万両はいらぬたつた廿両 スリヤどふしても身が盗
だとな ハテしれた事 ムウして其盗だ証拠は コレ此皮籠(かはご)の中紐まぜといた あり様に荷物
に紛失が有ると赦さぬといふたでないか 理詰じや 出しやいの/\と せり詰られて小金吾も もふ
是迄と放す 内侍はあはていだきとめ 尤じや道理じや 短気な事を仕やつては わしも此子
も供に難義 無念に有ふと堪忍して あの者のいふ様に了簡付けてやつてたも 足弱連た
を災難と思ひ 胸をしづめてたもいのと 涙にくれての給ふにぞ 血気にはやる小金吾も

見るに忍びず 世が代の時でござらふなら つだ/\にためしてもあきたらぬやつなれ共 何をいふ
ても茅(つばな)の穂にもおぢる身の上 御意の通りに致しましよ へエゝ口惜ふごさりますると
こなたは大事の二方を お供の身なれば無念をこたへ 奥歯噛程付上り 廿両といふ金あたゝ
まつておいて 其頬何じや ホウこはい/\ 此鰯で切か 此目でおどすか 前髪を一筋づゝ抜く
ぞよ 但もふ金はふけらしたか 連のめろからせんさくと 弱みへかゝるを首筋つかんで引戻し 用意
の路金いふ程出して睨み付 大切なお方をお供した故衒(かたり)取らるゝ廿両 持ていせいと打付くれ
ば 衒のならひ金見ると目に仏なく手ばしかく 拾ひ集めて耳よみ揃へ テモ恐ろしい此


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金を那智若衆めにすつての事 ひぢり取りよと致したとへらず口 其腮(あご)をと立寄る金
吾を内侍はおさへ 事ない中と若君引連れ立出給へば是非もなく跡に引添小金吾も 無念
をこたへ上市の宿有方へと急ぎ行 譬百度にらまれても 一度が一歩(ぶ)につきやせまい かまい
仕事といがみの権太 金懐に押入て 盆やへ急ぐ向ふへずつと 茶やの女房が立ふさがり
コレ権太殿 コリヤどこへ ホ小せんか わりや店明けてどこへいた わしや旅人のお頼で坂本へ薬をかい
に ヲそりやよい手筈 われが居たら又邪魔しやうに はづしていたでまし/\と いふ胸ぐらを取て
引すへ コレこなたに衒さす気てはづしては居ぬぞや 最前戻りかゝつた所にわつぱさつぱ 指

出たら衒の正銘顕れ どんな事にならふもしれぬと あの松かげから聞て居た ヘエゝこなさんは
恐ろしい工する人 姿は産共心は産ぬと 親御は釣瓶鮓やの弥助の弥左衛門様といふて 此村
で口も利くお方 見限られ勘当同前 御所(ごせ)の町に居た時こそ道も隔れ 跡の月から同じ
此下市に住でも 嫁か孫かとお近付にもならぬはいの 皆こなさんの心から いがみの程にきぬ
きせて 衒の程といはふぞや 此善太郎は可愛ないか 博費のもとでが入ならば此子やわしを売
て成りと 重ねて止めて下さんせ 何の因果で其様な恐ろしい気にならしやつたと 取付き歎けばつき
飛し ヤア引さかれめが又してはまい言 おれが盗み衒りの根元は 皆うぬから発つた事 ホこりや


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大それた事聞ねばならぬ そりや又どふしてとは覚が有ふ おりや十五の年元服して
親父の云付で御所(ごせ)の町へ鮓商ひ 隠し女(びり)の中に儕が振袖 見込だが鯱(しやちほこ)鱶ほど寝入る
仏師達の 臍くりを盗出し 店の溜り徳居先 身躰半分仕廻すてやつたナ聞へたか 所で
親父かほり出した 無理なわろの其時因果と此がきが腹に有て 親方はねだる 年貢米
を盗で立銀 其尻がきて首が飛のを 庄屋のあらほうが年賦にして 毎日の催促 其金
済まそで博奕にかゝり 出世して小ゆすり衒 此中も親父の所の家尻(やじり)を切て見たれど 妹
のお里めと 内の男めが夜通しの鼻声でとんとまんが損ねた 又けふのなんおよさ 此勢ひに

母の鼻毛をゆすりかけ 二三貫目えじめてくる 酒買て待ておれ 善太よ 日の暮から
寝おんな 夜通しせねばおれが商売は譲られんと 云つゝ立ば女房取付 まだ此上に親御の
物迄だましとろとは勿体ない マア内へ戻つて下されと すがれど聞ずはね飛すを コリヤやい善太
よ留てくれと 母の教に利口者とゝ様内へサアござれと 手にまとひ付く蔦かづら子が跡おへば
悪者は 小手縛り迚うたてがる しかも血筋の糸縄で きびたが悪い出なをそと 鬼でも子
にはひかさるゝ つめたいほでじやと手を引て女房諸共立帰る 夕陽(せきやう)西へ入る折から 首馬(しゆめ)の小金吾
武里は上市村にて朝方(ともかた)が 追手の人数(にんじゆ)に取まかれ 数ヶ所の疵を負ながら内侍若君御


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供申し 先都へ立帰るを 跡につゞいて数百人遁さぬやらぬと追かけたろ 手疵を負共気は
鉄石の武里が 死物狂ひと思ひのやいば 爰に二人かしこに七人はらり/\となぎ倒し其身
は秋の花紅葉敵は木の葉の其跡へ 追手の大将猪熊大之進おくればせにかけ来り ヤア死
損いめいづくへ行く 先頃嵯峨の奥にて取逃し 主人朝方公の御機嫌取ての外 すご/\館へ
帰られず 庵坊主めに白状させ付け廻したる此海道 サア維盛の御台若君を渡し 腹かつ
さばけと呼はつたり 手負は流るゝ血汐をぐつと一飲み息をつぎ 主馬の判官が倅小金吾武
里 息有内はいつかな/\ヲ其一言が絶命と 踊り上つて討太刀をてうど受留めはつしとはね

ひらりと見せてあくるりとはづし 手練を尽せど流石は手負 内侍若君あぶ/\ひや/\
小石を拾ひ砂打付け及び越なる加勢も念力 手強く見ゆる猪熊が眼に入て目
当はくらやみ 透間に切込むだんびらに眉間をわられて頭転倒(づでんどう)乗かゝるを下よりも突く
鋩(きつさき)は肋骨 金吾ものつけにそり返る あなたが起れば石礫 猪熊切られ小金吾も 供に
深手の四苦八苦修羅の衢ぞ危うけれ 忠義の天成小金吾がなんなく相手を取て押へ
くつと突込むとゞめの刀 サア仕負せし嬉しやと 思ふ心のたるみにや うんと其身も倒れ伏 ノウ
悲しやと内侍若君いたはり抱え抱起し コレのふ金吾/\気をはつきりと持てたも そなたが死


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で自らや此子は何と成る物ぞ 情なや悲しやと泣入給ふ御声の 耳に通つて手負は顔を上げ
コレ内侍様六代様 諦めて下さりませ 心はやたけにはやれ共もふ叶はぬ 我君維盛様は 兼
て御出家のお望 熊野浦にて逢奉りしといづ者有故 高野山へと心ざしお二方をお供
したれど 中々此手では一足も行れず コレ若君様 よふお聞遊ばせや 御台様を伴ひおみやの宿(しゅく)
といふ所に 内侍様を残し お前は人を頼んで山へ登り とゝ様のお名はいはれぬ様 お命めでたう御成人の後
憚りながら金吾めが事思召し出されなば 一滴の水一枝の花 それが則めいどへ御知行 御成長

待ております お名残惜いお別れと いふもせつなき息づかひ 六代君は取すがり 死でくれ
な小金吾 そちが死るととゝ様に逢事がならぬはと 泣入給へば内侍はせき上 アレ聞てたも
子心でも そなた一人を力にする 維盛様に逢迄は 死まいぞ/\となぜ思ふてはたもらぬ 御一門
は残らず亡び広い世界を敵に持ち いつ迄ながらへ居られふぞ供に殺してたもいのと歎き給へば
理りと 手負はいとゞ涙にくれ 先君小松の重盛様は日本の聖人 若君は其孫君 諸神
諸菩薩の恵のない事もがざりますまい 末頼みを思召て必ず短気をお出しなされな あれ/\
向ふへ提燈の灯かげ 又も追手の来るも知れず 若君伴ひ此場を早く/\ イヤ/\深手のそな


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たを見捨置て いづくを当てに行く物ぞ 死なば供にと座し給へば ヘエゝふがひない六代様は大事に
ないか 此手で死る金吾めではござりませぬ 聞入なければすふに切腹 コレ待てたも 夫程に
迄思やるなら 成程先へ落ませう 必ず死でたもるなや お気遣ひ遊ばすな 運に叶ひ跡より参
ろ 必待て居るぞやといふ間も近付く提燈の灯かげに恐れ是非なくも若君連て落給ふ
御心根のいたはしさ 手負は御跡見送り/\ 死なぬと申せしは偽り 三千世界の運借つても 何の此
手で生られませう 内侍様 六代様 是が此世のお別れでござりますと 思ふ心もだんまつま 地死期も
六つの暮過て朝(あした)の露と消にける 程なく来る提燈は此村の五人組 何やらさは/\咄し合

山坂の別れ途に庄や作が立留り コレ弥助の弥左衛門 紀様は鮓商売故 念押す上
におしかける 今云付た鎌倉の侍は聞御読んだげぢ/\ 何やらこなたの耳をねぶつて 禿る程云
付けたら 畏た/\とめつたむしやうに受合たが 何と覚の有事や ハテ知れた事 こなた衆も常
からおれが性根を知らぬか 血を分けた倅でも見限つたら 門端(かどばな)も踏まさぬ弥左衛門 膝ぶしが砕け
ても 畏つたら箙もきらさぬ したが跡からの云付がもつけ 嵯峨の奥から逃てきた 子を
連た女と大前髪 此村へ入込だと追手からのしらせ 所でげち殿がねぶりかけて 捕へたら褒
美と有 こりや又格別よい仕事 皆も油断せまいぞやヲそれ/\ こんな時こなたの息子の


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いがみの権太を頼んでおこふと五人組山未知行ば 弥左衛門坂へおりしも行先の 手負にばつたり行
当りはつと飛退き 気味悪ながら提燈ふり上 そろ/\立寄り テモむごたらしう切たは/\
旅人そふなが 追剥の仕業ならば丸裸にしそふな物 路銀をあてに悪者の所為(しわざ)か
と 悪い子を持親の身は 案じ過ごして コレ/\手負殿/\と 呼ぶも答もなきからに 扨は最早
息絶たか いとしや何国(いづく)の人成ぞ 見ればふけた角前髪 袖ふり合も他生の縁 なむあ
みだ仏 なむあみだなむあみだ仏と回向して 兎角浮世は老少不定 哀を見るも仏の異
見 人はいがまず真直ぐに後生の種が大事ぞと思ひつゞけて行過しが 何思ひけん立留り とつ

つ置つの俄の思案 そろり/\と立戻り 邊を見廻し/\て抜身を拾ひ取るよりはやく
死に首はつしと打落し 提燈吹消し首提(ひつさげ) 忝いと弥左衛門 直ぐ成る道も横飛に我家をさ
して「立帰る 春はこね共花咲かす 娘が漬けた鮓ならば なれがよかろと 買にくる
風味も吉野 下市に売弘めたる所の名物 釣瓶鮓やの弥左衛門 留主の内に
も商売にぬけめも内儀が早漬に 娘お里が肩錦襷(かたたすき)裾に 前垂ほや/\と
愛に愛持つ鮎の鮓 押へてしめてなれさする 味(うま)い盛の振袖か 釣瓶鮓とは物らしし
しめ木に栓を打込で 桶片付けて申嬶さん きのふとゝ様の云しやるには あすの


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晩には内の弥助と祝言さす程に 世間晴て女夫になれとおつしやつたが 日が
暮てもお帰りないは嘘云かいな ヲあのもやる事はいの 何のうそであろぞ 器量
のよいを見込みに 熊野参りから連て戻つて 気も心も知ると弥助といふ我名を譲り
ぬしは弥左衛門と改めて内の事任せて置かしやるは そなたと娶(めあは)す兼ての心 けふは俄
に役所から 親父殿を呼にきて思はぬ隙入 迎ひにやろにも人はなし サイナ 折悪ふ弥助
殿も方々から鮓の誂へ 仕込の桶がたるまいと明き桶取にいかれました もふ戻らるゝ
でござんしよと 噂半ばへ 明桶荷ひ戻る男の取なりも 利口で伊達で 色も香

もしる人ぞしる優男 娘が好た厚鬢に冠着せても憎からず 内へ入間も待
兼て お里は嬉しく アレ弥助様の戻らんした 待兼た遅かつた 若しやどこぞへ寄てかと 気
が廻つた案じたと 女房顔していふて見る 流石鮓やの娘迚 早い馴とぞ見へにける
母はにこ/\笑ひを含み 弥助殿気にかけて下さんな 此吉野郷は弁才天の教へによつて 夫
を神共仏共 戴て居よと有る天女の掟 其かはり程悋気もふかい 又有やうは親の孫(そん)
瓜のつるにではござらぬと云くろむれば 是はまあ却て迷惑 段々お世話の上 大切な
お娘御迄下され お礼の申様もござりませぬ 去ながら兎角お前には 弥助殿/\と


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殿付けをなされてさりとては気の毒 やつぱり弥助どふせいかうせいとお心安ふ ナ申 イヤ/\
それは赦して下され ワリヤ又なぜでござります さればいの 弥助といふ名は是迄連れ合
の呼名 殿付けせずにどふせいかうせいとは 勿体なふて云にくい 云馴た通り殿付さして
下されと 実に夫をば大切に 思ふ掟を幸に娘へ是を聞がしの 母の慈悲とぞ聞へける お
里弥助は明き桶を板間へ並べて居る所へ 此家の惣領いがみの権太門口より乙声で
母者人/\と 云つゝ入ればお里は恟り 又兄様かよふお出ともみ手する きよと/\しい其頬何
じや よふ来たが恟りか わりや弥助とうまい事して居るそふなが コリヤ弥助もよふ聞け

今追出されて居ても 竃の下の灰迄おれが物 けふは親父の毛虫 役所へいたと聞
たによつて 少(ちと)母者人にいふ事が有て来た 二人ながら奥へうせうと睨廻されうぢ/\と
是にといふて立つ弥助 娘も跡に引添て一間へこそは入にけれ 跡に母親溜息つき コリヤ
又留主を考へ無心に来たか 性懲もないわんばく者 其儕が心から嫁子が有ても 足
ぶみ一つさす事ならぬ 聞きや此村へ来て居るげなが 互にしらねばすれ合ても 嫁姑
の明鼓目(あきめくら)眼(まなこ)つぶれと人々に云れるが面目ない ヘエゝ不孝者めと目に角を 立てかはつたる
機嫌にぐんにやり 直ぐではいかぬといがみの権太 思案しかへて 申母者人 今晩参つたは無心


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てはござりませぬ お暇乞に参りました ソリヤ何で 私は遠い所へ参ります程に 親父様
もおまへにも 随分おまめで/\としほれかければ母は驚き 遠い所とはそりやどこへ どふし
た訳で何しに行と 根問(ねどひ)は親のだまされこぐち サアしてやつたと 目をしばたゝき 親の物は子の
物と お前へこそ無心申せ ついに人の物箸かたし いがんだ事も致しませぬに 不孝の罰(ばち)か
夜前わたしは大盗人に合ました ヒヤア 其中に代官所へ上る年貢銀(かね)三貫目といふ物
盗取られ 云訳もなく仕様もなく お仕置に合ふよりはと覚悟極めておりまする 情ない
めに合ましたと かます袖をば顔に当 しやくり上ても出ぬ涙 鼻が邪魔して目の

ふちへとゞかぬ舌ぞうらめしき あまい中にもわけて母親 実(まこと)と思ひ供に目をすり 鬼神
に横道なしと 年貢の銀を盗れ死ふと覚悟はまだでかした 災難にあるも親の罰
よふ思ひしれよ アイ/\ 思ひしつてはおりますけれど どうで死ねば成ますまい コリヤやい
あい/\ 常の儕が性根故是も衒かしらね共 しやうぶ分けにと思ふた銀 親父殿に隠し
てやろ 是でほつとり根性直せと そろ/\戸棚へ子のかげで 親も盗をする母のあまい
錠さへ明兼る ついがん首こち/\かよござりまするとしなれたるおのが手業を教ゆる
不孝 親は我子が可愛さに地獄の種の三貫目 跡をくろめて持て出 何ぞ


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に包でやりたいがと 限りない程あまい親 うまいわろじやといがみの権鮓の明き桶
よい入物 是へ/\と親子して銀(かね)を漬けたるこがね鮓 しめ栓しめサアよいは 是で目立ち
ぬ提げていねと親子がぐあいの最中へ 苦い爺親弥左衛門是も疵持つ足の裏 あ
たふたとして門口を 戻つた明けいと打たゝく なむ三親父と内には転倒うろたへ廻り其
桶を 爰へ/\と明桶と供にならべて親子はひそ/\ 奥と口とへ引別れ 息を詰て
ぞ入にけるなぜ明けぬ/\と 頻りにたゝけば奥より弥助 走り出て戸を明る 内入悪く
傍(あたり)を見廻し コリヤ又どいつも寝ておるか 云付た鮓共は 仕込で有かと鮓桶を

提げたり明けたりぐはつた/\ コリヤ思ふ程仕事ができぬ 女房共やお里めは何しておるぞ
イヤ只今奥へ呼ましよと行弥助をば引とゞめ 内外見廻し表をしめ 上座へ直し
手をつかへ 君の親御 小松の内府(だいふ)重盛公の御恩を受たる某 何とぞ御子惟盛卿
の御行衛をと 思ふ折から熊野浦にて出合 御月代をすゝめ此家(や)へお供申したれ共
人目を憚り下部の奉公 余りと申せば勿体なさ 女房斗に子細を語り今宵
祝言と申すも 心は娘を御宮仕へ 弥助/\と 賤しき我名をお譲り申したも 弥(いよ/\)助
くるといふ文字の縁義 人はしらじと存ぜしに 今日鎌倉より 梶原平蔵景時


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来つて 惟盛卿をかくまへ有とのつ引させぬ詮議 烏を鷺と云抜けては帰れ
共 邪智深い梶原 若しや吟味に参ろもしれずと 心工みは致して置け共油断は
怪家のもと あすからでも我隠居上市村へお越あれと 申上れば維盛卿 父重
盛の厚恩を受たる者は幾万人 数限りなき其中に おことが様な者あらふか 昔
はいか成者なるぞと 尋給へば 私めは平家御代盛(ごよざかり)の折から 唐土黄山へ 祠堂
金お渡しなさるゝ時おんどの瀬戸にて船乗すへ 三千両の金わけ取に致した船頭
御詮議あらば忽命も取られんに 有がたいは重盛様 日本の金唐土へ渡す我

こそは 日の本の盗賊と御身の上を悔(くやみ)給ひ 重ねて何の詮議もなく 此山家へ
参つて此商売 今日を安楽に暮せ共 親の悪事が子に報ひ倅権太郎めが
盗み衒 人にいはねど心では 思ひしるたる身の懺悔 お恥しうござりますと 語るに付け
て維盛も 栄華の昔父の事思ひ出され御膝に 落る涙ぞいたはしき 娘お里
は今宵待つ月のかつらの殿もふけ 寝道具抱へ立出れば 主ははつと泣目を隠し
コリヤ弥助 今云聞した通り 上市村へ行事を 必々忘れまいぞ 今宵はお里と爰にゆ
るり 嚊とおれとは離れ座敷遠いが花の 香がなふて 気楽に有ふと打笑ひ 奥


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へ行のも娘は嬉しく テモ粋(すい)なとゝさんはなれ座敷は隣しらず。餅つきせうとヲおかし
こちらは爰に天井抜け 寝て花やろと蒲団敷く 維盛卿はつく/\゛と身の上又は都の
空 若葉の内侍や若君の事のみ思ひ出されて心も済まず気も浮かず 打しほれ
給ひしを 思はせぶりとお里は立寄り コレナこれなァ ヲしんき 何初心な案じてぞ 二世も
三世もかための枕 二つならべたこちやねよと 先へころちと転寝(うたゝね)は 恋のわなとぞ見へ
にけり 維盛枕に寄添給ひ 是迄こそ仮の情夫婦となれば二世の縁 結ぶにつら
き一つの言訳 何を隠そふ其は 国に残せし妻子有 貞女両夫にま見へずの掟は

夫も同じ事 二世のかためは赦してと 流石小松の嫡子迚とけた様でもどこやらに
親御の気風残りける 神ならず仏ならねばそれぞ共 しらぬ道をば行迷ふ 若葉の内
侍は若君を宿(しゆく)有る方に預置き 手負の事も頼まんと思ひ寄る身も縁のはし 此家
を見かけ戸を打たゝき 一夜の宿と乞給へば 維盛はよい退きしほと表の方 たゝく扉に
声を寄せ 此内は鮨商売 宿屋ではござらぬとあいそのはいがあいそと成 イヤこれ
申 稚きを連た旅の女 是非に一夜と宣ふぞ 断り云て帰さんと戸を押開き月
かげに 見れば内侍と六代君 はつと戸をさし内の様子 娘の手前もいぶかしくそろ/\


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寄り見給へば 早くも結ぶ夢の体 表に内侍はふしぎの思ひ 今のはどふやら我夫(つま)に
似たと思へど形容(なりかたち)つむりも青き下(しも)男よもやと思ひ給ふ中 戸を押ひらいて
維盛卿 若葉の内侍か 六代かと 宣ふ声にヒヤア扨は我夫 とゝ様か ノウなつかしやと取
すがり 詞はなくて三人は 泣より外の事ぞなき 先々内へと密かに伴ひ 今宵は取わけ
都の事 思ひ暮して居たりしが 親子共に息災でふしぎの対面去ながら 其此家
に居る事を誰かしらせしぞ 殊に又 はる/\゛旅の空供連ぬも心得ずと 尋給へは若葉
の君 都でお別れ申てより須磨や八嶋の軍を案じ 一門残らず討死と 聞悲しさも

嵯峨の奥 泣てばつかり暮せしに 高野とやらんにおはするといふ者の有故に 小金
吾召連れお行衛Iを心ざす道追手に出合 可愛や金吾は深手の別れ 頼みも力も
ない中に めぐり逢たは嬉しいが 三位中将維盛様が 此お姿は何事ぞ 袖のない此羽織
に 此おつむりはと取付てむせび たへ入給ふにぞ 面目なさに維盛も 額に手を当て
若い女中の寝入ばな 殊に枕も二つ有 定てお伽の人ならん 斯ゆるかしきお暮しなら都
の事も思召 風の便りも有へきに 打捨給ふはどうよくと恨み給へば ホヲゝそれも心にかゝ


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りしかど 文の落ちる恐れ有 わけて此家の弥左衛門 父重盛への恩報じと 我を助け
て此迄に 重々厚き夫婦が情 何がな一礼返礼と 思ふ折から娘の恋路 つれなく
いはゞ過ちあらん 却て恩が怨(あだ)なりと仮の契りは結べ共 女は嫉妬に大事も洩すと
弥左衛門にも口留して我身の上を明さず 仇な枕も親共へ義理に此迄契りしと
語り給へば伏たる娘 こたへ兼しか声上てわつと斗に泣出す コハ何ゆへと驚く内侍若
君引連逃のかんとし給へば ノウこれお待下されと 涙と供にお里はかけ寄り 先々是へ
と内侍若君上座へ直し 私はお里と申て此家の娘 徒(いたづら)者憎いやつと 思し召れん

申訳過つる春の此色めづらしい草中へ 絵に有よふな殿御のお出 維盛様とは露
しらず女の浅い心から 可愛らしいいとしらしいと思ひ初たが恋のもと 父も聞へず 母様
も 夢にもしらして下さつたら 譬こがれて死れば迚 雲井に近き御方へ鮨やの
娘が惚られうか 一生連添殿御じゃと 思ひ込で居る物を 二世のかためは叶はぬ 親へ
の義理に契つたとは 情ないお情に 預りましたとどうど伏 身をふるはして泣ければ 維盛
卿は気の毒の 内侍も道理の詫涙 かはく間もなき折からに村の役人かけ来り戸を
たゝいて コレ/\爰へ梶原様が見へまする 内掃除しておかれいと云捨て立帰る 人々


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はつと泣目も晴いかゞはせんと俄の仰天 お里はさそくに心付き 先々親の隠居屋敷
上市村へと気をあせる げに其事は弥左衛門我にも教へ置しかど 最早ひらかぬ平家の
運命 検使を引請いさぎよふ腹かき切んと身拵へ内侍は悲しく コレ此若の幼気(いたいけ)ざ
かりを思召 一先ず爰をとむりやりに引立給へば維盛も 子に引さるゝ後ろ髪是非なく其
場を落給ふ 御運の程ぞ危けれ 様子を聞たかいがみの権太勝手口より踊出 お触
の有た内侍六代 維盛弥助めせしめてくれんと尻ひつからげかけ出すを コレ待てと
お里は取付 兄様是は一生のわたしが願ひ 見赦して下されと頼めど聞ずはね飛し

大金なる大仕事邪魔ひろぐなとすがるを蹴倒しはり飛し 最前置し銀(かね)の鮨桶
是忘れてはと提(ひつさげ)て跡を慕ふて追て行 ノウとゝ様と お里が呼声弥左衛門 母
もかけ出何事ととへば娘はコレ/\/\ 都から維盛様の御台若君尋さまよひお出有
つもる咄の其中へ詮議にくるとしらせを聞 三人連て上市へ落しましたを情ない
兄様が聞て居て討死取か生捕て 褒美にするとたつた今追かけてと いふより恟り
弥左衛門 ソレ一大事と嗜の朱鞘の脇指腰にぶつ込かけ出す向ふへ ハイ/\/\と 矢はづ
の提燈梶原平蔵景時 家来数多にじつてい持たせ道を塞て ヤア老耄め何所


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へ行 逃る迚逃さふかと 追取まかれてはつととむね 先も気づかひ 爰も遁れす
七転八倒心は早鐘 時に時つくごとく也 ヤアこいつ横道者 儕に今日維盛が事
詮議すれば 存ぜぬしらぬと云ぬける 其儘にして帰せしは 思ひ寄ず踏込ふ為 此
家に維盛かくまひ有事 所の者より地頭へ訴へ 早速鎌倉へはや打取る物も取
あへず来れ共 油断の体は儕を取逃すまい為 サア首討て渡すか 但違背に及ぶ
か 返答せいとせめ付られ 叶はぬ所と胸をすへ 成程一旦はかくまひないとは申たれ共
あまり御詮議強き故隠しても隠されず 早先達て首討たり 御らんに入んお通り

と伴ひ入て母娘 どふ成事と気遣ふ中 鮨桶提げ弥左衛門しづ/\出て向ふに直し
三位維盛の首 御受取下されよと 蓋を取んとする所を 女房かけ寄ちやつと押へ
コレ親父殿 此桶の内にはわしがちつと大事の物を入て置た こなさん明てどふするぞ
ホわれはしるまい此桶には 最前維盛卿のお首を討て入置た イヤ/\/\此桶にはこな
たに見せぬ物が有と 引寄れば引戻し 儕が何にもしらぬ故 イヤこなたがしらぬ故と
妻は銀と心得てあらそひ果ねば 梶原平蔵 扨はこいつら云合せ しばれくゝれ
と下知の下 捕た/\と取まく所に 維盛夫婦がきめ迄 いがみの権太が生捕たり


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討取たりと呼(よばゝ)る声 はつと斗に弥左衛門女房娘も気は狂乱 いがみの権太はいか
めしく若君内侍を猿縛り 宙に引立目通りにどつと引すへ 親父のまいすが 三位
維盛を熊野浦より連帰り 道にて天窓(あたま)を剃こぼち 青二才にして弥助と名
をかへ 此間はほてくりしき聟ぜんさく 生捕て頬恥と存じたに 思ひの他手強いやつ
村の者の手をかつて漸と討取り 首に致して持参御実検と指出す ヲゝ成程 剃こぼち
弥助といふとは存じながら 先達て云ぬは弥左衛門めに 思ひ違ひをさそふ為 聞及だいがみ
の権太 悪者と聞たがお上へ対しては忠義の者 でかいた/\ 内侍六代生捕たな ハテよい器

量 夢野の鹿で思はずも 女鹿子鹿の手に入るは遖の働 褒美には親の弥左衛門
めが命赦してくれう イヤ/\申 親の命ぐらいを赦してもらをと思ふて此働は致しませぬ
スリヤ親の命はとられても褒美がほしいか ハテあのわろの命はあのわろと相対
渡しには兎角お銀と願へば梶原 ハテ小気味のよいやつ 褒美くれんと着せし羽織
ぬいて渡せばぶつてう顔 コリヤ/\其羽織は頼朝公のお召がへ 何時でも鎌倉へ持ち
来らば金銀と釣がへ 嘱託の合紋と聞より戴き出来た/\ 当世衒が時行(はやり)によ
つて 二重取をさせぬ分別 よふした物と引がへに 縄打渡せば受取て首を器に納め


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させ コリヤ権太 弥左衛門一家のやつら暫く汝に預る お気遣ひなされますな
貧乏ゆるぎもさせませぬ ハテ扨健気な男めと 誉そやして梶原平蔵
縄付 ひつ立立帰る アゝこれ/\其次手に褒美の銀(かね)忘れまいぞと見送る透間
油断見合せ弥左衛門 憎さも憎しとひんだかへぐつと突込む恨の刃 うんとのつけに反
返る 見るに親子はハツはつと 憎いながらも恐しさの 母は思はずかけ寄て 天命しれや
不孝の罪思ひしれやと云ながら 先立物は涙にて伏沈みてぞ 泣居たる 弥左衛門
はがみをなし 泣な女房 何ほへる 不便(ふびん)なの可愛のといふて こんなやつを生けて置は

世界の人の大きな難儀 門端も踏すなと云付置たに内へ引入 大事の/\維
盛様を殺し 内侍様や若君をよふ鎌倉へ渡したな 腹が立て/\涙がこぼれて
胸が裂る 三千世界に子を殺す 親といふのはおれ斗 遖手がらな因果者に
よふしおつたと抜身の柄 砕くる斗に握り詰 えぐりかけるも心は涙 いがみにいがみし
権太郎刃物おさへて コレ親父殿 なんじや こなたの力で維盛を助る事は 叶はぬ/\ コリヤ
いふな けふ幸と別れ道の傍らに手負の死人 よい身がはりと首討て戻り 此中に隠し
置く コリヤ是を見おれと鮨桶取て打明れば ぐはらりと出たる三貫目 ヒヤアこりや


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銀(かね)じや こりやどうふじやと軻れ果たる斗也 手負は顔を打ながめ おいとしや親父様 私が
性根が悪さに 御相談の相手もなく 前髪の首を惣髪にして渡さふとは 了簡違の
あぶない所 梶原程の侍が 弥助と云て青二才の男に仕立有る事を しらいえ討手に来
ませうか それといはぬはあつちも工 維盛様御夫婦の路銀にせんと盗だ銀 重いを
証拠に取違へた鮨桶 明けて見たれば中には首 はつと思へど是幸 月代剃てつき
付けたは やつぱりおまへの仕込の首 ムウ其又根性で 御台若君に縄をかけ なせ鎌倉
へ渡したぞ ホ其お二人と見へたのは 此権太が女房倅 ヤアゝして/\ 維盛様御夫婦

若君は何所に ヲゝ逢せませうと袖より出す一文笛吹立れば 折よしと維盛卿内侍
は茶汲の姿となり 若君連てかけ付給ひ 弥左衛門夫婦の衆 権太郎へ一礼を ヤア手を
負たかと驚くも おかはりないかと恟りも一度に興をぞさましける 母は悲しさ手負に
取付 かほど正しき性根にて人に疎まれ謗らるゝ 身持はなぜにしてくれた 常か常
なら連合がむさと手疵も負せまい むごい事をとせき上て悔み嘆けば権太郎 ヤレ
其お悔無用/\ 常が常なら梶原が 身がはりくふては帰りませぬ まだ夫レさへも疑
て 親の命を褒美にくれう 忝いといふと早 詮議をかける所存 いがみ


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と耳た故油断して 一ぱいくふて帰りしは 禍(わざはひ)も三年と悪い性根の年の明き時 生れ
付て諸勝負に魂奪はれ けふもあなたを廿両 衒取たる荷物の内に 恭々敷く
高位の絵姿 弥助が顔に生うつし 合点がいかぬと母人へ銀の無心をおとりに入込 忍
て聞ば維盛卿 御身に迫る難儀の段々 此度性根改めずばいつ親人の機嫌
に 預かる時節も有まいと打てかへたる悪事の裏 維盛様の首は有ても 内侍若君
のかはりに立る人もなく 途方にくれし折からに 女房小せんが倅を連 親御の勘当 古
主へ忠義 何うろたへる事か有る わしと善太をコレかうと 手を廻すれば倅めも 嚊

様と一所にと供に廻して縛り縄かけても/\手がはづれ 結んだ縄もしやらほどけ
いがんだおれが直ぐな子を 持たは何の因果じやと 思ふては泣 しめては泣 後ろ手にした其時
の心は鬼でも蛇心でも こたへ兼たる血の涙可愛や不便や女房も わつと一声
其時に血を吐ましたと語るにぞ りきみ返つて弥左衛門 聞へぬぞよ権太郎 弥めに縄
をかける時 血を吐程の悲しさを 常に持てはなぜくれぬ 広い世界に嫁一人 孫といふの
もあいつ一人 子供が大勢遊んで居れば 親の顔を目印に にがみのはしつた子か有かと
尋て見ては コレ/\子供衆 権太が息子は居ませぬかと とへど子供はどの権太 家名


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は何とゝ尋られ おれが口からまんざらに いがみの権太とは得いはず 悪者の子じや故に はね出
されておるであろと 思ふ程猶そちが憎さ 今直る根性が半年前に直つたら のふ
ばゞ 親父殿 嫁女や 孫の顔見覚ておこふのに ヲゝ/\おれもそればつかりがとむせかへり
わつと斗伏沈む心ぞ 思ひやられたり 内侍は始終御涙 維盛卿は身にせまる いとゞ
思ひにかきくれ給ひ 弥左衛門が歎たる事なれ共 逢て別れ あはで死るも皆因縁 汝
が討て帰りたる首は主馬の小金吾迚 内侍が供せし譜代の家来 生て尽くせし
忠義はうすく 死て身がはる忠勤厚し 是もふしぎの因縁と語り給へば テモ扨も

そんなら是も鎌倉の 追手の奴等が皆所為(しわざ) ヲゝ云にや及ぶ 右大将頼朝が 威
勢にはびこる無得心 一太刀恨ぬ残念と 怒に交る御涙 実(げに)お道理と弥左衛門
梶原が預けたる陣羽織を取出し 是は頼朝が着がへ迚 褒美の合紋に残し置し 寸(ず)
斗(だ)/\に引裂ても 御一門の数には足ねと 一裂づゝの御手向 サア遊ばせと指出す 何
頼朝が着がへとや 晋の豫譲が例を引 衣を裂て一門の恨を晴さん思ひ知れと 御はか
せに手をかけて羽織を取て引上給へば 裏に模様か歌の下の句 内や床しき 内ぞ
床しきと 二つならべて書たるは アラ心得ず 此歌は小町が詠歌 雲の上は有し昔にかはら


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ねど 見し玉簾(だれ)の内や床しきと有けるを その返しとて人も知たる此歌を 物々
しう書たは不思議 殊に梶原は和歌に心を寄せし武士(ものゝふ)内や床しきは此羽織の
縫目の内ぞ床しきと 襟際附際切ほどき 見れば内には袈裟衣 数珠
迄添て入置たは コリヤどふじや コハいかにとあきれる人々維盛卿 ホウさもそふずさも
あらん 保元平治の其昔 我父小松の重盛池の禅尼と云合せ 死罪に
極る頼朝を命助けて伊豆へ流人 其恩報じに維盛を 助て出家させよと
の 鸚鵡返しか恩返しか ハアゝ敵ながらも頼朝は遖の大将 見し玉だれの内よりも

心の内の床しやと 衣を取て是迚も父重盛の御かげと戴給ふぞ道理なる 人々はつと
悦び涙 手負の権太は這出摺寄り 及ぬちえで梶原を 謀つたと思ふたが あつちが
何にも皆合点 思へば是迄衒つたも 後は命を衒るゝ 種としらざる浅間しと 悔に近き終り
際 維盛卿も是迄は仏を衒て輪廻を離れず 離るゝときは今此時と髻ふつつと切給へば 内侍
若君お里はすがり供に尼共姿をかへ 宮仕へを赦してと願へと叶はず打払ひ/\ 内侍は高雄の
文覚へ 六代が事頼まれよ お里は兄に成かはり親へ孝行肝要と 立出給へば弥左衛門 女中の
供は年寄の役と諸共旅用意 手負をいたはる母親が ノウこれつれない親父どの


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権太が最期もちかし 死目に逢て下されと 留むるにせき上弥左衛門 現在血を分た
倅を手にかけ どふ死目に逢れうぞ 死だを見ては一足もあるかるゝ物かいの 息有内
は叶はぬ迄お助かる事も有ふかと 思ふがせめての力草 留るそなたがどうよくお云て泣出
す爺(てゝ)親に母は取分娘は猶 不便/\と維盛の 首には輪袈裟手に衣 手向の文もあ
のくたら 三みやく三菩提のかどで 高雄高野(たかの)へ引わくる 夫婦の別れに親子の
名残 手負は見送る顔と顔 思ひはいづれ大和路や 芳野にのこる名物に
これもり弥助といふ鮨屋 今に栄ふる花の里其名も 高くあらはせり

 

 

 

権太の墓

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小金吾の碑

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右奥の白い石塔に「小金吾之墓」と刻まれています。