仮想空間

趣味の変体仮名

玉藻前曦袂 五段目 訴訟の段

 

読んだ本 http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/index.html
     ニ10-01240

 


75右頁
 第五 訴訟の段
李延年が詩(からうた)に 北方に佳人有 絶世にして独立す一度顧れば人の城を傾け

ふたゝび顧れば人の国傾るとかや 帝此頃御悩と称し大殿ごもりなし給へば 御兄
宮薄雲の王子政(まつりごと)と取行い江口の遊君亀菊を 宮中に招き入 色におぼれ
て公事行事怠り給ふぞ是非もなき 女郎達寄りこぞり ノウうの紫 王
子様は此間 みなせの川遊にお出なされ アノお傾城の亀菊殿がお目にとまり
御殿へ連てお帰りなされ 夜昼なしの御寵愛傾城の仕こなしといふ者は
きゃうといものではないかいの さればいのあの傾城が どれ程お気に入たやら 夜は
御寝所昼は御酒宴 政事さへお構なくきつい事じやととり/\の噂半ばへ


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奥殿より 里の姿を其儘に 媚(なまめ)く松の位山 御殿造りも揚げ先と おめる色
なき亀菊が 酒に乱るゝ千鳥足 そこに居るのは誰様じや 私一人を酔はして
置いて お手の悪いといふ中に 奥御殿より薄雲の王子しづ/\と歩み出 かめ
菊 紅葉山の詠めも興が尽たれば 又爰で酒にせふ サゝ盃持てと褥の上傍
に引寄のふ亀菊 此程の遊覧にそなたをつれ立帰りしより 三千の宮女迚
も目に付者は一人もない まろが心に叶ふ上は百官百司に披露して 女御受衣
とあがむべし 何と 憎ふ有まいがと余念なき詔り 其お詞は嬉しけれど

かはり安きは男の心 ついうつり気な増す花に 悪いせりふをさんしたら わしや聞か
んぞとひんとすね 是は又きつい疑ひ斯う成る上は何の其 四海の掟政も と
かくそもじの心任せ イエ/\何ぼう其様にいはしやんしても合点が行ぬ 其お詞に
違ひなくば お前の慥な心中か ホゝ心中合点 我王位の望有て奪ひ置たる
八咫の鏡 そもじに預置くからはかはらぬといふ慥な証拠 そんなら此御鏡と
やらを あの私に下さんすか せいもん嬉しふござんすと 取納る其前へ イヤ申し王子
様 先程陰陽の頭(かみ)安瀬の安成殿 玉藻の前にふしんの趣き 又亀菊さまに


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お尋申したい義有れば決断なし給はるべしとの願ひ まだ其外に此間よりの公
事訴状今日も築地の中に相詰居られます いかゞ致しませふと 尋に王子は
打うなづき 幸々亀菊に政事を任す手始めに 訴訟共を捌かせん 心任せに
決断せよと 御座を立て入給ふ 公卿武官の公事訴訟 傾城遊女の取捌前代
未聞の事也ける 仰を請て殿上に 亀菊憚る所なく 吸付煙草に長きせる
公沙汰も媚かし ソレもじ野けふの訴訟のおさん方 皆呼出しや アイと返
事も長廊下禿がなれし呼声に 玉し/\庭の訴訟人 懐紙にあらぬ願ひ

書く 御階間近くさし出せば 禿が取て読上る 亀菊様子をとつくと聞 願ひ人は
了簡内侍のお局相人は持兼の宰相様 コリヤお局様がおあし貸しなましたのじやな
お前もよい年してちつと嗜なませ 人に貸たおあしを戻せといふ様な無理な事
が有物かいな なぜといひなませ 宰相様も無心いふお客でもなりや 借りや
仕なませんわいな それじやによつて出来る迄待て上なさんすか それがいやなら帳消な
され それでさつぱりサア次とはでな捌きにお局は おあしも取ず帳消れ ぶつ/\
つぶやき控へ居る 次へのつしり立出る 禿(はげ)の中納言諸足卿 相人は衛符の仕丁


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又作 白丁の袖まくしえぼし横長にうづくまる お前の願いは何でおます 早ふいふて
見ませと 詞に冠傾けて まろが昨日の黄昏時 参内の帰るさに築垣の辺り
にてあれなる下主 お神酒たべ酔 まろが沓にてかれが足 憎しとやら又 にじりし
とやら 身に覚へなきぬれ衣着せ 束帯のえりしめ上げて頬打たゝきなせしゆへ
冠下が 頭痛八百叡慮をもつて糾明し まろが恨をはらしてたべ願ひは斯くと有ければ そん
なら行合に喧嘩しなましたのじやな ぞめきのお方に何ぼふも有る事 こちらの白丁様も
かんぺきらしい顔付じや もづかんにんして上なませ ハテしかられたら夜が寝よいじやない

かいな 又気が済んと思ひなますなら 酒でも買ふて中直り 何とお二人様此捌きはどふ
じやいなと 聞て又作笑壺に入り コリヤきよといお捌き イヤ申諸足様 此公事は互に五歩/\
是から奥の御庭へいて 小半(こなから)ぐつと引かけふと 味い事共いひちらし 奥庭さして入にけり
次の願ひはいかゞぞと 見やる向ふへ どつしりと 二八も過し品形 すつとお末のおはした
女 相人に取た右大弁 面目なげに居ならへば サア女中様 お前の願ひも云なませ
と とはれて顔に袖おほひ アノ私が願ひを爰でいふのかへ ヲゝ恥かしといふ形(なり)はぞつとする
程いやらし それではとんと訳がしれぬ サアいはしやんとせつかれて サア今さらいふも恥かし


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ながら 去年(こぞ)の初春(はつはる)廊下口 じつとお前が裸身で 腰付とらへいちや/\と願ひ叶へて
くれぬかと いやがる者をむりやりに紫宸殿の階の元へ 押付へし付けヲゝ恥しと顔
かくす そふして其跡はどふしやいなァ ハテいはいても知れた事 それからちよこ/\廊下の出
合 其おもどりがお胎(なか)に残り もふ七月でござんする おろしも流しも成る物か それに今
さら退ふとは むごいつれない胴欲と我身をどつさり宇大弁が膝に打伏しやくり
泣 こなたも道理と背な撫でさすり ほんにやれ/\ 恋程切成物はなし ついちよこ
/\と重なるえにし 情の数もおことが身に 三つの上は四つ五つ六 早七月と聞上は

さらに詞も絶せし有様 只此上は御前体 宜敷捌き給はれかしと冠も落ん斗
なり 亀菊おかしさ押かくし コリヤ公家様の手が悪い 身持ちに成たらしよ事がない
藝子様にも有ならひ 揚げ詰にすりや物が入る 金で仕切て仕廻んせと皆それ
/\に片付て粋(すい)な捌きに 手を合せ 嬉しさ形もいとひなく 咄しの残りは又後に
廊下で必ず頼むぞへと 尻目づかひのいやらしさ尻ふり 「ちらして出て行