仮想空間

趣味の変体仮名

夕霧阿波鳴渡 上之巻

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース イ14-00002-816

 

 

2(左頁)

  夕霧阿波鳴渡  近松門左衛門

年の内に春は来にけり一うすに 餅花

ひらく餅つきのにぎ/\はしや九軒

町 嘉例の日取吉田屋の庭の竃は

難波津の 歌の心よ井籠(せいろう)のゆ気の大

ぎね おろせの長兵衛が大あさで やあえい

中いのまんがうす取の さつ やあえい さつ

やあえいさつ さつさつけ/\ ハツア木やりで

 

 

3

つきやれな 先えはう棚神の棚 鏡とる/\

やり手衆の かほにとり粉(こ)の面しろいとてよね

衆の笑ひ かぶろが手折る柳の枝の 春も

ちかづく 手もちかづく やがてくるわも谷の

戸も 出て初ねの鶯の はねづくろひの君も

有 正月がひのだい/\じん 太夫殿よりつけ届け

かどをうる声山草や ちよつといはひましよ

うら白ゆづり葉 ごまめでござんせの春なかに

 

いよしもかはらぬ御げんまで あふせをちぎる餅は

きね ついてはなれぬお客をいはひ うすへ入ます

ます/\ぜんせい ざしきはぜんざい にはにせき候こ

りやまためでたい あげ屋の餅つき もん日の

長もちお客に太こ持 こりや又にぎ/\女郎衆

にやり持 お家はかね持だい/\ふく/\ 松ふくふく/\

松風や松うる こえこそ「恋風の 其扇屋

の 金山と 名は立のぼる夕ぎりや秋の末より

 

 

4

ぶら/\と ねたりおきたりおもやせて 薬も日かず

ふる雪のおもらぬさきの養生と つとめも心まゝな

れど ふかきよしみの吉田屋は 足もとかろき道中

や のれんくゞるもちからなくけふはめでたふござんす

アゝしんどうやとこしうちかけ 我身をよこになげ

入の水仙きよきすがたなり 喜左衛門きげんよく是は/\

太夫様 御気色もよいかして聞た程やせもなされ

ず おかほ持もずんどよい先今日は嘉例の餅つき

 

格子へお出なされてより去年のけふ迄 伊左衛門様

とおふたり一どもおはづれなされぬに ことしのもち

つきばつかり伊左衛門様はるらう遊ばす お前は御

病気嘉例をはづす所 此喜左衛門づつう八百 ちよつ

と成共よびましたいとねがふ折から けふのお客は四国の

お侍 つれんでつむりは見へね共すみ前がみのお小姓ら

しい 其器量のよさおぼこさ 道頓堀の若衆方女方

ひつさらへてもけもないこと 四国西国かくれない夕霧と

 

 

5

いふ太夫に 近付になりたいとてわざ/\大坂で御越年

おきあひにかまふとて初対面はおつとめなされぬも

存ながら よびにしんぜたさすがおなじみの喜左衛門 いや

おふなしの御出 身いはひと申どつといふた餅つき かく

もしり餅ついて悦びます 是杉沖之丞 中の間へい

てぜんざいいはや こゝはひえます太夫様先おざしきへと

いひければ アゝわたしが気色もよいがよいにはたゝね共

伊左衛門様とふたりづれ一どもかゝさぬけふの日なれば 命

 

の内にちよつときて伊左衛門様にあふ心 こなさん達

のかほ見たいと思ふ折ふしよびにきたを幸に こゝ迄

はきましたざしきはきまゝにつとめる そふ思ふて下ん

せ何が扨おきまかせ どふ成共そろべくそろにやらしやんせと

ざしきへ「こそは出しけれ冬あみ笠も あかばりて 紙

子の火うちひざのさら 風(かざ)吹しのぐ忍ぶ草 しのぶとす

れどいにしへの 花は嵐の おとがひに けふの寒さをく

びしばる はみ出しつばもかみびてこじりのつまりし

 

 

6

師走のはて。うさんらしく吉田屋の内をのぞいて 喜

左衛門やどにか ちよつとあはふ 喜左衛門/\とはなに扇

の大へい也 男共口々にヤアあいつは何者じや 風の神

か鳥おどしの様なざまでなんじや喜左衛門にあはふ 百

貫目もつかふ大じんのいふ様な ぼうまかれなというけれ

ば ヲゝ百貫目がそれ程とふとい物でもない 喜左衛門

といふべきものでいふ程にあはせてくれい どりやあは

せてくれふ こんなめにあはせてくれふと 竹ばゝきもつて

 

かゝるを喜左衛門とびおり ねだれしかしらぬそさうす

な どなたでござると笠をのぞいて ヤア伊左衛門が なん

と喜左 是は夢か七つか 扨お久しやなつかしや 京大仏

の馬町に御ひつそくとうけ給 霧殿よりは数通の

御状 飛脚も二三度奈良大津迄尋され たつた今

もお噂先おなじみの小ざしきで 二年つもるお物語いざお通り

と袖ひけば アゝ紙子ざはりがあらひ/\ 是ひけばやぶれるつ

かめば跡にしはす坊主師走浪人 むかしはやりが迎ひに

 

 

7

出る今はやう/\長刀の ざうりをぬいであみ笠の中の座

敷に通りしが お寒からふと喜左衛門 ちりめんにもみうらの小

袖をふはと打かくる 申是はいはれぬ寒ざらしの伊左衛門少も

くるしからね共 心ざしを着いたすと いたゞいてきる有様 喜

左衛門つく/\゛見て エゝうき世じや藤屋の伊左衛門様に 此

吉田屋の喜左衛門がきせまする小袖 たとへ蜀紅の錦て

もいたゞいてめしませふか ほんに涙がこぼれますと目をするを

見ていや是喜左衛門 此紙子の仕合さら/\無念と存ぜぬ 惣

 

じておもたい俵物材木でも牛馬がおほはめづらしから

ぬ 犬かねこがおほたらば是はと人が手をうたふ 我らも其

通紙子のあはせ一枚で 七百貫目の借銭おほて ぎく共

せぬはおそらく藤屋の伊左衛門 日本にひとりの男 此身

がかねじやそれでひへてたまらぬ ヤアウ此身がかねとは

忝い 喜左衛門が餅つきに大きなかねがお入なされた これ

からまだ蓬莱はかざらね共 先正月の心三ばうかざつて

もつておじやとて入ければ 内儀はあつとゆづりはにほなが

 

 

8

折しくだい/\かうじ みかんや何やかやかち栗おゆかしや/\

久しぶりで御無事なおかほお嬉し様やと出めれば 伊左衛門

とかふのあいさつ涙ぐみ ふうふの衆が念頃に蓬莱と迄気が

つけ共 夕共霧共云出さぬ ほのかにきけば夕霧が身がこ

とを気やみにして 命あぶなしと聞及しが いかふおもいか但無

常の夕霧と 消うせてしまふたか なげきをかけまいとて云

出さぬ かせい文でなくまいかたつてきかしや なかぬ/\といふ

こえも気遣涙ににごりけり いや/\是はお道理 霧様の

 

御気色秋の頃がさん/\で つとめもお引なされしが寒に入

て少御快気 すなはち阿波のお侍正月もなさるゝはづで

今日是にといひもはてぬに伊左衛門 ヤア/\それは真実か

はてうそか誠か隣ざしき のぞいて御覧なされませ 伊

左衛門はつとせいたるがん色にてしばし詞もなかりしが なふ内儀

天地ひらけはじまりて 誠あるけいせいとかれうびんのおん

鳥は絵にかいたも見た者ない そうかの様なけいせいめにみ

ぢんも心は残らね共 しつての通あいつが腹から出た身が伜

 

 

9

しかも男子であければ七つ もとのやり手玉が才覚でさとに

やつたとやら けふきたは其伜がことにつちてきたれ共 定て里に

やつたも偽ねぢころしてかな捨つらん 阿波の侍と云は合点此

前我とはり合た 阿波の大じん平と云者 つら/\思へばけいせい

かひより紙くずかひがましじや かねだして此方へ取物は状

文ばつかり 七百貫目が紙くずではふじの山のはりぬきもらく

なこと 仕合のわるい時はなんでそれをせふもしらぬ 無用の涙で紙

子の袖ぬらした つぎめがはなれぬさきに罷帰ると立んとす アゝ

 

あんまり御たんきおくのお客は平様ではござりませぬ いや

/\平でもつぼでも此方したくよふござると立あがりる それは

お前のけんどんと申もの 先夕霧様にあはせましよ いやとて

もけんどんなら 夕霧よりそば切にいたそふと すねまはる其

中におくざしきより手をたゝく あれかぶろ衆はどこにぞと いひ

つゝ出る内儀につれてふすまのかげよりさしのぞけば ふたりなれ

にし床柱もたれかゝるもかた見ぞと 忘れもやらぬ物ごしは慥に

かの人何がなしほに座を立て あひたや見たやと心もせき

 

 

10

そむけてむかふ客のかほ さも大名の小姓立風よしの衣

裳つき ぱつぱのさめざやぞうがんつばわか紫のほうろく頭

巾 懐中より香包名木火鉢にくゆらせ かゝ是へきやれ

身なんどが様な奉公人は 殿の御前に相つめ たまさか遊興所へ

参るもきばらしと云内に 第一は夕霧殿に恋有故 君のき

げんのよい様にお身を頼む 一つのみやれ肴せんと ひらり紙花

七九寸木枕に打敷て よこになるとのあは大じん 夕霧が打

かけに 両足ぐつと入ければ扨もなめたり/\ 此夕霧に足もた

 

すはこりやちつと慮外そふな それ程足が苦にならば

うちおつて捨たがよいと 云捨てつゝと立次へ出れば伊左衛門

ちやつとねころぶひぢ枕空ねいりして高いびき はつと斗

に夕霧わが身をともにうちかけに 引まとひよせとんとね

てだきつきしめよせなきけるが なふ伊左衛門様/\ 目をさまし

て下んせ わしや煩ふてとふにしぬるはづなれど けふ迄命ながらへたは

ま一どあはせて下さるゝ 神仏のひかへ綱是なつかしうはないかいの kほ

が見たふはないかいのめをあいて下んでと ゆりおこし/\だきおこせばむつくと

 

 

11

おき 横さまにとつてなげ 是夕霧殿とやら夕めし殿とやら

節季師走こなたの様に隙ではない 七百貫目の借銭おほ

て夜ひるかせぐ伊左衛門 此様な時ねゝばならぬ じやまなされ

なそうか殿と ころりとふして又ごう/\と空いびき ムゝウ身

に覚えはなけれ共うらみがあらば聞ませふ ねさせはせぬと

引おこす 是なんとする 此体でも藤屋の伊左衛門 今のごとく

おくざしきの侍に ふまれたりけられたりする女郎に近付は

もたぬ こゝな万ざいげいせい 万ざいならば春おじや通りや/\

 

と云ければ ムゝウ此夕霧を万ざいとは ヲウ万ざいけいせいの

いんえんしらずか 侍の足にかけてけらるゝを 万ざいげいせいと

いふぞや 誠にめてたふ侍ける しかもあしだはいてけるやら 年

立かへるあしだにて 誠にめでたふさふらひける 聞くへたか去な

がら何も身すぎ あの様なよい衆にはけられてもそんはいかぬ

よくをっしらねば身が立ぬ よくわかに御万ざいや年立かへる

あしだにて 誠にめでたふさふらひける 町人もける伊左衛門もける

ける/\けるとけちらかし 是喜左餅でも米でもやつたやりやと

 

 

12

たばこ引よせふくきせるのさらぬ体にていたりけり 夕ぎり

わつとむせかへりエゝこなさん共覚えぬ 此夕霧をまだけいせいと

思ふてか ほんのめをとじやないかいの あければわたしも廿二十五

のくれからあひかゝり なん年に成とぞ もふけた子さへまちとで

はや七つ 誠をいはゞ今頃は一門中の状文にも 伊左衛門内ゟ

とかいても人のとがめぬこと わたしにうらみが有ならばこな様

にもうらみが有 去年のくれから丸一年二年ごしに音づれ

なく それはいく世の物あんじそれ故に此病 やせをとろへが目に

 

見へぬか 煎薬とねり薬と針とあんまでやう/\と 命つない

でたまさかにあふてこなたにあまようと 思ふ所をさか様

なこりやむごらしいどふぞいの わしが心かはつたらふんで斗を

かんすかたゝいて斗えおかんすか 是しにかゝつている夕霧じや

笑ひがほ見せて下んせ おがんます エゝ心づよいどうよくな

にくやとひざに引よせて たゝいつさすつゝこえをあげ 涙

みだれてかみほどけわけも しやうねもなかりけり 伊左衛門

も涙にくれ ヲゝあやまつた外にさしてうらみなけれ共 命

 

 

13

にかへぬ大じの女房おくざしきのわかい者 我ものづらがむつ

として思はぬ腹立こらへてたも 我とてもうき身の体誠

の正体見給へと 小袖くるりとぬぎければはだにあはせのや

れ紙子 四千八枚みだの願 つぎは平等施(せ)一切どうふるう

こそあはれなれ 伊左衛門涙をおさへ 扨かのせがれは無事で

里にあることか なんとしたぞといひければ されは其子を里

にやりしと申せしはいつはり まゝならぬお身の上くらうにさせ

ますきのどくさ かの阿波の大じん平岡左近といふ人と わし

 

とが中の子といひかけてぬりつけて見たれば 人はおろかな

まんまとたらされ受取て 腹はかり物武士の種とてうあい

にあふと聞につけ 身のうき時は色々のこはいちえも出る物と

かたりもあへぬに伊左衛門ムゝウさもあらふこと 去ながら我い

にしへの手代共 其子をつき立母へそせうし 藤屋の家を取立

たいとの談合有 どふぞわけをいふて取かへす しあんがしたいと

云所に おくより内儀色ちがへなふおとましや/\ おふたりこゝの

咄がおくのざしきへつゝぬけ お客様はぶけうがほじきにあふ

 

 

14

ていふこと有と 今こゝへお出なふ喜左衛門殿こちの人と 皆々こは

がりひそめく所へ客は刀をひつさげ アゝ是伊左衛門殿夕霧殿

おどろくことは少もない 是其せうことづきんをとればつき出し

びんの下かうがい べつかうさし櫛さしものすい共あきれて

ふしんはれやらず ヲゝいかにもふしんの立はづ 男にばけたる其

間はなんの其と思ひしが をなごの姿をあらはして此中でもの

申はおはもじながら かの阿波の大じん平岡左近が本さい雪

と申は我身こと 夕霧殿のかりの情つれあひの子をたん生

 

とて 此方へ請取いはゞ我がよろこぶ子 はらもいたま

ずくらうせずうんでもらひし忝き あだにもせずも

里そだて 手ならひよみ物弓鑓迄もきようにて

国どなりの土佐ごまひかせのつたすがたは あつはれ平

岡左近が世つぎ 七百石のむし也と御家中のほめもの

さぞ見たからふし見せたし ひとつはあの子がみやうがの

ため夕霧殿を請出し 一所にともなひくらなんと 心ねも

聞んためおはぐろおとしつあられぬさまで 只今きけば

 

 

15

我つれあひをたらして伊左衛門の子をつきつけたと聞より

はつとむねふさがり おつとの武士はすたつたエゝうらめしい夕

霧 男にばけたを幸とびかゝつてさし通し 我もしなふと

刀を取は取たれ共 しんだ跡で此雪がけいせいにりんきして

あほうじにといはれてはいよ/\男の名を出すと とまる

もとのごをおもふ故 ないことさへいふ世のさがなさ あはの

平岡左近こそ 町人の子をけいせいにつきつけられたと取

沙汰し 殿様のおみゝにたてばよい仕合で御かいえき

 

あほうばらひか切腹かしゝても悪名こえばこそ 此

所を了簡しあの子を其まゝ下されば 侍ひとりの取立生々

世々のお情ぞや 我人我子は大じのものことに思ふ人の子を

思はぬ人の子といふは何しに心よからふぞ それはながれの身

のつらさ 侍の妻には又此様なうきこと有 をなごと生れし此

いんぐは女御更衣になるとても うら山しうは思はぬと心の底

をくどきたて 涙わりなき物語 夕霧ふうふ吉田屋の一家

袖をぞぬらしける 伊左衛門つゝと出ハゝア賢女貞女かな

 

 

17

左近殿とは夕霧故いこんはあれ共それはわたくし 拙者も

かのせがれを力に 出世の望みござれ共 武家のお名にはかへ

られずしんずると云迄もなし いぜん夕霧が申通 左近殿の

様子息伊左衛門が子ではござらぬ アゝ忝い夕霧殿もそふじや

ぞや はてぬしのがてんの上からはわたしがいなとは申されぬ 去ながら

命の内 ちよつと見せて下さんせと涙にむせぶぞ道理なる ヲゝ心

得た/\ 万事むねにこめました身請のことも吉田屋と ちか

/\に談合しませふあの子が成人するに付 伊左衛門殿もたの

 

しみサアけい約のかための盃 いよ/\あの子はこつちの子平岡左

近が惣領 さらり/\と手をうつrてくるわでざゝんざめづらしゝ 日も暮

かゝれば若たう中間かごつらせ 阿波の旦那のお迎ひ 是下人も

忍ぶ此姿 もとの男となりふりつくり 頭巾大小印ろう

きんちやくてい主さらば 夕霧ことはおつ付是よりびん

きせふ 万事頼むうけこみましたと ひざをかゞめる

こしかゞめる こし本つれるをひきかへて おろせがをくる

大もんや 口をきこよりおく様のふかき なさけや「たちかへる