仮想空間

趣味の変体仮名

夕霧阿波鳴渡 下之巻 相の山

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html

     浄瑠璃本データベース イ14-00002-816

 

31(左頁)

  下之巻

〽夕べあしたの かねのこえしじやくめつ いらくとひゞけども聞てナ

おどろく人もなく のべより あなたの 友とてはけちみやく

ひとつにじゆず一れん是が めいどの友となる エゝ物もらひでも

めかりをきかしや 是程医者の出入やら神子の御ふうのと 屋内

がもてかやひて 七種(くなゝさ)はやす間もないが目に見へぬか 通りや

/\と云所へ梅庵御見廻四枚がた おりいの衣長ばをり医者は

おくへぞ通りける 伊左衛門あみ笠かたふけ小ごえに成 やれ源之介

 

 

32

かゝが気色がおもそふな 命の内にま一ど見せたく此姿にてき

たれ共 もはや見せることも見ることも 成まいとさゝやけば源之介

早ふあひたいことじやとて父にすがりて泣いたり 梅庵様お帰り

と 表へ出ればやり手杉家内の上下ついて出 病気はどふでござり

ます 梅庵かぶりをふつて ぎばへんじやくでも叶ぬ 物にたとへて

いはゞひあがつたかはらけに とう心一筋とぼひて風吹に置様な

物 けふの日中かをそふて初夜かぎり もはやどくも何もかまはず

気任せにしたがよい アゝおしい人じや 夕霧/\といふて おやかたに

 

いかいかねもうけてやつた女郎じや 達者な内に此梅庵あ

の人を一年もてば 今頃はさぢとらいでも楽するもの あつたらか

ねをあの世へやる 是がほんの来世がねじやと いひすて帰れば

扇屋一家は打しほれ返答する者もなし ヤレ源之介医者の云

分聞たか もふ叶はぬ思ひきれ アゝ悲しやどうぞかゝ様のしなしや

れぬ様にして下されと取付 なげくぞふびんなる 扇屋了空ふうふ

涙かた手にふとん手づからおうへにしき 今のあひの山がおくへ聞へて

太夫の慰に是へ出て聞たいとおしやる 是へはいつておもしろいこと

 

 

33

うたふてなぐさめて下されと¥あつとおやこは笠かたふけおくを見やれば

夕霧は ふようのまなじりをとろへて夕べまつまの玉のをの 今ぞ

きれ行いきづかひ やり手禿に手をひかれ かたに「かゝりし其姿

おやこはめもくれ むねふさがりもるゝ涙を夕霧も それと見る

よりとびたつごとく 心をむねにつみたゝむふとんの上にかつはとふし

おもひを涙にかよはせて 人めを中にはゞかりの せきたぐるこそ

あはれなれ サア/\あひの山はやふ/\といひければ あつと涙

の玉ざくら うたふこえにも血の涙 子はやすかたのさえづりや

 

  あひの山

〽夕あしたの うきつとめ 花一時のながめとはしれ共 まよふ

数々の文にそめても誠はうすく思ふかたへとするが成 ふじも

ふもとの恋の山我ふみわけて我まよふ 夢の中戸の夢枕 月

をにくみし夜はも有 つらいざしきをもらはれてよそに 行身をかの人

に ちよつとかしまの神もしれ しんぞ嬉しさかいはいさの 身にもこたへ

てわすれめや 初手二ど迄はふる雪のつみもおそれぬ無理起請

神も仏も二つのみゝにうそと 誠をさゝやきのはしのくもでに物おもふ

 

 

34

かうしたゝくをあいづにてまれの御げんもまがきごし 何をなげくぞ歎

きても身は十年のつなぎ舟 出舟のけふのなごりの床あすの朝ごみ

枕より 跡よりやり手のせめくるはかしやくのせめより なをつらくしまひ太

この音迄も じやくめついらくとひゞくなり しでの山ぢは誰とてもひと

つとまりの旅のやど うき世へたつる涙川此世にうき名さらしなや

をば捨おやすて身をつてゝ桜花やちり/\゛五つでは糸をより

そめ六つやなにはに 此身しづめて八つでやり手につきそひ 九つで恋

の小づかひ 十(とを)や十五のはつすがた かもじ入ずの ちがみふさ/\いしやうの

 

こなし 心りはつで道中よふて 恋しりわけしり文のぶんしやう 思ひ

まいらせそろべくそろ 床は伽羅/\ぢんじやかうのかほり迄 今のたむけと

くゆらする 種まき捨しなでしこの花のさかりをよそに見て おし

や三づのかは霧と きゆる其身も人めにも きのふけふとは今迄に

じゆずを手にとることもなく 何をか後世のみやげ共いさしら露

のあだしのや のべより あなたの友とてはしきみ一枝一しづくこれが

めいどの友となる しるべとなれや此ことばかた見友なれえかうとなれ ま

よふな我もまよはじと 思ひをこめし一ふしに聞人 あはれをもよほせり

 

 

35

扇屋ふうふなさけ深くなふこなたは聞及ぶ 藤屋の伊左衛門殿

そふな 忍ぶことも時によるむすめ共思夕霧が りんじうの心

がたんのふさせたいはやふあふてくだされ アゝかたじけないと走り

より 太夫又あひにきたはいの 伊左衛門様わしやしぬるはいのふ かゝ

様しんで下さるなと すがり付ば家内の上下 わつと一どにこえを

あげ泣しづむこそ道理なれおもき 枕に手を合せ旦那様ちいさい

時より御くらうに預り 御恩もほうぜずしにまする 是さへはかなふ

ござんすにいとしい男かはいひ子に あはせて下んすもふわしや仏

 

でござんすとてものことに伊左衛門様の手で 此かみ切てもらひ仏

のかたちになつて おやこの手から水を/\と云こえもたへ/\゛にこそ

成にけれ ヲゝかみかざりはかりのたはふれ 仏の三十二相とはあら木作

りのそとばを云 只今其が切かみ阿字の一刀 みだのりけんをもつ

てぼんなうのきづなとくはん念せよと さしぞへぬいてふたりそひねの

ねみだれがみ ふつゝときれば源之介あつたらかみをと身にそへて もだへ

ふしてぞなげきける かさねてしきみの水をたづさへ是夕霧 人がいは一

生造悪(ざうあく)のしやばせかい わけて遊君ながれの身は おもてに紅(かう)

 

 

36

粉(ふん)をかざつてあまたの人をまよはし 綾羅錦繍(れうらきんしう)を身にまとひ

おほくの酒をくみながし ぼんなうのたねをうへてぼだいの根をさつとは

遊女のこと 此水は極楽の八功徳池(はっくどくち)の水と思ひ 雨甘露法雨愍(うかんろほううみん)

衆生故(しゆじやうこ)ときく時は 是をのんで心身をうるほし九ほんの上せつに

往生し 半蓮をわけて待ていや 是其しるしと同じくかみを

をし切て 親子ふうふのたむけの水あはれにも又頼もしゝ かゝる所に吉

田屋の喜左衛門 六尺にかねばこもたせ 是は平岡左近様のおく

がたお雪様の御使 夕霧を請出す所其はづちがひぜひもなし

 

され共代金八百両 其ための金子なれば外につかはん様なし

御病気以の外のよし此金にて請出し 一時なりともくる

わの外にて 往生させませとのお使なりといふ所へ 下ばか

まのわかい者かねばこあまたかたげさせ 是々扇屋殿 我らは

藤屋伊左衛門様の御老母 藤屋妙順様よりのお使 伊左衛門

様はてゝごの御かん当今は此世になきお人なれば お袋様の

我まゝに勘当御めんはなりがたし 夕霧様には御一子迄有こ

とよめご孫ほに勘当はなし 藤屋妙順がよめをくるわのうち

 

 

37

にてころされず 一時成共くるわを出し 外にて往生させまし

たいとのおねがひ 金子二千両ぢさんいたす サア/\片時もくる

わを出して下されと きほひいさめば扇屋了空 御尤なれ

共金子をとつて隙をやるとは 行末の年月無事でつとめる

女郎のこと 今しぬる夕霧に大分の金銀とつて 隙をやるは此

扇屋はぬす人と申もの ことにぜんせいして親かたに 大分もう

けてくれられた此太夫 命さへあらふならば 此扇屋が身代半

分はいれまする 此金子夕霧そなたにやる りんじうに金やる

 

とはいなこと申様なれど 此金では万部の経もよまるゝ 跡の

追善ゆいごんめされサア/\いとまをやつた くるわをつれてお出

なされと きれはなれたるいきかたはさすが所にすめば

なり 今をかぎりの夕霧につことわらひ アゝどなたも/\有がた

い御心ざし お礼申て下されませ是源之介 此かねは親方様

より下された そなたにかゝがゆづりじやゆゝしい町人になつて とつ様の

名をあげてたも わがみの出世を草葉のかげより見るならば 万僧くやうに

もまさりて かゝは仏になるぞや 去ながら 伊左衛門様源之介に妙順様を

 

 

38

ならべて 三尊らいかうとおがみたふごさんす ヤ妙順様よびにはしれと立さはぐ

いやよびにやる迄もなし きづかひがつてアレ門口にと 手代ともなひ入ければ

なふ花よめごめつらしや/\ うれしいたい面誠の仏は西方のお迎ひ 此妙順は

こちの家へむかへ取 かねずくめにして養生し 此しうとめがせい力でほん

ぶくさせて見せふぞと 家内がいさむきほひにつれて諸病はきより

ほんぶくの かほもいき/\にこ/\と立てをどるや扇屋夕霧 うれへかへつて

よろこびをかたり つたへて三十五年 又五十年又百年千とせの秋

の夕霧を なを万代の春の花見る人 そでをぞつらねける