仮想空間

趣味の変体仮名

一谷嫩軍記 第五

 

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     ニ10-01008

 


94(左頁)
   第五
魏王は鄭哀(ていほう)が讒によつて美人の鼻を削しむるとかや 征夷将軍頼朝公相
従ふ大小名 岡部六弥太忠澄を初め威儀を正して相詰る 頼朝御簾に向せ給ひ
此度の戦ひに平家の一門西海の浪の泡と消失し事 全く頼朝が武略にあらず 是
皆神明仏陀の御加護と存奉ると卑下の詞も奥床し 平の時忠笏取直し西国
にて源九郎義経平家を悉く討亡し 其虚に乗て兄頼朝も討取一天下を平呑
せんと某をたばかり卿の君を娶り神?(しんじ)内侍所を奪ひ直に鎌倉へ責入ん由急


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告知せん為来つたり 急度征伐然るべしと賢人顔の佞人は いはねと夫と知れける 六弥太聞
兼つつと出 何といはるゝ時忠卿 義経公に限り左様な御所存少もなく腰越迄御出有しを平
山が讒言故鎌倉へも御入なく 直に御切腹召るべきを旧臣の輩押とゞめ我君への取なし
は六弥太か披露承はる 夫に御辺が何しつて控へ召れときめ付れは 時忠も反り打かけ
互に色立見へければ 頼朝しばしとせいし給ひ やおれ六弥太 佞人原か讒言を用ゆ
べき我ならず 義経腰越に屯するは鎌倉をくつがへさんとの手配ならん さすれば弟
迚容赦はならず 討取て我存念を晴すべしと気色かはつて宣へば 時忠は思ふつぼ心の

内に含む笑 六弥太猶もすゝみ寄 然らば義経公誠の謀叛にもなされよ 三種の
神器の内神?(しんじ)内侍所 此二品は先達て義経公の御手に有 帝都を守護しまし
ませは判官軍 それに敵討弓引給ふは朝敵も同前 武備盛なる時は返つて其身を
害すと申 此義いかゞと言上すれば頼朝騒ず ヲゝ其義は某工夫をこらし置たる事
あんなれ共子細は安徳天皇十握の釼を携入水有しと聞より早く 都八条大納言兼
房卿と申合せ 老松若松といふ海士子供を浪間に入て海底を捜させけるに龍宮城
へ奪ひたる十握の御釼を取返し 兼房卿に指上しを御所持有て御下向 頼朝拝諾仕り


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此桐が谷(やつ)へ新御殿をしつらひ将軍の宮と傅き 則此宮より綸旨を乞受 義経の戦
は官軍と官軍のはれ勝負 幸の諸大名一同の出仕 それ/\との詞の中 はつと
領掌謹で御釼の筥を携て 御簾間近く持出る 頼朝公恭々敷宝剣を取
かざり 天顔の恐れ有と玉座の御簾 半ば頃迄巻上れば各々一度に尊教する 時忠大口
明てから/\と笑ひ 頼朝は智仁兼備の大将と聞しに違ひし愚将よな スリヤ誰によらず
宝剣を所持したる者あらば将軍の宮と敬ふかと づつと立寄宝剣取て打折/\
白洲へかつぱと投付れば 是はと皆々仰天敗忘 時忠緩々(くはん/\)と座に直り ヤア騒れそ

頼朝 あの宝剣は紛れもなき真赤な贋物 シテ/\其贋物といふ慥な証拠が ヲゝ
証拠なくて折べきや 宝剣を所持したる者当宮に立ると有故 云聞するよつく
聞け 都にて義経某を招き 何とぞ三種の神宝奪ひ取てくれよと有密の頼 のつ
ぴきならず智略を以て奪取しかど 呑込ぬ義経が心腹故先ず二色は渡したれ共 御宝随
一の宝剣某が肌身も離さず屹度所持せり 疑しくば是見よと懐中より取出せば邊
もかゝやく十握の御釼 頼朝公を初めとして列座の人々一時に あつと恐れをなしにけり 頼朝重ね
て宣ふは 今よりは時忠卿を将軍の宮と仰奉らん ヤア/\諸大名万歳を唱られよと 棟梁


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の臣の一言におmつてうしられ勝に乗 此上は贋宮を引出し面縛させんと ずつと立寄御簾
引ちぎればコハいかに 思ひかけなき判官義経 宝剣奪取もんどり打せ足下にぐつと踏付給ひ
ヤア天命しらずの大納言 安徳天皇宝剣をいだき入水有しと偽りしを 合点行ずと察するに
御辺が奪ひ所持する由 兄頼朝と云合せ様々と心を尽したは 此宝剣を奪返さん謀 サア
尋常に縄かゝれよと仁心深き義経の 詞にひるまぬ横紙破り無念の顔色はがみ
をなし エゝたばかられし奇怪千万 平山と心を合せ儕等兄弟同士打させ 一天下を一呑と
工し事も水の泡 よし/\此上は絶体絶命 命限りに切抜んと太刀ひん抜て切

付る 引ばつて勾欄より白洲へどうど蹴落し給へば 六弥太すかさず飛かゝり高手
小手にいましむる 頼朝心地よげに打守らせ給ひ 国家をさはがす大罪人刑罰屹度
糺すべし それはからへと宣ふ所へ土砂踏ちらしあはたゝ敷しらせの早打かけ来り 扨も平山の
武者所謀叛の工顕はれし故 扇が谷に野陣を構へ此御殿を追取巻き責入んとの
催し故 早速御注進仕ると大息ついで伝ふれば 義経につこと打笑ひ ヤア/\六弥太 扇
が谷平山か陣所に馳向ひ 有無をいはさず討取べし 仰は重き良将の 詞につるゝ岡部の
六弥太いざ打立や尤と 御前に並居る雑兵共 我先かけん/\と勝色見せたるやえ桜


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の 花芳しき弓取の 声もすゞしき軍立扇が谷へと「急けり 平山の武者所
頼朝兄弟誅罰せんと 扇が谷に陣屋をしつらひ士卒を随へ控へいる かゝる所へ
岡部六弥太軍兵引具し真先に大音上 ヤア平山の武者所 汝が悪事顕はれし故此
所に陣所を構へ 御兄弟へ敵せんよし頼朝(らいてう)の仰を蒙り岡部六弥太向ふたり 手に立
武士はおりあへと 高らかに呼はつたり かくと聞より平山末重陣屋より踊り出 ヤア/\岡部
六弥太 此方より馳向ひ討取んと思ひしに遙々とよううせた 某が手をおろすに及ばずソレ
両人 物ないはせそ討取れと 下知しながらに引かへす 畏つたと醒ヶ井番場 無二無三に打

てかゝる さしつたりと渡り合持て開いて真向かざし 尖き刃の電光石火獅子奮迅
虎乱入馬手は竪割弓手は胴切二人が命は草葉の露 ソレ遁すなと軍兵共お
めいてかゝるをこと共せず 向ふやつばら嫌ひなく 大けさ小げさ車切  片端切立まくり立追
立/\めつた切 こりやたまらぬとばら/\/\ 跡をしたふて忠澄が遁さじやらじと追て行さし
もの平山途(ど)を失ひ馬のはなを立かへて 落行んとせし所へ 岡部六弥太取てかへし やらじと
尾筒をしつかと取 コリヤ/\と引戻す シヤ邪魔じろぐな毛二才め そこ立さらずば蹄にかけ
胴腹に風間を明ん 是を放せと鐙の鳩胸あをり打立鞭打くれ ハイ/\/\と乗出


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せば どつこいどこへと引留る 追立引留はみ轡 音はちりゝんからころり駒の嘶き土煙り 六弥
太いらつて突放せば馬は前立頭転倒 ころりと落る平山を起しも立ず取て引ふせ首
引抜んとせし所へ 源義経公平大納言を引立させしつ/\と立出給ひ ホウ手柄/\我々兄
弟へ敵せんと工む平山 縛り首討刑罰糺せよと 仰にはつと六弥太忠澄手早に取まは
しつかとかけ 水もたまらず首討落す かゝる所へ熊谷入道飛鳥のごとくかけ来り 義経
に打向ひ 東へ下る道すがら始終の様子承はる 時忠卿は大納言の位有ば私には成がたし 蓮
生法師が出家の役都へ連行禁庭の御差図を蒙らん 何とぞ愚僧に御頼下

されかしと願へば義経打うなづかせ給ひ ヲゝ神妙/\ 高位の身なればうかつには殺され
ず いかにも知僧が願ひに任せ時忠を預くべし 直に都へ連登り院の廰の御沙汰に
かけともかくも計らふべしと 仰にはつと蓮生法師時忠を預り申 莞尓(につこ)と笑ひて
すさみたる一首の歌 極果にも功の者とや思ふらん 西に向ひて後見せねばと詠歌を残し
暇乞して帰りける 実末の代にいたりても敵に後を見せぬとは此理としられたり 義経
御嘉悅限りなく 禄を貪る佞人原を亡せし此上は 三種の神器を守奉り兄弟打連
都へ登 此趣を奏問せんいさめや旁打立と 御諚に任する岡部六弥太御立そふと呼


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はれば 御供奉(ぐぶ)の大小名綺羅を錺て帰洛有 朝敵亡びの凱歌の声 太刀は鞘
弓は袋と納りて千代栄へぬる源氏 四海太平豊なる国ぞ 久しかりけらし