仮想空間

趣味の変体仮名

尚古造紙挿(しょうこぞうしばさみ) 下

  
読んだ本 https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html
      イ02 02533


2
七種繁曾我(なゝくさにきわいそが)第一番目 市村座
   「よこ山丁壱丁め新道 いづみやごん四郎 はんもとおろし」
  あさひやの小ばやし
  太夫師之丞
  五郎時宗
  市川團十郎
 上
 馬上の段
浄瑠璃 市村若太夫 ワキ薩摩喜内 三みせん江戸半四郎


3(絵図)
(枠外上)
近松門左衛門
越前の産にて
肥前唐津
近松寺に遊学し
後に京都に住す
岡本一胞子の 兄也云々

曽根崎心中 付り 観音回り    作者 近松門左衛門 
              おやま人形 辰松八郎兵衛

「しやみせんひき」
太夫 竹本ちくごの掾」
「竹本たのもつれかたる:竹本頼連れ語る」
「おはつみちゆき:お初 道行」
「辰松八郎兵衛人形つかふ所」
「口上人かきつけ請取」

 見物の 
 中より 
 かきつけ 
 わたす

曽根崎心中  作者 近松門左衛門  人ぎやう 辰松八郎兵衛
▲辰松八郎兵衛口上
此度仕りますそねさきのしん中の義は京近松門左衛門あと月ふつと御当地へくだり
あはせましてかやうのことこさりましたを承り何とぞおなぐさみにもなりまする様にと存しまして
即浄るりに取くみおめにかけまするやうにござりますはう/\゛のかぶきにも仕りまして
さのみかかはりました義もござりませね共浄るりに仕りますははじめてにてござりまする
序の卅三所のくはんをんめぐりの道行がござります人形の義はめつらしからね共御目
通りにて私がつかひまする様にござりますとかく御ひいきのちくごのぜう義で
ござりまする間何事もよしなに御けんぶつ下されませふ是より心中のはじ
まりさやうにおこゝろ入なされませい


4
宮古路豊後 宮古路 豊太夫   とをり坊町(印)はんもと

睦月の玉??(椿)
 かなむらや おさん
 村上五郎
名古屋心中 下之巻 はりましはいいにて仕候
      宮古路 文字太夫


(枠外上)
延享二年
吉原 細見の図
今文政 十三年迄
丸八十六年 及ぶ

(上)
江戸町壱丁目中の丁より左かわ
格子 太夫九十匁 かうし六十匁 たまや山三郎
(右一段目)
 太夫 小むらさき
    かせん
    小きん
 太夫花むらさき
    たのも
    みどり
 かうしいほさき
    はなの
    きよみ
 同  をのえ
    とみの介
    とみ五郎
 同  みちのく
    しのぶ
    そめき
(右二段目)
 かうしたち花
    けんち
 同  此いと
    もみぢ
 同  みやこぢ
    しげみ
 同  かほる
    にほひ
 同  まきつね
    もゝよ
 同  とみおか
    ちとり
 同  こわた
    たより
(右三段目)
 同  きよ花
    きよさ
 同  かりう
    はるの
 同  わかたけ
    こりん
 同  ちとせ
    きくの
 同   ちさと

 同  たつた
 同  おふしふ
(右四段目)
 同  はせ川
    かめつる
 同  ていか
    にしき
    たつた

  まんじや与兵衛
(左一段目)
はしとみ
 こげん
はなさと
 つぼみ
花月
 きんや
をのえ
 ふじの
しらぎく
 みち
(左二段目)
うたさと
 うたき
小たゆふ
 こてふ
しけのい
 さんち
みむろ
 りんか
きてう
さゝんくわ
うたはし
かせん
(左三段目)
花まつ
山の井
ふぢ葉
 かしく
きよ花
とみよ
花おぎ
しらふぢ

 やりて はる

(下)
京町壱丁目中の丁より左かわ
  ぜに屋甚左衛門
(右一段目)
えちかわ
 ちとり
そのまき
とみの介
(右二段目)
かつらき
 ちんの介
かつうら
 かめ五郎
ひとえ
 まつや
(右三段目)
みやこ
 せい太郎
花まき
 にしき
つかわ
はつうら
まつい
(右四段目)
かわち
はつね
せんよ
まきゝぬ
やとりき
まつかせ
やりて はつ

  たはら屋四郎兵衛
        「同京女郎 三十匁」
京 太夫 女郎
よひ出し 六十匁
(中上段)
引ふね
 つかわ
いさゝめ
 かふろたきさ
中いさよ
(中下段)
なると
 もとめ
きくかわ
 大きち
みくも きちや
こゝのえ
(左一段目)
「同見せ」
わこく
 すけ次
よしの
 ちとり
かつらき
 きくの
むさしの
 さけん
うらさと
 すけさ
(左二段目)
ふちうら
 きん次
わかくさ
まつおか
まつかせ
やへおき
花さき
わかまつ
わかいと
(左三段目)
たむら
しら梅
よしすみ
つねよ

やりて たつ
 

 
5
(上)
舞tぐき改吟味仕候外は見合御求可被下候
板元 大伝馬町三丁目 山本九右衛門
(上一段目)
今戸はし
てんま屋 源兵衛
よろづや 七兵衛
おかたや 忠三郎
ひやうごや 七三郎
木づや 善兵衛
よしのや 伊兵衛
長さきや 市兵衛
かしわや 伝兵衛
市川や 平八
竹屋  小平次
(上二段目)
山しろや 伝右衛門
まつばや 助右衛門
おはりや 四郎兵衛
たち花や 勘兵衛
くさきや 平兵衛
あしや 喜兵衛
のりたや 伊兵衛
しなのや 八郎兵衛
柳や  庄太夫
山本や 徳右衛門
大つや 勘右衛門
(上三段目)
ひのや 半三郎
つたや 儀兵衛
大さかや 次兵衛
きりや 助三郎
あづまや 佐次兵衛
よしだや 七兵衛
えちごや 次兵衛
ふぢや 三郎兵衛
わかまつや 佐兵衛
長しまや 七右衛門
三うらや 三右衛門

(下一段目)
かめや 権三郎
ふぢもとや 八右衛門
みなとや 半兵衛
いづくら 権右衛門
大のや しま
きくや 権兵衛
大のや 六兵衛
三しまや 源兵衛
ますや 喜兵衛
かなさはや 三四郎
さかもとや 庄右衛門
たかしまや 源六
しまや 又八
すきや 彦兵衛
(下二段目)
ほていや 与兵衛
さのや 権三郎
江戸や 庄右衛門
二見や 六兵衛
よしかはや 半兵衛
まつさかや 二郎兵衛
中村 喜右衛門
三しまや 藤助
さかや 正七
大こくや 権左衛門
ふく田や 善兵衛
すみよしや 権三郎
かつらや 平七
かつさや 長四郎
(下三段目)
平のや 九左衛門
三かわや 伝七
山かたや 源三郎
いせ川や 喜兵衛
わかまつや 佐右衛門
ふくしまや 善右衛門
いつや 藤二郎
かなふや 伝兵衛
山しろや 八兵衛
まつや 惣七
わかさや 七兵衛
むかてや 甚三郎
たまや 紋兵衛
すゝきや 吉兵衛


(左頁上)
右かわのちや屋付
なかむらや 庄右衛門
わかさや 半四郎
みかわや 藤介
ぬひはくや 吉右衛門
ゆふきや 新六
ぜにや 伊兵衛
わかまつや 幸介
いせや 半兵衛
もつかうや (いんきよ)三左衛門
大しまや 次兵衛
はん所(ところ) 清五郎

えもん坂  五拾間道

左かわのちや屋跡
かづさや 金十郎
(同)いせや 清左衛門
(同)いけ田や 半兵衛
(同)あづまや 吉右衛門
(げたや)てうや 次郎兵衛
はしもとや 伊介
(かみや)いせや 半兵衛
(さかや)あふみや 市兵衛
ふぢや 清吉
山もとや 茂兵衛
かめや 茂右衛門
えびや 吉兵衛

(下)
会所 四郎兵衛
手代 弥兵衛
かぶろめつけ
五町の男女
女郎かふろ
人別
四郎兵衛方に
有也

「新吉原」「右かわ」
ともへや 仁兵衛
いづゝや 源兵衛
あふみや 権兵衛
ますや 後家
まつばや 久兵衛
まつや 庄兵衛
つたや 甚四郎

江戸町

此うらに
てうじや 嘉兵衛
あふみや 又兵衛
おはりや 五兵衛
きのくにや ごけ
えびや 平八
しなのや ごけ
かめや 佐兵衛

おはりや 権兵衛
中むらや 庄左衛門
すみよしや 庄兵衛
きりや 又兵衛
かはちや 甚介
かしはや 又兵衛
おはりや 七兵衛
てうや 長兵衛
いせや 半三郎
大つや 弥平次
ひしや 三九郎
えどや 半兵衛

大門口 中の町
{左かわ」
大しまや 八兵衛
えちぜんや 二郎兵衛
ひらのや 弥右衛門

ふしみ三丁

たちはなや 弥八
いづみや 後家
いせや 久兵衛
てうじや 佐右衛門
かしはや 太兵衛
くわしや 伊兵衛

弐丁目

あき人
ひしや
あづまや 長三郎
中かわや 久右衛門
まつや 伊右衛門
ねもとや 喜左衛門
うづみや 喜右衛門
まつもとや ごけ
のまや 吉兵衛
一もんじや 庄右衛門
まつもとや 五兵衛


6
(右頁略)めんどくさくなった)

(左頁上)
「どうけ百人一首元本」
(枠外上)
近藤清春
宝永正徳中に
専ら行われし
浮世絵師也
是も百余年の
星霜(せいさう)を経たり

 てんぢ天わう うたに
あきの田のかりほすまどに
 ひよりよく
わがこどもらを
 らくに
すごさん

ヲゝまゝ ふをうは
あつあ ありがたや とう とや
八ないやい あにゝが とこへ そべれ やい

(左頁下)
 ちとうてん王 うたに
春過てなつきてみれば
 しろかたびら
子どもほしがる
あまが
かゝ さま
おゝ のだ
かゝさま よいべゝ だの
まつ よせ おれに くだ さる


7
(上)
 ごとばのいん
くふもうしくはぬもつらきあつきかゆ
ぎりおもふゆへに物おもふ身は

ようできた くはしやれ
せめて一ぜん まいれ
なんおじき いたしませふ

(下)
 しゆんとくいん
もゝしりやふるきのしめのきやるにも
なをやはりさくおしめなりけり

たさんせぬふて やりませふ
みぐる しい
だいじ ござらぬ おとこは これでもよい
百人一首どうけ歌 作者近藤助五郎」


亨保十三年 出板役者芸評の写(うつし)
今文政十三年 迄
凡百年の むかし 也

元禄十四年 五月五日初てのかほみせ 
兵(つわもの)根元曽我「中村座
市川九蔵 市川だん十郎 中村でん九郎

元禄十一年 寅九月九日
源平雷(なるかみ)伝記
なるかみ 上人 だん十郎
くに つな 九蔵
外題 上るり きんとき 山中平九郎

 諸芸 評判 金之揮(きんのざい)
役者評判之随一はいつとてもお江戸名物方
古今の名人聖人の教には八歳にして小学に入り
此人八歳して諸芸に入て三拾年の余(よ)
元禄十七年初て堺町中村かん三郎座の
勤め親父(しいふ)團十郎京都村山平右衛門座より
下られ丑の正月初狂言大福帳参会名古屋
二番目より出られ即ふわの伊左衛門の役すかふにて
大福帳の文字のせりふ相手は山中平九郎は
さたいせうにて後に絵馬ことよせ熊坂の謡にて
たゝかい切にせうきのはたらき扨三月より一張のゆみ
勢い三かんたいぢ百合若大臣五月節句より狂言
兵根元曽我名代か人名あらまし爰へ斗印也


8
(上)
霜月 朔日より 吉野静碁盤忠信(よしのしづかこばんただのぶ)
子たゞわか 九蔵
さとうたゞのぶ だん十郎
よしの山 かく はん
大たに ひろえもん

卯の元禄十二 三月三日より 信田和合玉
小まつひめ 九蔵
弟くにわか 弟千弥

(下)
黒衣袖 浅葱帷子 兵根元曽我 役人付之次第
第一かぶとに似たる 馬上の あさひな
第二かぶとに似たる 竹ぬき 五郎
第三かぶとに似たる いし山 源太
第四かぶとに似たる くさずり 引

一大いそのとら 袖岡政之介
一けいせい坂せう/\藤本門之介
一わたのよしもり あふらかん六
一そがのはく 今村久右衛門
一御所の五郎丸 中村清五郎
一あさ日のまへ 桐山政之介
一源のよりとも むら山源二郎
一きせ川のかめ女 袖岡半之丞
一そはの十郎 むら山四郎次
一同 五郎 市川だん十郎
一つうりきほう 市川九蔵

一えまの小四郎 生嶋大吉
一ほうでう 大熊宇右衛門
一本田の二郎 たきい源右衛門
一ちゝぶの重安 袖さき田村
はこねのべつとう 西こく兵介
一いほう おかた九郎左衛門
一くどう介つね 山中平九郎
一おにわら 太夫かん三郎
一どう三郎 市川だんのぜう
中嶋一流二かいかさ此人の家名也
女方にて今村くめの介といふ
若衆かた花さき七十郎
京都へのぼり中むらせん弥
いまのなんぼく孫次郎どの也
一かぢはら平蔵 田むら平八
一同 源太 中嶋勘左衛門
一二のみや おぎの沢の丞
一あさひなの三郎 中村伝九郎

其外中つめは印におよはず二番目の切に五郎
あら行のおころへつうりきぼう山伏にての出は
しよさ事有て市川團之丞引合の口上

 長うた  松嶋庄五郎
 三味せん 杵屋喜三郎
初暦商曽我(はつこよみあきないそが)第二はん目「さかい丁 中島屋 はんもと」
 うしろめん 佐渡島長五郎相勤候


9
楪(ゆつりは)根元曽我 第二番目 中村座 「さかい丁 中嶋屋 はんもと」

子路 負米(しろ ふべい)
そかの五郎 せりふ 市川團十郎


 子路 負米(しろ ふべい)曽我五郎せりふ
遠からんものは摂しう大坂久太郎町のつき米や丸屋の
手代の五兵衛にきけちかくはついそれはなのさき本所
むえんじえこういんのぶつしやうばうずと手をひきやつて
かいちやうしろこともおろかやせんだいしら河の院の
べうえいかまくらがしの権五郎かげまさがたなうけ
たはら藤太(とうだ)ひでさとがかうなかま後藤びやうへさねもとゝは
鰯を煮たなべ源九郎ごめはうぐわんどのゝみうちなる
かめ井かたおかいせ丁にとゝうがあればかゝあの在所は
水たに丁そだつた所はこれやこのうぶすな神田のめう


10
じんした地まはり米のたきぼしわかしゆそのなはつる
かけ升之助はかるといつてははやいことめぶる間に八九せう
一こくばしの橋づめで二百十日にたんぜうし二こくがこわ
めし三ごくがもち四こくやぼ太郎がえぼしご五こくの瓢は
莊子がくう言(げん)十こく十(と)ざいしよのあまされもの百こく以
上のだんなしゆへさえおつてまがるせちごめは七八百こく九百
こく千石彦介とはのかぬあいさつだれでもわるくいゝかゝると夫(それ)
こそ猫に鼠わせひねじやござらぬしんまへが立ほれたら
ござれなびくべいおにも十八しんこ米とうぼしこめの
あかつつらとほゝうやまつて申す

「萩原殿御染筆」
ゆふきりの文
  右黒塗の箱の上に金粉を以て あらはす
  浪花新町妓家扇屋某所蔵 模也


11
「夕霧文章額之図并外箱」
(上)
杉の木地ブチ
紙中 竪 五十七部
   横長さ 二尺九寸二部
ヘリ花色地織もの
図のごとく額に造りて蔵(ざう)す

(下)
「鐶座金物之図(くわんのざかなもののづ)}
真鍮
右は霧が定紋
竪三尺一寸余
紐 茶色 打紐
深さ一寸


12

(ここから12、13、14コマと「夕霧文章」になりますが、まずは青文字を飛ばして「おなつかしき 折から よふそ おしめし あさからす なかめ まいらせそうろう」と読み進め、14コマ目の最後「きのとくに そんし候」に至ったら冒頭に戻り、今度は青文字だけを「ことのふ かんしまいらせそうろう くとふは かく おめに かゝり 申まいらせそうろう 〆」と読みます。「〆」まで読んだら再び14コマ目の最後に行き「十七日 きりより 伊様返事」の順に読むようです。青文字部分は書き足りなかった文を冒頭の行間から順次書き加えて行くという書状の様式によるものらしい。解読は困難で、沢山間違っていると思います。)


      ことのふ
くとふは かく かんしまいらせそうろう
おなつかしき
おめに
かゝり  折から
よふそ おしめし
申まいらせそうろう
あさからす
    なかめ まいらせそうろう

いよ/\ かわらぬ
      御やうす
何より めてたく
      おもひ まいらせそうろう
此かた とても おなし
いろに いりて


13
    されと
このころは 口中
いたみ それゆへ 
     つとめ
そこはかと 
  成まいらせそうろう 
         とかく
はるならて
   ゆる/\とは

おめもしなり 
     まして
いよ/\
   すみもと にて
まちわび申 
   まいらせそうろう
たつ三郎事 
    なを/\


14
いた/\しく
  いかふお 
    とな
    しく
成まいらせそうろう あわれ 
           はるは
そう/\ 
  おのほり
     かへり
     し
おそく おこし

    にては
  きのとくに
   そんし候

十七日  きり より

伊様返事 


15
「同襠模様之図(をなじくうちかけもやうのづ)」
○地は繻珎也(ぢはしゅちんなり)
地色 薄玉子
稲妻形白(いなづまがたしろ)
浮文鳶白交り(うきもんとびしろまぜり)
裏は藤色の
繻子の通り也

同寸法
袖一尺一寸三分
ゆき一尺六寸
袖口六寸
タケ三尺九寸
フキ一寸
○衿(つま)は笹褄といへる物にして 至つて古雅なり


16
○夕霧といへるは。原(もと)京師(みやこ)嶋原の傾城なりしが。寛文十二年扇屋某(なにがし)。
京都(みやこ)島原より大阪新町の廓に引越せるとき。連て下りしとぞ。
寛文延宝年間の花魁(たゆふ)にして。其全盛なりしことは世人よく知所也(しるところなり)
 延宝六年午正月六日身没(みまかる)
 法名 花岳芳春信女(くわがくはうしゆんしんによ)

西寺町浄国寺に墳墓あり今尚扇屋某より年忌の弔らひ怠ず
執行(しゆげう)すといふ 俳諧の集(しう)の中(うち)に
   児(ちご)の親手笠いとはぬ時雨かな 夕ぎり
 又伊丹の鬼貫(おにつら)が夕ぎりの塚にいたりての句に
 此塚は柳なくてもあわれなり
  仝文政十三年まで百五十三年におよぶ

延宝三年出板(しゆつはん)の
年代記の写し

寛文二年壬寅五月朔日
京師(みやこ)大地震にて
五條の橋をちし條(よし)を
年代記の諸書に著
せり 此図則ち其時の
さまを画(えが)きしもの也

今は既に百六十九年の昔也
延宝三年より文政十三年
までは百五十六年に及へり

(図)
「五月に大じしんの所」


17
▲庚子六月十八日の夜大坂にいかつちおつ 十二月
十八日やましろ大わたにわうばくさん立まんふく
ぜんじとかうす寛文六年まで七年なる
▲辛丑正月十五日だいりえんしやう此火寺丁
通へやけついでざいけ寺々やくる寛文六
年まで六年になる
▲壬寅五月一日大地しんあふみかつら川山くつ
れてめつす同四日地しん同?

年代記?世多依て有誤り
之今亦改め令板行者也
延宝三年乙卯五月吉日
 二条通丁子町つるや 森?右衛門

(下段)
元禄五年出版年代の画
(図)
○是も先にひとしきことを記せり
 所の画(え)なれば因によりてこゝに 写す

「尚古造紙挿 後篇二冊 近刊」
 文政十三年庚寅八月発行
  鶏鳴舎蔵