仮想空間

趣味の変体仮名

忠臣金短冊 第一

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース ニ10-00166

2
小栗判官
横山郡司 忠臣金短冊


3
  忠臣金短冊(ちうしんこがねのたんざく) 作者 並木宗助 小川丈助 安田徳文
忠功は是礼の余り 武勇は是義の余り 其
余り満々として 天にはびこる高名をなす
されば松柏は雪中に其操をあらはし 忠臣は乱
邦(ぼう)に其徳をかゝやかし よく忍びよくむくひ あら
炭をのみ尸(しかばね)を むちうちし代(よ)の昔をば 爰にたゞ
へし云種(ことくさ)や 後花園の院 御代しろしめす頃


4
かとよ 足利左金吾源の正知朝臣(まさともあそん) 関八州
政務とて 鎌倉にこそ おあhしけれ 兄(このかみ)将軍
義政公に相もおとらぬ御いせい 帝のめぐみあつくして
勅使下向と聞ゆれば 大老佐々木将監(しやうげん)友秀
横山郡司信久 諸士の中にも土川(ひぢかは)兵庫国高 其
外在鎌倉の大小名柳の間に召よせ給ひ 勅使
のもてなし応対の式 古格古例を引あはせおの/\

役々評定ある 政知仰出さるゝは 此度一条の大納言勅
使に立せ給ふ事 関東静謐を御賞美との事な
れば 奏答の大礼 殊更もてなし重からずんば有べからず
先佐々木将監は古老の臣 某が後見たるべし 又横山郡司
信久は 職原(しよくげん)故実の家筋なれば 勅使への取次馳走倍膳
抔に至る迄 汝宜く沙汰せよと左右へ仰有ければ 佐々木
将監頭をさげ 大役ながら此節にじたい申は却て無礼 畏入候と


5
申上れば横山郡司 我役義こそ諸士よりも賄(まいなひ)をとる
よき役と 心悦びそれとなく是も仰を領掌(りやうじやう)す 政知
重て 外に馳走の添人(そへびと)誰々にやいひ付んと 仰もあへぬに
横山郡司 憚ながら跡人の馳走役 風流なくては然るべからず
殊に勅使は十種香をこのませ給ふ由 幸是成土川(ひぢかは)兵庫 常
に名香をよくきゝ覚候へば 勅使へのもてなしに此仁宜く候
はんと おのがひいきの取持に付てさへづる土川兵庫 すゝみ出て

畏り 事いかめしき言上ながら かやうの事の折にもと 名香数
百種用意あり 相応の役目の義仰付られ下されと 願へ
ば政知ヲゝ 幸/\さりながら 勅使大納言殊更風雅の達人なれば
歌の道に心ある武士今一人相くはへ 共にもてなし然るべし ホゝヲ思ひ
付たり 小栗判官はかねて歌道をまなぶ由 土川が相役
には小栗こそよかめれと 仰もあへぬに横山信久 御上意にて
候へ共 和歌をまなぶは日本のならひ 水にすむ蛙 花に休らふ鶯


6
まで 歌をよむと承る いはんや人間として心に思ふことのはを 三
十一字につらねよむ事 誰かはしらで有べきか コレサ土川(ひぢかは)殿 御辺も
定て歌の道 まなばれたであらふがのと いへ共しらぬ顔付を
イヤテ是さ ひげめさるゝは頼もしい 殊更此横山が何事も助あひ
万事計ひ申べし 小栗判官兼氏は今日のお召にも いまだま
いらぬぶしつけ者 かやうの族(やから)を馳走役旁以て御無用と 正
直風雅の兼氏を我とんよくのさまたげと 口に任せていひけ

がす 折から告ぐる取次番御前に畏り 小栗判官兼氏やう/\只
今参上と 申上れば政知朝臣 先召寄て兼氏が意内を
うかゞひともかくも それ/\との給へばやがて かくとぞ聞伝へ
あゆみ出くる男ぶりやさかたにして針も有 小栗判官兼氏
香木一株(いつちやう)を台にすへ 郎等大鷲伝五に持せ 参上の程延引と
おそれ 入てぞ畏る 政知御らんじ ヤア兼氏 今日の遅参いか成
故ぞとの給へば 御尤の御尋 今朝未明に出仕と存 すでに出


7
立候所 拙者国家老大岸由良之介より 飛脚到来仕り 国元
のあまおとめ香木をかづき上げ 薪に致し候かほり 近郷にみち/\
それより大岸が方へ引取 我君へよき献上と持せこし候故 よく
/\改候に まなばんの沈水香(ぢんすいかう)にうたがひなく候まゝ 君に差上
申さんととやかく致て出仕延引 それ/\と有ければはつと
こたへて大鷲伝五 御前になをして引さがる 政知おの/\御らん
有誠にふしぎの香木と しばしながめおはします 横山郡司

むつと顔いひおさへんとつゝと出 最前もお聞の通 名香は数百
種 土川所持申さるゝ 只今小栗沈水香と申さるゝは 世にたくさん成
沈香の事 それを何ぞや名香として 勅使へ馳走は却て無礼 御
戻し然るべしといふに強気(がうき)の大鷲伝五 こらへぬ風情を小栗判官 にらみ
おさへて色を正し コレ/\横山殿 成程沈水香は沈香の義 一片をあたひ千
貫にて求むる由 是本草のせつなれば 沈香則きやらの事 今世に
沈香は蜜香と申物 それ故誠のせつを以てきやらを沈香


8
申上しを たくさん成物ぞとは近頃故実を覚たる 横山殿とも
覚ずと 理を明らかに答へられさすがの横山ぎつくりと かへ
す詞もなげ首を 大鷲伝五心地よくくつ/\と吹出し アゝおか
しや/\ 扨もまつまたあの顔はいの かけもかまはぬ献上ものを
あしさまにいふ詞の針 其口ぬふておかしやませ しりもむすばぬ
いとしやと腹をかゝへてわらふにぞ 横山方の土川兵庫 ヤア大鷲
下として上をあざける慮外者 汝ごときがしる事ならず ノウ小

栗 千も万もないあの香木 いか程にすぐれても某が所持
したる 栴檀といふ名香には中々以て及ぶまい 今双方たきくらべ その
かおとりてもけたる方は 献上無用と定むべし 此了簡はいかに/\
ヲゝそれこそ此方望所 いで/\用意さあ/\と 小栗は香木申受け
おの/\香炉を取よする 政知興に入らせ給ひ 先土川が栴檀
礼式略儀に引よせ給ひ げにも二葉の名にしおひかんばしやとて
賞美有る 又兼氏が沈水香早さし上る其内よえい たへなるかほり


9
四方(よも)にみち身心清まる心地して 政知かんしんなゝめならず 扨々
天晴なる高木 たとへ蘭奢待を身に帯て 芝蘭(しらん)の
室(しつ)に入とても 是にはいかでまさるべき 今よりは此香を
海士(あま)のたきさしと銘じ 勅使へもてなし献上せんと 香炉を伝
五に給はれば 小栗は面目有がたく横山土川顔見合せ ほいな
き体を大鷲伝五 コレ土川殿 海士のたきさしといふ名香 念の為
に此すがり まだふん/\をかゞしやませ いやなら我等かぎませふ

扨よい匂ひとあて付て 衣裳にとめ木をなしにける 横山郡司
何をがな恥あたへんと声を上 何れ茂(も?)あれきこしめせ 小栗判官
いはるゝ人の郎等が きやらをかぐといふ無骨者有 惣じてにほひは
きくとこそいふべけれ ノウ小栗殿 かぐと申むさい詞 なんぞ
書物にござるかと あざけりかへせばとりあへず さつきまつ花
橘のかをかげば 昔の人の袖のかぞする 古今集の歌にさへ香をかげば
かげばとよんで候を横山殿はしりながら 心を引て見給ふかとさはらぬ様に


10
こたへある 横山ぜひなくうなづいてたはふれに取なせば 政知朝臣歌学
をかんじ小栗判官をちかく召れ 此度勅使をもてなすに 将監(しやうがん)
が後見 横山は取次万事さたすべし 猶土川と其方は馳走の添人
取次応対は横山にうかゞふべし 大切の役目必そこつすべからずと 君命
つねよよりおもくしてはつと斗に領掌有り おの/\役義定りて申合せ
は重てと はや退出の横山に 袖の下する土川も 小栗をにくみ
諸共に 身をはたすとは しらまゆみやかたに おの/\「かへらるゝ

都の花の 片枝を 爰にうつしてあづまや 鎌倉の政務職政知公の
濱御所には 勅使一条大納言教房(のりふさ)卿の御入にて 在鎌倉の諸大名善
つくしびつくして きらをかざりし其中に 横山郡司信久は職原(しよくげん)の事知りとて
諸礼を諸士に指揮せよと 仰を受て鼻高々 人を見くだすじや
ちかうまん 家来山形兵衛を召具し きたいの悪馬鬼鹿毛(おにかげ)を跡に
引して来りしが 山形兵衛が袖をひかへて申旦那 道すがらの御意を聞
に 鬼かげを御勅使へ御献上の御事 武勇はげしきものゝふさへ かけ


11
なやまされくひつかれ 是迄命をおとせし者 此馬にて数百人 かゝる悪馬
を献上なされ長袖の教房卿 後日にあやまち候はゞ却て御ため
よろしかるまじ 御賢慮いかゞと尋れば されば/\ 今年のお勅使は限り
もない馬ずき あなたへ上るにあらね共 定て今日小栗めに曲馬の御
所望有るは必定 其時此悪馬をあてがひ くひころさせてはらいんと
いへば山形手を打て天晴なる御分別 始てやしきへ参るじぶんも 土川(ひぢかがは)殿は
種々(しゆ/\゛)の進物 小栗めは扇子箱 欲徳よりも軽しめたるしかた 鬼かげ

で返礼とはどうやら今から快い 随分とぬかり給ふな ヲゝ気遣ひすなよく
して見せん 此方から呼出す迄しばらくこかげにつなぎおけ 心へ申候と山形
兵衛家来にひかせ馬の供 横山は門の内主従わかれ入にけり 姿形は
かはらねど 善と悪とは雪と墨 政知公の御後見 智勇をかねし大老
佐々木将監友秀 ゆう/\と立出給へば 参りかゝりに横山郡司 弥勅使は
御きげんよく 御わたり候へと式礼すれば 成程/\ 相替らず御安座 夫に付
今日の献上物はいまだ上らず はやく申付られよと 仰に横山さん候 饗


12
応の役人共 土川小栗に申付 追付持参候べし 遅滞の間御前の取なし
頼上奉ると頭をさぐればいかにも/\ 両人が見へ次第 早速に差上られて
然るべし 後刻/\と友秀は 殿中「ふかく入給ふ 程なく土川国高は進物
折を台にすへ 心の程は見へね共 なりかつかうは大名ふう いかめしげに立出
ば 横山待かね 何土川 小栗方へは何時に 進物上よといひ合されし
刻限が聞たし/\ さん候御おらへのごとく牛の刻と申送り 二時斗いひ
のばし ゆだん致させ候と いふにうなづき出来た/\ 今にもきやつが来り

なば 急に進物上よとの仰によつて差上しと とも/\゛にせりたてめされよ なん
でももうせたらとちめんぼう よいなぐさみで有べしと さゝやき悦ぶ折からに 小栗
判官 兼氏は 内にたくはふ文の道おもてに武道を 立えぼし さほうの装束ゆゝ
しげに 家来を外にやすらはせ 御門前より只一人何心なく大広間 えしやく
して座になをり 土川殿御出勤 さそひ合せて参らふ物 残念至極と
有ければ 横山わざと面をやはらげ 小栗殿 今日の献上物は御持参か
はや出されよとせり立れば 兼氏は少もさはがず 今日の進物は牛の


13刻と承り 其旨急度申付 跡より家来が持参の筈と 挨拶あれば
横山は 気色をそんじ声をあらげ 牛の刻の進物を卯の刻から持参
あれば 何ぞ御損が参るかな 延引する貴辺の心は 差上いでも事
すむならすまさんとの勅諚づく 公(おゝやけ)の法例をみだりにやぶるは ヲゝ
道理/\ かた田舎に小城を持 てんぶやじんにそだてし故 何もよいこと
しらぬ筈 隙入ては御きげんいかゞ どれ土川殿御進物 貴殿の方から差
上ん ハテていねいに見事/\ さぞ勅使にも御満足 御前の首尾は受取た

と 入らんとするを兼氏は 横山をしばしとよびとめ 同じ役義を蒙りながら
土川殿の進物と刻限相違はいかゞ也 今しばし御ひかへ申さるべしと有ければ 横山は付
上り こなたの首尾がわるいとて 某は何共存ぜぬ おためを存此方が越度(おちど)に
成事得いたすまいと座敷をけたて入にけり 土川はしたり顔小栗のかた
へは目もやらず そらうそふいたる有様に たんりよの兼氏横山が詞は無念に余れ
共 じつと押へて是土川殿 御いそぎの進物ならば そと御しらせも下さるべ
きに お心づよしとの給へば土川せゝら笑ひ ハレうろったへたる恨口上 高いは


14(裏)


15
所領卑(ひきい)は知行 将軍より頂戴し 勅使への進物も皆君への御奉公 自分
/\の奉公を何の人にとひ合せ 忠義手柄はめん/\しがち 元ゆだんから
おこる事 重て心へめされよと 打込詞に判官は猶腹立のかさなれど 所と
いひ折わるしと 胸押しづめおはすれど いかりは面にあらはれて顔はあかねに
染たるごとく せきにせいておはする所へ 小栗の郎等原郷右衛門定時は
進物の巻絹を白木の台にうづ高く つみ上て両手にさゝげ 大小
りつはさつはりと 大口仕立の上下も場の有男一ひれは さすが小栗の

執権よいはねど しらすに入来り すぐに座敷へ通りしが 兼氏気をせき ヤア
郷右衛門 何として遅なはりし 是へ渡せと立給ふ顔色も只ならねば 常のたんきの
気遣ひさ心ならず畏り 進物延引仕り 御首尾あしくばいひわけ致さん
随て屋敷にて某が見せしごとく 申コレ殿 御たんりよを出し給ふな 千鈞の
弩(ど)は 鶏鼠(けいそ)のために其機をはなたずとの先言(せんげん) 千挺ならべし弩(いしゆみ)は
鶏鼠(にはとりねずみ)を的には致さず 侍もまつ其ごとく 腰ぬけなんどは相手に不足
大丈夫たるものゝふは 聊かの義を恥とせず 忠義を守るが誠の勇者 もし


16
此心を取ちがへ御麁相など是あらば 今迄みぢん疵もなき小栗の家の
かきんと成 先祖代々へ御不孝 必々 ナ 小人の無礼を耳にかけられなと 失
礼不道の横山と兼て懇意の土川を 尻目にかけても聞体 小栗は
何の返答なく用あらばよび出さん 御台所二日かへよと仰をそむかず
ハアはつと しづ/\立て入けるが跡に心の残りしは 後にぞ思ひやられける
兼氏えもんも進物も取繕ふておはする所へ 横山郡司しすましがほに
立出 扨々土川殿 御前の首尾は益々 ヤア兼氏殿 時はづれの進物は参つた

か 見分せんどれ/\と立寄てコリヤなんじや コレ御らんあれ土川殿 堺緞子
のべら/\織物 是が勅使へ上らる物か しかへられよとつきとばせば いか成事共
白木の台左右の足を押おれば くはつとせき上小栗判官 ヤア無礼也横山
進物麁相に見ゆるなら 改なをすですむべき事 最前よりの悪言過言
場所を思ふてかんにんする 以後をたしなみ召れよと色を正してきめ給へば
横山もいひがゝり 是式の事何の無礼 見分の役を受 悪敷を悪敷と
いふが無礼か 以後たしなめとは存外至極 たしなむまひがなんとする くづれし


17
進物ひらうして かつ手がよくば持ゆかんと そんぜし進物其儘にとらんと
するを小栗判官 たへかねてぶこつの横山 思ひしれとぬき討に まつかう切
こむちいさ刀 土川すかさず立上り 兼氏をだき留れば 切られた横
山はつとはいもう はなせならぬと両人がせちがふ間に信久は じやの口のがれし
心地してこけつまろびつにげ入たり 力まさりの判官兼氏 土川を
ふりはなしいづく迄もと追かけ給へは させぬ/\と土川も跡につゞいてかけ込だり
そりやけんくはよと御所の騒動 どう坊茶頭(さどう)小姓迄うろたへまなこに

走り違ひ 御門をうてよと声々にのゝしりわめけば門前にも 諸大名の供
廻り けんくはの相手はしれね共 面々主人の身のうへ気遣ひ 大下馬さきのもや
くやは 富士野の鹿が一時に狩出されたる「ごとく也 表の方をしづめんと佐々木
将監友秀広間口にかけ出給ひ ヤア/\門前のおめん/\ けんくはの相手は小栗判
官 横山に意趣有由にて切かけしが 早速に土川兵衛後ろより判官をいだきとめ
双方共に死傷に及ず殿中はおさまつたり 表のさうどうしづまれよと云
捨て入給へば 皆々安堵の思ひをなし よその事ならかまはぬとすこしはなりも


18
しづまりぬ かくと聞より郷右衛門台所より一さんに 大広間にかけ上り奥を見
やれば諸大名 立違ひ行違ひざはめく体は猶気遣ひ 様子を見たくは
思へ共奥には勅使も政知も 御着座まします事なれば ふんごんでは後日
のとがめ 主君の為もよからずと工夫をこらしいたりしが 思ひ定て袴の
もゝだちかけ入らんとするおくよりも 行義正しく三方にのせて出たる腹切刀
ふしんはれねば郷右衛門 ためらふ所へ兼氏は 以前にかはる御有様 えぼしもとれて
しほ/\と立出給ふを郷右衛門 見るよりハツト気も狂乱 扨は切腹なさるゝかと

立寄を太刀取検使押へだつ 佐々木将監おくより立出声をかけ 小栗判官兼氏
私の意趣を以て 横山郡司に切付し狼藉 勅使のお入をわきまへぬ慮外
さるによつて所をさらず切腹との上意也 いふいことあらばそれから申せ 近よる
事は叶はぬと せいせられて郷右衛門 うろ/\すれば兼氏は わるびれもなく
どつかと座し ヤア見苦し郷右衛門 最前汝が諌めの詞用ひざるにはあらね共 心外
胸にせまりし故かく成はかくごのまへ 今さら驚く事ならず かみへ対して
露程も御恨は残らね共 さいごの跡へ只一言いひおく事有よつくきけ さいつ


19
頃此役義を領掌したる其砌 横山我に無礼の雑言 口惜とは思へ共 此
度の大役を首尾よく勤め奉るが 君への忠と了簡し 今日に至つては
再三の法外悪口 かんにんせば腰ぬけと 武門に疵のつかんかなしさ 只一討と
思ひしに 討物みぢかく心はせく 土川兵衛にだき留られ 横山を討もらせし
心の内の無念さは こつにくにしみわたり億万功をふるとても 思ひ忘るゝ
事はなし 汝国元へ下りなば由良之介にしさいをかたり 横山郡司にとゞめをさゝ
で無念なと くれ/\゛もつたへてくれ いひ置ことも是斗 はや立帰れと

事もなく の給ふ声も身もふるはせ 残念見ゆるはぎしみに 太刀取検使も
兼氏の心ねを思ひやり 顔をそむけてはら/\と 忍び涙にむせびけり 郷右衛門は
始終を聞 泣もなかれず詞もしどろ 常の御たんりよしりながら お傍につき
そひ申さぬは 拙者めが誤り とてもかく成事ならば 最前是にて猶予の時 無二
無三に切入て 横山が首とらんず物 後日のおためを思ひ過ごし助けてかへす口惜や
無念にござろ我君 定時めが胸の内 御推量あそばせと こぶしをにぎり
両眼に涙はしめ木でしめ出すごとく膝につたふて三方も ういて流るゝ斗也


20
兼氏座をしめ声あらげ 叶はぬ事をぐど/\とくりことをいはず共 只今いひし
詞を忘れず由良之助にいひ聞せよ 時刻うつらば小栗こそ最期にみれんを
出せしと 万人の口にかけさみせられんもほいなしと 三方取ていたゞき給へば涙ながらに太刀
取は 心はしだいに思へ共上意は猶ももだされず 後へ廻れば郷右衛門 今しばらく御待と
いふ内にはやあへなくも首は前へぞおちにける わつと斗に定時は 人目も恥ず大
声上前後忘れし男なき 見るに佐々木も太刀取も哀もよほす涙声 兼
氏のなきからは其方へわたすべし 心まかせにほうふれとなく/\立て入給へば

走寄て尊骸(そんがい)を 押なをしだきかゝへかはりはてたるお姿と 我を忘れて泣さけぶ
心ぞ 思ひやられたる 誰かかくとはしらせけん小栗の家来大鷲伝五 ちうをとんで
かけ来り 御殿もひゞくかみなり声 主人小栗判官は 横山郡司信久と口論と聞たる
故 君のp安否を聞ん為 大鷲伝五忠光只一人かけ付たり 門をひらき給はれとよばゝ
る声に郷右衛門 驚き広間につゝ立て ヤアおそかりし伝五 とんよくさかんの横山信久
重々の慮外 君御怒にたへかねて 情なや先手を出され横山は存命なれ共 時節
所をわきまへぬ狼藉成と只(たつた)今 御切腹なされしと 聞て伝五は大きに仰天 誠か


21
実(じつ)かと斗にてあきれ果てて立たりしが じだんだふんでコリヤ郷右衛門 汝はそれを
うつかりと見物して只いたか なぜ切入て横山がしらが首をとらざるぞと いらちに
いらてば ヲゝせくは道理 我もさは思ひしかど 勅使にも政知にも御入なされし御殿
中 ためらふ内に此通りと いふを聞ずよい手な事いへおく病者 いで御主人への
とむらひに横山が切かけ首 引ぬいて見すべきぞしめた門を明てはもらはぬ
こつちから明て見せんと大下馬の道具留 六尺余りのみかげ石 えいやうんとさし
上るを 内には定時あぶ/\と コリヤ/\伝五あら気は無用 かみへ対して少しでも狼

藉といはれては 本望の妨げしづまれとまれとあせれ共 イヤ/\それはある昔
主なきからはやぶれかぶれと又差上し折もおり 横山が郎等山形兵衛家来を引
つれどつとかけよせ 身が旦那山形を討とらんとはき出すは 小栗が郎等大鷲
よな 爪のながい望事 命のねぐさる因果の主従 小栗がめいどの供させよ
と ひしめけば大鷲伝五けら/\とえせ笑ひ やれ/\相手ほしう思ひしに 横山が家
来となどりやいとまとらせんと 持たる大石なげ付れば さきにすゝみし雑人(ざうにん)ばら
ぎやつと斗に一ひしぎ 残るやつばらこりやゆるせと かいふつてにげいくをのがさぬ


22
やらぬとおつかけゆく 郷右衛門は両手を上 やれおつかけなもふよいは たんのふせい大鷲
とかけ出んにも御門はしまる 塀越によびかへしもどれ/\と気をせく折しも おくより
かけ出る使番 兼氏が家来原郷右衛門は汝よな 政知の御前にて仰付らるゝし
さい有 罷出よと有ければ 畏奉ると入らんとすれど外(そと)も気遣ひ とやせんかく
やとゆきつ 戻りつなんぎは二つ身は一つ 参れ/\と急の御召ぜひなく「御前へ出にけり
表には大鷲伝五敵を四方へ追ちらし 取てかへしてすき間もあらば横山を討とら
んと 御門にたゝずみうかゞへば 又山形は追取まき あいつはどふで人手にかなはぬ 小栗めを

喰殺させんとひかせ置たる鬼鹿毛を 切てはなせと下知すれば 畏ったと家
来共てん手にわり竹たゝき立 えい/\わつとおめく声 大鷲さはがす尻打たゝき 鬼かげ
とはよいなぐさみ 主人小栗は碁盤の曲乗 此伝五は将棋だをし 馬人共にいけてはもど
さぬ 鬼でもござれ 象でもござれと 大手をひろげ待かくれば あれにあれたる
荒馬の すなをけ立て高いなゝき はをむき出しとび付を 二三べん身をかはし ずつと寄て
大鷲が つかみ付たる羽がいじめ コリヤ/\/\と声かけて 押戻したる大力 こんがう力士に
さしもの馬 たぢ/\/\と跡じさりまかせておけとつきはなせは 身ぶるひしてはね


23
上り 一さんにかけゆくを よい乗替と大鷲が跡をしたふて「追て行 横山が
雑人原主の馬を取にがし いひわけなしと血眼にてそこよ 爰よと尋る所へ
大鷲伝五は鬼かげを なんなくくみとめ乗くらの かけて有のは仕合と かざり
を切て手綱にかけ あをり立て乗戻れば そりやこそ馬はあつちのもの
青二めがあぢなやつた あざむいてももふたまらぬ 馬くずしにくずされ
なとさんこみだしてにげちつたり 大鷲あぶみふみそらし ヤアはちた/\めら
もらつた馬のひづめにかけんと のり出す所を郷右衛門 上の仰をうけ

ながしかけ出て声をかけ ヤレまて伝五 代々殿の頂戴なされし 扇か
やつの御屋敷を 取上るとの御上意御領地とても心えなし 其馬こそ
幸/\ 汝は国元へのはや打由良之助にいひ聞せよ 我は君の御じがい
ふぢさは寺におさめおき 跡より追付くだるべし はや/\いそげとせり立れば
つのをも引さく大鷲が 君の死骸と聞からに刀もがつくり心も
おれ 然らば是よりかけ出さんせめての事に我君へ おいとまごひと
望むにぞ 心得たりと判官の 御首を定時がいたゞき上てのしやくり泣


24
そとには見上て大鷲が 勇気にかくせしため涙 ながれかゝつて鬼
鹿毛の 尾がみもぬるゝ斗なり なげくはぐちと互にはぢあひ
主君のしゆらのいかりをやすめ此 うつふんをはらさん事 皆我々が
しゆりにあり ちからをおとすながつてんがてん 敵のかたよりこの
馬をえたりかしこし 本望を とぐべきすいさう相州をたそ
かれどきにうつ立て こきやうにかへるこまのあし 千里を走る
いきほひにむちをそへつゝ立わかれ本国 さしてぞくだりける