仮想空間

趣味の変体仮名

生玉心中 上之巻

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     ニ10-00182


3
 上巻 喜平次 おさが 生玉心中 近松門左衛門
今につたへて老松の /\ かはらぬ色をたのまん 其
松が枝のみやばしら今にさかへて数万人 心々の
ぐわん立て 神のお身さへアゝいそもじの まして
ながれのうきふしや 日ごとにかはる身のつとめ けふも
くがいの神まふでだうとんぼりを天神へ かごも
一里をとび梅や やしろの「めぐりうき出見


4(裏)


5
わたせば 数々の 花屋植木屋立ならび いろ
うり/\ 花の色売我もいろうつ身は仇ばな
の花に あたひの高下があれは つとめのしなも
だん/\の しな/\゛有もことはりや 花と色とはもと
ひとつ されば身をうるかねの名を 花代とこそ名
付けれ 先鉢うへのつくり松すんとながしの一枝は
太夫のいせいそなはりて りんきのあらし手くだ

の雨むりな くぜつの霜雪もさはがすいたまずいや
ましに 情の見どり はびこりて 松の位とたとへられし
もにくからず春立行はいろうせて さひしき梅も捨
られず 是天しよくの姿にて一夜ながれの軒端
の梅の あだな袂に香をとめて さんさ思ひの種かひ
の 根からいやなら そふ気じやないに だまされてにくや
つらやをさかさまに 客になかせてきぬ/\゛の 別れあ


6(裏)


7
あやなきあやめぐさ つぼね女郎になぞらへて牡丹畠の名
づくしに 大臣もめをやり手の玉が 忍ぶ恋路をせきだいの
女(め)らん夫(お)蘭は呂州の姿 白とながめて白ぼたんしやんとし
てから いやみなく しかも色香のふかみ草 思ひきれとは
しねとのことか いきてそはれぬうき世なら いつそけふりに
成たやな しんきもやして待宵に 似たりやにたり けい
せん花 しばしやすらふ 木影を宿の枝はもつこく我身は

ちやこく うるさき里のつとめぞと 誰かはつげやびやくしん
や樅 南天に小てまりにいとし 男とひあふぎの あふぎ
のなりに末広の あふ瀬をいのる神がきにかしは手ならぬ
柏屋の我名もさがの若楓 恋草ちくさ思ひ草 ながめ
らるゝもながむるも をなじ色成たもとゆり あふぎかざして
神々まふで やすい生玉清水坂を しやなら/\/\/\ちよ
こ/\はしり しやんとして見よや かしはやさがははすはに


8(裏)


9
ござる 恋のいぢ酒ヤトン/\ 手もとてかゝる をさへてかゝる とう
てもさがはぬれ者じや 油つぼから出すよな女房しんとろとろ
りと見とれる女房 すねる男をぼつかけて そこら/\をずん
づとのましやる/\ サアエイトン/\ エイトン/\ しんぞ一夜はお手枕 日影
色どりさつき棚 草のいみやうはさま/\゛によむ共よし
やよしすだれにしのちや屋から我をよぶ せはしない
とて見のこして見すつる はなや「うらむらん

色のつとめのうきふしの 峠をこへて伏見坂恋のないにも
ならひとて あたらはだへを柏屋の さがは大和の一言きやくが
けふは天満の社内の茶屋で酒と出かけてあそばんと
おとゝひからの揚つゞけ 空も雨気(あまけ)のかごの外樋(とい) うり木
の花に気をはらし清水(しみづ)屋にこそ入にけれ 茶屋には
待かねエイさが様 かごの衆なんとしておそかつた お客様は待こがれ
たつたひとり飲でじや いざ先あれへといひければ さればいの


10
ごつい客のくせに揚の日は半時も そばにおかねば損の様に
すいついていたそうな それで勤がつゞく物か 是かごのしゆ
頼ます わしは雨気て頭痛がして やすんでいると間に
合せ 盃の相手になつて 日頃の手なみにいきつかしてくだんせ
どつtこい気遣なされますな まかせておけでもたらいでものみ
つけてやりませう是おか様 せい出してどうふやかつしやれ 鰻
も四五本やいあつしやれ ひやめしもやかつしやれとからげおろし

て入にけり さがはあるじのそばにより さつきにいふておこした
蜆川の嵐のしはいへ便宜してくだんしたか 様子はどふでござん
すぞ なんの如在にいたしましよ おまへからの書付を其まゝ持て
やりました 心中の狂言の口上の所 すぐにふれて貰(口へんに羅)ふたと つかひは
とうに戻つたがもうお出なさるゝ筈 定めし狂言に見とれて
それでかなおそいかといひつゝあぶるとうふよりさがゞ心やこがるらん
かりそめの薄茶りやわんもなじみては こいちや茶碗屋嘉平時は


11(裏)


12
さがゞなさけの錦手に 染付られて親兄弟の異見もみゝに
ふたちやわん ふか編笠もかくれなくさがは見付て是爰じや 爰
じやとまねけばちよこ/\走床几に腰を打かけて そばへより
たいだき付たいいひたい事のわくせきも あるじが見るめ憚かりて
他人むきなる折からに奥よりなんぞお肴 銚子かやゝと手をたゝ
くあいと引のがお定り かまぼこ梅ぼしすいなくはしや 気を通し
て立ければ のふ二日あはぬはどうじやいのと 顔さし入る編笠

の下こそ恋のやどりなれ 嘉平次もなつかしさ 此中はいなか客で
平野屋にじやと聞たゆへ いきか戻りに顔見よと浜側を用
有げにいつゝ戻つゝ入もせぬ和中散かふたり ところてんやの水がらくり
もそう/\は見ていられず うろ/\すれば長町わきの子共が見しつ
て ありや/\東の難波焼が坂町通ひ 柏屋通れば二かいからちよいと
まねく のつ是なんとしよと悪口いへばあたりからはきよろ/\見る
親の内へはいかれぬしゆび 出見世にも尻すはらずいつそのこととを


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かげに 蜆川のしばいのそねさきの狂言見て 醤油屋の徳兵衛と
我らが思ひ引合せ 浮(うき)をはらすがてんで 其通一筆かいて小弁
をたのふて置て来た そのふみ見てか けふ爰へおじやつたは
天神様の御利生 神も仏もなじみがほん 親仁の見世のやき物に
一文づゝでも天神様 おなじみゆへじやといひけれは さればいな 其文
見ると嬉しうて 客をすゝめて此天満といふ思ひ付 幸と此
清水屋は わしがまえ方扇風呂にいた時からの近付ゆへ 爰を

たのんでしばいへも呼にやりやした それに付てもてゝごさんの
内かたへもまたいかれぬ首尾と有 是あひたい見たいはわしとても
ほんに/\ねた間にも忘れね共 ついには末でめうとに成大願では
ないかいの 其間が互のしんぼ 人は次第に身を持あげるがほんなれど
扇風呂のさが共いはれた身が 晦日せつきはまへだれかけて うらや
せとやけんどん屋三がいかけ取にありく様な 勤するのもたくさんに
あはふため こなさんが大和橋の濱納(はまな)屋かつての出見せも わしが近く


14(裏)


15
にいよふため 念頃な宿ではことはりたて出見世へ泊りにいくよさは
めうと所帯をする心おなじねるのも身に付様て嬉しい され
共一度はてゝごさんのおみゝへ入ねばどふもならぬぞえ きけば姉
御さん 堺筋の塩町辺に縁づきしてごんすとや 此姉さんなど頼
ましまへ方からてゝごさんによふ思はれてくだんせ きのふの晦日
も内にいさんせず わけのわるい評判きけば頭髪(かしらがみ)一筋づゝ ぬかるゝ
よりもくるしうて 気をもんでももがいても身は裸也くめんはならず

大かたは四日迄とわしが請合をきやした わしひとりならしんで
成としまはふが こなさんわるふいはするが口惜い悲しい 茶屋の
つとめする者は人の小ぬすこそゝのかし 悪道に引入れるの不孝
者にしてのけると 十人が十人で 町の衆は思はんす涙がこぼれて
うとましい わたしかはひが定ならば てゝごさん共おとゝいご共しゆび
よふしてくだんせと 涙ぐみたるしんみの詞さらに つとめと思はれず
嘉平次もとも涙 今にはじめぬそなたの心てい過分/\ ハテたつた


16(裏)


17
ひとりのてゝ親なり 一つ屋の五兵衛とてわかい時は男をみがき
物の筋道りくぎをたて無理をいふ人でもなく 子共が少し
の色あそび 五百目壱貫目つかふた迚くやむ人ではなけれ
共 どう共かう共叶はぬ事が有ぞいの 今迄はかくしたが 弟の
幾松とをれとが間に 十八に成おきはといふ妹が有 もとは
在所一つ屋のおばの娘 後々は此嘉平次と 従弟どしめうとに
するやくそくで 藁の中からやしなひ 死なれた母の肝情(きもせい)で

物もかき縫針 綿もつむ機(はた)もおる 算用もやりをる顔も十人なみ
なれど そなたをのけて此せかいにおなごが有と思ふにこそ 綿をつまふが
機おらふが おきはゝおろか中将姫の再誕が 蓮の糸で一重羽織おりや
るとて 見むきもするひらでない され共親のけいやくちいさい時からいひ名
付 けふ祝言あす祝言とせがまるゝ 一利屈こねたの 是親仁様 わしや
ちく生じやござらぬ 種腹わけねど兄弟 妹よ兄様といひつゝも 夫婦
に成は犬鶏のするわざ 男もたてた一つ屋の五兵衛は ちく生を子に持たと


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いはせてはわしも不孝 こなたも一ぶんすたる事ならぬ/\と云やぶる
そこらをつまらぬかまおやぢ ヲゝこりやてかした イヤよふいふた ヤイちく生
吟味する根性で茶屋者とくさり合 親にもしらせず夫婦に成
極めして 行先が借銭だらけ 人にうとまれゆびさゝるゝ是は又人
間か 五兵衛がめには畜生と見へるはい 茶屋者と縁きつておきはと
めうとに成迄 門つめもふまさぬとぶたれぬ斗のしゆびなれは おもやへ
とては禁制 姉むこは他人也ずんどかたい商人(あきんど)ひとりの弟は眼病気(け)

とは談合も誰とせう いろは茶屋から坂町かけて負ふた門は
七八間 銀高わづか壱貫目余り 身をきざんでも当なけれは かけ
おちかぢがひと思ひ定た所になふ 生身に餌食天道人を殺
さず 覚えてか此まへ 扇風呂でそなたの事で大喧嘩した さい国
橋のいんでん屋の長作 あぢな事で其喧嘩から 両方しんてい
見届け歯の根も喰あふ念頃 さやつは所帯持なれば少の取かへもして
kれる 此長作が肝煎で中国のお屋敷へ 親仁の棚から錦手乾(けん)


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山(ざん)音羽焼の 皿の鉢の茶碗のと 十五六両が物うつてくれ 晦日
お銀が渡る 請取ておこせと四五日さきに取に来た 定めしきのふ
請取つろ けふ嵐の桟敷に侍衆についていた おれもしばいを
立様に桟敷のうらから音信(おとづれ)て すぐに爰へ来てくれとかた/\゛約束
して来た 今では此平に命もくれる挨拶 筈ちがへる男じやな
い しばいはてに長作が銀持て来るか 爰へもぱつとはづもうし こちが
出見世の仕廻は少し取る掛も有 弐百目あればざゝんざ伏見坂から道

頓堀 壱厘残さず物の見事にしまふて 持ていや節句から面も
笠もぬがせう ヤ借銭の笠はぬいでもから笠ははなされぬ 又ふつて
来た なむ三宝あれ見や あの菅笠着てくる女房 塩町の姉じや
人 めのわるい角(すみ)まへ髪は弟の幾松 ムウほんにかつこうがよふにやした それ
/\爰へござんすこなさんあふてもだんないか いかな/\俤も見せとも
ない あの幾松が手を引てくる腰のふとい 尻のひよつと出た女子(おなご)姉
の内の竹といふ食(めし)たき あいつが見た事聞た事 其日の中に大坂


20
中にことふれ こちが取沙汰何のかのと親仁につげるいやさに すこし
ぬれかけてだましたりや ほれられじまんでもう其事をふれあるく
それであいつが名をつゝぬけと付て置 そなたも姉のしつてじや
げな アゝうるさ どこぞにちよつとかくれ笠かくれみのなき身の置所 かごの
雨外樋打明て ふたりが膝を組合せ身をだき「あひて身をし
のぶ 姉はそれ共道のべの清水が見世にしばしとて 爰借りますと
ぞやすらひける をくには猶も飲しこりおどるやらうたふやら さはぐ

どさくさわか草の妻もこもれるがごの中 あられぬ姿顕れ
て姉や弟の見とがめん さがは奥よりたづねんかとこはさに猶も身
をよせて しめあふ中に冷汗は 外樋もる雨のごとくにてはたぎも
しぼる斗也 奥の客がだら声にて こりやさがは何してじや色
がなふてのめぬはい 頭痛がしやうは爰へ来てねやしやれ どりや
お迎ひに自身お馬を出されふと おもてへ出るひよろ/\足かご
の者共なまの酔(えひ)さが様/\ 迷ひ子になつてか かやせ/\さが様かや


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せ ヤア爰にか 酒のむまいとて手がわるいと 姉に取付手をもぎ
はなし エイ狼藉なさがとやらじやこさらぬぞ こちや道通り 雨
やどりに茶屋の見世へ腰かけれは 売物と思やるか あほうくさい
としかられてなむ三宝 さがのお山ととりちがへあたご山へのぼろとし
た 御免/\のちろ/\めあたりを見廻し扨こそな あたご山から見おろ
せばさがは一めに見付たぞ かごから帯のはしが見へるぞさがをさがし
出さうかと よらんとすれは アゝ是々出まする/\ゆかさんせと外樋

の影より這出て こなさん達だましてかくれんぼしたれば ついさがし
出された其代になんぼ成とのまさんせ どこのお内儀様やら
麁相なこらへてくだんせ みんなごんせ/\とおくにいれは嘉平次は
さがをはなれしさが松茸 より残されしふぜいにてかごにちゞんでい
たりけり 姉はもとより商屋の妻と成身のめもはやく ちよつと見る
より一寸やらずかごなは弟の嘉平次 扨情ない身持かな 引ずり出して
しからふ いや/\供の下女が見る所 さながらわかい者人中で恥も


22
かゝされまい 身の成果がかわいひとつ様がいとしひ おきはがこゝをがむ
ざんなと さま/\゛胸にせめあまる涙は声にはやもれて なふ幾松
そなたは仕合なよい時にめをやんで 浅ましい事見やらぬ 今の
お山がけふ一日はおくの客に身を売ながら 座敷をしのんでかごに
かくれていたていは 外にふかい人にあふ手くだとやらて有ふが お山はお山
の道にもせい 其ふかい男は 誰じやしらぬが有まい事じやない
かいの 定てこちの嘉平次もまあ何の通り 嘉平次の悪性ではお山

と相かごて 外樋の下にかゝんでいようもしれまい 見るめも悲しい
浅ましい 是といふも親の恩を忘るゝゆへ 心もみだらに身をもち
くづし人にも人といはれぬ とつ様やかゝさまに娘は有むすこは有 何を
不足におきはといふ子を貰ふて うばを取もりを付うきせはがやみ
たかろ ちいさい時から女子の手わざも教込み 心もたまかにそだて
あげ 嘉平次と夫婦になしたらば身体の薬也 商ひの勝手も能く
繁昌もさせたいと嘉平次がいとしひばつかりに せわをやんでやみ死の


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かゝ様の恩をはや忘れ かはいげにおきはもほんの天竺牢人 見世の
わかい者共あの女子始として とやかふ評判する時は 姉がみゝへ八寸
釘を打るゝよりも猶こたへる 若もしぜん此かごにお山と嘉平次と
乗合ている所 今の客が見付て引ずり出してふむとても なんと
いひわけ有物ぞ 見こそせね聞こそせね 定てさい/\行さき
で恥をかきつらふ 其身ひとりの恥かいの親兄弟は何になれ 末
世の便はなけれ共 あの人ゆへにまよはつしやりかゝ様がいとしひと じひ

の涙もめに余るかごに当ててのくごきごと 嘉平次は身もちゞみ 命の
ちゞまる斗にて消も入たき心地也 幾松は嘉平次がかごに有共気
もつかず エゝ曲もない兄きの心今ならでは申さぬが 私が眼病もあの
人ゆへ聞て下され有事か おきはとそちと夫婦になれ共代に家
やしき 商ひの株共におやぢの跡をつがする 合点せい/\と道ならぬ
事耳かしましく 所詮わしがしぬるかかたはにして下されと山上様へ
願をかけたれば御利生で此病 つい時花(はやり)目の顔すれど めは綿繰


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でくる様で ひゞいて物もいはれぬ 天満に上手のめいしやが有と
つれてお出なされしゆへ 道すがら物語もと是迄は参りしが養生は
しませぬ わたしがめくらになつたらば 兄様のひとりして見世の
事も取捌き 内に身がすはつたら をのづからおきは様とひとつになる
気も出来ませう エゝわしら迄身を捨てて 是程に思ふとは思ひ
やるも有まい きこへぬ所存な兄きやと目をかゝへて泣ければ 供
の竹がさし出口 嘉平次様といふ人はうそつきのこつちやう わしにも

きつうほれているいつそ日の暮に出見世へ来て 思ひをはらさせ
てくれとくどかつしやるいとしさに お使のついでによつたれば
今宵はのがれぬ客が有かさねてこちから便宜(びんぎ)せう 心ざしう
れしいと銭三十程つゝんで懐へ入らるゝ むつと腹が立て来てわし
やてん屋物じやないぞや 身をうる女子じやないぞや 肌ふれねば
きかぬとわめいたりやこりや 誠の契りは重て約束のしるし是
じやといふて 引よせしつほりとほうずりして サアいね/\と突出さるゝ


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わしも名残がおしうて 跡のぞいて見たれば気味わるそうに
見世の手水鉢でほうを洗ふてけつかつたと かたれどふたりは余りの
事まぎらす耳の余所の町 風にあらしのしばいはてちらし「だいこ
の聞やれは なむ三宝長作がこぬさきに 姉もいんで下されかしと
飛立斗のかごの中 今にも来たらば何とせうのめ/\共出られぬ
しゆび 出ねばくはらりと筈ちがふ気をもんでもせんかたなく何御存
知なき天神を俄に頼む斗也 やくそくなれば長作のうれんの書付

見て ムウ清水屋は是じやな 少たのも道頓堀の茶碗屋嘉平次は
爰にか 約束の通長作が来たといふてたも 嘉平次/\といふこえに
兄弟驚く其中にも 姉はしつたるかごの中 思ひやりては諸共の
心づかひぞ殊勝成 さが聞付て走出 ヤア長作様久しうごんす さが
どのか嘉平次がくるからはこなたも爰いんと思ふた 我らはけふ侍衆の
相伴で 嵐のしばいからすぐに鯉屋へいく筈で是 袴の体なれど
嘉平次が何やら内々の一物 けふいらいで叶はぬ持て来てくれといふ


26
桟敷の事武士のまへ おふとはいふたがなんの事ぞ つんとこつちに
おぼへがない 嘉平次はどこにぞはやうあふて聞たいと いへ共さがは姉
のまへかごに共いはればこそ いやちよつとあそこ迄追付てござん
しよ けふいらいで叶はぬとはわしも聞たが あのさんの売ものをこな
さんが取次で 屋敷方へうらんした其銀が十何両とやらきのふ渡る筈
じやげな 請取もいつて有との事 大事なかわしにわたさんせ さな
かまちつと酒でも飲でまたんせと いへば長作ヤア/\ だいそれたこと

いひますの 酒所でござらぬ エゝいかに身がじゆつないとて不器用な
気に成おつた いかにも売物は取次銀高壱貫弐百三拾目代 拾
六両慥にあれに手渡しして 則自筆印判の請取をにぎつている
ぢたい是は九之助橋親五兵衛の棚のうり物 銀(かね)はをのれがつかふて親の
手まへの算用たゞす 此長作を横道者にせうとはそこいのこはい
盗人 此ぶつそうの世の中こなたの所も裏は野じや 内の勝手はし
つている必用心さつしやれ 身があつけれはどのよな事 しやう


27
もしれぬとまがほのいひぶんさがははつと色ちがひ 兄弟は猶
身にかゝる難儀を察してかごの中 くはつとせきあげ身をもがきエゝ
無念やかたられた 姉の手まへが恥かしひいつぞかけ出 ふんではらを
いよふか出ては姉の恥辱か 早ふ帰つて下されかしと千万くだく
気の働き胸の吹子(ふいご)にいかりの火えん かごもゆらめく斗也 長作かごには
気もつかず 是さが殿驚く事ではない ぢたいあの気な生れ付
それをしらずにあだほれして此長作は捨られた むごいぞや/\

なんともとへ戻してをれが念頃してやろふか 嘉平次などゝは違ふ
た十貫目や拾五貫目は 手のわるい事せずに見んこと今でも/\
じや こなたもにくかろ筈がないとしなだれよつて手をとれば アゝ
いや/\なめすぎたおかんせ あれ町の御内儀様も見てござる 勤
の者はあんな者とさげしみが恥かしい たとへ平様が盗人で有ふが
がうとうで有ふが いとしうて/\命をやつた此さがじや なんぼこなた
が仏程正直でも顔も見たふないわいの サア先一旦そういはねば


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わけが立ぬ それもこちにかでんじや 今に嘉平次が大盗人しをつて
一つ屋の五兵衛塩町の姉が首にもなは付 其身はこなたの裏の西の方に
烏のとまつた様に首斗になつた時 長作様念頃しやうといはふより 今
思ひ切たればあいつも仕合こなたも徳 どれまへの様にむつちりとこへてか
嘉平次ねが吸とつたか 肌を見たいと懐へ手をいるゝ 取てつきのけこみ
ともないおかつしやれ いひにくけれど此さがと 平様とは一心づくであふ
ている こなたの様な口さきではないぞやと おろ/\涙の腹立声 嘉平

次はもう是迄堪忍袋もやぶれかぶれ とんで出んとする所へ あねの
内よりむかいのでつち大息ついで申おえ様 ちやつとお帰りなされませ
早ふよんでこいと旦那様へ門に出て待てござります はやう/\とせき
かくる アゝ心もとないけたゝましい何事がおこつた こりや爰はくがいしや
ぞ誰も人の名はいはず 様子斗ちやつといへかまへて人の名をいふな
と 心のきいたる姉のりはつ つかはるゝてつちもきてん者 角屋敷の
親仁様がお出なされて 彼(かの)板がこひの惣領殿がおとゝひからありしよが


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しれず付届借銭乞 おやぢ様も一ぶんたゝぬおまへの留主もかてん
がいかぬ 兄弟の事なればめいしやにかこつけ惣領殿を かくまへたに
極つた姉も共に勘当じやと わめきちらしてござりました それで
走て来ましたアゝつらなやといきをつぐ アゝそんならいなざ成まい
いかひで叶はぬ所も有 見捨がたない事もあれど 男もをなごも
親のめいにはそむかれぬ 殊におつとの呼び使ひ アゝ女郎様おじやましまし
たとけがのふりにてかごにはつと行あたり ハアかごが有とは気がつか

なんだ 是にかぎらずうろたへては鼻の先なことに気がつかぬ事が多ひ あき
なひ物の請取なら 買い主の手へ渡りそうな物が 中使ひの手に握
ているとはの 是も気のつかぬ事と 教るちりゃ天神をふしおがみ
てぞ帰りける 嘉平次はゞかり方もなく かごふみちらしおどり出長作
がたぶさ取てひつすへ 此嘉平次を盗人のかたりのとはどのほうげたで
ぬかいた 先は武家方中取したと思はれては出入がならぬ 先請とり
かいて渡せ銀とつてやらふと うま/\とよふくはせたなあ 今のは身


30
が姉じや人 かごにいるのも見付てじや 姉のまへでようはぢを
あたへた 人かと思ふてはまつた 涙がこぼれて口惜いと歯がみをなし
て泣いたり ヲゝ成程姉とは一言て見てとつた 買主の方へいくべき
手形が中にとまつて有とは なんじや女の猿じえ さきへは此長
作が請取してあげた あれは身が方への請取 おのれもせち
がなやつじや者 銀も見ずにあたゝかに請取をせうわいなあ エゝ
さもしいかたりめヤイ 銀がほしくはきたない云かけせうよりきれいに家(や)

尻(じり)されいやい 扨(さって)もたくんだ/\今思ひ当た 嵐のしばいのそね
崎の狂言が おもしろふてさい/\見るとぬかしたがよふ見覚えた 取も
なをさず油屋の九平次 惣じて狂言浄瑠理はよしあし人の鏡に
成 おのれはかたりの手本にするか 師匠の九平次より倍こした大がたり
此春おのれに三日目銀(かね)かつた 念頃の中手形もいらぬとぬかし
たれど よい中の垣と預り証文してやつた それに引つぐがてんならさし
引して算用せい こりや油屋の九平次 醤油屋の徳兵衛を だまし


31
た格を出したらばちつとあごをくいちがよふ ちよつと手をつけるが
さいごじやぞ長作と 腕まくりしてねぢよれば ヤアひこ/\するな
い わやにしてもさせぬ/\ 手形の銀は手形の通取所で取て見しよ
wゝ三百目の手形に十六両は得やるまい やるまいとはどふして まつかう
してやるまいとめつかうほうどくらはする ヤア二さいめぶたれていよう
かとぶちかくり 腕ねぢあげひつくり返せば起あがり むしやぶり
ついてたゝきあふ さがはあせつてなふ喧嘩/\とよばゝる声 客もかごも

酔(えひ)つぶれさせぬ/\とわりこんで ひよろつく足をふみこかされ さへ
人ふんだは堪忍せぬと相手がどれやらめつたぶち 大道へまくりいて
大臣も泥まぶれ かごの者もちんば引 さがは嘉平次かこはんと身を捨てて
かけまはる わめく人声雨の音瀧をながすに「ことならず はふり子
みやづこ棒つきちらし 社内のさはぎ狼藉千万いでよ/\と制
すれば どやくやまぎれに長作は行方なく逃失せたり 茶屋は思は
ぬふみ立はや日もくれた御門がしまる お客様もはやお立 さが様は


32
だいじの身 かごのしゆはやうのせていなつしやれ お客様も
笠かしましよか 但おかごかりましよか いや/\かごは銭が出る たゞ
かう笠をからぬがそんさがは夜るひる身共があげ 道の間も
さんやうの内 かごについて帰るらふとはだしに成て出ければ さがは
心もくらまぎれ なんとしてじやどこにじやと見かわせはアゝ
かなし 平はびんもかきみだれみだるゝあめのふぢのかげ ぬれて立
たるあぢきなさつとめとて口おしい だいじの男をぶちたゝかせ

ぬれしほるゝを見ていながら我身はかごにのる事か エゝ
まゝならずとびおりてともにだいてもぬれう物と 見やれば
おとこもめをあはせ こがるゝ中のうきなみだいとゞ雨こそし
きりなれ なふかごのしゆまづまつてや わしや此といがうつとしい
身はぬれてもいとはぬ 是を爰にすておいて俄あめにあふ
た人 きてくたさればほんまう 是はさがゞもらふたと手を
あげて引しぼり たゝんでひらりとすてければ ひらは立


33
よりひろひとりをしいたゞきてあめにきる たみのゝ
しまのやもめづつ ないてたちたるあはれさに アゝかた
じけないたれかはっしらねどよふひろふてきてくだんす
わたしも其下にしはしが程の雨やどり こなさんも其通
その雨どいを一じゆのかげ たしやうのえんでこさんすと かごは
見かへり嘉平次は見おくる中にふりなみだ つれなやかみ
のむめのあめふりへだてゝぞ「わかれゆく