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趣味の変体仮名

近江源氏先陣館 第一

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-01036


2(左頁) (第一)
 再版 近江源氏先陣館  座本竹田新松
新玉の春立初めて御園には 木々も緑の四方の波
しづけき君が御代とかや されば右大将頼朝公 奢る平家
を西海に切しづめ 源氏一統の御威風 偃(のべふ)す草
の鎌倉御所「太平の地を しめ給ふ 時は建仁
年正月元旦の御寿 二代の君右大臣実朝公 立(たて)烏
帽子に緋の御装束 白書院に出給へば 上段には龍頭の 


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兜を錺御母公政子の御方 武将の祖父(おゝぢ)北条相模守時政公 先
君頼朝(らいてう)より天下の執権を預り孫君の御後見 御年ばいも六十余
列(しう)自然と握る三つ鱗 其外関八州の大小名 烏帽子素襖もざゝ
めいて 袖を連ぬる大広間 御盃の大流小流 縁側には申楽の役人祝儀
の開闔(かいこう)相勤め 謡は老松梅ヶ枝に 弓矢立合弓取の烈を正して出勤有る 爰に
近江源氏嫡流佐々木三郎兵衛盛綱御前近く召出され 実朝
仰ける様は其方義は親源蔵秀義より二代の家人 殊に近年忠

勤を抽で勲功他にこへたり 随て近江の国は 元其方が古郷なれば一国を充て行ふ間 江州へ
趣き一円に領池致すべしと 御諚の趣き承はり 謹んで平伏し 不功の某身に余る御恩賞
有難く存奉る 但一つの御願ひ 某が弟佐々木四郎左衛門高綱兄弟共に先陣を相勤めし
に 弟高綱に御恩賞なかりしかば一徹の生れ付き 恐れながら先君を恨み奉り 且は兄の某にも
遺恨を挟み十ヶ年以前鎌倉を出奔して行方しれず 哀此度の次手に弟高綱が有り
家を求め召出され 江州の内にて分地拝領なし下され候はゞ 猶此上の君恩に候はんと恐れ
入て言上す北条殿莞爾と打笑み 尤の申条去ながら 此度御邊を江州へ遣はすは謀有て


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の事 其故は先君頼朝薨去の後 嫡男ながら左中将頼家卿惰弱の生れ付故に
舎弟実朝に武将を越られしを心外に思ひ 鎌倉を立去て京都へ引込早三年 頃日聞
ば謀叛の催し有との風聞 江州は京都五畿七道の境 関を堅めて東国の軍勢を防ぐ
用意有りと様々の噂 御邊の器量を見立て江州へ発向さするは 此方より先を取て京都を押ゆる
謀 中にも其方が弟佐々木高綱は 軍法の奥義を極め 陳平張良にも劣らぬ
勇士 行衛を尋ね佐々木兄弟 江州を固める用意肝要也と 有ければ ハゝアゝ畏り奉る 弟高
綱兄弟心を一致にせば 譬いかなる大敵も暫時の中に取ひしぐは 方寸の内に有御賢慮

安く思さるべしと お受の詞に政子ほ方 御墨附を給(たび)ければ 盛綱三度頂戴し 時の面目
身に施し御前を 立て退出す 折節広間に案内して 京都頼家公より御礼の使者
参上と相述ぶれば それ待兼つ早是へと仰次第に云伝へ 鎌倉の附け家老片岡造酒(みき)の頭(かみ)
春久京都の近習比企判官能員(よしかず) 遥か下つて扈従(こしやう)立の若侍三浦之助義村 十八歳
の角(すみ)前髪諸士に式礼衣紋の着ぶり おめず臆せぬ一器量 人に勝れて見へにける 時政御
覧じ 年頭の祝儀早速の参着満足せり 併ながら頃日(このごろ)心得ぬ人の取沙汰 殊に頼朝様
他界の後京都へ退き 度々使いを以て鎌倉へ請待(しやうだい)すれ共 今において下向なく 酒宴遊興


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に日を送らるゝ放埓の行跡(ふるまい) 片岡を付け置く上は など諫言も致さずや 是なる武将実
朝は我孫 祖父時政天下を後見する上は 武将同然の時政を侮り軽んじ申さるゝ頼家の心腹
夫レに随ふ諸士の胸中 旁以て心得ずと 凛然たる厳命に 恐れ入たる造酒の頭 心を察し
政子の方 人の噂を取上れば 天道の事迄も恨み譏るは下々の習ひ わけて頼家は自と継(まゝ)し
き中 古殿頼朝様の妾者(おもひもの)宇治殿の腹に生れ給へば わらはに隔ても有る様に人の云なし 鎌倉
を狙ふの御謀叛のと よしなしことを聞く度に自が胸の苦しさ 推量せよ片岡と 仰にはつと
頭を上 我等義は鎌倉より京都に添置るゝ附け家老 いづれに諂ひ 何れに偽りを申上べき

様もなし 頼家公鎌倉に御下向なきは 元来(もとより)多病の御生れ付 御殿を離れ御他行だに
稀なれば 御疎遠の段はさして趣意有る事に有らず 実朝公時政公両将に対して
恨み給ふ御心毛頭なし 御謀叛などゝの雑説恐ろし/\ 身持放埓の咎め噂に違はねば
是一つ 若狭と申す白拍子を殊の外御寵愛なされ 妾君に引上られ 夜昼わかず
酒宴の興 逹てお諌め申せ共 一切御用ひ是なき故 人の悪説を重ぬるも 元は好色の
御誤り 是迚も若気の習ひ 御齢(よはひ)たに長じ給はゞ自(おのづから)改らん 此義は我等に御預け希(こいねがい)
奉ると 事を錺らぬ申条 比企の判官進み出 イヤ/\頼家公に御謀叛の心 全く


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ないとは云れまい正しく頼朝の御惣領を差置き 時政公指図として 孫の実朝公を武
将に立て 祖父君の後見は自然と四海を手に握る 北条殿の計ひと疑ひかゝ
りし宇治の方 頼家公御親子の心 余り無理共存ぜぬと 舌三寸で内はから
比企が底意ぞ いぶかしき 聞兼て造酒頭 御前をも憚らず尾籠の詞 アレ見よ
上段に錺置れし兜こそ 源家の重宝龍頭に鍬方打たる」は 大将軍の御印 此兜
を実朝公に譲り置給ひしこそ 頼朝の明智の眼 夫レを今更僻言と 御謀叛有べき
様はなし 御邊ごときの佞人が御傍に徘徊する故 頼家公のおの御身持 イヤ云まい 御

身持の善悪は附家老の御邊こそ知る筈 それさへしらぬ造酒の頭 頼家公に御謀
叛の心 若し有たら何とすると あらそひつのる無道の判官 末座(ばつざ)にひかへし三浦
之助つつと出 御前なるぞしづまられよ 最前より両人共何の詮なき荒争ひ 頼家公
に御別心の有るないは申に及ばぬ事 凡謀反とは下より上を討たんとはかる 是を謀
叛人といふ 若けれ共頼家公は 正しく先君頼朝様御惣領 時政公は今武将の祖父君
にもせよ 元御家来には相違なし 頼家公憤り思召事有らば 時政公に切腹有れと仰
られても済む事 何がこはふて御謀叛はなさるべき 下から思ふ私了簡 ひかへ召れ


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判官殿と 一句にしづめる三浦が才智人々感ずるばかりなり 時政御機嫌斜め
ならず 三浦之助是へ参れと御座近く 其方未だ面てを見しらず 若年に似合ぬ
ハテ器量の若者よな 今より志ては造酒の頭同然に 心置なく往来せよ 対
面のしるしそれ/\と 三浦之助が名に寄せて義弘の一腰 引出物にたびてげる
誠に当座の眉目なり 政子の方しとやかに お心とけて自も此上の悦び
なし 人の噂の取々なるも互に縁の遠ざかる故なれば 縁に縁を重ねる為幸い
時政公お局牧の方の腹に出生の乙の娘 時姫を頼家の北の方に備へなば

京鎌倉の和順の験(しるし)此上なし 是自らがお願ひと 仰に時政打點頭 政子の発明太平
の瑞相 左有れば頼家が寵愛の若狭とやらんを追出し 其後時姫を送るべし 媒介は造酒
頭 ハア畏り奉ると 領掌すれば実朝公 今年則頼朝の三回忌 南都東大寺にて追善
供養執行へば 政子御前も宇治殿も 此霊場にて対面の上 婚姻の契約
あらば霊魂も御悦び 供養の催し諸大名相心得よと御諚意に 皆退出の
谷(やつ)七郷 松倉郷の拝領も 郷に入ては吉村か 心々の三つ鱗北条殿の智 
恵の海そこはかりなき 鎌倉山御代の栄へぞ 「久かたの