仮想空間

趣味の変体仮名

近江源氏先陣館 第五

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      ニ10-01036


35(左頁)
    第五
近江のや 鏡の山へ影遠き 高宮の村はづれ 漂(たどり)て爰に時姫君住の江諸共
うき旅に うき恋人を見失ひそこよ 爰よと立休らひ コレのふ住の江 そなたの世
話て漸と 廻り逢た恋人に 振捨られし我身の上 推量してたもいのと涙先立託ち
言 ヲゝお道理/\ 物堅い義村様でも木竹で有まいし こつちの心が届いたら何ぼ難面(つれない)
男ても 情け心が出来そな物 何にもせよ此邊を尋にしくはなし 御気遣なされなと
力を付る其折から後の方より同勢引連れ 北條の家来関口平太姫を尋るうろ/\


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眼 斯くと見付け走り寄り 時姫君にて候な 御行衛知れさる故方々と尋ね御迎ひに参つ
たり 住の江殿にも御供あれいざ御出と申せ共 イヤ/\鎌倉へ何の面目に帰るべしと厭(いなみ)
給へば関口平太 片岡殿の思慮有て悪敷(あしく)は計ひ申さぬ由 是非御供と住の江も供に
引立大勢が 吾妻路さして急ぎ行 雨の山坂花見りやすべる 花見りやすべる 花に思ひ
がよいとこ息杖しやんとせ ヤイ仁作狼狽たか 此酒や小竹輿(かご)立てて親方にもお茶上い休む所
で休みもせず コリヤ奈落の底迄舁込むかい 性根を付けいと悪談に 先肩もひやうまづき
ナアニ馬鹿尽すやら 儕と相棒するが最後常(じやう)付けの立場でも気に入ねばすつとこな

酒やさへ見りや何度でも 休みたそふな頬付 それと云も呑たいから どふで儕は聞
及んだ?(やつめ)の?蛇(おろち)の再来か 酒呑童子の眷属かいげちない酒好きと せり合/\
ヤツトコ竹輿おろせば サア/\お休み/\と亭主が詞にかごのたれ 上て床几へ歩み寄
十河額(そがうびたい)の東武士 悠々と押直り ナニ跡がたの者が是へ参れ 最前汝に云付けたは 急用
の有身共なれば立て場を抜てぼつ付よと 云た通りに情が出た極の外に褒美を
くれる 聞けば儕酒好きとやら 亭主 ソレ渠めに酒を呑せよと ふつてわいたる幸いは 行く手
の好物につたりと 笑みを含んで竹輿の銭戴き/\両手をつき エゝ遖なお侍様 極めの外


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の褒美には五十三十ましの銭 下さる所を酒と出たは 又違ふ」た物じや大将/\何と仁作
よ是見たかと 云を打消し相棒仁作 申旦那 結構な御意なれど ア同じことなら餅がよい
酒に勝つた餅の値 年のはじめも鏡餅 重ねて神の二柱 或ひは茶粥の柱共腹のへる
事 遅ひ也 第一竹輿舁に酒呑すは 嬶に地黄を呑すも同然 どこぞの程では衆人
の身に怪我の出来るは知れた事 酒をとんとやめにして 餅になされませぬかい 餅になさるが大分別
と 下戸と上戸の得て勝手 咽は鎌倉街道の食諍ひと見へにけり 侍は苦笑ひ ホゝヲ
其方にも望次第何成と支度致せ ソリヤ有難い御意が出た シタガハア悲しや 此店には酒

ばかりて餅はなし ヲツト力を落すまい 堤の餅屋もこつちの出店 跡かた殿はアノ壺から 
お差図次第に呑だがよい サア/\ござれと亭主が案内に相棒は おのれ存分
喰ふべしと旦那へ黙礼機嫌取り 五文(げんこ)取をと急ぎ行 跡がたは立上り勝手知たる売場の
酒 有合ふ桝を盃に杓からてうどつきうつし 然らば旦那たべまする コリヤ」見事じや 桝で呑むか
何ぞ肴をくれたいなァ アゝいへ/\お肴は持ております 先ず一口と角呑に がぶ/\/\と一息つぎ
腰の銃卵(筒乱・胴乱)引明て取出す香椒(とうがらし)コレ旦那様らうじませ 肴は是でよござります アゝ何
とやら ヲゝ夫よ 擂粉木も紅葉仕(し)にけり香椒此紅葉をお肴と 一口喰ふてぐつとほし エゝ心


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地よい/\ コリヤたまらぬわい 申旦那 少(ちと)お願ひがござります ムゝ願ひとは何事ぞ ハイ/\いや
最外の事でもござりませぬ 最一つ是でたべませふかと申す事でござります/\/\/\ ムゝ何
其上をまだ呑むか ハテ扨々厳しい上戸だな 何程成と勝手にせよ コリヤ有がたいと立上り
手酌のはかり思ふ儘 てうどついで ヘゝゝゝ又たべます 今度はもふ一息にと 桝引抱へ?蝎(うはばみ)
が瀧の流れを呑ごとく 侍も呆れ顔 エゝ忝い命/\ まだ是からが酒なれどいかにしても不作法
千万 マア此遍で入ませふ ハア扨と ヤ慮外は御免 ちととろ/\とやりませふと 芝にころりと
邯鄲(かんたん)の枕いらずに早鼾 仙人界も斯くやらん 時刻移れば侍は立上つて見拵へ 用意の

内に 都路を吾妻の方へ急ぎの武士 顔見合せて 貴殿は八つ藤軍治殿 コレハ/\曽平殿
と 時の挨拶双方が互に礼儀事終り 八つ藤軍治声ひそめ 貴殿のご主人大江
入道殿 兼て鎌倉時政公へ御内通の忠臣 京家にては出頭の入道殿鎌倉へ内通とは
神も知らぬ謀 相互に三日めに逐一の御文通 定めて貴殿も此方の主人一のお使いならん
いかにも/\仰の通り 主人大江油断なく京城内の体たらく 万事の具に申上る 頃日京都
頼家公には諸国の武士をかり集め密々の評議あり 其義に付いての御使い 幸いに
途中の対面 双方の状を取かへ一刻も早く帰国せん ホゝ尤と両人が互に密書の箱入


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かへ 懐中して立上り 鬼山曽平傍りを見廻し イヤこれさ軍治殿 両人の外人なしと一大事の
物語 見ればあれに臥したる下郎 何者やらんと尋れば ホゝ御不審は尤 渠めは拙者を当所
迄舁て参つたかごの者 喰らいどれてアノ通り イヤもふたはいもない下主下郎 気遣有なと
聞も敢ず 成程熟酔の体なれど 下郎ながら渠めが人相たくましい生れ付き 萱にも心
置く時節 事もれては一大事 拙者宜敷計はん コレかう/\と八つ藤に 囁けば打ち點頭 寝入し下
郎が傍へ寄り 耳近く声はり上げ ヤイ/\コリヤ駕籠の者 用事が有る目を覚ませと呼はる声
ウンと寝覚めの酔機嫌 エツフウムゝどなたかと存じたら 最前のお侍様 エツフウ ムゝまだ

こりや呑めと云事じやな イヤモまつさら一人は呑ませぬ ちよつとお間(あい)を頼みましよかい サア
おさしなされませ と寝ても覚ても酒の事 鬼山はつゝと寄り イヤコリヤ下郎め 儕名
は何といふ 何国(いづく)の村に住居(すまい)致す ハイ ハテかはつた事のお尋 我等住居はとこ共定らず
此街道でこんもりと 能茂つた森の分は慮外ながら拙者が寝所 又名がお聞なされたくば
本名は 雲介 又かへ名が呑介 呑事は二斗 三斗 まだ其上もたべます によつて頃日は名か
かはり 四斗兵衛/\とどつこでも申ますて ヤ又本に 酒においては 天晴の手柄者
となたでも叶ふまいと 半分云さしとろ/\睡り 軍治立寄りヤイ/\/\ 眼を覚まさぬかと引


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起こせば ヲツト合点じや/\/\ フウムゝ/\何とおつしやる 我等に肴を致せか イヤ最私大不器
用者 竹輿(かご)舁く事と酒呑むより 外は何にも存ぜぬじや シタガ何ぞやりたいが ホンニ此間子
供等が 街道筋でうたふ哥 覚へていたが ヤてんぼのかは やつて退けよかい おまんまたぐらへ
太々神楽が飛込だ まだ鈴ふつて刎ね込だ ハゝゝゝと 余念なさ 鬼山いらつてヤイこりや下
郎め 譫語(たはごと)云ずと屹度聞け 格別に其方に頼み度き仔細有りと 聞て四斗兵衛起直り
私にお前方が頼たい子細とは ヲゝサ其方が命がほしい エイ イヤサ其方が體をくれい エゝ ヲゝ
驚きは尤/\ 只今此御方と 主人の密事を談じ合 咄し終つて後を見れば 酔臥したる体な

れど両人が不覚の第一 譬密事を聞ず共此儘に捨置ては 我々が後日の誤り 是?がないと 
諦め命をくれよと聞中に 四斗兵衛は猶恟り 様子聞程肝潰れ 興も酒も覚め果ました 成
程左様におつしやるからは 定めて訳がござらふけれど 何にも聞た覚もなし 又私には嬶も有躮も
有 今年八十三に成母者人もござります 何ぼ雲介致しても大切な此命 御免なされて
下されと 哀を作る空とぼけ 詫るより外詞なし 軍治怒つてヤアどこへ/\ 最前住所を尋し時
所々の森に寝ると云ふた スリヤコレ儕は知れた宿なし 絶体絶命覚悟せよと 刀ひらりと抜放
せば わつと飛退き イヤ夫レからおしやりませ 私が申す事も マア聞分けて下さりませ 最前家が無


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といふたは 酒の上の出ほうだい 急度家もござります ア思へば/\此様な 無法な事に
出合のも 悪い星が当つたのか 何にもせよ此身の因果 さつぱりと諦めて 命は上
ます が只今も申す通り今年八十三に成躮や 六つに成かゝにも暇乞 ちよつと帰して
下さりませと 逃出す後ろ遁さじと 髃(かたさき)かけて一刀切たかとんだか古井戸へ 真
逆様に落込だり 鬼山透さず手頃のこつぱ古井戸へ打込/\とつくと見 モフ斯く仕ったら気
遣なし 思ひの外もろいやつ 御互に安心と八つ藤も刀を鞘に納め 存じも寄らぬ下郎にかゝ
り思はずも時刻延引 是よりは夜道をかけ国元へ急がんと 猶も何角を談じ合 互に礼儀両人は

京と東へ別れ行 始終の様子最前よりこかげに窺ふ塩売長蔵 さし足して歩みより
井戸へ落たる下郎こそ只者ならずいぶかしく 試みせんと兼てより仕込む㭷に穂長の鑓 井
戸に立寄り逆落しぐつとつゝ込手練の手ごたへ 透さず抜取る鑓の穂先 ほつくと折れしは扨
こそと 猶予(ためらふ)中に井戸よりも ぬつと出たる件の竹輿舁 上るやいなやはつしと打 穂先の手裏
剣長蔵は真伏向(うつむけ)に倒れ伏す 四斗兵衛は見向もせず 何か心に打點頭 のさり/\と懐手
村道さして行過る 跡に長蔵空死の鑓の穂先は手に請とめ むつくと起て身繕ひ はや
暮渡る空の色 曲者が行く道筋を 遥に見やり見定めて跡を したふて「追ふて行