仮想空間

趣味の変体仮名

二代尾上忠義伝 十段目追考

 

読んだ本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301710

 

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 30
「十段め追考の文句」
こゝにあしかゞの扇が
谷の御やかた縫の助の
くびじつけんあらん
とて花の方花若丸
上だんのまへ出
給へばをぢご
てんぜん和田
大杉左右に
こそはいなら
びぬくびおけ
たづさへ中老
尾上つぎめの
りんしふんじつ
の申しわけ
にはをぢご
てんぜん殿
御せつぷく
トはらきり
がたなにおどろく
てんぜん
「先尾上が
さし上し
みつしよにて
りんしのありかも
事めいはくト
のつぴきならぬ

 

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 ししよのせうと
源蔵はくびおけ
あくれば畑介が
くびにそえたる
ほをのをの書付
これもおなじく
げうてんの折から
花の方の仰として
「ひとつのかうたち
御かんき御めんの
紙崎小善めしうと  
ひきつれこれへとの
ことばのしたおらいを
いましめ紙崎が
御ぜんにむかひ
「かねてせんくんの
御ゆいごん
まんゆうが
一子とうけに
あたする三郎 
といふものめし
とつて候といふに
源蔵見やりてこえを
かけ「ヤイ紙崎女を
とらへてそりや何の
たはこと「ヤアいふな源蔵
弟はた介をたばかり
とのをしいし奉り

 

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 此家国をうばひ京都へせめのぼり
足利家をほろぼさんとするなんぢが
むほん大杉とはかりの名まことは赤松
まんゆうがわすれがたみ三郎のり清で
あらふがななんぢがつまにわかるゝ時
又あふせう
ことわたした
ほそのを
元極に
平年の
たん生と
年月日時
たしかな
かきつけ
まつた今あたふる
はらきりがたなは
まんゆうが
死する
とき
はがあた

つけし
わが父の
さしぞへ
眼兵衛も妹
道しばも
その刀にて
死したれば
なんぢも
それにて

 

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 はら切らば主従おや子うち死同前
まだ此上にはら切らずは持氏卿御御取立を
おもふ武士のなさけなんぢが?侍ごん平
はくしやうせざれども所持なせし
足利家の重宝牛王丸は
まんゆうがうばひしめい
けんこれをもつてかい
しやくせばすなはち
あしかゞのけいばつ
どうぜんもはや
かなはぬじん
じやうに
かくご/\
「ヲゝいづにや
およぶわれ
こそはまんゆうが
一子三郎のり清
持氏を
はかり
あたあげ
させ京都へせめのぼり
四かいをしやうあくせんと
はかりしがてんかをのぞむ
きりやうなきゆえ
てんぜん仁木なんどを
かたらひかく
まではしおほ
せいがおひ
いださせし

 

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紙崎や尾上ごときに
はかられしかエゝ
むねんくち
をしや

此上はわが
みかたを
あつめ
京都を
ほろ
ぼし
天下を
にぎる
わが

もう
なん
ぢら
ごとき
の手
にのる
べきやと
かたなを
ぬいて
おらいがいま
しめきつて
すて小わき
にかゝえて
にはのから井
戸「サテこそ
ぬけみちと
めん/\かたち

 

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 かゝるを「イヤさわ
ぐまいかた/\゛
いづる所はひきが谷
の望月臺これを
さつして人数を
もつてとりかこ
めばごあんしん/\
とぬけめなき
紙崎が智?
のほどぞ
たくま
しき
○さても
源蔵は
ぬけ井戸
より望月
臺へはせ
のぼりみか
たをあつ
むるあひづの
のろしひゞ
くとひと
しく
よせせだいこ
「つぎへ」

 

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 「自ト段後 追考補綴 普米斎玉粒編述」

 

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 「十段目追考の文句」
ここに足利の扇が谷の御館縫之助の首実検あらんとて、花の方、花若丸、上段の前へ出で給えば、伯父御典膳、和田、大杉、左右にこそは居並びぬ。首桶携え中老尾上、「継ぎ目の綸旨紛失の申し訳には伯父御典膳殿御切腹」と腹切り刀に驚く典膳、「先尾上が差し上げし密書にて綸旨の有りかも事迷惑」とのっぴきならぬ密書の証拠、源蔵は首桶開くれば畑介が首に添えたる奉納の書き付け。これも同じく仰天の折から、花の方の仰せとして、「ひとつの孝立ち、御勘気御免の紙崎小善囚人(めしうど)引連れこれへ」との言葉の下、お来を縛め紙崎が御前に向かい、「予ねて先君の御遺言、満佑が一子当家に仇する三郎という者召捕って候」と言うに源蔵見やりて声をかけ、「やい紙崎、女を捕らえてそりゃ何の戯言」「やあ言うな源蔵、弟畑介を謀り殿を弑(しい)し奉り、この家国を奪い京都へ攻めのぼり足利家を滅ぼさんとする汝が謀反、大杉とは仮の名、真は赤松満佑が忘れ形見、三郎典膳であろうがな、汝が妻に別るる時、又会う証拠と渡した細の緒、元極二千年の誕生と、年月日時、確かな書き付け。又(まった)今与うる腹切り刀は満佑が死する時、歯形を付けし、我父の差添、眼兵衛も妹道芝もその刀にて死したれば、汝もそれにて腹切らば、主従親子討死目前、まだこの上に腹切らずば、持氏卿御取立を思う武士の情け、汝が?侍権平、白状はせざねども、所持なせし足利家の重宝牛王丸は満佑が奪いし名剣、これを以て介錯せば、即ち足利の刑罰同然、最早叶わぬ尋常に覚悟、覚悟」「おお、言うにや及ぶ、吾こそは満佑が一子三郎典膳、持氏を謀り旗揚げさせ、京都へ攻め上り四界を掌握せんと謀りしが、天下を望む器量無き故、典膳、仁木なんどを騙らい、かくまではし負せしが追い出ださせし、紙崎や尾上如きに図られしか、ええ無念、口惜しや。この上は我が味方を集め京都を滅ぼし天下を握る我が大望、汝ら如きの手に乗るべきや」と刀を抜いてお来が縛め切って捨て、小脇に抱えて庭の空井戸、「さてこそ抜け道」と面々が立ちかかるを、「いや騒ぐまい方々、出(いず)る所は比企谷(ひきがやつ)の望月台、これを殺して人数を以って取り囲めば御安心、御安心」と抜け目なき紙崎が智謀の程ぞ逞しき。

 

○さても源蔵は抜け井戸より望月台へ馳せ上り、味方を集むる合図の烽火、響くと等しく寄せ太鼓「次へ」