仮想空間

趣味の変体仮名

鎌倉三代記(十段続) 第十

 

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      ニ10-02434 
             

 

91(左頁最後の行)
   第十    を忘れ草人目いぶせきかこに乗 村口さしてぞ


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古へは桐壺箒木須磨明石 ?き筆の間所も今石山の御本陣 御威勢天地に翻る虹龍の
三鱗ゆり立る籏へんほんと靡き従ふ陣内には 出入の人数改る番の雑兵眠りを覚ず 外は矢叫び
鯨波(ときのこへ)奥は女中の舞諷ひ 爪音高き琴の音は天人世界と修羅世界 寝物語の隣同士何と
三太兵衛 アノ騒ぎを聞ろぐはんぐはら/\へこしやんと 此軍最中に何が面白くてお騒ぎやる事だいな され
ばいやい どふであのわろ達はおらが様に鎧着て エイヤツトをするを芝居事たと思はるゝので有へい イヤわいらは
何にも訳を知ないに依て アノ琴を引訳は きのふ敵方から戻らしやつた時姫様とやらが どうでも道で何ぞ落し
てゝもござつたやらとかへ顔付が悪いげな 夫でお姫様を慰んと嬪共がアノ騒ぎ ムゝ夫で聞へた是に付て

も新参の藤三めはあやかり者だ アノ美しいお姫様を女房に貰ふ筈たげな こちとらも手柄せふなら
今だが 軍場へ往て褒美に成手柄をせないか サアおらもそふ思ふて何で手柄をすべいと軍場へ出
かけて見たれ共 坂本の方から出おつたやつが大きな声を上て近江源氏嫡流佐々木の四郎高
綱とたつた一息に云おると ソリヤこそ佐々木が出たといふて大軍が尻に帆かけて皆逃おつた そこて
乗てこまさふと 軍場へ出て大声上 播州大坂高津新地八丁目鍋屋裏の住人おのさとや作
兵衛借や塞胴はりまの守か一子裸(たは)の源四郎辰場といふ強力有とは定めて音にも聞つらん


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余(あんま)り長くて息なしにはねッから云れぬ イヤ云れぬ筈じや軍場で家主迄呼出さいても大事無い
テモ家主を云ずば所が知れまい 何のいやい 高津新地鍋や裏と云たら誰知らぬ者はない とふでもこちらか軍
場は 鍋や裏が相応じやと咄し半へ 嬪桜木襖押明 コレ番の衆 時姫様か是へお出遊ばす 皆々
次への詞にはつと番兵共 お赦が出た此間に昼食の兵糧の一軍と 鎧つきして次へ行 いたはし
や 時姫君 其身は爰に有なから 思ひは残る戦場に 恋しき人の討死を 案しに顔かおもやつれ
姿は梨花の雨をおび 風に霑(しお)るゝ風情にて 立出給へは時雨か手をつき 申お姫様 今も奥で
申上る通り 其様になぜくし/\思召ます三浦殿がまだ討死なされたと云ではなし 勝負は時の

運とやら若し又父御かお負遊ばすまい物でもない 柵そふしやないか そふ共/\ 三浦殿が勝に成て
時政様のお首をついころりと切しやんすまい物でもない 時政様はお年寄なれば お首かな迚さの
み不自由にも思召まい 大事の首は三浦殿 軍にお勝有様に 神仏を祈ます お姫様にも案じ
て斗こざらずと仏神をお祈遊ばせと 弓も引かた姫ごぜ贔負 時姫漸顔を上ヲゝ皆の衆の
心づかひ 嬉しいぞや過分ぞや 去ながら神仏への願立も敵か味方の一方に思ひ寄の有ての事 父と
夫を敵味方 其中に立自らがとちらをどふと仏神へ祈られふ よく/\神にも仏にも見放され
たる因果さを 推量してたもいのと嘆き給へば付/\もひよんな麁相を互(?)出して とふも元直に涙くみ


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供に霑るゝ斗也 折から居間を押ひらき 父北條相模守時政 額の皺も四海波両手に握る
にこ/\笑顔 コリヤ嬪共 端近ふ姫を伴ひ気欝を晴らさせ慰ふ為な出かす/\ どう成共し
て機嫌を取 煩はされぬ様に頼むぞと 鬼神もひしぐ勇気にも子には目のなき親心 時姫君
涙を隠し 戦場のお労もお厭なく自を夫程に おほし給はる親のお慈悲 勿体ない冥加ない 不孝
な身にはお構ひなく 御老体のお身の上 お労(つかれ)のない様と跡は涙に濡縁先 ヤア下れ/\御前間
近く慮外千万 下れ/\と下部が声々 ヤア御前でも折敷(おしき)でも いふ事云にやさがらぬ藤三 とつか
/\歩む 向ふに時政 ヤア騒がしい何者成ぞと詞の下に ヤアそふ云は時政様こな様は/\ 大将

の様にもない よふぬけ/\と欺(だま)さしやりますの 夫で逢に来たのじやと腰をどつさり白洲に据へ石 ムゝ此
時政が偽りとは ハテ云はしやりますないナ 時姫を奪(ばい)返して来たらすぐに女房にやらふと云し
やりましたは 夫で命を突出して取かへして来たソレ其お姫様 人には命かけの事をさして置て 女房
の棒は扨置針一本下されぬは エゝ聞へた コリヤ働きを棒に振すのか イヤ女房に振らすのか そふ味(うま)ふ
は成ますまいと 歯に衣着せぬ正直一へん 時政も理にふくし コリヤそちのが道理至極 敵方に
捨置かば命のない我娘 奪返せしは抜群の手柄 姫が為には命の親 時姫そちや又何と思ふ
エイ いやさ 一旦つがひし父が詞 藤三郎と夫婦に成かと問れて答へも恨み声 胡国(ここく)の夷に囚れし 唐(もろこし)


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人の憂き事より 猶勝り有る父の仰 譬お手にかゝる迚三浦より外殿御は持ぬ 存命(ながらへ)て憂事見んより
いつそ殺して給はれと又も涙にくれ給ふ いか様親にも身にもかへたる男 まだ討死の沙汰もない内
外一縁付嫌ふも尤そちが心にそまぬ事 無理にといふも余り親かい(?) とかく汝が心次第と なだめ
えう詞こらへぬ藤三 イヤ一旦やらふと有た故 稚馴染の女房迄去こくつて仕廻ふたれば いやでも応
でもおれが女房 但やらふといはしやりましたは 奪かへさふ為の術(てだて)とやら云まや事でござりますか ホゝ時
政が詞は金鉄 云出した事反古にはせぬ イエ/\何ぼおつしやつても此事斗は サアそちか心に入ぬ事
達ては進めぬ気づかひすなと こなたをなだめあなたを破らぬ詞の善悪 いかゞと案じる折からに 御注

進と呼はつて土肥の弥五郎 御前間近く馳通り 扨も今日未明の戦ひ 某手勢八千余
騎 佐々木が出張(はり)馳向ひ城際を責付しに 城中にも寄付じと 弓鉄砲の筒先揃へ射れ共 打
共厭はゞこそ 楯をかづき兜を傾け塀際へひた/\/\と押寄せ攻付け スハ乗取らんと八千余騎 皆高塀
に取縋り 我乗入ん/\と勇みに勇むを折よりと いかゞ操り置たりけん 百間に余る高塀 屏風を
たゝむごとくにて二三度四五度あをつと見へしが塀は残らずばた/\/\押に打れてうごめく味方 音
に聞たる佐々木が釣塀 謀に落されし引や/\と呼はれ共 死人も半分手負も大半よ
ろめく中へ城中より 佐々木と名乗縦横無尽切立られて残らず敗北 某も味方の恥辱雪ぐ


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此敵ござんなれと引かへして 攻め戦ひ 鬼神と呼れたる佐々木の四郎高綱を念なふ討取候と 御前
に指置て始て息をつぎ居たる 時政につこと打笑ひ 又佐々木めに謀られ似せ首を掴みしな 攻める
に及ばねど 暫くでも佐々木が陣所に囚れし藤三郎 わりや能面体見知筈 此首が高綱
なるや 見分せよと指出せば立寄て打守り ホゝこりや佐々木じや 違なし紛いなしと 詞に大将ふ
審の顔色 是迄度々討取共 面体似たる皆影武者 殊には今の軍の次第 変に応じ気に
応ずる 奇々妙々たる佐々木高綱 討死の場所でない とはいへ見知藤三郎 聢(しかと)此首正真の 佐々
木なるかと押かへされ イヤ似せか正真かそこの所は存ぜねど 我等が捕はれ居る時におれに能(よふ)似た顔

のわろ達か 幾人共なふおれは佐々木じや おれも佐々木じやと どれがどれやら紛らはしい 其中に此首も佐々木と云
た其一人 夫で佐々木の首じやと申のでござります スリヤ幾人も有中に其一人の佐々木が首 ムゝさも
有べし何にもせよ 高綱と名乗首討取たるは土肥が高名 其通り帳面に印置ん 筆者は直に
藤三郎 早とく/\に不肖ぶせふ エゝしつむつかしい おれが手は悪いぞへ 悪筆でも大事なくば ドレ書て
やらふと扣(ひかえ)れば 土肥の弥五郎立寄て 佐々木を討し高名咄し 夫と知ねば其人に 鼻高々と
印さする 記録ぞ末世に残りけり かゝる時しも又注進と飯盛玄番(いゝもりげんば)是も同じく兜首 御
前に直し謹んで 只今追手の合戦最中 敵の大将三浦之介 逢坂山に出張を構へ手いたく働候故


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味方の大軍かけなやまされ 引色立て見へたる所へ 横合より佐々木と名乗驀直(まっしぐら)に駈来るを某
遠矢に射て落し首実検に入奉ると 語る中より時姫君 三浦と聞て胸驚かれ様子いかゞと立たり居たり
案じる心を察るつき/\゛申/\時姫様 必お気もし遊ばせな 三浦殿の軍の様子は追々人を走らし
て お姫様へは私等がお知らせ申そふサアおじやと お傍を一度に女中達皆々表へ走り行 藤三郎は跡見やり
ハゝ発才殿が傍衆と同じ様に手柄して此帳面に付気じやな ヤ後にござつた 兵(つはもの)様 こな様が切
てきたも佐々木が首か ヲゝ佐々木共/\紛いもなき佐々木高綱 ドレ見せさんせと打眺 ホンニナア
是も見しつた彼の佐々木 此首と此首 マ何とよふ似たじやござりませぬ いか様似寄た二つの首

そちが顔にも生移し ソレ小気味の悪い事おつしやりますな 何ぼ顔が似て有ても 首になる事
我等禁物 おまへ方も似せ首斗取てこずと ちつと又正真を吟味したがよふござります
と なあじる詞に気早の大将 ヤア両人 又しても佐々木めに謀られるは奇怪至極 日本国が一つに
集りアノ城一つ責め倦む軍の仕様手ぬるし/\ 惣勢を一つに合し惣掛かりにして責立なば落城は目下(めあたり)
早く此旨諸軍に触れよ いそふれやつと性急の仰にはつと両人は逸足出してかけり行
跡は三人區(まち/\)の中に悲しき時姫の思ひは父と裏表夫の便いかゞぞと 思へば先に一時雨袖も袂もぬれ
縁の 下に藤三が ヤレ/\帳付も隙に成たぞ 是からは又我等が立引申 サア時政様もふよいかげんにやらしや


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つて下さりませぬか 但しはいやでござりますか申どふして下さりますと いへど返答空打なかめ 昼日
に星顕はる 方角に寄て吉凶有 今見る所は北方子(ね)の方 ムゝと考へ計(かぞ)ふる紫微(しび)の宮(きう)位 子午(ご)の
中星(ちうせい)くりかへし ハテ心能味方の吉事 勝ち軍の凱歌(かいが)は追付 姫/\ コレサ時姫 久しう聞ぬそちが
爪音何成と一曲所望と 思ひかけなき望に恟り アイ自らに琴弾けとは 時も時折も折 物騒がしい
軍中 人の謗りも有ぞかし赦させ給へといふを打消し イヤ左に有ず 和琴(わきん)の初めは弓六張 引は敵へ弓引
吉事 弓矢神をすゞしめの祝詞に勝る琴の調べ 早々所望と打くつろぎ しさつて望む父の
詞 さすがいな共岩もる水 千々に砕ける思ひ川 涙に琴の糸筋も わかぬこゝろをかきならす

面影を しげ/\と 短夜に ほとゝぎす 音信て初音に夢ぞ さめける 三保の松風吹たへて
沖津浪も有べしな嬪柵かけ来り 申/\お姫様今又大手の戦ひに三浦殿を討取んと 味方の中より
勝れし大将一三騎 音に聞たる三浦の助 見参せんと呼はつて秋の茅と指連れ/\討てかゝる 三浦
殿はにつこと笑ひ ホゝゝ一三騎とはこと/\敷 琴柱侍三浦の助と御推もじの上は名乗に及ばず 初めて
のおめもじに しるしなふては叶ふまいといふ間なしわり車切 向ふ敵は拝み討 真向わられて真赤猿の お
いど抱へて逃るやゝ残るは残らず皆殺し 三浦殿の其強さ 毘沙門か 色事しの二王様見る様
で 中々微塵の負めはない ちつ共おきもじ遊ばすなと 云捨又も引かへせば 姫は嬉しさ気もいそ/\


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申父上お聞有たか 三浦一人に味方の大勢 皆切れて死だといな アゝ嬉しや/\忝やと悦ぶ時
姫 不興の時政 中に藤三がとんきよ声 何じややら親子寄て すね言斗そしてもふ琴引ぬのかへ能
添乳じやに もちつと引て貰ひたいな ヤアやかましいもふ琴引な聞たくないと 機嫌さん/\なる折から
息もすた/\かけくる桜木 ヤア桜木か様子はいかに 定めて三浦の勝ち軍 早ふ聞たい大義ながらと いふに
こなたはおろ/\声 さればの事でござります 初手の軍にこりたやら 大勢寄て取といとしほそふに
三浦殿 たつた一人におとなげない 踏麻竹韋(たうまちくい?)とやらに取巻て 今か合戦真最中 斯云中も心元無
とふぞ御思案遊ばしませと跡に涙を残し行 姫は有にも有れぬ思ひ只うろ/\と気も半乱 父は心

に笑を含み 久しぶりでそちが爪音ほとんと感にたへた 今一手所望/\といへど顔ふり身を背け
暫し諾もなかりしが 良有てしほ/\と父の傍に手をつかへ 生きて再び三浦の助に最(もふ)逢まい
と思ひ切此陣所へは戻りしが 親にも久し大事の殿御 今我に危い様子に付 どふぞ
命が助たいと 思ふ未練さ比怯さは姫ごぜの身に生れた因果 三浦一人助た迚 勝べき
軍が負にも成まじ 娘不便と思すなら三浦の命を助けてたべ今生後生のお情ぞや お慈
悲/\と合ず手に かゝる涙は白糸の瀧の落くるごとく遉の時政心も弱 ムゝ高いも卑(ひく)も女の身は
夫を大事に思ふか操 敵の中にも四天王と云れし若者 あつたら敷勇士 助置はもしも味方に こりや 


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そちが願ひに任せ三浦が命は助て得さす エゝすりやお助けなされて下さりますかアゝ
嬉しや/\忝や そんなら早ふ此様子を おつと其使いは此藤三 仕果(おほ)せて戻つたら 直に夫レが結納の印
又むだ骨おらすまいぞへ ヤアこま言いはず早行と 追立られてまつかせ合点と 飛がごとくにかけり行
顔見ゆる迄見送る時姫 ときつく胸を撫おろし すこしは心安まれど又音信の待どふき 暫しのうさを
忘れ草 父の機嫌も取敢ず いつしかに我寝覚もさそひけん はらげ髪して逢ふ夜
もあらば うつりなつかし床しや袖に 袖に隙なき閨の露?父上 今聞へし鯨波は敵か味方
か勝負はいかに 三浦はいかに 此藤三郎はなぜ遅い アゝ心元なや気遣ひやと 心ならねば立つ居つ

独身をもむやるせなさ暫く有て藤三郎 何の遠慮も生首引提 三浦の助を助けて首を 
連て帰りました ソレ逢しやりませと差置ば 二目共見もわかず ノウ情なの有様やと くびに
ひつしと抱つき前後深く伏沈む 時政怒の声高く 某が下知をも用ひず何やつが首
取りし子細聞んと色立給へば アゝコレ/\其様に腹立てられますな 何やつでもないコリヤ こやつが所為で
こさります ムゝスリヤ此首討取たか 取た共/\ 安達藤三郎是に有り かへせ戻せと名乗かけ
引組で組打に ヤアぬかすまい侍者儕らこときの土ほぜりに やみ/\討たれる三浦でない 討死の死に首
取たか 有様に白状せよ ハアゝ遉は大将 きついお目高 こんな兵を殺す様な刀が有れば百姓しては居ませ


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ぬはいな 軍場へ行さへこはかつたれとお前の使を力に 一町もこつちから ヤア御上意しや/\三浦の介
を助けいと時政様の御上意じやと 喚き/\往たれば 何か在所の花相撲見る様に取廻して居る兵達が
お前の上意と聞て皆ちり/\其中に ソレ其三浦の助 刀を杖にひよろ/\/\此藤三を小手招き
迚も叶はぬ我深手 首取て恩賞に預れと 聞く程體に震ひが来て ノウ勿体なや 鰯の
首より外取た事のない此男 お赦しなされと逃げふとしたれば 我と我手に首をころり コリヤ死だ顔
して欺しやんな そんなじや行ぬと云たれど もふ物いはねばこは/\ながらそつと拾ふた首は死首ヤレ嬉しや
と引だかへ漸持て戻りました 語る内にも胴震 聞時姫かやる方なく とにも角にも自ら程 世に浅ましき者なし

思ひこがれし殿御には枕ならべし事もなく つい口先で夫婦じやといふて貰ふた一言が 此世の比翼
連理ぞと思ふて別れし事ながら 若しやと願ふた命乞お聞入れ有たのが まだも尽きせぬえにしかと
藤三郎の戻りをば待ちに待て居た物を はかないお首見様(やう)迚 待やこがれはせぬわいなと むなしき
首を抱しめ身も浮くごとく伏沈むは 花橘に五月雨ていとゞ匂ひや勝りけり 時政首を見
やり給ひ ハアゝ遖嗜み健気の若者 兜に残る此薫 音は聞へし蘭奢待 武士たる身は誰も斯こそ
有たけれ ヶ程の勇士も運尽きて無ざんの最期を遂げけるか 去にても出かせしは藤三郎 譬へ死
首なれば迚かゝる勇士の首取りしは武門につかへる身の冥加 今より武士に取立くれん 逢坂山の


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戦ひに三浦の助が首取しは 安達藤三郎と印置き末世に手柄を顕せと 詞に藤三が
怪我の高名 自筆を以てくろ/\と記録に残る逢坂山 三浦が最期ぞ是非もなき 時政
御座に立せ給ひ 三浦の助か討死といひ 時姫がせつ成嘆きに我も心をいためし故にや 老
体の労に及べば暫く寝所で睡(まどろ)まん 急変有らば早速知らせよ 時姫ならて寝所へ無用と
外に心奥深き帳臺さして入給ふ 藤三郎はあんごりと しまひつかねば立上り エゝあほうらしい
女房の事はどこへやら何の嬉しもない侍に成て 片短かの脇指遣ふよりつかひ付けた隙と鍬 畠なぶり
が百貫ましと つぶやき/\立出れば外面に又も鯨波 山も崩るゝ斗也 藤三は屹耳そば立 アアノ攻太鼓

は敵味方一度に合す鯨波 敵は勝色極むる陽声 味方は次第にちゝまる陰声 天運尽き
て今ぞ落城 兼て期したる事ながら思へば無念と睨む目に 怒りの涙はら/\/\落て大地を穿ち
けり コレ/\時姫 泣て居る所でなし 夫三浦に約せし詞 時刻移らば詮なるべし 時政を討時至れり
早とく/\と進められ何思ひけん時姫君 隠せし封釼抜より早く既に自害と見へければ
透さず寄て釼もぎ取 ムゝ夫婦といへど死たる三浦 親にはかへぬ所存よな イエ/\何の勿
体ない 夫に約せし大事の役目 どふぞと心を砕いても現在の娘にもうかつに肌を赦さぬ父上 ムゝ夫も
尤 なま中事を仕損せふより此高綱を手引やれ アノ手引せいとは 不知案内の此陣屋 寝所を知ばたつた


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一討 さすれば御身が討も同然 成程/\ アレあの東御殿こそ父上の寝所 程のふ寝入給ふ時 障子の外へ
紅の絹を出すが相図のしらせ 夫を目当に遖々必せいて悟られまいぞ 早とく/\に気も夕陽 夕紅の裾
り敷も窺ひ窺ふ臥猪の床 虎の尾を踏む心地して忍びて入や入相の兼て用意うあしたりけん 庭の
飛石刎ね退け踏み退 内より取出す種が嶋 火縄筒玉口薬はぢきの火燧(ひうち)もぬからぬ軍器 心を配り気を
配り眼を配つて立折から 又も馳くる知せの軍卒 大将へ御注進と云せも立ず真向より腹巻かけ 二つに
切り破(わる)名剣の綱鉄(がね)も尖き遖わざ物血祭よしとにつこと笑ひ寝所を目かくる飛道具かたづを
飲で待所に既に時刻と夕気色 向ふの寝所に紅の絹にしらする時姫の 相図の方には目もやらず

空中に屹度目を付 父の命にかはつて死んと時姫か偽りの相図 物見御殿の上に?
つて紫の雲気立たるは ムゝアノ樓(たかどの)こそ大将の居る有家は爰ぞとねらひの
的引かねてうど谺して 多年の本望達したりと天にも上る勇の勢ひ 樓に
声高く ヤア/\高綱 汝孔明が智謀に並び項羽が勇を震ふ共 天運強き 
時政公 殊に東国随一の勇士 本田が斯宿直すれば 御身の上に気かせなし ヤ
馬鹿尽すなと呼はつて障子をさつと押開けば 御大将時政公三つ鱗の籏
上段に錺立て悠々と座し給へば 片辺に引添ふ本田の次郎 黒革威しの鎧を着し


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管鑓(くだす)引提つつ立たり 遉の高綱不審ながら ヤア珎らしや本田近経 此度の
戦には秩父の重忠病気と聞しが 陪臣の汝此所守護致せしは心得ず ホウ
不審は尤 忝くも実朝公の御祖父時政公は天下の柱 守護する主君は病
気の籠居 乗替て守護致せよとの仰 今大将の御居間へ打懸たる飛
道具 此御籏にて受留しは陀喜頭(だきとう)と功力天の御威徳 段さもなく共 此本
田が有からは鉄砲成共石火矢成共 此胸板に請留んは むくろじの粒はぢ
くよりもいと安し そも源平の乱れより 百度に余る戦に跡足一つ踏ざるは本田

イザ/\是より出陣し 坂本方のべろ/\武士 此管鑓を一振ふつて童(こども)の蜻蛉さす
ことく皆殺しに仕て根を絶やさん 汝も早く降参せよと くはつと睨めたる
両眼は三千世界の月日の光 関八州に輝きし 本田の次郎近経と鳴響きたる
兵也 佐々木は猶も無念の顔色 我方寸の謀を以 佐々木と知られず近
寄て 時政を仕留んと思ひ込んだる恨の首先 むざ/\と討損ぜしは是
天運のなす所 命冥加な時政よな 運は北条に負る共 忠臣智謀は
三国に一人の此高綱 百万の勢を以 取かこむ坂本の城其かこみを


105
解かせん為の今の鉄砲 時政は討洩らせど其音に驚き 本陣に事有
と 惣軍一度に引返す 又頼家公は用意の舟に召させ参らせ 鷲尾三郎
和田兵衛両人が蝦夷が嶋へ御供申 明家同然の坂本の城 責成共崩成共
ソリヤ勝手次第 只無念はな此場の一計 よし/\筒先は遁るゝ共此切先を請て
見よと はつしと打たる封剱は同じく籏に受留て 本田の次郎えせ笑い
ハゝゝ薄衣一重通さぬ生くら 無益の拳と投付る 釼は飛で巌石に
一ゆりゆつてかつきと立 佐々木は思はず横手を打 ハアゝ岩をつんざく

銘剱も 時政の身に立ぬは天の亡す頼家の御運 弓矢神にも天道にも憎れ
給ふかいたはしやと 白洲にどつこと座をしめて拳を握り無念泣 こなたの亭
に血煙のぱつと忽ち明け障子 姫は白刃の切先を 我咽ぶへに指貫き 息も苦
敷声を上 こらへて下され高綱殿 お前の手に懸ふと 死おくれた自が責て
貞女の端(偽?)にもと コレ此釼は義理の柵(しがらみ)何にも云ぬ 未来で言訳 さらばと斗
一えぐり刃を抜ばあへなき最期 猛き心の大将も遉親子の御別れ 御気もた
ゆみ給ひしが ヤアいかに佐々木 天運の帰する所 今ぞ胸にこたへつらん蝦夷


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渡りし頼家も最早流罪日前なれば 其儘に指置て公暁(きんさと)丸には出家
をさせ 世を安楽に保さすべしと 仁者の詞にひれ伏する高綱 ハア誤たり/\
実に寛仁の御大将 是に背くは天理に非ず 我も是より浮世を捨 佐々木入道
と姿をかへ 公暁君の声を読み公暁(くぎやう)法師と悟道を進め柴の庵に籠らんと
詞に本田が莞爾と打笑 一念ほつきも遖高綱 進める口説も友に有
公暁法師の傍仕へ似合の尻を送らんと 捕へ置たる篝火を助けて帰す
も仁者の道 坂本の城中より大?の影義 高手に禁しめ立帰る新左衛門

佞人讒者の見せしめと はつしと首討落し 早凱陣の近江路や 踏
かためたる鎌倉御所 御手に握る秋津国ゆるがぬ御代こそたのしけれ