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趣味の変体仮名

いろは歌義臣鍪 六冊目

いろは歌義臣鍪

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース ニ10-01547

 

 

47(左頁)

   六冊目

ゆるぐ共 よもやぬけじの要石 其大石の底深き 常陸の国に年ふりし 小栗殿の本城には家

老大岸由良之助 御舎弟の一学殿御眼病の慰めと 我も元来すき返す 鍬色かはる菊畑

黄菊紫金はぜの大ざし走り平かゝへ 白きを後とえもいへぬ 花に見とれる唐だるま 菊を東離の

本末に其名/\を短尺の 名も覚えよきいろは歌 末世に残る花なれや 一間の襖押ひらき 立出給ふ

一学殿力弥を伴ひ書院先 花をあれ是見廻りて ノウ由良之助 下部にも手伝はせず 手づから精

にいりやる故 去年よりは花形もふとる匕(さじ)かゝへの力が出来 格別今年は見事じやと 挨拶有ばにつこと笑ひ

 

 

48

俄に殿の仰の通 去年あなたの誉なされた莩(みはへ)咲の金はせを 今年捻て見ましたが やつぱり見事に

コレ/\是じや御らふじませ アノ又向ふな紫の大輪 あれが白か黄で咲たら 世界に並はござりませぬと 自

慢手誉の折からに 勝手口より大次郎蓋覆ふたる薬椀 御前に差置て 今朝仰付られました赤鮧(あかえ)

と申魚の胆 未だ持参致しませぬと 聞て力弥がイエ申雀目(とりめ)には何よりも かしはと申鶏の胆が能げに

ござります アゝいや/\鶏や魚の胆で直るも有と妙薬同前 医は医と申せば御薬に増事はない

今朝法眼が加減の調合 さめぬ内に御上り遊ばせ 時花(はやり)物と軽ふ思へど雀目は殊に大事の物 御気

ばらしには宜しからんが吹放しの此花壇風に当るもけつtくお毒 コリヤ/\力弥大次郎 七つ迄は未(まだ)間が有る

 

此花壇よりお好の舞 兄弟は鼓を勤御慰申上い 何ぼう日頃お好迚書物はきつうお目に毒 必御覧

遊ばすなと 異見に随ふ御発明 そんなら奥て一さし舞ふ 由良之助の休息仕や 二人はこちへと引連て

奥の一間に入給ふ ホウ愛する花につかはれて お寺百姓かいだるやと 鍬つつぱつて腰を伸(のし) 見やる傍(かたへ)

の棕櫚の木に年々馴て巣を作る 蜂は花吸い水ふくみ戻るも有れば行も有 己が様々飛かふも 我

巣忘ぬ門並び 女蜂は内に待やらんヤア花を吸に行は戻るは 何を急ぐぞ折知り顔 嵐に連て山

蜂の羽音も高く飛来り 巣を見付しか飛付くふぜい 数の小蜂は寄付けじといどむはいかにと見る所

に 大の山蜂羽をそらし尾先の剣を逆立/\即座に死て落るも有 互に争ふ羽の音 雷(らい)の響く

 

 

49(裏)

 

 

50

がごとくにて四方へさつと散乱せり ハアいはぬ山蜂 好の花は愛もせず無益のせり合時に取て面白

やと 鍬も放さず由良之助 梢に目を付け詠る中に又むら/\ 以前に倍せし数の蜂 巣を八方より取

囲み 群がりかゝる其勢ひ 山蜂一つに数千の蜂 中に取込怒の針 痙(ひるま)ずさらず喰ひ合しが 件の山蜂

忽に大地に落れば多くの蜂 いさみの羽叩(はたゝき)打むれて行がた しらず飛失たり 詠入たる由良之助

思はず鍬を取放し ハア希代の珍事を見る事よな 誠や蜂を題せる詩に 百花を採り得蜜となし

て後 しらず辛苦して誰か為に甜(あまからし)めん共 又多く群をなし己が友を集むる故蜂起るを蜂起

と読む 生得蜂といふ文字は虫へんに鋒(きつさき)の旁(つくり)を書 尾先に剣を帯せし謂 ムゝ時も時折の折

 

今此蜂の戦ひを主君と此身に比す時は 蜂の巣は殿の城郭 飛来りしは横山蜂 口に

は蜜の忠臣顔鎌倉殿へ讒を構へ 毒尾を以て友をさし 此巣を押領せんとの工 多勢に

無勢目下(まのあたり) ホゝ夫々直ぐに敵へ巣を渡し身を忍び折を得て 徒党をかたらひ一致せば 横山

蜂も此ごとう我手に入ん ムゝすりや恥を捨笑はれても 城を渡すが極上々 ヲツヲそふじや/\と一心に

思ひ込だる忠義の腰抜 後にぞ人にしられけり 奥様只今御帰りとしらせる内に いきせきと妻のお石は

心も空 ノウ我夫(つま)それにかと けはしき体を由良之助 奥へ洩んと目で教 しづ/\座敷へ押直り イヤ何

コリヤ女房 小栗が家来に異心なく 城明渡せの上使て有ふがナ サア夫はそふじやが一大事は一学様を シイ

 

 

51

ハテ扨騒ぐ事はない シテ其検使は アイ城受取役は山形兵衛 又こちのナ 其検使は澳(おき)の長監(げん) エゝ思へば

/\あいつがマア 日頃お前と不中な迚殿様の御恩を忘れ 媚諂ふて横山へ 奉公するさへ憎いと思ふに

剰弟御様の検使とはよふも望んでうせた事 お主の罰(ばち)か道中から雀目(とりめ)とやらそこひとやら 目を病

でおるげなが わしにはやつぱり見へる顔 エゝ腹の立 何かの恨いふにも存分恥頬(つら)かゝそふにも あつちは上使を

笠にきていたい目むいて睨み付け 日頃のら/\花を植へ遊芸好きの由良之助 あはてさがして狼狽ふ 今宵

四つに首受取隙入て時か切たら 夫婦も首にして帰る 早ふ帰つて云聞せと 横柄権威も検使の

役 是非なふ受て帰りしが何とせふと思召す わしや其事が胸に詰り魂も身に添ませぬと うろ/\

 

すれば ハテ馬鹿な 一学様の御身の上 御安否を聞迄と預り居る其 横山が讒言にて謀叛などゝ申上

此難題も来らんか 其時にはと用心も兼て心に覚悟の事 天道の恵有て一学様も二学様も ソレそな

たに産して置たじやないか エゝすりやあの二人の子供の中(うち)を ハア はつと斗に指俯き詞も 涙に

伏沈む

エゝ死るとさへいや悲しいか 是迄書物や双紙を読み忠義を見ては頼もしいと けなりがつて居たじやないか 畳

の上で病死したら御恩を受し忠義もなく むざ/\死る可愛やと不便に思ひ涙もこぼれふ 武士が忠

義に死る程 冥加に叶ふた手柄が有か アゝ去ながら女の道 死る時の木やりと思ひ泣たくば泣て置け 検

使が是へくるやいなや涙一滴叶はぬぞと 詞尖に叱られてお石は猶も目に涙 何ぼ其様におつしやつても

 

 

52(裏)

 

 

53

兄を泣やう弟やら 誰をどふするかうすると 訳も聞さず其様に叱て斗ござる物と 胸は涙に指詰る親

子が中もけふの間に 隔の襖を押明けて兄弟互に覚悟の胸 大次郎はしとやかに様子は聞ておりました

一学様の御身代り 私を立て下さりませと 願ふを力弥引退て コレ大次郎 兄を指置身代とは我儘な

願ひならぬ/\ 御身代にはわしが立 死だ跡で親達へ孝行仕やるが弟の順道 是非御身代は此力弥 イヤコレ

兄様 お前は惣領家の苗氏を継お役 御身代は此大次郎 イヤ/\そふはさせぬ イエ/\ならぬと 命惜ぬ互の

せり合 夫婦は健気を悦びて浮む涙を押隠し ハア兄弟共先静れ ホツヲ潔き二人か争ひ かんじ入ッ

て嬉しいぞよ 兄弟は車の両輪 兄もかはゆし弟も不便 どちらに生れてとちらをしねと 指図も迷ふ親

 

心と差俯いて居たりしが ヲゝ夫々と打點き 腰に指たる扇を抜取 是は伊勢の神主より年礼にき

たる扇 則神の御鬮(みくじ)同前 ざれ絵は冬花色は青紅(せいかう) サア両人共に考て何の花ぞさいて見よ 云当て

たるを勝と定め御身代に立つるぞと 畳し扇を抜出せば 兄の力弥はやゝ暫し小首傾け思案の中 弟

は夫と云たげに堅唾を呑で控へ居る 力弥は父に打向ひ 色は紅で冬花は寒紅梅でござりましよ

と 聞より早く大次郎 イエ/\私は椿の花 サア/\明けて御らふじませと披くを待し扇の絵 兄は恟り無念の体 ヤア

嬉しや椿じや/\ コレ/\母様 私が一学様の御身がはりに成ましたと さして悦ぶ絵合のえやはいはれぬ物思ひ

母の心のやるせなく 悦ぶ弟が手を取て ヲゝ願ひが叶ふて嬉しかろ コレ大次郎 云置事が有ならば

検使の来(こ)

 

 

54

ぬ間に何成と聞して置てたもいのと忍び 涙にくれければ 母の歎に引されて気は健気でも稚(おさな)

気の何と思ひけんしほ/\と 兄様は羨しい ノウ母様 力弥様を力にして御無事でござつて下さりませ 迚も

私は短い御縁 相果た其跡では 私が手馴た大鼓誰にもやつて下さりますなと 死で行身の物惜しみ

ぐはんぜのないでいとゞ猶不便さ悲しさ母親の 見合す目と目にせき兼て膝は淵なす涙なり 兄は見る

より不興顔 コレ大次郎 母の由なき悔みに付死にともなさの其歎か いやならわしがかはろかと 負たほいなさ恥

しむれば 大次郎は押直り畳を打て無念泣 ヘツエ口惜いコレ兄様 死ともなさの歎とは余りなる御詞

命おしまぬ証拠には最前賭にした扇 私は前に見て置た 覚の有椿の絵 若もお前が知てかと

 

心のあぶ/\待兼て見て置てさす扇の絵 命惜まぬ我性根 何の未練で泣ましよと 心顕はす云

訳を 聞て扨はと由良之助健気な上に名を惜むあたら生長(おひたち)片腕を 先へ失ふほいなやと 初め叱りし

爺親が結句は涙にくれけるが ホツホ夫でこそ我躮でかした/\ ヤア力弥 其方は惣領なれば父が家

名を継が道 武士道にはづれしなどゝ必無念に思ふなよ 箸折かゞみの兄弟中 此世の結びも今暫し心を

はらし中能して弟が切腹せば 我にかはつて介錯せよ去ながら 腹の切様介錯の仕様端々語つた斗にて

稽古迚もさせぬ業 鎌倉の検使が見る前 見苦しい死ざま介錯の仕ざま抔と笑はれぬ様覚悟

/\と いふを弟が引取て そりやお気づかひなされますな 腹切るに何の子細 三方の刀を戴き 左の脇腹へ

 

 

55

五分斗突立 右へ存分に引廻し 又介錯への挨拶は 左の手を上るが作法と 語れば力弥は立上り 私が介

錯は此様に致しますと 腰刀をすらりと抜き 傍に生(おひ)立つ棕櫚の木を 中(ちう)よりすつぱり切付る 皮目は残っ

て蝶番 介錯の手の内は斯の通と武士(ものゝふ)の 種を顕はす花の兄 植て詠むる親の身は嬉しさ悲しさ

咲交ぜに 十分に一分は悦べど悲しい方は九分九厘 一輪満(みて)る月代に日は入がてや寺々の 鐘さへ胸

に響くらん お石はふつと心付 アゝあの鐘は早入相 検使の来るに間は有まい どふもならぬあの長監 一

学様に逢さずば成まいか ホウ其事は分別有 心得ぬきやつが眼病 逢た上の臨機応変 隠す

盲をこつちからくふたふりして術(てだて)は様々 其は一学様へ何かをとくと申上ん 其内にても入来らば宜しう挨

 

拶隙入れて 我出る迄待しておきやれ ヤア/\力弥大次郎 そち達にも此間に 云含置子細有 こなたへこ

よと兄弟を引連 内へ入相の兼て仰を守り居る玄関番が声高く 御検使様の御出としらせの

声にばら/\と廊下長縁広書院数の燭台照し立 待間程なく入来る畳障もあらゝかに

検使をかうに緩怠頬 見るから憎き澳の長監座敷勝手は古傍輩 刀を杖にどつか/\辺り睨

付歩来る お石は頓て出向ふ足音聞て立どまり ヤア由良之助殿 イヤ私は女房石でござります ナア

由良之助に検使の趣聞されたかといふ事さ ハイ帰ると直に仰の通申ますと我夫は一学様に其

御用意と 奥へ参て居られます イザマア是に御緩りと いふ座にどつかと打据(すは)り アゝいはれぬわろを守立て

 

 

56

て 役にも立ぬ世話せふより 今夜埒を明けて仕廻ふは天狗の瘤を取れた様で 夫婦の衆も気楽で

よかろ 城も渡して天竺浪人 前度から望の通草花を好たり植木なぶりが 浪人の飢(かつえ)便り

若し珎らし

い花でも有ば我主人横山殿へ申上 渡世に成様世話をやいておまそふぞ 古傍輩の好の不詳左程

の世話はしてやろと 人を見下す傍若無人さも能体成詞の中 奥よりしづ/\と由良之助白無垢

浅黄の長上下 雀目を試す衣紋付 若も咎ば一討と忍びの鍔元くつろげて長監が前に出 今宵

の御役目御苦労と 挨拶もそこ/\にコリヤ/\力弥大次郎と呼出す声に兄弟は 浅黄上下白小袖

爽に立出れば 妻のお石はイヤ申長監様 大切な若殿の生害其御座敷へ列なるは侍の公の場

 

所と 二人の子供に物好の小袖袴 見てやらしやつて下さりませと 挨拶すればヲゝ誠に 兄弟共によい

模様 別して舎弟の染小袖 格別立派に見へ申と 誉るすまたの宛推(あてずい)に扨は誠の雀目ぞと

くつろぐ胸の奥の間より 御いたはしや兼家君 此世の際と打しほれ衣光沢(つやゝか)に取形も誉る花の

根に落て帰る古巣の雀目病(とりめやみ)由良之助立寄て 御手を取て上座に直し 検使の役目長監殿

へ御挨拶遊ばせと しらせる声に一揖(ゆう)有 ヲゝ長監 以前は我兄(このかみ)に仕へ我迚も主従なりしが 時代とて

今其方は横山に奉公し遠路の所検使の役 老の身の大義なれと挨拶有ど馬の耳 余所に

聞捨 サア/\由良之助 亥の刻限りとの仰切腹の用意はよいか 少でも刻限違へば主人へ申訳がないぞ

 

 

57

イヤそりや御自分のいふ迄ない 刻限ちがへば其が命がけ 併漸只今入相 亥の刻迄は未だ二時せめて

此世の御名残一さしの扇の手 御筐共存れば拝見を致度き其が願ひ 老人の気をいらずと こなたにも

見物召れ ホウ日頃から遊芸乱舞 四季の草花小鳥好 慰斗にうか/\と浮世しらずのぬる

ま殿 此長監は武道忠義 国の政道公事(くじ)ごとに気をいらつのを云上り 暇(いとま)を取て横山殿を御主人と頼んだ

も 埒明ずの其方と不中に有た故じやはい 切腹の場で舞謡あほうらしいと思へ共 医者の放した病人に

好な物喰す心 舞也と軽業也と勝手に仕やれと憎て口 兼家余所に聞ながし イヤナフ由良之助

一学が一さしを此世の筐と望まるゝは本望といひながら 踏所定めぬ目病の舞 見苦しくもおかしからん

 

アゝ是は/\勿体ない 日頃お好の忠度(たゞのり)の舞 お相手は兄弟が鼓 是非に一曲遊ばしませと 強て望めばせん

方なく いとしとやかに立上り 年は寄泉の秋の頃 都を出し時なれば さも閙(いそが)はしかりし身の /\

心の花か乱菊の 狐川より引返し 俊成の家に行歌の望を歎しに 望足ぬれば又弓箭(きうせん)にたづ

さはりて 西海の浪の上暫しと頼む須磨の浦 源氏の住所 平家の為はよしなしとしらざりける

ぞはかなき イヤ/\最早舞た同前 ナフお石 兄弟の鼓を聞も今宵限り 冥途への土産と思

ひ 一学が望むぞやと の給ふ内に由良之助扇を筆にさら/\と 畳に書くを呑込で一学殿の御

手を取 何かさゝやき點きて 無理に一間へ押やり/\手早に襖引立る 是はマア有がたい御所望ソレ/\早ふ

 

 

58

と父が目くばせ 二挺の鼓携へて 直る床几の相引より心の工合膝に弟が大鼓肩に力弥

が小鼓の 梅の花形兄がいに さいごの差図三方に 乗り地結ぶ地氷の剣見て見ぬ母の忍び泣 紛ら

す父が謡とかけ声打上の 頭(かしら)を打てば女房が あしらふ笛の歌口に思ひしつめる涙の海 去程に

一の谷の合戦今はかうよと見へし程に 皆々舟に取乗て海上に浮ふ我も舟にのらん迚 汀の方に打

出に後を見れば 武蔵国の住人に岡部六弥太忠澄と名乗て 六七騎にて追かけたり 是こ

そ望む所よと思ひ 駒の手綱を引返せば 六弥太頓てむずと組 両馬が間にどうど落 彼六弥太を

取て押へ 既に刀に手をかけしに 六弥太が郎等御後より立廻り 上にまします忠度の右の腕を討落せ

 

ば 左の御手にて六弥太を取て投退け今は叶はじと思召て そこ退き給へ人々よ 西拝まんとの給ひて 光明

遍照十方世界念仏衆生摂取不捨との給ひし 御声の下よりもいたはしやあへなくも 六弥太刀

を抜持て終に御首を打落す ハゝア見事/\出来た/\と長監が誉むるに驚きお石は指寄 イヤ申長

監様 出来たとは謡が鼓か イヤ謡てない 鼓でない 弟がゆゝしい切腹に 兄が立派な介錯と いふに力

弥は恟り顔 そんならこなたは目が見へるか ヲゝ蟻の這迄見へすく眼と 聞て扨こそ一世の大事と 母

諸共に詰寄ば 長監は涙を浮め ヘツエ左程迄此長辺を放逸むざんの人でないと思するか 元来

我慢性急は我生質(うまれつき)温和成由良之助と 自然と不中に成たるは 藺相如(りんしやうじよ)をそねみたる 廉(れん)

 

 

59

頗が無骨に相同じ 上役と尊(たっと)む事むやくしと心の僻み 国を去て鎌倉にくらす中 横山が我儘非

道 御主人との遺恨と成 折あしく御短慮にて 御生害と聞しより 御主人の仇横山を 近寄て指殺

さんと望んで奉公に出たれ共 新参といひ小栗家に勤し者と用心深く 近寄ねば力なく漸山

形兵衛に諂ひ此検使を願ひしに 役義首尾能勤なば 近習になさんと約束にて 今日当所

へ着(ちゃく)の砌 由良之助に対談し 御身代をとやかくと思ひ付しがアゝイヤ/\ 日頃不中の我検使身かはり

くはせ出し抜んと 意路を力にいとし子を討れもせふ切れもせふ なま中こちから打出して身代を相談

せば いかな忠義の由良殿もたつた二人の子供の中 兄にせふか弟かと 心迷ひと恩愛に 若や不便

 

の未練やあらんと 思ふ余りの悪人方 雀目(とりめ)といひしも身代りに心遣ひをさせまいと 我存念は届きしが

年はも行ぬ兄弟が武士の胤迚潔く 討ちも討たり討れたり 傍で見ている親の身は嘸嬉し

かろ悲しかろ 臣下の身程世の中に節な物が有ふかと 日頃の我慢引かへてこぼす涙の村時雨晴間

も なげに見へければ お石はわつと泣沈 一学様のお為といひ検使のお前に心を隔て 我を張合に悲しさも

しつと堪て居た物を お前の節成お心を聞て不便の親心 我も張弓も折果て死たと思ひませぬ やqつ

ぱり傍でにこ/\と鞭打のを見る様な 思ひ廻せば不便やな持て生れた其身の寿命此子が遥か稚い

時 お乳やめのとゝ遊ぶ中力弥のうばは育て自慢 兄様は役握り八十八の長生といふを羨む子心にこちや

 

 

60

侍の子しやよつて弓箭か有はいとくはんぜもなしのひけらかし 母が胸にはきつと立 アゝ気遣やと思ふ中

幸いと鼓のけいこ兄は小鼓此子には 大鼓を打したも 手を損ふて手の筋の切る様にと気を配り 育てた

かいも情なや 死だ跡でも此鼓誰にもやるなと頼んだは母へ他念を残したかと 死骸の上に伏転び消

入絶入歎くにぞ 力弥も不便の目をうるまし ヤア長監殿の御心底若殿へ申上 いさ御対面させません

と しほ/\立て奥の間へ涙隠しに入にけり 由良之助目をしばたゝき 眼病と有長監殿 雀

目にてなき事は曇ぬ瞳でしつたりしか 供に忠義の御心底 此上何か心を置んと 腰の指添抜

はなし 是こそは我君の怒に此世を去給ふ御切腹の九寸五分 生血は直に我君そと 見せるも見

 

るも歯を噛しめ 身を震はして無念泣 一度に涙はら/\/\照日の前の白雨(ゆふたち)の車袖(しやぢく)をなすが如

くなり 由良之助は亡君の在(います)がごとく刃に向ひ ヘツエ嘸御無念にござりませふ 王たる蜂の剣なくて

打洩し給ふ共 臣下の剣にて今の間に御本意遂させ奉らんと 誓に詠ずる一首の歌 思ひ入 身は

むさしのゝ夕露の 残る心は朝の下草と吟じて鞘に納れば 長監も勇みをなし ホツヲ頼もしし/\ 合体

の人数とかたらひ 斯迄堅まる其義心 仕損じはよも有まじ 万一武運拙くて本意を遂し給はずば

後詰には此長監 一先夫迄は横山方 役目を勤め帰らんと振袖切て押包 首に名残はお石が涙 し

ばしと寄を由良之助 せいしとゞめて後ろ成襖さらりと明放せば 真中に亡君の御位牌を備へ置

 

 

61

岡野金平不破数馬 堀江弥五郎同苗安八 矢間十次郎大鷲伝五 木村岡平谷水藤蔵 村

井喜兵衛千崎与五郎 白無垢浅黄上下にて居並ぶ勇士十人の殿原とこそ見へにけれ 皆夫々に長

監へ 挨拶式礼有中に由良之助は庭におり 花壇の菊をませながら 押切/\抱へ来り ノウ/\旁 菊の

五色に名を付けて拵へ置たいろは歌 一首/\読に及ず 皆付札に印有 則役割袖印と分てあたへし

金(こがね)の短冊へんぽんとして花やか也 早時過て明け近き風に連たる攻太鼓 人々はつと驚けば長監

少(ちっ)共騒ぐ色なく あれは必定山形が城受取の相図ならんといふに気の付由良之助ヤア/\伝五 云付置し

用意の馬 早ふ/\と呼はれば ハツト答て鬼鹿毛に御舎弟を乗せ奉り 其身も支度の度出立 力弥

 

も供に御見送り轡に引添ひ引立る 早赤穂寺(しゃくずいじ)の明の鐘 六つを限りに見へ出す雀目 一学殿

は馬上よりせめては一目大次郎の首に名残の御涙 由良之助は声励し 君に捧げし家来の命 暫し

の遅速を何嘆かん 殿は芸州厳島 御家門の社家方に暫し忍んで時節を御待 追付敵を討

取て御愁眉を開せ申さん 夜明も近しいざ/\と馬に引添十人の殿原供に出行名残 親子は一世

似せ首を検使の役と長監が 持つ手にかゝる力弥が涙 泣ぬ色目の由良之助 我も是より

山形へ城を渡しに同道と いふも我子を葬礼の供よ送りよ道のべを 見送る涙行く涙 兄もお石も悲し

さに力なきからかき抱 歩む足さへ跡へ引く歎きは一句一思ひいつか我子に追手の門泣々別れ「行すへは