仮想空間

趣味の変体仮名

伊達娘恋緋鹿子(三の巻)

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/  
     イ14-00002-513

 


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   三の巻
逢ふ事の まつちの山の 夏の月 住む程もなき短か夜に 沈み果てにし隅田
川 今は事とふ鳥もいな 花の都を 花園は跡になすてふ恋中を 宜の東に
仕かへられ 里の名も憂き吉原の よしや命の消ゆる間と心に あらぬ衣紋
坂 友朋輩に誘はれ大門の休み床 吉野高尾の春秋を 爰に
ならべし風情也 ?頭(たいこ)の愚六茶屋交り客を待つ間の色噺 友朋輩も口々
に ほんにマア花園様 とはふ/\と思ふたが わしらが常々羨んだ花の都を振捨てて

百廿里隔たつた此廓へとはどふした訳と 問れて咄すも目に涙 ヲゝよふ尋て下
さんした 訳に二つは公界(くかい)の身 中に一人の可愛ひ男 忍んで逢が憎い迚う深山隔た
此里へ むごい仕かへは十人に九人は同じ親方の 仕方は粹(すい)して下さんせ仕かへは愚か此
上に どんな憂き目も厭はねど逢たいといふ責め苦をば 思ふお人に露程も知らして顔が
夢になと 見たいなと打萎れ託ち涙に居並んだ花も凋みし貰ひ泣き 袂を絞る
斗也 たいこの愚六もつけ顔 是はやくたいしめり豆 何とわつさり中町で一つ呑ふじや
有まいか ナア角兵衛様 おか様どふやらめいりが来て 釈迦のない涅槃像を見る様な 皆


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こちへお供せいふかい 吉里様 岩越様 花園様をうき/\と慰めて上られませい 成程
角様や愚六の云はんす通り きな/\思ふてはならぬ勤め 譬何百里隔て居ても 心
が届けば逢れぬ事はないもの コレ気を死なさずと 花園が手を右左取々
勧める其所へ 都難波の色町で御評判の伝授書き こつち惚れあつち何共なの
色事も忽ち出来るが伝授の徳 其外奇妙の数々は板行(はんけう)に記して上下がたつた
十二文 お買なされて一代の重宝と 弁舌さつぱり云立てる身は素紙子に?編笠
姿詞は肖(やつ)せ共 左門之助とは聞知る声 飛立斗花園は覗くと仰向(あをぬく)顔と顔 ヤア

お前はといはんとせしが傍りには人目の?に隔てられ かはす詞も胸の中 幾瀬の
思ひぞやるせなき 心も付かぬ茶屋たいこ こりや珎らしい商ひ物 たゞ遣てからが
十二文 第一伝授の中にも色事の自由に出来るがマア耳寄 デエおれもわし
もと巾着銭渡して買取り一封じ どりや一見して 廓中の色様方をうぞらそうと
封じ切んとする所をアゝ申し/\ それに書て有るは伝授の中でも大事の奥の手 人
中で御覧は無用 今夜そつと寝所で人の見ぬ間に コリヤ尤 シタガ割松の書き
出しより短そふな伝授の巻 十二文ツイと引かけられるのじやないかな 夫レでは


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粋(すい)と云るゝこちらが名折れ 疑ひの晴れる為 奥の伝授は取て置て口の伝授
斗なと ちよつと云て聞かさぬかい 扨もきつい念の入れ様 そんなら小口の二三ヶ條 眉に
爰で読で聞かしませふ 先ず遠道を行ても 足を痛めぬ其秘伝は 馬にでも
竹輿(かご)にでも 通しに乗り道壱丁とあるかねば草鞋喰ひなく豆出来ず 辛度(しんど)ない
事 奇妙なり 成程尤 又空腹なる其時は 飯にても餅にても 或ひは饂飩
蕎麦切など 腹はちはいに喰ふ時は 飢へに労るゝ気づかひなし 成程尤 扨一年に
六度の節季/\゛掛け乞のこぬ秘伝といつぱ ヤアこりやいつち入用な結構な

其伝授 サア早ふ/\と問へば點頭 されば/\掛取りを寄せ付けまいと思ふならば 年中諸事
を現銀に買調へる其時は 掛乞一人も来る事なし 成る程尤 ヤ尤と味(うま)ひ者に相
応な 味い伝授の口車廻り次第に喋りける 二人の女房はおかしさ堪へ ヲゝよい伝
授受けさんした お前方は大きな仕合せ 夫レはそふと見れば見る程美しい 可愛らしい伝
授売り 都男のひんぬき風 粋紙子も色故と見たはちつとも違ふまい 其姿に
ならんした咄しが聞たい/\と せがめば何がな当てこすり イヤもふお尋なく共 書たふて/\
胸のもへる最中 サアまあお聞なされて下さりませ 恥しながら元私は京の人手代


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ふつとした若気の至り ツイ色町へ出口の柳 招くに呼れ文に飛び 三度か五度に色
の渕 深ふ成程かはゆふなりさをな車の暫時(つかのま)も 傍を離れぬ居続けに主人の
手前不首尾になりて 五日か十日逢われぬ中 引手に切た山吹の実のない為と見限つ
たり 彼の傾城の生き畜生 仕かへを取てとでもない遠い所へよふやつた 覚へておれと腹
立紛れ 傍なる愚六を突飛せば 是は手ひどい仕かたと尻べた払ふてふくれ
頬 花園たまらず角兵衛が 胸ぐら取てイヤ/\/\ 女郎の心は女郎が知る 誠なしとは傾城の
意気路を知らぬやぼの沙汰 其傾城も二世云かはした男の事 噂を聞て有る

にも有られず 廓を渡ふ走らふとしたを科迚難面(つれない)親方 夢にさへ見ぬ遠国へ
売かへられて昼も夜も 逢たい見たいに泣き暮し 此眼の腫れたが目に見へぬか
憎てい云のが惚れられた男のお仕着せ詞かと 恨み余つて泣?(ないじやく)り 詞しやなぐら
れ噛付かれ 仕もせぬ色の備犠(ひとみごくう)天窓(あたま)角兵衛は五体の滅却 騒ぎの中へ
鳴嶋勘解由 日毎に通ふ日本堤 夫レと目早に左門之助 逢ふては邪魔と笠
傾け 門の内へと忍び入る 茶屋もたいこも小腰に揉み手 旦那お出を耳にもかけ
ず 床几の端に腰打かけ ヤコレ花園古けれど又いはふ 京の嶋原より百廿里を一飛び


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に此廓へと聞や否 お暇願ふて跡を追い遙々下つた業平もどき 余(あんま)り憎ふも
有まいがな 下つてから五つ夜さ六つ夜さ 床入せぬはアノ左門之助といふ男傾城に
心中立て コリヤ物をよふ合点せい 追放に合た左門之助 根がごくどふ故?(もら)ひ喰ひ
も不調法 大方青晴(あをばれ)に成てのたれ死 今頭は躰中から うざ/\/\/\虫の涌いた倒
れ者 ヲゝいやゝの/\ コレとんと分別仕直して今からは可愛がりやと 細目に成て
取る手を振切り 住み馴れた京の嶋原出てくるつらさもお前の顔 見ぬが屑(とりえ)と
思ふたに 辛抱つよふ付纏ふて 同じせりふ旅が生(はへ)る 聞たふない置いて下んせ いや

らしと 二人に?(めくばせ)三人いつしよついと退いたる床几の端 勘解由は壓(しづ)に引くり返り
腰骨打てしかみ頬 わつと笑ふて三人が打連れ逃込む門の内 憎い女郎め待おらふ
と 發(おこ)つて見ても アイタゝゝゝアイタゝゝゝ アゝコレ愚六主(す)角主 介抱/\に見兼て二人が前(さき)肩後(あと)
肩 息杖なしにエイ/\/\ またげじや アイタゝゝ 高いぞ アイタゝゝ 飽(あい)たお客と謐(つぶや)いて中町さし
て 急ぎ行 釼の有り所詮議の為尋廻る戸倉十内 門内出る向ふより吉祥院
の小袖立ち角(すみ)前髪の色艶も姿も上々吉三郎衣紋坂へと差しかゝり 行き合ふ縁も
三世の主従 ヤアお前は吉三郎様 珎らしや戸倉十内 国元の親父様母様にも御機嫌


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よふ 成程/\お前様の御安体(てい)の様子は下着其儘お寺へ参りお噂を承る サア其
時は折悪ふお師匠様のお供て他行 戻つて聞て其残念 尋んにも旅宿はしれず
シテマア 今度は何の用事で イヤ其様子は赦りとお咄し それより又々御見廻い申そふと存する
所 瀬戸物町に借家致し 何の角のと用繁(しげ)く思はぬ延引急に御引合せ申す人も
こざれば 一両日中には是非共参詣 ヤ夫レはそふとお寺勤めのお前のお身 此色
里は何の御用 ヲゝ其不審は尤々 知てかしらずか国の若殿左門之助様 寺へ向けてお
下りなされ 様子を聞て恟りに恟りを重ねたはお身の上 師匠のお世話で神田に借宅

釼詮議の手がゝりもと 人立て多ひ此廓へお出と聞て守護の為と 皆迄聞ず
せき立つ十内 ヤレ其若殿のお行衛も先日より方々穿鑿 親旦那の御状も有り 一
刻も早ふ尊顔を ヲゝそんなら直に連れ立ふ こちへ/\と打連れて 這入る門内出る門外 実
と悪とを○□(とたん)の間浪人の身の軍右衛門 横に馴れ合ふ万屋武兵衛油や太左
衛門 連れ立小影にせゝくり寄り 廓の中では目口かはきで咄されぬ一通り しりやる通り浪
人してそなたを便りに下つたも お雛が江戸に聞た故 尋ねても有り家の知れぬは
どふでも土地の広いから 勘解由も病気と偽つて 下つてわせたも花園故 連れ立つ


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ても廓通いひ当てのなかつた此鼻も 松葉屋の染之助お雛によふ似たからの仕
過ごし 少々の貯へもちゃんぷらり そこで此脇指はそなたが働ひてくれた天国の短刀 差し
れうに拵へたれど 宝は色の差し合はせ 捨売りにしても弐三百両はぶら/\ どふそ急に売てほし
い ハテめつそふな 此金高な物か急に売ふといふたてゝめつたに買い人の有る物じいやござり
ませぬ ハアどふした物で有ふそいなア ヤ太左衛門斯せふかい 当分五十両か七十両の質に遣
て軍右衛門様の間を合し 其中に売れ口を吟味すりや 大金に成る代物此思案はどふ有らふ
なア ヲゝ其思案面白い 早く質に遣つてくりやれ ハイそしたら太左衛門 貴様どふぞ質屋の

世話 心得た/\ 大義代さへ出る事なら唐天竺へもおつと任せじや ガ今から往て戻りは夜道
金持て一人は否腑(いやふ)武兵衛もいつしよに ヲゝ合点じや 軍右衛門様は松葉屋に ヲゝ呑
込だと三人が 點頭(うなづき)合て別れ行 往来(ゆきゝ)も暫し人絶(ひとだへ)して人なき隙を幸いと忍び出
くる左門之助 跡より走つて花園は 逢たかつた/\と縋り付き跡は詞も泣く涙 漸に
顔ふり上 いつぞや吉田で別れた後 不慮の御難義行衛なふならしやんしたといふ噂
聞くよりはつと取詰る積(しやく)さへ難面(つれなふ)殺しもせず どこにどふして何として廓へ来て下さんせぬ
聞へぬ心と恨みたり おいとしぼやと案じては夜の目さのめも合ふ事か 情(こがれ)死のよりお行衛をと


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思案の底を親方に見透かされての此仕かへ どふぞ逢はして下さんせと 悲しい時の神たゝき
願が叶ふて不思議なお顔 見たのも皆神様のお引合せと心では拝んで斗居たはいな そふ
とは知らいで胴欲な 生き畜生との当て言をいふ程ならば手にかけて殺して腹いて下さんせと
たくしかけたる恨み泣 春待ち得たるこの花の 嵐に散りしごとく也 ヲゝ其恨み尤なれど大切な
御釼を盗まれ 詮議も急ぐ百日限り とやかく心を砕く所 不思議にそなたの顔を見て エゝ
のふ/\と済ました顔して居ると思ひ 腹立てたは堪忍しや 命ながらへ居たればこそ逢ふ嬉しさは
嬉しいが おれ故きつ身の苦労と 涙ぐめば抱付き そふ思ふて下さんすりやまだ此上

にどの様な 辛抱も厭はねどお大名の御世継が こんなさもしいお姿も皆私から發つた
事 夫レが悲しいおいとしいと 手を取り組てさめ/\と?(くどき)涙の折からに軍右衛門を引連れて
様子窺ふ鳴嶋勘解由 揚詰の女郎は女房同然 生き盗人の左門之助と 飛
かゝつてどふど蹴倒し髷掴んで引廻せば なふ悲しやとかけ寄る花園 コレ寄るまいと軍右衛門
引捕へて離さばこそ 左門之助は無念の歯怒(はきしみ)我家来の軍右衛門勘解由と同道するから
は 釼の詮議は儕等と 云せも立てずハゝゝゝ 家来とは昔の事 あり様の影でおれ迄が浪人
古主の好しみに此泥脚(ずね)を戴かそと二人が寄て踏んづ蹴づ 斯と見るよりかけ来る十内


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二人を左右へもんどり打たせ 左門之助を引起し吉三に渡せば花園も 蘇生(よみがへり)らる心地せり
コレ/\申い二人様 悪者が付け廻せば爰には置かれぬ花園様連れまして退く用意 /\
と心を付る間起き立つ両人 そふはさせぬと切付る 得たりと十内二人を相手 抜合して
切結ぶ 手だれの鋒(きつさき)勘解由が眉間切れて流るゝ血は瀧津瀬 こりや叶
はぬと軍右衛門跡を見せず逃げ行を やらじと続く十内を真二つにと
切込む勘解由 ひらりとかはしてどつさり大袈裟 ヤアこりやどふじや
と驚く三人 爰まかはずとござりませと 引連れてこそ「逃げ帰る