仮想空間

趣味の変体仮名

信州川中島合戦 第二

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     浄瑠璃本データベース ニ10-02296

 

24(左頁)
   第二
頻繁として三たびかへり見るは天下の謀とかや 武田信玄
僧正かち馬廻りを麓にとゞめ 原五郎昌俊一人御供にて 又
ふみわくる木曽山陰(かげ) ふりつむ雪に道たへて山はすいしやうを植たる
ことく 林は白銀(しろかね)を粧ふに似て人めもともにうづもるゝ 爰にも住じゃ
すまぬする 山本勘介晴幸(はるよし)が庵のかどに着給ふ 原五郎雪中
に畏 此寒風に御馬にもめされず笠もさゝせず どこへ御出と存ぜし


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にかび浪人の庵室 もし御用ばし候はゝ君の御成迄もなく 我ら
引立参らん物を 甲斐の信玄といふ名将 此大雪にかちはたし 慮外
ながら余りほめた事でもなし いさお帰りと袖にすがれはふりはなし 何を
しつてじやくはい者 此勘介は片めちんばの小男みかけは百姓 山がつ
のことくにて玉しいは日本の楠(くすのき)いこくのこうめい孫呉にもおとらぬ
ぐんしや 諸方より招け共 主人の器量にえりきらひして奉公せず
今信玄が軍師に頼ん者 勘介ならで日本に覚えず先月両度此

庵室へ尋しか共外行とてたいめんせず けふはぜひにと心ざし ふもと迄
ひかせしは信玄が乗がへにあらず 勘介をのする馬成ぞ 師をもとむるは神
のめぐみをもとむるがごとし ずいぶん礼儀を乱すな 但さむくてかんにん成がたくは
ふもとへさがつて誰かはれ エゝ気根者めとやりこめられ 是程のゆきに
なんの事と雪に両足ふみ込で こたつにあたつている様なほう年の
印やら 今年の雪はあたゝかなと いふ口びるもむらさき立歯の根も合ぬ
さむさ也 内にもつもる 頭の雪主の老母とおぼしくて 折たくしばの


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夕けふり くすぼる顔もせんじ茶のはながもしぶく聞えけり ハゝアうれしし
けふこそは しおふせたりと戸口に立寄 そつじながら山本公の御名をした
ひ 先月両度まいりしか共御他行 直に申談(だんじ)たく此大雪をふみわくる
かう申は武田信玄 取次頼存ると事をつゝしみの給へば ムゝ武田信玄とは
聞及ふだよふな 足ひへてたき火のもとを得はなれぬ 用があらばそこ明
てと 手枕ながらあいしらふ 然らば御免と戸をひらき入給へば 起もなをらぬ
老母のてい原五郎くはつとせき上 大体人の尋るにはあいさつも有物 但枕も

あからぬ程むしでもかぶるか 此寒気て寸白でもおこつたか どれ其
しんばくの虫ひねりころして本ぶくさせんと 立んとするを信玄はたと
ねめ付 あなたより呼るゝ我にもあらず 押かけて参るからはじきは此方
不行義者 すさりおろふとしかり付 聞も及び給はん越後の国長尾
てるとらと したい有て鉾楯(むしゆん)の中と成 此信州をせんじやうにて近々に
輝とらと対陣す おしいかな勘介 きたいのさいちをむなしく山林にくちは
てん事残念至極 我師範と成三軍をつかさとり きうせんのちからをた


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すけ給はゝ百万のしそつにまさり 信玄が大けい是に過ず 番卒はもとめ
やすく一将は求がたく 三たび是迄あゆみをはこぶ心ざし 御老母の取なしひとへ
に頼存ると していの礼儀こまやかに低頭平身手をつかね 世にしみ/\゛と
のべ給へは 老母起(おき)もあがらず歯のぬけたる口を明 から/\/\と打笑ひ ハア
物ずれな信玄殿やの こちのむすこはおさない時より山家すまい 野
がひの牛の手綱はとれど かけくらに一度腰かけず たき木の枝はきれ共
人間のゆび一本 つひに切たためしもなく 足はちんばで遠道ならず 片めはかんだ

で見る事不自由 せいちいそふて棚な物おろすも 間にたらぬ山本
勘介 いくさの大将とはムゝ/\/\アゝ此国の大名しゆからかゝへたいといふてくれど 取あへ
もしませぬ 其為のお出ならばやふ帰りがお手がら アゝひへる事やといろり
にふみ出すすね物 原五郎たまりかね 殿申さぬ事か ごくにたゝぬ素浪
人 何も世間の風説 作法しらぬばゝめが子ならしれた/\ サアお帰りとたゝん
とするを信玄又ねめ付 ムゝ主人のえらみ給ふと聞及ぶ 信玄其器量
なけれど思ひかけし一念 日の光が月にかはり今日が明日 明日が明後日に


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成迄 主従していのけいやくいたさぬ其内は 信玄がかばね此山にうづ
む斗ぞと 座をしめておはします賢者をもとむる良将の 心づかひぞ
たくひなき 老母起あがり 扨々聞わけないっしつこいお方 さ程に思召さはこと
によつて勘介を 奉公に参らせん去ながら 靏は枯木に巣をくはず 大魚は
小池にすまずといふ 勘介をかゝへんと思めすからは 此方も主人の御器量
をえらはねばならぬ サア信玄公のぐん法 いか成心を以てか兵を用ひ給ふ
ぞや ぐん慮の程いかに/\と座を打ていひけれは 心得たりとつゝ立じさいの下に

たきすてし ほた押のけて柴の小枝を押折/\ たき給へは烈/\ともへ上り
茶釜がぎるゆだまの音さゝ波よすることく也 信玄が兵を用る事
まつ此通りとゆびさし給へは 老母横手をはたと打あつはれ大将候よ 柔(じう)
能(よく)剛をせいし 弱よく強をせいす くはうせきこうが三りやくを得給ひし頼もし/\
是は奇正の内にも正のぐんじゆつ 扨心をもつてするちぼうはいかにと又
問かくれば 心得たりと外面に出雪間にあさる村すゝめ 一羽取て手に握(にぎり)
立帰り いかに老母 我手の内にすゞめ有生たるかしゝたるか いふて見られ


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よとの給へは あつはれきたいのはかりこと 祖母(ばゝ)が生たりと申さば御手の
内にてにぎりころして見せ給はん 又しゝたりと申さばそのまゝひらきては
なさるべし 是敵によつて伝化し どちらもはづさぬ両全のはかりごと そくざ
のこたへ名将かな/\ 一子勘介が主と頼むは信玄公とつゝしんで一礼し
いで御めみへ申させんと一間に入れば信玄公 やくはうの玉を得しごとく 五郎も
案にさういして 扨(さって)もきついばゝめしやと舌を まいてぞ見えにける 程
なく奥より山本勘介御め見へ たそ御取次と呼はつて品がはおどしの糸げ

のよろひ ゆつてしめたる上帯も二重くさりの小手すね当 とつはひ
頭の黒ぬり兜 いくびに着なす片足の ちんばちが/\がつくりそつくりたく
ほくの 山本勘介はるよし御め見へと畏り 我ら原五郎まさとしと申者
御近付にとおとり出名にしおふはるよし殿 御め見への印なふてはかなふまじ
太刀打か鑓か扨は立見か いざまさとしお相手と引立る腰のよろ/\/\
あおもき六具に五たいをつられかつはと臥て足たゝねば よろひをきてさへ
其おく病 鯨波(ときのこえ)聞たらめがまはふ 馬にのろより手みじかに がん桶にのれ


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勘介と大口明てぞ笑ひけり なふさのい笑ひ給ひそ 勘介は此たび
猪(しゝ)にかけられし疵養生 ふうふつれにてはこねのゆもとへとうぢいたし
たゞ今内に有合せず 主従の御けいやく留主と申も恐れ有 此よろ
ひかぶとは我子のちやく用ものゝふの玉しい ハテ玉しいさへ御め見へ相すめ
ば勘介も同然と 母がけいやく詞にたかへぬ印には 是此よろひかぶとを
着たる勘介母とな思召れそと 御前につばへは 原五郎ぐつ共いはず 大
将信玄御悦ひはなはだかんじ給ふ 今より主従二世のちきりあんどの

しよりやう三百くはんしそんにつたふるゆみやの道しなん頼むとあり
ければ つとかうべをたゝみにすり付 五たいふぐの勘介かゝるお主をもふけし事
誠に一かんのかめのふぼくぞや 武士は何時はれ/\しきしゆつぢんしゆつし
も有ふかと たしなみの打物衣小袖是御らんぜと引よする やぶれつゞら
にたゝみ込ほろぎぬ小ばたぢんばおり うでもとほさぬきぬ/\に子を思ふ
親のつまつぢを あはせてその身が勘すけに なりかはつてのうけこたへ
親もおやなり子も子なり 原五郎つゝしんで ゆきもしきりに日も


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かたむく はやく御立とふもとにむかひ お供まいれと呼はれば
おかちおこせうやりなぎなた めし馬引馬ゆきにいばへて引立たり
とてもの事に勘介も御供申させんと ぬいで指出すとつはいがしら
主従かための金かふと 御手に取ておしいたゞき 渭浜(いひん)につりせしたい
こうばう 同車にのせしみかとをまなび勘すけも馬上にと
のりかへのくらるぼに かぶとを上つて打のする山がたくはがた忍びのを
むすぶいほりをたつかしら 天にもあがる心地していさんて かうふへ 

  えもん姫道行
雪をふんでは花かとおしむそはかけの たに水もしづかならで
さはかしき木からしの 山風にちる木の葉迄 追手の声
やらんと跡をのみみやまぢのおくふかく急ぎ行末の便無き
身の便には 身に引しめしたび衣 爰やかしこに着ふるせと 生れ
付たりえもん姫 女心のほそ道も 後つよしや勝頼の影と我かげ
四人つれ うさもつさも世の外の 跡に見捨るきゝやうが原 木に


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も草にもなれぬれは ちる別れさへおしまるゝ あれなふ御らんぜ勝
頼公 春の行衛を尋かね 二つつれたるかり金の 妻持顔に飛つ
れて 余所のやもめに恥よとなくはつらにくや すいた男とつれて行
身にはいとはぬ 声なれど あなかしかまし山々の 高根/\を見上れは 雲の
波立すはの海 ふかき情もアゝあり原の 中将成けるまめ男 恋ゆへたびを
しなのぢや あさまがたけとつらねける 山のけふりも我思ひには たけも
及ばじ ふじの山 雪のはたへに花の顔 かのこまたらの雲の帯 かた

にすぬひの金しやの千鳥 すそのゝもやうもち月の 駒の追
風そよ/\そよぐ 松の葉のよな せばい気をもちやんな ひろ
ひ ばせを葉の気をもちやれトノヘ よしや しんきや とのうら
もどせ ひろひ ばせを葉の世は夢と さめてはきのふ あけ
てけふ くれてはあすの月日共 頼みしかひもえちごども皆古
さとゝなしはてゝおなじうき身の 人心 二つにわらばうりぶ坂 てうれい
がゝとふゆがれたり まみへそめしは花の頃 夏の通路あし


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はやくかたへすゞしき夕風におぎはぎすゝきほに/\いでゝ さん
ざらめけば まつ虫 すゞむし くつは虫 露もましりてはらり/\
もみぢみやげに秋もいに こほりあはつく我袖は うすひとうけの
入日かげ きれあひ近き村からす 声はあれ共里の名は とはれず
いはずくしとらぬ くろかみ山のよひのやみ しのをつく成ふきふりに
あまぐはもだす宿はなし のべにいぶせきあつまやもむ
かしのたまのうてなかとたちより やすらひ「給ひける

直江大和之介時綱 ひめ君見へさせ給はぬゆへ 主君てるとらの
御いきとほり兄山城へもおもてぶせ 本国へも立帰らずもしやと
みかは遠江 尋る甲斐のくまもなき月の入よりふる雨に かゞせのみの
笠身にまとひ mさすもしらぬくろかみ山上州さしていそぎしが
鍬はぬけるとまりは遠し雨露しのぐ木陰もがなと 爰かしこすかし
見てこりや何じや ヤア辻だうくつきやう/\ 木ちん入らずの上宿と さ
ふりよつたる縁の上旅人と見へし侍の 同じくみの笠引かぶりふみの


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ばしたる高いびき ムゝせかいは広し我にかはらぬうきたび人 相宿御めんと
足押やつて腰打かけ 扨々あるく間ははり合にて雨も風も身にしまず
気がゆるむ程つかれも出る 吹はなしの辻だうからうといふてふとんはなし ヶ様
の時の用意の酒きよゆうが捨しひやうたんも 我らがためのよぎふとんと 腰
に付たる水のみにたぶ/\と一つ請 一単の食(しい)一瓢の飲(いん)これ顔回がたのしみと
一ひき二引おしみのんだるたのしみ酒 そばに臥たる侍ましくししたるかしらを
持上 相宿人じきもなくけなりからするふし付者ぬすんできやつにはな明

せんと さぐりよつたる手先にひやうだんだいたん者 口から口へ一刻のみもとの
所にそつと置 空ね入して臥たるはおかしくも又のぶとさよ 時綱一つさらり
とほし たまらぬ/\ 自身のおさへも一つと 取あぐるひやうたんのひよつtこりあ
をきはふしんながら つぎかくれはしづくもなし こりやどうじや こぼれたるもつ
たか吸ふてとらんとまで廻れば 旅人の息の酒くさゝ ムゝ扨はこいつと胸ぐら取
て引ずりおろし ヤイすゞぬす人は音にて顕れ 酒ぬす人はかぎてしる かくし
てもかくさせぬサア 此ひやうたんの酒かへせ いやといへば首がとぶ 返答次第


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まッ二つと 刀に手をかけつめかくる ちつ共臆せずハテがい/\とやかましい のんだ酒
をかへせとは法をしらぬ侍殿 酒戻しはせぬ物 ながら二つにして見よとどう
をすえたる詞のはし 大和之介聞とがめ さいふわとのは武田の郎等高ざか
ではあらさるや 我名をしりし御辺はいかに 長尾のしつけん直江大和之介 ヤア大
和殿 高坂殿是は/\と手を取組 くらかりまぎれあぶない事 たがひにそく
さい珍重/\ シテ勝頼公の御ざい所は されば/\東山道を心がけ四五ヶ国尋
ても 今においてお行衛しれず たとへおふたりくさり付たる御中成共 一旦

縁をきらせ 両方引わけお供して帰らては 腹を切ても事済ず 若御
たんりよにて御身を失ひ給はんかと いたはしさも先立案じ過しがせらるゝと
互のうさを語合落涙するこそ道理なれ 勝頼夫婦も此辻だう 宵より
臥ておはせしが 扨は高坂大和之介我々ゆへにくらうのたび あはゞ縁をきらせ
との詞にはつと胸おとろき息をつめてぞ忍ばるゝ 時綱重て今日暮
まへ甲州さかひを過し時 百姓共が逃さはぎ 甲斐越後確執にて 近々
いくさの御用意とかたるも有 又両家の不義の名を立しもとのおこりは村


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上義清 信玄もてるとらも先手合せのたゝかひに 義清をせめ給ふ共とり/\
のふうぶん いつれにもせよ聞捨がたく一先ず国へ帰りかくご 慥なさたは聞れず
や ヲゝ其とても慥にしつふは聞ね共 夜明次第本国へ罷立 主人と主人
の軍に治定(ちちやう)すれば 御辺共敵味方 たいさんも今宵斗もふ何時ぞ 八つか
七つか雨もふりやむ あれ/\南の山に雲ちぎれ くはつと赤きは月日の出る方
角(かく)ならず ふしぎ/\と見る内に 雲をこがせる兵火の光とん/\ひゞくせめだいこ
風につれたる時の声みゝをつきぬと斗也 大和つゝ立 聞しにちかはす両家

のいくさと覚ゆるぞ あんかんと見る所でなし 尋る主人は行方しれず
うつかりと手ぶりて国へは帰られまい 今いふ通主君と主君のたゝかひ
なれは 爰は御ふんと我せんじやうこい両人討はたし 高坂が首をみやげにするか
時綱か首をみやけにやるか 此うへに分別なし サアたてせうふといひければ アゝ
はやまるな時綱 さす敵の義清を指置 武田長尾のかつせんとはいぶ
かしし あの火の手は村上が小室の城のじゆん道 敵のふいを討給ふ夜軍
と覚たり 両人が首よりも村上が首取てっみやけにするが近道 ヲゝそうよ/\


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東道は廻り遠し すくにうては一里余り いくさ果てはせんない事 いさゆく
まいか尤々 じこくうつすな時綱まかせkるあいそ 山坂高坂 かてんしや サア
こいやつと ふんだり足はあうんの二天とぶかことくにかけて行 跡には夫婦 しよん
ぼりと 身をくやみたるかこち泣やゝ有て勝頼 病は少いゆるよりおこり
孝は少艾(せうがい)よりおとるとは ひつしと胸に思ひとしる 我あいぢやくに親々を
しゆらに道引不孝の大きゃく あれ見よ子ゆへにいかるしんいの兵火
勝頼程の者か色に迷ひ民百姓のくるしみを 余所に見んも本意

ならず 爰に父の目はなく共月日は父の両眼 父と父とはつせんし子と子は
いもせのかたらひは 天のせうらん恐ろしく 義を見てせざるはいさみなしこれより
夫婦引わかれ 今迄つみし梟悪(けうあく)の非をあらたむれは 孝も立義も立
互に心残れ共御身もてるとらの娘 りんえの詞無用ぞと すけなくいへば
めは涙 泣くづおれてえもんの姫 せつなき恋を義にかへてそはれぬとの
御詞 ことはり也去ながら 親と親とのたゝかひやら村上とのいくさやら 誰がしらし
て誰がしる 父の軍に極らば 成程そふまひ思ひ切ふ もし義清たいぢの


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上 互のお心打とけわだん有まい物でもなし そふかそはぬか縁を切かきら
ぬか さかひは夜明てしるゝ事 それ迄はかはらぬめうと なんぼ不孝に
成迚も 半時や一時のめかりはない 何かなしににつこりと互にあく程しめ
合ふてかくごさせてといだき付 エゝ時も時おりしも折みれんしごくとつき
はなせは又取付 あなたへのけはこなたへしたひ もつるゝ袖にひかるゝ心 み
れん/\もれんほのやみみらいをてらす辻だうもいもせのうてなと「成
にけり すでに五更(こゝう)の一天の鐘に落来る村上義清 武田長尾の両せい

無二無三に切立れば 太刀もかぶとも打落され身にそふ物ははたさし一人
こけつのめつゝどろまぶれ命から/\逃のびて ためいきをほつとつぎ エゝ無念
口をしし信玄てるとら中たがはせ かの鷸蚌(いつばう)のたゝかひにて両国をつか
まんと 日頃のたくみぐはらりとちがひ かへつてきやつに夜討せられ 家来を
討せ城をぬかれ おめ/\とながらふるも命が物だね 此ちぢよくを取かへす一つの
けいりやく能く聞け 信玄が領分は海辺なき国なれば 遠州しほの運漕にて諸人
の喉(のんど)をうるほす 我遠州の氏直にはかねてじゆつこん諸縁も有 氏直に手を


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つかね頼入 塩の手をとむる物ならば 塩にかつえて甲斐一国はたゝかはずして皆殺し
信玄坊主めしてやればてるとら討は手間入らず 三か国を押領し恋の敵勝頼
め さがし出してづだ/\きり えもんのまへをぬつくりとだいて寝るは案の内 何と
思案は有物かとかたる後に声をかけ 勝頼是にと切かくる悲しやふせ勢やれ
逃よと 一度のこりに二度の恥 なくる刀に家来が首 とぶよりはやく村上義清
はふ/\のかれ落うせたり 何国迄もとかけ行袂にすがり付 アノ臆病なむらかみ
いつ殺さふと儘な事 此くらいに大じのお身けがあそばすな 何とわたしが申さぬこと

か 今宵の軍は義清たいぢに極た アゝ嬉しやどうかかうかといくせの思ひのつかへもさがり 落付
ましたといふ折しも又あらたまるたいこのてうし 兵火さかんに数千の鉄砲 胸にこたへて勝
頼持たる刀がはと捨 あれこそ父と父との軍今が夫婦の別れぞと 心乱れて立
さはぐ 姫もおどろくおろ/\声 何のそうでは有まいとはなれかたなく付まとふ 山合
にちら/\とほのほに移る籏の手の 色もさだかにわからねば のひ上り飛上り 気も
さかだちし心のやみのくろかみ山 夫があかればっついて上り ほのほは下に見おろせ共一てん
くらきしんのやみ 籏のあいろも見へざれば まだ日は出ぬか明よ/\とあくるをおしむ気 おし


40
まぬ気 エゝいかに男なれ迚あんまりな思ひ切 夜が明はたの印も見へ 両家の軍に極ればそふことなら
ぬ身の上に 夜が明よとはとうよくな 今宵一夜を千万年 日天様のおじひに 出て下さるな
夜も明なとわつとさけび 臥まろひ歎くに つらきしのゝめや 万里をへだつる東海の 波に
陽焔瞳々(とう/\)と たなひき渡る雲の白籏幸びし あれこそ父よ武田紋ハア こなたにこ
かるゝ赤はたの紋は縁切桐のとうなむ三宝 長き別れは長尾の籏 あなたのたゝかひこなた
の思ひ 泣明したるめもまつかひに出る日の 五色八色そむるそら/\ 雲の波 赫々輝々たる大
陽の あゆみは五万六千里 夫婦が間も幾千里 明てはかなき夜床の霜朝日に つれてわかれける