仮想空間

趣味の変体仮名

妹背山婦女庭訓 四の中

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856493

 

157

鱶七使者の段

 妹背山 四の中

 

 

158(左頁)

  妹背山婦女庭訓 四段目の中

栄ふるに花も時し有ばすがり嵐

の有ぞとは いさ白雲の御座(たかみくら)

新たに造る玉殿は 彼唐国の

阿房殿 爰に写して三笠山

 

 

159

月も入鹿が威光には 覆はれますぞ

せひなけれ 脇門(えきもん)の方より宮越

玄蕃荒巻矢籐次御前よき

儘高に吹帆かけ烏帽子も十分

に のけぞり返り入来り ホゝヲ仕丁(じてう)共

 

朝清な イヤ何玄蕃殿 此度新に

築かれたる此山御殿 朝日にかゝやく

所は 吉野龍田の花紅葉 一度に見る

共及びますまい ナニサ/\イヤモ言語に述

がたき御物好 瑪瑙の梁(うつばり)珊瑚の柱

 

 

160

水晶の御簾瑠璃の障子 コレ見

られよ 飛石は琥珀沙(いさご)は金銀 又釣

殿に登り見おろせば 春日の杉も

前裁(せんざい)の草びら 若草山葛籠山は

まき石同前 猿沢の池は お庭の井戸

 

に見へますると 咄の尾に付く仕丁

共 アゝ結構な御普請でござりま

す そふして何やらぷつ/\とよい匂ひが

致します ヲゝ其筈 縁板檻(おばしま)に至る

迄皆伽羅と沈 シタリ 抹香やおが

 

 

161

屑とは違ふた物じやのふ又次 サイノ

又お学問所は 唐を写して唐木

じやげなの ハアン其唐木とは何々ぞ

ヲゝ先花綸(くわりん) フン 紫檀 フン 黒檀 ホイ

たがやさん ホイ いらやさん ホイ 当卦(とうけ)

 

本卦 ヤ 手の筋 ヤ 男女相性 ヤ

墨色の考へ コレ/\ 失せ物待ち人 コレ/\/\

書き判の善悪 アゝコレ/\ そりや山御殿

ではなふて山伏じやぞや サア王様も

此山で寝やしやるによつて山伏じや

 

 

162

エゝ人を嘲弄するがな イヤ長老とは

坊主の事か イゝヤ女(おなご)の事じや そりや

女郎じや イヤ如露(じよろ)とは花に水か

ける物じや エゝどふいやこふいふと

何ぼ貴様がくずなの弁でもおれ

 

にや叶はぬ ワイふるなの弁じや くず

なとは魚(うを)じやはやい イヤくずなじや

イヤ/\ふるなじや くずなじや ふるな

じや /\/\/\ ヤイ騒がしいそりや何事

清め仕廻はゞ早くさがれ皆行々

 

 

163

と追立やり アレお聞有矢籐次殿

我君此殿へ御移と見へ 物の音近く

聞へ申す いか様左やうと威儀つくろひ

厳重にこそ控へ居る 花にくらし月

に明かし 酒池の遊びに酔(えひ)つかれ 御殿

 

/\の通ひ路も 数多の官女が道(みち)

楽に 君の機嫌を鳥甲調ぶる笛や

笙ひちりき太鼓の音も鶏徳に 己が

不徳を押昇る雲間(うんかん)の浮縁(うかべり)蜀錦(しよくきん)

の褥の上 むんづと座せし有さまは実(げに)

 

 

164

類ひなき栄華の殿 玄蕃弥籐次

頭(かしら)を下 先達て卿上(けいしやう)雲客(うんかく)達より 君

の寿を祝し申させし数の嶋臺 ソレ

女中方 叡覧に備へられよ アツト答て

持出る思ひ/\の錺物 何がな君が寿

 

を祝ふ靏亀松竹の影は千尋の深

緑 松と靏亀合せて見れば 一万二千

の齢を君に 譲る寿く蓬莱山 扨

又次の嶋臺周の帝の妾(おもひもの)仮の情の

弟草実寵愛の色菊や 葉毎を

 

 

165

染し其筆の 命毛長き八百歳老

せぬや/\薬の名をも薬の酒 くめ

共尽ぬ泉の壺 天上人の方々より

御祝儀なりと相述る 一入興に入鹿が

悦び ヲゝ百司百友より 下万民に至る

 

迄 我在位長かれと願ふ事 めい/\が

身の冥加なれば 猶万歳(ぜい)を唱よと

高慢我慢の詔 はつと両人階下に

ひれ伏 我々は申に及ばず 民百姓も野に

手を打て舞楽しむ 誠に戸ざゝぬ

 

 

166

御代と申は今此時に候と めつたに追

従猩々の 人形に見とれ官女達 コレ/\

此猩々が手に持た酌盃(さかづき)も取はづし

壺には誠の造酒(みき)をたゝへた これで

御酒宴始めふか いか様それはよいお慰

 

サア/\早ふと取々に手まづ遮る盃の

廻れや/\万代も尽じ尽せぬ 寛楽(くはんらく)

の興を催す其所へ 物もふ頼ませうと

どつてう声 撥鬢あたまの大男 御殿

間近くぼつか/\/\/\ 着たる木綿の長

 

 

167

上下 のりしやきばつて立はたかり エゝ

入鹿殿は爰じやな 内にならあはして

下んせと 木で鼻こくるむくつけ詞

宮越荒巻目に角立 ヤア何奴なれば

君の御前共憚らぬ馬鹿者め すさり

 

おらふときめ付くる イヤおりや 難波の

浦のふか七といふ網引でごんすが いつ

やらからこちの方へ 宿がへしてごんした

お公家殿鎌きりの大身(しん)から 雇はれて

きた使でごんすと いふを遥に見おろす

 

 

168

入鹿 ハテ心得ぬ 其鎌足め 首陽山

の昔を学び跡を隠せしと聞しに 扨は

難波の浦に有けるよな 普天の下

卒士の濱(ひん) 王地にあらざる所なければ

今日迄飢にも臨ず堅固におりしは

 

我恵ならずや それを思はゞとくにも参り

恩を謝すべきの所 使を立てしは緩怠也

エゝそれおれが知た事かいの かふ見た所が

よつ程短気者じやはいの 併喧嘩は

こなんの様にこつきで行のがマア徳じや

 

 

169

鎌殿(どん)も一旦は云かゝりで てつぱつて見

よふと思はれたそふなが叶はぬやら どふ

ぞおれに挨拶してくれてゝ それは/\きつい

よはりいの 大概な事ならもふ了簡し

てやらんせ 懇ろな中(なか)は得て心安立(たて)で

 

間違ひが有物じやてのふ コレ中直り

の印じやてゝ きす一升おこされたと刀も

さげ緒にぶら/\と 結びし徳利にきつと

目を付 いまだ日本へ渡らぬ兵器 唐土(もろこし)

に有と聞飛道具の類ひ成か 何にも

 

 

170

せよ怪しき物を所持せしぞよ 旁油断

いたすなと眉を顰(ひそめ)て身構へたり エゝ

とつけもない 徳利と見やんせ酒しや/\

コレそこなお手代衆 早ふコレそれしんぜさん

せ イヤ善悪しれざる鎌足より差上し酒

 

ならば毒薬仕込あらんも知れず奉る

事罷ならぬ エゝまはすは/\ どれおれが

毒味してやろ茶碗はないかへ そんなら

赦さんせ直やりじやと 云つゝ徳利の口

から口 ヲゝよい酒じやになア 是を呑ぬと

 

 

171

いふ事が有か知ぬとふつて見て ヤアヤア

なむ三皆呑でしもた エゝひよんな

事して退けた ヤコレひよつと鎌殿にあ

はんしよと儘よ おれが呑だといはずに

よふ届いたと礼いふて下さんせやと

 

我武者な様でも正直者 まじめに

成て気の毒顔 エゝまだ何やら言伝(ことづか)つ

て来たが落としはせぬかと懐さがし ヲツト

有るはサア是見やんせと一通を 渡せば

弥籐次押ひらき ナニ/\我不肖たるに

 

 

172

よつて 暫く心を惑はすといへども

今一天四海御手の内に落入事 正しく

天の譲り給ふ万乗の御位(みくらい) 入鹿公に背くは天に

背くに同じと 先非を悔みて爰に降参

を乞者也 今より臣下に属(しよく)するの印 君

 

の齢を東方朔にたとへ此桃花酒(とうくわしゆ)

を以て御寿を祝し奉る 内大臣

原の鎌足謹で申と読上る ハゝゝなま

くら者の鎌足め 臣下とならんなんどゝは

イヤしら/\しき偽りやつ 何じや鎌殿を

 

 

173

うそつきとは 何ぞ慥な証拠がごん

すか ヤア小ざかしき証拠呼はり彼が心(しん)

腹(ぷく)いふて聞そふ ドレ聞ませうか 先此

入鹿を東方朔に譬たるが野心

の証跡 そりや又なじよに ヲゝ昔漢

 

武帝が代に東方朔といへるやつ

三千年に一度身の作(な)る桃を 三度(みたび)

盗でくらひし故 九千年の齢をたもつ

桃に百(もゝ)の縁をかたどり百敷百官を手

に入し入鹿を 盗人なりといはぬ斗の

 

 

174

底工(そこたくみ) 憎(にっく)いやつと居尺高(いだけたか) イヤ/\そりや無理

じや/\ヤアうづ虫め 何を知てこしやくやつ

イヤ何にもしらんけど かはりに成てきた

おれじやによつて一番いふのじや ヲゝ鎌

足がかはりならば 是をもかはりに心見

 

よと 傍なる嶋臺追取て眉間へ

はつしと打付る 臺はみぢんに飛

ちれど びく共動かず アゝよいかげんに

だゝけさしやれ 其厄払ひの代物

東方朔とやらにたとへたといふて

 

 

175

業わかすのか年にあやからんせと

こそ書ておこさしやつたれ 盗人と

書いちやないぞや 夫にそつちから色々

の講釈を付けて盗人ぜんさく しつた

同士(どし)はすゞしいとやらで 盗人の覚が

 

有るかして今の投打 アゝこなんは正直な

人様じやと世間の噂 見ると聞くと

で大きなちがひ ヲゝそんな盗人と鎌殿を

懇ろにはおれがさすまいはいの 仁体にも

似合ぬ事さんすの よもやそふじや

 

 

176

有まいがの 但覚へがごんすか イヤそふ

かいのと 文盲だらけも理屈は理屈

どふでござるとやり込れば 邪智の入鹿

もにが笑ひ ハテ口がしこく云まげしな

ういやつ出かした 其褒美にハ鎌足

 

が実否(じつふ)を正す迄己は人質 最早

籠中の鳥同然 帰る事はならぬ

と思へ ヤア/\玄蕃弥籐次 いざ萩

殿にて天盃を廻らさん 来たれやつ

と引つれて帳臺深く入にけり アゝコレ/\

 

 

177

おれを質に取らしやると 着物や

道具と違ふて 代物が飯くふぞや

併あの業腹では大抵で喰しおる

まい ヲゝすき腹に今の酒でよつぽど

酔が来たはい ドリヤどこでなと一寝入

 

やつてこまそと伸あがり エゝ腰か

おもい筈よ此大小 らつしもないもの

さゝしておこして あた面倒なと縁板へ

くはたりと鳴るは相図かと つき出す

鑓はしの薄(すゝき)構はずころり 肘枕

 

 

178

不敵なりける男なり 御所より外は咲

出ぬ若きこだちが入かはり男見に

くるいそには お茶よお菓子よ

たばこ盆銚子かはらけ持て出 コレ

そな人は何御用で お召寄せ有しは

 

知ねど 嘸待久しう気もつきやう

九献一つとさし置ば體寝返り腹

這に ほう杖つく/\゛打ながめ フン貴

さま達は誰じや ヲゝ我々は上様の 身

近く召さるゝ女共 何じや 短い女子じや

 

 

179

ドレ/\成程どれも是もに入込だ者

じや わいらは爰な食焚(めしたき)じやな

テモけぶな前垂して居るな エゝ

つがもないざればみ事 わしらを

とゆるそなたの名は ヲゝづか 何ふか

 

とは ハテ商売の夜網に出りや 沖

でも礒でも行き当りに よふ寝る故

にふか七といふ 漁師/\ ヤア料紙とは

なんぞ書てたもるのか それならば

必絵や歌はいやじやぞや 今難

 

 

180

波津で持はやす かぶき芝居

の其中でも よふ聞及んだ文七

や 八蔵の紋ならば書てほしいと

しどもなき 桜の局摺よつて

そふして下(した)/\もみなそなたの

 

様な男かや よい男もたんと有てあろ

地下の女子は羨しい 芝居は見

次第よい男は持次第 ほんにまた

此御所女には何がなる 見るも/\

冠装束 窮屈で急な逢瀬の

 

 

181

其場でも 衣紋の紐よ 上帯よ解く

かほどくか 大抵では下紐迄は手がとゝ

かずつい其内には花に風 月に村

雲さはりが出来て ほいない別れをする

はいのといふさへ顔に紅葉の局 中将

 

や少将あたりで恋すれば あのおいかげが

邪魔に成り 尻目づかひは出来ぬ/\ 其上

悋気いさかひもこつちからは檜扇で たゝ

けばあつちは笏で留め つつぱり返つていきつ

た斗 いらふても見ぬさかほこの 雫情も

 

 

182

受て見ず しんき/\でくらそより いつその

事に玉の緒もたへなばたへたがましで

有ろ もしもやさそふ水しも有らば 逝(いに)たいはい

のとふか七にひしと二人は抱付 恟りはい

もう業にやし エゝけたいなげんさいめら あつ

 

ちへきり/\うせあがれと けんもほろゝに

云ちらされ さつてもすげない恋しらず

玉の盃底抜男 無骨者よと不興し

て ほいなく奥へ入似けり 傍(あたり)見廻し長持

の酒 庭の千草にさら/\とそゝぎかくれば

 

 

183

忽に葉立も変じて枯しぼむ ハゝハゝフゝゝゝ最

前の鑓といひ 又候や此毒酒 ハレヤレ

きつい用心と 猶打見やり庭先へ

弓と矢つがひばら/\/\ 追取かこませ宮

越玄蕃 いかにしても心得ぬ頬魂 尋ね

 

問べき子細有ば引立こよとの綸言

成ぞ 早く参れ ヲゝ呼にごんせいでも

行のじや 仮初にもびこ/\と ちよつと

でもさはるがいな 腰骨踏おり せん

きの虫と生別れさすっぞ ヤコレ家来共さん

 

 

184

わり様達も其鳥おどし放すがさい

ご とつつかまへて首引抜 かたはしから

ぬたにするぞ ヤどりやおれから先へ行き

やんしよと 事共思はぬ大胆もの

胸の 強弓屋襖を引明けてこそ「入にける