仮想空間

趣味の変体仮名

絵本太功記 六月八日

 

読んだ本 http://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-093

 


62(右頁6行目)
   同八日の段       都の 空へと 供奉しけり
あはれむべし英雄の武将刃の露と消て行 内大臣春長公けふ一七日の大法事と

老若男女わかちなく 参詣群集を当てにして見せ物 軽業力持ち戦国の世も下々の 身過ぎ
にかはりなかりける 所の百姓ヒキ連れてのさ/\来る陣張甚助 茶やが床几に腰打かけ ヤイ庄や太郎
作とやら 此度尾田春長の法事は 主人武智左馬介様の御差図 情を以て万事御宥免有れ
ば 付上りのした百姓共 誰が赦して 軽業じやの イヤ曲技のと 仰々しいふるまい 外は格別
当村は此陣張甚助が支配 立てふとふせふと身共次第 小家がけ茶やに至る迄 今
日中に取払へと 主の威光に肩ひぢはり さも大へいに罵れば 庄や太郎作あたま
をかき 其お腹立は御尤でござりますれど 又しても/\ エイ/\わあで村々は乱が騒ぎ


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此頃武智光秀様 将軍とやらにお成なされ 少しこゝら近辺は穏やか 其悦びの参
詣群集 せめて四五日御用程をと 云つゝ腰の早道より 取出す小銭茶碗にうつし
マアお一つと差出せば 手に取上て恟りし にらんた眼はどこへやら くはらりとかはるからくり
的 ハゝゝゝハゝゝゝイヤ何庄や スリヤ何かいやい主人光秀が天下をしろし召 其御悦びとあれば
苦しふない/\ 軽業成と唐の芝居成と勝手次第 拙者元来茶が好きだが 大服(ぶく)
にしてかへてくれる気はないかと 肩からはへた爪長代官 百姓共は口揃へ 何が扨/\
なんばい成と御遠慮なしに おかへなされて下さりませ 然らばどふぞ今一つ はい所望

/\と差出され めい/\紙入巾着を さらへて漸八分目 た少ながらと差出せば 是は/\重々
の御馳走 いやもふ此お茶さへ下さらば 少々は拙者の天窓(あたま)で土佐踊なされても苦しから
ず 用事あらば承らん 必心置れなと 欲に目のないにこ/\笑顔 サアしてやつたと
百姓共 庄やを先に立上り 又もや御意のかはらぬ内 代官様へ差上る 出端の銭をもふ
けふと 挨拶そこ/\立帰る 跡に甚助只一人くゆらす 煙草のけふりより胸に 思ひ
のたへ間なき おこぶは後ろにもぢ/\うぢ/\ ドリヤまからふと立上り歩みかゝればこらへ兼 申
/\と呼かへれば 甚助あたりを見廻して ハテ心得ぬ 樹の陰より申/\と呼かけるは


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夜たかさんかいな アイナあいなと走り出 はづかしそふに縋り付 いはんとすれど赤らむ顔 甚助
はためつすがめつ おこぶが姿を眺め入り 見れば本肉の仕事登り 身共に取付きこざれるは
子細であらん物語れ ついにまみへぬげんさい殿と いはれて漸顔を上 エゝついに見ぬとは聞こ
へませぬ こぞのさつきの夕まぐれ 道頓堀のなら茶やで 思ひ物初めたが縁のはし 丸寝の
ぼんやは丸清の二かい 千年も万年も かはらぬ契り亀竹のふし/\゛迄かなへる程心よかつた
床の海 音はぎし/\ 岸本や人の噂に鳴戸やを ほんに嬉しの森新で わしや悦んでいる物を 夫
におまへはあげ物やの荷箱か大正の鰻の様に ぬらくらとしたぬめた様 忘れるとは餘な 聞

へぬはいなと取付て恨みの尺をくとき立て すゝり上たる有様は 達磨の絵像のら猫のそばへかゝりし如く也 甚助道理と
背な撫でさすり 一々心に覚の合紋 顔見忘れたは悪かつた 幸いおれも徒然の砌 アノ水茶やへサアいじやと いはれておこぶ
もぞつく/\ 渡りに船と帆柱を かゝへて恋の湊入 打つれ立て歩み行 流るゝ水の 音さへも 物騒がしき戦
国に 行儀乱れぬ生立は 武智が一子十次郎人目を忍ぶ深編笠 松原つたいに歩み来て 有合ふ床几に腰
打かけ ハアゝ思ひ廻せば恐ろしき世の乱れ きのふの君臣はけふの怨敵 親は子を討ち子は親に 刃を合す修羅の巷
ぜひもなき世の有様と暫し思ひに悩みけり 漸心取直し 父光秀の刃にかゝり空しくなられ給ふたる 春長の
霊前へ 御許容なく共後世の為 イテ拝せんとさしかゝる 道をさへきる陣張甚助 家来引具し大音上 ヤア主殺し


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の武智が伜そこ動くな うぬが家来を偽りし某こそ真柴方 久吉様への奉公始腕を廻せと
ひしめけば ハゝゝ久吉方へうら切の二股武士の甚助め 腕立してけかまくるかと 股立取て身構へたり ヤア
ちよこざいな小わつはめ 物ないはせず討取れと いふより早く一同に切てかゝりし刃の稲づま 暫し時をぞ移し
ける いらつて切込甚助が刃物からりと打落し 付入るさそく十次郎 切伏/\とゝめの刀 相人なけれは是
迄と衣紋 つくろひ刀を鞘 納る不敵の十次郎 是より直ぐにばゝ様の御隠居所へ発足し 是
身の出陣お願ひ申 敵のやつ原かけ立なぎ立寄手を悩まし 骸(かばね)は修羅の巷にさらし
武士の本意を達せんと勇み立たる若木の花 あたら盛の春も見ず憂を都の仮住居跡に見なして