仮想空間

趣味の変体仮名

源氏一統志 巻之四 

 

平将門の獄門の挿絵を探していて発見の暁のついでに読んだら酷いわ将門かわいそ過ぎ。
昨日まで東の親皇と自ら名乗って東国一帯でぶいぶいいわしてたのに
今は北闕(ほっけつだぜ)の逆賊(ぎゃくぞくだぜ?)となって
そしりを万代に遺すだってハア?(第十六:コマ18~)
驕りを欲しいままにして私欲に克をあたわざるより起きた謂わば自業自得だってさ。
驕りとか私欲ってなんだよ。勝手に侵略して来たくせにおまいう。

 

 

読んだ本 

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源氏一統志 巻之四 起天慶三年二月 至同年三月 江戸
            松亭 中村定保集録

第十三 島広山合戦将門勝利
 附  同所没落辛嶋合戦

古語に曰く。金を市に盗むものは。欲心勝てその羞悪する所ある事を知らず。淵に
玉を求むる者は。利心専らにてその溺死を顧ずと。宜なるかな。平将門が悪逆偏
にこれに類すべし。身の栄耀を願ひ。威勢を宇宙に専らにせんことを懐(おも)ひて。その
壊(やぶ)れ忽ち地に至る事を知らず。是智勇余り有て。仁義忠臣の心なきが故のみ。然(さ)
れば往古より身の分限を量らず。欲心熾盛にて。栄耀歓楽を願ふの族(やから)。或は
朝家を傾けんと計り。或は国家を掠奪せんと欲するもの。上代蘇我の馬子
入鹿の父子を始めとして。広継の類ひは下として上を凌ぐ。その罪殆ど重々たり。


3
或ひは同根連枝のおん中にて。国家を奪はん為に陰謀を企て。竟に尊き御身を
もて。溝?野径に誅せられ。屍は郊原一帯の土塊と化せども。汚名は千載に朽つる
ことなし。凡そ謀計智略を以て。衆を集め党を結び。国家を動乱せしめ。朝敵
と呼るゝもの。古来今往幾たりぞ。みな是凡愚の人にあらず。凡愚にしては人懐
かず。人懐かざれば大義を企つべからず。然れども唯一人だも。素懐を遂げし者を聴かず。
再説(さても)貞盛秀郷の両将。明くれば十三日のまだ東雲に。籏の手を進め押寄る
に。将門が陣中静まりかへりて。時の声をも合せねば。人を走らして動静(やうす)を聞くに。こゝには
人一人もなく皆引払ひて。嶋広山に楯籠りぬと聞えしかば。さらば要害をせぬさきに。片
時もはやく急げよとて。平三兼任及び田原千晴に一万余騎を副えて磯橋より打ち
寄せさせ。両将は四万余騎を引て。揉みに揉んで急がすほどに。同日の未の刻には。
嶋広山へ押寄せて。時の声三度揚げさせ。鏑矢をぞ射かけたる。然れども城中寂寥と

して。当の矢をも射返さねば。昨日の軍(いくさ)に懲りたるやと。早り雄の若者等は。馬を
堀際へ乗つけて。軈て馬を乗り放し。逆茂木を引退け。?楯一重ひき破って。櫓の
下まで責寄せて。塀に熊手を引かけて。籠入らんと。犇めく所を城中には思ふ図に引
寄せて。乾の方の出塀より。大石五六十投懸けたれば。寄せ手は是に辟易して。漂ふ
所を十方の。高櫓より雨霰と鏃を揃へて射出す矢に。真先に進む五百余
人。散々に射立てられて。疵負(ておひ)を助けて引退く。元来この城の要害は。将門多年
に工夫して。構えたる城なれば。竪堀横堀より櫓のかゝり。古今無双の名城にて。
殊に六万余騎が籠りたれば。たとへ何十万の勢をもて。責め立つるとも容易くは。落がたく
見えにけり。然(され)ども多年恩顧の郎等。命を羽毛の軽きに比し。屍を戦場に
曝してこそ。君の恩に報ひんとする。金鉄の兵士なれば。射れども突けども事ともせず。
この責め口を一足も去らず。喚き叫びて責立けれど。城中もまた品をかえ。術計(てだて)を


4
設けて防ぐほどに。黄昏に及ぶまで。勝劣いまだ決さざれど。寄せ手は行程十里
の道を。揉みに揉んで馳せ来たり。直ぐに責めかゝりたる事なれば。流石に軍勢倦み労れて。暫く
息を休めんと。陣を取て馬の鞍を下ろし。或は鎧の上帯解いて。その疲れを休むる折
から。将門昨夜まはしおきたる。九千余騎の兵時分はよきぞと。時を吐(どつ)と作りかけ。
思ひもよらぬ横合より。喚き叫んで責めかゝれば。寄せ手はこれに驚き周章(あわて)。縡(こと)火急
にして防ぐべき。備へもいまだあらぬ所に。この様を見澄まして。逞兵勝つて二千余騎。
城中より駆出し。挟み責てこれを討つ。寄せ手流石に猛しといへども。防ぎ戦ふ義
勢なく。這々に討ちなされて。東西に走り南北に引退く。大将秀郷は声はり揚げて。
嗟(あな)いひ甲斐なき者共かな。こゝを防げ彼処(かしこ)を切れと。頻りに下知を伝えても。崩れ
去りたる癖なれば。なか/\耳にも聞入れず。殊に賊将権守興世は。利兵堅きを破り。
堅牢利(とき)を摧(くだい)て。四角八方に駆け通りて。責め討つ事の急なれば。味方いよ/\度を失ひて。

散々に落ち行きけり。この時急に追駆けなば。両大将を始めとして。宗徒の人々も討る
べきに。さのみは長く追ひもせず。辛き命を助かりしは。実に天運の然らしむるか。将(はた)
神仏の加護にやよりけん。五十余町引退き。落ち残る兵一万斗りを。集めて陣を取に
けり。こゝに搦め手より向ひたる。兼任千時の軍勢は奈何にしてか剋限遅れ。十三日
の子の刻ばかりに。嶋広山の南に着き。そのよしを聞きて大いに慙愧し。まづ使者を
立てて其怠りを両将へ侘び。さてつらつらと思ひ給ふは。相図の刻限遅滞に依りて。味方に
不慮の敗れをなさしめ。後悔其処に立ちがたし。如何にもして。その怠りを償ずは有
べからずと。奥州上野の勢の内より。究竟の兵三百五十騎を撰み出だし。岩付吉次
を案内として。十三日の月に乗じ。其処此処を巡り見るに。嶋広山の南の麓は。西の
尾崎より東の端まで。大いなる沼にして。翅なくては越えがたきを。三百五十騎の兵ども
藁二束づゝを足に結ひつけ。難なく沼をば越たりけれど。荊棘(けいきよく)弥が上に生い茂り。


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松柏森然として苔滑らかなれば。登り得んこと覚束なけれど。岩付吉次は名にしおふ。
剛者なりければ。荊を掻き分けて木の根に縋り。梢々に登り行けば。三百五十騎は跡に
着き。或ひは蔦桂に取着き。或は先なる人の草摺りを便りとし。辛うじてこゝを登り。塀の
際まで来たりつゝ。裡(うち)のやうを候(うかゞ)ふに。敵此所より寄すべしとは。思ひもかけず。油断して
番の兵ども居ざりければ。吉次は熊手をうち懸けて。する/\と塀を乗越え。傍(かたへ)の木
戸を開きければ。一回に城中へ押入りつゝ。此処彼処を見まはすに。数箇度の戦ひに疲れ
たる軍兵等は帷幕(いばく)を垂れ。甲冑を枕として。前後も知らず伏して居り。兎角する
間に東の方。白み渡りて明けんとすれば。諸方の寄手も近付けぬらんと。軈て准満(やうい)の
燧(ひうち)を把(とり)出だし。陣々役所/\へ火をかけたるに。天明(よあけ)の風に颯と燃つきて。城中一回に
煙立てば。驚被(すわや)夜討の入りたりとて。城兵一回に騒ぎたち。鼎の沸くに異ならず。
兼任が勢三百五十騎。七手に分れて此処彼処の。詰り/\゛に寄せ合せ。狼狽へまはる城兵

等を。薙伏せ切伏せ狂ひ廻り。透きもあらせず責立つれば。勢の多少も定かならず。途
方にくれて弓矢も打捨て。われ先やと落てけり。将門宗徒の者を集め。二百余人
太刀長刀の。鋒(きっさき)を並べ夜討の兵籠入るとも。さまで大勢なるべからず。一人づゝ擇討(えらこ?うち)にする
とも易き事なるをと。呼ばはつて防ぎ戦ふ。されども猛火熾(さかん)にて。黒烟り眼を
塞げば。是非なく将門主従は。東の尾より落行きけり。諸方の寄せ手この時に。追ひ撃つ
ならば将門も。終に討るべかりしを。宵の敗軍によつて軍兵等。八方に散つて未だ
聚(あつ)まらず。手を空しくして控へたり。偖(さて)も将門は広島山を落て。辛島に屯(たむろ)を
張ること聞えし折。敗軍の士卒追々集り。三方余騎になりければ。さらば敵の
臆病神の。醒めぬ先に寄せよとて。貞盛秀郷の両大将。十四日の巳の刻に。辛
島へぞ向かはれける。将門が軍兵等。今は世間も斯よと思ひ。吾も/\と陣を抜け
て。甲を脱ぎ弓を伏せ。降人(かうにん)に出けるものは。安房上総の兵二十余騎。下野の兵


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五百余騎。千葉印旛豊田香取。臼井佐倉東條南條。その外の者先を争ひ。
貞盛秀郷の陣に馳せ加はる。沽(かゝり)有にければその軍勢。七万五千余騎と成って。雲
霞(か)の如くうち囲み。時を作て押寄する。将門は日来(ひごろ)より。恃(たの)み切たる軍兵等。忽ち
に敵となつて。残り止まる勢とては。一万騎にも足らざりけり。され共是はこの年月。
厚恩に誇りたる。者共なれば一同に。討死と覚悟を究め。かく大勢の敵を引き
うけ。聊か驚く気色もなく。整々として控へたり。偖も諸方の手分けを定め。午の
刻より矢合せして。大手鹹め手一同に。鯨波(とき)を作り楯を敲(たゝ)き。馬煙天を覆ひ。矢
叫びの音天地を響かす。かくて六郎将武は。北口を固めたるに。貞盛の勢大略は
今朝(こんてう)降人に出だつなれば。手痛き軍して面目に備へんと真っ先に進んで戦ふ
ありさま。何れ間(ひま)ありとも見えざりけり
 第十四 武蔵五郎貞世討死

 附将門最期合戦
こゝに武蔵権守興世が一子。武蔵五郎貞世といへるは。今年十九歳の若宦(わかもの)
にて。父に劣らぬ剛勇なれば。将門常に秘蔵せられ。既にこの日も将武に属し。
北口に在りけるが。父興世は広島山。没落の刻みより。討たれたりや落ちたりや。其安否を知ら
ざれば。たゞ?(あぢき)なく思ひ居りしに。軍立てのやうす熟(つら/\)視て。もはや当家の運命も。今を限りと
見ゆるなり。いまだ大将軍の在(おは)するうちに。討って出花々しく討死なし。二心なき胸を。見
せ奉らんと思ひつゝ。物具爽やかに打扮(いでたち)て。討出んとしたりしが。聊か思ふ事ありて。本陣
へ馳せ来たり。将門の前に畏まり。涙をはら/\と流して?申すやう。当手の御勢も大略は。
敵になりて候へば。今は矢長(やたけ)に思ふとも。大敵凌ぎがたくはや当家の運命も。今を
限りと存ずるなり。然れば一戦に討死して。泉下に君恩を報じ奉らん為。
討って出でんと存ぜしが。日頃の御情け忘れがたく。唯一目御尊顔を拝して後と。


7(挿絵)

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8
心弱くも参じて候と。果ぬにはら/\と。鎧の袖に泪を落とせば。将門はあれを
聞き。誠に汝が志。かへす/\゛も嬉しけれ。去ながら此期に及び汝一人討死をしたれ
ばとて。この軍に勝べきならず。殊には父なる権守も。嶋広山よ行方知れず。一
先ず命存(ながら)へて。父が行方も尋ねよかし。?(もし)討死と聞くならば。如何なる禅院へも身を
寄せて。剃髪染衣の姿となり。亡き父が菩提を弔ひ。吾亡き後をも弔かしと。申され
ければ武蔵五郎は。席を進めて守り詰め。こは御諚とも覚へ侍らず。事新しき申し
條にて候へど。某十三にて母に遅れ。父御味方に参じてより。御袖の下御膝の?(もと)
にて。生立ちしとの年頃の。鴻恩(こうおん)詞に尽されず。されば此世にその御恩を報ひ奉
らずは。亦何時をか斯すべきにて候ぞ。いまだ御存命のその内に。快く討死して。冥
途の御先手仕らんと。既に席を立ちけるとき。将門霎時(しばし)とおし止め。自ら酌を把(わつ)て
盃三度傾けさせ。赤糸の腹巻に。秘蔵して飼い立てたる。宿鴾毛(さびつきげ)の馬に金具の

鞍置てぞ引かせたる。貞世あれを賜りて。泣く/\責め口に向ひけるを。将門は遥かに視て
これぞ今生の暇乞そと。さしもに猛き心にも。忽ち哀れを催ふして。泪をはら/\と
流しけり。かくて貞世は元の責め口に立ち帰り。今賜はつたる腹巻着て。件の馬に打ち
乗り白木の弓の。鉾短かなるを中間に持たせ。態と甲をば着ず。一枚楯の陰より
して。指し詰引詰め散々に射たりけるが。群がり立ったる敵なれば。仇矢は一筋もなかりけり。
偖矢種も射尽したれば。白星の甲の緒をしめ。馬引きよせてゆらりと打ち乗り。陣頭へ
進み出て。昨日までは肩を並べ。朋輩の旁々なれど。恩を背き義を忘れて忽ち
敵となりたれば。各々存知のうへにして。名乗るも無益の事なれども。遠く先祖を
いはゞ。不比等の三男。魚名公より九世の孫。武蔵権守藤原興世が一子武蔵
五郎貞世生年十九歳。泉下に武恩を報ぜんため。この陣頭にて討死する
ぞ。吾と思はん人々は我が首捕って勲功の賞にあづかれと。いひも果てず。三尺五寸の


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大太刀を真甲にさし翳し。家の子郎等二十余人。前後に進ませひた/\と。
三千余騎にて囲んだる。真中へ割って入り。竪さま横さま薙ぎ立つれば。小勢なれども必
死を究めし。その鉾先に当りがたく。開き靡きて中に取り籠め。たゞ遠矢にぞ射たりける。
貞世佶(きつ)と見かへれば。郎徒こと/\゛く討死して。其身一人となりしかば。今は是迄ぞ。
尚もよき敵と引組んで。差し違へて死なんものと。四邊(あたり)を見まはし馳せ廻るに。十方より
雨の如く。隙間もなく射かける矢。鎧に立所二十六筋。簑毛の如くに折?(かけ・うけ?)たれ
ば。心斗りは勇むとも既に心神悩乱し。太刀を倒(さかしま)に突立てて。立ちずくみに成て死
でけり。利根平八走り寄つて。軅て首をぞ掻きにける。かくてその死骸を見るに。一首
の辞世を書きおきたり
  敵をなど敵とは兼て思ひけん君が情をわが仇にして
と心中の愁緒を述べて。鎧の引合せに納めけり。誠に艶(やさ)しき心添へ稀なる勇士

なりけりと。皆人涙を落しけり。将頼はこの在りさまに励まされ。その手の勢二千余
騎。?(くつばみ)を並べて切て出づれば。貞盛も陣を進め。挑み戦ふ事半時斗り。味方も大半
討ちなされ。或ひは降人に出でて相残る兵。五百騎にも足らざれば。一所に圓(まと)めて戦ひし
かと。迚も遁れぬ運命なるに。雑人ばらの手にかゝり。討たれん事とそ朽惜けれと。
馬廻りの勢十三騎。笠符(しるし)をかなぐり捨て。敵の勢に打交つて。追っつかへしつする隙に。
囲みを衝(つ)と抜け出でて。山田の畔(くが)の陰に至り。心静かに腹かき切て失せたりけり。爰に相馬
の津を固めたりし。文屋好兼は。平次茂盛と對陣して。防ぎ戦ひたりし所に。
好兼が軍勢防ぎかねて。終に此手より破れければ。茂盛勝つに乗って責め入って。新内(しんだい)
裡(り)に火をかけたれば。折ふし東の湊より。濱風烈しく吹き立って。炎八方に飛び散りければ。二十
余町が其間に。三十余所燃え上り。黒烟天を焦がし。猛火東西に熾(さかん)なり。然れば
金銀を鏤め珠玉を飾りし。宮殿楼閣たゞ一片の。烟となって立ち昇る。後宮


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男女幾千人。猛火を避けんとして走り出れば。繁盛の軍勢が。鋒に貫かれ。逃んと
すれば烟に咽び。或ひは半身焼け爛れて。喚き叫ぶその声は。これや叫喚大叫喚。憔
熱の苦しみにも。尚弥勝りて浅増しゝ。斯て将門は尚本陣を固めて在りけるが。多治
経明主従十八騎。閑々(しず/\)と馬をう打たせ。将門が前へ来たり。偖も諸方の軍破れ。某
が固めたる。搦め手も敗れたれば。討ち残されたる兵百五十騎。田原の千時が七千余騎
に渡り合。暫し戦って味方を見れば。十七騎こそ残りたれ。然(さ)れば快く討死して。武
恩に報じ奉らんと。囲みを遁れ参りて候。最早諸方の責め口にも悉く破れ候へば。
御運も是までと存じ候。敵の近付きまうさぬ間に御自害候へかし。経明御先仕ん
と。言ひも終らず鎧脱捨て腹十文字に掻切って。その刀を将門が前におき。覆(うつぶし)にぞ伏し
たりける。是を見て十七騎の郎等。思ひ/\に腹掻切り。あるひは差違へ死したりける。将門は
これを見て。詮なき者の在りさまかな。敵を数多切て落し。よき敵と見ば差違へて。

死出の案内もさすべきに。独り死ぬやうやある。いで最期の一軍(ひといくさ)して。敵の奴原に目を
覚まさせんと。物の具固めて乗り出だせば。相従ふ兵三百余騎。今を最期と出で立ちて。
貞盛秀郷の両勢三万余騎の。横合より蒐(かけ)立つる。すは大将ぞ討とれと。吐(どつ)と
喚いて走りければ。将門が勢は魚麟に連ね。鶴翼に開いて挑み戦ふ。威勢奮戦
として捲り立てて息をも継がせず責め闘戦(たゝかふ)。かくて数刻の戦ひに、従兵は悉く討なされ。
将門一人ンにぞなりにける。元来将門軍に出づる毎に。我に均しき兵(るはもの)六騎弓胡?(やなぐひ)に
いたるまで。一様に出で立たせ。何れを何れと見分けがたく。これを七騎武者と称(とな)へつゝ。進
退一容に做しけるが。この兵も皆討たれて。実(まこと)の将門一騎となり。猶も陣中を駈け
巡りて。当たるを僥倖(さいはひ)薙立つれば。或ひは胴切車切。庫(くら)竹割になるもありて。瞬く間に十七
八騎。矢庭に切つて落しければ。今は寄せ合せんといふものなく。八方をとり巻いて。矢衾を
作つて射かけたり。されども其身金鉄にや。又鎧の実(さね)や善かりけん。裏かく矢とては


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なりし程に。将門獅子の怒りをなして。尚縦横に駈け通り。近寄る敵を差し揚げて。人
礫に打ほどに。一度五人十人計り。これに当りて馬より落ち。血を吐いて死するもあり。こゝに
奥州の住人にて。岩沼八郎敦直は。六十人が膂力(ちから)ありて。坂東一の相撲の上手。殊に兵
法の達者なれば。吾組留めて軍功を顕はさんと。閑々として馬を出す。その丈六尺有余
にして。鬼髭左右に逆立ち眼は明星の輝く如く。実に一人当千の兵とは。是等をや
いふべからんと。いと頼もしく覚へけり。将門これを顧みて。汝等体の小冠者原五人十人
来たるとも。何ほどの事かあらん。去ながら眼前に。味方の死亡を知りながら。我に組ん
とする健気の弱者。さのみ多くは有まじきに。我手にかけんは不憫なり。疾々帰れ
命をば。助けて呉んといふを聞き。憎き敵の広言かな。いで吾手並の程を見よや。と呼ば
はつて無手(むづ)と組むを。将門から/\と冷笑(あざわら)ひ。飛で火に寄る夏の虫とは汝が類をいふなるぞ。
左程まで死にたくは。望に任して呉んずと。言いさま岩沼八郎が。左右の腕を一所に寄せて。

(左頁)10の左頁に重複


12
(右頁)11の右頁に重複

(左頁)
左の手にて聢(しっか)と捉へ。右の手をさし伸べて。鎧の上げ巻を曳(えい)声出し。力に任して押しkぇれば。
骨砕け肉破れ。両の腕をぐつと引抜き。半生半死なるものを。目より高く指しあげて。
弓杖十文あまり投げたれば。二言ともいはず死したりけり。然とも思ひたる岩沼だに斯くの
如し。軍兵等はたゞ慄きおそれて。敢て近寄るものもなく。責め倦んだる斗りなり。当下(そのとき)
平貞盛は。とり分け父の仇なれば。是非に一矢狙はんと。態と物具を脱ぎかえて。歩立(うちだち)の射
手に雑じり。走り廻りて在りけるが。あの時つか/\と進み寄り。三人?(銀?ばり)に十三束。忘るゝ斗引絞り。
矢声をかけて切て放つ。其矢少しも過たず。将門が甲の真っ向の外れ。眉間の真中(たゞなか)に
脳を砕き。髄を破つて頸の外れへ。鏃白く射出だしければ。さしも無双の猛勇も。眼
くらみて倒(さかしま)に。馬よりどうと落ちたりければ。秀郷透かさず。走り駈くり。起こしも立てず
首を打つ。されば機を屈したる味方の軍兵。楯を叩きて一同に。勝時吐とぞ揚げ
たりける。嗚呼今日如何なる日ぞや。この年月猛威を震ひ。上を凌ぎ下を侵し。


13(挿絵)

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14(重複)


15
大逆無道の驕りを究め。栄耀栄華に誇りしも。枕頭片時の夢と消えて。忽ち滅び
失せぬる事。実に天罰とは云ひながら。浅増かりし事共なり。

  第十五 将平将為最期
  附   諸将上洛恩賞
諸説大葦原四郎将平は。宇都宮合戦とのき。痛手数多負ひけるより。いまだ其
疵癒ざれば本陣にありけるが。将門既に討たれしと見え。時の声間近く聞えけれ
ば。松田乙夜叉といふ郎等に。はやこれまでぞ吾首討てと。差し添えの刀を捉せければ。
乙夜叉泣く/\太刀を取て。然ば命(おほせ)に従ふべしと。将平が背(うしろ)へ立つよと見えしが。首は
前へぞ落ちにける。乙夜叉刀をとり直し。己が口に咥へつゝ。抱き付て死したりけり。五郎将為は
斯とも知らず。平三兼任が六千余騎と蒐(かけ)合せ。自ら敵を切って落す事十一騎。陣を
破ること八箇度なりしが。衝(つ)と駈ぬけて味方を見れば。始め三千余騎なりけるも。

三百騎に足らざれば。今は斯よと思ふ所に。大将将門討たれぬと。陣々に呼はる声。
耳を貫きて聞ゆるほどに。自害せばやと思ひしが。いや/\実否(ぷ)も分かたぬに自害せん
事麁忽なりと。捉って帰し本陣へ来て見れば。舎兄将平を始めとして。一族郎従枕を
並べ自害して在りければ。偖は虚言(いつわり)にては無かりけり。おで腹切んとする所へ。敵はやこゝへ
乱れ入る。将為は大音声(じやう)に。獨り死なんは冥土の途(みち)も淋しからん。と心憂く思ふ処に
よき道連。これぞ最期の死物狂ひと。大勢に立対(たちむか)ひ。一上一下と秘術を尽し。
近づく敵を切って落す。こゝに常陸の住人にて。荒川五郎といふ剛の者。透を見
合はせ無手(むづ)と組む。組まれて将為ふり払ひ。上を下へと揉合しが。軈て弥五郎を組敷きて。
終に首をぞ掻きにける。是を見て荒川が舎弟弥八郎。驀地(まつしぐら)に馳せ来たり。将為が弓
手の草摺。畳み上げて続けさまに。三刀斗り指したりければ。了得(?さすが)の将為弱る折を。引
仰向て首を掻く。こゝに於いて宗徒の一類百九十余人。此処彼処にて或ひは討たれ。


16
或ひは自害して失せけるにぞ。其余の与党十方へ散て落行きけり。然れば前後十四日
の其間に。国中?経(せいしつ)になりけるは。偏に聖運の然りしむる。所とは云ながら。貞盛
秀郷が武功によれりと。皆人その績(いさほし)を称しけり。かくて生捕討死の首。総て
二百六十三。相馬の焼跡に竹結い渡し。懸け並べたりけるが。権守興世が首の見え
ざれば。如何にしたるやと不審の折から。上総の国伊北(いきた)の郷の百姓等。興世が半
死半生なるを。箯(あおだ・輿)に乗せて舁来たり。両大将の実検に備ふ。両大将大いに歓びて。彼の百姓
等には引出物をとらし。追って報償の御沙汰あるべしとて返されける。抑(そも/\)権守
興世は。広島山没落の砌(みぎり)。何方(いづく)ともなく沈吟(さまよひ)出でしが。人々とは別れつゝ(て?)。只一人寂々(すご/\)
と。彼方此方を辿り行きしが。心の裡に思ふやう。今は国々敵となつて。何方へ立忍ばん
やうもなし。人の手に?(かゝ)
らんよりは。自害せばやと覚悟して。既に刀へ手をかけしが。
流石惜しきは命にて。また且(しばら)く死を止まり。一先づ湊の方へ行き。舟に乗って何方へも。

立忍ばんと行ほどに。上総の国伊北に着く。人に顔を見られじと。袖にて貌を覆ひ
隠し。忍び/\に通りしを。百姓共見怪しめ。何者なれば早天より。忍び/\に通るぞ
と。咎められて遁れぬ所と興世がなれる果てぞかし。人の情けはこゝに在り。憐れを垂れよ
かしと。いひつゝ往くを百姓等。なに贋公家の何某とや。年来彼等に虐げられし。
恨みを返すはこの時なり。出合へ/\と喚(よば)はるほどに。或ひは鋤鍬鎌なんど。得物/\を
引提げて。群々(むら/\)と押(おつ)とり巻き。敲き居(すえ)打ち倒し。さてこそ此処へ牽きたるなれ。嗚呼悲
しい哉。汝に出でたるものは汝に帰る。積悪の報ひ恐るべし。斯くて両将は士卒に命じ。興
世が首を刎ねさせて。同し所にかけられたり。梟首の人々を荒増しいはゞ。御厨三郎
将頼。大葦原四郎将平。五郎将為。六郎将武。御厨の別当多治経明。文屋の
好兼。藤原春茂。国春明。坂上近高。武蔵五郎貞世。東(とうの)三郎氏敦。大須賀 ←
平内時茂。長狭七郎保時。鷺沼庄司光則。国太郎光武。隅田九郎将真。


17
同忠次真文。堀江入道周監等は。所謂宗徒の者にして。其余は記すに暇あらず。
或ひは火に焼かれ谷に転(まろ)び。逃げ隠れたるはその数をしらず。凡そ南北相馬。広島
山辛嶋にて命を?(おと)すもの。七千三百余人とぞ聞えし。去程に上平太貞盛。田原
藤太秀郷の両将。天慶三年三月廿五日。都へ開陣せられける。其行装花やか
にして。見聞耳目を驚かす。されば京白川の貴賤。道の衢に群集して。これを ←
見物す。先ず一番に上平太貞盛。舎弟平次繁盛。同平三兼任。下総介良持。
常陸少丞良茂。上野介公貞。甲斐前司保盛。平右近将監家氏。村岡五郎
良文を始めとして。宗徒の一門三千余騎。都合その勢五万余騎。二番に小田原藤
太秀郷。舎弟藤次宗郷。同藤三高郷。同藤四永郷。同藤五興郷。同藤六
文郷を始め。秀郷の息男。田原太郎千時。同次郎千晴(或は作春)同三郎千国。同
四郎千種。その外一族郎従五十余人。都合その勢六万余騎。閑々と打たせたる

事の体。誠に由々敷く見えにけり。同月廿九日に臨時の節会行はれて。左大臣
仲平公。右大臣恒佐公を始め。式事の公卿陣の座に列し。叙位除目あり。藤原
秀郷に従四位下を授け。武蔵下野両国の守に任ず。上平太貞盛は無官より直ぐに
従五位下に叙し。右馬助に任じ。常陸下総二箇国を賜る。平次繁盛は上総
守。同兼任は上野守。その外の人々。忠否に従ひ深浅に依て。五か所十か所の
庄園を賜ふ

按ずるに平次繁盛上総守。平三兼任上野守。に任ずとあるは。疑ふらくは
誤りならん。上総介上野介なるべし。凡そこの両国及び常陸国は。親王の受
領にして。凡人はこの任あるべからず。されば親王受領あるとき。其大守と
唱ふ。この事職原抄にも出でたり

こゝに貞盛承平二年の頃。仁和寺に詣でしをり。向ふより従者数多召し具し。


18
前駈後従(ぜんぐごじやう)厳めしく。その行列あたりを払って出で来たるものあり。貞盛是を見て。
親王摂家の公達にもやあらんと。片陰に潜みけるが。近寄るまゝによく見れば。
従弟なりける。相馬小次郎将門にてありければ。渠(かれ)は執柄家に給仕して。いまだ使
の宣旨だも被らぬ身が。活有(かゝる)行装こそ心得ねと思ひつゝ。近付くまゝに会釈して。
過ぎけるが。何さまにも渠が体。逆意あるに疑ひなし。事の微なるうち誅戮(やく)せずんば
必ず大事に及ぶべしと。寄り/\殿下へこの事をまうしけれど。既に渠等(貞盛将門をいふ)親
しき一族なるに。かゝる訴へを致す事。私の宿意あるにこそと。竟に許容なりしが
果して斯の如きの乱に及ぶ。こゝに於いて貞盛は。先見の智よく其機を知る
ものなりと。世挙って申しけり

按ずるにこの事国吏略にも見えたり。しかれども本文と等しからず。聊か異
同あるをもて。こゝに記して参考に備ふ。同書に曰く初め貞盛嘗て詣ずる吏

部王に(王名敦実、宇多帝の子。一品式部卿)たまたま将門経過すその門を従騎甚だ盛んなり 一瞧して
(瞧は密かに見る也。されば会釈して過ぎるにはあらじ)入る謂って王に曰く恨臣少従者不克殺凶豎遺国家
患云々(?)。かゝれば殿下へこの事をまうしたりと有る。本文の説に差(たが)へり。殿下有
関白忠平公なるべし

 第十六 将門首獄門に懸る
 附 秀郷日光大明神造立
かくて将門が首を検非違使親家。七條河原にて武士より受け取り。賊主平
将門と標して。東洞院の大路を北へ渡し。獄門の左の樗(あふち)の木へぞかけられける。洛
中の貴賤是を見んとて。群集する事宛(あたり)も蟻の途渡りに似たり。嗚呼痛ましきかな。
昨日までは東夷の親王と仰られ。威勢を東八国に震ひしも。今は北闕(けつ)の
逆賊となつて。屍を戦場の衢に曝し。誹りを万代に遺す。これ偏に君臣上下の


19
礼を知らず。驕りを慾(ほしいまゝ)にして。私欲に克を能はざるより起れり。慎まずんばあるべからず。
勇にして礼なき時は乱るると。孔子も是を誡め給ふ。聖者の金言宜なるかな。偖も
将門が首。三月まてその色変ぜず。猶生けるが如くにて。眼を塞がず。夜な夜なに至りては
牙を噛んで。怒れる声をふり立て。我体何方にかある。こゝに来たれ頸継(つい)て。今一軍せん
と呼ばはれば。聞く人身を驚かし。見る人魂を消しにけり。何者が是を聞いて

将門は米かみよりぞ斬られける。俵藤太が謀(はかりごと)にて

かく口秀(ずさみ)たりしかば。その首呵々とうち笑ひ。眼を塞ぎたりしとかや。しかれ共。了得(?さすが)
東国の懐かしくやありけん。或る夜かの首虚空を飛んで。武蔵国にて有國(とある)田の
中へ落ちけるが。夜な夜な光りを放つにより。かゝる稀代の癖者なれば。倘(もし)こよなき祟り
をや?(せん)ずらんと。軈てその所に祠を建て。神と祝ひたりにけり。さてこそ霊魂の怒りも
消えぬと見えて。異なる子細もなかりけれ(世に武蔵國神田大明神の霊を祀る所といへり。しかるや否やはしらず)

(左頁挿絵)

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将門梟首せられて
尚死せず
體を継ぎて
再び戦はんと
罵る


20
○按ずるに俚老伝えていふ。武蔵国江戸神田の神社は。親王将門を祀る所
なりと。再び諸書を参考するに。其説もまた証べからず。本朝神社孝には。
武州江戸神田の明神は。平将門が屍を。埋づむ所也と記し。かの社記には。
この社の神体は。大巳貴命(おほあなむちのみこと)なり。人皇四十五代聖武天皇の御宇。天平
二年の鎮座にして。其始め柴崎村に在り(今の神田橋御門の内なり)しかるに遊行上人
第二世。真教坊東国遊化の砌。将門の霊を合せて二座とし。社の傍らに
一宇の草庵を建てて。これを柴崎道場と号す。其後慶長八年駿河
台に移し。元和二年今の所に移さるとあれば。将門が屍を埋づみし所。大い
に移転せり。但し神主は代々柴崎氏にて唯一なり。中興真教坊の再
建にして。唯一なること不猜(いぶか)しといふべし。是無益の弁なれど。将門最期の
條の因みに依って。その来歴を童蒙に知らしむるのみ。

按ずるに将門が首 獄門にかゝりて眼を塞がず。夜な夜な声を発すといふ事。怪談
妄想に似たりといへども。渠は所謂豪傑にして。気禀(ひん)衆に越え。実に一時の
英雄なれば。凡人と等しくして。強ちこの説を?(しゆ)べからず。往昔長安に。花敬
定といふものあり。軍功あるによつて。嘉祥県の主に封ぜらる。一日冠賊を
討たんと只一騎。敵軍にかけ向けて戦ひしが。竟に敵の為に。その頭(かうべ)をうち
落されしに。その骸は尚馬に騎(のり)ながら。矛を荷ひて我陣に帰り。馬より下りて
川へ至りて。その矛を洗ふ。当下(そのとき)川に物濯(あらひ)して。居たる女これを見て。頭(くび)なき
ものゝ何をか盥(あら)ふといひければ。そのまゝ倒れて死せりといふ。即ちその邉りに
廟を建てて祭りけり(天中記に見ゆ)されば杜工甫が歌に。成都猛将有花卿学
語小児知姓名と作りしは。この故事(づること)によるといへり。亦行間禅師群
盗に遭ふてその頭を斬られしに。自ら取って項に載せ。賊を追ふ事飛ぶが如し。


21(挿絵)

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22
?(いは)で首の疵癒えて死せずといふ(仏祖統記及び僧寶伝に見ゆ)かゝる類ひもありと聞けば。
得て虚談(そらこと)とすべからず。

話説(さても)田原藤太秀郷。任国下野に下向し。国努(む)を行ひ。当国宇都宮の神
殿悉く修造し奉る。これはその始め将門追討の祈願を籠められしに。種々(さま/\゛)の
奇瑞あり。今かく平定に及びしも偏に神恩による所なりとて。上洛の砌。その
旨を奏問ありしに。速やかに勅許ありて。号を正一位勲一等日光大明神とぞ賜りける。
この御霊(みたま)は。大巳貴命。男事代主なりとぞ。山の号(な)を補陀落山(せん)といふ(この山の
伝記事長ければこゝには記さず近頃印行の日光山誌にくわしその書に就いて見ならふべし)さても秀郷馬蚣(むかで)を射て龍神より。撞き鐘巻絹
俵を得しといふ説は。俚俗の口碑に伝ふるのみにて。証とする所なし故に今こゝに載せず。
倘その説を見んとする人は前太平記巻の六を索(もと)め給ふべし
  第十七 倫實(ともざね)南海道下向

  附 備前の国釜島合戦
さても左衛門佐藤原共倫實は。純友の討手として。同年二月十三日に都を立
て二百余騎の兵船を仕立て。同十九日には備前国釜島にぞ着きにける。かくて城の
方を見渡せば。海の面南北十町ばかりに。笠戸衣石を以て。屏風を立てたる如くに畳
揚げ。その上に塀を塗り。三重に高櫓を掻き。北の方には海の中へ乱杭を幾千本と
なく打て。馬の足を立てさせじと構えたり。又南の磯に。兵船二三百艘を浮かめしは。
横矢に射んとの術計(てだて)なるべし。城中には近国の武士の集まりしや。種々の旗四五百流れ
立てたるが。濱風に翻りて。宛然(あたかも)錦を洗ふが如し。大将倫實はこれを見て。まづ乱
杭を除くべしと。水練の達者をえらび。海中へ下して一本も残らず抜き去りければ。
すは責めかゝれといふ程こそあれ。其勢都(すべ)て六千余騎。各々小舟に取り乗って。ひた/\と
押寄せて。たゞ一揉みにと責め立つる。城中よりは指し取り引き詰め散々にぞ射たりける。こゝに


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川辺小弥太昌澄といふ精兵。射手の人数に加はりて。雨の如くに射出だしければ。是が
為に二十三騎。矢庭に其処へ射倒され。少し簸るんで見えければ。丹波の住人葦田軌
廉(のりかど)。楯の面に顕れ出で。散々に悪口しければ。川辺は忽ち怒りを生じ。主従四十余人
鋩(きっさき)を並べ。関(きど)を開いて駈け出でて。面もふらず戦へば。最前川辺に射落されたる。従
類親族馳せかかり。当の敵を討たんとて。犇めき立って責め戦ふ。純友が舎弟権亮純素
これを見るより。三百余騎を従へて。はら/\と討て出づれば。和泉紀伊の官軍等。純素
には目もかけず。城中へ打ち入らんと驀地(まっしくら)に駆け立つれば。純素は取て返し。城中へ入れじと
支ゆる午の刻の始めより。申の刻の半ばまで。息を継がず責めたるほどに。人馬共に
労(つか)れければ。官軍は攻め口を引て。夥敷き寄せ手の篝火。忽ち寂寥として。影もなしと訴へ
ければ。純友はこれを聞き。必定大将に仔細あるか。宗徒の多く討たれしならん、何は兎も

あれ恭喜と。城中歓びあへりける。こゝに大将倫實は。今日の軍の様を見て。此の
城一方より責めんとせば。味方討たるゝのみにして。勝利の程は覚束なし。されば落ちたる体
に見せ。日を経て八方より牒(てうじ)合はせ。不意を打つこそ肝要なれと。其夜の暁に五十余艘
は備中の国水島へ漕ぎ行き残りは八島高松辺。室師磨戸(むろしりまど?)に五十艘。三十艘つゝ漕ぎよせて。相
図の火を待ちけるが。純友はまた是を聞き出だし。官軍は皆京機内の。軍兵等多ければ。陸
の戦ひは馴れたれど。舩軍に疎ければ。舟と舟との軍にせよと。権亮純素は児嶋の沖。
汐通しに船を寄せ。敵の後ろを遮らんと。その便宜を候(うかゞ)ひける。倫實は謀の敵に洩れて
術計を換え。防ぐよしを聞きければ。左右なくは寄せもせず。さればこの四五日は。今宵や
敵の寄するかと。物の具固めて待ちしかど。更にその沙汰もなかりければ。偖は虚説なりけり
と。是より其手の諸軍勢心緩まり気怠りて。日毎に酒宴を催しつゝ。或ひは遊女を呼び
集会(つどひ)て。歌舞飲宴に心を蕩(とろか)し。軍事は忘れたるが如し。倫實これを聞き澄まし。


24
時分はよきぞ寄せよとて。態と船には篝も焚かず。寂々(ひそ/\)と漕ぎ寄せて間近くなるまゝに
一度にどっと鯨波を揚げ。八方より太鼓を叩き。舷(ふなばた)を敲きて責めかけたれば。純友が勢は
思ひも寄らず。防ぐに其度を失なひて。舫ひし舟に櫓をおし立て。彼よ此よと犇めけども。
大半素肌なりければ。物具固むる間(ひま)さへなく。矢に貫かれ薙刀に懸けられて。逆巻く
波に沈没するもの。その数を計りがたし。されば寄せ手はいよ/\機を得て。横縦に船を
漕ぎ附け。当たるを幸ひ切ってまはる。こゝに純素は汐通しにて。この様を見るよりも。偖こそ軍
始りたれ。推せや者どもと下知を伝え。揉みに揉んでその手の兵船。三十余艘漕ぎ並べ。
大島の瀬戸をさし塞ぎ。鯨波を作りかけ。余さじと責め立つれば。純友が勢色を直し
喚き叫んで戦ふほどに。官軍さしもに?勇(きやうゆう)なれども。前後の敵を防ぎかね。進退
自由ならざりければ。終に藤戸の渡りを廻り。讃岐路をさして落ちにけり
源氏一統志巻之四終