仮想空間

趣味の変体仮名

難波丸金鶏 第一

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃データベース イ14-00002-604


2(左頁)
   難波丸金鶏 座本豊竹越前少掾
    鎌倉泉岳寺の段
功成て自ら功とせず 力を尽し心を忍び以て仇を復すとかや 小栗判
官の廟所鎌倉泉岳寺の庿(びやう)前において 其讎敵(しうてき・讐敵)横山郡領(ぐんれう)
が首石面に備へ置き 大星由良之助良男同苗力弥 矢間十太郎竹
村定七 院主同宿媒介にて いづれも焼香事終り厳重たる折柄
に 吉谷(よしや)忠兵衛留堀助右 大息ついて立帰り 鎌倉の大目附へ右の段々


3
申上 其次手瑤泉院(ようぜいいん)殿へも右の様子御しらせ申 只今帰り候と相述れば大星
點き 御苦労/\ 扨最前より敵の不意に寄する恐れ 四十余人の殿原焼
香相済 方丈にて粥をすゝむ 則ち焼香の列書は斯の通り 披見有れと指出
まつた敵横山が首取たるは 全く各々忠臣合体せし所 併一番の焼香は 是なる矢
間十太郎殿 其跡は 四十六人の者共 妻子を捨ての憂き艱難も 此白髪首
をとらん為 然るに是なる矢間殿 一番に横山の首とられしは 遖亡君尊霊の 御心
に叶ひし所 まつた竹村定七殿は 床脇において目宛もしれぬ横山を 突とめられしは

是二番の焼香 其外大星父子を始 列々其焼香 都合与力は四十七人な
れ共 一人(にん)は我足軽寺沢吉平 陪臣なれ共忠臣の心ざしをかんじ 人数の内へは印た
れ共 陪臣なれば殉死の列をはぶき 諸用を云付け遠国へ遣はしたれば此席には
あらず 殉死のめん/\四十六騎の焼香 延引ながらとく/\といふに二人も辞するに及ず
焼香終る其所へ 取次の同宿が 案内と供に 小栗判官兼氏の御台所 瑤泉
院よりの御使い戸田の局 裲姿しとやかに しづ/\とて入来れば 大星父子上座へ進め
謹んで亡君の仇郡領が首取たるは 年末の本望 時刻移れば先々御台所の御焼


4
香と 指図に随ひ戸田の局 懐中より九寸五分取出し 横山が首の上てう/\/\と三度
押当 イヤノウ大星様 女義ならずば供々に いづれもと御一所横山が舘へ御入有て 真(まつ)此様にもと
思召ての御歎き 大星様の軍術故 念なふかやうに本望を達し給ふ 御使に立し自ら迄も大慶
と 詞すくなに刃物を納め 諸歴々の御中へ 女の長居は恐れ ホヲゝ然らばモウ御退出か
申迄はなけれ共 瑤泉院様の御身の上 宜しう介抱頼み入 我を始四十六人の者共は
あすは消え行けふの雪 山をさく力も折れて松の雪と 大鷹子(たかし)の発句のごとく 項羽
中の遺意有て 其英気いまだ衰ずといへ共 最早消行我々が名残は尽ず

早お立と 父子諸共の挨拶に遉の女のかよはくも 胸迄せきくる涙をば 裲さばきに紛らし
て 義士それ/\目礼し 舘へこそは帰らるゝ かゝる所へ同宿一人あはたゝしく 横山の子息
太郎殿よりの使者として 清水官之丞斧九太夫 横山の首受取ん為門外に控候が
いかゞ仕らんと訴ふれば 住僧すゝんでヤア/\大衆抔 スハ討手の向ひしならん 四十余人の義士
諸共此山門を枕にせんと 墨染の袖まくり上勇み進みし有様に 力弥もすかさず刀
ひんぬきねたばを合し ヤア/\僧達 罪作りに各々方を頼にせん 我一人討て出一々に切
ちらさん 法師原見給へや 堺町(てう)の芝居にする切合人形の真似をして エイヤツトウをし


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て見せんと につこと笑ふて立たる有様 院主を始大衆迄 一同に笑ひを催せり 良男押さへ
てヤア/\早まるまい 横山の首亡君の塚へ祭らざる内は山門の固たり 敵討入て無法
の働せば 討取に何条事の有べき 左もなき内は出家沙門の旁に 難義をかくるは死
後の恥辱 門を開いて通さるべしと優々然たる有様は 不敵にも又めさましし 程なくお使
者御入と しらせと供に横山太郎の執権清水官之丞 続て跡よりいがみ頬(づら) 小栗の家
を見限つて直ぐなる道を横山に 媚び諂ふて己(おの)が身を独り立ぬく斧九太夫 さも押(おう)
柄に打通れば 夫と見れ共智勇の大星両人に打向ひ 是は/\御両所御苦労

千万 斯申は小栗判官兼氏が近臣大星由良之助 つゞいて義士の者共 亡君仇横山
殿を討奉り候へ共 高家の御首陪臣の我々が手に とゞめ置べき所謂(いはれ)なし 亡君の塚に
手向し上は 太郎殿へ送り申さん為御入来を待受たり 御受取下されよと白綾の小袖
一つ取出し 是こそ横山殿の居間に 有合せたるを御首包持帰りたり 此外屋敷の内なる
鑓一筋 四十六人の殿原が持帰りし事なければ 後日の為官之丞殿へ 申入ると指
出せば 九太夫旁に大口明いて高笑ひ ハゝゝゝ 李下に冠を正さず 瓜田(くはでん)に沓を
入ざる古実 聞はつつたる大星の浅智(せんち) 盗人といはゞ手を出して盗むべきか 当時盛ん


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の横山家へ敵対 跡腹の痛まぬ様に薬喰ひの鯰とは ぬらりくらりの瓢箪侍 此九太夫
などは 始よくして終も能すと 今横山太郎公へ取入て 執権官之丞殿と肩をならぶる
此九太夫 嘸浦山しかるべきと悪口過言 聞兼て大星力弥 ヤア案外也九太夫 恩義
有古主をふり捨 敵に諂ふ人非人 其腮(あご)を切下げんと鍔打たゝけば 矢間竹村吉谷
留堀 我々が艱苦の内こたへ/\し生き畜生 両足取て引さかんと皆立かゝるを大星
が 力弥が向ふに立ふさがり 押しづむれ共とまらばこそ こなたの九太夫反り打ながら 官之丞
が跡に付寄らば切らんと震ひいる 大星漸押とゞめ 力弥を始旁何と心得られしぞ

是迄の艱難も郡領が首見る迄の事 此上は鎌倉殿の御指図を蒙る 譬御免の上意
たり共 死るに定めし我々が 畜生に等しき斧九太夫 何千人切たり迚 刀穢れに無用
/\と 鎮める詞に人々は 実も/\長生きひろいで面恥さらせと 睨み詰たる勢ひに 猫に追れし
溝鼠 ちう共いはずしよげりいる 官之丞衣紋を正し 大星殿を始各々の義士遖々 誰も斯
こそ有度き物 大殿を討れ かく申は各々の勇気に臆したると思されんが 主人横山太郎の命を受け
親殿の御首を守(もり)奉るが我等の役目 イデ右の二(ふた)品持て帰る一礼と 硯料紙を乞受て 御首一ッ
級并に小袖一つ 慥に受取申所実正也 清水官之丞 斧九太夫両人書き判それ/\に 首受取


7
の式礼目礼万里に羽うつ忠義心 官之丞が跡に付き互に別るゝ忠不忠 もろき命の九太夫
が 其場遁るゝ危ふさも 東雲しらす明烏 ねふりの夢は「さめにけり


   住吉霰松原の段
頃は五月(さつき)末の八日 住吉霰(あられ)松原に 臂(ひぢ)を枕に から櫓漕ぐ一木の 松の朝嵐 吹起されて蜘(くも)助
が ほつちり目さめて爰はいづく 住吉の霰松原 燈明かゝげし数多の燈籠 扨は今のは夢で有
たか ハテかはつた夢を見たよなァ 元禄の頃 小栗判官の仇 横山を討たりし 四十七人の忠臣 大星
由良之助を始 横山が首受取渡しの折から 斧九太夫を追取巻蝸牛の争ひ 見しは正しく鎌

倉の泉岳寺 さめたる夢は摂州住吉 扨かはりし夢を見たるよと 杖つつぱりし有様は 象牙
細工の根付の仙人 立して見たるごとく也 傍にしげる松かげに 前後もしらぬ酔どれが 寝言交りの
高鼾 是はと見やれば一つの国 胸の中(うち)より出ると等しく あなた こなたへ飛廻り かしこに並ぶ燈籠
の 石台にばつたりと かき消すごとく失せにける 蜘助軻れてハレふしぎや 慥に是は人魂なるが 誠に
夫(それ)よ 其魂(たま)を呼返すは 聞伝へたる咒(まじなひ)と 伏たる男が下がへの裾(つま)とつまをしつかとくゝり高声(かうせう)に
人魂よ/\ 主(ぬし)は誰共しらね共 結び留たる下がへのつまと 三度呼はる其中にふしぎや件の
消たる魂 又烈々と顕はれ出 元の體へ飛入しはあやしかりける有様也 蜘助は立寄て 臥たる男


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の肩とらへ エゝ此酒くさい事はいの コレ酔たんぼ殿/\と ゆすり起せば大欠アゝアゝアゝウ誰じやい/\ むまい夢
のどうぶくらを ゆり起す胴欲者と 顔を眺て わりや蜘助か あつたら夢の最中を 引ずり起
すどう乞食と 腹立声にコレサコレ 其様に沢山にいはしやんな こなたの為には命の親じや 乞食呼
ばり置てもらをと いふにこなたも気色して コリヤゆするな/\ 遠からん者は鼻でかげ 近からん者は
目鏡(めがね)で見い 忝くも九の噲(くはい)助といふて 淀屋辰五郎様の 出頭第一の 手代でえすか イゝヤ牽
頭持じや 其牽頭持に向つて 命の親とはどふじやい/\ ヲゝ其様子いふて聞かそふ こなたは今死ん
だはいなふ ソリヤ誰に殺されて サレバイノ たつた今こなたの懐から 青い火がぬつと出て 爰らをばふう

はふは蜘火の様に舞あるき いづく共なくつつといた ハゝアあれは慥に人魂じやが 其儘に指し置かば
必其人 三日の内に死るといふ アゝいぢらしい事じやと思ふて おれが安倍の晴明より授かり 魂よばひ
の歌といふ名歌を詠で 貴様のソレ 其下がへのつまが結んで有る 夫が証拠といふに恟り つまを眺め
てコリヤほんじや 扨はおれは死だかや アゝ悲しやと泣出せば コレ/\ そこでおれが咒いの歌を詠だ故 貴様は
助かつているはいの ムアゝそんならわしは死にはせぬか 歌で命を助かつたか コレ/\ 其歌はどうじや/\ 廓中へ
弘める為に 手を付けて諷ひませう ハテばからしい コレ貴様の様に 人魂のぬけたのを見ると 其下かへを
そふくゝつて 人魂よ/\ 主は誰共しらね共 結びとめたる下はへのつまと詠だれば こなたの魂が


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ふうつと戻つて 其懐へしゆつとはいつた 貴様に口たゝくも 此蜘助が命の親じや 一ぱい飲して下あれ
と 何かに付けて付込は 蜘の巣まとひと見へにける エゝやぼらしい 一ぱいそちが呑たいより あつたら酒の酔
がさめた こつちが一ぱい引かけたい 命の親はうらめしい エゝまそつとねさして置てくれると きよとい夢をお
れは見るに ムゝ其けうとい夢とはどふでえす 其夢は金(こがね)の山へよぢ登り 四方を屹度見廻せば そこ
ら中が金だらけ どふぞして此金を 引かたげて戻つたら 儕やれ 牽頭持をやめてくりよと 汗やし
づくと掘ている内 われがむりにゆり起した ねだろならこつちから コレ蜘様(さん) 夢のかはりに何ぞおくれと
手を指出せば手の内にひつしやり がきの物をびんづりと 塗込す牽頭口 詞甘けりや付上る 客を

剥ぐ其かはりドレ塩目のよい此羽織 我抔是を頂戴と 立寄ば飛退て ヤアすない/\じやらつくな
い 是やるとナ お客様に叱られるはい イヤ叱られる次手に旦那は難波屋に待兼てゞ有ふエゝ 大勢おれ
を呼立る ヲイ/\/\ 九の噲助爰にいる /\と独り打たりじり/\舞 蜘の巣逃る飛虫の 跡をも見ずし
て走り行 後ろかげ見てハゝゝ テモ扨も やかましいやつでは有ると 辺を見廻し蜘助は 諸手をくんで一思案 ムゝ今
あいつが夢咄し 金子を掘ると思ふたと ぬかしたは正しく正夢 今のやつめが魂がかう出て此燈籠の下 ムゝウ
ムツウ金(こがね)の夢は偽りなき物と 世俗の噂にも夢伝へしが 何にもせよ此土中をと 持たる息杖逆手に追
取 土を穿てばかつちりと 当るは幸い物こそ有れと 両手を入て引出し ずつしり重きはごさんあれと


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包ほどけばこはいかに 光り輝く金の鶏 持たる我も軻れ果暫し飛退居たりしが ハア誠に仏説に
空海守敏(しゆびん)が夢合せ 悟り得たるは大師の智恵 それは仏説是は眼前 我にあたふる天の告(つげ)
有がたし/\と押戴きしがきつと思案し 竹杖の先がんぢと噛み割喰らひしたいたる仮の筆 料紙は是ぞと
身にまとふ 雨合羽を引ッちぎり墨は幸い燈篭の 油煙を取てさら/\/\ 何かはしらず一書をしたゝめ
元の土中に埋(うづみ)置き 土をかぶせて押付踏付 件の鶏ふくさに包 人目草原見廻して 行衛もしらず 


   勝間堤(かつまつゝみ)の段
幾世経ぬらん 住吉の岸に続きし内川筋 勝間新家の堤前(さき)一際 目立つ御座船は淀屋辰五郎

迎ひ迚 華麗を錺る大幕は大坂一の分限と人も 羨む斗也 けふは御田の神事迚貴賤群
集の其中に 一僕連し深編笠大小遉ゆがみ道 堤伝ひの向ふより淀屋の番頭宗兵衛といふね
ぢけ者 夫レと互の出合頭 是は/\ヤホイ是は野田権蔵様 いつお下りなされました サレバ/\ 今日貴殿方
へしらせんと思ひしが 急なる事で此住吉へ直様参つた 扨内々文通にて申越すは 御辺は辰五郎が兄成故
淀屋の家を呑たき思案 尤と合体せしが 今度八幡の領主橘中将殿より 姫を淀屋辰五郎へ
縁辺(えんぺん)の義に付 木津三太夫といふ者 使者として罷来る 則ち彼が娘お駒といふ器量よし 我抔首
だけ様々くどけど聞入ぬ故 此度身が主人近江の領主志津摩の頭殿へ 有馬湯治と偽り暇(いとま)


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を受け 当初へ参つたも彼(かの)お駒を手に入ん為 幸此住吉へ参る由 聞付て来りしと いふに宗兵衛成程
/\ 夢で申合せし通り 元私は辰五郎為には兄なれ共 前旦那与茂四郎殿が 手代にして置れし故 せふ
事なしの番頭役 所に中将殿の娘と此方の辰五郎と 縁辺の云合せは金の鶏 双方取替ゆる契
約故 此鼻が智恵を以て彼鶏を盗出し 人しれぬ所に隠しては置たれ共 若し詮議の時は科人を
拵ん為 是も趣向致し置ました とかく八幡とこちの家と縁組有ては尻持が重ふなる 夫故辰
五郎に忠心の手代は皆ぼつ払ふたが今一人前旦那が受出して置れた野郎上り 新七といふ手
代も どふやらかふやら辰五郎に毒を吹て 二月斗跡に是も足を上げ 其外は皆此宗兵衛が手下で

ござると 咄すに権蔵出来た/\ 時々金子何かお身の世話になれば 此恩返し連判の一筆は此権
蔵 とかく願ひはお駒が事 出くはしたら直ぐに奪ふて退く思案 奴ぬかるな宗兵衛さらば/\と権蔵
は 社の方へ歩き行 跡に宗兵衛一人笑 船の艫(へさき)へ歩み寄り 松兵衛/\と手をたゝけば 内より出る下(した)手代 エゝ
番頭様待兼た ヲゝ道理/\内の手番(つがひ)何やかや 委細の趣向は舟の内と障子 引立入にける 立なら
ぶ 松の位のだてもやう 伽羅たきとめし白無垢のゆかりは松に白鷺の ねぐら争ふ風情也 跡から追
付く引舟禿 牽頭の噲助 二上り調子 コレ吾妻(あづま)様 お待いな なぜ其様にせきなはます ヲゝ九主(きうす)早(はやう)
来ておくれ コレ辰様が見へぬはいなァ 早ふ尋て/\を聞て宗兵衛舟より上り 是は/\吾妻様 何を


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きよろ/\尋るのじや サレバイナ辰様がさつきにな 難波屋の格子の内で 門(かど)通りを見る中に能男が通
るといふたれば 夫からふいと腹立て どこへやらいきなさつた 若し舟になら逢してと おろ/\声に 頼む
にぞ 是幸いと宗兵衛はヲゝ道理/\ そふ思ふて留て置た コレいやも/\大抵や大方機嫌
の悪い事じやない わしが挨拶してやろと 御座舟に乗移り 申旦那 吾妻様が見へましたが
そこへやりましよかえ イヤ/\ならぬ あの様な不心中な者はいやじやぞ/\ あの様にいふてじやぞへ 何ぞ又お前不心
中な事 イエ/\あなたに対して何にもわたしや ぶ心中な事はなけれ共 アゝ思ひ出したはいな アノナ夕
部(べ)難波屋の座敷で 辰様(さん)の寝物語に 明日は八幡から祝言の結納(たのみ)として 家の宝

金の鶏を取替に 三太夫といふ堅くろしい侍衆が見へる 其宝を取かはすと おれは中将殿の娘
祝言するが腹は立ぬかといひなさつた わしもあなたが大切故 嫁御のお入なさるはお家の為
又親御様への御孝行でござんすれば 何の悋気は致しませぬといふたれば 悋気せぬは外に
思ひ込だ男が有で有ふといふて 夫故か今朝から機嫌が悪ふござんす コレ今から悋気を
せう程に どうぞあなたへ詫言して 堪忍して下さんせと 訳も涙に伏沈む 宗兵衛心に打
點き 能持かけと横手を打 アゝコレは旦那の尤じやが イヤ申今の様に今度から悋気せうと
いふてじや程に 御機嫌直しておやりなされと いふに障子の内よりも イヤ/\何ぼ悋気せうと


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いふても嘘じや/\ そんなりや向後(きやうかう)随分悋気するといふ慥な証拠が見たい/\ 宗兵衛われに
任す急度計らへ ハアこりや御尤委細我抔に御任せと 硯料紙を持添て 吾妻の傍へ歩み
寄り コレ今聞んす通 お前が向後悋気さんすが誠なら わしはいふ様にさんすか 夫なら旦那の機
嫌を直さす どう成共お前次第と 聞て吾妻は涙をおさへ そも逢い初めの其日よりけふの今迄
物半日 機嫌の悪い辰様の顔見た事はないわいな 機嫌さへ直るなら何成とせう宗兵衛様 サア
どふせうえ/\と 女心のあどなくも仏頼んで地獄とは我身の沈む初め也 宗兵衛はえつぼに入
そんならわしがいふ様に若旦那の念はらし サア/\一筆かゝんせと いふに嬉しく筆取上 何と書ふえ ヲウ

サア/\マアそこへ 此間は御めもじなし申さず候 左様に候へば 近々に八幡中将様の娘御と 御縁組是有
印に 御家の重宝金の鶏を御取替なされ候由 縁組有ては腹立悲しく候故 お前より預り候
金の鶏を人しれず捨申候 ソリヤマア何の事じやへ ハテマアそふかゝんんせ 様子は跡でいふ サアそんならどふ
じやへ 捨申候からは縁組の種もなく わたしとお前と幾千代かけて夫婦に成まいらせそうろう 此上は余(よ)の女ゴ
目と目を見かはしなされ候はゞ 忽ち鬼女と成て喰付き ヲゝこは そんな事はいやはいな サア/\まあおれ
がいふ様に書た/\ こはけりやかふじや 鬼になつて喰付吸付抱付き サア是てよいか抱付き参ら
せ候めでたくかしく モウよいかへ サアめでたくかしく サア書たはいなァ 辰五郎様吾妻より 日はいづじやへ 月


14
日でよい ドレ/\よし/\ サア夫(それ)をどふさしやんす サア/\おれに任しておかんせと やがて舟に乗移り申旦那
辰五郎様此通りの一札を取ました 是で堪忍しておやりなされと 障子の内へ投入れば 内には夫と辰
五郎が ドレ/\ヲゝよし/\ 此通り随分と悋気を仕や アイ/\そんならわたしもドレそこへ アゝまちや/\ まち
つと此文句に気に入ぬ所が有る 難波屋へいて待ていや 追付おれもそこへ行といふ噲助そゝり
立 又もや御意のかはらぬ内 是から直ぐに難波屋へ旦那跡から宗兵衛様 ヲゝサ/\呑込だ 追付そ
こへ連て行 早ふ/\とおだてられそんなら辰様早ふへと 吾妻は小あづまかい取て 禿引舟諸共に
難波屋さして歩み行 宗兵衛が見送る中 障子をぐはらり引明けて立出るは手代の松兵衛 何と

宗兵衛様どふでごんす イヤモ出来た/\気疎い/\ 辰五郎の物真似生写しあの様にもにればにる
物か おれも軻れて我(が)が折れた 常住ねきに付ている おれさへ声を聞やいな ほんまのかと思ふて恟
した 何ときつうごんすか マアわしが物真似石場も平助も叶ひやんせぬ マア文七又太郎大五郎
女形では金作喜代 三崎之介もやりやんすて イヤモけうとい/\生写の辰五郎じや ドレ/\其一通
をと手に取て 是書くそふ為の一作 何ときよといか 首尾よう参つて我抔は淀屋の大旦那 此
松兵衛は関白職マア/\打ておけ しやん/\ 気でせい/\しゃんのしゃん 踊り悦ぶ其所へ 酒が酒呑む千鳥
足 辰五郎は居続けのふらり/\のちろ/\目 牽頭元格(げんかく)とてお手生け医者のかたを杖謡(うたひ)まじ


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くらひよろ/\来るを 見るより両人コレハ/\若旦那 なぜ是へお出なされました 追付夫へ参りますのに イヤ番頭主(す)
爰にか 三文字屋に今迄待兼て給(たべ)過た/\ ノウ元格老(らう) イヤモウ旦那のこつぶにはきける/\といふに松兵衛 アノ水
晶のでかへ サレバイノ あれでは誰もきけるぞ きけるとは/\ ヤあつまはどふじやこなんだかと きくて宗兵衛サレバ/\ あ
づま主は最前お前を一遍尋廻つてゞごんす 御機嫌が損たと聞たが 何の機嫌か ハテお前の機嫌が やく
たいもない おりや少々腹が立て胸かもや/\する時も あづまの顔見るとさつぱりと気が晴る デモ門通りの男
を能といふたら お前は癇癪じや有たげな 夫はちつと腹が立た サア/\そこをわたしが趣向が有 元格老 旦那
聞く気か/\ 聞ふ共/\ コリヤ文殊め 宜しい慰みなら白状/\ サア其ちつと立つ腹を大きい立た顔をして 是から

直ぐに此一くるは どつといふて新町の佐渡明神方へ押かけるじや面白い 時にどふじや 廓中を人寄せして 和田酒
盛を始るじや 時に旦那は五郎役 面白い/\ 此宗兵衛は十郎役と いふに元格何十郎役とはハゝゝゝコリヤどう
よく赦せ/\ アイヤ/\宗兵衛十郎よかろ/\ そしてどふじや/\ 所をお前は五郎で荒事 親の敵祐経を討留
るが留て見ぬかといふ所へ 朝比奈が出て草摺引き コレ/\/\其朝比奈は誰じや/\ そこが文殊がちえ所
誰じや有ふと思し召 ムウ元格老か イヤ松兵衛か イヤ誰じや/\ そこを朝比奈は色真黒な大男 鰭の山を
見る様な男が出よふと思ふ所あつま様に素袍を着せて 小林の朝ひな 五郎暫くお待いなァと夫からが草
摺引 おらが一番とめたいはいなァと 直に床入お寝間の睦言 どふじや/\とそゝり立れば 毒気にそゝ


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る辰五郎 きよとい/\是kら直ぐに行かけふ あづまどふする あづま様は跡からわしが連て行 松兵衛お供し
先へいきや ヲツト心得三枚がた 跡からお出と三人がうかれ調子に声はり上 ヨイコノ/\難波淀屋の辰
五郎様か 廓(さと)へござらば雨風霰 雨しやござらぬ辰五郎様の 恋の涙がヤレコリヤ雨となる ヨイ/\エイヨイヤサ そゝり立
てぞ急ける 宗兵衛は舌打し 此様子をあづまにと難波が元へ歩み行 夏草の さとかほりくる一群は 八幡の
領主中将の家臣 木津三太夫が一人娘お駒と呼てしやん/\と男勝りの屋敷風 嬪婢(こしもとはした)若党がふり
かたげたる長刀に心の器量を顕はせり 同じ道筋道草にあづまは跡より辰五郎を待兼爰へ岸伝ひ
こなたは見馴ぬ太夫の風俗 若党嬪目引き袖引ありや新町の太夫じやげな こちのやしきの風とは

違ふておかしい物じやと笑ふをお駒はヤレはしたない嬪共 控へて居いと叱付 あづまが傍へしとやかに 卒爾
ながらそなた様には 新町の茨木やのあづま様とやら 道行く人にお名を聞 ちとお目にかゝりお近付に成り お咄
申度事有と いふにこなたもコレハ/\見ますればお歴々の御寮人様そふな わたしに御用とは何の御用で
あござりまする コレ金弥たばこ盆をといふに気転の噲助が サア/\是へとかたげたる 毛氈直ぐに道芝へ
敷ならぶれば サアあなた様あれへお越 マアそもじ様と互の辞儀 手に手を取てサア一時にと 並ぶ姿の
桃柳 咲かせて見たる気色也 お駒は衣紋繕ひて 卒爾ながらそもじ様は淀屋辰五郎様と深ふお馴
染なされし あづま様にて侍ふかといふにこなたも不審顔 ハアそふおつしやるお前は マアどなたでござん


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すへ ほんにわたしとした事が 人の名を尋るには 我假名(けめう)よりと申まするに 不作法千万な 自らは八幡の中
将の家来 木津三太夫が娘 駒と申者でござりまする ムゝすりや辰五郎と云号の有中将様の
ヲゝよう御存じ 夫に付てのあなたへ御無心 私がとゝ様(さん)がお預りの姫君 漸に十才なれ共前与茂四郎様と
のお約束 筋目正しき淀屋のお家へ御縁辺 去ながら辰五郎様とそもじ様は 深い中との取ざた故
此度とゝ様と参りましたは 両家の重宝金の鶏を結納の印に取かへん為下りました 最前住吉
の松原にてそもじ様の噂を聞ヤレ嬉しやよい折からのお出合 お前様のお計ひで早ふお輿の入ます様 あしから
ずお取なし下さらば 家中を始め我々迄大慶に存ますと 詞すくなに述けるは 粋も及ばぬ心ばへ あづ

まはしばい詞なく 指うつむいて居たりしが コレハ/\結構なお詞に預つて 却て痛入まする 大事のお身の辰
五郎様 何しに嫁入の妨げを致しませう様はなけれ共 夕部も夕部と辰五郎様 嫁入を悋気せぬ迚却てお
叱り 私迚も親はらからの流れの身でもござりませぬ 突出しの其日より辰五郎様のお情にて 終に一度
外の客に詞をかはしたる事もなし 其御恩有辰五郎様の大切の御縁組 何しに妨げ致しませう 何々の誓
言にて早ふお輿の入る様に 辰五郎様に申ませう 其かはりには一つのお願ひ せめて姫君様のお髪(ぐし)上げ
お傍使ひに遊ばして辰五郎様のお顔斗 朝夕見せて給はるなら 此上のお情申お駒様 悋気心はござりま
せぬ婢の衆と名を付てお傍に使ふて下さりませと 誠を明かす真実は勤めに稀な女也 お駒も手


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を打テモ扨も 見ると聞とのお前の心 けいせいの太夫のとかげでいふたが恥しい 武家も及ばぬ御貞
節 御婚礼さへ相済まばお前のお身は私が合点 慮外ながら真実の姉を持たと思ふて下さんせ コレハ/\御
深切 そんならわたしを妹と思ふて給はるお心かへ 思はいで何とせう そんなら姉様 妹と 女同士の深切は ちとせ
も馴染しごとく也 かゝる所へ頬かぶりせし侍に供の奴(やっこ)が千鳥足 コリヤ/\能女郎衆がならんだは 色め/\とこけ
かゝり お駒にひつたり抱付を突飛して気色をかへ 慮外なるすやらうめ 女と思ふて侮ての慮外か すさ
りおらふときめつけくれば 酔(よ)たんぼ声の諸平が ヤア推参なそげめらう すさりおろとは慮外なやつと 叱る所
を叱はせない サア/\お出と柔かにかゝり手を取て引立るを 武士の娘に慮外なと 指込む手先をふり放し 供

の者が長刀追取透(すき)もあらせずまくり切 案に相違の諸平が肩先したゝか切下げられ ソリヤ切たはと
逃出せば傍(かたへ)に忍ぶ権蔵が軻て是も逃散たり いづく迄もと追かくるを 若党噲助縋付き 相手は逃
たお赦しと 押とゞむればあづまはこは/\゛傍に寄り 申/\堪忍さなれ よく/\にこはかつたやら 最一人連が隠
れていたが 是も一所に逃ましたと 聞てお駒がサレバイナ 最前住吉の反り橋の傍にて慥に見た野田権
蔵といふ侍 常々主有わたしに何のかのと横恋慕 今の様に仰山におどしたも 有やうはこつちかこはさ 又行
先で待おろかと夫レがわたしも気遣なと 溜息ついだる其所へ 難波屋の男走り来て 申/\宗兵衛様
のおつしやります 辰五郎様は三もんじやから直ぐに新町へ お前は跡から舟に乗て住半へ早ふおこしとの云付


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でござりますと 云捨跡へ引返す あづま聞より幸/\ とふやら空も曇て来た 何様けふは廿八日 虎
の涙雨とやら 道で降てはお前も難儀 新町橋迄あの舟て つもる何かの物語お盃も致したい ホンニナア
夫レもそふ 今の奴に鼻明すコレ甚内 そなたは新家の茶屋へいて 家来共を先へ帰し乗物計りて新町
橋とやらへ迎ひにおこしや ナイ/\/\と急ぎ行 こなたの二人は舟の内サア/\酒よ盃よ たつみ上りに噲助が 早しや
べり出すさはぎ歌 空は五月(さつき)さつさ雨 北しぶきからそりや/\と あゆみ引くやら三味引くやら 雨戸
引立櫂突立て 咄しを積で出小舟(おぶね)跡住吉も遠ざかり 新町橋へと「漕でゆく

 北濱淀屋の段

淀川の流を汲ば人の気も 大坂一の長者号時の用ひも大川筋 橋も名高き淀屋迚 代々続く
棟瓦紋は棠(からなし)唐迄も難波の花と匂はせり 今宵はお客と夕顔の朝顔ぼんぼり燭台をはいつ
拭(のご)ふつ蝋燭の 新季のおすまが ナフお政殿 夥しい雨や雷で 昼のお客が今夜に成たと いへば點
き ヲゝ夫いの そしてアノ奥ざしきにござる安立(あだち)安次郎様 今夜見へるお客のお駒様とは云号(いひなづけ)とやら
さつきに隠居様とお咄の時聞て居たと 噂の中の居間よりも出る姿も尼の名に庵(あん)といふて
辰五郎を 産みの母様の年はまだ四十(よそじ)の上は四つ五つ 盛の花も子の為折目正しくしとやかに ヲゝ皆大
義じや モウお出に間も有まい 随分麁相のない様にと 云付かつ手へやり戸口 此辰五郎はまだ


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そふな 早ふ戻つてたもらいでと 案じ杉戸へ宗兵衛が ハアゝ小庵様是にござります けふも旦那の跡
追て 住吉さんがい異見に参りました 是も家を大事と思ふから 是程お客を思ふ私 夫に何じや
やら 追出して仕廻ふた新七が事は云出して涙をこぼじてござるげな ヤレ夫はそふと三太夫様が見へぬ前(さき)にと
松兵衛を迎にやりました ハテ是も旦那殿やお前に廃亡(はいもう)させまい為 ナそふじやござりませぬか
と いふた所は忠臣顔 底は魔王に釣を取 欲頬(づら)とこそしられけり 三太夫様只今お出としらすうち
ずつと入くる其仁体 礼服袴の着こなしも遉鰭有る家老職 小庵も会釈出迎ひ 御苦
労様やとあいしらふ 是は/\御機嫌の体 御互に珎重此上なしと一揖(ゆう)し 扨今朝罷下り直様と存

た所 今日は住吉様(さん)田の神事とやら承り同道致した娘お駒参詣致し度きと申によつて 其帰り
を待合すれ共未だ下向も致さず 去によつて夜陰に及び伺候致した 先達て書通を以て通ぜしご
とく 中将娘を辰五郎殿へ進上の結納(いひいれ) 付いては両家に伝はる番の鶏をも 取かへ申せと有主人の口
上 御子息にも対面致し納得の御返答も承り 明日帰宅仕らんと事詳かに相述ぬる コレハ/\弥々御息
女を送り下されん固めのお使とは 辰五郎が外聞此母迄いか斗お嬉しう存まする 先お盃か銚子を
アゝいや/\お構御無用 辰五郎殿のお目にかゝり其上 何か申合さんと心をせく程に小庵は気の毒 辰五郎
義は用事に付 ハア他行でもなされたか イヤ迎に人を遣はしたれば モウ追付宗兵衛 ハイと返事も


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不肖/\゛乗物につく松兵衛が 追付兼てすた/\息杖ちんから爰じやと舁すゆれば 宗兵衛庭へとん
きよ声 何で隙を入てきたサア/\是へと立寄ば イヤコレめつたに叱らしやんな 何が大騒の最中 いぬ事はいや
/\とおつしやつたれど 大切なお客と思ひお帰りなふては済ませぬと むりに乗せまして戻つたと いふも互に
手をかけて一度に明ける乗物に 前髪鬘(かづら)江戸彩色 見かはす顔は逆沢瀉 鎧腹巻りゝしくも
矢の根五郎の辰五郎 足ふんぞらしめれん声 けふは五月廿八日 親の敵工藤を討取る力だめし 草摺
の相手は朝比奈 あづまはどこに居るぞいやい 朝比奈が役じやないか 噲助はどこにおる そこらにい
ほる木瓜(もつかう)出せと 口合やらたはいやら和田酒盛を持かけて 興を覚まさすしかけとは しらぬ小庵も使者

の前消も入たき思ひなり 宗兵衛態と気の毒顔 松兵衛も松兵衛 いかに酔てござる迚興がつた此姿
三太夫様の手前お笑止に存ます アゝいや/\笑止なとはそりや他門の事 結納の使者に参れば中将
殿とは早一家の中 隔心(きやくしん)がましい何御遠慮 京都とは違ふて大坂は繁華の地 殊に遊所は諸人の付合
淀屋共いはるゝ分限者 人の得せぬ遊興は致されたがよいてや なふ御母公 暫く休息なされたら御酒
の酔も醒ませふ 御家来同前の三太夫必心おかれなと 座席を繕ふ客ぶりに 二人の手代も口あん
ごり マア/\奥でお休と腰をかゝへつ手を取やら 乗物傍(かたへ)に直させて小庵も供に入折から 嬪が手を
ついて 申/\三太夫様に御用有て 野田権蔵様とやらが只今是へといふ内に 奴が死骸を戸板に


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舁かせ のさ/\入くる野田権蔵 三太夫殿是にと聞き 連参つた身が家来諸平といふ者 ヲゝ子細御存な
くば驚き尤 今日住吉の浜辺において 息女お駒殿があのごとくにかけめされた 身も武士でござれば
此儘にお指置かれず 大法の通りげし入を申受ふと存参つた 御返答承らんとにちかけて お駒を儕が手
に入れる工としらぬ三太夫 子細承つて安堵致した 併まだ下向致さぬ娘 帰り次第詮議を遂んと
いふ所へ 若党甚内立帰り お旦那是にと承りお駒様御下向に候故 直様御供申せしと案内に連て
入来る嬪婢が立かゝり乗物の戸口押明くれば 留木が薫る襠の裾八もんじも千鳥足 姿ははでにしどけなし
コリヤ/\お駒早速といふ あれなる諸平とやらんを何故に殺せしと いひつゝ顔を コリヤ違ふたと軻る中 あづ

まは辺を見廻して ホゝゝもふ雨はやんだかへ 雷はわしやいや/\/\と 舟の着迄も一つお上り 又おさへかへ わたしやモウ/\
最上川 いなにはあらぬいな舟の傾くあづまが酒機嫌 噲助主/\ 金弥/\と呼声の跡はころりと
たはひなし 三太夫二度恟り コリヤどふじやお駒はどふしたと いふに気の付く若党甚内 とつくと眺
てほんに違つた イヤ申今日住吉の濱前(さき) 御寮人様と此女中とお出合有て お帰りは川御座の同船
我々は新町橋へ迎にこよと御意なされ 乗物持せ待折しも 大雨やら雷最中 舟が着やら日
暮やら 召ました裲を目印に乗せましたと存たが 扨は御寮人様は新町へと 聞て権蔵高笑ひ
ハゝゝ歴々といはれた淀屋の住宅 いつの間にやら揚屋に成たと 嘲る詞に三太夫 此女は捨置て


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お駒を早く迎へてこい急げ/\ ナイ/\/\と足をはかりに走り行 程もあらせず廓の噲助 籠に引添ひ高
調子 コレハ/\太夫主(す)は爰にじや/\ サア/\素(しら)と粋(すい)との受取渡し サア出やしやませと明くる戸に ヤア父上も
爰にじやと 出るお駒がコレハ/\あづま様も爰によふ寝てじや 一人お目の覚る迄寝さしまして下さんせ
何が扨大尽様の内といひ 我等もけふは大草臥 勝手でちつと休みましよ よい時分におしらせとかご
引連て入庭前 お駒は戸板怪しみながらしらぬふりして座に直る コリヤ/\娘 夫なる権蔵殿の家来
をそちが手にかけたと有 覚えがあらば様子をいへさ アイけふ御田の帰りがけ 此あづま様とお近付に成なして
互に心を打とけて あつちの事もわたしが事も打明し あのゝ物のをしみ/\゛とお咄し申折も折 あの者が

無体の狼藉 おどしの為の長刀が急所に当るは此身の不運 まだそこらに仁体な侍が 顔を隠してホゝゝ
侍の娘が手ざしに合い どふ堪忍が成ませふ 相手が死る上からは覚悟は極ておりまする 殊に此身は安
次郎様に去れたりや いきている程恥の恥 先立不孝は赦してと 父が刀に手をかくる 権蔵分け入押留どめ
こなたが今死だ迚諸平が命生きるでも有まい ノウ三太夫殿 命を助けてげし人に貰たいと申は詞の謎
高は拙者が女房に アいや/\そふ成まい トハなぜ/\ サレバサ 一旦安立安次郎へ契約したれ共 子細有て他出
の間 立帰る迄預るとの一言 スリヤお駒は殺す事も やる事もならぬといふのか ソリヤ了簡が違ひ申 此
方は家来が敵解死人(げしにん)は大法 是非受とらねばならぬお駒 死からだを貰ふより 作り立た此器量受


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取が互の為 ノフ舅殿そふでないかと いへどいつかな返答も 始終の様子を宗兵衛がとつくと聞てずつ
と出 コリヤ諸平殿かと立寄て ヤア両手の脉がモウ上つた 権蔵様コリヤげしにんを取らしやませにや成
まい 笑止な事が出来ました ガこちの庭へ持かけては迷惑じや 早ふ埒をなされませ ヲゝサ望かゝつた
お駒返事はどふじや アイ返事はかふでござんすと 父が刀を抜放せば其手をとゞむる親子が争ひ
ふつとあづまが目も酒もさめて驚く此場の時宜 ヤアお駒様コリヤどふじやへ 何故に死のじやへと 抱
とむればさればいな 訳を咄せば長い事 どふでも生きては居られませぬ とめずと殺して/\と いふにあづま
もおろ/\涙 折角心を明かし合姉妹の盃して お前の心にあやかる様にと取かへて着た此裲 サイナ わたしも

又あづま様の悋気妬みもない心を あやからして下さんせと此様に裲を 無心申て着ていた故 暗(くらが)り
では有雨はふる雷がこはいやら 思はずしらず取ちがへ わしや廓とやらへいきました ほんにそふでござんせう
わたしも爰へ来た事も酒(さゝ)に酔てしらなんだ わたしも お前も此あづまが裲を召た故 取違へたもお
互に心と心が合たのか サア申恥しいあづま様 君傾城といふ者はうはべ斗を着錺て 殿御をだますの
何のとて世の噂には引かへて 辰五郎様への深切さ ほんに女ゴのよい手本 此裲を此儘に お姫様へ土産にして
お前の噂せふ物と 楽しんで居た物が思ひ寄ぬ災難で わしや今爰で死はいのふ とゝ様跡で此通姫
君様へ伝へてたべ 死る身はいとはね共残り多いあづま様 たつた一人のとゝ様と折角こがれた安次郎様 お顔


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も見ずに別れるのが悲しいわきのと伏転び 嘆はあづまもむせひ入 今別るゝとしるならばけふの仰はせま
い物 ひよんな事が出来ましたと 誠々を明し合つたふ涙は縫箔の 模様に付し草花に梅雨置き染
る風情也 襖隔て辰五郎母の小庵も心根を思ひやりたる友涙 黙して居たる三太夫思案極て
立上り 左程覚悟極たからは此親が手にかけると 刀するりと抜放せば マア/\待てととゞむるあづま
イヤ/\放せとせり合あいの廊下口 三太夫殿暫くと声をかけてつつと寄 持たる刀をむれば ヤアこな
たは安立 ほんにお前は安次郎様 爰にはどふしてござんした おまめな顔見て嬉しやと 悦ぶお駒に目
もやらず 久しう候三太夫殿 一別以来捜せ共いまだ廻り逢ざる故 此奥座敷に逗留し 子細

残らず承知せり 先々刀を納られよと ちつ共動ぜぬ其有様 権蔵はせゝら笑いひ ハゝゝゝ宿なしの素浪
人何をしつて げしにんのお駒が命首にして受取と 刀抜手を扇でおさへ 最前よりの様子委しく承つた
僅の疵に命を失ふ御家来 武士の禄を食(はみ)ながら 兵法不鍛錬の誤りから命を落す是一口 一つに
は女に手をさす誤り いつれの道にも死損/\ 死骸を持ておいきやれと いはれてちつ共ひつまぬ権蔵 ヤア
四も五も入ぬお駒こちへと引立るを コハ狼藉と安次郎刀抜持りう/\/\ 打すへられて真倒(まつさかさま)庭へ
どつさりころ/\/\ コリヤどふしやると宗兵衛が 立寄る腕首しめ上られアイタゝゝ ハテばた/\羽たゝきせま
い 身も此内におあくまはれ 恩有る淀屋の庭前に見苦しきあの死骸 われよりは先お手代殿無


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難に事を納る筈 イヤハヤ麁相千万と 嘲りながら突飛し庭におり立戸板を見廻し ハテでつくり太
つたよい肉(しゝ)合 げしにんをとらるゝからは相手にとゞめをさいたがよい 身も敵に出合刀ためし こやつが體を
胴切にと 持たる刀をふり上れば アゝ申/\まだ死は致しませぬ モウ/\去とは術ないめに逢ました次
手に白状致しませう コリヤわれが死人(びと)に成ていくと げしにんにはお駒女郎を連ていんで抱て寝ると い
かにわがうまい事せうてゝ 人にはこんな難儀をかけ すつてに胴切にあはふとした そして手足の脉をとめ
るといふてコレ此様にと 両肌ぬげば毛綿(もめん)でぐる/\ 人のからだを手まりか何ぞの様に アゝ苦しや/\ ヤレ/\
こはやと身をちゞめ あぶない命助つたも 甘露をねぶつた奇特じやと嬉しい余りのへらず口 庭にまし

くし権蔵が痛みさすつて起上れど 筋骨がつくり足よろ/\ 刀を杖にしつみ顔 諸平は笑止がり 其足
元ではあゆまれまい 幸おれが乗て来たいにがけの此戸板 是に乗ていにましよと 後からかゝへ乗 おら
が乗てきた戸板にお前様を乗せていぬるとは しつかい遣ひ物持て来て ためを貰ふていぬ様なと つぶ
やく内噲助が 出合頭にコリヤどふじや どふといふたら此体じや 門口迄頼ます ム舁てくれといふ事か
と じつと持上コリヤいかぬぞ エゝかうせふはい おれが木やりの拍子で引しやれ ヲゝサ合点と諸平が 引ず
る跡から サアやるぞ 哀なるかな侍様へ ナアントカ/\ エゝ間の悪いわろじや 嬶をとろとて腰打おられ ヨイ/\ヨイ/\ヨイアリヤリヤ
コリヤ/\ハア何のこつちやとひいて行 跡を見やりて人々も笑ひを催す其所へ 小庵も奥より立出て 安


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次郎様のお世話故何事なう済まして 大事のお使者のお駒様委細の事はマア奥で 珎らしいはあ
づま殿 有やうは今迄恨ていたが 先程二人の深切は残らず聞て泣て居ました 此後迚も大切に辰
五郎が事頼むぞや 幸辰五郎も奥に居る お駒様連ましてわしが隠居も見て下され アイ
そんなら左様お駒様 マアお前からサア/\と二人打連入にけり 宗兵衛がさはいして 三太夫様にもお待
遠 此上は宝の鶏 お引かへ申さましましよと立上り 申/\辰五郎様箱を早くといふ内に こなたも家
来に持せたる一つの箱を恭々しく 衣服改め辰五郎 目通に直し置 三太夫座を改め持参の
箱の蓋取て 巾紗(ふくさ)に包む金の雌(めんどり)押ならべ 抑此番の鶏といつぱ 其濫觴を尋るに 天竺の

月蓋(くはつかい)長者仏に三世の誓をこめ 弥陀三尊の尊容を鋳奉る 其余る所に黄金を以て雌雄(めとりおとり)
の二つを鋳させ 鳥仏師が作と号(なづけ)長者夫婦が秘蔵とかや 此鶏のふしぎといふは金の最上 印子(いんす)を
以て作りし故人の善悪怪しみをしらす事第一の奇特と聞く いつの頃か日本に渡り 太閤久吉公の
宝と成 文禄年中此家の先祖与茂四郎殿 伏見の城において人に勝れし功有しを 久吉公御
感の余り雄(おどり)の方を下されたり 中将家には代々雌(めどり)を所持せられ 此度の縁辺に取かはすべき主
人が望 雄の箱を改め只今引かへ申べしと 指図に随ひ蓋取て 開く巾紗のコハいかにずつしり重いは扛秤(ちぎ)
の錘(おもり)鶏がないコリヤどふじやと 驚騒ぎ辰五郎小庵も恟り人々も 口を明いたる箱の内忙(あきれ)て暫し詞も


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なし 宗兵衛がけてん顔 サア/\大事がおこつたと いふに噲助申/\其鶏は慥に見たと 聞て宗兵衛そりや
どこで サア見た所は住吉の松の中 エゝ何をきよろ/\ 大切な鶏が松原に有てよい物か ハテ跡を聞しや
ませ 辰様のお供して難波やでの居続け 二日酔の術なさに 松の中の燈籠の台石を枕にして
寝る共なしにねた内に 私が人魂がついと飛であるいたげな 夢の内に金の山へ登る/\と思ふたりや
そふではなふて金の鶏でござりました 傍に居た蜘助めが ゆすり起してかう/\じやと彼人魂の咒(まじない)
歌 其中(うち)に夜が明けて難波屋へいにましたと いふに皆々シテ其跡はいつ頃の事で有しぞ アイけさの事でご
ざります どふやら余りうまい夢 何でも今(ま)一度いて見よと寝ていた所へいて見れば 石燈篭の

つい際の砂の中に書た物是見やしやませと 紙入から取出すは合羽の破れ 辰五郎手に取て何やら書て
と押ひらき 何々金の鶏 当住吉の土中より堀出し候故 暫く借用致し候以上 持主殿へ預り置 書き判迄 コリヤ
どふじやと又恟りを重ける 宗兵衛も忙た顔 噲助出かした 何でも詮議のよい手がゝり したが余り外でも
有まい 得知れぬ者が此内へ入込で物ほしい儘には イヤモウ活き者に油断がならぬと耳こすり 安次郎は最
前より諸手を組でひかへしが ハゝゝ身も浪人の掛り人疑ひも尤ながら 今あの者が詞には今朝の事といふ
此安次郎けさに限り他出致した覚もなし 明日は此家を出立と思へ共 疑ひ受ては気の毒と 有合ふ
硯引寄て 合羽の書面の文言をさら/\と書写し 辰五郎殿是見られよ 此書面は老筆と見へ申せば


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お疑ひは晴ませう 併二腰を帯する身が疑受け此儘にも済まされず 此書面を目印に雲の裏水の底迄
も詮議して 追付吉左右(きつさう)おしらせ申そふ 此間の心づかひ過分/\と合羽をたゝんで懐中し立上れば 辰五郎
暫しととゞめ お望有る身の御出立どゞめ申も本意にあらず せめて路金の用意をと 母の小庵が立んと
するを宗兵衛はかぶりふり おやしき方の御用達いつ何時も知れませぬ 有余つて有る金でも 敵尋に出る
人に いつ戻ろやら知れもせぬ費えな役には アゝいや/\お心ざしは千倍/\ かたのごとく用意も有れは申受た同然
忝しと一礼のべ ナフ三太夫殿 聞捨がたきは御縁辺 鶏の有り家知る迄暫の日延べは いかにも/\ 其義は我
々よい様に 主人の手前は計ひ申気遣有な ハそれ承れば身も安堵 したが古人の詞にも牝鶏(ひんけい)あし

たする時は必家に災と ナ獅子身中に大毒有 辰五郎殿随分心を付けられよと 宗兵衛を尻目に
かけ庭へおりしも奥の間に お駒が聞付け走り出 わたしも一所に行たいとしたふ涙を三太夫 なだめすかして制す
る中 小庵はあづまを呼出して夜明ぬ内に新町へ返す/\゛も中よふして アイ/\/\お前も随分おわもじなふ
お駒様おさらばへ あづま様いなしやんすか 又の逢瀬はいつか又名残おしやと引とめる 袖の留木のkほよ花
姿もにたり花あやめ 互に心置土産さらば/\の暇乞點く中を噲助が 駕(かご)を呼寄打乗て 跡に
引添ひ急ぎ行 心静に安次郎 早お暇と立出る三太夫呼返し 親父安立安龍の 敵討の門出に餞別
せんと声をかけ はつしと打たる手裏剣の 小柄を扇に受留ながら コリヤ某に意趣有てか イヤ/\其手際


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を見やう為 小栗判官兼氏の忠臣 大星殿の剣術の 奥義を受たる扇の気転 打かけし小柄こそ後藤祐
乗(じよ)が千疋猪(せんびきじし) 来(らい)国次(つぐ)の其刀 心覚への折紙付き路金の用意 ハゝ三太湯殿お志礼には及ぬ早ござれ
                             おさらば/\と別れ行