仮想空間

趣味の変体仮名

難波丸金鶏 第四・第五

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃データベース イ14-00002-604


79(左頁)
   第四 伏見京橋の段
伏見より都に通ふ京橋や 髪結床も西東立別れたる暖簾(のふれん)に ひいき/\゛の紋所 豊といふ字を染込し
座の主(あるじ)は三右衛門るすを預る砂川の 新七が身の置所 業も剃刀の刃を渡るよりあぢきなき 床に
は大坂豊竹の初日の噂取々に 京川東の連中が幟を持て下りがけ 舟を待つ間の高咄 ナント新七 今度のかはり
を当さしたいのふ 嘸三右衛門は機嫌で有ふ イヤモウ機嫌の段じやござりませぬ 夫故今夜の夜舟を待ずにけさ
陸を下られました 大方大江橋の伝兵衛殿と一所に行積(つもり)でござりませう 是は厳しいえらい/\ 大坂は一面に
ひいき連中が多いげな おれも豊竹忠兵衛といふて川東でのひいき組 幟持て下る故 どふぞあした道頓堀へ


80
夜の明けぬ先乗込たいが イヤモウ一番舟なら能かげんでござりませう 何と近年東は当り目が多いじやござりませぬか
ム扨は貴様もひいきじやの コリヤ咄せるとひいき口 向ひの床が西びいき皆口々に寄たかり アレ見い東の芝居へ幟を持
ていきおる けたいじや/\何ぼばた/\しおつても道具は筑後にや叶はぬと いふに忠兵衛が 道具とは何じや/\ 近年では
あいごの山の段 ちよん/\と拍子木打とぶたいが一めんに手摺に成た何ときついか ハゝゝゝこちの東の信仰記 金閣寺アノ
大さうな三がい造り せり上りせり下げ 桟敷の勾欄へ提燈と籏が一めんに出た所 サアぐつとでもいふて見い イヤ置てくれ
置上れ たゝめ/\と立騒ぎ わいや/\は大入の木戸口見るがごとく也 新七中に分入て両方から水かけ論にいふてはいつ
迄も果しがない 是の三右衛門は人にしられた東びいき るすの内といひ爰は我等が貰ます 元東西は水波のごとく

ひいきは芝居の花なれば御ひいきがなふては立ちませぬ シタガ申 能といふ時には御連中がなふても街中が引かしやり
ます 御連中といふ物は ちつとめてな時に見てやかしやるが本の御ひいき 又太夫操(あやつり)方も 東西凌ぎを削り精を
出すも御ひいきを受ふ為 えこひいきのない証拠は竹豊故事と申す本に 東西残らず夫々のほうびを仕分て
ござります アノ書物が評判の鏡でござります とかく狂言のはづむ時は幕引迄が上手に見へる 又不評判な時に
は花やかな場もめいる様に聞へる物で とんと善悪は時のでき物 したが近年は御見物がめい人でも 大がいではお気に入
ぬ故いかふあんじにくいと申ます とにかく芝居は東西共 立ふとふせうと町中様次第なれば まんべんに御ひいきを
なさるゝがよさそふに存ます 拙者が公事(くじ)の捌き方あら/\斯の通りじやと 口から出次第云廻せば 両方手を打


81
是は尤 アゝ新七は物しりじや 自今(じごん)は互に別懇にと いづれも中能辞儀会釈 サア/\こちらは大坂下り 舟
いそがふと身拵へ ソレ/\幟大事にせい 曲持して瓦落すな 皆こい/\と立出れば こちらも一遍問屋中 廻つてこふ
と西びいき打連 てこそ立帰る 跡に新七大あくび ヤレ/\ほつと気上つたと 見やる向ふへ新松が とゝ様昼飯持
てきた ヲゝ寒いのによふきたなァ ドリヤ茶をわかそと手を引て親子臥猪(ふすい)の床の内 のれん押上入る跡へ うか
れ出る難波都に隠なき其名も塩の長次郎が 身に踏む塩の荷(にな)ひ売 おてゝこてん/\すてゝこおてゝこおてゝこ
てん 殿御の心と同じ事 ちるかと思へば咲のが早い おてゝこてん/\すてゝこおてゝこおてゝこてん きよとい物じや ヲイ/\と
呼声は所で名うてのいがみ者 火皿の頭(づ)六が蚤取眼 ヤイ馬盗人の長次郎 今呑あがつた馬戻せ 戻あが

れとねちかゝれば 是はいかな事 其馬は呑で見いと呑しておいて よふ思ふて見さんせ いかな女中ても呑込まぬ アノ大きな
馬をからだぐち呑事じや 大てい息のはづんだ事か 夫でわしはアノナ口に疵をしましたはいの ヤアちよぼくるな/\ 戻し上
らにやえらいぞよと 荷を引戻し争ふ所へ 新七立出押隔て コレ兄者人おとなげない何でこんすぞいの イヤさつきにあち
ら町で品玉取て 小刀や茶碗を呑で見せたれば 此馬呑そのんで見いとむりやりに呑して置て 今又戻せと
むりいはるゝ サア呑したは呑したが あの馬は三十貫で買はれた親方の馬じや あれがなふては口がひやがる われおこ
さぬと家主へ断るぞよ イヤ頭六殿そりやわるい こなたが合点で呑しておいて そふ権柄にいはずと詫言して貰
じやれ イヤ何のあいつに詫言せふ シタガ呑したおれも悪い 貴様挨拶して貰ふてもたも おりや豊後屋へ送り荷を


82
聞てこふ そんならよごんす跡でわしが能様にしてやりませふ そんなら頼む あたけたいな あたぶぼ悪いとぼやき立て
橋向ひへと急ぎ行 こな様もよいかげんに戻してやつたがよいわいの イヤサあんまり口が過た故 夫でぐつと呑でこました
ほんぼにこな様呑んしたが ハテそこが長次郎が飯綱(いづな)の法 何といよといか/\ きよとい序に兄者人 大坂の沙汰はどふ
でごんす 思ひ出すと胸もはりさけ 湯水も咽へ通りませぬと打しほるれば イヤモウ方々で聞合すが 宗兵衛
始悪者共は牢舎をしたといふ事斗で 委い様子はとんと知れぬ けふは師走の廿五日 モウ落着が有そふな
物じや ハテよいはいの きな/\思ふて煩ふたら何と仕やる 随分息災で居て 辰五郎様の御せんど見届るが肝心
じや アゝ気の弱いわろでは有 ヤアどれ/\塩の誂へを持て向側迄いかにやならぬ やつとこせふと荷をかたげ コレ坊主

め連て早ふ戻りや アイいてごんせと口軽にいふもしんみの兄弟中 思ひを胸に別れ行 見やる日脚(あし)も八つ下 かご
を舁せていつきせき京の肝煎仏市兵衛 おつと待てとかご立てさせ 三右衛門殿一つして貰ふかい ハイ親方はけふ休
まれましたが 私でもだんなかなされませ サア急に大坂へ下るがあんまりばらつく一つたばねて貰たい サアはいらんせ
と床の内 髪結かゝる世話咄し 大坂はどこへござんす イヤアノ堀江へ 嶋原から仕替の奉公人が有て ハテナア大方其
しかへも虫が付てといふ様なこつちや有ふ そんな事ならえいはいの 此夏嶋原の親方が 安い物じやといふて大坂で
抱へてわせたが アゝきついどうみやくじや 突出しから十日も働かぬ間に ぶら/\病(やまひ)で果ぬ故 夫でしかへにやりま
すと 聞もどふやら心がゝり 其女郎衆の年ばいは 大方廿五六でも有ふか 世帯崩れで有たげな アゝ労咳


83
ならねばよいがと いふより胸にきつくりと若し女房のおつるかと 案じる内に表なるかごの内より手をたゝき 誰かごの
衆湯があらば一つほしいと 聞て新七是幸と コリヤ新松よ ソレ其土瓶ぐちかごの女中へ持ていて進ぜ アイこりや
重たいと いひつゝ茶碗を持添て行も親子の縁と縁 かご押明けてヤアかゝ様といふ口を袖でおさへて抱しめ かはい
や爰へどふしてと胸の思ひを目に忍び テモよい子やといふ声が 漏聞ゆれば新七が是はと櫛で頭くはつしり
アイタゝゝこりや何とするぞい アゝ是は/\ 根をかためふと思ふてすつてに櫛を 御免/\と紛らかし根取にかゝる其中も
我ぞとかごへしらせの詞 ホンニまあふしぎな縁で思ひも寄ぬナア申 こな様の髪をわしが結ふのもふしぎな縁
じやござんせぬか アゝそんな物かい こちらが商売は猶縁づく 始の親方で気に入らいでも しかへにやれば思ひの外

先で繁盛するが何ぼもござる あの奉公人も大坂で有付てくればよござるてや イヤ申 何とあの奉公人を
撞木町へやらんせぬかい 廿五六な弱々しい 涙もろい女郎が有なら世話やいてくれいと常々の頼じやが 何とそこ
へ向きそふな むく共/\さいくつきやう 痩きずで弱々しい其涙もろさといふ事は朝から晩迄泣通し 割符の注文
じや 貴様世話してくれぬかい ソリヤモウ口銭の取れる事 そんなら私に預さんせ 一両日の内に有付けてやりませふ 夫は
逢たり叶ふたり 大坂迄連ていきや 飯代(はんだい)の舟賃のとよつほどのしつきやく そんなら貴様に預ましよ シタガ
貴様の所はどこじや わしは砂川の長次郎が弟の新七といひます いかにも砂川の団(うちは)屋の東隣 そんなら貴様
世話にして売立てて下され ヤレ/\嬉しや ざつと済だと表へ出てこれ/\ 聞しやる通あの人の世話で撞


84
木町へ入込筈 こなたも大坂は顔もさそふし 幸な勤め所 聞日前に来て逢ましよ サア/\かごの衆大義
ながら出戻りじやと いそ/\すれはおつるも嬉しく なじみもないにいかいお世話 かごの衆休んで下さんせ 余
所に取なす挨拶もしらぬが仏の市兵衛は そんなら新七頼ます 気も空蝉のからかごをかゝせて京へ立
帰る 跡に二人が夢心 新七様か おつるかと はつと斗に抱付き 泣入/\引しめて暫し涙に詞なき さつきにからかご
の傍であの子にほつ/\聞ましたが 今はおまへも兄御と一所に砂川にござるとやら そふいふ事なら文で成り
と なぜ便りして下んせぬ イヤモウかふいふ難儀の身の上 そなたにしらして苦にさすが気の毒さに イヤ申夫は
そふと悲しいは其お姿 上張(うはばり)に腰巻帯 夫が淀屋の新七様の形(なり)かいのふ 見ればお顔もしよげ/\と いか

い苦労をさしやんすそふな コレ新松 嬶が居なんで淋しかつたか アイわしや毎日戻らんすかと門見て斗居
ましたはいなふ モウ今度から灸(やいと)も据よふし悪い事もしよまい程に どつこへもいて下んすな 夜は寝る時淋し
いはいのふ ヲゝそふであろかはいや/\ モウどつこへもいきやせぬぞや 何と是が片時も此子に別れて居られふ
かいなァ コレおつる 何にもしらずにあれを聞きや そなたのいきやつた其晩はおれも夢やら現やら 夜が明てから
の其淋しさ 此かゝ様はどこへやつたと坊主めはせがみおる 針箱や箪笥が目にかゝると やつはり内にいる様
で 何ぞのはづみにはおつる/\と名を呼だのも幾度か 夫から段々おもやの騒動 夫故夏から坊主を連て
砂川の兄貴の内へ掛り人(ど) 何を渡世のすべもしらねば思い付た此髪結 そなた迄に苦労させ あげく


85
の果に其病気 食はくやるか気色はどふじや テモまあきつうやしやつたのふ イヤモウ痩いで何としませふ 嶋
原には新町の一家衆は有故 淀屋のもめの噂取々 夫聞度に私が案じ 老松町へ幾度が文を下せど
有家知れず 若し巻添にお前迄悲しい所へござりはせぬかと けふの今迄も生きた心はなかつたはいなァ 最前思は
ず新松が顔見た時の其嬉しさ 内にはお前の声する飛立様に思へ共 どふした障りが有ふも知れずと見合す
暫しが千時の心 此気じや物どふしてマア 伊達や浮気な色里の勤の中に居られふか 推量してたべ新七様
と 夫(おっと)に寄添ひ子に縋り嬉し涙や溜め涙 わつと一度にむせび入 袖は流れの淀川や車も沈む風情なり
折から表へ走り来るあづまは涙かた息に 跡を見先は爰そふなとかけ込む顔は ヤアあづま様 新七殿かおつる

殿 是はどふして何故と心ならずも尋れば サレバイナア三十郎様のお世話故私が事も首尾よふ済み 御夫婦
は八幡へ御出道迄同道したが わたしら二人は八幡で別れ堤伝ひに来る道で 大勢の馬士(かた)がアレ/\/\う
さんな者じや 淀屋様へ連て行と取巻く所へ 塩売殿が来かゝつて惣々を追ッちらし 京橋の東詰髪結
床へ早ふいけとの指図故 爰迄逃て来ましたと咄も涙の震ひ声 ハレヤレ夫はひやいな事 其塩
売は私が兄貴 爰には暫しも置まされぬ おつるは是からあづま様を連立てまあ砂川へ コリヤ新松
こちの内へ案内せい 早ふ/\とすゝめられ そんなら跡から辰五郎もおこしまして云捨て皆々打連急行
程もあらせず辰五郎はこけつ転びつ走り込 コリヤ若旦那 新七かと いふ間程なく長次郎が跡に火皿は声


86
高に ヤア塩売め待あがれ 己抔が世話やく二人のやつらは辰五郎あづまに極つた 権蔵様に此頭六が
頼まれて居る尋者 引くゝつて連て行きや一廉(かど)の出世するはい ハゝゝ此長次郎が息有内にぴつとでも
さはつて見い ヤア馬盗人のどうずりめ是をくらへと朸(おうこ)追取擲かゝるを引たくり 諸脚(すね)ないで連枷(からさほ)がち
うんと斗に火皿の頭六やにを乱して死てけり ヤアこりやごねた もろいやつと 聞て新七辰五郎も走り出て
仰天し コリヤマア兄貴相手は死ればげしにんが サア/\よいてや騒ぐまい/\と 納屋の下より馬引出せば 二人は驚きこりや
どふじやと いふをも聞ず頭六が死骸鞍にしつかとくゝり付け コリヤ最前おれが呑だ火皿めが馬 飯綱の術
で呑だと見せ納屋下に繋で置た 種がなければ品玉も取れぬ 有るこそ幸 ヲゝそれ/\ 吉田一保(いつほう)

が講釈で聞て来た 彼斎(せい)の桓仲(くはんちう)といふわろが 跡先知れぬ雪道を馬で我家へいんだげな 年頃馴し頭六
が此馬 儕が宿へ連れ行けと 朸ふり上追っ立れば 真一文字にかけ出す こなたも蹴立つる砂煙砂川さしてぞ
 
  深草砂川の段               「いそぎ行
薺(なづな)はやしの俎に向ふ7日は七色の羹(あつもの)祝へば災難もないそ 七瀬の砂川に 渡り兼たる浮世川 辛き塩
屋の長次郎 掛り人(うど)迚二(ふた)女夫 気も春風は吹ながら 暖かならぬ暮し也 新七が妻のおつる 襷裙(まへだれ)取あ
へず コレハ/\お二人ながらお手のきめのあれるに モウよしになされませと 俎直せば イヤナフおつる 是程の事に手が荒
てよい物か 病弱(てよは)いそなたも其様にしほたらと柴薪の干し入 少(ちと)なと役に立かと思ふて ほんに珎らしい


87
所で正月する事じや 来てからモウ十日余りに成けれど八幡から便りもない シタガ三十郎殿のいかいせわ
に成たナフあづま 夫いな 此間から新七殿夫婦の衆に咄して又涙をこぼしましてござんす わしが為に死で下
さつたお十様の中陰 よそは門松のしめ錺のといふけれど 私はやつぱり此様に袂に数珠を放しませぬと 又
思い出す涙声 おつるも供に女の情 そふ思し召すが身の冥加随分御回向なされませ ソレ/\其冥加で思ひ
出した おれも此様に艱難をするはしか アノ新七が陰に成陽(ひなた)に成異見えいたおれが放埒 身に成た新七は
追出し 仇敵の宗兵衛めに欺され 広い大坂にも得居いで 先から先へ世話に成人はといへば勘当仕た
新七が兄貴 親の冥加んは尽果てて 今では新七が冥加によつて此命が続くと思へば 是迄に主顔して

叱た事が恥しい おつる詫言をしてたもと 打しほるればアゝ勿体ない事御意なさる そんな事根葉に持
新七殿じやござりませぬ 此間からも長次郎様の世話助けと 毎日/\京橋の床へけふも助(すけ)にいかれました 夫
はそふとおづま様 どふした事やら長次郎様が物をいはしやると 顔ふつてござりますがかう一所に居る私共
傍から気の毒に存ます マア様子を聞して下さりませ サア其事にはたんと様子が有る事なれど 問ず
とよいわいの アノ長次郎の世話に成ながら物いはぬは よく/\の事が有と推量して下さんせ イヤコレあづま おれ
もすつきり合点がいかぬ 其様にいはれぬといやるからは どふでろくな事じや有まい コレそならに手でもさい
たと いふ様なこつちやないかや イゝエそんな事じやござんせぬ まそつと大それた事がござんす ヤア大それ


88
たとは大ていのこつちやない どふやらおれもむつとが来た 様子はどふじや早ふいや サアわしやとふもいはれぬはい
な イヤそふいやる程聞かにや置かぬと 俄に詞もつのめ立むしやくしや腹を辰五郎 おつるもなまなかいひ
出して悋気にこけ込此場の品 申/\余所の聞へも気の毒な おふたりながらマア奥へ ヲゝいく/\とかい
立て帰る襖もぐはつたひし テモきつい癪の おつる殿見て下んで 何ぞいふとあの様に サアあれもお前が
大切から いて御機嫌をお取なされ ヲゝそふせうと立上り ホンニ此新松はどこへじやへ アイ長次郎様が連て万
才に ムン万才とは アゝイヤ万才を見せる迚連立ていきました ムゝ夫で顔も見ぬ筈 アレせはしいない呼しやん
すととつかは一間へ走り行 おつるはそこら片付けてよつほど日脚も傾た 新松も戻りやる時分 暖かな物

拵へよと 棚からおろす米炊の桶には露の薄しめり 本に長次郎様も留主といひ 打蒔の用意もなし
一向宗の内なれば神棚は元より 正月のかちんさへ置かぬ棚元走り元 マア茶の下と指しくへる もすへの柴に
くゆる火の煙も 細き門口へ新松先へ長次郎万才出立のかけえぼし 鼓ぽん/\内方にござりますか 有
けうがりあら玉や 年立返る戻りかけ ホウこちの内じやと つつとはいれば新松が コレかゝ様 足がつめたいさぶ
かつた 飯(まゝ)喰たいとおど/\震ひ ヲゝ寒kろひもじかろ道理/\と抱しむれば コリヤ/\/\伯父が買てくはした
焼餅まだ腹はえい筈じや おれも一ぱい引かけたりや中々腹は跡へは寄らぬ けふは塩の得意衆へ廻つたりや
テモかはいらしい万才じやと 祝儀もお鏡も米もたんと?(もら)ふて来た ヲゝ夫はでかしやつた/\ 見事よう


89
舞(まや)つたか 舞た段か器用な坊主め アゝ新七やそなたに見せたかつた シテおふたりながら機嫌はよいか 新七も
まだえだろ サア/\祝ふて舞ふかい ヲゝわけもない けさから歩て草臥でござんしよ そして余所えもある
事か めんめの内へ戻つて置てホゝゝ イヤ/\おつるそふじやない 去年の正月は淀屋の内にござつて 嘉例の万
才がめでたい尽し 今年は此深草の侘た所で嘸屈託 そこを思ふてあたな方を祝ひますのじや コリヤ
新松よ 余所で舞た様に合点か あいと點く小万才 伯父は鼓をしやにかまへ 徳若御満彩と
や 君も栄へまします卯月の末の花笠思ひ/\の玉だすきつぼに入て田を植へ 田歌諷ふて植給へ
侍ふ あつちやこつちやこちや/\田歌をうたふて ハツアイヤぞんぶり/\/\/\/\ちよちよんふりちょんぶり/\山田を

植れば蛭が腰じや 腰をふつて 蛭が腰じや 腰をふつて 蛭が腰じや 腰をふつて 蛭が腰じや 腰
をふつて 蛭が腰じや 腰をふつて 田歌をうたふた ハツアイヤエイ ヤア 大和の国のあふぜ餅 ねばい今の江州篠原餅
ねばい/\/\/\/\ いかに聞か早乙女 ヤアハア/\ 打たり舞を見まいな/\正月の始は薺(なづな)太郎が孫ちやくし 鹿
に馬鹿に出立て 大のぶり/\けづらせ はまの毬打(ぎつてう)打上 エイヤツトモ打たりな 打たり舞を見まいな/\
二月はきさらぎ 八幡山の御神事 御かぐらを参らそ 鈴をふつて しやんこ/\ 鈴をふつて しやんこ/\ 鈴をふつて
しやんこ/\ 鈴をふつて しやんこ/\ 鈴をふつて しやんこ/\ 鈴をふつて舞時は 大鼓小鼓 ヤアハアドウ/\と打たりな
打たり舞を見まいな/\ 四月は中の申七社の神の御輿を 舟に乗せ奉り テウサヤサツサ テウサヤ/\/\千歳楽


90
万歳楽 ヤイ/\今日は江州しがの郡(こほり)山王坂本の大祭り 常には打ぬ大太鼓なれ共お家御祈祷御繁
昌の為 一(ひと)拍子しらべて見やうか ズド/\/\/\ッズドドン/\ サツサなもでや サツサなもでや サツサなもでや/\/\ 大太鼓
ズド/\ズドドン/\ サツサズド/\スドドン/\共打たりな 打たり舞を見まいな/\ 八月は駒迎へ まきお出しの荒駒 れん
ぜんあしげにさび羽毛 烏黒の月額 いづみ轡の白みがき がんしとかまして サツサ馬に乗た ハアゝシゝハイ/\シイシハイ/\シイシ
ハイ/\ 腰の鞭追取てかけや行共打たりな 打たり舞を見まいな/\ ヤアハアヤア 十二月は大どし小どしこさん迚
節分の夜にまめを熬(いる)時は 鬼は外福は内 打出の小槌打入て四方に四万の蔵をたて たのしかれ
共祝ふた サア/\めでたい/\ かふ舞た所が取も直さず淀屋のお庭 お手代新七様のおえ様 そこらに盆

があろ並べて下さりませ 盆がたらずば俎でもよござります あなたのお台所の俎は二間四方 大釜
の下を焚く火吹竹も一間余りも有た故 何でもいつかい物を見ては 淀屋殿の杓子じやの 淀屋壁の淀
屋橋のと 名を残された長者殿 庵の咸陽宮も時節到来 コレ心穏お鏡は辰五郎様とあづま様
此三重(かさね)は新七おつる新松 長生(おひさき)を悦ふ長次郎が寸志ずいとすへて下され 扨飯(はん)米も心置ずと コレ
其舛(ます)と桶を爰へ/\と袋の口から桶と桶 一升二升 三つ四つはいつしかに 手品もゆらに計り込む八つ九つ
それ一斗(とう) 何ときついか始末せずと濶塊(くはつくはと)たきや ホウ新松めもころり山椒鼾が出る 冷さぬ様にしてや
りやと いふにおつるがイヤ申 新松斗じやないお前も嘸草臥 少(ちと)横にと挨拶の 半(なかば)にあづまが襖を明 よふ


91
祝ふて共嬉し共長次郎には目もやらず ヲゝ新松はねやうたか 此踏ぬぎやる事はいと 蒲団をきせるたばこ
盆さげて傍(かたへ)に押直る 長次郎手をついて お申あづま様 イヤお大様 今日は七草の寿(ことぶき)御夫婦を祝ひまし
て 少分ながらおちんのお備へ 御機嫌を直され長次郎どふせいとお詞を下されなば 此上もなき
仕合 コレおつる 供にお膝をと 畳に額をさげにける アイ先程も留主の内お詫言を申たりやひよん
な間違で ナ辰五郎様の御機嫌が ホゝ夫は気の毒 私めも申上たい事が海山 殊にけふは奥様母
御様の月こそかはれ御命日 此様なむさい所に置ましお顔を見るも 昔の御縁の尽ぬ印 物おつしやる事
がおいやなら たつた一筆書て成共ナ申 ヲゝ書て見せるに及ぬ 不義者に向つて云出す詞はないはいやい ムゝ

私を不義者とは ヲゝ云出せばかゝ様のお名は出る故夫でいはぬ ムゝかゝ様のお名が出るとおつしやるからは ハアゝ成程/\
一途に思召せばお腹立は尤 申たいとは爰の事 是には段々様子有れ共何をいふ共お聞入は有まい コレおつる そなた
とつくと聞てたも 此長次郎が其昔はアノあづま様の親御 大星由良之助様に仕へし足軽 寺沢吉平と云し
者 御本国開城の後諸家中残らず一党なされ 敵横山を討んとの御企 某も御訴訟申 何とぞ連
判の人数に御加へ下さらば有がたからんと願ひしかば 大星様の仰には 斯連判一味の旁本望を達しなば一人(にん)も
生きては居ぬ 死後に至て判官が家臣共 兼て譜代旧恩の者と思ひしに 敵を討つ人数がたらいで陪臣(またもの)
迄加へたりといはせては 大殿小栗公の霊魂迄の御恥辱 汝忠節をかんじ 連判には加てとらせんガ中々供


92
には叶はぬ 其方が心底の神妙さ 妻のお石娘のお大を預ける 但馬へ送り届けよとのお頼もだしがたく 幸
阿波の十郎兵衛舟が便船にて 国を立しは巳(み)の五月上旬 思はざる難風に出合 名もしらぬ一つの嶋へ吹寄せ
たり ソレ覚てござりませふ お前よりは母御様正気を失ひ給ふ難儀 所で船頭十郎兵衛が申は 舟心に
は陸(くが)へ上り 暫く歩むが薬じやと申故 奥様に我抔が付き舟より上つて御介抱 せめて水を指上んと 辺りを捜
せど一滴の水もなく 漸山奥に分け入 谷の雫を汲み持て帰りし所に奥様は深手の苦しみ なむ三宝
と気も狂乱の様に成 元の礒に走て見ればお前を乗た舟はなし 又立帰つて様子を聞ば十郎兵衛
が所為(しわざ)と斗 急所なれば切れてあへなき御最期 其時の心の内はどの様に有ふと思ふて下さる ソレ悲しい

かお前も泣かしやる まだ跡を聞だ下さりませ お死骸は土中に葬ても寺もなければ何一つお備申物
もなく 私があみだ経や御和讃でお弔ひ申内も心にかゝるはお前の事 につくいは十郎兵衛め ぞふぞし
てい此敵を討ふ/\と思へ共 離れ嶋の事なれば舟の便りは元より 多き物は狐斗 粟や稗を朝夕の粮
として三年余りいる内に 多くの狐に顔見しられ陀尼天の法をば習ふとなしに覚込 飯綱の法にて
漁船に乗移り お国元へいて聞ば大星様には鎌倉にて本意を遂られ 御生害と聞た時は嬉し
いやら悲しいやら 奥様の敵は阿波におると聞て 四国の地を捜せ共行方知れず 此上はお大様を尋なば 十
郎兵衛が有家もしれふと思ひ 此深草へ来てもびたひらなか 何をどふとの身過もしらねば 国元の由(ゆ)


93
縁(かり)を頼 赤穂塩を売してもろても仕付ぬ業 長次郎と名をかへて覚た飯綱とまぜこぜに 一升の
塩も一斗にはかり 町中をあるけ共 長次郎が塩は遣ひおけがない 高い物じやと取々に噂故 春に成て商はなし
ほんに貧すりやどんな万才 ヲゝほんに夫よ 去年の春大坂天神のお旅で 阿波十郎兵衛に出合し
が 新七はたつた一人打擲にあふては居る 雨は車軸しだらでん 弟をいたはる其間に見失た十郎兵衛 大坂に
も居おらぬ故 夫から山科四条の道場 大星様の住ンでござつた所々 お前様を尋るやら敵めを捜すやら
大徳寺から朝野の稲荷狐馬に乗せた様にきよろ/\した長口上 申さねば身の明かり 不義者でない一々
次第 御得心がいきましたかと 我身の上にしむ塩の うき艱難の物語 あづまも扨はと疑ひも目迄

腫れたる涙にて そづとはしらいで此年月 そなたを不義と思ひし故 あかしていへば嬶様のお名をよごすが悲しさ
に 夫レとは得いはず心の内で恨て斗居ました いかい苦労を仕やつたなふ コレ手を合して拝みます こらへて
下され吉平殿 今の咄で何もかも思ひ合する事が有 わしは舟に居た故にかゝ様さいごも何にも知
ぬ浪の上 風に任せて大坂の川口とやらへ舟を着け 十郎兵衛が云事には由良之助は敵を討にいてなれ
ど まだ一年も二年も隙が入 其内には何やかや金が大分入程に 親御へやる金の才覚 おれが云様
にせよといふ わしも年はまだ行す とゝ様の為に成金の才覚 とふぞしてと頼だりや 直に新町へ連
ていて 傾城にやつたはいのふ 今わがみのいやる通 かゝ様さへ殺す大悪人 身の代もとゝ様へは大方やり


94
はしおるまい ナフ吉平 思へば/\情ない とゝ様も同じ刃(やいば)で果給ふ 命日忌日の弔ひもよそになし
たる其罰(ばち)が 報ふて今の難儀かと身をかこちたる憂き涙 おつるもつたふもらひ泣袂を しぼる斗
なり 長次郎は泣ぬ顔 此身の云晴が立たればモウぐはらりと夜か明けた様な ホ夜が明るとモウ日の暮
おつる何ぞ焚(たきや)らぬか あいと以前の桶の内 興さめ顔にコレ申 さつきにたんと有た物が ヲゝ其筈/\ 一升
程有た米 一斗に見せたは此塩の長次郎 ソレ盆に乗た餅も見や ほんに是も皆違ふた サア近江
蕪(かぶら)の一番物 株を放して入て戻つた マア/\祝儀もさつと済だ 只何事も七日七草 内裏様
にも粥を参る日 其蕪を粥柱薺(なづな)の羹(あつもの)早ふたきや アイとおつるが走り元 手桶をさげて水汲

に あづまはおびへる新松をねんねんねこ叩き付け サア吉平も奥へおじや アゝ申/\ 吉平は穴賢(あなかしこ)
やつぱり私は長次郎 ほんにそふじや こなたの忠義の志 主(ぬし)に咄さばお悦び サア私も出た次手 六条様
へもお礼申御法事にも合ました とかく仏法と藁屋の雨は 外へ出ねば知れませぬ 殊勝な咄は
マア奥でと 打連一間へ入相の鐘より心兼合の 角行燈(かくあんどう)もほのぐらき障子の内へぞ伴ひ行
為業(しごと)仕廻て新七が戻る姿も垢付し 木綿の引ぱり両の手を 万才二人が声高に 昨日もけふ
も付込で とつくりと見届た 名も聞て置た長次郎といふ者 万才の衒(かたり)事 国元へ連ていて 法に
行ふ爰へ出せ サア/\申/\ 道々もお詫申通 ちつと様子がござつて イヤサ様子も糸瓜も重ねての見せし


95
め 詫言聞ぬ引出せと わめくも内へ気を兼てやりましては私が顔が 立ぬといふのか こつちは猶顔が
立ぬ 代々御用を勤る大和万才 神道仏道の二(ふた)村から 毎年の正月五日 今年の様に閏が有と十
三人 只の年は十二人 禁中の役を勤る此顔が サアお顔を立ましてんぼ詫言 禁中は公とやら 物事が
和らかに町人も及ぬ 素袍袴にかけえぼし こはばつた手に鼓の鳴り音 イヤはや急用な お結構なと
手を摺り詫れば付き上り 詫言も只はならぬ 詫代出すかナア捻(ねぢ)右衛門 ヲゝ元良(もとろ)兵衛がいふ通 詫代は
銀二枚 アゝ成程詫代で了簡有らば出しませふが只今はどふも イヤ今出さねば了簡せぬ サアそこ
でござります 万才の衒して歩く程の身代 二枚といふ金が有れば何しに贋事致しませふ どふぞ

明朝迄の御了簡 ムゝか様 そんなら今夜は待てやる 明け六つがごんと鳴ると取にくる 捻右衛門こい/\と 肩臂
はつて立帰る 跡を見送る向ふから手桶をさげて ノフこちの人 今のを残らず聞ていた ハテえいわい 内へ入れ
て兄貴の手前 わつぱさつぱも気の毒 一寸遁れにいなした マア/\こちへと夕暮過 戸を引立んとする
所へ 爰じやそふなとずつと入 ホウ新七内にか 是は嶋原の市兵衛殿 よふこそお出とおつるが挨拶 コレお
出所じやござらぬ 京橋で逢た時そちらに口も有やうにいはしやる 連ていんでも病身者 薬よ
鍼よ口が付て廻る上 油元結小遣も取かへねば成ませぬ 預ていんだも勝手づく 万字やからがせが
む故 埒しにきたどふさたしやる ハテどふといふたら病身なあの人 卅両の立て金したら ハテそりやかつて


96
次第 其金が今出ますか 今といふては サそんならやつぱり外へやらねば サア外へやれば今迄に 能い口も聞ふ
けれど 所詮あの弱い人を見ながら イヤほんにそふじや 病者からおこつたしかへ 世話しても談合はできまい
立金さへ出る事なら サアどふであすの朝迄 イヤ/\/\ せり/\とにえ返る親方 一寸も待ぬ/\ コレ/\申 貯(たくはへ)が
有程なら女房売は致さぬ 才覚といふても今夜中 翌(あした)の朝は違ひなふ ムゝよい/\ そんならこなた内義
じやの ハテ男どしの立引き 違ひも有まいあしたこふ 然らば左様急度待ます ヲゝ証文も懐に有ば京へいぬ
る迄もない 今夜は撞木に泊つて 朝早々 さらば/\と出て行 おつるは夫の顔打守り あの人といひさつ
きの万才 朝といふても間のない事 ふぉふぞ用意がござんすかへ ハテ夫を案じる事か おれも去年から

爰へきて 顔見しられた一徳 京橋辺の旦那衆が頼母しをして下さる筈 此身に成て商売こそ
賎しけれ 心は昔の新七 めくさり金の卅両や五十両 売残したアノ錆身の刀 何時ても金になる きな/\
と思やんな まだ顔の色も悪い 坊主が傍でモウ休みや アレ墨染の鐘が鳴る 更けぬ様でもモウ四つ
前 奥にも皆休でか音もせぬ 兄貴にちよつと逢たいが是もねてか アイ昼の草臥大事な
い事ならあしたでも ヲゝそふせう/\ソレ足本の冷ぬ様にコレよふ来て閨を 隔ての一間 別れ入さの宵月
も 傾く枕の添臥に夢と夢とや結ふらん やゝ更渡る灯火の かけさへ細き心から 新七は兼て
より かゝる用意を死出立 麻上下に白無垢の片手に刀右の手に 何か様子は白紙に墨


97
黒々と書置を 竹に挟で携へて 畳の間(あい)に指し足も心静に押直り 妻と我子が寝姿を見
まいとする程目に漏れて 胸迄せぐる苦しさを堪ゆるつらさ憂き涙袖に 余りて見へけるが アゝ迷ふた
り何事も 此書置に残すれば跡で回向を頼ぞと 刀追取衿くつろげ ぐつとさしもの覚悟にも 苦
痛にせまる一声は 妻子が夢共現共 ヤア新七様コリヤ何事 何故に腹切しやんす 訳はどふして/\と縋り
歎けば新松が とゝ様はアレあの様に 葬礼を来て居やしやるが こちの内から葬礼が出るのかや 夫レでかゝ
様も泣しやるか どふやらおれも泣さうなつて目か明れぬ/\と ぐはんぜ泣やら悲しむ声 耳に入てや辰五
郎 あづまも供にあはて出 こりやまあ何故どふしてと 取々いたはる介抱に 新七くるしき目を開き 女房何

をうろたへる 死る子細は其書置 いはれぬ声を立てた故 あなた方のお目を覚させ見苦しい此有様 見せまし
て恥しい アゝコレも叱て益ない事 御免(ゆる)されませ ヲゝ身を揉やんな コレ気を慥にと手に取上 しばたゝく目を押
拭ひ 申訳の為書残す一札 此新七と申者 幼少より御恵みを以て成長(ひとゝなっ)たる御恩のお家 憚りも顧ず御諫
言申上度 阿波十郎兵衛と申者を頼 贋侍を拵へ候事 仮にも上を軽(かろ)しめたる越度(おちど) 其御咎めより
家の騒動と罷成 漂泊の御身となし奉り候 アレ聞たか女房 泣ずとお詫申てくれ アイ/\ わたしじやてゝ
今更何とお詫の仕様が わしよりも長次郎様へ頼で置て下さんせ おこしましてと立上り明る障子の仏間には
灯明かゝげ香くゆらせ りん打かける肩衣に弥陀成仏の此かたは 今に十劫(こう)を経給へり 法身の光(くはう)


98
輪際のなく 新七でがした潔ふ死でくれ 世の盲冥を照す也なむあみだアゝコレ申 お前迄が其様に
ヲゝ此辰五郎が読むからは詫言も入ぬわいの ヲゝそふでござんすと あづまも供に手に取上 漂泊の御身と
なし奉り候 付いてはお家第一の宝 小栗様より拝領有し 照月の掛物を失ひ 何とぞ尋出し再び御手に入
度候へ共 今に有家知ふ申候 御申訳の為と読さして ハツエ是程の事なら死なず共ナフあづま アイ死で宝
が出るかいのふおつる殿 サイナ 早まつた事して下さんしたと 取付き歎ば長次郎 一心不乱になむあみだ仏なむあ
こなたも苦痛の手を合せ 死ぬ先から回向の文 知識長老の引導より来世の土産只老人嬉し
うござる忝い 有がたいは辰五郎様 御介抱を受るに付 思ひ出せし昔さんげ聞てたべ 兄者人も此新七も 元

中国の生れにて手一合も取た武士 故有て親子国を立退き兄貴地平殿は大星家へ奉公 我は親々
諸共に大坂に忍ぶ内 二人の親は病死の跡 十才そこらの我なれば寄方もなき身なりしを 藤田小平次
といふ人に養育せられ役者修行の歌三味線 新部子(べこ)といふ憂艱難つらい物は冬の空 寒声
には橋の霜 二階の窓から顔出して 洗磨(あらひみがき)は芸の道 藤田靱負(ゆきえ)と改て十六の初ぶたい 霜月顔見
世に 座付の口上いふ中も見物の顔見るに付 一人の兄者はどふしてぞ 似た顔もない物かと 親の事迄思ひ出し 俯て
は涙を隠し 泣て斗おりましたはいのふ 其年も暮明けの春 大旦那与茂四郎様お目に入しは御縁と御
縁 大分の金にかへ 此身をお家へ引取て新七と付給ひ 物書き算用算盤の粒一文銭きなか 金


99
銀の出し入迄われに任す大事にせよ 末々には立身させん 辰五郎が事も頼ぞと 御意の詞も遺言
と成上つたる此身の程 お情御恩を忘れ兼 あれでは家の御大事かうては家の為にならぬと 異見の為に
したる事 が却て仇と成たるも若気の一途に跡先へ 心の付ぬ無調法 親兄者人の顔迄が立まいと
思ひ余つて此有様 最期のさまは科人の仕置も同じ心にて 此紙幟の書置が家代々のお位牌へ
せめて此身の言訳ぞや コレ申兄者人 先達は不孝ながら何事もお頼申 何とぞ宝を尋出し 小庵様
辰五郎様 あづま様のお身も納まる様 新松が事おつるが事 頼む/\も息切し 次第によはる深手の苦
痛 ぐはんいしくどく平等絶一切どうほつぼだいしん往生安楽国なむあみだ仏の声諸共 主に忠

義の梓弓 此世の弦は切果たり 皆々わつと泣声に 新松がおろ/\涙 コレとゝ様いのふとゝ様と ゆすれど
かいも亡骸を 見ては泣立ては泣 足摺したるいぢらしさ 伯父も仏間を走出 新松を抱き抱へ 道理じや/\
かゝ様/\と泣したふた母親 戻りやつてから嬉しそふ悦んで居た物が 又てゝ親があのごとく死で行 とかく
親に縁のない者じやなァ かはいや/\ シタガ新七出かした遉は侍の胤じや 立派な死際見事じや/\
いつやら歌舞伎狂言を見た時 アノ坂田藤十郎がナ まつ此様な形で切腹した所 めい人じや 上手じやと
誉(ほむる)も有 泣も有た 其芝居事は外でもないおれが内でおれが弟が立派な切腹 なむあみだ仏/\
御開山の掟には此世から助つて居るとの教なれば 新七は死だのじやない 此世の苦を助つて行のじや 新


100
松も悦べ おつるなきやんな/\ おれはこれ 笑ふて居るはいのと 余所目つかふて泣顔を隠す心は中々に泣より
ぞ猶節なけれ 内の歎に鳥の音も哀催す朝嵐 門口に案内させ 八幡より使として木津三
十郎来つたり 爰明られよと音なふ声 スハ吉左右のしらせぞと悦ぶ中にも悲しむおつる 立て門の戸
押開けば 家来に何か云含めしづ/\と打通り いまだ未明の時分といひ 旁の為体(ていたらく)心得がたしと辺りを
見廻し ヤア/\何新七生害せしな エゝ今一足遅かりし残念/\ 辰五郎殿には我々が便嘸待遠 扨先
悦ばせんはお大殿 お十が首を以て其元が首也と鶏に添へ 辰五郎殿誤りまき一々次第 中将殿へ申せし
かば 早速詮議落着有て 野田権蔵に合体し放埒をすゝめた科のおこりは手代宗兵衛 一味

の者共以上余人 千日寺にて獄門のお仕置 付ては淀屋の家屋敷没収せらるといへ共 元来(もとより)科なき
辰五郎 契約の通り中将殿の息女に娶せ 八幡において二百石の分地を分け近々婚礼取結ばん
と有る間 嬉しくも思はれよ お大殿には願ひに任せ表は立ねと妾分 何か逼迫の折から用意
も有まじ 拵の料黄金(きがね)三百両 是は中将殿のお心付き今日身が屋敷迄 迎ひの乗物持せたり
それ/\と詞の下 はつと舁込む乗物のとしや遅しと立出るは ヤア母人か 小庵様か ヤレなつかしの辰五郎やと
互に手に手を取かはし 有し事共つど/\に いふも語るも嬉しさに先立物は涙なり 三十郎重ねて 三太夫
死後の願ひ お駒共夫婦と成 木津の家相続すれば中将殿にも殊ない悦び 万事悦ばせんと


101
思ひしに 早まりしは新七 さいごの子細は是成かと書置取て読む内も 小庵は分て心根を思ひやり
たり主従の悔み歎きに目も春の夜はほの/\゛と明にけり 鐘を相図に二人の万才 約束の詫言
代 二枚の銀(かね)はサアどふじや 出来ずば長次郎引立ふか どふじや/\の催促半ば市兵衛がいつきせき お
つるの身の代三十両 サア受取ていのかいと 口々わめくも指し当る おつるが当惑長次郎 夕部も夫レと
知たれど弟が身にかへて かばふてくれた志 才覚する内暫くといはせも立ずヤア万才の贋物ね
連ていぬるサアこいと 引立かゝるを三十郎 透さず寄てきゝ腕掴み 右と左に投付られ コリヤどふ
すると起上る 額へばつたり二両の小判 小言いはずと早いなぬか ハイ/\ 二枚の銀に小判で二両エゝ忝い

是がほんの徳若に御万才とへらす口して立帰る イヤそな男はおつるが身の代卅両 ソレ受取れと投
やれば ホイ有がたい 踏れうかとかゞんで居たが 物数いはずに能仕合 アイ証文もお戻しと 数改めて
うちがいの嶋原さして帰りける 人々はつと一礼を アゝいや/\ 何事も是より八幡へ同道せん 急いで用
意と勧むれば お大は願ひと手をつかへ 私は八幡へ行く事 ムゝいやといふは心に入らぬか 辰五郎の妾(てかけ)には アイ何
のいな 夫レは私が望の通り忝ふござんすが 討ねば叶はぬ敵が有 ムゝ其敵とは アイかゝ様を殺したは阿波の
十郎兵衛と申者 何と/\海賊の張本(ちやうぼん) 十郎兵衛はお石殿の敵よね したり/\ 其敵の十郎兵衛
近江の領主に仕へ今の名は麻柄(まがら)一角 まだ幸いの事こそあれ 新七が奪はれし照月の掛物


102
きやつが手より領主へ指上し由夙(ほのめ)に聞く 当十九日お弓の神事 一角が代参にて 其時に其かけ地 改の
為持参の筈 我も迎に出合なば万事手引は指図せn ハゝゝ嬉しや忝やと悦ぶお大長次郎も
進み寄り 我本名は寺沢吉平と申て 大星殿に仕へし足軽なれ共 元来は武士の倅 弟新七がさいご
の願ひ旁 助太刀の御供にと頻(しき)つて頼へは尤々 供は貴辺が心任せ お大殿への餞別には幸の此刀と
死骸の一腰手に取上 血(のり)押拭ひとつくと見 扨こそ/\ 此めいは葵下坂 下り坂の読有迚武家に賞
翫せざれ共 故有て葵の古文字を据かへ 当代に是を用ゆ 儕商人(ばいにん)町の手に触る時は
必其身に祟るといふ 今町人と成たる新七 祟りは眼前アノ切腹 お大殿には又格別 父大星由良

之助殿 普の豫譲か例(ためし)をしたひ 漆をさし炭を呑ん斗 心を砕き義を尽されしは今日本(にっぽん)武士の鏡 其
武名を受伝へ 敵に葵の吉左右めでたし 追て本意を遂られよと 刀を戴きお大に渡し見やる表の
藪垣の 竹をずつぱと切放し 庭に突立コレ/\/\お大殿 漂泊の暫しが中遊女と成た手の内にも 敵に
出合其時はナコレ真剣つくの勝負と勝負 覚有やと諌る詞 アイと猶予も生竹の節をかけて切
放し 是ではいかにと詰寄ば ホゝゝ遖々 皮目を残して切たるは 介錯の作法迄 遉は良男の筐ぞと 仰ぎ立
れば悦ぶ吉平 残りし竹を追取のべ 四十余人が本望の 御供に洩たれ共 一角に出合なば此竹鑓の直ぐ焼
刃 定七殿が横山を突留給ひし吉例は此 吉平が手練に有と 勇立たる主従二人(にん)頼しくも又


103
潔ぎよし 時刻移ちてよしなしと三十郎が裁配に 新七が亡骸を涙と供に辰五郎 母の小庵も取々
にかいて 乗せたる乗物の跡におつるが新松に持す位牌はお真向(まむき)の弥陀の光りは灯火に 焼て捨
たる書置と おつるが手形も残りなく死出の門火と諸共に 消行く露ののべ送り 自力他力本願文 仏の
深草や敵を討に出る門此世を遁て出る門 親子は出世の花門徒 跡を伏見の門送り別れ /\に

  第五 八幡敵討(やはたかたきうち)の段   出て行
雪降れば 木毎に 花ぞ盛りなる 武士八幡に返り咲き木津三十郎が一構へ けふ代参を儲の庭 奴二人が飛石
の 雪かき退けるはき掃除 主三十郎が妻のお駒嬪引連れしとやかに立出て コリヤ/\そち達掃除がよくば

勝手へ行 酒でもたべて休足せよと 下を憐む詞の内 ナイ/\/\と入にける かゝる所へ野田権蔵 奴諸平召連れ
て挨拶もなくのし上れば お駒あ会釈し コレハ/\雪の降のに御苦労に存ます サレバ/\今日は八幡のお弓に付き 主人
しづまの頭殿宿願の事有故 代参として手前に屋敷の新参 麻柄一角上使に罷り立 次手ながら身が主
人の重宝照月のかけ物が家隆(かりう)の直筆に紛れなきや 三十郎殿に御改め頼ん為 今日是へ持参致す 夫
に付右の上使代参済た跡 此館にて御馳走致し度との事 先達て其へお頼故 右上使迎ひの為同道に参
つた サア三十郎殿はどれにござる イヤ只今囲に居られます ドレ呼まして イヤまあ/\お待なされ エゝ此手の暖かな事
はいの 此ぼんじやりやは/\ぼじや/\した此手の内へ コレ/\心尽せし此玉づさ ナナこれさ/\と抱しむるを 突退て状打付け


104
三十郎といふ主有身又してもいやらしい いつぞやのにもこりもせずあたしたゝるい 是は/\お駒様お心づよい いかにもいつぞ
や住吉にて此奴(やっこ)め長刀で?(かたさき)を切れても 膏薬代にもならない あげくは戸板の宰領役 仮令恋なればこ
そ身が旦那が お前様のしなだれ声 此奴ちさめは元朝にも聞ない鶯声 夫レを無下にはお胴欲 奴だまれ
主が主なれば家来迄がイヤ推参 奴だまれ イヤ推参な コレサ/\彼にはおかまひなさいな 一度ならずばモゝちつ
と/\ たつた半分/\としなだれかゝる有様に 持余したる後ろより つつと出たる三十郎衿かみ掴で投退くれば
コレハきつい力じやと 振返つて恟り仰天 庭に奴もうろ/\と穴を尋る斗也 お駒は嬉しくテモよい所へ旦那殿
又しても/\わしにマア/\聞しやんせ イヤ/\奥 今日は御上使おもてなしの為迎ひに参る所 ソレ囲(かこひ)其外花掛物抔も

念を入たがよいぞや イゝエイナアあの権蔵が サア/\はて扨人には目も耳もないと思ふか 何もかも知ている ハテ女といふ
者は おかしい所へちえを廻す物じや訳もない イヤ何権蔵殿 いつの間に是へお出 今日は御上使御馳走の為 貴殿同道
下されいと 先達て頼遣はしたが夫故のお出か 成程左様 ハア今日は残りの雪の雪気色(けしき) ハア何とつめたふ冷る事
ではござらぬか 成程今日は冷ます ヶ様にひへる時は ぼんじりやは/\した手をとらへ 抱付が命でござる ハハア何とござ
るやら イヤ爰にかはつた物が落て有 イヤ夫は 是は其元のか イヤ手前は存せぬ ハテ何じや つれない君様参る こがるゝ
此身より ハテかはつたイヤ女房 お駒 是はそなたに預置く エゝ穢はしい ハテ苦しうない大事にかけて ハテマア預て置と 目で
しらすれば合点して 取納むれば こなたに権蔵底気味悪く うち/\もち/\ イサ権蔵殿 上使迎ひの御案内


105
イサ先つおさきへ いかにも左様 お先へ参ると肩臂いからし歩で見ても後かみ 今の状をとふり返れば コレサ野田殿
先お出 然らばお先へ参りますと 行け供跡へふり返り 夢に砂道行ごとく 奴参れも底気味悪く 三十郎に追
立られて出て行 跡見送りてお駒は文を取出し 憎いとは思へ共上使の取持ち我夫の 了簡はいかゞぞと案じ煩ひ居る
所へ 裏門の方ほりも奴諸平が声として 合点のいかぬ非人め サア出しおらぬか/\ アイ/\/\お赦されて下されませと
迎出る女の其姿 簑に體をひつ包み顔押隠す頬かぶり 庭先うろつく有様は 塒放(はな)るゝ山鳥の猟師におは
れしごとくなり ヤア御赦されいとはうろん者 其隠した物是へ出せ 出しおらぬか イヤ何にも覚へはござりませぬ ヤア
まだあらがふかどう乞食め 但は手をかけ引出そふか イタコリヤ/\諸平こは高なが夫レは何者 イヤ只今旦那権蔵様

のお供に後参る所 お屋敷の中門におる此非人め 何とやら合点の行ぬ頬がまへと 気を付けますれば簑の下には
刃物を所持しておりまする 夫故の詮議でこはります ハテ非人の身として刃物を所持するとは合点の行ぬ
サア出しおらぬか イエ/\左様な者ではござりませぬ 出さねば儕と立かゝるを すらりとぬいたる刀の電光 ハツト
諸平跡すされば 簑かなぐつてつつと付け寄り 隠さるゝたけはと隠しますれど お目立まする上は是非に及ぬ
成程刀でござりまする トレ其刀は イヤそれから御らふじませ 葵文字の下(しも)坂 二つ胴に敷腕 すんどよく
切ますでござんすると詰よする お駒は声かけ コリヤ/\非人の女是へ参れ ハアお久しやお駒様 イヤこりや/\
非人 ういに一目も見ぬ非人見苦しい 必麁相をいふまいぞ ハイ御用がござりまするかな コリヤ非人 女の身とし


106
て此屋敷へ忍び込 内庭を徘徊するは咎る筈 何故にこの屋敷の内庭にさまよふぞ アイ敵 イヤア何と
アノ此刀か買て貰ひたさに ムウ其刀をや 三十郎様は上使お迎ひのお留主とやら 其奥方様を頼まして
御上使様に此刀を買ふて貰ひたさに ムウ御上使は未の刻に此屋敷へ八幡より御代参のお下り 其御上使へか
成程左様でござりますると 人目を包む互のあしらひ ハゝゝ見れば僅の小脇指 其上所々錆腐りて 血(のり)の
したひしなまくら物 御上使へ売ふとは横道者 ドレ其刃物をと取にかゝれば身をかはし 莫邪か劔も持ち人によ
ると切かゝれは こなたも心得ぬき合せ コリヤ女手向ひかと払へばすかさす打入て 刀の錆は見苦しけれど血汐
に無念のこつたる心は直なる直焼刃 切味が御所望ならばどなた成共となさん成共 切れ兼ぬ此業物 シヤ頤

の過た女めと 払ふて切込強気(がうき)の諸平 たゝみかけて切付るを すかさずお駒がなげの長刀 取より早くあばらをかけ
はらりずんどすくひ切 けさになつたる諸平はもろくも息は絶にけり イヤ申お駒様 人目を包参りしも敵一角は
痣にて顔を隠すよし 実否(じつぷ)を糺さん其為に 夫(おっと)辰五郎殿寺沢吉平付添て 此お館の裏門に忍び居る
敵阿波の十郎兵衛を見出さん為それに此諸平をお前のお手にかけられては ヲゝ大事ない/\ 其諸平を手にかけしは
深い思案 少しも気遣し給ふな 先達て夫三十郎殿の噂に聞 いかにも私が手廻りの嬪に姿をやつし 敵一
角に近寄て肌赦させ 十郎兵衛といふ実否を糺す迄はわたしが嬪マア/\是へと いふにこなたも 間近く寄りし
膝と膝 イヤ申あづま様(さん) 今の売たいとおつしやる刃物は サア是にこそ哀な事の物語 もとは淀屋の新


107
七殿 与茂四郎様より譲受たる葵下坂の脇指 死る今迄辰五郎様を大切に思ひ込だる忠義の最期 其
お内儀のおつる殿も 病中の其上に持病の癪が取詰て 是も其後にあへない最期 孤(みなしご)の新松を長次
郎のだましすかしての介抱 其いぢらしさはいか斗と 聞てお駒も供涙 互にぬるゝ袖袂つもりし 雪もとけぬべし あづま
は重て せめて新七殿の未来の迷ひを晴さすは ナ此刃物で 敵阿波十郎兵衛を シイ声が高い 石の物いふ
世の中トレ其脇指と手に取て 併敵は大丈夫女ゴのおまへ 殊に其様に愁にしづんで居やんすを だますにもなし
と思ひがけなく真ッ此様にと 切てかくれば四寸のひらき 裾を払へばひらりと飛退き手拭ひかけにてはつし
と受け留 コリヤお駒様何とさしやんす サイナ 若し敵がまつかうせば かうおさへて 所をひらいてかう切かけなば まつ此

様にと 畳蹴上て飛のく隙 あづま様遖見事 油断を見すましまつかうと 金の片ざしぬく手も見せず
しゆりけんに うてばかつしりとめたる駒下駄 お駒様此手の内では御奉公成まいかな ヲウしつかりとかゝへたぞ
もはや九つ一間へいて用意/\ エゝ忝い マアござんせ ハア あぢに浦行てりはの色かちるかちらすかあだなる雪を
けふは表につもる雪 おしの毛衣おとりの衣(きぬ)よ 程なく出来る麻柄一角 上使の権柄鼻高く片面隠す
黒あざに 眼玉ぎろつく横柄顔 二人は優々打通り ヤア身が家来諸平は何者が手にかけた 扨は内室
お駒殿 見れば刀をさげられしは 御辺が手にかけられしか 家来の敵遁さぬぞ ヤア早まられな子細ぞあ
らん 女房何と アイ子細と申は 不義云かけし慮外者故手討に致しました 何々不義云かけた 其証拠は


108
何と/\ サア申旦那殿 是を披見なされませ ドレ 何々つれない君様こがるゝ此身 つれないとは一人旅 こがるゝ此身は
蜜柑か柑子(かうじ)か ドレ中を拝見 アゝこれ/\其状を明くるに及ぬ 不義の証拠に違ひはない しゃて/\/\憎いやつ エゝしや
て/\にが/\しい 何と云分ござらぬか ヤア何の云分はちつ共ない 家来共死がい片付けと 手もりをくふも小気
味よし 上使は一身たばこの煙 夫婦諸共威儀を改め たまのお入にぶ礼のふるまひ 何の/\ 武士の家に
はヶ様の事は毎度有事 何かいあhしらぬがとかく大目に御らふじたがよいノウ権蔵殿 いかにも しやて/\にが/\しい イヤ
申 最前此一腰を売たいと女の非人 イヤ女の一人召抱へくれよと参りました ムウして女は ハイ とくと手
の内何かの行儀を見定めて 嬪に抱ました ヲゝ幸々 売たいと有其刀は後の事 御上使へのもてなし早ふ

/\何様此照月のかけ物の目利き 其義もとくとアノ 奥の座敷で拝見致そふ 御上使には塀を見こしの 淀川筋の
雪げしき 暫く是にて御遊覧 奥御酒一献すゝみやれ 新参の嬪参れ 権蔵殿お先へ参る先ずお出なされ 逢恋
と あはぬ恋路の肌々は 岩間にさける雪の曙明け早き 夫レとしらせにあづまが略(やつ)す嬪風 銚子盃両手に持二人
が中に押直り サア申一角様 御酒一つとぞ勧れば 一角盃取上て サアつげ ソナ女は今聞ば新参とな名は何といふ アイ大
と申ます 何大 ハテ扨大事ない器量じyいあな ナントお駒どのけふの馳走に此新参の嬪を 身がねまの伽に ヤア推
参な盗賊め 現在の親の敵 何敵とは コレハ/\慮外者すさりおらふ 是はお客もヲゝかた 堅いお方を敵といふ嬪が云損ひ
イヤ申 此雪げしきのヲ此寒さ お肴はなく共酒一つ 其元の様に物和らかなはどふも/\ 権蔵がつれなき君とは ハゝゝ ドレ一つ


109
給(たべ)ふか サア御機嫌が直つたソレお酌 アイと刀を提(ひつさげ)立つを ハテ/\早い 早いとは ハイサアこれお大/\早い/\ 御上使のお立は未の刻 まだ
余程間が有御馳走するは早い まだ顔が知れぬ 顔が知れぬとは ハテこれ顔はな アノ梅のかを 雪が包でかを かほりが知れぬ 憎てらし
い雪じやはいなァと 紛す間にたいこの調べ アレハ何じや ハイあれはナ お前様を饗しに夫が羽衣を わかを一さしお慰みの下げいこ ハテ夫レ
はいかい馳走 何お駒どの 此やしきには親の敵を狙ふ者の尻を持とやら土を持とやら 風の噂に聞ましたが定でござるか サレバイナア
左様の事は存ませぬ ムゝ女義なれば御存ない筈 じやが三十郎殿は呑込でゞ有ふが 先さきの敵めは剣術何かぬけ
めのない大兵 何として/\叶はぬ事じや 譬ていはゞ彼塗桶をとらまへて 鼈(すつぽん)めが瀧登 ヲゝ其ぬけめなき大兵をと詰
寄ば 刀追取一角 お大を目がけうぬはあづま イヤあづまとは  イヤアあづま遊びの舞の曲 謡に紛らし討入一角 お駒は

中を隔ての扇 あづまはゆゝ敷裾かい挟油断透間もなき風情 お駒が見兼てコレ/\/\ 左の顔の左の痣の 色香も
たへ也乙女の裳(もすそ)左右さ/\さつさつの花をかざしの天の羽袖なびくもかへすも 舞の死出あづまを隔る数々に 其名を包む
敵人は 三五夜中の空に又 頻りに降りくる雪の足 国土に是を施し給ふ去程に 時移つて 天の羽衣 から風にな引/\三條の
松原浮島が原や 足高山やふしの高根 幽(かすか)に成て 天津みそらの 霞に紛れて失せにけり 二人は声上ヤア/\何れも
あはの十郎兵衛を見出したり出合給へと呼はるにぞ 一角が二王立 ヤア女原 上使に向ひ慮外者 けらい共アレ討取と 呼は
る間もなく辰五郎 吉平新松引連て鎖鉢巻白装束に身を固め追取巻て ヤア/\今朝より三十郎殿の指図
にて 盗賊の十郎兵衛面(つら)を隠して忍ぶ故 先達て中将殿へ願ひを上 汝がけらいは残らず搦取た 遁れぬ所勝負/\と詰


110
かくる こなたの奥の襖あけはなし三十郎が声高く 淀や宗兵衛と合体したる此淀屋先達て瑞見(ずいけん)山において長次郎が飯綱
の術を以て 宗兵衛が紙入の状通にて明白たり 主人中将へ願を上 森山の城下をおびき出さん為の計略 又照月のかけ地
を無事に取返さん為 科人なれば権蔵は此ごとく生捕たり ヤア/\麻柄一角とは偽り 誠は海賊あはの十郎兵衛 白状ひろげ
と呼はれば ヤア此一角を海賊とは何を証拠に いふまい/\ 最前舞に寄せて此庭へおびき出したはそなたの其贋痣を見
出そふ為 とやかく二人が思案の中 天罰といふ物で降りしきる雪にソレ そなたの顔の黒痣は 真赤な赤嘘になつたはいノウ
お大様 いかにも/\ よふ嬶様を殺して舟の荷物を盗取わし迄を新町へよう売たなダ 夫故に忠義厚いアノ長次郎にも恨
を含み 重々仇有親の敵大星由良之助良男が娘大 同じく連添からは姑の敵淀や辰五郎 家来寺沢吉平

新七が子新松 とゝ様の敵 勝負/\ エゝ千日にかつた萱が一時に亡びると一々いふて聞そふ 成程大星めが女房は無名(むめう)嶋で
討殺した夫から方々経廻ちて海賊の大将と成 去夏瑞見山にて新七をたぶらかし四十両も取た 照月のかけ物で権
蔵共同類故に 森山の家中へ奉公に出た サアかふまげ出すからは返り討じや 覚悟ひろげと身繕ふ ヤア天神のお旅
にて取逃した大盗人め サア此竹鑓で芋ざしじやかくご/\ コレ吉平 そなたの志は嬉しいけれ共 助太刀を頼ではわしが討た功がな
い 辰五郎様と二人に任しや コレハ/\お大様 拙者が為にはお主の敵成ば ハテ無理にといやると勘当するが エゝ サア其かはりには新七の
敵なれば 新松と三人討ば ハアゝ夫は忝いコリヤ坊主よ とゝが敵じや油断すな ヲゝ嬉しうござる ヤイ泥棒め卑怯な働しおつたら
赦さぬぞと 傍(かたへ)に寄て托枳尼天の飯綱の法 印を結で居たりける 三十郎お駒も供に息を詰 床几にかゝる検使の役


111
辰五郎あづま新松引連立向へば あはの十郎兵衛白装束に身を堅め 切抜きえんずうろ/\眼 既に勝負ぞ始りしが二人
かよはき腕先に危(あやうき)所を長次郎がいづなの法の助太刀に 強気(がうき)の十郎兵衛切伏られ 三人上にのつかり 親の敵 姑の敵
とゝ様の敵と切伏しは天にも上る心地也 三十郎は仰ぎ立権蔵は此儘に 中将殿の差図を受ん 吉平が忠臣に飯綱の法の大
奇特 末世に其名を長次郎がふしぎを残す淀屋の末葉 竹の園の末長く 金の鶏勝鬨の豊の蔵の忠臣
に朽ぬ 巌と書とゞむ

 宝暦九年 己卯五月十四日  作者 若竹笛躬 豊竹応律 中邑阿契