仮想空間

趣味の変体仮名

いろは歌義臣鍪 八冊目

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース ニ10-01547

 

 

78(左頁三行目)

   八冊目

足音高く声うはがれて 大門いまださゝずして茶やのはしとみ たれの格子 誰じや 羽織かづいて米(よね)くど

く女郎まねくうけきり横切一つ買笑止 わい/\のわいとさ 頼もふぞよ/\ アレどなたやらお客様がお出

たぞ 中居衆/\亀や 誰もないかいのふ エ是は申よふお出遊ばしたな イヤお身は此家の花車か ハイ私は梅

と申まして 九左衛門が女房でござります 是は幸 身は黒塚黒(こく)右衛門といふ者 是に新道源四郎殿が居

 

 

79

られるならば 一寸逢たい呼でおくりやれ エ源四郎様は今夜は由良之助様の年忘れで非人敵討の芝居事

がござんす故 源四郎様も其役人の内 加村宇田左衛門の役でござります 又由良之助様は次郎右衛門の役

弟新七には下からお出た 私が所の抱へのおかる様が其弟の新七の役にお成なさつてゞござります 是はよかろ

祇園町中のけしからぬ評判でござんすはいな 夫は一段身共も折ふしは堺町の芝や見物したれば 其

役者につかふておくりやるまいか 是は気疎い 申コレ誰ぞおじやや アイ これ亀旦那殿呼でたも アイ旦那

様/\ ヲイ/\ エゝ何の用じや 今由良様の化粧最中じや おれも身仕廻せねばならぬ サイナ 其事じや

わいな 爰へお出たお客様が源四郎様に逢に見ヘたわいな何ぞ役に遣ふてくれいといな 是は幸 太鼓の大

 

津伊吉が高市武右衛門の役を拵へいと一ぺん尋たれば 由良様に例のはせう様に仕付られ囲の間で

やはいがない 今大津やへ太助を呼にやつたと思ふた所 幸じやお前高市武右衛門の役なされまするか 夫は

彼大坂で文七が非人を見たが其時彼エゝ夫常は若男したげなが 夫が彼エゝ武右衛門の役をしたが アゝ

名は何とやら ヲゝ笑止 夫はな 市野川彦四郎じやはいな そふだ/\能したてや 其役をおらがしても大事

ないか おらは武道役よりは其若男がしたい 今のなんだか女郎と手を引合て 園八ぶしか江戸半太夫抔と

いふ様な 浄留りを語せて道行がしたい ハゝゝゝそりや又跡でさしまする マア/\急な武右衛門の役なされませ

そんならこはねをかへてたも サアマアお前の役迄は間が有る コレ/\此筋書読で覚なされませ ムゝ是を読で

 

 

80

覚へるのか コレ旦那殿 庄之助はお高様かさんすかいのふ サレハイノ 是も盛潰されてやくたいしやはいのふ 由良様

の茶碗とこつふには誰もいき付く かはりが有るかへ 誰もない故是非なふ我抔庄之助役えらいか/\ hハゝゝゝお亀

聞きやいのふヲゝせうし よしになんせな デモかはりの仕人(して)がない コレお梅 浄るりは雛善を頼で置たが見へたか

の さつきにから小ざしきに三絃(しゃみせん)連て待てじやわいな よし/\ 雛善にモウやりかけて下されと 亀ちや

つといふていけ アイ/\ ヤ申お客様 サアお出なされませ お梅楽屋へ案内しや ハイ/\かうお出なされませ 亭

主来やれ マア/\楽屋へお出なされませ 是から拍子木東西/\ 此所非人敵討の始り左様に春藤

次郎右衛門兄弟は態と非人になら坂や 寒風に身も郡山大安寺の三昧にわらの仮屋の仮初に二た月

 

余り忍び居て 大和一国端々迄心を尽し身を砕き敵をねらふぞけなげなる 宵月に 梢離れて

うたゝなく うかれ烏の音に連て立帰る新七小屋のわら戸に打しはぶき 申/\兄者人 ハゝゝゝヲゝ恥と袖

覆ふ ムゝ誰じや ヲゝおかし 新七でござります帰りました 是は宵から御寝(ぎよし)なりましたの ヲゝ日くれる た

つた一人淋しさに 横に成と思ふたが モウ何時ぞ イヤ五つ半には間がござりませぬ 夫でも一時半の上ね

た ドリヤそこへ出て茶を調(たて)ておませう エ私が焚付ましよ ハテ一日あるいて嘸草臥 釜も風呂も

しらぬ所へ直して置た 身が焚付ると立出る 髪はおどろに延乱れ 顔は髭むし身に苔むし 思ひに

やつるゝ兄弟が 身の有様ぞ哀なり 石のへついに土の釜 落葉枯木を指くぶる 竹の火箸の火ぜゝ

 

 

81

りして ナント新七 けふはどつちを尋てぞ ハゝゝゝアゝおかし アゝコリヤ笑ふな/\ アイ木津の方から新在家を心がけ 夫で

思はず日が暮ました モウ爰の逗留も二月(つき)余り ヘエゝけふ迄有家もしらず其内万一敵が病死

せば 誰を敵と本意遂ませふぞ ハゝゝゝアゝおかし エゝ笑ふな ハテ気の細い若い者 是程兄弟心を砕て此

敵討果(おほ)せば世界に神も仏もないわい サアどふじや ソレせりふじや ハゝゝ夫でも有家が知れぬ者 知れたれ

ば云事はない かきたくる様に気短ふ思ふても是斗は力わざにはいかぬ/\ kといへばいかにも討す ヲゝ此由良之助

が アゝイヤ此次郎右衛門が討す 泣なコリヤやいなきやいのふ エゝ泣真似せいやい アゝおかし エ笑はずと泣けやい アイ/\かうかへ

そふじや/\ 泣な虫をしづめや コレ薬を呑みや マアお上りなされませ シタガ薬より是をかんして上りませぬか 是と

 

は諸白か アゝ気が付ました失せお初穂を荒神様へ アイタゝゝ/\ 後程寝酒に仕らふ アイタゝゝ/\ 申/\ いたい/\と御

意なさるゝはお怪家でも仕やなされはせぬかへ イヤ怪家はせぬが両足共に腰より下が痛で 身を動(いごか)

せばアイタゝゝ さすりませうか ヲゝよかろ 腰の傍をもんでたも アゝ申私かはりませうかへ せうさんわしがもむ

わいなァ コリヤせうす酌しておくれ ハイ/\ 又非人の形で酒呑のも気がかはつてよい コレかる 持参の備前

徳利 此食椀(めしわん)でかる付けざしじや アゝ申狂言はもふなされぬかいな ヲゝなさる共/\ 夫程になされ度ばあの小屋

の内 今夜の契はあすの錦 天晴成武士(ものゝふ)じやな トツテン/\ヤア菰を敷寝の仮枕イヨ袖枕肘枕

ツゝテン/\ 是は/\最前から もふか/\と思ふて待合すのに 是は由良殿どふでござるぞ イヤ源(みなもと) 其形(なり)は何ン

 

 

82

じやい 侍が侍の役は気がかはらぬぞや イヤコリヤ/\ 高市の役は何者じや/\ イヤ身共はけふ爰へ初て参つた客だ

/\ ハテナ イヤ由良様 そふ酒になさるゝと狂言が砕けてやくたい/\ コレかる様 新七がそこへ出て居ては済

やらぬが マア何じやあろとやりかけふ コレ申こちらのお客の高市武右衛門のとゝ様 アノお非人様があすは丹州へ

お越ならば当地の名残も今宵斗なれば 外へお出なさつて風烈しう大事の御身のいたみも気の毒 手

前の座敷で何日も/\居続けにござりまして芸子様や女郎様方を揚詰にしてお饗し致したうござり

ますわいのふとゝ様 是は何夫は成小人(しやうにん) 御発明な其元の御子息な 栴檀の二葉びんかのかいご 御成人

の程が思ひやらるゝ 遖のよい亭主になられませう アゝ遖々 敵を討果す(おほ)せず返り討に討れましたらば 鰒(ふぐ)に

 

当り死だと思ふて石塔を立て下されや 小人頼ましたぞや ア其深切を思へば有難涙が ヘエこぼれます

わいのふ イヤ敵討といへば陣のこぐちも遁るゝならひと イヤ爰な偽り者めが 見れば刃物たいした物は勿論 小刀

一本持もせず すは敵に出合た時 何で本意を達するぞ 爰な偽り者めが アゝゝ御不審は御尤 斯非人にさま

をかへたれば人の目立を憚り 是成竹杖に仕込罷有 是ハコリヤ/\脇差がない アイ竹杖は爰にござりませぬ エゝ

忘れた おれが刀なと取てこい 早ふ/\間がぬける /\ アイ/\此大小かへ ヲゝよし/\ 此竹杖に仕込置ましてござる サア夫が

定ならば抜て見せい イヤ御らふずるには及びませぬ 見せぬが弥偽り者め ためして仕廻ふ是へ出おらふと ずつと

立寄る鼻の先 ひらりと抜たる竹箆(へら)に皆々軻て見へにける 青竹下坂二重(ふたえ)切に生け筒 エヘゝゝ ずんど能く

 

 

83

生けます それ そくいべらからごらふじませ 障子を張る事いつ何時を嫌ひませず 巻紙の継様折敷の

上のそくい 下女下男の皹(あかゞり) 能くへらをつかひます 箆を遣ふに相違ござらぬ 了簡してお帰りやれ ソレ/\

高市の役じやお客様どふじや/\ サアどふか アゝ間がぬける/\ 私がいふ 扨々大望有るお方共存ぜず 慮

外の段真平御免 先刀をお納めなされと挨拶すれば次郎右衛門 刀を鞘に納めける イヤハヤ我人知行頂戴

すれば 侍じやと存ずれば共 武士の中にも御自分の様なが有れは有る 近頃侮りがましけれ共 是に持合せの金子

寸志の御用に立たうござる イヤ置あがれ 最前より供々に馬鹿に成てたわけを尽すにそふらいしは竹光

何と由良殿 其元は主人小栗殿の敵横山を討つ所存はないか けもない事/\ 城明渡す折から澳の長監

 

に一学殿の首を渡す 又貴様が上へ対して朝敵同然と立派な云分是尤 我抔しやちばり返つていた

いかいたはけの 所で仕廻は付かず 一学殿の首をこえおりと渡して 其夜裏門からこそ/\ 今此安楽な楽しみ

するも 貴殿の仕内を学だおかげ 昔の好(よしみ)は忘れぬ/\ コリヤ粋(すい)め 砕けおれ/\ いか様此源四郎も昔思へは建仁

寺の古狸 ばけて負せて今是成黒右と一所に此京に足を留め 青松葉でくすべても尾を出さぬはき

ついか/\ きついは/\ イヤコレ由良殿 久しぶりのお盃 又頂戴と会所めくのか角を離れてまん丸盃 指しおれ/\

呑むは/\ 呑おれ指すは 丁ど受るぞ 肴をするはと 傍に有合海老肴 はあさんでずつと指出せば ヲゝ是は

腰のして髭戴くや年の暮 忝い/\と喰んとする手をじつと捕へ コレ大岸由良之助殿 明日は主君小

 

 

84

栗殿の御命日 取分け逮夜が大切と申が 見事貴殿は其えびくふか たべる共/\ 但主人小栗殿が海

老にでもなられたかな エゝぐちな人では有 こなたやおれが浪人したは判官殿の無分別から スリヤ恨こそ有れ

精進する気微塵もない 御志の海老で一舞舞ふ海老は幼少より髭ながく 腰に梓の弓を張り 目

は出めでたかりける/\ ハゝゝゝ賞翫致すと何げなく只一口に味あ風情 邪智深き源四郎も軻て 詞も

なかりける イヤ/\/\ 此肴では呑ぬ/\ 大ざしきでこつぷにしよ 吉野桜は日暮に門に立せとに立 いか様人が人

が チヨンガラカシヤシンゴロモ/\ チョンガラガシヤセナイケレド 七年前の殿が見たさにミンゴロモ/\ ヨイテイテイ/\ 悪事しなさんな/\といふたらお前も腹

立さんしよとわしや思ひやす皆々 引連入にける 始終見届け黒(こく)右衛門 イヤコレ源四郎殿 様子とつくと見届た

 

主の命日に精進もせぬ根性で 殊にあの芝居事の非人敵討は何ぞ 大安寺の堤にて返り討に合

て寸々(ずだ/\)に切られた 次郎右衛門の役を由良之助がするとはハゝゝ 此通り主人横山殿へ申聞ば帯紐といてゆつく

り/\ 成程もふ御用心には及ばぬ事さ コレサまだ爰に最前の 青井下坂刀の竹光 誠にコレ/\ 大馬鹿

者の証拠は 差添迄も忘てコレ魂の抜(ぬけがら) ドレ見分致そ サツテモ錆たり赤鰯 ハゝゝ弥本心現はれた珍重

/\ 是より直ぐ横山殿へ注進貴殿は跡より いかにも/\ 跡より追々注進せん さらば おさらば 君は出て行木影で

暫し磯の千鳥か来て招く招けど君が寄らばこそ思ひ切との鳥が鳴 それ/\/\そふじやへ 奥より出るおかるが姿

ほろ酔機嫌の千鳥足 柳桜に梅が香を中居の亀が押直す 鏡に写す夕化粧 なまめかしくも

 

 

85

好もしき 手の鳴方へ/\ とらまよ/\ 由良鬼じやまたい/\ とらまへて酒呑そ /\ ヲツトとらまへたぞ

アゝコレ由良様何じやいな ヤア迷子の兄やい弟やい ヲゝせうし 兄御様や弟御様を尋さんすは何事じやいな

問れて面目なげ嶋田 髩(つと)のかほりでづふらめく 爰なかるの命取め アゝコレ悪(わる)事 やかましい 生娘か何ぞ

の様に 逆縁ながら後ろ堂より抱奉る御本尊拝み 大事の知行の看板 大小を御存知ないか ヲゝせうし 最

前おまへの非人敵討竹光の此刀 柊とアイ住居の此脇指 扨は赤鰯と御らうじたか ハテ扨面目次第も

内儀にどふぞ成気はないかと もたれかゝりしなよ竹の 節もたはゝに見へにける 折しもうろ/\入来るは手

錠(かね)を打れし髭奴 唖か吃かはしらね共只うん/\とこは作り 指し覗て大岸が膝元近くつつとより

 

懐教へうん/\と うめくが辞儀やら会釈やら かるは見るよりコハ何者 賎しい奴のヲゝこは さはぐまい 気遣な

者ではない こやつは此頃原郷右衛門方に抱し唖 使にきたか ハテよい慰み よう来た/\サア爰へと 仕形で招

けば合点して 差寄て又懐を只うん/\と斗也 ムゝ懐に状が有といふ事か 手鎖(かね)をおろせし子細ぞ有ん マア

其状をと懐へ手を入て引出せば 状箱ならで裸人形コリヤ何じや ハテ威な物をと ためつすがめつ由良之

助 小首傾け思案顔 夫は申あの唖殿の持遊びか 外に文はあらざるやと懐さがせば ヤレかる見るに及ぬ

謎をかけたる此使 コリヤ面白い悟つて見よ ムゝ先頃郷右衛門に妾の事頼置しが裸でも大事ないかと裸

人形をおこしたか 但又裸百貫出せといふ事ではないか ハテどふがなと一思案 唖は身をもみおろされし手

 

 

86

鎖(かね)を突付け指付けて 物はいはれずうん/\でうむのわかちはなかりけり由良も急度心付 マア郷右衛門の使

の唖 此人形のはんじ物 はんじ果せて返事せう 奴奥へ参れ いはぬつらさを見る夢の何が恋やら情やら

うつり気のなき床の海 跡見送つておかるは不審晴やらず 奥を詠て居る折から 表にどん/\太鼓の

音 こなたも心得手拍子ちよん/\ 内へはいるは夜番の仁助 女共見へ男共やつす姿の頬かぶり 娘々と呼

声に あいと心で返事して 中戸口へ歩出 嬶様何の御用じや コレ娘 此頃こなたは十日余り此扇九への

居続け故 顔も見たし幸と表の番屋仁助殿のかはり役 叱はせぬか断りをけふもいふてたもつたかや アゝあの

かゝ様の入ぬお案じ 何日成共置ませう かはりに太鼓に廻れといふ 悲しけれ共借賃と思ふてたべと涙ぐむ

 

ヲゝあの人は又なきやるか公界の中に取交て与茂七殿迄世話にして 心遣で有ふ物其上に又此母迄

大抵の辛苦じや有まい 兄の方からも定て文も来たであろ 夫はそふと揚詰の大臣は由良之

助殿と聞 お主の敵討気もなく 空氣(うつけ)じやのあほう大臣のと 云ふらす其中へ異見状も来るとの

噂 サイナ御本妻のお石様とやらも山科へきてござんすげなあ ヲゝ夫々 其本妻の手前も有与茂

七殿の心の内 嬉しうも有まい事 イヤほんに忘て居た 左専道(させんだう)の御供(くう)も爰にと指出し 娘思ひや聟

思ひかこち涙ぞしんみ也 アゝコレかゝ様 疑ふて下さんすな わしや由良様の揚詰なれど親方様が呑込な

れば 一力でも此扇九でも昼夜共に酒のお相手斗じやはいな ヲゝ夫なれば由良之助殿は敵を討気は サア

 

 

87

夫はどふも取ませぬ 私が呑込で居るはいなァ マア何か指置きお前に頼む事が有 コレかう/\と耳に口 包みしふく

さ手に渡せば そんなら三条通の烏丸 野間屋久兵衛様の出店へ預て有腹巻を マア夫をちやつと

/\ ヲツト合点じや そんなら後に 儘にならぬが浮世の癖か ほんに昔の神々様もなぜに男はむこい気に

しにせておいた物じやいな おかる様/\ ヲゝ与茂七様か マア下に居やしやんせと手洗(てうづ)の水に手を清め コレ申

是は大坂の左専道の不道様の御供 信心して上れや いかに病なれば迚八藤与茂七共いはるゝ身の 現ない

どふぞいな 爺御様の野辺送り 梅田堤の極楽橋で転びしやんした あの橋で転ける人は三年の内に死

るといふが世の諺 命がはりと思へ共妙薬お医者愚かな事 どふぞ本気にならんす様に月々ごとの七夜

 

待ち 立待居待精進して たばこ断やら梅断つやらはだしは八坂の庚申様 祇園清水鳥辺のゝ 日親様

を頼やら 又 一言寺(いちごんじ)の観音の利生数多の其験(しるし) 折々本気に見ゆる故 今かゝ様を頼でない お前の所持

の胴丸を受戻しにやりました せめてはあれを見せたらば本性におならんしよかと わしや楽しんで居るはい

な ちつとはせめて女房と物いふて下さんせ やいの/\と抱しめても野沢の薄に花ふゞき夢に道行ふぜい

なり かゝる折ふし奥より出くる以前の唖ごろ 合点の行ぬ眼(まなこ)ざし 使の様子しさいぞあらん窺ひ見んとこなた成

屏風のかげに与茂七引連立忍び 息を詰たる其中に 両手をくゝられ彼曲者一間のこなたに彳(たゝづみ)て

奥の様子を窺ふ傍 直し置たる姿見の顔の写るを見て 急度思案しとつかと座し 指したる

 

 

88

脇指足首に 鍔元抜かけくゝりし両手の縄切ほどき 両(もろ)肌脱ではつくと立 鏡に写し背(せなか)の文字を

読下せば 何々仰の通今宵何れも同道にて彼堺より到来の鉄砲 鰒(ふぐ)の鉄砲ずへ同道仕り アレにて

汁の御趣向尤に候 我抔酔醒に御参会可申候 郷右衛門様御報由良より 読もぼつ/\聞へる文章 かる

は様子をとつくと見届け 下郎に似合ぬ其骨柄 扨は敵の大成かと 有合脇指抜そばめ 窺ひ居る

とはしらずして曲者は 奥を窺ふ指足抜足既に切込其所を 付入女は忠義の念力ぐつと突っ込む弓

手の肋(わきばら) つかれながらも強気(がうき)の曲者 女が膁(よはごし)引掴み二三間投退くれば すつくと立たるおかるが気転 忍び

の者を突き留たり出合給へと呼はる声 奥へ聞へて由良之助刀提(ひつさげ)走り出 手負を下に引ずゆれば おかるは

 

さかしくコレ申 そいつは正しく敵の忍び 奥の間へ切込故 八藤与茂七が女房おかる 斯は計らひ候と かい/\゛しく

も見へにけり ヲゝ出かした/\ こいつ敵の犬也とは 原郷右衛門も悟りしにや 態と合点と召抱我々身持の放埒

を彼めに内通致させなば 敵の油断は味方の十分今日使の裸人形を裸にして見よと悟るに違はず

背(せなか)に一筆 今宵何れも傾国へ赴くとは連判の面々鎌倉へ打立とのしらせ 我も追々打立用意 幸

々彼めに我が放埒を横山方へ注進をさせん為 手鎖をはづし態と縄にて小手ぐゝり 彼めに文字を見せん

為 我か思ふ図へ落入悪人手にかけたるは八藤長七が嫡子 八藤与茂七法兼(のりかね) 空氣成共義士の連名 血

判せよと投出す一巻現の与茂七すつくと立 ハア有難し忝やと辞する色なく血判しつかと押す手元

 

 

89

かるは見るよりコリヤ本性か本気かと 押廻し捻廻しコレ女房かるじあが見知てか いかにもいかる覚て居る ハツア夢

共なく現共不道の尊像 我胸中へ入よと思ひし時も時 由良之助殿の声として父長七が嫡子八

藤与茂七 血判せよとの給ひしを 聞より晴々(せい/\)と初日の出し心にて本気と成も不道のおかげ 誠やそが

時宗も仏力にや叶ひけん 縁日共八日に富士の狩屋へ忍び入 親の敵祐経を討取たり 我も不動

の仏力と おかるが日頃の信心にて 忽ち本気本性に成たも利雄の義心より 亡き父迄も連判に加へ給はる御情

ハゝゝゝ有がたし/\と 悦ぶ夫が本心をおかるも供に嬉しさは 天にも上る心地して悦ぶ合ぞ道理なる 利雄いさんで重

畳/\ 是といふもおかる親子が貞節故 ホゝ遖賢女ナニ与茂七 門出の血祭急いでとゞめ ハツト与茂

 

七立かゝり えぐりし刀抜んとすれば ヤレ暫くと今はの手負起直つていきをつぎ 扨は郷右衛門にも貴方にも傾城狂

ひの放埒は敵を計る拵事にて有けるよな 其全く敵の廻し者にあらう 小栗殿の家臣早野七郎

太夫が伜同名勘平家次といふ者と 聞て大岸 扨は古傍輩の子か 其身が又何故に唖聾のに

せ者と成 郷右衛門や其をたばかりしはいかに/\ ヲゝ御不審尤 其御主人の仇を報ぜん為先達て横山が

館へ入込 命限りに働しか共 討つ事は扨置 手引の為にかたらひし女房迄も其場にてあへないさいご 我は

寺沢平右衛門が情にて命から/\゛逃退きし 是何故ぞ貴殿達を恐れ横山油断せざる故其恐るゝ程の功

も有が 主君の仇を報ずる心も有かと 唖聾と成て窺ひ見れば 郷右衛門も貴殿も傾城狂ひに身持

 

 

90

放埒 今日の使は密事と見へ 我が背に書き遣はす シヤ是こそ本心顕はす文通と 鏡に写し見る所に やつ

ぱりかはらぬ傾城町へ出合の文章亡君の恩も思はぬ知行盗人横山よりは御辺を討が能き追善 弟へ敵を討

邪魔と 思ひ込だる初一念 近寄る術(てだて)の贋がたわ 我は化たと思へ共三十(みそじ)にたらぬ若狐 人を疑ふ心故尾に手

の廻らぬ馬鹿狐 女童にやみ/\と突殺さるゝも運の尽 忠義厚き由良殿を疑ひし大の罰 則天

の手をかしておかる殿の刃にて 斯犬死も天の責 武運に尽し此勘平浅間しや悲しやと 拳を握り牙をかみ

身をかきむしり五臓をもみ 流るゝ血汐血の涙 大声上て泣さけぶは理りせめていぢらしき 始終を聞

て由良之助 ヲゝ驚き入たる忠臣 親父七郎太夫殿は鎌倉詰 御辺はへや住故面体見しらずそこつ

 

の至り残念至極 せめてさいごの思ひ出に冥途の主君へ献上御土産を致さんと 床の硯を引寄せて連判

状取出し 希代の忠臣早野七郎太夫が一子同苗勘平家次と 巻頭に書記し血判召れと指出せば 今は

の胸に勘平が読下して押戴き アゝ難有や忝や 我名斗か父が名を記し給へば横山を討たも同然 みら

いの為にはよき土産 血判致し申さんと 流れし血汐を染付/\指出し サア本望は達したり 由良之助殿さ

らば 何れもさらばと 刀を我と逆手に持ちエイうん/\と抜捨る心の孝は厚けれど 薄き運命力

なくついにはかなく成にけり 由良之助も与茂七も あつたら若者残念とひたんの涙にくれ居たる かゝる

折ふしアハ妙三 息をもつがずかけ戻り コレ/\娘受取て来た胴丸と 渡せば与茂七ヤア是は我家の サア夫は

 

 

91

大坂の久兵衛様の志 扨はこなたは本性に 成た共/\ 親子の衆の信心故 ヲゝ嬉しやと妙三が悦ぶも又涙なる おか

るは有にもあられぬ思ひ 勘平が抜捨し刃物逆手に取直せば コハ何故のじがいぞと 与茂七あはて留(とゞむ)れば

由良之助声をかけ 汝が兄の平右衛門足軽ながらも忠心厚成 鎌倉の義臣方へ貢の金子は汝が貞節

其汝が今自害とは心得がたしと押留れば おかるは涙の顔を上 コハ難有き御詞 ヶ程情も義も厚き利雄

様の一味の内 一人にても千人成に忠心厚き 勘平様は三十に成やならずに死るのは嘸口惜かろ無念に有ふ 其

むだ死も私が業 是が生きて居られふか 放して殺して/\とあせるを押へて尤々 其勘平への追善は 連

判に加はりながら敵一人も討取ず未来で主君に云訳有まじ 其云訳はコリヤ爰にと手を持添てぐつと

 

突込非人小家 内には新道源四郎髃(かたさき)ぬはれ七転八倒 夫引出せと下知の下 八藤与茂七立かゝり無二無三に

引ずり出し ヤアコリヤ新道源四郎 臆病武士犬侍能気味と引立/\ 庭へどつさと投付れば おこしも立ず由良之介

髷掴でぐつと引寄 獅子身中の虫とは己がこと 我君より高禄を戴き大の御恩を着ながらも 敵横山が犬と成て

ヨウ内通ひろいだなァ 四十余人の者共は親に別れ子を殺し 女房を君傾城の憂艱難 艱苦を凌ぐ此年月 皆是

亡君の仇を報じたさ ねだめにも現にも 御切腹の御事を思ひ出して無念の涙 五臓六腑を絞りしぞや 取分け今宵は殿

の逮夜 口に諸(もろ/\)の不浄を云ッても 慎みに慎みを重なる由良之助に よふ魚肉を突付たなァ いやとは云れぬ胸の苦しさ 三代

相恩のお主のたいやに 咽を通した其時の心 どの様に有ふと思ふ 五たいも一同に悩乱し 四十四の骨々も 砕くる様に有たはやい

 

 

92

エゝ獄卒め魔王めと 土に捻付け摺付けはがみをなして居たりしが 与茂七 最前の其が竹光 主殺しの竹鋸

其指添の錆刀 命を取ず苦痛をさしてなぶり殺し 畏つたと抜より早く 踊上り飛上り 切る共纔(わづか)二三寸 明所

もなしに疵だらけ のた打廻つて 与茂七様 おかる様 詫してたべと手を合せ以前は詞もかけざりし 我より下の扶持人に三拝

するぞ見苦しき 此場で殺さは扇九が難儀 跡の云訳むつかしからん 館へ連よと羽織打着せ隠す

内 申/\由良様申 もふお帰り遊ばすか ホゝ九左お梅 其葛籠は ハツ此葛籠の内は勘平

イヤあの寒風御凌ぎの夜の物 私が背おふて瑞松院へ ハアでかしたと硯引寄せ院主への送り状

ハア イヤコリヤ与茂七殿ぐらひ砕た其客へ加茂川で水ざうすいをくらはせい ハア イケ