仮想空間

趣味の変体仮名

祇園祭礼信仰記 第四(含金閣寺)・第五

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      イ14-00002-225

参考にした本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876606

        (漢字使いは寧ろこちらの方がエキセントリック)

 囲碁用語参考 https://www.ntkr.co.jp/igoyogo/yogo_589.html


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  第四
賑はしき都聚楽の町中に浮世風呂迚隠れなき 後家のしにせに寄つどふ 客は浴衣の風呂
あがりさいつおさへつ酒事のあいを中居が三弦(しやみ)の調子に乗て獅子廻し ありやしたよい/\能気味の大
盃で又呑せ ヲツト下さる/\も吹挨拶の口くせは風呂好きとこそしられたり 折からによつとあがつて出る
忠治が浴衣引かけて コレ/\新五丹蔵 お身達はよい時にあがつて仕合 扨今気凍(けうとう)ぬるく成て コレ見や
がた/\震ふ位じや あたぶが悪いとつぶやく所へ 此家の主ごとくのおつめ勝手口から走出 ホウ忠次様嘸
お叱りなされましよ いつにない湯がぬるんだも風呂焚の久七が内におらぬから 幾人(たり)有ても気の付かぬ女(おなご)

共 擲き廻して今の間に立たせます マア其間酒でもあがつて下さりませ イヤ忠次は格別 おいらは今迄酒
も呑だりや ちと蕎麦をいて見よかい ヲゝ夫々おりや猶好きなりや早くいきたい コレおつめ云てやりや/\
サアそりやつい今も参りますが 蕎麦と風呂は喰合せじやござりませぬか ハレ訳もない 夫はとつと
昔の事さ 今時蕎麦を喰て風呂へ入ねば粋の内へは入ぬげな 早く/\と急がせて打連れ奥に入けれ
ば 跡におつめがわめき声 女共/\一人はそばやへ随分早ふといふてこい 扨わいらはどふ心得ているぞい あなた
方は見る通りくはつ/\と捌けたお侍尻もつ立てて気に入は わいらも相応に徳が おりや風呂やの事猶
以て おかげで段々あたゝまる 欲しらぬ律義者はあほうの唐名といふて アノ小磯が形を見よ 何さしても


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ぞへ/\とかいしよのないくせに 年中文弥ぶし聞た様なほへ顔見るもうるさい斗で内の客には一つもならん デモ
遊ばしちや置かぬ どこにいる呼でこい イヤ今の先久七殿と水汲にいかれました 是は扨おれがいけ共云付け
ぬに めんようあの男の傍へ寄たがる 憎てらしいめろめじやなァ ヤかふいふ中もお客が大事じや ソレ皆奥へ
詰かけて随分御機嫌取てたも エゝきり/\うせふと尻張な 狼声に噛付けられアイ/\/\と走り行 跡へ又
出る風呂あがりでつくりふとりし侍は 主の馴染の十河軍平 ホウもふお揚りなさつたか 扨はお前も湯がぬる
さに イヤ/\今ずんと能入かげん サア/\背(せな)を摺ておくりやれ ホウ?(手偏に符?・?い)て上ましよ共 ソレ/\七九に灸が有ぞ アイ/\
そりや心得てます テモ扨もお前は気疎(けうとい)ふとり肉(しゝ)此おいどの大きい事はいの イヤ夫でもお身程には有

まい アゝコレそこらはふかずともふよい/\ ハテ扨お身は年に似合ぬ まだ色の気が有の ホウござりませいでは
今人の望む色取の最中でござります ハゝゝゝ サア其色に付て咄す事が能お聞きやれ 是の下女に磯といふは
身が主人松永大膳殿の心かけられし狩野の雪姫に極つたれば 何とぞ欺瞞(だましすかし)て主人がござる金閣
の館へ連れ行ば 身も手柄そちもほうびを貰ふ事じやが ナント其工面は出来まいか ホウ夫なれば幸アノ
小磯は下男の久七とめつたに中がよいは どふでも念頃している様なそぶりや わしが為に大きな邪魔
どふぞ欺して大膳様へやりましたら 其跡では久七をこちの聟にしてかはいがります ムゝ夫は両為よい様に計ら
ひめさと いふ間も表へ歩くる深編笠着た侍がかけ方燈(あんど)見て立とまり 何かけらいに云付れば


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はつと答へて門口より 軍平殿は是にかな 成程爰にござりますと おつめが挨拶する中に 軍平手早く浴衣
を脱ぎ 着物きる間に表の侍 編笠取て内に入 聞及だ浮世風呂 我か望と打通れば おつめは気の毒 イヤ
申折角お出なされても今日は留風呂でござります ムゝ然らば手前次風呂が致したい 夫共に奥の
お客に問ねばならぬ暫くお待と云捨てて障子引立入ければ互に傍を見廻して 近く程寄り声をひそめ 兼て汝
を大膳が味方として入込せ置しは 此久吉も相図しておびに入ん計略 館の内に子細なくば先達假催したる
蜂塚嘉六跡邊大炊 梶田隼人を始めとし其外諸国の軍勢を引率し 金閣へ赴ん様子いかにと有
ければ サレバ敵大膳某を加藤虎之助とは存ぜず心をゆるし候へば 館の案内は勿論万事に気を付見

る所 不審(いぶかしき)は彼二重目の閣宿直(とのい)とおぼしき者有てと 半分聞て ホウ夫こそは疑ひもなき慶寿院
隠し置たに極つたり 左有はうかつに寄せられず 先達て云合せし通り某も味方と偽り入込ん 汝宜しく計
らふべし 成程/\此方にも手筈万事 其仕度して相待ち申さん 御心安かるべしとしめし合でて久吉は 別れて
しづ/\帰らるゝ 跡へおつめが立出て 扨あかん/\ 何ぼいふても次風呂はならぬとおつしやる ヤ 今のお侍はは イヤもふ
そりや待兼ていなしやつたが 小磯が事は ヲゝせつろしい そりやせく事はござりませぬ 水汲にいてまだ
戻らず お前が何ぼ雪姫じやとおつしやつても っつくりと見届ねば イヤサ夫には及ぬ慥な事 身は此町
の会所に待て居申すから 欺てあれへ連てお来やれ そんなら左様合点かと?(てぐあい)堅めて軍平が 出て行跡


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を見送りて おつめは下女を呼出し 風呂の下はどふじやえいか 此又久七やめつさいは何をしておるこつちや ホンニけさから
閙(いそが)しさに 鉄漿(かね)付る間がないかつた雑笥橡紅粉楊枝 ソレ又竃(へつつい)の背(せなか)よごさぬ様に鉄漿(おはぐろ)も一ぱい
持てこい エゝちやつちやとうせいといふ声も巽あがりに又恟りとつかは 走入にける うき事も世に有時はいたづら
と聞しも今は身の上に 思ひつもりし雪姫は 妹背わりなき直信と供にいやしき宦(みやづかへ)手馴ぬ業に汲む
水の片荷の擔(担・たご)を指荷ひ道くさ咄ふら/\と揃はぬ肩を厭ひ合い漸内に立帰る おつめは見るより楊枝投げ
捨 ヤイ小磯の横着者 此親方が云付もせぬに んぜ久七が片相手に成ていた 久七も又じゝむさい幾人も
有めろ共を連てはいかいで あの小磯めといたがむつとするはい かふはいふ物そちが業じや有まい 皆儕が仕かけ

おる 徒めろめ面憎やと箒追取ふり上れば 久七すがつてコレ/\/\まあ/\御堪忍なされませ いつもおりん
やおなつを片相手に頼め共 けふは大分閙しそふに有た故あの人を頼んだは私が不調法 モウ/\去とては誤り入り
ましてござりますと 揉手をすれば打につこり ホウあいつが仕方は憎けれど いとしほらしいそなたのわひなら 了
簡せいで何とせふ ハア其様に御機嫌が直れば私も嬉しいが 今のわひとおつしやつたは 詫の事でござります
かへ サアそふいへは折角付た此口べにがはげるわいの いかにも 詫のべにのといへば 上下の唇が打合から そりや
はげる道理かい サア其口ひるをいつかふ明いて わつはさつはと腹立ていふたりや 嘸此口がくさかろと気が付
てわしや恥かしい ドリヤいて掃除してこふと 云つゝ跡をふり返る尻目に塩のしたゝるき形ふり無理に


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ぼんしやり風 かい繕ふて入にける 跡打ながめ雪姫は指寄て小声に成 しつての通り盗まれし家の秘書 是
を証拠に敵を討ふと思へ共 今において有所知れずとかくお前が力と成て討たせてたねと いふをせいして高い/\
其義は我も油断なく様々心がくれ共斯宦の身なれば思ふに任せず 去ながら日頃信ずる仏神の加護
あらば 終には本望遂げるであろ 気遣有るなといふ間も中居が走り出 コレ久七殿 奥のお客がこなたに頼む
事が有 呼でこいとおつしやるはいの ホイそりや何のこつちやなァ ハテ何しやはいて聞かしやれ サア/\ちやつとゝ奥の
間へ 引立行ば納戸よりおつめは立出俄に詞改めて コレ/\申様子は残らず聞ました 大膳とやらが心をかけ在り所
を捜す雪姫様 此所にござつてはあぶない/\ 幸伏見の墨染にはしるべの者が有程に そこへお前を預け

ましよ ほう夫はいかい心づかひ頼もしい事ながらしらぬ所にわし独り居るも異な物 迚の事に久七殿を サア
あれとお前が訳有様子も今聞たが連れ立ては人目に立つ 跡からそつとやりませふ マア/\ちやつと ソレ駕爰へ 
と呼出せば 雪姫何の気も付ずそんなら跡から随分早ふ 頼む/\と云つゝ駕に乗移れば おつめは二人に囁て
手早く駕に網をかけ跡に引添ひ急ぎ行 時しも奥より声高に おれが頼だ/\イヤ/\おれじやと久七を取巻て
風呂場へ立出 サアどふじや 三人共に受込で返事は何ちじやいへ聞ふ ハテ返事といふて皆十方旦那衆
どれをどふ共申されぬ が小磯が恋を叶へる心は コレ是でござりますと 竿にかけたる染手拭ひ追取て 此
通り三筋なから模様は違ふ 片身恨みのない様に お前方三人ながらアノふろへ入なさつて此手拭を戸の間から


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出してこざれば小磯にどれなとひかせまする スリヤ引合たお方が女房になされりや外に微塵も
分は有まい ほんのそこか恵方果報 いかにも/\コリヤ面白い そんならこちとはふろへ入 小磯を呼て引かせ
よと いひつゝ裸に越中ふんどし頭ぐるりと引包件の手拭ひつ提げて皆々はいれば久七は 小磯を尋てうろ
/\とあちこち捜す其前へ 戻るおつめがコレ男どふじやいの 常々此目顔でしらせ 詞の端にもくどい
程いへど 気の付かぬ顔しやる故べん/\だらりと延る程思ひが増してどふもならぬ けふは是非共夫(とゝ)に
するあた胴欲なと手を取れば アイタゝゝちと爪を取らしやりませ ヲゝ仰山な何ぞいの 是が憎ふて握らりよ
か返事しやらにやいつ迄も離さぬ/\ コレナア/\ はなしやせぬ サゝゝ私は合点じやがひよんな事は風呂入の

お侍が三人ながらお前に惚てじや ハテなふ サア夫レにわしが女夫に成たら 夫レこそもふ皆業わかしてどん
な仇しよも知れませぬ そこでかふじや 片身恨みのない様にわしも一所にふろへいて皆染手拭を出しておき
ます 其中端を絞たのがわしがのじやによつて 夫レをお前が引なされりや皆も得心 こちも場はれ 
て女夫になる そこが彼あみだ坊の浄るりに有縁引の段じや すりやコレわしは新羅丸 お前は又玉世
の姫様じやはいの ナントえいか ちえか/\ イヤモフ智恵の段じやない おりや嬉しうて/\どこもかもぞく/\/\/\す
るはいの サアそんなら風呂へ入ますぞへ ヲゝおれも其間に髪撫付るはいおのと鏡臺取出す 其隙に久
七手拭戸に挟み傍(かたへ)に忍び窺ふ共しらぬおつめは鏡に向ひ油とろりと撫付る額のしらがくろめる


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は 真菰でたらぬ鍋炭をべつた/\とぬりかける 顔は白壁鏝(こて)なしに手塗りの竃見るごとく厚皮
引ぱる身嗜み巾(ふい)つ拭ひつする中に風呂の戸けはしくたゝくにぞ ヲゝサ合点じやと裾引上てつゝと寄り
見ればつらりとならべたる染手拭ひのだて模様 左の端は花色に一枚形の石畳 堅い心の物好きは慥に
石原新五様 次は曙白上に雀を付たは忠次様 こなたは?の龍田川からくれないを染たるは赤ら
顔の丹蔵様 此絞こそ我殿御結ぶの神の御利生と引ぱる手ごたへソリヤ今じやと風呂の
戸さつと引明れば むら/\ばつと立上る湯気にまかるゝ三人の中に赤顔(つら)丹蔵が 手拭引あふお
つめが恟り 三人は猶興さめ顔 コリヤどふじや/\と呆れ果たる斗也 イヤ申二人様 久七はそこにおりませなん

だか ハテ何の爰に居よぞいの 小磯はそこらにおらぬかと皆立出ればソリヤ居ぬ筈 あれは彼お尋の雪姫
に極つたりや たつた今駕に乗せ 大膳様へやりましたと 聞より直信飛で出 ソレやつてよい物か取返さんと
かけ行をどつこいならぬと引戻し 雪姫をかばふから紛れもない狩野之助 大膳公の云付て引立には参
たれ共 面体を見しらぬ故たわけを尽した其かはり縄かけて手柄にするうせふと飛かゝる 腕首掴で下
手に入引担(かづい)て頭?倒 コリヤ捕たと両人が左右にかゝるを振払ひ弓手にころり馬手にぱつしと打付けれ
ばむつくと起て掴み合 おつめはあはてコリヤ久七負けまい肩持ぞ おれが加勢と桶追取頭へすつほりぴつ
しや/\擲き廻つて支へるを跡蹴に蹴飛し踏飛し 互に掴む髷(たぶさかみ)三人相手に直信が 力及ばず負け色に


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怯む所を付込で 押伏せ捻伏手拭取て小手縛りぐつ/\としめ上れば おつめは悲しく 夫レはあんまりとふよくな
まだ一夜も寝ぬ恋男 大事の聟なりや何ぼでもやりやしませぬぞ手にかけていつそ一つに縛つてい
きや はなちはやらじとかけ寄て取付引付かせになる 黐(とりもち)ばゝめ面倒なと 丹蔵が引掴どふど打こむ
風呂の内ナフ悲しやとさけぶ声 跡に聞捨直信を引立てこそ帰りけれ そも/\金閣と申 

は 鹿苑院の相国義満公の山亭 三重の楼(たかどの)造り庭には八つの致景を移し夜酒の石岩下の
水 瀧の流も春深く柳桜を植交て今ぞ都の錦なる 松永大膳久秀旧恩の主君を亡し
剰慶寿院を虜にし此金閣に押籠置き 遊興に月も日も立や弥生の天罰にゆとり

有間の栄華也 鬼当太相手に囲む碁の二番続けて勝ちのはま 鬼当太又負けたよな 白は源氏源
の義輝を四つめ殺しにした松永 中々我等は続くまいと 自慢黒白石片付 閣へしらせの鳴子の綱 引
ばばら/\立出る石原新五乾丹蔵川嶋忠治 大膳が前に手を突けば ヲゝ呼出すは余の義でない 究
竟頂に押こめた慶寿院 此天井楠の一枚板 其裏に雲龍を画せよと望む故 其龍は誰にかゝ
せんととへば 狩野助直信か雪姫ならでないといふ 去によつてわれ達に云付両人を召捕 直信めに云
付れば四の五のぬかす 雪姫も同じ様に何とやら斟酌 とかく慶寿院が機嫌を取も心に一物有
ての事 雪姫も手に入て抱て寝る我分別 邪魔に成直信めは軍平に云付詰牢へぶち込た


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三人の者共 慶寿院が警固随分と怠るなといへば鬼当太皆聞たか 雪姫を抱てねるは聞へ
たが あの義輝や慶覚を産んだ慶寿院 どこに見込が有てあの様にして置かるゝぞ 此鬼当太が
兄貴なら引くゝつて存分にと いへば大膳ハゝゝゝ 何を若輩者のしる事でない 短ふいへば彼の王陵が母を擒
同前 慶覚始め諸国の武士蜂のごとく發ても むさtご我に敵対させぬ思案 信長にもせよ此閣
に押寄せなば 一番に慶寿院を楯の板にくゝり上 此釼を喉に差付け一思ひ 去年五月室町落
城の其後猫の子が一疋得手ざしせぬはきやつを人質に捕た故さ三人ながら弥油断仕るな 早く参
れ ハツト皆々詞を揃へ 尤成御計略中々油断は仕らず 只今打たは時計の七つ 番代りに参らんと打連れ

閣へ登りける 大膳盤を押やつてヤア鬼当太 残念なは浅倉義景 信長が計略に乗て亡さ
れた後 直様ぼつかけ一合戦と思へ共 軍を預ん軍師なし 無念なから此閣に引籠り遖能士(さふらひ)もかなと
望む折から 此下東吉といふ者 信長が手を離れ浪人し  我に奉公を望む由心得ずとは思へ共軍平がいふ
に任せ信長か謀を以て東吉を指越さばこつちも謀に乗て召抱候と勧むる故 軍平を迎にやつたが未だ
帰らぬか成程/\ イヤモ万事ぬけめなき軍平 隙に入ば彼東吉同道致すに極つたり 其間に一ぱい
給(たべ・たば)ふ芸者共を相手にと 間(あい)の障子を押明れば芸子法師が取巻て いさめる中に雪姫が 夫は牢
者の苦しみを引かへ妻は綾錦蒲団幾重か其上に泣しほれたる有様は王昭君が胡地の花


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色香失ふ風情也 大膳近く立寄て詰牢とは品をかへ舞諷はせて奔走するも慶寿院か指図
した天井に墨絵の龍 直信にかはつて画か 但抱れて寝る所存か どふじや/\と責められて姫は漸
顔を上 思ひも寄らぬ御難儀 絵の事は祖父(ぢい)様より 家に伝はる事なれば何しに辞退はは申さね共水草
花鳥に事かはり墨絵の龍は家の秘密 雪舟様より父将監迄伝りしが何者の所為にや父を手に
かけ其上に 家の秘書迄失へば何を手本に画べき 其義は赦して下さりませ 同じ事をいふ様なれど 直信
殿と我中は お前も知てござんす通お主様のお情で夫婦と成た義理有ば譬此身を刻まれてもふ
義は女の嗜事 私斗か夫迄牢舎とは情なや かゝる憂目を見せんより いつそ殺して下さんせとかつ

ぱと伏て泣いたる 鬼当太アレ聞たか 慶寿院が望の通云付れば家の秘書がないといふ そんなら枕
の伽さそふといや直信めに義理せんさく胸が悪い 所詮邪魔に成名の信め軍平が戻り次第岩下(がんか)
の井戸へ釣おろし殺して仕廻へば跡がさつぱり 夫レ共直信を殺しともなか おうといふて雲龍を書きなり
と 抱れて寝也と其方が得心次第 活かそふと殺さふととつくりと思案して よい返答聞迄は蒲団
の上の極楽責 芸者共張上てうたへ/\といさめても 姫はとかくの諾さへ涙より外なかりける かゝる所へ
十河軍平 伴ふ此下東吉が衿元に抜刀指付/\入来れば こなたも障子をさしもの大膳 ヤイ軍平
其手込は何事ぞ さん候是こそ此下東吉 御奉公を望推参致せ共 若し誤りもあらんかと油断


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致さぬ此仕合 ハゝゝゝ 家を望む東吉何の用 心赦せ/\の詞に随ひ刀を鞘に納れば ムゝ聞及ぶ東
吉よな 苦しうないつつと参れ 身も信長に手を置つるに 其信長を見限り大膳に仕へんとは
陳重/\ 腰があいて見苦しい 刀を赦して近ふ/\と詞の下 家来に持せし指添え刀 渡せば取て遉
の東吉 両手をつかへ謹で 御覧のごとく四尺に足ぬ此下東吉 甲州山本勘助に競(くらべ)ては抜群
劣りし小男 お馬の口か秣(まぐさ)の役か 恐れながら御譜代共思召下されなば有がたく候と身を謙(へりくだ)り傅くる
ムゝ古へ斉(せい)の晏子(あんじ)といふ者 身の長(たけ)は三尺なれ共諸候の上に立て国政を執行ふ 武士は魂 人
相の差別善悪に寄るべきか 左はいへ人には一つの癖の有る物とは慈鎮(じちん)が哥 此松永も碁を好くが一つ

の癖 相手は是成鬼当太軍平ヤ幸目見への東吉 試しに何と一番打たふかい是へ/\と盤引寄せ招
く頤(おとがい)お髭の塵 取あへずお相手と盤に向ふも先手後手 軍平是で見物と腰打かけて指しう
かゞふ 隔ての障子そろ/\と人間(ま)を忍ぶ雪姫が心一つの物案じ囚れたを幸に御恩を受た慶寿院
様 奪返そふか夫の命も助けたし アゝどふがなと指うつむき ちゞに心を砕くは碁立大膳は先手の石 
打や現のうつの山蔦の細道此下が関(いつけんとび)に入込だも 松永を毅(うつてと)る 岡目八目軍平が助言(ごん)と
しらぬ大膳が 詞も有と打點きいつそ此身を打任せ枕かはそとつい一言いふたらいとしい直信様
牢舎を助てくれもせふとはいへ憎いあの大膳 何と枕がかはされふ いやといふたら夫の命 あぶない


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事の 大膳が石が既の事 アいや/\死る此白石 どふやら遁れ鰈(かれ)の魚(うお)白き方には目がなふて 有
かないかの辻占を聞もだく/\胸撫おろし ほんに昔の常盤の前夫の敵清盛に 枕ならべし例(ためし)も
有 夫レは子故 わしに子迚はなけれ共大切なお主の為 指当るは夫の命そふじや /\と立上り震ふ
膝ぶし松永か後におづ/\立寄て 先程のお返事を申/\と手をつけど 碁に打傾く顔を
も上ず覗くは誰じや アイ私でござります 先程のお返事を ムゝ雪姫が顔の白石 返事とは
マア嬉しい 抱れて宿石(ねばま)の返事じやな アイあいといふまい 昨今の東吉が見る前恋は曲者赦せ
/\ ハア是は/\痛み入たる挨拶 主と成家来となれど碁の勝負には遠慮は致さぬ

軍平殿 いかにも左様 女房に征(してう)とはづんでござる大膳様 ヲゝサ/\ 晩には一目劫(こう)おさへて 此東吉が点(なかて)を
入て 面白い 信長ても直信でも切て仕廻へば徒目(だめ)も残らぬかい いか様左様と当太が助言 軍平切/\
切てしまへと碁癖の詞 はつとかけ出す十河軍平 姫は驚きアゝコレ待た切るとは誰を ハテしれた事狩
野直信 ノフ待て下さんせ 夫を殺すまい為に大膳様のお心に 随ふ心で爰へ来ても 碁に打入
てござる故指控へていたはいのふ マア/\待て下さんせ 何じや身が心に随はふ アイ/\ そりや真実か 余んまり
急いで呑込まねど軍平待て 碁にかゝつては傍邊り 姫が来たやら何いふやら あぶないは狩野之助
ハゝゝなふ東吉 彼太平記にしるした天竺波羅那国の大王 まつ此ごとく碁に打入 誤て沙門(しやもん)


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を殺した引事 夫レは因果 是は眼前 コリヤ雪姫 心にさへ随へば直信は助んと番ひし詞反古にも成
まい 暮んを待て閨の盃抱て寝た其上で直信赦してくれふと いふに少しは落付思ひ 大膳
盤を打ながめ大方此碁もおれが勝ち勝負を付けて見やうかい 然らば左様と東吉が 向ふ敵は小
田信長 此大膳が後陣の備へ つゞく碁勢は 有る共/\有馬山 いなの笹原足つくな突たら大事
か取てくりよ取とは吉左右天下取 国をとろ/\とろゝ汁山の藷(いも)から鰻とは 早い出世のやつこらさ三
五十八南無三宝大膳様がお負じやと はま拾ふ間も短気の松永 盤を掴で打付くるを す
かさぬ東吉扇のあしらひにつこと笑ひ 統て碁は勝んと打んより負けまじと打つが碁経の掟 東

吉が一癖として 囲碁に限らず口論 或いは戦場に向ふても後を取る事大嫌ひ盤上は時の興
勝べき碁を態と負るは追従軽薄 負け腹の投げ打なら今一勝負遊ばされんや 何番でもお相
手と 井目(せいもく)すへたる東吉か手段も嘸としられたり 大膳も納得し面白い碁の譬 見かけに寄らぬ
丈夫の魂頼もし/\ 誠武士の肝要は軍の駈引 其駈引には智謀が第一汝が才智を試みん
には 何をがなと思案の内 傍なる碁笥を追取て目宛は岩下の井戸の中 ざんぶと投込いかに
東吉 今打込だ碁笥の器 手をぬらさず取て得さす工夫や有か/\と 猶予もなく庭におり
立金筒樋漲る瀧の流を直に井の内へ暫時に汲取早業は 井桁をこして水の上浮めて


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取たる件の碁笥(ごげ) 有合盤を打返し四つの足の真中に据たる碁笥は信長が 首を提此
ごとく 首実検の其時い用意に用る碁盤の裏 四つの足を四星に象ん 軍神の備へとし
小田を亡す血祭と盤を片手に指上しは 下?(かひ)の土橋に石黄が沓を提し張良も斯
やと斗いさましし したり/\と松永兄弟軍平も舌を巻 かほども智を備へし東吉 御手
に入こそ吉左右めでたし先々一間に御入有て御酒宴もやと勧むれば いかにも/\遖頓智 弥
軍師に頼の盃 鬼当太軍平案内せよと 令する詞に両人が伴ひ「奥へ入にけり
跡見送て大膳が サア是からは雪姫に閨を見せふと手を取しがイヤ/\/\ 抱て寝ぬ先今一度

ついくる々と墨絵の龍 天井に出来ればよい コレサ望かゝつた大膳 次手に望を叶へてたべ これさ/\と 
寄そへば サア申 お心に随ふ上知てさへいる事なら 何しに筆を惜しみませう 先にも申た秘密の
書 終に見ぬ自ら手本なふてはいつ迄も ムゝ尤と點きしが さげたる一腰取直し然らば手本が出た上では
いやとはいはさぬ合点か アイ成程/\ 雪舟が残された手本でさへ有ならば たつた今でも書ませう
お前に手本が 有る共/\ いさ先こちらへと松永は姫を伴ひ庭におり 件の一腰抜放し瀧にうつせば
あらふしぎや 落くる水に龍の形あり/\怪しむ雪姫が 扨はと斗目を放さず又も移せば生けるが
ごとき雨を起すたくりから龍 隠せば隠るゝ希代の釼手に持ながら松永も奇異の思ひ


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をなしにける 姫はすかさず身繕ひ守り詰たる大膳が刀奪取とつゝと見 ホゝ扨こそ尋る
くりから丸 親の敵大膳やらぬと切かくる かいくゞつて遥に投退 ヲゝ心得ぬ我を親の敵とは 何
を証拠と云さも立ずヲゝ其証拠とは此釼 祖父の雪舟唐土より持帰り家に伝へしくりから
丸 朝日に移せは不動の尊体 夕日に向へば龍の形 くりから不動の奇特を以てかくは名付けし
此名剣 父雪村迄伝はりしが河内国慈眼寺山潅頂が瀧の本にて 父を討れ刀も紛失
され共くりから丸といふ名を包 家の秘書が見へぬ/\と云ふらせしも 誠は此釼を見出そふ斗 姉様
と諸共に 心を砕た父の敵 今といふ今釼のふしぎを見る上は 敵もこなたに極つた サア尋常に勝

負しやと 又切かくる釼をもぎ取 ハゝゝゝびくしやくとはね廻るな 年来天下を覆す望有て
三種の神宝を仮に拵へんと思ふ折節 いかにも 潅頂が瀧の邉(ほとり)において此刀を水に移し龍の
形を顕はし見る老人一人我も其場に行かゝり遖能名作名剣 武士の守りに成べきやと 一向(いたずら)
に所望すれ共 承引せざる奇怪さ 人知ずぶち放した 釼は其時 討捨た老人は雪姫そちが親
将監雪村で有たよな 年月の無念も嘸々 此釼がほしいか 某が首もほしかろな 先立た姉
花橘が追善 雪姫が心ざしにめんじ討れてやりたいが マアならぬ 義輝さへぶち殺し天下はもと
より王位をも望む大膳 匹夫が敵などゝは小ざかしい女めと 立蹴にはつたと踏飛し 足下


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にふまへる折こそあれ 鬼当太是にとつつと寄 雪姫を引立後手に縛りからむる後へずつと此下
東吉 ハツアかやうな事もあらんかと見へ隠れに窺ふ所御主人をねらふ女 なぜ細首をぶちめさ
れぬ 東吉がお目見へにいですつぱりいはして御覧に入んと刀ぬく手をとゞめる松永 待て/\東吉 我
思ふ子細有れば無成敗はさせぬ/\ 軍平参れと呼出し コリヤそちに預た直信め ソレ舟岡山へ引
出し五つの鐘を相図 一分ためしにためして仕廻へ 然らばアノ雪姫も一所に引立申べきか アゝいや/\そふ
な成まい トハ又なぜでござります なぜとは不粋ナア鬼当太 アレあの縛られた姿を見よ 雨を
おびたる海堂桃李 桜が元にくゝり付 苦痛を見せた其上で抱て寝るか成敗するか 二つ

一つはマア後程 軍平は早く/\と追立やり大膳は上見ぬ鷲欣然と席を改め コリヤ/\鬼当
太 其方には此釼急度預る 慶寿院が警固怠りなく云付よ ナニ東吉わりやアノ女が首
討んとな ホゝ新参なから某をかばふ心底満足/\ 今より弥我軍師小田が家にて千貫とらば二
千貫 一万石でも望次第 恋の媒鳥(をとり)の其女 ソレくゝし上てうきめを見せよ ハゝ畏つたと東吉当
太 引立/\桜か枝くゝるも主命 主従が打連れ奥に入相の鐘も霞に埋れて 心細くも只
一人むざんなるかな雪姫は何を科とてからまれし夫も最早最期かと思へばそよと吹風
もあはや夫ぞと見上れば花の散さへ恨なる今ぞ生死の奥座敷諷ふ調子も身にぞ


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しむ 花を雪かと詠る空に散ばぞ花を雪とよむ 命も花とちりかゝる狩野之助直信が
最期も五つ限りぞと 軍平に追立られ屠所の羊のあゆみ急がん夫婦が顔と顔 ヤアこは
我夫か 雪姫かと 寄んとすれど縄取が引ぱり縄の強ければ 見かはす斗涙声 かふならふとは思ひ
も寄ず お主様を奪返し 舅の敵も供々に尋ん物と思ひしにむざ/\死る口惜さ 何とぞそ
なたっは存命(なからへ)て 慶寿院の御先途を見届る様に頼ぞや ナフ其お頼は皆逆様 科もない身を刃
にかけ跡に残て何とせん一所に行たい死たいと叫ぶを軍平せゝら笑ひ アゝよしなき女の腕立から狩
野之助を殺すといひ 其身も縄目の憂面恥 まだも頼みは大膳様 其器量にうつ惚て 御

不便がかゝつて有 どふぞ最一度詫言して抱れて寝たがましであろ アゝ不便やと夕間ぐれ
追立/\引れ行 見送る身さへからまれて行も行れず伸上り見やればさそふ風につれ 野寺
の鐘のこう/\と響にちるや桜花梢もしほれ見もしほれ しほれぬ物は涙なる やゝ
泣入し目をひらき ヤアあの鐘は六つか初夜か 夫の命が有る中にホンニそれよ まだ云残した直信
様なふ 父の敵は大膳じやはいのふ エゝ此事がしらせたい 此縄といてほしいなァ エゝ切ぬか とけぬかと 身
をあせる程しめからむ煩悩の犬我と我身を苦しむるうき思ひ ヘエあの大膳の鬼よ蛇よ
人に報ひか有物かない物か 喰付ても此恨みはらさで置ふかと 悔の涙はら/\/\玉ちる露


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のごとくなり ヲゝ夫よ/\三井寺の頼豪法師一念の鼠と成 牙を以て経文を喰さき恨みを
はらせし例も有 此身此儘鼠共虎狼共なしてたべ南無天道様仏様 申/\コレ拝みたふても
手が叶じゃぬ エゝ無念口惜やと踊上り飛上り天に呼はり地にふして正体涙にくれけるがハツア
誠に思ひ出せし事こそ有 自が祖父の雪舟様 備中国井の山の宝福寺にて僧となり
学文はし給はず とにかく絵を好み給ふ故 師の僧是を誡めんと堂の柱に真此様に縛り付て
折檻せしが 終日苦しむ涙をてんじ足を以て板縁に画く鼠 縄を喰切助しとや 我も
血筋を受継で筆は先祖に劣共一念力は劣らじと足にて花をかき寄せ/\かきあつめ

筆じゃなく共爪先を筆の代り墨は涙の濃薄桜足に任せてかくとだに 絵は一心に寄物す
ごくすは/\動くは風かあらぬか 花を毛色の白鼠忽ち爰に顕れ出縄目の葛(かつら)草のね
を月日の鼠が喰切/\喰切はづみはつたりこけしがむつくと起き ヤア嬉しや縄が切たかほどけたか
足で鼠を書たのが喰切てくれたかと 見やれば傍(あたり)に敷花の鼠の行方も嵐吹 木のは
と供に散失せたり 姫は夢の心地もさめ 嬉しや本望やと悦ぶ足も地に付ず 夫の命を助
けんと かけ行後へ弟鬼当太 dつこいあさせぬと首筋掴で引戻す 赦せやらじとせり合中
はつしと打たる手裏剣に当太が息は絶にけり 是はと驚見返る所へ ヤア/\雪姫しばしと


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とゞめ 腹巻に身をかため悠々と立出る筑前守久吉 何事も最前より窺ひ知たる
始終の様子 先祖の雪舟渡唐の時 明帝に望まれて天満宮の渡唐の神画く称
美に取かはせし くりから丸は是爰にと 当太が死骸の一腰を取て渡せばとつくと見 ヲゝ成程/\
家の秘蔵の此釼 祖父様は唐土でお書なされた渡唐の天神 今日本に弘まつたも雪舟
様が始じやと爺様の物語 此名剣が手に入からは いで踏込で大膳をと かけ入を押とゞめ 一途
にはやるは尤ながら申さば彼は天下の敵 親の敵は又重ねて慶寿院の御身の上 此久吉が受
取た 軍平に申付直信の命の上ちつ共気遣なけれ共 何かの様子をしらす為一刻も早く舟

岡へと聞に心も浮立斗 そんならお主を頼ぞへと 釼を腰に裾引上 小つまほら/\花の浪 舟岡
山へと走り行 既に其夜の月代も傾く運命松永が 熟酔の折よしと指足抜足 慶
寿院の御座所 究竟頂の楼ぞと見上る空に赫々(かう/\)たる星の光はあらいぶかし 時は今春
の末 春は木也 青陽の東に当つて 木曜星寿命豕(い)に建(おさ)す時は ムゝムゝ 忠臣君に
代といふ天の吉瑞めでたし/\ 二重の楼(らう)に梯子を引て 宿直(とのい)が物音しすましたりと 見
廻す広庭桜が枝 是幸いの梯ぞと取付登るは?の木伝ふましら苔むす枝梢
の花か又ちら/\ 雪のふゞきと怪しむ斗 漸と高欄ぬ手をかけたる額は潮音洞の縁かはへ 


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ひらりと飛込はづみに連れ雨戸障子はばた/\/\ スハ狼藉者忍びしと切刃廻せば真
柴久吉 ヤア狼藉とは寛怠也 慶寿院の迎ひの者尋常に渡せばよし 異議に及はゝ
かたつぱし 目に物見せんとつつ立たり ソレ物ないはせそ生捕と 捕たとかゝる丹蔵が十手ふる
手を衣かづき 右へどつさり投こせば弓手にかゝる新五がひはら蹴上るさそく川嶋忠治 コリヤ
させぬはと後抱後矢筈にしめくるを 沈で前へコリヤ/\/\ 投る體は真倒(まっさかさま)みぢんに成て死
てけり 一度にこりぬ石原新五 向ふ様を衿しめにしつかと取 こなたも押へて揉あふ中 乾が
尾をふるだん平物後より切付る まつかせ合点と石原を三つに梨割味方討ち 刀もぎ取

丹蔵が首は遥かに飛ちつたり 扨々無益の隙入と見やる三重段梯子 跨る楠の一枚
板登れば登る楼閣は 究竟頂に儲の構 今ぞ御身の上なりと慶寿院は覚悟 
の体 小袖の鎧をうや/\しく釈迦観勢の三尊仏 口に称名一心不乱 脇目もふらずおはし
ます 御前に頭をさげ 小田信長が家臣真柴久吉 御迎ひに参上せり 心静かに御用
意といふに念誦を正給ひ ナニ信長の迎とは いしくも来りし嬉しさよ 去ながらかくも敵の
虜と成いつ迄命惜むべき 未来仏果を得させよと 御目を閉じて合掌し再び仰は
なかりける エ云がひなき御所存かな 信長が諌めにより慶寿院にも還俗有 義昭公


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と諱(いみな)を改め足利の家を起さんと軍勢催促最中也 此閣外には某が一味の武士御
迎に満々たり いで御安否をしらせんと腰に付けたる備用急 相図の狼烟(のろし)取出し立明しの
灯を移せば叔南塘が火龍炮えん/\ともえ上り 雲間にたな引入と等しく相図の
太鼓合せの螺(ほら)吹立/\「打ならし数千の提燈えい/\声天地に響き動揺せり
慶寿院も安堵の思ひ 久吉御手を取参らせ鎧を小脇に段々梯子二重の樓に
おり立て心に點く即座の気転 鎧を直ぐに御着背(きせなか?)御身を鎮に忍ぶ竹 天より
橋を呉竹の梢はしいわりふうは/\其身は元の桜木に取付さがるさゝ蟹の

蜘のふるまひいと危き 庭におりしも十河軍平狩野直信雪姫も立帰り御母君の
御安体悦び申せば御目に涙 雲龍を画せよと二人の者を呼寄しも大膳を欺て
奪返せし家の籏 慶覚に伝へさせ潔く死んと語り給へば十河は手をつき 某軍
平とは仮の名 誠は久吉の郎等加藤正清かほと大勢取囲みに折合ぬ大膳 目覚し
させんとかけ寄て一間の障子蹴放せば 四方四つ手に鉄の網力士のごとく真中に
すつtくと立たる松永大膳 信長が計略斯あらんと察せし故兼ての要害油断は
せじ 何さ/\七重八重に網を張る共 我見る目には童すかし 蛬(きりぎりす)籠におとつた工 踏潰し


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首取は安かりつれ共 信長が指図によつて慶寿院を奪ん斗 義昭公に御馬を
勧め汝か本城志貴に向つて責寄せん ヲゝサ/\面白し 我本城に攻来らば叡山法
師を相かたらひ花々敷軍せん ヲゝ云にや及ぶと睨合互に肱を春の風東風吹く
風にひるがへす籏よ 鎧よ母君と 供にかゝやく袖袂供奉(ぐぶ)する真柴は大鵬の万
里に羽打朝嵐正清直信雪姫が再び手に入くりから丸かげをうつすや其奇特瀧
は今より龍門の 名を万点に鳴響く 爰は都の金閣寺 庭の桜の春かけて詠を
                            残しける
  第五

敵の本城志貴山の鋭気をくじく義昭将軍 麓の野迄發向有ば 取あへずも小田信長
烏帽子素襖の礼儀の袖優々と床几にかゝりおはすれば したかつて明智光秀狩野之助直信
左右の芝に傅(かしづ)けり 信長諸軍に向はせ給ひ 此度真柴が計略にて 小袖の鎧二つ引両の籏 御
母公慶寿院迄御安康にて取返し 我本城へ送り越たる莫太の勲功 其上は志貴山の城郭へ
馬をすゝめ 花々敷勝負一時に決せんと 詞をつがつて帰りし由 将軍には御出陣 夫故かくも發向す所
思ひも寄ぬ乱舞の体いか成事かいぶかしと仰の頭に乗る明智光秀 浅倉退治に鼻明し何がな
あたる詞の端 察する所久吉が大切を鼻にかけ 我は顔の遊興ならん 幕へ御入候て御用意すゝめ


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給はれと勢ひ立でば直信押留 かく此所へ出陣有も皆久吉のかけ引なれば定めて深き計策ならんと
舌も引えぬ其所へ幕押切せ義昭公えぼし装束欣然と 信長に向はれ給ひ 慶寿院を奪返し
十四代の家の籏再び四方にたなびかせ我等天下を知らせんととはそも類有さらんと御けんの詞主従の礼儀の程こ
そ感じけれ 軍師真柴久吉は白木の臺に恭しくかゝげ乗せたる舞扇異議繕ふて臺差置き おほ
けなくも義昭君 敵の不意を討ん為態優美の玩び 殊に御身を悦びのお能を手づから加茂の舞扇けふ
の軍平門出と 利運の寿末廣がり 御賞美の賜也と相述る 信長しさつて中敬に受持押戴き 御手づからの
舞扇おさ/\とあふぎ祝すれば取も直さすめて度前表 かうも有ふか二本手に入けふの寿サア久吉此付句聞

まほし いざ/\君を寿けの詞にハツトかんじ入 ホゝウ遖の御秀句則君を悦びの為 ヶ様にてはいかゞあらん 舞つるゝ八千代
をつとふ扇にてムゝ面白し/\ 舞つるゝ八千代をつたふ扇にて にほん手に入るけふの寿 アゝ当意即妙言語に絶せり 是
も則長久の御代万歳と寿く折から 小田家の郎等柴田権六 陣口に馬乗放し 仰に任せ城中の案内万事
を窺ふ所 近江源氏の一族に心を合せ山法師をかたらひ 近国の野ぶしをあつめ既に勝負の時近く相見へ申候故
早速注進を仕る 早く御用意然るべしと云捨ててこそ引返す 久吉明智に向ひ 浅倉退治の返礼に貴殿に大手をお頼
申す責口固め高名有れ 某は君に付添ひ敵に油断の不意を討ん ヲゝ遖々久吉君に付添ば信長後陣の固をなさん
光秀は直様大手へ早いそふれの詞につれ 三つに別れて光秀が家の片鎌鑓玉の穂先をとぐや磨きあふ 軍


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慮の程こそ「類なき まださへ返る春の夜の闇はあやなし志貴の山 名に高々と篝の光山路を照す有様
いづれ夕日と疑はる明智に大手を責伏せられ見は濡鷺の松永大膳生駒の麓へ落こちの 立足弱き軍
兵共 松永せいてヤア/\者原 此篝も術(てだて)の裏 待伏有んと見せかけさせ此上道の闇(くらかり)へ勢を揃へて某を 落し穴
とは甘い術 モウちつ共せく事ない 幸いの此篝春の夜寒(さむ)を一凌ぎと 用意の床几にかゝる天罰当る葉武者は
夏の虫 傍(かたへ)の柴を打くべ/\陽火の光勝れば山もつんざく鬨 乱調に響くと等しく岨(そは)かげ岩間はざまに顕
れ出し士卒の面々 案に相違の松永大膳 弱みを見せじと声はり上 ヤア憎き葉武者の敵対たて ソレみな
ころせの下知より早く 右往左往に入乱れおめきさけんで「戦ひしが 数千の大軍松永が軍兵大半討取て 残る

をやらじと追まくる 大膳小高き岩根につつ立 ヤア東吉の猿ぢえ奴め見参せよと呼はつたり 合点と虎之助 飛
鳥のかけるもいさみの大音 主人久吉の計略にて 篝と見せしは儕等が露命をつなぐ兵糧也 かく火をかけて焼き捨
やは 膝元に付添居た軍平が恩送り 仇で報ずる受取れと 聞もあへず強(がう)気のあら身 抜く手も見せず無二
無上 心へ血気に無刀のあしらひ運の極め松永が 白刃の切先岩に当つて折飛だり イザこい組んヲゝサ合点とこんづ
を流し力競べともみ合しが 神の赦さぬ所にや正清上に乗かゝり足下にぐつと踏付けしは 所も志貴の多門天あまの
邪鬼を随へ給ふ姿も斯や大膳が兵糧を焼れたる 印は今に焼米の米の尾山と名に高し 義昭公を真先に
引添出たる軍師久吉 明智直信随ひ出 ヤア/\正清 先将軍を殺(しい)し奉りし大罪人 末の代迄も見せしめに 逆


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磔の刑罰糺せ ハツト正清飛かゝり 両足掴んで提(ひつさぐ)れば舅の敵と狩野之助 肝先貫く穂先
の苦痛 義昭君は兄の仇家の怨をと松永が 元首かき切かき落し怨敵退治太平末 悦び勇む
足利の二つ引き両鎧籏ゆたかになびく竹の色栄へ さかふる栄華の門幾千代かけて祝ひけり