仮想空間

趣味の変体仮名

心中天網島 中之巻

 
読んだ本 https://www.waseda.jp/enpaku/db/
     イ14-00002-570


19(左頁)
   中之巻
ふくとくに あまみつ神の名をすぐに 天神ばしと行通ふ 所も神
のおまへ町いとなむわざも紙見世に 紙屋治兵衛と名を付て
ちはやふる程かいにくる かみは正ぢきしやうばいは所がらなりしにせなり
夫がこたつにうたゝねを枕びやうぶでかぜふせぐ そとは八十夜の人通り
見世と内とをひとしめに 女房おさんの心くばり 日はみじかし夕めし
時市のかは迄使にいて 玉は何していることぞ 此三五郎めがもとらぬこと


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かぜがつめたい二人の子共はさむからふ おすえが乳ののみたいじぶんも
しらぬ あほうには何が成しんきなやつじやと独りこと かゝ様ひとりもどつ
たと走帰る兄むすこ ヲゝ勘太郎もどりやつたかお末や三五郎は
何とした 宮にあそんでちゝのみたいとお末のたんとなきやりました そう
こそ/\ こりや手も足もくぎに成た とゝ様の寝てござるこたつへ
あたつてあたゝまりや 此あほうめどふせふと待かね見せにかけ
出れば 三五郎たゞひとりのら/\として立帰る こりやたわけお末は

どこに置て来た アゝほんにどこでやらおとしてのけた たれぞひろ
たかしらん迄 どこぞ尋て来ませうか おのれまあ/\大しの子を
けがでもあつたらぶちころすと わめく所へ下女の玉お末をせなかに
おふ/\いとしや 辻に泣てござんした 三五郎もりするならろくにしやと
わめき帰れば ヲゝかはいや/\ ちゝのみたからふのとおんじくまつにそへ
ぢして 是玉 其あほうめおぼへる程くらはしや/\と いへば三五郎かぶり
ふり いや/\たつた今お宮でみかんを二つづゝくらはせ わしも五つくらふ


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たと あほうのくせにかる口だてにが笑ひする斗也 ヤあほうにかゝつて
わすりよとした申々おさん様 西の方から杉屋の孫右衛門様とおばご
まさ つれ立てお出なされます 是は/\そんなら治兵衛殿おこそ
なふ旦那殿おきさしやんせ はゝ様とおぢ様がつれ立てござるけな
此みしかい日にあきんどが ひる中にねたふりを見せては又きげんがわる
からふ おつとまかせとむつくとおきそろばん片手に帳引よせ 二壱天作五
九引か三ちん六引が二ちん 七八五十六に成おば打つれて孫右衛門内に入

ば ヤ兄じや人おぼ様是はよふこそ/\ 先是へ 私は只今急なさん
用にいたしかゝり 四九卅六匁三六が壱匁八分て二分の勘太郎よお末よ
はゝ様おぢ様お出じやたばこぼん持ておじや 一三が三それおさん
おぢや上ましやと口ばや成 いや/\ちやもたばこものみにはこぬ
是おさん いかにわかいとてふたりの子の親 けつかうな斗みめではない 男
の性のわるいは皆女房のゆだんから しんだいやぶりめをとわかれする
時はおとこ斗の恥じやない 少めをあいて気にはりをもちやいのと


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いへば おば様おろかなこと 此兄をさへだますふかくご者女房のいけん
などあたゝかに ヤイ治兵衛 此孫右衛門をぬく/\とだまし きしやうまで
かやして見せ十日もたゝぬに何じや請出す エゝうぬはなあ 小はるが
しやくせんのさん用か おきおれとそろばん追取にはへくはしりとなげ
捨たり 是は近頃めいわく千万 せんどより後今ばしのといやへ二ど
大神様へ一どならではしきいより外出ぬ私 請出すことは扨おき
思ひ出しも出すにこそ いやんな/\夕部十夜の念仏にかうぢうの

物語 そねさきのちや屋きの国やの小はるといふはくじんに てんまの
ふかい大じんが外のきやくを追のけ すぐに其大じんがけふあすに
請出すとの是ざた うりかい高い世の中でんもかねとたわけはたく
さんなと いろ/\のひやうばん こちのおやぢ五左衛門殿つね/\名を聞ぬい
て きの国やの小はるに天満の大じんとは治兵衛めに極つた かゝの為
にはおいなれどこちは他人娘が大じ ちや屋者請出し女房はちや屋へう
りあらふ きるいきそけにきづ付られぬ間に取かへしてくれうと く


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つぬぎ半分おりられしをなふそう/\゛しいしんべうにも成ことを あ
かさくらさ聞とゞけてうへのこととをしなだめ 此孫右衛門同道した 孫え
もんの咄にはけふはきのふの治兵衛でない そねさきの手もきれほん
人間の上々と きけば跡からはみ返るそもいか成病ぞや そなたのてゝご
はおばが兄 いとしやくはかよ道せいわうじやうの枕を上 むこ也おい也
治兵衛がこと頼むとの一ごんはわすれねどそなたの心一つにて頼まれし
かひもなひわいのとかつはとふして恨泣 治兵衛手を打 ハアゝよめた/\ 取

ざたの有小はるなれど 請出す大じん大きにさうい 兄き
も御ぞんじ先日あばれてふまれた身すがらの太兵衛 さいしけんぞくも
たぬやつ かねはざい所にたみから取よする とつくにきやつめが請出すを
私にいさへられ 此たびじせつとうらいと請出すに極つた 我ら存も
よらぬことゝいへばおさんも色をなをし たとへわたしが仏でも男がちや屋
者請出す 其ひいきせうはづがない 是斗はこちの人にみぢんもうそは
ないかゝ様 せうこにわしが立ますと 夫婦の詞わりふもあひ扨は


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そうかと手を打ておばおい心をやすめしが ムゝ物には念をいれうこと まづ/\
嬉しいとてもふ心落付為 かたむくろのいやぢ殿うたがひの念なき
やうにせいしかゝすがかつてんか 何が扨千枚でも仕らふ 弥満足則道にて
もとめしと孫右衛門くはい中より くまのゝごわうの村がらすひよくのせいし
引かへ 今は天ばつきしやうもん小はるに縁切思ひ切 いつはり申においては
上はぼん天たいしゃく下はしだいのもんごんに 仏そろへ神そろへ紙や治兵衛
名をしつかり 血判をすえて指出す アゝはゝ様おぢ様のおかげでわたし

も心落付 子中なしてもついに見ぬかためこと皆々よろこんでくたさんせ
尤々此気になればかたまりあきなひこともはんじやうしよ 一門中がせはか
くも皆治兵衛為よかれ 兄弟の孫共かはいさ 孫右衛門おじやはやう帰
つておやちにあんどさせたい 世間がひへる子共に風ひかしやんな 是
も十夜のによらいのおかげ是から成共おれい念仏 なむあみた仏と立
帰る心ぞすぐに仏成 門おくりさへそこ/\にしきいもこすやこさぬ中
こたつに治兵衛又ころりかぶるいふとんのかうし嶋 まだそねさきをわすれ


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ずかとあきれながら立よつて ふとんを取て引のくれは枕につたふ涙のたき身もうく斗
泣いたる 引おこし引立こたつのやぐらにつきすへ かほつく/\と打なかめ あんまりしや治
兵衛殿 それ程なこりおしくばせいしかゝぬがよいわいの おとゝしの十月中のい
の子にこたつ明た祝儀とて まあ是こゝで枕ならべて此かた 女房のふところ
には鬼がすむかじやがすむか 二年といふ物すもりにしてやう/\はゝさま
おぢ様のおかげで むつまじいめをとらしね物かたりもせう物と たのしむ
間もなくほんにむごいつれにさ程心残らばなかしやんせ/\ 其涙がしゞみがはへ

ながれて小はるのくんでのみやらふぞ エゝきよくもないうらめしやと ひざに
だき付身をなげふしくどき たてゝぞなげきける 治兵衛眼おしのこひ 悲しい
涙はめより出 無念涙は耳から成共出るならば いはずこと心を見すへきにおなし
めよりこぼるゝ涙の色のかはらねは 心の見へぬは尤々 人のかはきたちくしやう
女が なごりもへちまもなん共ない いこん有身すがらの太兵衛 かねはじゆう
さいしはなし請出すぐめんしつれ共 其時迄はこはるめが太兵衛が心にし
たがはず 少もきつかいなされなたとへこなさんと縁きれ そはれぬ身


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に成たり共 太兵衛には請出されぬもしかねぜきで親かたからやる
ならば 物の見ことにしんで見しよと たび/\詞をはなちしがこれ見や
のいて十日もたゝぬ中 太兵衛めに請出さるゝくさり女の四つ足め
に 心はゆめ/\のこらね共 太兵衛めがいんげんこい 治兵衛しんだいいき
ついてのかねいつまつてなんどゝ 大坂中をふれ廻りとい屋中の付合に
も つらをまぶられいき恥かく胸がさける身がもへる エゝ口おしい無念
な あつい涙血の涙 ねばい涙を打こへねつてつの涙がこぼるゝとどう

とふして泣ければ はつとおさんがけうさめ顔 ヤヤウハウそれなればいとし
や小はるはしにやるぞや ハテサテなんぼりはつでもさすが町の女房じや
の あのぶ心中者なんのしなふ きうをすえくすりのんでいのちの
やうじやうするはいの いやそうでないわしが一生にいふまいとは思へ共 かくし
つゝんでむざ/\ころす其つみもおそろしく 大じのことを打あける 小はる殿に
不心中けし程もなけれ共 ふたりの手をきらせしは此さんがからくり こな様
がうろ/\としぬるけしきも見へしゆへ あまりかなしさ女はあいみたがひごと


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きられぬ所を思ひ切夫の命を頼む/\と かきくどいたふみをかんじ
身にも命にもかへぬ大しのとのなれど ひかれぬ義理合おもひ
切との返事 わしや是まもりに身をはなさぬ 是程のけんぢよが
こなさんとのけいやくちがへ おめ/\太兵衛にそふ物か おなごは我人一む
きに思ひかへしのない物 しにやるはいの/\ アゝアゝひよんなことサアサアサどう
ぞたすけて/\と さはげば夫もはいもうし 取返したきしやうの中しらぬ
女のふみ一通 兄きの手へわたりしはおぬしからいたふみな それなれば此小

はるしぬるぞ アゝ悲しや此人をころしては 女どしのぎりたゝぬまづこな
さんはやういて どうぞころしてくださるなと夫にすがり泣しつむ そ
れとても何とせん半がねも手付を打 つなぎとめて見る斗 小はるが
命は新銀七百五十匁のまさねば此世にとゞむることならず 今の治
兵衛が四つ三貫匁のさいかく 打みしやいでもどこから出る なふきやうさんなそ
れてすまばいとやすしと 立てたんすの小引出し明ておしげもなひま
ぜの ひほ付ふくろ押ひらきなげ出す一つゝみ 治兵衛取上ヤかねか しかも新銀四百め


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こりやどうしてと我置ぬかねにめさむる斗なり そのかねの
出所も跡でかたればしれること 此十七日いわくにの紙のしきり銀に
さいかくはしたれ共 それはけんごとだんかうしてしやうばいのおは見せぬ 小
はるの方はきうなことそこに四々の壱貫六百匁 ま壱貫四百匁と 大引
出しのぢやう明てたんすをひらりととび八丈 けふちりめんのあすはない
夫の命しらちやうら 娘のお末が両面のもみの小袖に身をこが
す 是をまげては勘太郎が手もわたもないそでなしの はおりもまぜて

ぐんないのしまつしてきぬあさきうら くろはふたへの一ちやうらぢやう
もん丸につたのはの のきものかれも中は内はだかでもそと
にしき 男かざりの小袖迄さらへて物数十五色 内ばに取て新銀
三百五十匁 よもやかさぬといふことはない物迄も有顔に 夫の
恥と我ぎりをひとつにつゝむふろしきの中に なさけをこめにける
わたしや子共は何きいでも男はせけんが大じ 請出して小はるもたすけ
太兵衛とやらに一ぶんたてゝ見せてくださんせと いへ共しぢうさし


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うつむきしく/\泣ていたりしが 手付渡してとりとめ請出して其後
かこふて置か内へ入るゝにしてから そなたは何と成ことぞといはれて
はつと行あたり アツアそうじや ナテなんとせう子共のうばか まゝた
きか いんきよ成共しませうとわつとさけびふししづむ あまりに
めうがおそろしい此治兵衛には親のはぢ天のはぢ 仏神のはぢは
あたらず共女房のはぢ一つでもしやうらいはようないはづ ゆるして
たもれと手を合くどきなげゝばもつたいない それをおがむことかい

の手足のつめをはなしても 皆おつとへのはうかう紙といやのしきり
かね いつからかきるいをしちにまをわたし わたしがたんすは皆あきがら
それおしいとも思ふにこそ 何いふても跡へんでは返らぬ サア/\はやふに
袖もきかへてにつこり笑ふていかしやんせと 下にくんないくろはふたへ嶋
のはをりにさやの帯 金こしらへの中わきざしこよひ小はるが血にそむとは
仏やしろしめさるらん 三五郎爰へとふろしきづゝみかたにおほせて供につ
れ 金もはだ身にしつかと付走出る門の口 治兵衛は内においやるか


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とけづきん取て入を見れば なむ三ほうしうと五左衛門是は扨 おりも
おりよふお帰りなされたと夫婦はてんどううろたゆる 三五郎がおふたるふろ
しきもぎ取てどつかとすはりとがり声 めらう下にけつからふ むこどの
是はめつらしい上下きかざり わきざしはおりあつはれよいしゆのかね
つかひ 紙屋とは見へぬ しんちへの御出か御せいが出まする 内の女
房いらぬ物おさんに隙やりや つれに来たと口にはり有にがい
顔 治兵衛はとかふのごんくも出ず とつさまけふはさむいによふあるか

しやんす 先おちや一つとちゃわんをしほに立よつて ぬしの新地通ひ
も さいせんはゝ様孫右衛門様お出なされて だん/\の御いけんあつい涙を
ながし せいしをかいてのほつきしん 母様に渡されしがまだ御らんなされぬか
ヲゝせいしとは此ことかとくはい中より取出し あほうぐるひする者のきしゃう
せいしは方々先々 かき出し程かきちらす がてんいかぬと思ひ/\来れば
あんのことく 此ざまでもぼん天たいしゃくか 此手間でさり状かけとずん
/\に引さいてなげ捨たり 夫婦はあつとかほ見合せあきれて 詞もなかりしが


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治兵衛手をつきかうべをさげ 御腹立(りつぷく)の段尤共おわび申すはいぜんの
こと 今日のたゞ今より何こともじひと思召 おさんにそはせて下されかし
たとへば治兵衛こつじきひにんの身となり 諸人の箸の余りにてしん
みやうはつなぐ共 おさんはきつと上にすへういめ見せずつらいめさ
せず そはねばならぬ大恩有 其わけは月日も立私のつとめかたしん
しやう持なをし おめにかくればしるゝことそれ迄はめをふさいで おさんに
そはせて給はれと はら/\こぼす血の涙たゝみに くひ付わひければ ひ

にんの女房には猶ならぬさり状かけ/\ おさんが持参の道具いるい数
あらためてふう付んと 立よれば女房あはてきる物の数はそらふて
有 あらたむるに及はぬとかけふさがればつきのけくつと引出し コリヤ
どうじや 又引出してもちんからり有たけこたけ引出しても つぎぎれ
一尺らばこそつゞら長持いしゃうびつ 是程からに成たかとしうとはい
かりのめだまもすはり 夫婦が心は今更にあけてくやしき浦嶋の こ
たつふとんに身をよせて火にも入たきふぜいなり 此ふろしきも気づ


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かいと引ほどき取ちらし さればこそ/\是もしちやへとばすのか ヤイ
治兵衛女房子共の身のかははぎ 其かねでおやまふるひ いけどうすり
め女房共はおばおいなれど此五左衛門とはあかの他人 そんをせうよしみが
ない 孫右衛門にことはり兄が方から取かへす さり状/\と七重のとびら
八重のくさり 百(もゝ)重のかごみはのがるゝ共のがれがたなき手づめのだん ヲゝ
治兵衛がさり状筆ではかゝぬ是御らんぜ おさんさらばとわきざしに
手をかくるすかり付てなふ悲しや とつ様身にあやまりあればこそ

だん/\のわひこと あんまりりうん過ました 治兵衛殿こそ他人なれ
子共は孫かはゆふはござらぬか わしやさり状はうけとらぬと 夫にだ
き付声を上泣さけぶこそ道理なれ よい/\さり状いらぬめらうめこい
と引立る いやわしやいかぬあきもあかれもせぬ中を 何の娘にひる日
中めをとの恥はさらさぬと泣わふれ共聞入ず 此上になんの恥町
内一はいわめいていくと ひつ立ればふりはなし小がいなとられよろ/\と よろ
めく足のつまさきにかはいやはたと行あたる 二人の子共がめをさまし


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だいじのかゝさまなぜつれてゆくぢいさまめ 今からたれとね
よふぞとしたひなげゝばヲゝいとしや うまれて一夜もかゝがはだ
をはなれぬ物 ばんからはとゝ様とねゝしやゝ ふたりの子共が朝ふさ
まへわすれず 必くはやまのませてくだされ なふかなし
やといひすつるあとに見すつる子をすつる やふに
ふうふのふたまたたけながき わかれと