仮想空間

趣味の変体仮名

檀浦兜軍記 第四 

 

読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
      イ14-00002-523 

 


74(左頁)
   第四  道行旅寝の添乳(そへぢ)哥
はゝきゞの有りとは見へて あはぬとは代々のながめのたねなれど わが身
ひとつはつれなきと 思ふ心の松の名や世にもあこやがつま思ひ つとめ
の中のまことより もふげしたねのちごさくら ういの子持のかいしよなき
姿を人のそしりぐさ さがなき口もおのづから七十五日はや立ちて けふ忌明き
のことぶきや うぶすな詣でにかこつけて そよその人を尋行くあてども長の
旅なれど ついすげがさにざうりがけ あんじしるよりもやす/\と思へばかろき


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三条のはしも後ろに遠ざかり京のなごりと見かへれば 跡に追付く十蔵が 日がさ
かた手にふりつゞみ まだ持遊びしらぬ子にあまやかしたるおぢ様とたがひにわ
らひあはた山 こへてぞこゝに追分や大津絵めせと旅人の 心をしばしつなぐにぞ
さして おしまぬぜゝの町せたの長はし かゝる身のおもき思ひを いのれとや そなた
に立てる石山寺 なむくはんぜおん菩薩大じひの恵にて やひばにしづむ母上の
みらいのやみもはれ渡り 真如の月のかのきしにむかはせ給へと伏おがむ 袖も
露けき 春の野におのがありかをしれよとて つまこふ声はけん/\ほろゝ 子を思ふ

身はねん/\ころゝ なくなならいそ我ふところに ちゝたる春の日影を受て そだて上
なんうばがもち くさつを早く出はなれて右と左へ二筋の道は わかれしわがつまも あふみ
と斗しらま弓 いづくをさして行きなんと あんじ迷ふも道理なる 十蔵ふつと思ひ付きまだ
いはけなきみどり子の 心は正直諾にて神や仏の恵にも かなふ御くじの気結び 辻
占とはんと立よりて 心に右を尋れば かほをしぜんとそふけたる かぶり大みのよしなしと
又とふて見る左の道 につとえがほのかゞみの山 うつる心にまかせんと行く道もせは初花の
ふゞきも深くもり山の梢残らず色めきていとしほらしき 里のわか嫁 小娘達が春


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の物とてはやり哥 からもやまともひなも都もぬれのさたサヨエえゝやさし ちん
ないろ/\ヲゝヲゝすいや/\ しゆくはかゞみのおのこ和女郎がによすだんかうサヨエ
えちがは こへてたかみやの町にとりいの二柱 おたがじやくしの森しげみ はるかそ
そなたとぬかづきて夫の命長かれと 守りぶくろをかけまくも かたじけなしとゆふ
づけのとりもとのしゆく やぐらばし渡り/\て見あぐれば 雲をぬひ行くすりはりの
とうげ はるかに夕がすみ 旅の心のいそがしさひとり打たりまふたりのかはを過
行く長なは手 たつつぢだうをめあてにてたどり 行く身の「たよりなき

住よしの橋の反りさは大工からかや木からか 木をけづりかんなかくればかんなからかも
しらぬえ しらぬいなかも すめば又我身一つの都ぞと心のいそぎのばし置く 悪七兵衛
景清が人にふしんを打たれじと ふしん通ひに身をやつす 在所大工の中間に入り 背高/\と
異名をよばれ ながれ渡りの手間しごとけふもほうばい打つれだち ふしん場をはや
申の刻くるゝにおそき春の日の ぶら/\かしこに立かへる ヤアたつた今迄くはん/\
した空で有たが エゝ聞へた 狐の嫁入のそばへ雨 はらしていかふと辻堂に立よる内
の高咄し 中にかしらと思しきがはりひぢかまへ分別がほ おらが出入のしごとたんな 根


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井の太夫大弥太様 お名が大弥太といふによつてめつたやたの大やしき此度の御ふしんは鎌倉
の頼朝様がおこしかけふとおつしやる故 物入かまはぬ結構ずくめ正真の大名ぶしん 皆も
ずいぶんせい出しやれ 手間ちんはもうけ次第 ナフ背高そふじやないか いかにもこなたの
いはしやる通りじや扨あの根井の太夫殿はどふ見てもあほうじや それをなぜといふ
に 鎌倉の頼朝がおこしかけとおつしやるなら ついあがり口を一けん程ふしんして
すむこと それもやかましいに床几一脚あてがふたら ゆつくりこしはかけらるゝに
いかにかねが沢山なとてあたづいえな大ぶしん 但頼朝様のござるといふは世間への云ふらしで あの

内にござる娘御に聟殿取て御祝言 其はれのふしんじやないかとよそながらうらどへば ハテ文盲な
お腰かけらるゝと云て常体の人間とはちがふて 頭(かうべ)さへ大きい頼朝様 こしの廻りは思ひやらるゝでつかち
ない物で有ふ 此やうなことでふしんがなけりやこちとが中間も立ぬてや したがまあよろこ
びやれ ならの大仏はこん立成る 是から段々興福寺のぐはんごじのと 大工の秋が入てくる近年にないつかみ取り 是と
いふも番匠の始り太子様のお影 此度七堂がらん修復に付き 大工中間一統に手間を御きしん
申すが めい/\の冥加の為 一年に六日づゝあたま役に廻つてくる おらがばんに当つたら戻りみ
やげはめいぶつの ほしかぶらかふてこふと笑ひもごつとはれ渡る


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雨のあしもと よは/\とたびにあこやが兄弟づれ ぬれみかはきみすけ
笠の辻堂にさしかゝれば 互に見合す顔と顔 景清ちやくとエヘン/\ はあ旅のお衆そふなが 雨に
あふてさぞ御なんぎ まあこゝでゆるりつと日のくるゝ迄やすんでござれ おつれもせかずと/\と目
で知すれば呑込十蔵 お詞にあまへて申かねたことなれ共火打があらばおかし下され一ふく吸
付け申たし いや/\火打は持ませぬがよい事をそんじ付た さいわひ有合桧
の切れ きりもみにして進ぜふと道具箱あぜかへせば ほうばい共口々に いやせだかめがたばこの火
で旅の女中こまづける あの抱た子が目に見へぬかれつきとした男をはなの先に置ながら に

づくりかける大たん 猫のごきへお見廻い申す鼠じや迄 それ/\猫で思ひだした口明いている蚶(あかゞひ)へ ほでぼし
をつゝこんで迷惑するを見るやうな 構はずと置いてこいと笑ふて 皆々立かへる 跡は三人詞も口々 ヤア
是はぶじでけんごでよふまめでいて下さんしたと あこやは夫にすがり付きしばし涙にくれけるが なふ此様に
廻り合 御ぶじなお顔いつか見よふとたつた今迄あんぜしに 是と云年頃日頃くはん音様をねんじた
印 一つはいかい兄様のおせわのかひでやゝ迄うみ 親子兄弟一所へよるに付けても母様のと 詞を残すく
もり声 景清外はみゝにも入ず 年よられたる母人 同道なきは第一のきがう して/\子さいは十
蔵殿 されば/\我母女にはまれ成さいご いやもふ是は順の道 子さいはあこやにゆる/\と御聞あれと 愁ひを


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よそにくろむれば 景清ははあハツト膝を打て エゝ残念 某日陰の身ならずば 都に有る内対面と
げ 聟姑の御盃責めていたゞく物ならば 是程には思ふまじと男 涙のくりことに あこやも今さら十
蔵もつきぬ歎きを押かくし 扨まあ何から申そふやら なんぎの内の悦びとあこやが平さん あたり近所
の介抱にて漸とすくだゝせ うぶすな詣でと偽り京はずいとぬけたれど 貴方のゆくえあふみと斗
どこをしやうどゝ思ひしにふしぎにも廻り合天道の御恵 此上の珍重はあいらしう生れた此子
手渡し申すが我々がみやげ 指(しゞ)似を置いてきたはそこもとのさいくのわざ アレあのやうににこ/\
と 笑ふ程にそだて上たは伯父がじまん 是斗は恩にきてもらはにやならぬと笑ふて見す

れば 其元への御礼景清が口では申さぬかくの通りと 頭を下げ手をつかへ 扨でかしたはあこやが心
底 六はらへ引出され拷問にあふぞとは 人の噂に聞つれ共心に悔む斗にて 憂きめをすくふしがく
もなく 無念の月日をくらせしが 今日只今めぐりあふは操の徳あつぱれていせつ過分/\ なふ其お
詞たつた一つ聞ふ斗のしんぼう つれそふ女房に過分とは勿体なや忝なや此子も心に悦ぶやら
ちゝうまそふに呑でいる 顔見てやつて下さんせと 云ぞいもせの誠成 景清重?是なふき
かれよ 某が日頃の願望追付成就の幸有 此長浜のかた辺り 根井太夫大弥太がいん居屋
敷へ 源のよりとも上洛の次手に立よらんとの風説 聞とひとしく飛立斗 何とぞ根井がふしんに


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入込 ことの様子を伺はんと思ひ付くより俄大工 すうきを以て此程より毎日ふしんにやとはるゝは 身の
幸と悦ぶ矢先 かた/\゛に廻りあふもふしぎの吉さう 思ひこんだら念を以て根井がやかたのあん内覚 や
す/\狙ひ頼朝が首取て平家に手向けん 七兵衛がつもりぶしんたゝみこんだる胸の一図気遣有なと
語るにぞ ヲゝいさぎよし頼もししそれに付て十蔵が 一つの計略思ひ付きたり 是より某東国へ趣き
頼朝が上洛の道中へ出つくはし 悪七兵衛景清となのつて狼藉に及びなば 供先しゆごの
大小名我討とらんは必定 景清は亡びしと頼朝も心をゆるし根井が館に入来らん所を狙ふ誠の
景清 本望をとげいはゞつながる縁の某迄 友に高名の数に入り武士の大けい是に過じ あこやを

御身に渡す上は とかくの噂隙づいえ是より直に罷立妹さらば景清おさらば ア天晴の心ざし身をす
てゝの親切 此上はとゞむる共とまらぬ気質の十蔵殿 旅立の餞(はなむけ)せんと道具箱の底よりも かくし
置たる一こし取出し いなか大工の七兵衛が嗜み道具のだん平物 鎌倉表のふしんのはれさいてござ
れと指出せば 忝しと押戴き こしにぼつ込譲りの道具 さいくは流々侍の名を 万天に上げぶしん
いさむ心の内ぶしん追付手がらを立揃へ 家(や)わたりがゆのまめの数くひ当 高名せんと
なも似れば形も似る 二人か姿えんのつる 瓜を二つの景清十蔵立別れてぞ「行く水の さゞ波の
国共読みし近津(ちかつ)うみ 所の名さへ長浜と御代を祝ひし家造り るじの心広庭に うつし植たるいと


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さくら今をさかりとはびこりし ねんいの太夫大弥太がいんきよと
いへといにしへの かた気はのこる大みやうふしん かずく多き作事の
内かこひはあるしのものずきとて ものにねんしやのねにの太夫
こしもとはしたに手つたはせ 手づからむすふかへ下地 ヲゝヲゝ是でよし
ず こゝへ一本あを/\と此竹 節の付やうが至極/\ こりやできた面白いと きげんにこ/\わらひなば
しやんと結んでふつつり鎌 既に指をやらふとしたと指置ば口々に 遊ばし付けぬ下々の手わざ お
慰みとは云ながらおけがゝ有ては お姫様のおきもじもふ是でお仕廻い遊ばせ ムウわいらがことの道理を

知らぬによつてさ 此度のふしんはな 忝くも鎌倉殿御上洛の御次手 此ぢいが隠居へおこしかけらる有
がたさ がへ下地ても自身にするが 責てものもてなし もちつとじや手つだへと 又云付る主命に
いや共いよすたづさへて しんきしの竹 斑竹 まとふかつらの永き日も はや九つかふしんはの 拍子
木かち/\昼休み槌も ?斧(ちよんの:釿)もしづまれば ムゝウふしん小屋の昼食じぶんな ばん迄もかゝろふと思ふ
た此窓 半日にははかいき/\ 扨此かべはどのさくはんめに云付ふぞ すきやの上ぬりはれの物と独りつぶや
く目通りへ 小ごしかゞめて慮外ながら 此かべをぬらんず者 拙者ならで外になしと こてひらめかしすき
み口かべ訴訟とぞ見へにける 有あふ女中せうしがり是々かべぬり 殿様のおそば近ふ づきんもとらず憚り


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千万下がりや/\ ハゝアさすが女中とて物の作法知らずじやな 若衆の紫ぼうし嫁御寮のわた帽
子こも僧のあみ笠 さくはんのづきんはぬぐがぶしつけぬがぬが礼義でござりますと 云に大弥太打う
まづき是はさもあらんこと して其方は此間に見なれぬ者じやが けふ初めてのさくはんか 得手我やうな
ひやうげ者は口ばつかりでさいくはあか下手 かこひの上ぬりがてんがいかぬ 是はお情ない御一ごん 正真の
口も口手も手と申すは拙者かこと 先御さいくの下地窓 見た所が地黄丸屋のかんばん形水のへり
によござりましよ よしずのもやうはくづれがうし 此取合にはあつさりとあさぎか桔梗か丁子茶か 栗
梅花色濃鼠と 云ならぶればだまりおろかしましい ふしんも未だみてぬ内くづれがうしとはいま/\しい

あいつあすからよせなといへと 以外のぶきげんに いはれぬすきやのかべぬろより 昼めしのしらかべこぼつたが
百くはんましと さくはんはぶしゆびに内に入る 大弥太元より昔人ひたすら気にやかゝりけん ヤイめらう
めら 此窓打こぼつてしまへ 早く/\と叱りの声おくへもれてや 娘の白梅する/\と立出 何ごとをお気
にちがひとゝ様にお腹立させます 是と云も自がおそばにいなんだ第一の誤り 様子は知らねど御きげん
直され おこゞの御ぜん気をかへてわたしが部屋の庭のつゝじ さいたもあればあかぬのも有が一種の御肴 さゝ
ごと初めてお遊びと物和らかにわぶるにぞ 子にほださるゝ親心 顔色直してヲゝそりや気が替つて
宜かろふ 惣じて心にかゝることはいはひ直しが大事の物 いやそれに付て思ひ出した あまた入来る大工の


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中 人にすぐれて背の高い男め つく/\゛見るにさいくの手ばやさ 万事物なれたやつと見たそいつよべ 此
窓の祝儀祝ひ直させ心よふ酒呑ふ其大工よんでこよ はつとこたへる返事の内お召なさるゝせ
たかめは 私でござりますと出合頭の拍子よふ鉢巻取てつくまへば あれ見たか白梅 先追取てき
てんきゝこりや背高近ふよれ 其方が育ちから都の生れとめきゝしたが 此あふみへはなぜにきた
是は有がたいお尋 もと私はひだの国の出生 幼少のじぶんより五畿内をへめぐりてきよねん
より此おくにへ引こして参りしが 此度の御ふしんは 頼朝様のお成おやらお出とやら 其御
造作にやとはるゝは大工冥加に叶ふた有がたいことゝ存てみぢんのらを仕らず一ふくのむたば

こを半ぶくにげんじて一むじんにせい出しますれば 其御ほうびに小作料は五人前づゝ御拝
領頼上ると願ける 成程/\其方が云取り 忝くも鎌倉殿 御光臨有べきと仰下さる有がたさ 過ぎし
頃つるが岡の八幡宮 御造営の御時忝くも頼朝公 神への御馳走とて御手づから石をはこび砂
を持だんかづらを築き給ふ 其ためしを思つてな 身も手づからの下地窓を差別(しやべつ)も知らぬさくはんめがむだ
口 いかにしても心にかゝる祝ひ直してくれまいか 是は/\お安い御用 靍が岡のえんにつれて 此窓は亀の形 万
年のよはひにて 内のよしずは吹よせがうしふうきをよせると云心 お庭の花はいと桜むすびを永ふ頭(かしら)
をうなだれ下々が なびき従ふまつ盛り おめでたふ存ますと祝儀をのぶれば できた/\こりや嬉しい


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ヤレ女子共此大工 勝手へともなひ料理くはせ酒呑せい 身もひるね酒過ごそふ 白梅こよと打つれ
てほた/\悦びおくに入る サア御意の出た大事のお客殿様の御きげんの ひづみをなをす大工様つゞくりぶ
しんの名人と 女中のおどけにぎ/\敷だい所へぞ通りける うしと見し 昔を今はしたひ草 世を忍ぶ草
しげる身のうきか中にもつまや子を心一つの宝の玉 あこやが名のみかひもなくからきせたいをしほ
たらと子持姿に古の 端手をくろめるおかたぶり ひる間の弁当夫の為 はこぶ心ぞ誠成 ふしん
小屋さしのぞきさいくばをまだ仕廻ずかと おくを見入て伺ふ中 おだい所の御馳走に顔のひより
もよいきげん いそ/\と出てくるはコレこちの人じやないかいの ムゝ女房共か ぼんかよふきたなあと手を取り

て 是は/\きついねつ ぐはんじでも呑したか 此様なことなら昼めし持てくるには及ぬ 子の育て様が大よそな い
らいをきつとたしなめ/\ なふひよんなこと云お人 どのやうな宝にもかへまいと思ふて 育て上げるめうとが楽しみ
そまつにするとはなけれ共 広いせかいをせまふくらし大事をかゝへたぬしのお身 大工のかげうはぜひも
なく朝の内を出しましても どふかかふかとあんじられ昼の日あしを待かねて 弁当急ぐも顔見たさ サア
きげんよふまいつてとふろ敷包取出せば いや/\けふは昼めし入らぬ 思ひがけもないことが殿様の御意に
入り おだい所へお召なされ結構なおふるまひ 諸白(もろはく)を引受/\近年のえよう こちとが内のたんほ酒
うりばのちりとはちがふた物と いふ顔つれ/\打守り いとしぼや時世とて心も詞もしな下り むかし


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には似ても似付かぬなりかたち 思ひ出せばあぢきなや 人々多い其中に御一門の用ひもつよく 酒
えんらんぶの座敷にもかたをならべ膝を組み さもうらやまれたりし身の ほんにきりんも老いぬればどばに
おとりと云たとへ 人に手をさげきげんを取りわづかの酒をたふとがり 諸白のうりばのと昔は夢にもいはぬ
詞 覚さしやつた悲しさと 思はずかこついき涙 ヤイこりや何をばかつくす 人にいせんを芳し
がらそと 男の外聞つくらいの僭上置いてくれ けれう誰も聞かねばこそ むだ口やめて早ふ
いね道でおいどをつめられなと おどけにまぎらしめづかひの いねよ/\に女
房は娘を抱て立かへる おくより主のこへとして さいぜんの大工それにいるか せだか

/\と呼かけて庭に出れば ハツ是は殿様 御用いかゞと畏る 最前女子共へ云付た 御殿へ見こす
くらの窓のめふさぎ いかにしてもうつとし 成程其義は御意の趣おだい所で承はる 申さば
わづかのはしたしごと明朝でも致しましよ いや/\ 手寄りは気がいらつけふ中にしまつてくれい
其義なら只今と形に似合ぬ尻がるさ かしこに置たる道具箱しやんとかたげて脚代(あししろ)の 十
二のはしご大またげ のぼる大工はさもなくて見上り老のあぶながり 心ぐれつく丸太の上 板は幾
重のかけはしを遥か おくへと歩み行 大弥太ほく/\打うなづき 上の小袖ぬぎ捨れば下に腹巻ぐん
ばの出立 袂よりよぶ子のふえ取出しふき立れば相図に従ふ日よう大工上ばりかなぐり立出る


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姿はゆゝ敷武士(もののふ)のこしにとりなは十手たづさへ大弥太が前にいならんだり つゞいて内より娘の白梅
取なりしやんと玉だすき 長刀追取すうわりのこしももすそも引しめて 心を配る二(ふた)かはめ りゝ敷
も又なまめかし 大弥太勇む顔ばせにて ヲゝいさぎよしかた/\゛ 本国しなのゝよしみを忘れず 愚
老がさしづに姿をやつし 力と成て給はる段祝着せりと礼義をのべ 扨此間心を付けてためし見る
彼の大工 最前かれが妻女とて用有げに来りしが 昔をしたふ詞のはし疑いもなき悪七兵衛景
清と立聞に知たる故 ふしんにことよせ脚代へ上げ置たり 年頃日頃親子が願 夫の仇聟の意
趣はらさん時節到来せり 不便や聟のみおのやが未だ此世にながらへいて かくとつたへ聞くならば嘸

ほいなくも口おしからめ とは思へ共手に入る敵やみ/\と逃しなば 月夜に釜のぬかり武士と世上のそしり
はづかし/\ ばん年はかねて定め置くはやふんごめと下知するにぞ 心は一致の信濃育ち きそのかけはしそれならで
のぼるはしの子村鳥の 羽音もかくや脚代の ふみどもしどろによせかくる 悪七兵衛景清は 心に兼?(る?而・て?)
もうけの敵土蔵をこだてにつゝ立て ヤア物々しやことおかしや 景清をからめんとは大黒程を蟻の
鬚と あざ笑ふすきまを見て とつたとかゝる一番手 はつしとけられころ/\/\ 高甼(かうばい)するどき瓦やね巴に
ならんで三方より かけよればまつかせと ?斧(ちよんの)にちよんと首とんで こけらを風の吹敷ごとく遥かに
投げて鑓鉋 のがさじ者とひよつと出の あたまはつしとさい槌に めを白くろとみつめぎり 此世の息をはなし


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のみ 手並にかなづち鋸の 目に立つ相手もあらばこそ 一どにどつとむらがるを 当り任せにひつ掴みばらり/\と投げ
ほふるは 大工のわざとて棟上げのもちまきちらす「ごとく也 大弥太今はたまりかねヤア娘我に続け 悪七
兵衛景清が鬼神(おにかみ)にてもあらばこそ ヲウヲとゝ様そふでござんす 人と人のせうぶづく命を捨ばやすかり
なんと 親子うなづきはしの子にかけ上らんとする所 しばし/\根井殿御待やれと声を懸け おどり出るはいぜん
のさくはん 大弥太いらつてヤアくはんたい成る妨げやつ おのらが出る場所にあらずしされやつといかるにぞ ヲゝ
なのらねば実に尤 かく申す某こそ 聟舅の契りをなし置くみおのや四郎国時と 詞も引かぬにはつたと
ねめ付け しら/\敷紛れ者 儕誠のみおのやならばとくよりもなのつて出 悪七兵衛景清をからめんと

思ふ気はなくて 三里下がつてみおのやとは ムゝウ聞た/\ 扨は景清が一族な 我々に心をゆるさせ此場
を遁さん計略 娘かまふな捨置けと又かけ出すを抱き留め御尤の御詞 付狙ふ景清と名を聞な
がらためらひしは 知ろし召さずや日本に悪七兵衛二人有り 内一人は似せ者にていばの十蔵と云おのこ
様子をかたればこと長し其じつふをたゞさん為 最前よりさし控へことの様子を伺ふに がうきの働き手並
の程 正真の悪七兵衛に極つたり 然る上はみおのやがぶうんを開くはこゝぞと思ひ 罷出たる某が誠の
出立御らんあれと かなぐり捨るたちつけのしやうぶかはには引かへて せうぶにえき有るはたぎの小具足 我
職にあらぬとて脛当兜づきんをおほひたる下は誠のほし甲 錣はきれてと諷はれし 名は源平に隠れ


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なきみおのやとこそ知られけれ 白梅嬉しさ飛立斗 扨はお前がみおのや様 縦(たとひ)御身の恥辱は有共つれ
そふ女房に何遠慮とくにありかもお知らせ有 まめでいる気遣すなとつい一筆の便りして 落
付かせふと云気もなくあんまりまきづよさ聞へませぬとかきくどく 尤の恨みながら 悪七兵衛景
清に廻りあはざる其内は面目もなきみおのやと忍びくらせしかひ有りて 今日只今景清に参り
あひしが結ぶの神 運つきて討つゝ共みらいの契りたがへじと 云に悦ぶ父の大弥太頼もし/\ 其詞が取りも
直さずこん礼の盃 我手に入た景清を御邊に任すが聟引手 舅が寸志受取給へ ハア忝
き御賜 祝納めるえんのつなと とりなはたぐり大音上 かづさの七兵衛景清はいづくに有る 去る元暦の戦い

げんざんしたる源氏の武士 みおのやの四郎国時 汝に廻りあはん為かりにやつしのさくはんがこてさき ゆうき
のあらかべ打こぼち 三寸なはにくゝり上んかくご/\と呼はつたり 景清こらへず進み出 珎しやみおのや 昔の弓
矢引かへて汝も我も職人わざ くらの鉢巻引しめて首の骨こそつよく共 此七兵衛が腕先に受
取りぶしんの力わざ 手並の手間ちん覚あらん猶も恥辱の上ぬりせよと 互に打よる身のかまへ 眼を配り
気を配り ふむ脚代のだんのうら 八嶋の戦い今こゝに見るやと斗「いどみ合いしばしせうぶも 付ざりし
が互にひつくむ脚代の 板ふみくだき広庭へどうど落たるはづみの拍子 景清上に重なりしをえい
やとかへすみおのやが 一念力の一筋にからむるなはゝゆうしのいぢ時の運命ぜひぞなき 誰かはかくと告げ


89
たりけんつまのあこやかひ/\゛敷 幼子せなにしつかと負ひ 上おびしめて腰刀息をはかりにかけ付しが夫
のなはめに目もくれて胸は涙のやみながら そも何者のしわざぞとあたりを見廻し ヤアこなたはみおのや殿
京からくだり先々へ付て廻つて聞へぬ人 又ぬつぺりの口上手にこちの夫をたばかりしか サア千も万も入ぬ あの
なはといて主返しや いやかおふか返事次第おなごがさいても刀は刀 かくごの魂違ひはないと反りを打てつめ
かくる みおのやさはがずさすがは女血迷ふたな 都いて逢し時景清に廻りあはゞ 必ず本望とぐるぞ
よとつがひし詞忘れしな 何ことも定る運と思ひ明らめはや帰れ いや/\明らめまい 恩も情も
義理も法も 夫には替られぬとすらりとぬいて打かくる どつこいさせぬと白梅が 中にへだつる

長刀の鎬(しのぎ)をけづる女どち 悪七兵衛立上り たゝかふあこやに押隔り 後手ながら引すゆれば なふ情
なや景清殿 此期に及んで妻子の命かばふてのしわざか 責て女の念はらし針でついた程成り共 みおのや
に手を負ほせ 死たいわいのとはがみをなし身をもだへたる叫び泣き さすがの景清もてあつかひしばし あぐみて
いたろそが ヘツエぜひもなや面目なや 某息の通ふ中詞には出さじと 思ひ極めしことながら是成女が旁
を 敵よ仇よと付けめらひ 道に背かん不便さに子細を語る聞てたべ 何なふみおのや 御へんは弟 こりや我は兄 一
腹一生の兄弟成るはと云に人々顔見合是はと 驚く斗也 みおのや更に信用せず 我父母に離れしは
八さい はや東西も弁へたれば 対面はあらず共兄有りと云こと噂にも聞べき筈 いか様子細もあらんが


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先父母の住所各字けいづはいかに/\ ヲウ父の名は愛甲の太郎国久とて源氏武士の牢人 母の氏は平
家の侍上総の一統 住所は相州みおが谷(やつ) 其時我は十一さい御邊は二さい 母のゆかりのかづさの家より
某を養子にせんとひたすらのこんぼう 父国久の仰には よしみ有るかづさの家 筋なきことゝ云にもあらず養
子と成て平家に仕へよ 去ながら 今より後は親子兄弟音信普通 それをいかにと云に 二さいの弟が
人となり父が名字を受つがば 兄弟源平と引わかれ 一せんに及ん時平家の方に兄有りと知れならば おん
あいにせまり義理に迷ひ 思はぬふかくを取りもやせんと 行末思ふ親のじひ弟が為と思ひ 一生不通にして
くれるが 却て親への孝行と 理に当りたる父の詞我はそれより平家と成 御身は未だ二さいにて何弁も

あらぬ上 父母深く隠せしなれば兄弟有り共知れぬ筈 我も御身の面体は覚ず愛甲の家の名字
改めしとは元より知らぬ 簑尾谷四郎を弟と 知たるせうこはこりややい女房 我懐の包人々にみせて
くれよと取出させだんのうらの戦いに引ちぎつたる兜の錣 我高名の印ぞと取て帰り能みれば
うら書に記せしは弓矢神の御託宣 八幡座より錣迄書き下したる父が筆 即愛甲の名字の因
縁 あいする甲は家の重宝是を着せしみおのやは 我弟にて有りける物をあゝらよしなき手がら逹てと 悔む
にかへらぬ浦波のあはと消行く平家の果 我一人残りしは運つよき景清 頼朝を討つべしとふてきにも思ひ立ち
こんきを砕くにかひもなく無念の月日をくらす内 みおのや四郎国時が我を狙ふて尋ると是成あこやが


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物語 つく/\゛思ひ廻らせば 実(まこと)の父がかたみと云い広い天地の其中に たつた独りの弟憐れをかくるは兄の道
所詮頼朝を討ちたるとて昔の平家と取立る公達とてもあらばこそ 此上は我身を捨て弟に高名
させ 弓矢の家を起させんと 思ふに幸いえんを引たる此やしき 御邊に尋あふ物か二つには又運に叶ひ
頼朝に出つくはさば 本望とげんと入込し 鎹じあんのぬけめなく廻りあふたる我弟 命をおしまぬ働きを
かんぜし故に景清が ほうびのなはめに及びしぞや 只今かへす其錣兜に継て家も継 手がらはかゝ
やくほし兜と武士の名をはらしてたべ 此上に兄成りとてなはをとかば直にかん当 他人と成景清取逃しては恥
辱に恥辱 重るが合点かとうら釘かへす詞詰心にこたへて頼もしき みおのやはつと飛しさり頭を地に

付け涙をながし 親の御じひ兄上の御情何と報ぜん詞もなし 知らぬ上とは云ながら勿体なくも組伏せて 昔の武
士に帰らんと笑みを含みし浅ましさ 六度契りて兄と成り恵も有に弟は七度の結びなしもせで 結からむるし
ばりなは 天の照覧空恐ろし よし御かん当あらばあれ いでいましめをと立よればふり放つて愚か/\ 弟と知らず
兄と知らず 知らぬ昔は帰らぬ道 互の因果はあざなえるなはめと思へば悔みもなし 女房ももふほえな 兼て
かくと語りなば 心落さん不便さに是迄はかくしいたり 鎌倉へ引れなば大方永い別れならん 何云残す
こともないが娘を無事にと斗にて よそめ遣ひにまぎらす涙あこやはとかうの返答も 泣沈みたるうき
思ひ さつしやりて白梅がわたしがなはをときますれば どつこへもさはりはなしと又景清に取付けば ヤア小ざかしき弟嫁


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此なはといて侍捨させ 誠のさくはんと成り下らせ 土に夫の顔よごせか 一時も早く鎌倉へ伴へやつと立上れば 情ない兄
人 某が身にも成り思ひやつとかきくどく 聞分けもなきおのこ イヤ御身こそ聞分けなしと 争ひ果てしも嘆きに沈むは二人の
女房 根井太夫横手を打 仁成る哉義成哉 先刻よりかんるいに目を泣はらし候よ みおのやが心底のせつなさ推
量はしつれ共 景清の心ざし深きしだいは却て不孝 責ての恩を報ぜんはあこや殿を身に引受 幼き娘を養
子とせよ此大弥太が初(うい)の孫 時しも三月十八日 けふの祭の神堅く人丸姫と名を呼びて 育てる老の楽しみと歎き
の中の悦び顔 景清あつと頭をさげ 頼もしき御詞望はたりて一門一家 廻り合たる月も日も其元暦
の八嶋の戦い 取も直さず三月の十八日信ずる仏の御えん日 臨刑欲寿終念彼くはん音の力をえんこと疑いなし

急げや急げと先に立ち いさむはなは付きなは取りは 心しほれて行かぬる あこやは夫に恥らいて涙呑込むくもり
声幼き娘を 抱上是なふ今のとゝ様が 鎌倉へござらしやるめでたふ頓てお帰りと さそふ/\してたもふ 
其次手にもとのとゝ様顔の見おさめ見せおさめ 永いさらばのさそふをしやと 我身の心かこつけの 詞も涙にむ
せび入り身を打ふして歎くにぞ かゝるあはれに大弥太も涙たゝゆるしば/\め 浮世の中に武士程義理の悲しき物は
なし 云たさ泣きたさこらゆるつらさ なぜに二人は腹からのさくはんや大工に生れなんだ 職人の身ならばなあこふし
たことは有まい物と さすがは老のくりことに 白梅あこやも顔見合 つゝみかねたる歎きの声わつと涙のいと桜
庭の立木にまがふらん 景清わざといかりをなしヤアみれん也愚也 源氏そだちの侍は会者定離をも


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わきまへず さい子を忘れ親を忘るゝ弓矢の義心も知らざるか恥とも思はずやと声あらゝかに
いひはなせば 大弥太歎きおしとゞめげに誤つたりそれよ/\ 音に聞へし景清を からめ取たる簑尾
谷がほまれはくちせぬ石だゝみ 根井の太夫が家名をつげとかどん出ことふくことのはに 深き涙を
忍びのお兜もむかしに立かへる 錣のほしの花の兄 かつ色見する御恵といさみ立たる匂ひ鳥
つらなる枝に若木の花嫁老木の松にみどり子の いたいけ盛り見残しておしむや春のほし月夜
                          鎌倉 さしてぞ急ぎける