仮想空間

趣味の変体仮名

嬢景清八嶋日記 第三

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
       イ14-00002-781 

   https://kotenseki.nijl.ac.jp/

      100048898


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   第三
楊竹亭が読みし妓女の旁 人の城を傾くるといへ共 人の気につれ日
の本の契情と書き改め 契情(けいせい)と読む大ぬさや 大礒小礒 けはひ
坂 それにうへこす手越の宿(しゆく)海道一の遊女町花菱屋の長(ちやう)と
いふ色商人(あきんど)よい人がらとゆび折の数にはもれず家とみて世
話を後生にすりぬけてよねのかけ引諸事万事 みな女ぼう
の取賄ひ油断させぬ人づかひ コレ見世の女郎衆や 太夫しゆ

なみにまだ身仕廻しまはなか せい一はい花のかざりたい欲めてさへべん/\
だら/\あんまりでけうがる 口ばやに御臺もいたゞききり/\てばし
かふ見世付せうぞや ヤイ男共 見世かどの掃除すんだら湯殿から料
理場の竹縁のつくろひ手をそろへ昼迄にしもふてのけ ヤ料理場
で思ひ出したこりや玉よ 夕部の肴別条ないか 猫にとらせたら?
?で引ぞよ 引ついでに八のかゝ長作のばゝ みその粉(こ)がきれたといの
しゝらびしたら小麦の粉けふの内に引てしまや 爰から見へぬ


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とてくすねまいぞ 私はお寺へあすの斎米持て行 もどりに鯉やでど
ぢやう一束取てこい 禿共手がはりにきて白髪ぬけやりてしや花にめ
がくれて猥(みだり?)見のがしすまいぞや 皆云付た事合点かと 取かへ引かへ一年中
わめく斗も家の内十八種(とはくさ)明しくらしける 看経(かんきん)に余年なき耳にはし/\゛
聞づらく長は称名となへさし 是かゝ いつとても外のことは云ぬ なぜ内との
者をかたきのやうに間がなすきがなせはりやるぞいの つかはるゝ者は主
頼み つかふ者は下人を力 深山木にはふ蔦かづら垣根にすがる蕣(あさがほ)も

ひとりは立でぬ世の諚けふ一日で見果す世の中てもおじやらぬ
ながい月日に見じかい命けふしまはずはあすもさせ あす残つたらあさ
てゞも 間にさへあはゞ見ぬかほしてちつと油断もさしやいのかゝ かゝ
こりやかゝ アやかましい聞共ない看経するなら仏斗おがんでいたがよ
いわいの こなたが其ぐつしやりゆへまかぶらを見ぬいて女郎共はつとめ
そまつに密夫(まぶ)狂ひしたいがい 下々はのらのかはきがち 親方のはなの穴
でかくれんぼうせうとするはいの まだがみ/\いへばこそしぶ/\にも


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手が廻れ壱町三所にも帳がくろめ おれ次第にだまつて内の事
?まふて貰ふまい かけごでもうちにいかしやれ/\ ヲいかふと思ふているいく
に女房の足は頼ぬきのふ象基(しやうぎ)屋で願斎坊がいんぐは経のはなしに
前世で牛が川へはまつてしんだ其むくいによつて今生で川が牛へ
はまつたといはれたを合点いかぬと思ひしが今よめた 女郎共が客衆
に買るゝも前(さき)の生で買ふたむくひ 下々がそなたにせめるかはるゝも前
生で責つかふたむくい 此長が今女房の尻にしかるゝも新枕の夜から

じぎなしに上へハゝゝゝ其むくひであろ 是に付てもいよ/\後生が大事/\と立出
る門の口 奉公人の肝煎左次太夫十四五の娘引つれ御機嫌とりの軽薄顔
ハ旦那様いづくへお出ちとお見舞 いつみてもお家様おまめそふで御重畳と
やすらへば 奇妙に奉公人がなければ足ぶみもせぬ左次有るかしていそ/\わせたよ サア
たばこ茶遊ばせよ さいはひほしかつたしら物でも仕かへでもかゝに見せて相鎮めた
玄空陽気の喜左がてからかゝへた疵者 いき戻つて苦はたへぬ其てならいや
じやぞや 申旦那陽気と此男と一くちの仰はお情な 先見せて恟させま


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せよか お糸/\大事ないはいりや あいといふて誰がいとしとなでしこの花のし
ほれしごとくにて みな様御免なりませと愛嬌こぼれしかをかたち 女房見る
より早つかみ顔(づら)そばへ/\と呼こまづけ たゝせつすへつあるかせつ せいもすらり
とよい肉合(しゝあい)年はいくつぞ ムウ十四にはおとなしい爪(つま)はつれ尋常肌もやは/\
賤しうそだゝぬ人と見た 父親が呑果てか打果か母親がかいしやうなしか 今から
おばがかあいがる ヲよい子やの 是左次殿内証の疵は運次第 請判さへ慥なら
今かね渡す 来年迄をすたりにして十ねんがらり三百貫 こなたへ太?代

弐百疋サアうつまいかとほしがれば 旦那を見込につれて来た奉公人おめに
とまれば先弥重 申さぬ事は聞へぬ 此子には親判請判のおしてがないが御合
点か アつがもない 請に請を取てさへこゞとがちの此商売判のないもの
誰かゝよふ 扨は此娘おこしじやの いや/\/\勿体ない遠国(おんごく)他国の者でも
なく則親元は此村 あなたへも酒(すゝき)洗濯御用の時はやとはれし里はづれの栴
檀の木嫗(ばゝ)が娘でござりますはいの 親もとたしかに有ながら請判親判
のないと申子細は共々いぜんの彼(かの)嫗がほつくりわうじやう 親一人子一人


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一もんえんじやのきれはしもなく 木から落たさるとはふびんな此子がみの
うへ 先おとゝいの夜私所へひそかに参り遊女奉公させてくれと段々の
頼物語 尤な所を聞届け町家へ年切て嬪奉公にと思へ共其分では金
が届かず といふて親請もない子 遊女には肝煎れず捨ててはおかれず せん
事あまつて右の段々名主殿から代官様のお耳へ達し 苦しからず左次太夫
肝煎ッてとらせ畏たと御前の赦し 天下はれての奉公人お聞なさる
りやついしれる 左次が紆訴つかぬ性根も御存 親判請判肝煎判 かいくるめ

我等一人の請合気づかひはれてお家様 アよい奉公人じやがの かくる
気はござらぬか外へも見せて見ませよかと 詞も顔の色品も偽りならず
見へにける 聞わけた左次殿疑ひない こなた一判でかゝへる共必外へ見せまい
ぞや 扨は嫗は死でがいとしや悲しからふの こんな娘を持てとは沙汰にも聞
ずしらなんだ/\ 出入やとひもおほけれどわけて恩見せた嫗の娘 其恩
の返報しやではなけれ共 まあ百貫は値をまけたら死だ人の追善にも成
そふに思はるゝ なふ左次殿弐百貫ではなんとの ハテ分一を取所ならばまけふ


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まけまい我等の役 とても入立の奉公人 此子が望さへ叶へば外には一銭の
余芸もいらず 三百貫を一貫にも直々の御相対 是お糸 道すがらもいゝ
きかすごとくお家様は歎つらがひつはれ共さすがは女性?神程むほふも
ない 旦那様は腸持(わたもち)のあみだ如来 打あけて御夫婦へお歎申しやとあり
ければ こは/\゛畳にてをつかへ旦那様お家様おむつかしながら聞てくださんせ
私が母様かりそめのでけもの 跡で聞ば癰(よう)といふいきぬ種物 共々(?る)以前に御
りんじう今はの枕に私をちか付 けふ迄自らを産みの親と思ふて母よ

/\と勿体なや今死る故打あける 私はこなたを育てしお乳の人真実の親
御外に有る 天下に誰あらん肩をならぶる人もなく由緒たゞしき大名のお娘
なれ共 子細有て二つのお年親子御あかな別れ/\其御印は肌にかけ
させ奉る一寸八分の閻浮檀金(えんぶだこん)の観世音 それより乳母がてに十三歳育て
はごくみ人となし参らせし 風の便のつて聞ば誠の母君は御病死 父御は日向
の国宮崎といふ所に盲目の乞食となり いまだながらへ給ふとは聞共
日向は西の果日本の国はづれ 此うばがまづしき身の年も老をとろへ


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つれていてあはせます事も叶はず 時節を/\と送る月日もけふみ納め
のわがいのち アゝしにともない跡に心がひかるゝ誰が我子なりかはり見
そだてゝ参らせん 雨露に身をいためこゞへやし給はん 飢つかれやし
給はんと案じる苦しみは地獄道餓鬼道 とても仏には得なるまじ
苦患(くげん)のうちにも魂通ふ隙あらばかげみは離れぬ 心づよふ成人してちゝ
うへに尋あい給へ それが弔ひ御えかうぞや 大名の種なるぞひかう
見れんの気を持なと はをがた/\と身ふるひし悲しや終に死ました

と身をふし こがれ泣いたる 邪見につるゝ娑婆おしみ女房死ざた聞づらく
申いま/\しい置きかねたかなんぞのやうになま/\しい死人の内から其奉公人
たゞでもをかぬ左次殿とつとゝつれていなしやれ なんのあの子が大
名の娘 あた僭上なといひまくれば 是かゝ わり様も昔は此長がいへの
食(めし)たき 今はお家様といはるゝでないか 米洗ふた滫(しろみづ)の流れと人の行末しれぬ
が浮世 またしても口ぎたなふ人のあいそつかしやるぞいの それにたゞでも
奉公人いやとは金のでぬがよけりやこそ値をねぎるじやないか 此奉公人


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見所聞所が有 そなたにかまはせぬだまりや 娘はて扨いとしやの泣ずと
かたりや して跡はなんとしましたといふ声共にくもらせり されば近所ほとり
の御かいはう なきからは土にかた付てもかた付ぬ私が身の上 十歳に余る養
育の恩誠の親の産の恩 かたづりならぬ其中にもめいどのうばの遺言 成人し
て父上に尋あい給へ それが弔ひえかうとのかたみの詞 一時も早くもう
目の父の苦しみを救はんものと心は思ひ定めてもするわざしらぬ女の悲しさ な
いて斗過つる夕暮 ふと座頭しゆに出合 よそながらうらどへば座とう

仲間の習ひにて 官に上れはそれ/\にくひぶん備はり一生は飢こゞへず
其値五百貫式は百金ですむ事 我々も鎌倉よりたゞ今都へ爰に
のぼるとかりそめのものがたりも 私が肝にし見つくごとくアゝうら山しや父うへ
にも其官がさせましたや たとへ海山を隔て住むとてもひもじいめさむいめ
させませずせめて御恩のかたはしも報じたや送りたや かねがなほしやと
心付十日斗此方奉公の口を聞立 此身を一代うり切ても町家で百金のあ
たひはなく 大磯けわひ坂此里の勤めは年次第 いくらでも金が有と声々(?)


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聞た事も有 左次殿頼でいかいお世話をかけまする 日向にござんす盲目
の父上に官をさせまし一生やしなひころす程と今生で父のお顔一めんおがんで
帰り其間のお暇と うばの石塔立る程値をさへくださんすりや十歳が廿歳
命有たけ御奉公 骨に成ても御恩は忘れぬ旦那様お家様 おかげおじひと
斗にて袂をおゝひむせかへれば左次太夫も力をそへ 天道に蹴殺され女房子供
を見ずにはてよ 今の詞にみぢん毛頭偽りなし 哀れみ給へと取なしにもらひ涙を
そへにける急に返事もないじやくり 長は両がん泣はらし此春の彼岸に

極楽寺の快尊和尚が説法にのべ給ひしもろこし四百余州の内に孝行な子
が僅か廿四人に限ふか 国が広ければ人も無量殊に五常を尊ぶ所なり 深山
の木の柴浜の真砂 読むにもかぞふるにも其数はつきせね共 廿四孝
と書物にかきぬいて末代人の鑑にするはとう共かふ共いわれぬ真実心
の勝れた所が有故と仰られしまつ其ごとく 誰かすき好んで此里の勤めに
出る者一人もなく大なれ小なれ親のため孝行でない子はなけれ共 其中
に此娘の孝行有がたし共きどく共 此長などが口にかけるも勿体


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ない 年は十歳なら十年にして長が心に有ことく 左次殿娘 今日只今より
かゝへた 望の通り日向へいて父御の顔見てくる隙もやりませよ 身の代も百
金には限らぬ千金でも入用程かしましよ おうばの石塔も留主の内 結構
に拵させ改名ほる斗にして置ましよ 嬉しいかヲゝ道理うれしいはず こな
たのやうな人に金出せば 出しながらおれも嬉しい/\ かゝどれこゝなかぎ
おこしやといへ共ひんと捩むいて返答もなく身をすねる エゝ其眼つら
つきなんじや かぎおこさぬとておれがかねをおれが儘にせまいかと 立てたん

すの錠まへを木枕取てぐはつた/\こらへかねて女房是うつそり殿 孝行ごかし
のかたりにあふて身上棒にふりやるかいの なんほでもかねは出させぬとむしや
ぼり付ば ヤイ物しらず 孝行ごかしであらふがかたりであらふが あたる
罰(ばち)はあつちの罰かたられた者の苦にはならぬ 是程見へすいてあ
かりはしる大孝行 力をそへる此長はお天道様の旁人(かとうど) 身体かぎり約
に立ても をしうもくやしうもなん共ないと つきのけはねのけ 錠(しやう)
打じゃづしてにほうばる程つかみだし見世格子の女房衆した/\ども


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此娘が日向へ旅出立いひ付るではない道のはなむけ心次第と
二人がまへにならぶるかねより心の定め 手形はいそがぬ期してのこと
寸善尺磨隙入てさゝわり有ばむそくする せはしく共けふ門
出海山かけしながの旅 一人はやられずわかい者も付られず
のりかゝつたふしやう大義ながら左次どの われにかはつて道すがら
かいはう頼入 お宿の跡の賄ひ不自由させず此長が のみ込腹はむ
さしのや のどはかまくら街道に又有まじき親仁なり アゝ有がたい共

めうがない共お礼申はけつくはゞかり まめでやんがて立かへり身をこにくだいて
御奉公なあ左次様 ヲゝそれ/\ それがかんじんかんもん 道中のかいはう望んでも
我等引れぬ所御情必にはもれまじ 爰にてとかく申程お世話のうはぬり
宿所にて用意致しゆかるゝたけは今日門出 娘さあたちやいざお暇
と立出る あまたの遊君走り出 是申むすめご様 あめにつけ風
につけお身のいたはり頼みやんす 御さかんでかえらしんせやいの 心斗
と紅白粉もとひのべがみくし油 やりてなかまはきんちやくの


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くちさきばかりで暇乞 針と五色の いとしやとおはりがなさけかけ
ばりや 久三がわらぢ竹の杖まゝたく女がめしごりに心一はい銭(はなむけ)を
見るを見まねに主の妻 何いふもみな長殿よかれおれよかれ
みなのしゆさへするはなむけおれがまけて立ものか
十ねんのきはめ五年にして 五年の年をはなむけとて鼻に
かけるもじひはじひ 長とふう婦のなか/\にうちも
にぎ/\ゆく人も心にぎ/\西の海日向へとてこそ