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趣味の変体仮名

忠義太平記大全 巻之六

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/ 忠義太平記大全


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忠義太平記大全巻之第六

 目録

大岸由良之助国分寺に参詣する事
 由良之助亡君のはかへもふずる事
 仙覚和尚に対面し往時をかたる事

関屋勝右衛門扇がやつへゆきむかふ事
 由良之助盟約をかくしてつゝむ事
 丹下殿の廟前にて関屋勘気をゆるさるゝ事


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溝部弓兵衛が妻内通の事
 素月法師無筆なる事
 立川勘六かたきの屋形をうかゞひ見る事

大岸同意の者共国分字に会合(よりあい)の事
 夜討内試(ならし)の評定する事
 由良之助か智は神(しん)に通ずる事
 
忠義太平記大全巻之第六
 大岸由良之助国分寺に参詣する事

暴虎馮河(ぼうこひやうか)して死す共。悔いなからんものには。われくみせじ。こ
とにのぞんでおそれ。はかり事をこのんで。なさんものとは。孔夫(こうふう)
子(し)の金言。たれかこれをしらざらんこゝに一味の棟梁。大
岸由良之助は。かまくらに下り。あふぎがやつのかたほとりにい
て。一子力弥をまつところに。小寺千内とあひともなひ。ほど
なく力弥もかまくらに下向しぬれば。力弥をわが方によび
とり。父子一所にいて。主人のあだ尾花どのを。夜うちにす
べき手だて。昼夜肺肝をくだき。心腑をぞくるしめけ
る。まづ亡君の御菩提所にもふで。御廟参いたすべしとて。
一子力弥をともなひ。ふかあみがさにてかほかくし。芝が谷(やつ)の国


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分寺にまいり。丹下どのゝ墓をきよめ。しきみをたて香を
たき。謹んで礼拝し経をよみ念仏申し。さめ/\゛となきける
が。しばらく泪をおさへ。御欝憤をも散ぜられず。やみ/\との
御生害。さぞやさぞ口惜く。おぼしめされ候べし。されば主君の
あだには。共に天をいたゞかずとは。古人の金言にて候。身不肖
には候へ共。それがし君のあだをうつて。尊霊をもやすんじ奉
らんため。一味同意の諸臣をかたらひ。血をすくつてやくをかた
め此年頃。種々肝胆をくだき候。されば天道も。これをあ
はれみ給ふにや。時すでにいたれるよし。当地にしのびまかり
ある。一味散在いたせしものども。此たびはこと/\゛く。当地に下向
仕りて候。しかるうへは。かたき尾花どのをうつて。本意をとげ候


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はんことも。近きにありとおぼえ候。たとひ尾花どの。鉄城(てつじやう)に
こもり給ひ隠行(をんぎやう)の法をおこなはるゝとも。なんぞのがし候べき。
鉄石をもうちやぶり。火に入りやいばをふみ。天にのぼり地を
くゞりてなり共。うち果せぬことや候べき。おそれながら御心や
すく。おぼしめされ候べし。追付尾花どのゝ御くびを。御墓にそな
へ候ひて。御うつふんをさんぜんことたなごゝろの中に候と。いき
たる人に。ものを申すがごとく。礼儀たゞしく申上げ。愁涙に
しづみしが。なく/\御いとまごひを申上げ。それより方丈に入
て。仙覚和尚にたいめんし。拙者牢浪仕りし以後。京都に
まかりのぼり。山科に小地をもとめ父子(ふし)。閑居のていにて。まかり
くらし候が。亡君の御廟所へ。参詣いたしたきのぞみ。そのうへ所
用等も候ひしゆへ。此ごろ当地に。まかり下り候なり。ついて

は亡君。印南野丹下儀。子孫とても御座なく。その外御存じ
のごとく。したしき親類とても。御座なく候うへは。のち/\にいた
りなば。年忌等におよぶとも。たれあつて。香華をもそなへ。追
善をも修(しゆ)するものは。あるまじく候へば。なげかしく存候。それに
つき。去年本国を立のき申候せつ。城付の金子候ひしゆへ。諸
士同じく申し合せ。人々相応に。一家中配分いたし。当分
の入用銀。又は路銀等に仕り候拙者ことは老臣とよばれ。年ご
と過分の奉禄を。下しをかれ候ゆへ。かねてたくはへも候うへは。配
分の人数のうちへ。入り申さず候ひても。くるしからず候へ共。拙
者一人辞退仕り候はゞ。自余のものどもゝ。遠慮いたすべきと
存じ。同じやうに申うけ候とて。金子一つゝみとり出し。右申
すごとく。拙者儀は。さのみ払底も仕らず候ゆへ。此金子


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を。祠堂につき申候。亡君の忌日には。香華をそなへ御回
向なされ下さるべしと。ねんごろに申し。そのゝち往時をかた
り出し。数行のなみだに。むせびけるが。もはや下向いたす
べしとて。仙覚和尚にいとまをつげ。旅宿にぞかへりける

 関屋勝右衛門扇が谷に行むかふ事
それ臣たるの道。忠義のために。その死をかへり見ず。難にの
ぞんで生(しやう)をおもはざるは。勇士のつねとするところなり。左(さ)あ
りといへども。よくその節義をまもりて。これに任(じん)するもの
は。古今までなるところなり。こゝに大岸由良之助。希代豪
傑の勇義をもつて。諸士に忠勇の道をすゝめ。義をは
げまし信をまもらせしかば。?血(さうけつ)のちかひをなせしとも
がら。身を塵中にひそめ。名を卑賎にけがして。一度(たび)素

懐(かい)を達せんとほつす。されば関屋勝右衛門は。故丹下どのに
つかへ。二百石を領じ。馬まはりにてありけるが。先年同腹の仕そ
んじにより。身にあやまりなかりしか共。ふと丹下どのゝ勘気を
かうふり。牢浪の身となり。こゝかしこと徘徊せしに。はからず
も丹下どの。御生害のよしをつたへきゝわれ今牢人の身たり
といへども。故主のかたきなるうへは。いかにもして手だてをもつて。
尾花どのにちかづき。一太刀うつてうらみんとおもひ。近年はか
まくらに下り。おもてむきは奉公かせぎのためといつわり。方々
と経めぐるところに。大岸由良之助。同志のものどもと盟
約をなし。尾花どのをうつて。主君のあたを報ぜんと。相たく
むよしをほのかにきゝ。よろこぶ事かぎりなく。由良之助が旅
宿。扇が谷にたづねきたり。案内をこひしかば。由良之助出


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あひて。こはめづらしや勝右どの。まづは御堅固にて一段/\
して只今の御たづねは。なにとおぼしよられしぞと。おくに
請じ入れしかば。勝右衛門もなみだながら御国もとを立のき
しのちは。御疎遠にまかりすぎ候ところに先以て御勇健の
段。祝着いたして候也。ついては拙者儀。御存じのごとく不慮
に故君の御勘気をうけ。浪牢の身とまかりまり候ひ
て。それよりさま/\゛の艱難を経。うき年月をおくり候。
しかりといへども、君御在世のときは。さりとも一旦は。折を
うかゞひ。愁眉を申しひらかんと。そんじたてまつり候ところ
に。不慮の変出来り。君も御生害におよびしよし。よ
そながらつたへ承り。それよりして。御赦免のねがひもたえ
はて。あけくれ此身の不祥をさつし。悲嘆の涙たもとにあま

り愁涙にしづみ。まかりあり候なり。さるによりそれが
し。つく/\゛思案をめぐらし。とかく亡君のあだは尾花どの一
人。られをうらみんところもなし。此うへはそれがし。たゞ一人な
りとも。かまくらにくだり。奉公ののぞみありと世間の人にいつ
わり。こゝかしこと徘徊せば。故主のかたき尾花どのに、めぐりあ
ふ事も。又ちかよる事も候べし。その時とびかゝり。運を天
にまかせて。一命を亡君にたてまつり。本懐を達せんと
存じさだめ。近年は当地に下向仕り。かなたこなたと。心
をつくし候へども。天運ときいたらざるかかたきのうんめいつよ
きにや。ついにめぐりあひ候はず。かくてもむなしくくち
はつべきかと。世に無念にぞんぜしところに。をの/\一身
同心あつて。亡君のあだを報ぜんと。内々おぼしめしたゝれし


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よし。ほのかにうけたまはり及び。それがしも。連判の一味の
かずにつらなり。本意を達せんうれしさよと。心中快然として
さながらに優曇華の。はなまち得たるこゝち。手の舞足の
ふむところもしらず。さつそく参上仕り候。あはれ一味の御人
数に。めしくわへ下されば。生前の大幸。なにごとか。これにまさ
り候べき。一命をかろんじて。冥途黄泉(くわうせん)におもむき。今生に
てこそ。御勘当の身なりとも。泉下において御勘当をも。
御赦免下され候やうに。御なげきを申上げたく。そんじ奉り候と
又余儀なくぞのべにける。由良之助は手をくんで。しばらくうつ
むき居たりしが貴殿御勘当の身として左ほどに忠心をさしは
さまるゝ段。御奇特千万に存るなり。さりながらわれ/\が。亡
君のあたをつけねらふとは。たれにか御聞候ひし。ゆめ/\あと


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かたなき事に候。亡君の儀は。短慮無礼の越度(をちど)によつて。
上(かみ)よりの仰をかうふり。生害せられいるうへは。たれにうらみも
候はず、さるによつてそれがしは。さりぬべき方へ。倅力弥が身上
ありつけそのゝち隠遁をもいたし山ざとにも引こもり。世を
やすくくらさんと存じ。此頃力弥が奉公の心あても候ひて。当地
にまかり下り候。もししんじつにて候はゞ慮外ながら貴殿にも
左様の存念をやめられ。いづかたへなり共。御身上のありつきこそ。
肝要に存るといへば。勝右衛門いろをちがへ。さてはそれがし御用
にも。立まじきものとおぼしめされ。御つゝみあると存じ候。左
ほどこしぬけの臆病者と。御推量にあづかりては。生き甲
斐も候はず。此うへはおそれながら。殉死の心もちをもつて
たゞ今冥途におもむき。君の御前にまいり。直に愁訴

仕らば。などか御勘気をも、御赦免なくて候べき。千に一つもか
たきにもれきこへ候ても拙者めもらしたなんど思召れんも口
おしぼうくんほうばいみかぎられし此上はやくにたゝぬ此身と。す
でに腹をきらんとす。大岸おどろきをしとゞめ。扨々御心底
のほど。かんじ入て候なり。貴殿の御心中を。懦弱(たじやく)なりとの推察
にては。かつて以て候はずこゝを一つきゝわけ給へ。天をもはかりつべ
く。地をも察すべし。たゞ知りがたきものは。人の心にて候はずや。
貴殿はことに御勘気の身。今にいたつては。如何なる異心やある
べきと。はかりがたく候へば。もしかたき尾花どのか。一家しうに
たのまれ。間者となりてや来られしと。あやしみ存じ候ひし
ゆへ。一旦つゝみ申したり。なるほど一味の盟約をなし。地をすゝ
りし者共。四十余人候が。昼夜肺肝をくだき。本意を達


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せんと。相たくらみ候。貴殿の心ざしも。尤には候へども。亡君御在世
のとき。御勘当候ひしかば。それがし一分の了簡にては。一
味の人数に入れ申さんこと。君へのおそれ候ゆへ。決してかなふ
まじく候。是非なき事とおぼしめし。御かへり候へといふ。勝右衛門是
をきゝて。あつとさけんでおとこなきに。せきあげ/\なきたりしが。
こぼるゝなみだのひまよりも、さてなさけなのわが身のうへや。なに
とぞよろしき御はからひ、ひとへにたのみ存るなり。それとても
御勘気の身。是非かなひ候はずば。片時(へんし)もながらへ候はじと。か
きくどきなきかなしむ。由良之助もなみだにむせび。しばらく
案じいたりしが。さほどに存じ入れらるゝ段。ちかごろ不便(ふびん)の
仕合。忠義のほども。感じ入て候なり。さりながら。わたくしには。い
かん共はからひがたし。さるによつてひとつの思案をもふけて候。

幸い明日は。故君の御忌日にて候へば。芝がやつの国分寺へあさ
飯(はん)後に。御廟参し給ふべし。それがしも参詣いたし。あれにて
参りあひ申さんといへば。勝右衛門よろこび。しからば明日。御廟前に
て。参り合ひ候はんとて。いとまをつげてかへりける。由良之助は契
約のごとく。翌日国分寺へ参詣せしに。やくそくにたがわず。関
屋勝右衛門。袴を着し。あみがさをかぶり。さきだつてまちい
しが。由良之助をみつけかたをとつてそれがしは最前より。これに
参り候ひしと。勝右衛門をあひともなひ。故君の廟所へ同
道ぢ。まづかたわらへしりぞけをき。さて廟前にひざまつき
謹んで平伏し。関屋勝右衛門が御勘当の義。ふかく愁嘆仕
り。再三わたくしまで。御赦免のねがひ。なげき申候間。御


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厚免をなし下され候はゞ。拙者式まで有がたく。ぞんじあげ
奉るべしと。在(います)すがことく申しあげ。又しばらく平伏して
のち。勝右衛門をよび。貴殿の御勘気宥免なされ。先知二
百石(せき)。もとのごとく下しをかれ候むね。仰出され候。御礼申上られ
よろ。なみだを一目にうかめしかば。関屋も紅涙おもてにあ
まり。ありがたくぞんじたてまつると。申しもあえずむせかへり。
しのび音(ね)になき居たり。そのゝち由良之助。又廟前にちかづ
き。焼香礼拝せしかば。勝右衛門も。同じく焼香礼拝す。
由良之助なみだをおさへ。此うへはそれがしが。旅宿に同道
仕り。盟約の連判を。つがせ申し候はんとて。勝右衛門をとも
なひ。扇が谷にぞかへりける

 溝部弓兵衛が妻内通の事

それ光陰のとゞまらざることは、奔泉下流の水のごとく
その月も下旬にうつり。翌月におよびしに。上旬のころ尾
花とのに。いつわりてつとめ居し。溝部弓兵衛がつまのかたよ
り。大岸がもとへ。しのびやかにふみをおくる。由良之助ひらきみる
に。今は尾花どの、かつて用心もし給はず。酒宴遊興に。日
をおくり給ひ候。さるによつて。来る十四日には。御客御座候とて。今
よりその用意候なり。内々の御のぞみは。此夜にとこそ存じ
候へ。天のあたゆるをとらざれば。わざわひかへつて身におよぶ
とうけたまはりてこそ候へ。時を御すごし候べからずとて。屋形
のやうだい、絵図をもつて。こま/\゛といひおくる。由良之助は力
弥をまねき。此ふみをみせておやこよろこぶことかぎりなし。
されば同意合体の。約盟のものども。所々に居たりしも。かね


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て此たびのもよほしにより。居住を仕舞。手より/\につい
て。かまくらにあつまり居しかば。しのび/\にまねきよせ。此よ
しをいひきかす。こゝにかまくら玉縄の本座町に。素月法師
といへる。遁世者一人あり。いにしへは三浦どのに、茶道奉公し
てありけるゆへ。その余波(なごり)とて今とても。あけくれ茶の湯
の道をこのみ。ほどちかければ尾花どのへも。心やすく出入り
せり。その近所に。由良之助が一味の士。立川勘六といふもの。
日ごろ素月と心やすく。へだてなくまじはりけるが。尾花どの
のやうす。きゝ合すべきためなれば。かねてより印南野家の。牢
人といふ事を。ふかくかくし居たりけり。しかるに素月元来無
筆なる法師ゆへ。書札等の用事には。心やすきにまかせて。いつ
とても。勘六をたのみけるが。又勘六かたへ。書状一通もちきたり


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尾花どのの御家老。小森清八どのより。状をおくられ候。よみ
て見てたべといふ。勘六打うなづき。いとやすしとひらき見るに。
一家がたの下屋敷。和歌江において。主君尾花どの。新宅
をたてられ。当月十七八日頃には。わたまし御座候故。みな/\引こ
すべく候。此屋敷のなごりに。茶をふるまひ申べく候。十一日二日
の中。心びまにいたしをき。申すべきむねをかきたりけり。
素月いつものごとく。又勘六に返礼を書てたべとたのみけ
るが。一人めしつかひし下人は。遠方につかはせしゆへ。いかゞせんと
案じけるに。勘六きゝもあえず。それがし下人の体をして尾
花どのゝ屋かたへもち参らんといふ。素月いや/\。それはあまり慮外
無礼のいたりに候といふを。何かくるしく候はん。かく入魂(じゆこん)にいた
すうへは。あひたがひのことにてこそ候へとて。素月が方よ

りの。下人のていにもてなし。尾花右門どのゝ。屋かたに立こ
え。これこそ天のあたへなりと。心中によろこび。屋かたのう
ちをおもふまゝに。かなたこなたとうかゞひまはり。夜討にすべき
道づたひ。小路のつけやう。つまり/\゛の切所(せつしよ)。こゝより入んかしこ
よりめぐらん。かしこはつまりこゝはかよひぢと。心をつけて見めぐり。さ
あらぬていにてかへりしが。その夜由良之助かたへゆき。右のおもむき
をかたりしかば。由良之助父子。よろこぶことかぎりなく。勘六と只
三人数刻の密談にぞおよびける

 大岸用意の者国分寺に会合する事
かくて大岸由良之助は。一味盟約のものどものかたへ。回文を
をくり。日をさだめ早朝より。芝が谷(やつ)の。国分寺に会合し
まづ亡君の。御墓所へ参詣し。それよりも仙覚和尚の方丈


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へきたり。あつまり。和尚へ申し入れけるは。われ/\儀。奉公あり
つきのため。又は諸商売に。とりつき申さんがため。心々の。身上
をかせぎ候はんがため。御当地に罷り有り候ところに。近年諸意
高直(こうじき)につき。牢人の身にて候へば。渡世難儀におよび候。
さるによつて。御当地の住居も。なりがたく候ゆへ。近々の
うち。人々の手より/\に。他国へ引こもるべく候それにつき。
いづれも今日亡君へ。御いとまごひのため。廟参いたし候。又再
会の期(ご)もはかりがたく候へば。今日は終日。これにてゆる/\と
なごりをおしみたく候。かゝりあひの御斎(とき)。御ふるまひ下さるべし
とて。白銀(がね)二十枚進上し。みな/\うちくつろぎ。左あらぬ
体にてもてなし。用事なども候はゞ。此方より申すべし。御かま
ひ下さるまじとて。一間どころによりあひ。夜討のいひあは

せをぞしたりける。およそ盟約必死のともがら。由良之助
父子をはじめ。四十八人の内。一人は。寺崎市左衛門とて。故丹
下どのの。足軽にてありけるが。宗徒(むねと)の諸臣にもまさりて。
忠義第一の剛のもの。始終忠心をひるがへさず。金鉄不変
のつはものにて。今日も末(ばつ)座にかしこまる。由良之助諸人に
むかひ。かねて申し合せしごとく。来ル十四日の夜。夜うちに
をしかけうちとるべし。さいわひ亡君の御忌日。ねがふところ
にて候といふ。時に市田仲左衛門。宗野原右衛門すゝみ出。われ/\
此年月。心腑をくるしめ候所に。天運時いたりて。すでに此
期におよび候こと。これひとへに。由良之助どの。智謀計略武勇
共に。かねそなへ給ひしゆへ。かくまで首尾よく。事とゝの


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ほり候なり。さて夜討の内試(ならはし)は。いかゞ御はからひ候ぞ。うけた
まはらんといへば。由良之助きいて。夜うちの次第は。まづあひこ
とばをさだむべし。つぎにあひをとを用ゆべし。つぎに弓鑓
の用をたつべし。つぎにともしをけし。炉に水を入候べし。つぎ
に一間/\へ入るときは。半弓(きう)を用ゆべし。次にあさぎのぐく
さを用意し。いんげん薬缶に焼酎を入れてもたすべし。次
に女のいとをうむ。鍔紡錘(はづむ)のごとくにしかけ。竹にてこしら
へたるものを。百本ばかりもつべく候。次に布の小ぶくろに。く
すりを入れて人々に。これを懐中したまふべし。さて夜う
ちに入んには。味方二手にわかつべけれな。あひじるしを付べ
きなり。つぎにうらをさすべきなり。次に矢立(やたて)墨筆を銘
々に所持し給へ。万事に心をくばり。かならず心あはてゝ。

仕そんじ給ふなといふ。宗野。布田これをきゝ。此試(ならい)こそ。一大
事にて候へ。まづあひことばとは。いかゞさだめ給ふととふ。由良
之助きいて。あひことばは。専一とするところにて。てきに
きゝとられざるやうに。ふかくこしらゆるものに候。山の問。川
のこたへ。川のとひ。山のこたへとさだむべく候。山の問。川の
こたへと申すは。たとへば山かととはんとき。あるいは水。あるひは
溝。又は泥。淡清(あはすむ)。古にごる。みなぎる。うづまく。よどむ共。又は
沖共礒となり共。水辺(すいへん)にてこたふべし。河の問。山の
こたへと申は。たとへば河かと問はゞ。あるひは巌窟。あるひは
こぼく。又は尾崎。苔。みね。峠。ふもと。つゞら尾。坂とも谷と
もこたふべし。かねてよく/\。鍛練し給へといふそのとき
片山源七兵衛。相音(あいおと)とは。いかなることにて候ぞととふ。由良


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之助きいて。さん候貴殿をはじめ。富林。孫田。早鷹。武森。勝山
市田。藤水。八十村。神木。小寺。弓嶋。野金。遠松。立川。真。綱
賀。松川。宗野。溝部。間野垣。さてそれがし。市左衛門共に二十
四人は。おもて門より打入るべし。荒貝。岩波。橋伝。白埴(はに)。片
谷。大岸渕左衛門。定田。溝部。力弥。和野。真儀兵衛。間瀬垣彦九郎。
普川。松平。小寺千内。又田。百馬。村木。関屋。後原。村次。
これらの人々は。うしろの門よりせめ入らるべし。かくのごとくに
して。いづかたにても。はやくせめ入りたるかたより。笛を出してふか
るべし。又こなたよりも。相図のふえを合さるべし。これを相
音と申すといへば。片山かさねて。その笛は。なに笛をふき候へ
んととふ。大岸そのとき三寸ばかりなる。ちいさき笛を。五十ばか
りとり出し。つねのよこ笛草かり笛。尺八一重切(ひとえぎり)なんど


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はみなをもくしてかさだかなるゆへ。手がるく工夫いたした
り。これにほそき糸をつけ。めん/\の着物の。えりにゆいつ
け給へ。そのうへたれにても。尾花殿をうちとられなば。その時も
此笛をやがて相図にふき給へ。それをしるべに四方のよせ手。一
所にうちあつまるべしとて。人々にかの笛を。一つづゝ渡し
けり。市田仲右衛門。宗野原右衛門ことばをそろへ。さて/\かんじ
入り候。さて弓やりの用を。断つべしとの仰は。いかなる事にて候ぞ
といへば。大岸うちわらひ。まづ夜討に入り候はゞ。玄関広間な
どに候。弓のつるをたちきり。やりの穂先をすこしづゝ。折て
をき給ふべし。すはとおどろきうち出んときてきの兵具を
物の用に。たてまじきがため候とこたふ。市田。宗野うちう
なづき。御尤/\。又うち入り候せつ。ともし火をけし。囲炉裏

の内へ。水を入れ候事は。火の用心のためにて候か。又いかなるは
かり事か候ととふ。由良之助きいて。なるほど一つには。火
の用心のため候よ。両人かさねて。尤には候へども。ともし火な
く候はゞ。不知案内のわれ/\。前後にまよひ候はんといへば。
ざるをもつて肝要とす。ともし火をけるときは。みかたの
ていをみせず。囲炉裏へ水をうちこむも。そのごとくに
して灰たつゆへに。人のかたちをみせざるのみか。てきの寝を
びきたる気をとるなり。燧(ひうち)を面々に懐中あり。そのゝち
火をうつて。かの紡錘(つむ)のごとくなる。竹にてこしらへたるも
のに。蠟燭に火をてんじ。かの竹にさして。あるひはたゝみ。又
は壁なんどに。数十本さし給へ。万灯会(まんどうえ)のごとくにて。白(はく)


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昼(ちう)にもおとるまじ。又ぬのぶくろに。くすりを入れてもたす
事は。いきぎれのくすりにて候。いきのきれたるときは此ふくろを
なめ候なりといふ。片山きいて。これはよき手だてにて候。又あ
さぎのふくさを用意し。薬缶に焼酒(せうちう)を入れ候ことは。いか
なるはかりの事の候ぞさだめてしやうちうを入れらるゝは。手をひ
をたすけんためなるべし。あさぎのふくさこそ。心得ず候へと
いへば。由良之助かさねて。これこそふかきはかりことにて候へ。
一つには。手をひをばたすけんため。又一つには。たゝみのうへゝな
がしかけ。火をつくるときんば。酒ばかりもゆるものに候。是
あかりをみんがため。又はてきせい。これに気をうばはれどう
てんするものにて候。これ第一のてきの気をとらんがための
はかり事にて候。さて尾花どのは。うちとるやいなその首を。

寺崎市左衛門にもたせ。うつはものにいれまづ芝が谷へさし
こすべく候。これはもしかのくびを。てきへうばひかへされなば。後悔
すともかあんふまじ。これこそ肝心一大事の儀にて候ゆへ。か
ねてかくは。おもひもふけ候なり。そのゝち薬缶を。かのふくさに
つゝみ。鑓さきにつけて。尾花どのゝ御くびとなづけ。さきにた
てゝ引とるべし。尾花どのをうちとりなば。市田仲左衛門どの。冨
林祐右衛門どの両人は。さつそくことわりのため。御用付中へこ
したまへ。われ/\かの薬缶を。御くびとみせかけ。行列たゞし
く。国分寺へと引とり。かの寺の門前にててきがたのおつて
のせいをしばらくまちかけ候へべし。かくうちとるうへは。御一家中
よもやそのまゝはさしをかるまじ。追手をかけられんは治定(ぢぢやう)
なり。そのときわれ/\は。つかれ武者といひ。小をもつて。大を


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敵せんことかなふまじ。たとへば。石をもつて卵(かいこ)をうち。乳犬(にうけん)
の狸をうつに似たるべし。そのかなはざるにおよびなば。かのつゝ
めるところの薬缶を。御くびなりといつわりおつてのせいに相
わたし。さつそく国分寺へにげこみ。おもての門をかたくとぢ。
尾花どのゝ御くびを。亡君の尊霊(そんりやう)にたむけ。みな/\心しづかに
意趣をこと/\゛くのべてのち四十八人のもの共。みな/\心を一つ
にし門をひらきうつて出。いさぎよく討死し候はん。いまだよ
せざる以前より。尾花どのをうちとりての。以後までの手だ
てを申せば。かつは卒爾のやうに。ことおかしけにも。おもふ人
や候らん。何とやらん。人がましき。申し事にて候へども。武将の
本心は。左様にては候はず。軍門のならひにて。そのよはき
に。てきのつよきをかたらず。そのつよきに。てきのよはきを

かたらずといへい。本然忠誠の心をもつて必死をきはめ。軍
門にむかはんに。何んぞ本意を達せざらん。列座の四十八人
は。これこと/\゛く万死の兵。それをてきの万生の兵と。虚
実を権比し給ふべし。かつことは。決して万死のかたに
あり。されば古語にも、万死を出て一生にあふ。機にのぞ
んで死するに栄(えい)あり。生するに恥ありといへり。これま
ことの万死なりと。ことばをはなつていひしかば。諸にん
あつとかんせうす。されば尾花どの。鉄石の内にかくれ。鬼
神造化のかたちをなして。害をのがれんとし給ふ
とも。いかでか討とらではあるべきと。世にたのみしくぞ
おぼしたる。市田かさねて。その夜の出立は。いかゞいたし候はんと
とふ。由良之助きいて。装束は。黒き羽織にもゝ引。白(しら)ぎぬ


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にて鉢まきし。大小のさやを。白かみをもつて。左まきにし給
ふべし。味方のあひじるしにはしろきぬのを。両のそでにぬいつ
くべし。弓矢等の飛道具をもち。火けしのていにみせかけ。水
かごはしごをもちゆくべし。近辺の屋かた/\。辻番町家等
までも。火の用心その外。出あはざるやうに。かねてことわりを
くべきなり。女下部。奥しきりの口。惣長屋をはじめ。近辺
の町屋等に。うらをさし候はん。うらをさすと申すは。柄一寸ば
かりなる。錐を数百本こしらへをき。とびらにこれをさす
ときは。急に出ることかなひがたし。もし出るものありとも。
無益のものに手をさし給ふな。尾花どのは見しらざれ共。
それとおもふくびを吟味し給へ。亡君にきられ給ひつる。
疵のあとあるべきなり。そのうへ討入るやいな。下部を一人生捕

をくべし。それにみせば。尾花どのゝ御くびは。早速にあ
らはるべし。下部一人生捕る事は。目あかしのためにて
候ぞや。又おの/\こしに金子をすけらるべし。此もの共は牢人
の身。尾羽をうちからしいれば。渡世に困窮せしめ。とて
も飢死なんよりは。主君のあだをうつて。義士とよばれ
死なんとおもひ。かゝるくはだてをしけるなんど。世間の批
判もあるべきなり。又夜討の節。たれによらず。うちじに
もあるべければ。死がい見分(けんぶん)のせつ。かの金子をとり出して。をの/\五
両づゝ相わたし段々の手だて。のこるかたなく演舌
すれば。諸人あつと感心す。かくて内試(ならし)おはりしかば。仙覚和尚にいと
まをつげ。みな/\退散したりけり 忠義太平記第六終