仮想空間

趣味の変体仮名

祇園祭礼信仰記  第三

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
     イ14-00002-225


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   第三 道行憂蓑笠(うきみのかさ)
しきたへの 枕詞の数々や倭詞の其中に 思ひの露と書いたるは涙
といはん御前詞 其云の葉も今ぞ此 身をしる雨は蓑笠に袖や袂は
凌げ共 凌兼たる世のうきめ都の御所は室町の室の花さへちり失て梢に
残る一りんに 日かげも薄き輝若君 乳母の侍従が介抱に 爰やかしこの隠れ
家も もしや敵にもる月の桂や嵯峨野の奥山にしるべよるべの仮枕
暁露におき別れ 雲井を跡に落あしの浪速の浦へと心さし ゆく

足利の公達が みさきを払ひ跡備へ輿よ車よ引かへて杖より外は 乳母
一人かげ諸共に 四人連 四つ塚過て鳥羽畷(なはて) 野分の風かそよ/\と おばな薄が
穂にいでゝ招くとすれど物いはず 誰に東寺も遠ざかる 道は直でも横大路
すぢりもぢりて松永を思ひ出せば恐ろしや 日頃の工すが蓑を義輝様とは思ひ
もよらず 花橘が手にかけて現か夢か命も夏の夜半の霜 うきを三好の
存保(まさやす)様 同じめいどの友千鳥ほんに蓑さへ恨めしと 笠もかなぐりかしこに捨
杖取のべててう/\/\打ばちるてふ色々花の露と乱れて ちりさはく野狭(のもせ)の


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小鳥がばら/\/\ 立や日数も初(はつ)秋にむかふの森の宮所 再びもとの源に
かへす/\゛も祈らんと拝む片手に若君は野をなつかしみ里の子が かたな遊びを見
馴てや さきに立てはちよこ/\ばしり爰迄ごされ はしりごくいやかくれんぼ 鬼
のしこぐさ足元もいたいけざかり あひらしき 余所の人目にたから寺 爰は山
崎男山狐渡しもいつの間に しめの川舟帆を上て登るもさつさ くだる櫓
拍子えいさつさ 浪の高浜佐太の宮天満(あまみつ)神をすゞしめのきねが かぐらにふく
笛は鵜殿も跡に舌鼓 よふきてふさや玩(もちやそ)びの かふり太鼓になぞらへてすかし

なだめる子守口 松の林のすん/\と立木は敵の松永ぞと 教へ申せば打
うなづき小太刀をぬいて飛あがり 片枝をずつぱりこれかうと 切て落し
てにた/\笑ひ いさみに道もはかどりて晒し堤のながら川早くも岸の
女郎花 野菊まじりにいなごはたおりきり/\゛す なれもつま乞ひうら山し つま
持たぬ身はきさんじに まだ乳離れの若君を大事/\と御手を引き父を尋て大口の
濱岸野の里と聞つたへ くれぬ間と思へ共しらぬ道くさとふ人も難波の寺の
鐘のこえ入日まはゆく かざす手に尋ね まよふぞ「びんなけれ


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さまは参りか通りたや見たやサ せめて新家のはづれ迄ホウケラキョ/\ イナ君が手枕寝にこそ来れ
枕やろとは曲がない ホツケラキヨ/\イナ 祈らば福を多門天 蜈蚣(むかで)の足程参詣の下向を松の下かげに上かん諸(もろ)
白(はく)塩梅よし 今夜喰らはねば毘沙門のお情がないと口車 廻り取巻コレ爰へ そこへ十文こちらへも 五
文八文呑次第銭次第なる世界也 直な跡でも横に押す 火車の小次兵衛迚近江からはる/\゛と金催
促に岸野村 庄屋の持兵衛打連れて行向ふより供人引連 松永が代官十河(そがう)軍平 夫レと見るより
土に手をつき 御代官様へ申上ます 只今御役所へ参つた所 御他行と聞帰りかけ 途中ながらのお願ひ
先達てお願ひ上ました 岸野村の薬屋是斎(ぜさい)へ金高九百廿六両の出入 其節相手には手錠(かね)

仰付られ則明日が三十日の切日 何卒済まし呉ます様偏に願ひ奉ります 遠州から旅かけの物入
宿賃飯代小遣ひ等毎日/\酒肴 これ/\小次兵衛殿 此庄屋を毎日/\引ずつてはあるきやるが い
つ呑しやつた事が有 ヤアだまれ コリヤ小次兵衛 凡金銀の利息には大法が有物 法に過た高利をかけ
たは上を恐れぬにつくい訴へ 去によつて是斎には手錠斗閉門を赦し商売をさして置た 明日は役所へ
も横目役人が参られ 公事訴訟の是非を聞と有 其節事が分かるであろ コリヤ持兵衛 扨先達
て云付た室町家の落人 男女に限らず見付次第疵付ぬ様生捕る注進せば褒美の金は望
次第 村中末々に至る迄此旨急度(きつと)云渡せ早いけ/\と云捨て道を急げば小次兵衛も 庄屋と連


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て立別れ行も帰るも逢坂の水は澄共濁世に形も泥坊が二三人 松かげよりゆるぎ出 ナフお頭 今の
を聞てか ヲゝサ銭金の掴取 今夜は爰らに巣を張て 落人くさい者あらば濘(ぬから)ぬ様 コリヤ/\三よ勘太よ
わいらは合法が辻の方 此木蔵は此邊宵覗して後に出合ふ ヲゝ合点と點き合 北と南へ別れ
行 上かんやは伸欠(のびあがり)エゝ代官殿かわせたので 参詣皆脇道へ是では水も呑れぬと諸手を組
で一思案 エゝまだ人影も見られぬ様 手拭ひすつぽり頬かふり 面をかぶつて袖乞の又人通りを待つ中に
爰へ岸野の薬やの一人娘にお露とい露の情をかけまくも神に祈りを只一人行道追ふて コレ申御
繁昌様の御参詣に一文とらして アゝこれ/\下向にやろつきやんな/\ 付くな/\とおつしやる様な御身体

では アゝコレしつこいといふ跡から 下向がちら/\来るを見て又引返し上かんや面押ぬいでコレ申と 声を
かくれば立留り ナンジヤおれか事か ハイ御無心ながら 是は何しやちよつと見て下さりませと 渡せば紙
を押開き ムゝ何じや ヲゝこりや人参じやたつた今拾ひました 人参とはマアこんな物か ヲゝサ しか
も大人参 かけ目も大方四五両あろ 安ふ取でも一両で百七八十匁 コリヤよつ程な金目が有 ハア
そんならどふぞお前買て下さりませぬか イヤ/\おれもいらぬが ハテ 高が爰で拾ふた物 捨売りに
致します 申そふいはずと能程に付て買て下さりませ さればなふそんならかけ目は何ぼ有ふと 小
利一両是でまけるか ハテ扨夫はあんまりじや 小一貫目もする様にいふてから いかに根がたゞじや迚


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そふは売ぬ外へ見せうと行を引とめ コリヤよいは 二両で売るか イエ/\ そんなら今一両 是で三両 サア手を
打て エゝはづみがよい負けもせいと 互にしやん/\ ソレ三両 コレ人参と取かはし したり顔にて別れ行 ハゝゝ扨も
うまいもさが付た 是で都合是程なりや元銀は慥に有 アゝ有難や是といふも日頃念ずるあひ
この観音様と毘沙門様のおかげ 御真言には ヲンバインタマンダヤソハカ畦道をうそ/\と戻る木蔵が鵰(くまたか)
眼 コリヤうまい事ひろいだなア ドレ うはまへせうと手を出せば ヤアうはまへとは何の事 ハテ隠すない 今
働いた小判のうはまへ コリヤ手短にいふて聞す おれはどすの木蔵といふて此海道て顔の売た粋方(すいほう)
じや いちむじいはずと早ふ出せ ハア扨は御粋方でござりますか 私は此様なこはい事 商売には致し

ませぬ 金がなければならぬ事で思ひ付た今のたつた一度重ねてはとも有けづ斗は了簡して ヤアぬかす
な 金のほしない者が有ふか サア小言はいはずと出しおらぬか サア出したふてもやりたふても 身に付ける金じや
ない 大事の/\主人の為 ぐつとした出来心 モウ/\どふぞ御堪忍 そんだいにこなたを誉めた狂歌が有る
聞て下さりませ 住吉の ムゝ住吉の 松はこなたさも似たり 直な様でもいがまぬはなし ナントえいか しらぬ
はい どこに夫レが誉たのじや人をきよくるきよろ松め サア出しおれ出さぬと是じやと引ぬくだん平
アレ人殺し/\出あへ/\と声立ても 傍(あたり)に人かげちらめく刀お露は斯共下向道戻りかゝつて顔と顔
ヤアそなたは新 アゝこれ/\ 成程しんまい商人でお前の方へもいた故に 夫で見知てござりましよ 


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ナ爰はあぶない早ふお帰り サアそふなれど此体は行合の口論か コレ申 何かはしらぬが御了簡 ムウこなたこい
つと近付きか こいつが衒(かたり)ひろいだ故うはまへおこさにや代官へ引ずつて行 女の知た事じやない サア夫はそふ
であろけれど爰はわたしが詫言コレ手を合す御了簡 ハテしちくどい詫言もたゞならぬ粋方と
名乗かけ素手引て仲間へ立ぬ ヲゝ夫は道理去ながら私も出合た云がゝり 物参り故金はなけれど
持合せた大事の櫛 是なと侘にと手を上て ハア頭(つむり)にさいた櫛がない ハテめんよふなと云つゝも懐か
らお足二筋 どふぞ是でと指出せば物もいはず引たくり エゝ酒価(さかて)の事は扨置てたばこ代でも
なけれ共 了簡していんでこます 仕合せ者めと睨付けもときし道へ立帰る お露は跡を見送つて 新

作こんなこはい所にいたらどの様なめに逢ふも知れぬ 日は暮る人気はなし誰憚ず連れ立て咄したい
其訳は此中度々いふた事 としはもいかぬ形をして親の難義も弁へずいき過た色ぜんさく 嘸徒
な娘じやと 思やるも恥かしながら惚たが嘘でもない上に小次兵衛が毎日来てどふでもわしを女
房にする 金のかはりに連ていぬると あたいやらしい聞ともない  下地に心をかけているこなたがわしに応
といふ返事する気に成てたもると 新作殿はわしが男と心が慥に成 サアよい返事聞せ
てと 恋に孝行取交ぜて二つの袖に置く露のお露が心ぞいぢらしき 新作も涙ぐみ 家来の
私を常々から 御不便かけて給はる上 ご主人様に惚らるゝを微塵毛頭いやではなけれど 御恩を


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請る旦那の御難儀 明暮見ているつらさといひ小次兵衛めがにくて口 催促しをる頬(つら)かまち握
拳はふり上ても あつちは金で面はりを? 其借金を才覚して旦那の無念はらしたく どふかなと
思ひ付けふは毘沙門様の縁日 参詣を心がけ上かん売りの荷を借って 売て見ても五文十文はか
のいかぬつまみ銭 是では済まぬと又外に色々の儲け事 ホンニ夫よ忘ていた お前がさつきに参りがけ
わしや面をかぶつて顔隠し一銭下されいふはづみ ぬいて取たお前の櫛と荷箱の内から取出せば
ヲゝ?瑁(たいまい)の此櫛 京にござる姉様が とゝ様へ文の次手に下さつて大切に思へ共是しろなしてとゝ様
の難義を救ふお金のたしに イエ/\/\是うらいでも大方にこちらで用意が出来ました うあはり

是をと正直の頭にやどず是此櫛 何のくし/\案じなさるゝ事はない 旦那様の手錠(がね)もゆり お袋
様も御合点なら其時こそ能お返事 夫迄は隠すが秘密 人の見ぬ間にサアお帰り 私は此荷箱
元へ戻して跡からと いふにお露もいそ/\とそんなら内で待て居よ 早ふ/\と云かはし心残して別れ行
ドリヤ明がらの此荷箱戻していのふと振かたげ 行手の先に百姓共 てん手にあら縄棒ちぎり木 ソリヤ
こそ見付た上かんめ 縛れくゝれと追取巻く アゝこれ/\商人捕へコリヤどふする イヤどふするとはどう
ずりめ 贋人参の押付け売り小判三両衒めと いへば傍から口々におらが裏にて置た桔梗
の根を取たも儕じや ハテめつたな事いはしやんな 贋も本間も相対商ひ そんなら盗んだ桔梗


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の根は サア夫は イヤ物いはすな衒めと 多勢に一人詮方も泣も詫るも聞入ず あら縄かけの棒
縛り 幸向ふな松の枝 稲村の束つみ重ねがんじがらみのひつぱり蛸 とこぼえるかと込藁を口
にはませて サアよいは 直に火をかけ焼殺そ イヤ/\めつたな事をすな お代官へ断つてお指図次第がよ
からふぞ ヲゝこりや尤サアこいと皆打連て走り行 次第に更る夜嵐に傾く月も薄曇 身
の明りさへ晴ぬ夜に不便なるかな新作は物もいはれず身も叶はず 働く物は両の目に 涙はら/\
落こちの たつきもしらぬ旅ぞうき御いたはしや輝若君侍従を便り力草漸にたどり付 マア/\こゝ 
で暫くと草折敷きて足休め 申/\此跡の大坂といふ在所で問たれば 岸野の里へもマア一里

歩みも馴れぬ御かちゞ嘸お足が痛みませう 乳母が負ふて上ます筈 却てお前に手を引かれ逆様な
御介抱 御赦されて下さりませへ イヤコレ乳母 おりやあるくのか面白い そなたはまた足がかさす
つてやろ 気が悪が薬をのみや そなたが今煩らやるとおれは何とせふぞいのと 打涙ぐみ給ふにぞ
ヲゝよふおつしやつて下さります 乳母はどつこも悪ふもなし 煩ふ事じやござりませぬ したか持
病の癪が胸先へ コレ申 そこらに水が有ならばたつた一口呑してたべ ヲゝ爰に音がすると草押分け
て両の手にすくへど/\どばら/\と残るは露の玉きはる後の哀れちすらぬ子か いたいけな手の濡れ
雫 口へ入るは アゝ嬉しや気がはつきりと成ましたと 若君の御顔をつく/\゛と打ながめ いとしぼや


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時世とて足利の御惣領若様の御手づから水を給はる有がたさ ヘエ定なき世の中や 果報と
いふも暫しが中 仮初のお遊びにも玉の輿よ輦(てぐるま)と持てかしつかれ給ひし身か 今は野狭の草の上
綾や緞子の茵(しとね)共 錦の夜の物迚は 此うばが膝の上嘸や夢にも現にも昔の玉の御殿共 思ふ
て御寝なるお心が一倍いとしうごさるはと 膝に引寄抱しめ人目もしらず嘆しが漸に涙をとゞめ申
お前はさかしいお生れ質(つき)今乳母かいふ事をよふお聞なされませ 此行先は私が親里 どふぞそこ迄尋
ていたら気遣はなけれ共 悪人のはびこる世の中 若し松永に見付られお前も私も別れ/\に離れ
まい物でもない さすれば命も不定の世界 稚ふても義輝様の御公達 例へ敵の擒と成

刃の下に直る共卑怯な最期を遊ばすなへ 敵の名も尋た上 西の方へ手を合せ南無あみだ仏と
おつしやると 極楽からとゝ様が迎にお出なされます 必忘れ給ふなといひ聞すれば 打點き ヲゝ
忘りやせぬ よふ覚へている 極楽といふ所にはとゝ様がござるなら いて逢ふのふ嬉しい/\夫でもおれ
一人は道をしらぬ 乳母も付て来てたもと 弁へ知てもいはけなきまだ稚子のおろ/\声 ヲゝ乳母
も付ていくわいのと 膝に抱き取抱しめて 泣く音にいとゞ野の末の虫も哀を添にけり 聞耳立つ
るどしの木蔵礫の三に囁合 勘太が火縄打ふり/\ ホゝウ室町くさい伽羅くさいと跡先より引ば
さみ コレ女中 長たらしいよまい事 お触れの有たお尋者 金にするのじやサア歩めと手を取ばふりはらひ


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若君をかこひ アゝこれ/\わたしやそんな者じやない 住吉参りに日をくらし足は労るヤアぬかすな 只
の人なら着はつた物を真裸 此ちつぺいめを人質と立寄る勘太を取て突退け嗜一腰抜放し
寄ば切んと身構たり ソレア抜たはと三人がてん手にきらめくおどしの刃 侍従が若君しつかと抱 相手も
撰はず切結ぶ 女と思ひ侮し三人しかなのあらひを切立/\追て行 切あふ透をかけ抜て木蔵は
跡へ立戻る 女めは二人に任せ小伜めを捕へんとそか爰かとかけ廻り褒美の金にぎろ付く目
玉 又引返す其跡へ輝若君を見失ひ尋る侍従が数ヶ所の疵 流るゝ血汐血の涙 若君様 輝
若様 此筋を真直住吉の方へ御出 ヤ ヤ アゝ返事のないはもふ逃て下さつたか 但し切れはなされぬか

若君様いと様なふ ヲゝ/\爰にと両方から声をしるべにさつぷりと 切たと思ふた盗(すり)と盗 相身互に
どつさりと転(まろ)ぶをすかさず乗かゝり せめて儕を腹いせと二人を一度にずた/\切 アゝ嬉しや/\本
望や 是に付けても若君様 輝若様はいづくにと 尋る侍従が露の身も夜半の嵐に吹送る 斯く
共しらずどすの木蔵うろ/\眼でいつきせき ヤアこりや女めもくたばつたか どふでも?は
隠れておろと うそ/\きよろ/\松の下草引退けてコリヤ何じやと すかし詠むる星明り ヤアコリヤ
宵の上かんめ 物をぬかせと込藁取ば ハアこなたじゃ彼大将じやの アゝアゝ悪い事はせまいもの
こなたに別れた其跡へ百姓共が大勢来て コレ此様に棒縛り何もかも見ていたが ほう


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びをずつしりけなりいわいの エゝ何ぬかすぞい 女はくたばるがきめはおらず 手ぶりさこでうろつくはい
コレ/\ コレ/\ おらぬやつを尋ふより此縄をといて下さつたら 其礼におれが取た小判をこなたに進ぜふと
いふは耳寄覚の金 手早に縄を解ほどき ドレ金渡せ イヤ/\爰に持ていぬアレ/\ 松の枝の
ずつと上へやんまひよいと隠して置た 上りたふても手足が痛い どふぞこなたが ヲゝ合点と松の
荒波手がうに登を見すまし棒追取なぐり情も打なやせば真倒(まつさかさま)にコリヤとふする イヤとふする所
かこふするのじや よふ殺そふとしおつたなといふては打すへなぐりすへおれがかはりに成おれと 我くゝ
られた棒縛り元の松へくゝり付 藁も一つによふ似た/\似ぬ所は儕が顔 幸い爰にさつきの面 す

つぽりかぶせる折こそ有 松明打ふり百姓共 見付られじと新作は後ろへそつと隠れる共しらぬが仏
の煙より上かん売りの盗人め 代官様の御意が出た 所の法にサア行へ生ながらの火葬ぞと はつと
もへ立煙の隙先へ抜出る上かんや此場の首尾のあんばいよし舌打 してこそ「帰りけれ 芦火
焚くなる難波にも住めば住なり住吉の海道筋の離れ庵(いほ)本家ぜさい和中散 値は一ふく十
二銭買ていぬれば又跡へ買に岸野の所から 店も綺麗な構へなる 女房娘諸共に店を
手伝ふ下(しも)男 新作といふ気さく者つか/\傍へ立寄て 忙しい店のかた手何なさるゝと思へば 毎年
のお備ヘ物早けふでござりますか サレバイノ いつもは是斎殿が切刻んで持てなれどあの様に手錠(がね)


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び難義 夫レでコレ此様にと 飯匕(いゝかい)取々土器(かはらけ)も 新たに三方熨斗昆布注連引はへし床の上 何か
白木の箱の前 恭々敷も備る折から 庄屋持兵衛が門口から 親仁嘸待てゝ有ふといふ跡より 火
車の小次兵衛が何の待兼もしやるまい何じや有ふとけふが絶対絶命 サア連立ていかふかと
どつてふ声の気の毒さ マアお茶一つとお露が気転 抜出す手をしつと取 コレお袋 此間からいふ通り
お娘を女房に下さりやノ コレ是斎は舅 大まいの金もずる/\ 証文も戻してやる ナアお露 返
事はどふじやと抱付を 新作中へ分け入て ならぬ/\そふはならぬぞ ヤア儕か何知て すつこんでけつからふ
イヤすつ込むまい 最一度指dふぇもさへて見よ ほでぼしほき/\打なやすぞ ハゝゝゝ 大まいの金を済まさぬ故

連れていぬるのじや ヲゝ其大まいの金戻さふはい ムゝ/\ハゝ 背中のはげた親仁さへぎち/\する借金 儕
何金の宛が有て ヲゝ見せうかと懐より包ほといて小判の数 一ふう三四五六(みよいつむ)ソレ受取れといふに呆
れる母娘 小次兵衛は顔眺め 是でもふないか 儕こりやたつた六両 サア其元金を出したに云分か
ヲゝなふては 親仁に貸したは小判じやない 黄金で六両 小判に直すりや黄金両が七両二歩
夫に二割の利足をかけ八年以来(このかた)元利合て九百九両 閏か三月で廿七両 二口〆て九百卅
六両 何と肝がでんぐり返るか 夫レに小判ならたつた六両 銀目に直して六々三百六十匁 えいは
取らぬよりましじや 内上に取てこまそと 紙入へ入たは引残つて九百卅両 何とお露を女


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房にせいふといふが無理か 明た口がふさがれまい コレお娘 まだ手いらずのぼつとり者 手附けにちよつと口
々としなだれかゝる 後ろへぬつと親是斎 手錠ながらも小次兵衛が首筋取て引戻され ヤアどい
つじやとふり返り 是斎こりやどふしやる イヤどふも致さぬ 金のかはりに娘をやつて是斎が顔はど
こで立 あの妾には義理有る中 夫レ知ながら無体の仕方 先夫の小兵衛殿 龍雲の位牌へとの
顔さげて手が合されふ 重ねていやんな得心ないぞ 女房娘も案じるな 高が借銭で首の落た
例もないと 空嘯たる岩畳作り イヤ親仁 手つよふ出やつたの よい/\ 大方今度は水牢へ入てこま
す 親子とつくと暇乞してサアうせいとむしやくしや腹に立上り 是斎を先へ打連れて出行跡

に主従か溜息ほつと母のお匕 コレ新作 此間毎日毎夜の戻り様の遅かつたは 金才覚の為で
有たか そふとはしらいで阿房めの)めのと叱たが恥かしい 堪忍してたもコレ手を合す 是で堪納
してたもと 両手を合せ拝む手にかゝる涙は親と子が誠は涙に顕はせり 是は/\勿体ない お露
様も同じ様に 何の是はお主じや物家来じや物 麁抹にしてよい物か ヤ何かに紛れ朝飯もま
だであろ 茶の下を焚付ませふ 其間に店の拵お露様も供々と 云捨勝手へ入折節 門にわ
や/\声々にてよ擲と取廻す 子供が中に輝若丸 乳母の侍従か生死さへしらぬ道筋迷
ひ子の目は泣はれて只一人 ヤイ子供よ どうよくな事いはず共乳母を見失ふた程に とふぞ尋て


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くれやいと 宣ふ声もおろ/\涙 中にも子供の大将か アレ泣わい/\形はちいさいがえらいたんしや 擲き
いなせぼつ返せと一人かいへば口々にふり上る杖の下 ヤイ推参な 科もない者を何て擲く 其杖当てたら
此太刀で片はしから切てのけると反打給へば面白い サア切/\と惣々が中にくるりと巻さつぱ お匕(さじ)
は見兼門に出 あしやらかと思ふて居りやたつた一人と大勢して とちらに疵が付ても悪いと引わく
れ共聞入ず あの小坊主は迷子そうなが頭押柄にたんを切おつて 脇指で切々とぬかす故 切ら
れふといふ事しや サア切/\切て貰ふ イヤ/\擲て追いなせ いなせ/\と杖ざんまい コレ/\あぶない/\
其様に擲たかわしがかはつて擲いてやろと杖ひつたくり追廻せば そりやこそな薬屋の嬶か

おこつたぞ 逃よ/\と皆ちり/\゛ 扨もひやいやあぶなやと つく/\姿を打ながめほんにかはつたべゝ
着た子じや 祭の練物に出やつた子か イヤ/\しらぬ アゝ住吉のお社務様のお子じやあろ  
イヤしらぬはいの ハアそふでもあにか さつきに聞ば乳母を見失ふたといやつたか どふでも迷子に
極つた マア/\こちへと手を取れば少しは力を得給ふ思ひ そこらうろ/\見廻して何の遠慮もあら
薦の 注連縄はつた床の上ちやんとすはつておはします お匕は興さめお露を招き あの衣
装付爪はつれの尋常さ とふでもよし有子じやそふな アツア誠に此間お触の有た室町と 
やらの落人じや有まいかいのふ サレバイナ いつそやもとゝ様がおつしやるには 京にいる娘のおちえがお


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こした櫛じや そちが為にも姉じやと思ふてくれと 此さいている櫛を下さつた 名もかはつたと
聞たれどむつかしい名て忘れたか 今室町とやらに宮仕へ乳母/\といふのか姉様なら とゝ様を便りに
ござつたもしれぬ余所ながらとつくりとおまへかとふて見やしやんせ アゝそふせふと立寄て コレ/\ち
いさい子の事なればよも一人じやない筈 お乳母殿にまた大勢供でも有たか イヤしらぬ そして何
といふ所から何といふ所へいくのじや イヤおりやそらぬはいの サア向ふの所は何といふ所で 誰が所へいくの
しやいの サア住吉の方じやと乳母がいふた おりや何にもしらぬ/\ テモまあしらぬ/\と斗いふはい
の イヤ申かゝ様 あのマア床の上へちんと直つて行儀のよい事を思へば とふでも合点がいきませぬ 私

がとふて見ませふと 衿繕ふて傍へ寄 見れば只ならぬお子じやが 若京の方から出て此津
の国へはどこえお心ざしてござるぞ 有の儘にいはしやんしよばお為にも成ましよと しとやかに尋れ
ば ヲゝよふ問てくれた 京にいる時は大分供も有た 爰へくる時は乳母とたつた二人きた 其
乳母が夕部から見へぬ故 尋にいく道で今の様に子供か エゝ乳母がきてたもらぬ故 子供じや
と思ふて侮られたが腹が立 エゝ口惜い/\と小太刀の鍔を打たゝき無念涙ぞいたはしき 何の
心もつんざいて茶碗片手に新作が 若君を見て恟りおさぢが後ろに身をちゞむ 是はした
りあの人は何を恟り サアあの子を見ると ムゝあの子が何とぞしたかや 迷ひ子のかはいさに


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たつた今此内へ アゝ夫て落付た おれは悪ふ合点して夕部のしりがきたかと思ふた 其時あの子
は二人連で あぶない目にあふとした がよふ逃て来た事じやと 云つゝ傍へテモ結構なべゞ
着ているの そして足は泥だらけ夕部から直なら何にも喰せまい飯でも握てやろか イヤ/\そん
な事はおりやしらぬ/\ 大分に空腹な早ふ膳を持やい サアそふじや有ふと思ふて問のじや 握
飯がいやなら茶漬でも ヲゝちやに漬けこ早ふ持て テモ押柄な子坊主じや 幸盛て置たが
有と 勝手に入て持て出る茶には事をかけ茶碗揃はぬ箸のすへぶりを見るよりも気色
をかへ ヤイ不良よ こんなさもしい膳ではいやじや/\と不興顔 扨も拌(まぜ)るは喰うひともなくは

喰ぬがよいとぶつゝくを おさぢは心得コレお露 先にもそなたの挨拶が気に入た 機嫌直すはそな
たじやと 云含むれば アイ/\/\床に備へし三方の塵打清めし居ふりに につこりと打笑給ひヲゝ嬉し
い/\ 京から迎ひが来た時 此通り云付て知行をたんととらそふぞと 機嫌よげに箸取しがどふ
やらもふねむたふ成たと 欠(あくび)交りに目をすり/\ エゝ乳母はなぜにおじやらぬ ねたふても一人は
淋い 乳母やい乳母/\とぐはんぜなき寝覚めにしたふ乳離れを思ひやりつゝ母娘 道理じや
/\目の上のうだ腫たは夜の目もろくに此まあ足の汚れたをすゝいでやらふマア奥へ 夫は嬉し
いサア早ふと 遠慮泣子の手を引てお露も供に入にけり 店につつくり新作が 小首傾け


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思案顔 夕部慥に見た輝若 代官がいはれた落人 連れていてほうびを貰て旦那様のなんぎを
救へば ヲゝそふじやと立上り 思へば又いぢらしい事でも有と 輝若君の透間指覗き何にもしらず
に盥の中であまへている ヘエおれがでに涙が貰ひ泣をきしおつたと目を摺りこすりイヤ/\/\さし
当る旦那様のなんぎ背中に腹 おれ一人いて そふじや/\と尻引からげ役所をさして走り行
夫とはしらぬ母娘汚れを清め参らせて 褥は是をと湯ふろ敷 此御守りはお肌にと取々
に介抱し しらぬ事とてさつきにから小坊主じやの何のかの 慮外は御免下さりませ 今奥で
おつしやつた義輝様の御若君輝若様 其とゝ様はやつぱり都にましますかへ イヤ父上は松永と

いふ悪人が殺して 京の屋敷はもふない そんならかゝ様でもござりますか イゝヤかゝ様はとふからない 坊(ぼん)
を可愛かつて下さつた祖母(ばゝ)様が有たが 是も松永が方へいてじやはいのふ 乳母と二人くる道
で 誰じやしらぬがやらぬ/\といふた故 おれには早ふ逃げといふて 乳母が跡で切合ふていやつた
日は暮る道はしらず 草の上や人の門で夜の明けるを待ていた 此様におじやらぬはどふした事じやと目
もおろ/\ 涙ぐみたる物語 聞にお露がナフかゝ様 姉様のござる所は室町 殿(やしき9がないとおつしやるからは
サイノ是斎殿が聞てなら大抵の案じじや有まい 乳母/\とおつしやるのが其おちえ殿じや有まいか
誠にナア 夕部の訳を知たといやつた新作 見せにやらふと尋る門前(さき)捕た/\と先走り 所の代官


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十河(そがう)軍平 同勢引具し追取巻 義輝が忘れ筐輝若といふ小伜一人 此家にかくまひ置いたる由
注進有て慥に聞く 縄かけて渡すか但し踏込召捕ふか返答聞んと呼はつたり 親子は驚き若
君を後ろに隠し 左様なお方をかくまひし覚なし 外を詮議と云せも立ずヤア隠すまい 慥な
訴人の証拠は是と 一通を取出し 薬や是斎か下人新作と申す者にて候 義輝の一子輝若
丸私方にかくまひ注進申上候 御ほうびの金子を以主人是斎が借金償(つくの)ひ度存候間 私へ
下し直れ候はゞ有がたく存奉り候 何と是でもあらがふか 新作めは身が帰る迄の人質に残し
ておいた サア尋常に渡せ/\と 退引ならぬ訴人の証跡 ハツト親子が詞さへ泣も泣れぬ手詰

なり 稚けれ共若君は乳母が教は爰也とわろびれ給ふ気色もなく ノフ二人の衆 いかい世話にて
たもつた 西はどつちじや教てたもと有ければ エイそりやマア何故お尋なされます サレバイノ 夕部乳母
がいやるには 松永が世となれば行先々は敵の中 若追手がかゝつて別れ/\に成迚もさもしい卑怯な
さいごをすな 敵の名も問た上潔ふ死のといふて西の方の極楽にとゝ様もいてござる 手を合し拝むと
とゝ様が迎にござるげな 夫で極楽の方をとふはいの ヲゝ扨も/\ よふ覚て其様に弁への有程猶いとし
ぼい 千年もなじんだ様に思ふ物 何と是が渡されふ 初めから呼入ずば此うけまは見まい物と 泣しほるれば
ノウこれ其様になきやるのでどふやらおれも悲しないつた ヤイ侍よ 義輝の子が卑怯な事をいふと笑ふ


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な 縄でしばらぬ其前に今一度うばの顔が見たい うばに逢してくれやいt 慕ふ子よりもしたはるゝ うば
は此世を秋の草枯れ凋(しぼむ)とはしらぬ子が尋迷ふぞいぢらしき ヤア面倒な諄(くりごと)隙取ては妨げ有んとかけ入
て ホウ綾の上着に袙(あこめ)の袴 相違なしと引立/\ちつぺいめが覚悟のさつぱり 身は松永の家臣十
河軍平といふ者 尋常に手を廻せと 玉よりけなる弱腕(よはかいな)用捨も縄目に取付く親子踏み退け蹴
退引立る コレ/\坊がいた跡へうばが来て尋るなら 顔を見ににいたと嘘ついて なきやらぬ様に欺してやと
舌も廻らぬ雛靍を鷲の蹴爪の一掴 小脇にかゝへ逸散に役所を「さして立帰る 斯くとはしらが
の親仁同士 是斎を送りて庄屋持兵衛 是は/\二人ながら何泣てぞ 水牢と思ひの外又卅日お

預けじや 手錠もコレ打かへてじや 是斎殿も何しほ/\皆悦んだがよいわいの ほんに忘れた其戸板早ふ
/\と舁据へさせ飛田の道端に有た死骸是斎殿の頼みといひ 村の役害(やつかい)助かる為皆を頼んて
待たしてきた 跡はそつちで能様にコレ借銭も澄む様に合点か サア皆ござれ/\と引返す 人間を待兼
母娘心がゝりや気遣やとやがて死骸に立かゝり見れど見しらぬ顔像(かたち)若や今の若君のおうば殿か
但は京の姉様かと おろ/\声に尋れば ヲゝ夫こそ京にいたおちえが死骸じや ヤアと恟り呆れる母 わしが
為にも大事な姉いとしやなふと泣迷ふ ヤアコリヤ女房 今いふた若君とは誰か事 うばとは何が何とした サレバイノ
室町殿の若君輝若様 迷子と成りたつた今迄お一人こざつたが 注進をしてほうびを貰ひ小次兵衛が


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方へ添そふと新作が訴人にいて代官様が縄かけて 其若君をおいとしやうばよ/\と泣こがれてござつ
た物 まそつと早いか遅いかでひよんなうきめを見ましたと 語れば是斎か歯を喰うしめ ヘエしなした
り残念やと我身の手錠(がね)を打詠悔涙の目を瞬(しばたゝ)き ムウ新作めが訴へも主を思ふ忠義の道
是迚も叱られず する事なす事皆逆様 さは云ながらおちえが死骸 なまくら物の刀疵 すか所
なれ共急所ははづれた 呼吸に通ふ六脈いまだ切ねば大明流の秘方を以て一度物をいはせて見んと
店にならべし薬の箪笥引出し明るはづみにすつぽり抜たる手錠 お露が見付けてノフとゝ様 お手が自
由に成ますかと いふに是斎もコリヤどふじや けふ打かへた此手錠 役人の心有てか ムン何にもせよ秘

密の薬是なんめりと 死骸に立寄喰しばる歯を押分けて吹込にぞ 筋骨忽ち蠢く秘術 耳
際に口指し寄せ コリヤおちえやい 姉様なふ おちえ殿と 親子が取々呼生ける声にむつくと起上り 遁さぬ
やらぬ返せ/\とかけ廻り/\輝若様若君様なふと いふてはかつくりよろめく足元 コレヤ/\気を揉むまいと抱
しめ/\コリヤちえよ/\ 爺じやはやい心を慥に気をはつたりと 気が付たか何とじや/\ エゝそんなりやお
前はとゝ様か 本にヲゝとゝ様じや嬉しや わしは母じや 妹でござんする お心慥に持てたべと力を付る介抱に
苦しき息をほつとつき とゝ様の所は爰かへ ヲゝサ爰に 息才でいるはいやい 忝い/\落付た若し爰へ六つ
斗の子は見へませなんだかへ ヲゝ見へた/\ 今奥ですや/\とナ ヲゝそんなら寝てかへ ヲゝ寝入てござる


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気遣ない アゝ嬉しや風を引さぬ様に何ぞ置て下さんせ ヲゝサ合点じや 親が預かつているはいやい コリヤ姉
輝若殿といふは将軍義輝の若君で そちが乳で育てたか イゝエそふじやない/\ そふでないとはどなたの
子ぞ あれはわしが血を分けた子じやはいなァ ヤア/\/\ヲゝ恟りでござんせふ お前に別れ京へいて三好の家
へ奉公の其内 修理太夫存保(まさやす)殿に思はれ設けた子はアノ輝若 折しも室町の御所御台様も御男
子を設給ひしが 程なく若君にはお隠れ 血の上の事なれば御台様へはおしらせなく 祖母(ばゝ)君慶寿院様
のお指図であの子を直に養ひ取 義輝様の御惣領と傅く中 御台様にも産後の養生叶ずし
て終にお果遊ばし其時わらはを引取て名を侍従と改めお乳に付育る月日も傾く御運松永大

膳が心がはり 義輝様も人違であへない御さいご 存保殿も同じ日に松永か手にさいごのお供 室町の
お館もちり/\゛と成果て あの子を連れて只二人とゝ様の在所を便りにくる道で 侍でも有る事か盗賊
の大勢 爰を大事と防げ共 多勢に一人の女の手業どふで命は続くまい ナフ苦しや絶がたやと身
もだへあせれば コリヤ/\/\此親が娘じやないか 是程の疵に心おくれな 今迄とは違ふて親か付ているは
い コレ姉様死で下さんすな母も傍にいるはいのと いへど其かい嵐吹灯火よりもはかなくて ナフ輝若
の顔今一度見たい逢たい 早ふ顔見せてと聞より母は絶兼輝若の残し置たる小太刀をば 抜手に縋る
妹のお露 かゝ様何で死しやんす ヲゝそふじや女房自害は何の為 何故死ふといふ事ぞ ナフ情ない是が


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死ずにいられふか聞ば聞程つながる縁 血は分けね共義理の姉 輝若殿は惣領孫 夫レ共しらずうか
/\と敵の手へ渡した母が不覚何とながらへいられふと 嘆くをおちえが聞取て 何輝若は敵の手へハアといふ声此世の限り
十(つゝ)を重ねし富士の雪消てはかなく成にけり 我つよき父も身を分けし姉が別れに取乱せば 妻も妹
も正体なくわつと斗に泣しづむ かくる嘆きの折こそ有 先走りの徒士(かち)の者 薬や是斎は此宅(こゝ)な 真柴
筑前守久吉 直談の旨有て只今是へと土に頭をかつ蹲小なたも驚く貴人の入来死骸を傍に片
付させ 手錠をしやんと待つ間程なく 対の行烈挟み箱紋は五三の桐のとう 若党近習が一様に
乗物しと/\舁据たり 是斎は頓て出向ひ 見苦しき此茅屋(ほうをく) いまだ御はり及ばざる真柴筑前

守様 是斎が名を聞及ばれ御直談とはいかなる御用 ヲゝ其不審尤也 夫へ参つて対面そふと 戸
を開かせ歩み出るは此下東吉 上下衣服大小も遉に真柴筑前と改名したる其勿体 ヤア/\
者共残らず下がつて帰るを待て 早いけ/\と追立る 姿は実も越王の会稽山の錦の袖 恟りせしが
諾(いらへ)もなく しづ/\店に大あぐら 久吉額を土に摺付け 久しう候 松下嘉平次之綱殿 先ずは御勇健の
体を拝し恐悦に存奉ると 平伏有ればぐつと睨(ねめ)付け 素僕(すでっち)の大衒め 顔(つら)を上い 古の松下が此丸腰此
手錠 見よい物か眼を開いてとつくと見よ エゝ儕憎いやつ アレ女房娘 此手錠を打せしはあやつが所為
昔の草履掴んだ東吉よふ見て置けエゝお前にいくせの難義をかけたはあの男かへ エゝ憎い東吉めと


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いふては見たがびゝしい出世子細有んと口ごもる ヤイ下主奴が立身せしとてひからかしにうせざま ハゝゝゝ
身に錦繍を錺てもナ 非道の栄華は浮かへる雲 此主は此ごとく?袍(わんほう)を肩に結んでも心は涼し
き羅稜の衣 改いふには及ばねど八年以前志貴の城主 松永大膳へ招かれ出世の有付身の廻
を拵へ料 小次兵衛が方より黄金六両借用し軍用に宜しき具足調へ来れと申せしかば アイヤ
当代は桶側は用ひず 胴丸と申て左の脇にて結び合せ 伸び縮み自由に候を求めんとぬかし 六両を
掠め取再び帰らぬ横道者 其六両に利をもつて日々の催促 当所の代官へ小次兵衛が頼に任せ此
ごとく手錠を受しも儕故 何とせん腹立やと 老の齶(はぐき)に血の涙 久吉漸額を上 御立腹の段々一々

申上るに詞なし 儕金子を掠め取たるは旦那の指図でこはります ナゝ何と 鉦盗んだを指図とは 御 
失念候な 常々軍書御講訳の次手ヤイ東吉 譬ば臣下の身として主君の命に背ても 立身
するこそ侍たる身の誉れといふ 尤君臣の礼儀には違(たが)ふ共 武を逞しく国家を治るが則勇士
の本意たりとの御教訓 此東吉めが膽(きも)に徹し一旦命に背ても己やれ立身して日かげの主人を
取立 隠れたる名を世に顕はさんと ふ斗心付たるより御目を掠めし黄金は天より我に賜と押戴き
当時小田信長こそ名将の聞へ有ば 一先主従の約をなし 此度当初へ立越しも 松永が一類
亡さん為 遠州へも両三度罷越候へ共国遠有て御在所も知ざるに ふしぎに今日代官所


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おいて 障子を隔て御顔を見奉り其嬉しさ 役人に申付け手錠をゆると打かへしも 恩を謝する我
寸志 何とぞ古への誤り御赦免下され 小田の家の軍術御師範共成給はらば 某が本望
信長か大慶偏に願ひ奉ると低頭平身恭々敷詞を尽し申さるゝ 世をすね者の松下 何
思ひけん立上り 衣厨(たんす)の引出し叶はぬ手に探て取出す一通は 東吉が昔の手形 奉公人請状の事
文言は読むに及ばず請判親判汝が判寸々に引裂捨 主従の名は是迄 今は真柴筑前
守久吉殿 見らるゝ通り齢も早耳順に及び耄れ我体 命の内に頼み入度き其子細 いざ先ず是
へと座を下がれば 妻も娘もハアはつと手をつき敬ふ礼義にもおめず臆せずのつし/\ 上座に

通る寛仁大度 威有て猛き其骨柄忽ち詞を引かへて ナフ嘉平次殿 弥小田家の御師範 お客
分の有付きは久吉 宜しく吹挙(すいきよ)致さん イヤ/\志は祝着せしが最前も申せし通り 大膳へ合体はしたれ
共 反逆の萌(きざし)有松永と見るより 遠州を立退き此所に身を隠す内案のごとく旧恩の主君を殺
せし大悪人 未だ対面はせざれ共連判に入たる私名乗貴邊は又 小田の家臣敵と敵との参会
善悪の返答致す夫迄は 見苦しく共次に入て御休息 お露ソレ案内申せよ あいの返事も
尻軽にいさマアあれへと饗(もてなす)にぞ 然らば後刻と立上り手錠も嘸や窮屈と取捨/\案内に
連て一間に入給ふ 妻は始終をナフ是斎殿 元の名は茂平次殿機嫌が直つて嬉しいと いへど諾も


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思案顔 硯引寄せ筆追取 様子は何か白紙に老の達筆つど/\にアイ/\合点でござんすと立出娘
のお露 父が前に手をついて心よからぬ松永に仕へず共 小田の家へおすゝめ申せとくれ/\゛のお頼 かゝ様も
供々にと いふを押へてモウよい/\ コリヤ此書た物渡せばナ 返事には及ばぬと手に渡し おさぢは床に錺て有
箱を一所にアイ/\/\ 二人は奥へ門口へ小次兵衛がいつこかは ヤア親仁 其手錠は誰赦した 代官へいふたらば
笠の臺がヤ笠の臺よりこつちの代金 新作べがうまい事しおつたげな サア 早ふ請とろかと いつ/\より
も ほいやり笑顔金箱かたげ新作が ホウ小次兵衛殿 こなたの宿で算用せふといた所に 早爰へ
付込たどいひつゝどつさり千両箱 サア証文と引かへ ヲゝ合点と懐さがせばヤアならぬ/\ 新作其金に

テをかけな テモお前の御なんぎを イヤ渡す金は外に有 ムウ外に有とはトレどこに ヲゝサ爰にと 云つゝ落たる以前の
小太刀 抜ばぐつと突立たり 是はと驚く小次兵衛 新作があはて声 アレ死でじや/\と呼はるにぞ ヤアとかけ出る
女房娘 是は何事悲しやと すがり嘆けば息をつぎ 女房泣なお露も嘆くな ヤイ新作何うろ/\爰へこい
コリヤヤイそちが訴人した輝若はな おれが為に孫じやはやい エゝ ヲゝ恟りは尤 コリヤ叱るのではない そちには礼
をいふのじやはやい ア可愛やなァ主を主と思へばこそ心を尽したつきの小判 おりや奥の間で泣てばかり
居たはいやい 孫共しらず訴人したも主のなんぎを救はん為 殊にお露が志なぜ得心してやらぬか 匕
赦して女夫にしやといはれてお露が悲しい中又恥かしき親の前 顔真赤に新作が礼の詞にいたみ


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入 勿体ない事おつしやらずと なぜ存命(ながらへ)て下さりませぬ 我親は堺にて松江新左衛門迚刀の鞘師
二親もない一本立 御奉公に参つてよりお志を請ながら 得心を致さぬは貧しい暮しのお主様 侮てあの
様な慮外をするといはれんは ふ奉公と存るから只何事も能様にお指図次第 ヲゝ其正直を知た故 今
はの際の遺言ぞよ ナフ小次兵衛 迚も助からぬ我命 息有中に今暫し我身の上をさんけせん 一間
の内なる久吉殿も始終の様子を聞てたべ 元来某は大内義隆の先祖 大明琳聖太子の末葉(ばつよう)
に仕へし宗設といつし唐人 其頃明朝は粛宗の嘉靖二年 朝鮮の降烈王 国境の争ひより軍
起て 大明は打負たり 其怨(あだ)を報はん為日本に渡り琳聖太子の末なれば周防の国主太宰

大弐義隆に身を寄せ 再び朝鮮を切取ん計略も陶全姜(すへぜんきやう)が悪逆にて義隆も既に最
期の砌我を招き頼まれし義隆斯落命に及ぶ 汝は東国へ立越能大将を見立存念を達
せよと 我にあたへし先祖の装束 箱に納めて是迄も悦び祭る今月今日 北辰尊星と
崇めるは 則太子の御筐御命日の今月只今 年来の望の端少しは叶ふ心の悦び 軍法も計略も誰に劣ら
ぬ嘉平次が漸和中散の調合にて 人の病は癒せ共 直らぬ物は貧の病 一旦松永へ一味の某 一合一銭
の扶持は受ね共 合体せし血判の血を血ですゝぐ此切腹 斯成上は松永への義理も是迄 孫が手
柄は此刀突貫たる有様を 不便と思ふておくりやれと障子の方を打見やり息もせつなき物語り


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皆々道理と介抱の中にひるまぬ火車が コレ親仁 唐人の寝言ちんぷんかん聞きにはこぬ おりや代官へ一
走りどりやいてこふとかけ出る 後ろの障子の内よりも ヤア加藤虎之助正清 ソレ引とめよと聞やるにぞ
はつと答て立出るは以前の代官十河軍平小次兵衛呆れてコリヤどふじやと口を明たる奥の方 障子開
いて悠々と立出る其姿 武の霊冠の唐冠白袍に紫の差貫少まくる手にうにかうる(ユニコーン)の持(たい)
笏 弓手に持しは松下が書てやつたる頼の一紙 携へ傍(あたり)も輝く有様に 手負ははつといた手を忘れ
思はずしらず親子主従頭も自然とさがりける 小次兵衛がけてん顔 どいつじやと思ふたりや東吉の猿
冠者な えらい出世をひろいだと立寄をはつたと睨付け古主の有家を尋ん為 正清を松永へ入込

せし所則当所の代官勤るを幸 松下の住居も早速しる 儕法に過たる訴へなれ共旅がけの願
といひ今は赦す 新作とやらんが志其箱彼めに得させよと仰の下より正清が 千両箱を指寄す
る ホイ忝い いやもふ金さへ受取りや出入はないと 箱引かたげ立出る コリヤ待て/\小次兵衛 松下の借用
は相済んだが 此久吉が請取物置て行け ハゝゝ外に置ていぬ覚は ヤないとはいはさぬ 儕某を猿冠者と
ぬかした者 或は子守或は菜摘水くんで しどけなき姿を見て云た事覚えつらん 一合でも扶持取て見よ 十石取ら
ば首をやらんと ソレ首がけせしを忘れたか 今は小田家に仕へる久吉 儕が首の百二百鷹匠が引
犬の餌(えじき)にもたらね共 番し詞反古になしては政道立ぬ 殊更正清を軍兵っとなのらせ 大膳が


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方へ入置く事もけどつたやつ 生けてかへすな正清と 仰を聞より膝わな/\コリヤたまらぬと逃げ行を
どつこいさせぬと引戻し 手玉について足下にふまへ首に手をかけえいやうん 己が自滅としらぬひ
の手柄も斯や舌三寸 無益の賭はせぬ事也 久吉欣然と袖かき合せ 物数ならぬ某に一大
事の御願 又高麗渡海の勘合の印給はる上 此装束を着するは則貴殿の義心請継ぐ印 此後
武辺を忠義に磨き唐高麗に責め入て 義輝の先祖の仇 松下殿の忠節立所に凱歌を
上んは此久吉が方寸の内に有と約束堅き石の帯 威風りん/\鳴渡る朝鮮国の征伐は
此約諾としられたり 久吉重ねて 遖なる古主の忠死 餞別(はなむけ)祝ふ物有と 詞の下より正清か乗

物是へと舁据させ 手を引出るはヤア輝若かと悦ぶ祖父(ぢい)妻も娘も嬉しさに姉の亡骸
舁いて出 コレ/\乳母は爰にじやといふ声頓て走寄り ナフ乳母は死やつたか ぼんも死ふと取付て
泣は しんみの親子の別れ 久吉傍へおり立て此子が肌の守の中に慶寿院の手跡にて 委しい
事は皆知たり 侍従といふはおちえ殿で有たよな 手塩にかけた稚顔 稚なじみと目に涙 泣
輝若をかき抱 昔忘れぬ子守哥泣な此子よねん/\ころゝかゝ様はどこへいた幼(いと)を見捨てて死出
の山 泣ななくきそ親子の衆 一旦足利の養子と成た此輝若 養父三好存保の忠死と云
種といひ おちえの腹を仮初に嘉平次の初の孫 旁以て縁有は此久吉が申受て我惣


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領久次丸と名を改め家に接木の子を大事 育て上たり姥桜 花の都の高台寺に衣冠の姿残
されしもかゝる秀句の謂とかや いつの間にかは新作が髻(もとゝり)ずつかり押切て忠臣二君に仕へなと教へ
給ひし松下殿 めいどの供は此黒髪 姿は此儘孫君のお傍離れぬお伽役 父は鞘師の名人にて
そろりとぬいてそろりとさす 我もそろりと髪切て鞘師の家名を残す為今から曽呂利と
召ませと心も口も軽口咄しお伽にはよき坊主也 出来た/\と悦ぶ正清 潔き忠義の心底 此上は若
君の介抱と 松下殿の死後の跡 能きに納まる祠堂金 千両箱を曽呂利に私 我名も元の軍
平にて 大膳に近寄らんいざ御立と勧むれば ナフ/\旁先ず待たれよ 常々当所に住居をしめ風景を

楽しむ中 見へ渡る浦山を高麗の地理帝都になぞらへ置 女房娘ソレ/\の差図に随ひ
さら/\と明る襖の武庫の山 西の海面一めんに指ざす方を見給へといふに人々延上り見る目の
下に三韓の地理の案内はいかに/\ されば候あの西の切戸は淡路播磨の国境 九国を
過て壱岐對馬は釜山浦迄四十八里 是高麗の湊也 コレとゝ様其様に身を揉ましやん
すがお笑止ば 見へ続たる此浦の景色斗を ヲゝそれ/\此母も此里に住みなれたれば住吉の浦行
舟に見る和布(め)刈アレ/\/\北は摩耶が嶽(たけ)神戸につなぐ松浦舟 ヲゝ思ひ合すれば西生浦より菰
川迄の大河有 舟を引かば馬筏馬に馴たる高麗人ヲゝ/\/\日本勢は刀の得物 大手の軍は


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弓鉄砲火矢を飛して戦ひは今見る沖の帆かけ舟 三つ羽の鉦矢を射るごとく真一文字 
にかけ破らば 平安道の後なるかくなみ蔚山(めはしき)搦手に不意を付れて叶はじと あぼす峠
に逃登らん ムゝ扨潔き教へかな 其時には正清が先陣を申請判官殿の武略を以て鵯
越の逆落し鉄枴(かい)が峯一二の谷 手柄も一二の誉をとらん ヲゝ頼もしし加藤正清 勇は義
経智は楠三韓を一拉ぎ切耳切首凱歌を苅山が嶽に上られよとすゝめに勇む虎
之助 千里に其真名鬼上官とおぢ恐るゝもことはり也 松下が安堵の思ひ久吉は喜悦の
眉 只今給はる勘合の印は天子の宝なり 松下殿の松の字の旁(つくり)は則公の公に捧る天

下の眉目 此久吉が悦びにけふよりも此里を天下茶屋村と呼び 聞及ぶ龍雲の茶
の湯の余情 是より南に茶店(さでん)を構へ 往来(ゆきゝ)の人に一ぷくの茶を施すが追
善供養 夫レこそ曽呂利かあたま役お露が情 汲かはす和らぐ中の茶の奇特末世
ひ弘まる出世の門玄関下馬前大鳥毛 供先揃へ乗物に法の門出を見捨るも弓矢
取る身の礼有り義有り 妻と娘が介抱に見送る古主が三世の縁 祖父よ孫よと夕露
の別れは暫し久次丸 とゝ様さらばといたいけに愛別離苦を目前に振捨行や行烈
の跡に手をふる虎之助 千騎に一騎百万騎納る御代に天下茶屋古跡を残し出て行