仮想空間

趣味の変体仮名

伊達娘恋緋鹿子(六の巻) ~八百屋~火の見櫓

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/  
     イ14-00002-513

      ※文中()内は現行加わる詞章。12月文楽東京公演プログラム付属床本より。


61(左頁四行目)
   六の巻
何れ世に惜しまぬ物は行く年の 名残斗ぞ 稚子も 老たる人も諸共に 来る
正月を松錺(かざり)橙(だい/\)柑子(かうじ)榧かちぐり数々八百屋久兵衛が 新宅移徙(わたまし)餅搗
と賑はふ 本郷四丁目の 角引廻す四つ辻に 火の見半鐘長梯子 八百八丁所々


62
方々今度新たに建られて 実に厳重なる用心と 家内の上下取々に立騒ぎ
たる客設け 中にお七は気も浮かず 過ぎしお寺の別れより 吉三が身の上兎や角
と 思ひ餘りし憂き涙 蒲団にもれて炬燵の火 消もうせたき其風情 臺所には
下女の杉 膳立(ぜんだて)かたて傍らに 眠る丁稚をゆり起し コレ弥作殿/\ 日も暮れるや暮
ぬに最船かいの ちつとマア嗜まんせ 餅搗の為拵へでお家様や旦那様さへ 庭へおり
て手伝ふてござるのに 利根(りこん)そふに福巾(ふつきん)を手に持て椀をふかずに鼾をふう/\
コレ眼を覚まさんせとゆすれ共 返事も浪の白川夜舩 是はしたり コレ好きの物が今

来る程に ちやつと起きさんせ ちやつと/\の声の下 ヤ何じや 好きの物とは 蕎麦か饅頭か
イヤ/\夫レよりまだ好きの 武兵衛様が見へるはいの エゝ口惜い 謀に乗せられて味い夢を見さし
て退けた」エ智恵満々たるおれが親方の様にもない いかに餅搗の嘉例じやてゝ 年中
熊胆(くまのい)呑で居る様な武兵衛めや 鼻の下の長い名主め お客などゝはシヤ推参至
極 アゝ是そんなあほう口云ぬ物 此秋の類火も掻くやかゝぬ中 弐百両といふ金借して
此様に新宅を建てさした武兵衛様 小頬(つら)憎いと思へど内の為には大事のお客 いつもの
様につけ/\物を云まいぞや サゝゝゝゝ夫レがけたいが悪い 小判の耳で旦那の皺頬はり廻し


63
おるも お七様の奥の院を開帳せふ為 貮百両とは扨っても高直(かうじき)な冥加銭
悪まれ子世にはびこると エあいつが金持ておらざ何じやいと ふつつく声も身に
しみ/\゛ お七は重き顔を上 よしない金故気に染まぬ男を持ての嫁入のと 爺様や嬶
様の子に口たれてのお頼みは 冥加ないとは思へ共 飽かぬ別れの吉三様 添はれぬ事なら死にたい
と 覚悟して居るわしが身が 何所へ嫁入なる物とくどき涙ぞいぢらしき アゝ爰なお子は訳
もない 一旦の別れはほんんお義理づく 互にかはらぬ心が縁 私が呑込で居るからは遅かれ
?(煩?と:疾)かれ逢はします きな/\と思はずと 髪も撫付けたり湯も遣ふたり サア/\部屋へ

お出いない 夫レでも今夜内祝言の盃さすと 爺様の無理ばつかり サア其段に成たら
どふなと上手をするはいな ハテ上手もへつたくれも入らぬ マア盃をさしたがよい 又あほう云
しやるはいの 盃さすと内祝言 はづんで居る武兵衛づら 直ぐに寝様といふはいの ハテさて跡
にしるしの付く物じやなし 一度や二度は大事か 吉三様には鼻挟んで居たがよい ヲゝぬめた そふ
する程なら気は遣はぬ 何も角もわし任せ 気づかひな事はないと 力を付ける間勝手より
杉よ/\ 弥作めは又二階にかな寝ておるそふな われちよつと来てくれと 久兵衛が呼声
アイ/\/\さあ/\こちへとお七が手 引立て勝手へ急ぎ行 跡に弥作は両手を組み ムゝ二階にかな


64
寝ておるそふなと 智恵ない子に智恵を付けた旦那の詞 爰ならで寝ぬは一生の損 寝る
べき時にねらせざれば 寝ぬにまさる恥多し といふて二階へ往て寝たら起こしにくるは定の
物 爰が一つの軍法計略 着類残らず皆焼て明きがらの此戸棚 弥作が為の千早が城(じやう)
起こされる気づかひない 思ひがけない転寝(うたゝね)屋敷してやつたりと云ふ儘に戸棚へぐす/\戸を
ぴつしやり 窮屈ながら喜見城 折から表へ町の名主与三右衛門万屋武兵衛打連れ立
今朝程は早々お使い鰈嘉例はづさず来ましたと 名主が高声久兵衛夫婦 としや遅しと勝
手を出 よふこそ/\お二人共サア/\是へと饗宴(もてなせ)ば 武兵衛はのふずの懐手 名主は扇子(あふぎ)

しやにかまへ サテ此間から云筈を終にない又忘れた 様子は第一火の用心 下々を不便なと代官
様の思ひ付き 怪しい物を通さぬ様に夜半(なか)限りに町々の門を打ち 譬久病人がどん
な大事の用が有ても往来はとんとならぬとのお触れ 其上にまだ八百八町所々に アレ
あの通りに火の見をお建てなされたは ちよつとでも手過ちが有るなら 町内に誰なりとアノ
半鐘をちやん/\/\と鳴らせ 聞き付けて隣(りん)町にも鳴らすと ちつとの間に江戸中が擲き立てる
其時は門々を追っ開き 早速にかけ付けてツイ揉消して大火にせぬえらひ智恵 シタガ
ひよつと手合(てんかう)にでも何事もないに半鐘を打た者は 火付同罪火あぶりに仰付け


65
らるゝむごい事の様なれど 重ねてから又転業で有ふと 外の町に打合さぬと欠付ける
者がない故 自(おのづから)大火になる こりや唐土とやらの唐の王が仕くぢつたが手本じやげな 剛(こは)い
事じやぞや 内との衆にも其通り急度云付けて忘れぬ様 コレそりやこなたがいはひ
でも裏店(だな)迄お触が廻り モウ江戸中に誰しらぬ者もないアタしちくどひ取置か
しやれ こなたを誘ふて爰へ来たは 夫レ喋らそふ為じやない 又嘉例の餅搗も付け
たり ヤナニ久兵衛殿 名主殿の媒酌で結納(たのみ)迄取かはしたお娘の縁組今夜は是非共
祝言 夫レが馳走の大一番 八百屋にはちと過ぎた聟 随分大切にして下され ヲゝ

夫々 聟は子といへば定めて女夫ながら孝行にしられふ ヤコリヤせりふが間違ふた
間違はぬは此媒酌 名主だけに気をはつて どちらからもずつしりと 必ず礼を間違
はすまいぞ ホゝゝゝ お気の軽いは名主様 媒酌といひ聟殿は町一番のお歴々 私等女夫
が入まいと 親の思ふ様にもない 兎角娘があのものゝ 今も今迚今夜の盃 廻して
くれいと泣きしみづき 気随いふのも育てがら皆母親の業と御了簡なされて年(ねん)明ける
迄盃を待てほしいと サテ久兵衛殿も云兼て アゝ是々お内儀 お七とおれが今夜の祝
言 他町迄知て居る 夫レが延びては万屋武兵衛 是迄磨いた男が立たぬ 但聟には不足


66
なか 女夫ながら嫌ふのか いやでも応でも盃して 今夜から抱て寝るぞ ヤコレ武兵衛
殿 こちら女夫が嫌はぬ証拠は 成程娘を進ぜふと 結納遣たも義理が有故 二親
が合点しても 儘にならぬは此道斗 年内は互に心閙(いそが)しうも有る 春にもなつたら
とつくりと異見して娘が口からいかにも嫁入しませふと ヲゝおかしやれ 春が秋 来年が
数百年立ても おれが女房に成りましよとぬかすめらうじやないわいの ムウそりや
又なぜに なぜにとはしら/\しい いつやら寺でのやつさもつさ 仕くじつて侍めにえらひ
目に合たれど みす/\知れたお七が悪性 小姓吉三といふ虫入栗 渋皮の剥けぬ中

から喰ひ覚へ 腐り合た事知りながら 惚れたが因果と身を入れて 丸焼に合ふたあり
様達 貧乏寺の脚(すね)かぢつてかゝり人の身すぼらしさ 爰でこそと貮百両 大まいの金
借して 此様に普請させ再び八百屋久兵衛と家を立つるは誰が影 立さしたも
娘がほしさ 貮百両てはよい売物 娘が何といぢばろと 親我意に捻ぢいがめてなぜ
祝言をさゝぬぞい ナゝゝ何といふのじや武兵衛殿 ヤ武兵衛 若い形してずは/\と あん
まり口が過ぎるぞや 貧乏しても八百屋久兵衛 貮百両や三百両で売物にする
娘じやないぞ 類火に合ふて家内いつしよ お寺へ退て居た所 によつぽりとわご


67
りよが来て 丸焼けに合たらば何をどふとのしがくも有まい 此貮百両は借す
でもやるでもない 日頃の念頃見るめが笑止な 是で急に普請して早ふ商い仕
かけいと 金を膝に置かれた時は テモ扨も 常とは違ひ神か仏の武兵衛殿と 手を
合して拝まぬ斗 店出しを急いだも 生長(おいさき)有る娘が可愛さ 新宅へ家移り其儘
娘をくれいと名主殿の媒酌 ア一旦の義理も有る物と やらふといふたこつちは本心
底工みの有とは知らず うか/\と其金を遣ふたはおれが誤り エゝ嬶 口惜いわいの
と声くもらせ 腹立ち余る男泣 エゝ其様に気をせき上げ持病の疝癪が發つたら

何とさしやんす 約束変替は世間のならひ 金のかたには家敷を渡して 親子三人
が手を引き合 出てさへ行けば事が済む 気をもんで下さんすなと 背筋押さげ供涙
ハアゝ是は殊の外の御愁嘆 内義の云分至極尤 そふなされ/\ 家売れは釘
の値 屋敷をかけて百四五十両の物は有ろが 我等家屋敷望みにない サア今売り
払ふて貮百両 耳を揃へて御返済 其跡は親子共出て行なりと 首くゝりなと そ
こらはそちの御勝手次第 唯今貮百両戻りさへすれば いかにも変替心得た サア
受取ろ/\ サおこさんせいの じやといふて此座に買い人が有ではなし 元来(もとより)貮百両といふ


68
貯へは ナイカエ はてなくばお娘と御祝言 サア其祝言をどふぞ春迄 いやじやお内
義近年のいやでえす 祝言さゝすば今金せふ サア夫レは 盃さすか サア夫レも ならずば
金か ヤ盃かと 詰寄る體肥満肉(ふとりじゝ)膝打叩いて いらたでせがみ 久兵衛夫婦は口惜さ
も 金といふ字に詮方なく言句も上がらず無念泣 見兼て名主与三右衛門 金を入れ
た女房の事ならねば武兵の腹立も尤 お娘じや迚親の為」とつくりとわりくどき
云て聞かしたら 得心も有そな物 爰は我等が貰ひにして 中直りの酒にせふ ぜんさいが
さめては大きな迷惑 昼飯からひかへて居る腹 長詮議で眩暈が来そふな いか様是

は御尤 サアそんなら武兵衛殿 名主様の詞につき 奥で一つ参つて下され ハテ行かい
ではい 夜半(よなか)が八つ夜が明けてもおれが云ひ条立つ迄はつけ打て呑み据へる サア皆わせい
と打連れてわめきちらして入にけり 師走の空の 癖なきや 降りくる雪に傘傾け
いこかは来たる太左衛門 夫レとしらする咳ばらひ 聞付け武兵衛走り出 手招きすれば傍に
寄り 貴様の頼みで百両の質にやつた 天国の此脇指 エゝ声が高いわい 是を受たも
能買人(かいて)が有る故 五百両に売てしまい 軍右衛門が手前は貮百両と売りへきの
百両を渡し 跡三百両は我等が着服 吾儕(わがみ)の大義代(しろ)は五十両 ヲツトよし/\ ヤよい


69
次手にお娘の事は サア夫レも大かた首尾なつて今奥で打入かける そなたも一挺
そりや目出度い 金と女房を両の手に是福徳の三年め あやかり者めでざゝ
めいて連れ立奥へ入にけり なま中に染てくやしき恋衣 其きぬ/\の別れより  
尾を隔て住む山鳥の 番離れて吉さぬ朗釼の有所知れぬ上 日延も今宵限り
なる主人の命諸共に 我も消へなん簑笠に雪を凌ぎて歩徒跣(かちはだし)せめて別れに
恋人の俤なりと見まほしく 軒にしよんぼり佇みて 内の様子を窺へば 勝手を出る下
女の杉使いと見へてせはしげに 傘ひろげ門の口 ヲゝこは誰じやいの イヤ大事ないわし

じやわいの ヤアお前は吉三様 よふマアお出遊ばした お七様もお前の事で此間は泣て
ばつかり そしてマアあぢなお姿で サア是には段々様子も有れど 斯して居てはもし
人が ほんにそれ/\ 私は今使いに行く戻り次第に逢します 夫迄はつめたくとちとの間
爰にと縁の下 恋なればこそおいとしや 小町に通ふ深草の少将ならぬ大事
のお身 簑笠敷てと気を付けて 吉三を忍ばせわくせきと足を早めて出て行
神ならぬ身はかくぞ共 いさ白雪に冷へる夜も 恋故胸を焦す身の お七が
跡に親久兵衛 引添ひ出てコリヤお七 先度からも女夫して 嫁入の事云出すと


70
ほいと立てぶり/\/\/\ いやがるは知れて有れど煎じ詰まつた今夜の盃 さつきのしだら
聞たで有ろ いやでも応でも一旦は武兵衛と女夫にせにやならぬ といふたら親我(が)
意に無理いふと思はふが そいが嫁入をいやといふと 武兵衛に済ます金はなし 家屋敷
は元より焼残つた道具着類も売り破却して親子三人其日から直ぐに袖乞 夫レも子
故ならおりやちつ共厭やせぬ ガコレ爰をよふ聞てくれ 元おれは上方者 若気の
至りで江戸へ欠落 縁でかな此家へ男奉公 先久兵衛様の気に入て今の嬶は
家の娘 娶合して跡式を譲られ二代目の此久兵衛 其おれが代に成て 数年仕

似せの八百屋を仕まひ 位牌所を潰しては先久兵衛様へ立たぬ斗か 女房ながら主
の娘を路頭に立てては世間へどふも言訳がない 夫レが悲しいばつかりに たつた一人の
可愛娘に いやな男を持たそふと無理いふ親の心の内はどの様に有らふと
思ふ 火事にも合はず前の様に暮して居よなら 譬王様の媒酌(なかうど)でも
あんなに頬にくひ男を 何のマア持たさふぞい 器量もよふて発明で われ
が十分好いた男と 内裏雛見る様に並べて置て見やうなら 夫レこそ老
の入りまいといはふか此世からの生き仏 なれ共浮世の義理順義立てねばならぬ


71
二親のせつない所を推量して 過去から結んだ悪縁と思ひ諦め 気
に入らぬ盃してくれ 嫁入つてくれ頼む /\と云声も跡はしどろにかきくどく
お七は兎角の返事さへ 泣しづみたる涙声 事をもわけてのお詞を さら/\無理
とは思はねど 仮の契りも二世迄と 云かはしたる恋中を 捨てて男を持つならば
徒者共悪性共世に諷はれるは数ならず いとしいお人が嘸や嘸 聞へぬ者じや
不義者と恨み請くるがわしや悲しい お前も義理がせつなくば わたしが義理もちつ
と又思ひたつても下さんせと親に恨みも男故 つまらぬ理屈ぞいぢらしき

ヲゝそふいふは吉三殿の事で有ろ いつぞや寺で往生ずくめ 思ひ切たの退き
ますのと 互にいふたは一寸遁れ思ひ切らぬは知て居る じやによつてそふ思ふ
は尤じやが よふ物を合点せい 何ぼ惚て居ても 吉三殿は云号のお雛殿
とやらと夫婦に成て 親御の家を立てねばならぬ 夫レを邪魔して恋慕ひ
云号を捨てさせたら 親御の家を潰すといひ お国の殿の咎めを請け吉三殿
は直ぐに切腹 其時には一家一門取分けてお雛殿の恨み憎しみ 喰ひ付く様にも思は
しやろ 我身抓(つめ)つて人の痛さも知たがよい 夫レ迄もない国へいぬまいといは


72
しやるが相図 吉祥院の上人様が引ッつかまへてツイごそ/\ 青坊主に剃り
こぼつても わりややつぱり女夫に成か 出家を落した女コはナ 死なぬ先に地獄から
赤鬼や青鬼が火の車で迎ひに来て 等活地獄の火の中へ打こまれ
あつい苦しい其中から 恋しひ男を呼だ迚 其人も堕落の罪 無間の底へ沈んで
居れば再び顔見る事もならぬ 何とそれがいとしひ可愛ひの心中か 咄しする
さへ身の毛が立つ ヲゝこは/\ナフいやゝと おどしつ偽寄(すかす)親心しらぬ娘はないじやくり
等活地獄も憧(こが)れ死にも心からなりや厭はねど 可愛ひ男を腹切らし無間

地獄へ落すのが 悲しいわいなとあどなさを 付け込む爺親 母親も堪へ兼て
走り出 ヲゝそふじや共/\吉三殿がいとしくばさつぱりと思ひ切り 武兵衛が女房
に成てたも 世間の親は聟の気に入る様にと教へれど こちら女夫はそふじや
ない 随分と呆れる様に そりやいはひでも知れた事 飽きも食(めし)の出来る迄
寝て 人挨拶せいでも大事ない 小遣ひは湯水蒔くやう 出入の者にもめつ
たむせうに物やつて 三本でよい釜の下も五本も八本もろつかどか まだ肝心
はコレ 毎晩/\背中むけて寝さへすりや いや共にあいそ尽かし ヲゝつい去て戻す


73
程に どふぞ聞わけて盃してたも 神仏へは断りいふてそなたに罰(ばち)の当らぬ
様にコレ手を合す聞入れて イヤ/\吾儕ばかりじやない 爺(とゝ)も手を合して拝むはい
やい/\ 一筋な娘心に二人の夫 持まいと云ふ真実を 立て通させぬ二親は 子の為
鬼か魔王かと世を恨みたる託ち泣き エゝこれ/\/\ 勿体ない事して下さん
すなとわけらるゝ手も分ける手も六筋の涙瀧なして 八百八町の水溜めも
救ふ斗に見へにける ヲゝ嬉しや大方合点が行たそふな 此上は中よしの杉が
追付戻つたら ソレ談合して着物着かへ 顔もふいて座敷へ出や マア/\こちへと

二親は 泣入る娘を介抱し涙ながらに連れて行 吉三郎は縁の下冷へ上りたる寒
苦より 身を切る斗三人の 心のせつなさ思ひやり 最前より石筆にこま/\゛
書いた結び文 脱だる簑に押包み 身すぼらしげに立上り 道理を分けた親
達の詞に一つも無理はない 否応の返事のないは吉三へ立てる心中と 思へばわしはモウ
千ばい 必々恨みとは思はぬ程に ふつつりと思ひ切 二親の気休めに早ふ嫁入し
てたもや 我身は今宵の明け六つを 知死後と極めし露の命 馴染がいには一遍
の回向も外の供養より 嬉しう仏になるわいのふとはいふ物の此世の名残 今一度


74
顔がにし/\と見たいわいのと身をもだへ 上りがまちに喰付て声を 忍びて
嘆きしが ハア是も又誤つた 親師匠の目を掠め 忍び逢た天の罰 添遂げら
れふ筈はない 殊にけふから武兵衛といふ親の赦した男有る お七を慕ふは密夫(まおとこ)同
前 死んでの後迄思はぬ悪名 思ひ切たり迷はじとしほ/\として立出る 向ふへいきせ
き戻る杉 縁の切れ目か夫レぞ共 互にしらず行過ぎて後の哀と成にけり 杉が足
音聞付けて お七はかけ出縋り付きわつと斗に泣出す 杉は呆れてテモがおれ わしが戻つて
こぬ中に もふしつぽりと一汗して 栄耀が余つて口舌じやな ちと耳引かふとじやれ

かゝる エゝ面白そふに何じやいの 爺様やかゝ様のわつつ詢(くど)いつ いやと云れぬ理に責め
られ 吉三様を思ひ切り武兵衛と祝言する様に成た故 待兼て居たわいのふ エゝコリヤ
きつい悪(わる)間じや そんならお前はまだ逢はなされませぬか エゝ逢ふ所か盃もいやじやわい
の 何じややらねつから拍子が合はぬ まだ逢ずかと云のはナ さつきに彼のお方がな 忍んで
逢に見へたけれど わしは使いに行しな故 縁の下に隠して置たと半分聞て
ヤア/\/\ 縁の下とはドレ何所と 周章(あはて)るお七杉諸共 庭に飛下り引出す
簑笠 ヤア姿は見へずぬけがら斗 扨はわしを待兼てよもや逝にもなされまい 合点


75
行かぬとそこ爰と尋ね廻ればお七もうろ/\ あなたこなたを見廻はせど 其
甲斐もなき簑笠を 抱きしめ/\ エゝ折角来ながら気の短ひ なぜ逝んで
下さんした 聞へぬわいな聞へぬと 振りしやなくれば中より一通 お七殿へ吉三郎 そりや
こそ様子とお上へとつかは 杉は行燈を差寄すれば 最前より久兵衛殿の御異
見道理共尤共つゞまる所は互の身の為 薄き縁と思ひ諦め 我事は
ふつ/\と思ひ切 早く嫁入頼み入り候 御存じの通り天国の釼 今に行衛知れ申さば
百日の日述も今宵限りに候へば 明け六つの鐘を相図 若殿左門之助様は

切腹 我身も親の遺言に候へば 若殿の御供致し相果申候 せめて此世
の暇乞 今一度御がんと忍び参り候へ共 なま中逢ては互の名残つきがたく 
最期の障りと思ひ直し立帰り候 浅からぬ御心の程 草葉のかげ迄
も忘れ参らせず候 皆迄読まず気は狂乱 エゝ夫レならば猶聞へぬはいなア/\
死なばいつしよと云かはした わたしを捨てて死なふとは 胴欲な むごらしい 別れ/\に死ぬる
共未来はやつぱりかはらぬ女夫 いふた詞を違やうかと 立上るを抱き留 ヲゝ道理じや
/\ がソリヤ短気でござりませふ 譬いつしよに死でから 未来で女夫になられふ


76
やら あぶない事をせふよりはいとしい男を殺さぬ思案はないかいな サイノ助けたふても天
国の釼とやらが今夜中に手に入らねば 外に思案はないわいの いかさまそこも有けれど
又どふぞ仕様模様も イヤ/\/\外の事より釼の出る 思案をちやつとしてたもいの サア
其思案といふても闇に礫 其思案身が仕て呉ふと 戸棚を明けて寝とぼけ
顔 エゝあの人は恟りさした とつけもない戸棚から こんな思案が出る物か イヤ出る/\ 其あまん
じやこの釼 有り所は弥作が胸中 ヤアそんならそなた 天国の釼の有所を シイと
押へて耳に口 フウ太左衛門が持て来て 武兵衛が腰に指して居る アイ天国

じや/\ 何でもこつちへしてやつて 神田にござる吉三様の所知て居るお杉に
持たして サア其工面をどふぞ早ふ お気遣ひなされますな 宵からの酒でどふでめれん
隙間を見てわたしが盗まふ ヤア心安そにいがめふとはコレ杉 貴様ちつと下地が有るの 盗みした
事はなけれど 横道するもお主の為 ハテ見付られたら百年目 引たくつてなと埒明ける
其時はこなたも供々 ヲゝ合点じや 手伝ひは此弥作 鉄(くろがね)の楯あぶりこに塵紙
張た顔に汗手拭鉢巻尻引からげ杉を案内に差足抜足奥の間
さして忍び行 (降り積もる雪にはあらで恋といふ、その愛しさの心こそ、いつかは身をば崩れはし)跡にお七は心も空 廿三夜の月出ぬ中と體は爰に魂は


77
奥と表に目配り気配り 余所の歎きも白雪に 冴へ行く遠寺の鐘
かう/\ 響き渡れば ヤアあのかねは早九つ 夜半限りに江戸中の門々をしめて
は 大切な用有る人も往来ならぬと厳しいお触 譬釼が手に入ても今夜中
に届ける事が叶はねば 吉三様はやつぱり切腹 ハア悲しや こりや何とせふどふせふと
立たり居たり気はそゞろ 更け行空の恨めしく鐘鳴る方を睨み付け拳を握り歯
を噛しめ唯うつとりと立たりしが ふつと気の付く表の火の見 ヲゝそふじやアノ火の見の半
鐘を打てば出火と心得 町々の門々開くは定 思ひの儘に釼を届け夫の命助けいで

置ふか 鐘を打たる此身の科 町々小路を引渡され 焼き殺されても男故
ちつ共厭はぬ大事ない 思ふ男に別れては所詮生きては居ぬ體 炭にもなれ
灰共なれと 女心の一筋に帯引しめつ裾引上げ 表にかけ出四つ辻に咎むる人も
嵐に凍(いて) 雪は凝(こほ)つて踏み滑る 梯子は則釼の山 登る心は三悪道の通ひ
道 杉はなんなく奥の間より 釼を盗んで逃くる跡 ヤア大盗人めとかけ来る武兵衛 引
だかへてもぎ取釼やらじと縋るを踏飛ばす どつこいそふはと取付く弥作 こりや何ひろぐと
太左衛門 引ずり退ける其手を直ぐに腕がらみにこりや/\/\ かしこは見おろす雪の屋根


78
其儘三途の瓦葺睨む地獄の鬼瓦 追ッ立て責める身の因果廻りくる/\くる
/\と 下には四人がいどむ中 お七はなんなく火の見の上撞木追取ちやん/\/\
音より間もなく爰かしこ 一度に打出す半鐘の響きに連れて開く門々 嫌はれた
意趣ばらし引くゝつて訴人すると 杉を蹴飛ばし上り来る梯子を下より打返せば
武兵衛は大地へ真逆様 持たる脇指取落すを 杉は追取吉三が方かけ行く跡を
追かくる 太左が首筋是はいなとかづいで投込む用水桶腰骨打て
うごめく武兵衛 お七も飛で遠近の人の噂と「成にけり