仮想空間

趣味の変体仮名

生写朝顔話 二ノ口ノ奥 弓之助屋敷の段

 

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     ニ10-00109

 

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  弓之助家舗の段
爰に芸州岸戸の家臣 秋月弓之助が一構へ 生得風流文武に
秀で 人に勝れし武士の 都に蟄居ありけるが 国の乱れに召帰され 殿の
仰を承り 事治まりし其後は 昔に勝る帰り咲 いと美々敷くも栄へけり
家の接ぎ木の一人娘 深雪は思ふ其人に たま/\逢いし其甲斐も浪
の明石の別れより 国へかへりし其日より 只ぶう/\と物思ひ こしもとはした
召連て 一間の内より立出れば 中に早枝がしやしやり出 申深雪様

此節はしめ/\と 物思はしいお顔持ち チト外でも見てお気をお晴しなされませ
ヲゝよふいふてたもつた 去ながら私か心のしんきさは 月雪花のながめにも
勝るかくせの物思ひ 過ぎし明石の浦浪のうらめしい 追い風のかせ嶋かくれ行
恋人の 船おしぞ思ふ思ひをは誰にいはふぞ語らふぞよく/\結ぶの神にさへ見放
されたる憂き身かと 心の内に口説き泣き 女心ぞいぢらしき ヲゝ何をくよ/\思召親旦
那様のお帰りに間も有まい 是から奥の離れ座敷で楓を相手に琴
の組でも遊ばしたら お気慰めにも成ませふ サア/\お出遊ばしませと 嬪共に


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誘なはれ心浮ねどしほ/\と 是非も投げ首立て行く かゝる折から玄
関先芦柄伝蔵様御入と呼はる程も荒々しく 畳ざわりも無骨の芦
柄 肩で風切る勿体顔 横柄らしく打通る 斯くと聞てや主の妻 操は出
迎ひ会釈して コレハ/\伝蔵様よふこそ/\ 先々あれへに上座に付 おさめた
顔に操は手をつき 夫弓之助殿は殿の御召にて登城の留主それ故
お出迎ひも申しませぬ シテ只今は何の御用と 尋ねに伝蔵扇をならし
イヤ只今参る事別義でござらぬ当家の息女深雪殿いまだ定る

聟がねもなきよし幸ひ拙者も無妻なれば 殿へ内々縁談の義を願ひし
所 似合しき義と有て お蘭の方を以て弓之助殿へ其趣き申し渡されしに 縁
談の義は其儘に相成しが 此度帰参召されしゆへ度々仲人をもつて縁辺の
事を申し入れども 酢のこんにやくのと埒の明かぬ返答それゆへ今日は直々推
参致た御前迄願ひし縁談意変有ては此伝蔵が武士が相立申さぬ
否や応の一口商ひ只今返答承らふと権威を鼻にてつへい押


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小面憎さも女気に しつとこたへて ホゝゝゝコレハマア見る影もない娘を御所望に預る
は 何ほふか御嬉しう存じますれと縁の事は親我意にも成ませぬ 殊に夫も
留主なれは只今申てはイヤサ弓之助殿は留主にもせよ女の子は母次第
其元さへ得心有て御息女へおすゝめあらば ツイ拉致の明く事当時殿の御気に
入のお蘭の方は拙者が姉其弟たる身共を聟にとられなば 弓之助殿の
肩身もいかると申す物と 半分聞かず イヤ申殿蔵様 身不肖にはこさり升れど
娘の縁に連て出世を望むよふな弓之助てはこさりませぬ其一言を

弓之助承らば たとへ娘か得心致しても 此縁組はお断りと申すは定 それは
ともあれ 此頃娘は病気に取合せますれば 本復の上それとも談合
いたし否やの御返事致しませふ ヤアぬけ/\と其手はくわぬ 誠病気か病気
てないか 此上身か直々に改めんと すんど立ば操もせき立 ヤア舌長なり伝
蔵殿 間狭(ませば)なれども此屋舗は弓之助が城廓 ならば手柄に踏ん込んてお改
あれ女ながらも武士の妻お相手に成ませふと 云つ長押(なげし)に掛けたる長刀
追取て鞘振りはづし 小脇にかい込み身構へに さしもの芦柄仰天しアゝコレハ又短


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気千万改めて悪くばそふ云て済む事 逹てこと申すでもござらぬわけ誠
息女か病気ならば随分お気を付召され 縁辺の義は又追てと 始めの義勢
引かへて挨拶さへもそく/\に 先かけられし目なし碁の片手打れし如くにて
すご/\として立帰る 斯くて時刻も押移り 常にかはつていそ/\と 立かへる秋
月弓之助 それと操は手をつかへ コレハ/\只今お下りかいつにない御隙どり御
前の首尾はいかゞてござり升と尋ねに機嫌の打につこり イヤモ悦び召され
お上の首尾は極上々 此度国元の一揆を相鎮めし事 殿には一しほ御賞美

有て先地の上に二百石の御加増 イヤモ殊の外御機嫌にて 御悦ひの盃
迄下された 然るに大内家の家臣駒沢次郎右衛門といふ武士 使者に来つて共に
相伴 盃の取やりの内つく/\見るに人品骨柄天晴の若者 しかも文武両
度の達人なれば 殿も甚だ御賞美有て汝が娘の聟に致せよとの御意 かの
駒沢も承知の体ゆへ 諸士の手前面目是に過ぎず御前に於て堅めの盃
迄取かわし申した 娘には過分の聟おことも安堵しめされといふに操はソンナラ
殿様のお仲人で ヲゝサ大名のお仲人にて婿をとる娘は大仕合せ者 聟の顔を


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見おつたら 嘸悦びおろふと 父の悦び母親は 娘の心はかり兼案じる
胸もそれぞとは 明けていわれぬ此場の思ひ イヤ申我夫 殿様のお仲人とは申ながら
娘にも得と云聞した上で 云約束なさらいてあんまりさつきやくではござり
ませぬか イヤサ某も其気のつかぬではなけれども 御前の仰といひ日本一の
上々聟 拳を以て大地を打はつ共 娘の気に入は定の者安堵して
娘に云聞かせ召され ヤレ/\余り喜ばしさに思はず酒を過ごし余程めいていトレ暫時
一休みと 刀を提げて機嫌顔居間をさしてぞ「入にけり 跡に操はとやかくと 娘

の心はかり兼 ちゞの思案に暮れ告ぐる 柱時計の音サへも胸にどきつく物案じ
差しうつむいて居たりしが 煙管相手の独り言 今の夫の詞では 御上の御意にかゝ
つた縁組 娘思ひの我夫が 見極めての云約束 麁相の有ふ様はなけれど
只案じるは娘の事 いつぞや宇治の蛍狩に見初めた人は宮城阿曽次郎殿
と 嬪共が噂立花桂庵の仲人で 連て来たは売主者(まいすもの)どふそ元の阿曽次郎
殿の行所(ゆくへ)を尋ね 娘に添してやりたいと思へども 肝心の所を知れず どふかかふ
かと思ふ矢先 さしかゝつた縁結び一旦夫が御前にて お受申した上からは今更どふも


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変がへならず 此上は娘に訳を云聞かせ得心さすが上分別 そふじや/\と打うなづき
娘々と呼声にアイと返事はしながらも 晴ぬ思ひにくよ/\と打しほれたる娘の
深雪奥より立出傍により母様何の御用と うかゞへば はゝはにつこり ヲゝけふは
髪のかざりもけふとうよふできました思ひなしか気合もよさそうて マア嬉し
いシタカ娘や 今呼んやは外でもない 背たけ延びたそなた いつ/\迄も一人置くは
病気のもとひ それゆへそなたによい聟を呼び迎る分別と 半分聞かず ムゝアノ
わたしにかへ ヲイのふ イヤ/\わたしやチト様子有て 殿御持つ事はいやでござんず ヲゝ

そふいやるは 宮城阿曽次郎殿へ心底か立ぬと思やるか エゝサかふいへば恟りしやらふか
いつぞや宇治の蛍狩に宮城阿曽次郎殿と云約束をしやつた噂は嬪共に
うす/\と聞き及べど 云出すはけふがはじめ どふぞ其阿曽次郎殿に添したいとは思へ
ども 肝心の国所しれす何所をせふこに尋づよづもなし 然るにけふ弓之助殿
登城の折から大内家より御使者駒沢次郎左衛門といふ人器量骨柄揃ひし
天晴の武士と殿様には殊の外御賞美あり 秋月弓之助が娘に見合し
跡目相続させよとの御意 夫もよい聟と気に入りお受け申して聟舅の盃


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迄取かはして帰られ娘にとくと云聞かし得心させよとの殿様のお仲人と云娘
思ひの爺(てゝ)御の気に叶ふた聟がね様子といふは此事じやわいのあふ エゝそんなら
殿様のお仲人で ハアはつと斗りに心のとふわく何と返事を詮方も涙さし
くむ斗り也 ヲゝ顔をしらねば案じやるも無理ならねど 聟えらみの夫何の
そなたの気にいらぬよふな婿をとられふ 殊に御上の御意のかゝつた晴の縁
組今更変がへならぬ聟殿よふ得心してお受申しや アイ ヤ アイ あいとばかりでは
すまぬわいのふ 最前も意地悪の芦柄伝蔵が来て 是非聟にならふ

との押付け業 おどしを見せて帰したが お蘭の方へ云辺で 又とのよふな難
題を云かけふもしれぬ 邪魔の入ぬ内縁組の取極めが肝心 浅香共談合
して今宵中に返事しや可愛いそなたに何の悪い事すゝめふぞ 只何
事も親々にまかして 早ふ返事を待て居るぞや ドレ其間に我夫と祝言の相
談せふと 詞を尽し母親は奥の一間へ入にけり 跡見送つて娘気に こらへ/\し
溜め涙わつと斗りに泣きたさも 母にしらせし聞かせしと 袖かみしめて忍び音
に 絶へ入る斗嘆きしが よふ/\に顔を上げ エゝ聞へませぬ母様 常々のおしめしに


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貞女両夫にまみへずとの 教へを守れとおつしやつた 其お詞に引かへて阿
曽次郎さんと私かわけ 知て居ながら二人の夫 もてよとはどうよくな どふした縁か
しらね共思ひ初めた阿曽次郎様 思ひ切ふと思ふ程 いやます思ひ身の因
果 生きてなま中うき事を 見んよりいつそ身を投て 死で未来で添が楽しみ
勿体ないは父上母様 先立不孝はゆるしてたべ 又二つには乳母浅香 此年月
の養育の恩もおくらず死ぬるのも 浮世の義理とあきらめて 堪忍して
たもれやと いふもあやなき袖の雨 泣々硯取出して あかぬ別れをする墨も

涙に薄き親と子が嘆きの種をまき紙に 書き置く鹿の命毛(いのちげ)もやがて
切れ行はかなさに筆の歩もふるはれて はかどり兼ぬる文のあや 涙な
がらに書とゞめ 封じる隙も後先に 心奥より声高く 御寮人様深雪
様と尋ぬる乳母の浅香の声 見咎められしと文さし置き庭へおりしも
夕暮の無常を告ぐる鐘の数 六つ四つ五つとぶ烏かわい/\の声々も身に
しみ渡る秋の風 ふるふ膝ぶしふみしめて 心も足も飛石伝ひ 裏道さし
足落ちて行 斯くともしらず乳母浅香 手燭たづさへ立出て 深雪様/\


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深雪様はいづくにと 云つ見廻す料紙のそば 落ちたる文を取上て 何心
なく見て恟りコリヤ深雪様の書置き奥様申し旦那様と 呼はる声に弓之助
操も供にかけ出れば浅香はひろげし文さし出し コレ申し深雪様か身を投る
との此書置きと 半分聞かず ヤア/\/\書置きとは気遣ひなと云つゝ操はふみ
おつとり 何々みづから事宮城阿曽次郎殿と云かわしまいらせそうらへば 二度の夫をむかへ
まいらせ候ては 貞女の道立がたく 不孝ながら渕川へ身を投げまいらせ候と 読む間もせき
立つ弓之助南無三宝しなしたりしかしかよはき女の足遠くはよも落ち

延びし関助はどこにおる 早く/\にかけ来る 奴(やっこ)お旦那何の御用でごはり升
コリヤ/\娘深雪が身を投んとて忍び出しぞ若党下部に手分して 跡を
追っかぇ取留めよ エゝソリヤ大変 かふいふ内にも気遣ひな 朋輩共へは浅香どの
云付召れ 下郎は直ぐにと尻引からげせきに関助かけり行 俄の騒動泣に
も泣れす うつむく操乳母浅香 弓之助も気はてんどう こしもとはした
若とう仲元 呼たて/\家内中上を下へとかへしける