仮想空間

趣味の変体仮名

麻疹癚語(ましんせんご)

読んだ本 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005224#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-2396%2C-208%2C10407%2C4159

 

4
麻疹癚語(ましんせんご)序  
曩時(さき)に式亭主人。麻疹戯言(ましんきげん)を
著して。はしかとあしかの異
なるを論じ。世上の睡(ねぶり)を驚かせし
より。始て戯作の新田をひらき。
春毎の新板もの。作として

5
当らざる事なく。?猿(くゝりざる)の
招牌(かんばん)本町の軒にかゞやく事。
麻疹戯言を紀原(きげん)とす。是等の
機嫌をうかゞひて。新米作者の
乍昔堂(させきどう)。一番作を当る気にて。
はしかの語路の干鰯俵(ほしかだはら)。臭きを

追ふ物好(ものずき)から。あらゆる贅言(むだ)を
肥(こや)しとなし。終に此?語(せんご)を
つくれり。當るとあたらぬは。
禁物の養生次第。赤斑瘡(あかいもがさ)の
余波(なごりやみ)。薩摩芋といふ風も
流行れば。薯藷(ながいも)で足を


6
突(つく)まいものにもあらずと。
向ふ?額(はちまき)に力をそへて。序
熱を吐(はく)こと膈噎(かく)の如し

     狂歌堂主人
 申の春

(略)


7(挿絵)
(左頁)
 くすりや
薬種
 九惣兵衛

麻疹(はしか)の大妙薬(めうやく)

凡散??
升麻葛根湯


8
(右頁略)

(左頁) 
 麻疹?語(ましんせんご) 乍昔堂花守著
朝夕に見ればこそあれ住よしの。
岸の向ふの淡路島山。向嶋の梅
屋敷も。新の字のあたらしい内
こそあれ。朝夕に見ふるしては。
秋の七草なんでもなく。遠土(とほど)の


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鳥を尋ねあるきて聞く時は。
郭公(ほとゝぎす)の初声も身にしみておぼ
ゆれど。根岸や木場の別荘に。
夜る昼やまず鳴(なき)わたれば。あまり
なる迄耳やかましく。此里過ぎ
よと思ふ時もあるべし。元禄以前の
(図:鎌○:かまわ)ぬも。宝暦年中の市松染も。

年を経て染出(いだ)せば。石畳のすみ
からすみまでもてはやして。花がつみの
鼻をひしぎ。成田屋が案じのやうに
嬉しがり。御娘子や御新造の。はれ
着の模様に染させても。親御もかま
はぬ御亭主も。かまはぬ程にはやり
たり。実(げに)浮気なる人ごゝろ


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芝翫茶(しくわんちや)のおこなはれしも。いつしか
加賀屋の評判とゝもに色さめ。
梅幸茶(ばいこうちや)大和柿の江戸染に
うつり行き。新内ぶしの
はやる中に。ひねつた通人は河東
節の事なりと。十寸見(ますみ)要集を
懐にし。古きをたづねて新し

きを。知るもしらぬもウン/\と。
松の内からうなり出す世の中。松の
内からうなるといへば。時なる哉
此春より。世上一般に麻疹病
流行して。千門万戸(せんもんばんこ)此沙汰にて。
評判記の封をきらず。市川團十郎
大当りの芸評より。はしかは


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難渋労(なんじうらう)の噂つよく。そこでは
梅干があたつたの。こゝでは頗稜(ほうれん)
草(さう)が当たのと。聞(きゝ)おぢをする
中にも。こわい物は見たしと
やら。物好の若人(わかうど)は。麻疹(はしか)やみは
どんな物ぞと。見たくさへ思ふも
あるべし。見た所が糸瓜(へちま)の皮で。

鍋の底(しり)を洗ふたやうな顔色(がんしよく)
なれば。一番煎じの薬鍋。つま
らぬ物ではありながら。二十年
ぶりでのはやり物。めづらしがるも
無理ではなし。此病去年(こぞ)の
師走の半ばから。南風に吹き
送り。御当地にみえ初(そ)めて。


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纔(わづか)に指を折る斗り。一粒鹿児(ひとつぶがのこ)の
やうなりしが。年(とし)立かへるあした
より。萬歳殿がお来やつて。
実(まこと)に目出たうましんますと。
祝ふて往(ゆき)し詞に違(たが)はず。それ
からそろ/\まつちやらこ。あつ
ちらこちらと伝染して。麻疹(ましん)

ます/\盛(さかん)なれど。天道様のおた
すけにや。昔にかはりて世なみよく。
うつくしく出揃ひて。今は板
〆(じめ)の麻の葉の如く一面になりぬ。
されば御江都(おえど)の繁華の地方(とち)。
四里四方の其間。爰の門(かど)にも
はしかの妙薬。かしこの裏にも


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麻疹の奇方(きほう)と。筆太(ふでぶと)に見しらせ
たる間(ま)に合(あひ)招牌(かんばん)のおびたゞしさ。
仁(じん)の術やら術ないやら。はしか
銭をしてやらふと。人たらしの
多羅葉(たらえう)に。麦どのゝ顕(かた)をそへて
売(うり)あるく奴あれば。食物(しよくもつ)の能(のう)
毒を施印(せいん)にして配るもあり。これ

らはすこしく陰徳の仕(し)どく彫(ほり)
ぞん紙づらへ。損をして毒を
みな禁物の心得にはなるべ
けれど。軽いはしかは医者をも
たのまず。多くは荊防敗毒散(けいばうはいどくさん)。
升麻葛根(しようまかつこん)当分の。買(かひ)薬にて
仕て取れば。寝る目を寝ずに熟(じゆく)


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読(どく)せし。麻疹精要(せいよう)も精がつきて。
ハレ薬代(やくだい)もないとつぶやく医
家(しや)も多かるべし。既に訥子(とっし)去(さり)て
梅幸秀(ひいで)。疱瘡跡いりて麻疹(はしか)
行(おこな)はる。誠に過福は七ころび
八起。通り町(ちやう)の人形見世に。
うれぬ達磨は白眼(はくがん)にして。

世上の人を恨(うらめ)しげににらみ。
あるじは頬をふくらかして。恰(あたかも)
張子の木兎(みゝづく)の如く。又新道の
炙鰻(うなぎ)屋は。団扇の音も絶(たえ)/\゛
にて。銅(あかゞね)の長火鉢も火の消(きへ)た
やうに淋しく。焼手(やきて)のはちまき
頭痛にかはり。鍋焼の泥亀(すつぽん)も。


15
こうらは又どうしたひまだと。
青息をつくばかり也。さるが中に。
脈の沈んだ生薬(きぐすり)屋は。忽ち
息を吹かへし。野巫(やぶ)にも功(こう)の
物よろこび。沢庵老も玄白殿も。
兼てかくやと思ひしまゝに。
病家(びやうか)四方に多かれば。廻り

かぬる事匙の如く。俄に竹輿(かご)に
尻をいたくす。忘れたり其中に。
葭町(よしちやう)の色子(いろこ)達の。今度の麻疹に
平気なるは。信濃守公行(きんつら)が。ひとり
のがれしたぐひならで。享和の
流行に相済(すみ)たりとおぼしく。
あどけない顔はすれど。おとしの


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ほども推量され。衣紋の紅(もみ)うら
何とやら。色気がさめてみゆる也。
此時に当ッては。深川ゆきの
家根舟(やねぶね)も。鼻の下とゝもに
干あがり。吉原通ひの?駕(よつでかご)も。
腮(あご)とひとしく宙につるして。
唯くすしの乗物のみ。大門(おほもん)の

出入(いでいり)昼夜をすてず。中の町の
桜もこれが為に延引して。
寂しさ増(まさ)る夕間暮。羅生門
河岸の哀(あはれ)なるや。茨木がゝ
りの大格子も。すがきの声
寂(じやく)として。渡邉玄好(げんかう)御見舞と。
腕をとらへて脈をばうかゞふ。


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全盛のおいらんも。初發(ぞやみ)の熱の
初会より。揚干にあひし心地
にて。いたづらに日をふる物から。
酒ものまれず独り寝の。さみ
しき日数を送れども。送り
迎ひもなかの町。喰ふてはこ
して寝て起(おき)て。内証へ向ひては。

お気の毒ざんすといへど。こちらを
向ひて舌を出すは。医者に
見せたる癖にやあらん。又部屋
方(かた)の病上(やみあが)りは。色の黒いに気を
もみて。仙女香(せんぢよかう)へ人ばしをかける
京橋中橋。おまんま焚(たき)のお鍋
三助等は。すこしの熱気を


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かこつけて。朝起(おき)の苦をのがれ。
高鼾のひま/\゛には。横訛りたる
國ばしにて。いやな薬ものまねば
ならぬと。小唄うたふて居るも
なり。算露盤(そろばん)ぎらひの小二(でつち)は。
みるを見真似に引かぶり。暁(よき)
倖(さいはひ)の病也と。肥立(ひだち)の後まで仮

病をかまへて。居睡(いねぶり)の寝置きを
するも。麻疹(はしか)と海鹿(あしか)の間違ひ
ならんか。かゝる騒ぎの内にも
まだ。はしかをせぬ若いものは。
くさめが出(いで)ても麻疹と案じ。さ
くりが出てもはしかと驚き。借
金多き物前に。たのんませうを


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聞くが如く。びく/\して。神でも
屑でもない物を。南無麻疹様
はしかさま。どうぞのがして下され
ませと。押入に居る間夫(まぶ)の如く。
首をちゞめて恐ろしがるは。
さりとは気の毒千万なり。
抑(そも/\)此病の元はといへば。六腑腸胃の

熱毒肺を蒸し。外(ほか)風寒(ふうかん)に感じ。
或は乳食(にうしよく)調はざるにより。
内熱発して麻疹となる。疱瘡
神の末社にあらず。風の神の
袋持(もち)でもなし。愚花守 熱(つら/\)
往古を考ふるに。我(わが)
皇朝(みかど)三十代。欽明(きんめい)天皇の十三年に。


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西土(さいど)より始めて渡り。国民(くにたみ)病(やみ)て
死する者多かりしかば。稲目瘡(いなめがさ)と
よびて忌恐れし事酷(はなはだ)しと
なん。其頃曽我の馬子の父稲目
宿禰(すくね)蕃神(ほとけ)を尊信したりし
故也とて。稲目瘡とはいひしと
かや。其後敏逹(びたつ)天皇の十四年に。

此疾(や)ひ又国中に流行す。(此間三十四 年を過ぐ)
夫(それ)より聖武天皇天平九年。
(此間百五十三 年を過たり)其後星霜(せいさう)はるかに経て。
一條天皇の長徳四年に大きに
はyりて。納言以上薨(かう)する者八人。
四位(しい)七人。五位五十四人。六位以下の
僧侶等は。不可勝計(あげてかぞふべからず)とみゆ。此時


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麻疹を赤疱瘡(あかもがさ)とよびて。恐るゝ
事はなはだし。(此間二百六 十年を過ぐ)又後(ご)一條
天皇の万寿二年。(此間二十六 年を過たり)白河帝の
承暦(しやうりやく)元年。(此間五十四 年に及ぶ)鳥羽帝の永久
元年又流行す。(三十六年 目なり)土御門(つちみかど)帝の
建永元。(九十三年 を過ぐ)後堀川帝の嘉禄
元年に流行し。同じ御代の安貞

元年。其間僅に三年にして又
流行す。後深草帝の康元々年。
(此間九十年 を経たり)後二條帝の徳治二年に
はやりし後久しく。此疾病(やまひ)の
行はれし事を聞かず。其年
百六十四年を過て。後土御門帝の
文明三年に大きに流行し。十二


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年を経ておなじく文明十六年に
又はやり。後柏原帝の永正十年。
(此間二十 九年也)後陽成(ごやうぜい)帝の慶長三年に
あり。(此間八十 五年也)それより東山(ひがしやま)帝の
元禄四年。(此間九十 三年也)中御門(なかみかど)帝の享保
十五年。(此間三十 九年也)桃園帝の宝暦(ほうりやく)三年
(此間二十 三年過ぐ)後桃園帝の安永五年。

(此間二十 八年也)先帝の共和三年の四月より
五六月盛(さかん)に流行(はやり)て。去年文政
六年の十二月頃。礼の如く西国
より伝染して。正二月の程既に
盛ん也。(此間廿一年 廿二年に及べり)此疫瘡(えきさう)
皇国(みくに)にはやりし事。欽明敏逹の
御宇(ぎよう)よりして。今度にいたりて


23
いく度(たび)といふ事をしらず。是は
国朝(こくてう)の旧記共にみえたるのみにて。
伝へもらしゝも多かるべし。
扨疱瘡に神あれば。麻疹の神も
あるものと。めつたにこわがる馬
鹿律儀。かならず廿一二年後に。
間違なく流行る事。これ正直

なる神わざ也と。思ひ込だる偏屈
者。孫子の末までいひ伝へて。廿余
年を指折(おり)て。恐れあへるが不便(ふびん)
さに、かくわづらはしく年記を
しるし。愚人の惑ひをさと
さんとす。まづ此病ひのはやり
し事。久しき時は百年か。二百


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年も間あり。又邪気の盛ん
なる折は。三年目にはやりたる
事もあり。これを以ておす時は。
決して神の為業(しわざ)に非ず。疱瘡
神はこれにかはりて。眼前(がんぜん)曹司(ざうし)
が谷(や)に。鷺明神の幟をひらめかせ。
下総に芋の神のお石をいだす。

湯の尾峠の孫杓子。いもを
すくふ霊験あれば。さゝら三八(さんぱち)も
お宿を申し若狭小浜の六郎
左衛門も。神酒(みき)備へをもてなす。
それさへ延喜式の新名帳には
名をはぶかれ。宇田川町の裏
おもてを尋て見ても。藪芋屋


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といふ家名もみえず。やう/\
近年半田稲荷の鈴振りが。
疱瘡も軽い麻疹もかるいと。
ひと口にうたひ出して。どうやら
痘神(いもがみ)の居候のやうにはきこ
ゆれど。まだ赤の飯にもあり
つかず。醴(あまざけ)をふるまはれず。木兎(みゝづく)

達磨の御伽もみえねば。さらに
神とはいひがたし。もし神が在(ある)
物ならば。厩の隅にたらひをかぶり。
しやがんで居ずとも爰へ出て。
一問答いたされよと。渋団扇に
あふぎ立(たて)。七厘のかた炭(ずみ)の如く
おこりたち。病(やま)ぬはしかに咽を


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痛くし。起て居癚語(うはこと)をいふ
つかれにや。薬箱を枕にして。つい
とろ/\と寝るかと思へば。土瓶の
湯気どろ/\と。立あがりたる
其中より。怪(け)したる者こそ顕はれ
たれ。一(ひと)とせ高麗屋の親方が。
青面金剛神(せいめんこんがうじん)に扮じたる顔色(がんしよく)

にて。台所の板の間を。ぎつくりと
一ツきめ。はつたとにらんで謂(いつ)て
いはく。我は是其方が無いものと
いふ麻疹の神也。我もと西土の
えびすより来りたる神なれば。
此日の本の系図たゞしき神々と。
中々肩はならべられず。夫(それ)ゆえ


27
延喜式などへは顔出しはならね
ども。邪正(じやしやう)こそはかはりたれ。それも
神これも神也。何ぞ麻疹に神
なしといふべけんや。昔 阮瞻(げんせん)無鬼(むき)
論を執す。鬼来りてこれと問答
せり。汝かし本の端をわづかにみて。
我ともがらをやすくする事。野幇(のだい)

間(こ)の江戸神の如く。又疱瘡神
食客(いさうらう)をおもへり。はじめにも見え
たるごとく。我は欽明敏達の
朝(てう)に此地に渡り。疱瘡は聖武
御宇(ぎよう)にわたり来て。我から見ては八十
余年の新参者也。よしや新古の
席論はさし置(おい)て。疱瘡は美目(みめ)定め。


28
はしかは命定めといひて。我を恐るゝ事。
錦升(きんしゃう)が敵役(かたきやく)の如く。達磨木兎を
おもちやにして。ねだり喰ひする
半道敵(はんどうがたき)と。同日の論にあらず。其
達磨や木兎も。はりこは軽いもの
なれば。軽い所にあやかれとて。人も
贈り我も買へども。軽いといふにも

油断はならず。浮石(かるいし)カルメイラは
見た所から痘痕(みつちや)に似てきみわるく。
かるたにすべたの名もあれば。軽い
澤も峠が難所。かう気にかけて見る
時は。尻の重たい達磨どの。二便(ふべん)の
通ひも居ながらに。たれ知るとなく
仕そこなひ。尻の腐りて九年


29
越(ごし)。腰がたゝずはいかゞはせん。みゝづ
くもその如く。目玉ばかりは
大きくても。昼間みえぬは明盲(あきしい)
同前。子ゆえの闇の親心。此度(こんど)の
疫瘡(えきざう)をまぬがして。恙なくあら
しめ給へと。産土(うぶすな)神にねぎことし。
百どりの机代(つくえしろ)に。神酒洗米を

捧(さゝげ)るを。疱瘡神へ御機嫌取に
御馳走申事(まうすこと)とこゝろえ馬鹿を
尽せば虚に乗じ。何のかのとの
ねだり喰ひ。皇國(みくに)の神は
神がらよく。はるかに見そなはし
給ふのみにて。煮染(にしめ)強飯(こわめし)のう
まみ喰は遊ばされず。恥かしながら


30
我類ひの蕃神(えびすがみ)は。万国にすぐれ
たる日本の米の飯。池田伊丹の
御神酒には。咽を鳴らして飲(のみ)
喰ふ事。譬(たとは)ば正客(しやうきやく)の大臣は。吸物も
上汁をけしきばかり吸ふて御坐
れど。かの末社のわる神どもが。坪(つぼ)
平(ひら)まで代(かへ)てしてやり。焼ものを

引かへしてむしる格にて。興さめて
覚ゆる也。かくいへば仲間の
あらをいふやうなれど。毎年はやる
疱瘡と違ひ。おらが仲間は二
三十年ぶりに。適々(たま/\)来る客心(きやくしん)
ゆえか。それ程の不行儀なる事は
せず。それを却て疱瘡(もがさ)より見


31
てなし。麻疹の神はないもの
とは。餘りなるいひ分なり。麻疹
にも疱瘡にも、いにしへより神
あればこそ疫瘡(えきさう)とは国史
にもしるし。又長徳の記に。
四月廿三日乙卯 勅聞天下患(みことのりしてあめがしたにうれふる)
疫疾者巨多宜給官符五畿(えきしつをものおほしよろしくたまはりくわんぷをごき)

七道諸国奉幣転経祈祷除(しちどうのししよこくにほうへいてんきやうきたうのぞく)
災(わざはひを)とみえたり。これみな疱瘡
麻疹はやり風の類ひまでも。
夷狄(いてき)の神のなすわざなれば。
皇國の御神(みかみ)に奉幣して。邪
気をさくる事なれば。必らず神
なしとはいふべからず。神ありとて


32
うやまひ恐るべからず。かう楽屋を
打明(あけ)て。はなして聞(きか)せるかはりには。
肥立て後の不養生。毒断(どくだて)の
薯藷(ながいも)は。忽ちに鰻と変じ。葛根(かつこん)
湯(たう)をあびるより。汗をとるには仕舞(しまひ)
湯(ゆ)か。熱燗(あつがん)を引かけて。ぐつと寝る
のが早みちなぞと。手前勝手の

素人療治。しくじつたあとでは。
そりやこそ命定めだと。我等が
業(わざ)にいひたがる。馬鹿者多き世の
中なれば。くれ/\゛そこらを御推
察。よろしき様に取なして。給
はれかしと鉢巻をとつて。さも
懇(ねんごろ)に頼むと思へば。引窓のひま(隙間)


33
白く。はやぐらりッと夜も明て。
丁稚子供の熱とゝもに。うたゝ
寝の夢はさめにけり


麻疹癚語 終