仮想空間

趣味の変体仮名

夏祭浪花鑑 五段目 道行妹背の走書

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/  ニ10-01283 

 

57左頁
第五 道行妹背の走書
ヲゝウイ/\ これ早ふ来てたもいの アゝ嬉しや今のは追手ではな
かつたそふな ヤアあのかねは九つ心も 恋路の闇に 迷へど道は迷はじ
と 松屋町筋一筋に 思ひそめたるべに桔梗お中が娘のめだつ
にぞ見へつ隠れつ軒伝ひ 恋の道には主従のわけもへだても
夏の夜に 空のあつさはしのげ共 こすにこされぬ人目の関は よに大
坂の町つゞき 行どあゆめどはかなきは 人をあやめてせばき世の うき


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身を何と清七も心の覚悟書き残す 筆の歩みも道筋も
供にあやなきやたての墨 うすき此世の契りとしらで わしと
そなたはあの常盤町 千歳の末の末迄と 恋ゆへつくる
つみどがを かけて見せばや両替町 露の命の値ひさへ見るかげ
ほそき煮売りの灯 かりそめならぬ身の上を さら/\/\と走り書き うどん
そば切きり/\と いそげば跡は くらきよりくらきに迷ふすみ衣 後の世
照らす提燈のかげに 立寄二人連 死に行身かいたはしやと えかうの声

も松虫のかねほそ/\゛と打ならしなむあみだ/\/\なむあみだ/\/\
いつか火宅を和泉町 我古郷の名にめでゝ かげ恥しき朝日の宮 逆櫓
の神もいにしへの武士の身ならば祈るべき 今一腰とくづおれてついに此
身の尾張坂のぼりつおりつしやな/\と 思ひあふたかふたりが中はかげと
日向の二つ紋 きたわいな/\ いとしかはいと しめて合て かはりなかはらじ瓦屋橋 我を尋
るかへせにあらで祭ならしの たいこかねうつゝか夢ならで 極楽橋も


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早渡る 見じかき縁も長町裏 いなばそよ/\ふくかぜに つれて
聞ゆる寺町の 鐘もいくつか四つ五つ 六つの御手にあいきゃうをね
がふも嬉し勝曼坂 此世からさへ浮瀬に さはぐ火かげのほの見へて
思ひ切とは死との事か死ば野山のわしや土となる 死る覚悟と 死ぬ
気と心々ののべの露 今宵限りの命ぞと書き置く筆のもしほ草世の
浮草や道草に いそぐ先さへあてどなく夜道はいとゞ身もつかれ 心づくしの
天満神を 爰にもうつす神垣や 安居のもりにぞつきにけり

お中はあとなき娘気にてコレのふ清七 かふ思ひあふて出たからは 云に及ばずほんの女夫 殊に
は二人くらす程 たくはへにことかゝねば 夜明ぬ中にそなたの古里泉へいて一日成共二人一所に
暮たいと心いそ/\いそぐにぞ ヲゝ成程所存をわけて咄さねば夫レも理り去ながら
金を衒た弥市めなれ共 殺した科遁ぬ/\ たとへ隠れ忍ぶ共ついにはさがし出
され しばり首討れて 親一門の顔よごし 物の見事に切腹せんと 道すから清七が
覚悟極めた此書置と聞よりわつと泣出し 道々も云通り死ぬる共生きる共 一所と云かはし
たに親にかへた大事の男 のめ/\と殺して生きながらへて いられふか ほんに聞へぬどう


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よくなと恨かこちて泣いたる ヲゝ其志は過分なれ共 よふ物を合点さつしやれ 二人一所
に死んではの 安居の宮の心中と 大坂中の口のはにかゝつて弥恥の上ぬり イヤとづ有ても一
所に死ぬ 死ての後は笑はれても恥かいても大事ない 所詮ながらへ果ぬ身を 早ふ殺して
/\とさいごをいそぐ心の中思ひやられていたはしき かゝる折節向ふより 野道あせ道ふら/\とふら
つき廻る小提燈 振上てヤア磯之丞様か 三婦殿か 三婦殿所しやござるまい 九郎兵衛が留
主の間に行方知ぬ故 預り人を取逃すと云 万一こな様の身にあやまち有ては九郎兵衛
が男が立ぬと日頃のあれが気 上を下へまぜかへし 川崎北野梅田堤の北方角は

九郎兵衛と一寸徳兵衛とふたりつれで尋に出る 女中は聞及ふ道具やの娘御じや
の かふ有づと思ふて 此釣船もなんば今宮生玉勝曼 心中くさい所を目利きして尋廻り
今爰で逢たのも 願ひ込だ数珠のおかげ忝い が二人共に嗜ましゃれ わづかな金を騙
れた迚 心中して死ふとは無分別の花盛り 娘御の内も嘸騒動 世間へばつとならぬ中 サア/\
早ふと気をせきたり アゝお世話忝い 知らるゝ通清七も以前は武士 色におぼれ心中する
所存ではし 我心底くど/\と云に及ず 此通に認め(したため)置くと渡せば取て押開き 提燈指し寄せ
フウ何じや 書置の事 中買は弥市に意趣有って今宵手にかけ切殺し ハアなむあみだ仏/\


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去によつて安居にて相果る者也 扨は其騙りめをおまへがはらして仕廻たか したり 夫レで死る
覚悟しや迄 コリヤ尤々 したがよふ切しやつた 後生一遍に取入て居る此三婦でも切らねばな
らぬ アゝ切ます 誓文切る気じやが 死るに及ばぬ なぜといはしやれ マア第一に弥市めはどす
どかしの大騙り 殺すが世界の為なれば ねふかふ切入ての御詮議も有まい たとへ有にしてから暫し
が間かげをしてござれば済む 此釣船が呑込でからは 大船に乗たと思ふて 気遣せまいと頼
もしき詞に二人も安堵せり アレ見さしやれ よそにも此手がはやるやら むしやうに人を
呼びますぞやと いふ間にちか付呼声は 慥にい中と聞へる/\ 何にもせよ此体を見

付られじと提燈吹けし 三人諸共かしこの木陰に忍びいる 清水の方より迷子のお中様 迷
娘のお中様と呼々来る道具や伝八 出入の男が手ンでに提燈棒つきちらし 浄るりや
ら物真似やら身にかゝらねば半分は雑口まじり声々に我も/\と呼音 伝八ほうどくは
ぬかし どう因果な娘にかゝつて 土用の中にかけあるき からだはぱんや 男共も嘸草臥 イヤ
もふ慮外も大がい こふ打揃ふてあるいても 祭の俄と違ひ所望がなふて淋しいな ハレわつけ
もない こちとらにはせいめきめ尋まはらして てつきりとお中様はとこぞの蚊帳へくすとはいり ま
面子を見る様にいつ付いて居さつしあろ イヤそふいはれぬ ことしの様に爰かしこで 切たのつ


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いたのかはやる時は 上になり下になりつかれて死んでゝあらふもしれまい ついでに茶臼も
尋て見よふ ヲゝそりやよい気の付けやう 十が九つ清七めがつれてのいたにきはまつた
伝八は休んでいる 大義ながら尋てくれい 心得太郎兵衛のば様ではない娘御と あだ口
々にいそき行 お中は木かげを走出 どこぞそこらに清七はいやらぬか 清七/\と尋廻るを
伝八が くまたか眼(まなこ)見付けたぞと鷲づかみ のふ伝八か悲しやな 情けにどふぞ見逃して死なし
てたもと泣わぶれど びつく共うごかさず こなたにかゝつて大勢がらりこつはい 夫レ程に死
たくば見逃してやりもせうが マアこなたは聞へぬぞや/\ よふおれを出しぬいてかけ落さしや

つた 此清七めはとこにおる されば今夜清七と死る覚悟で来たれ共 俄に心がかはつた
やらわしを捨てどうよくな あの人に見捨られ片時も生きて居ぬとかけ出すを又抱とめ
夫レ見てか おれにむかう当つた罰 今から伝八がおか様になる気なら 旦那の手前は
よしなにいはふ どふじや/\とふところへ無理無体 イヤ/\はなして殺してたもといふも
聞かず手を指し入れ 肌に付けたる金財布にさぐり当るも欲あかぼんのふ 色も恋
も投げやつて欲に目のない伝八 金せしめうと分別しかへ ハテそれ程に死たくば見逃
さふ がよもやよふ死にやさしやるゝまい イヤ/\死ぬる めいどから此恨み清七にいはいでは


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とはいふ物の刃物はなし ついに死んで見た事なければ どう死たがよからふ覚へてなら
おしへてたも ハテめつそうな 誰じやてゝ死で見た者どこにあろ 刃物がなくばない
やうに 世間通用の首くゝり サア其首はどふしてしめる そなたどうぞおしへてたも
是はめいわく あすからは首しめの 指南の看板を出さずは成まい こなたはおれが
首くゝりの一の弟子と 三尺手拭(のご)ひかゝへ帯 ひとつにしやんとひんむすびそば成る
枝にしつかとくゝり 扨是からが首しめのならひ事 よふ見よふぞや 此のとの仏
様を かうぐつとしめ付けて アゝいかふじゆつない物じや 此切株へかふ上り ひらりと飛

で見せたけれとそれではおれかたまらぬなんと合点か/\と足をつま立教へるを
三婦後ろより伝八が両足どうと踏落せば うんと斗にこくうをつかみしつてんはつとう
目を見出し 手足をあかち身をもがき狂ひじに死たる心地よくこそ見へにける
清七も走出お中様出来ました 工面の通り行おつたは己が罪己を責める天の
罰 ヲゝそふ共/\ 最前の書置に 当て名のないが是幸い 中買弥市を殺したをこいつが
科にする仕様 三婦が分別して置たと 清七の書置を死骸の傍に直し置き是でおまへに
難義がかゝらぬ 夜明けぬ中に一時も 早ふ/\と釣船が 両手に若木の花紅葉打連れてこそ「立帰