仮想空間

趣味の変体仮名

牟芸古雅志 上の巻

 

読んだ本 https://www.nijl.ac.jp/  
      牟芸古雅志

1
狂言堂のあるし狂言物するいとま
ことに狂言ならぬまめことをのはへつ翁
本性うるはしくまるきをしのふこゝろ
けれはかうやうのふるほうこなともし
ねんにまくらによりあつまれるなるへし
かの李笠翁といへりし人は書とも
あまたあらはしゝ中に十種曲といふ


2
ものありきさもは此如皐翁の
かれをしおまねひとりて世にあらん
ほと狂言堂にいこもりいるにやと
おもへにそゝろに中??たちそひて
かゝる著述をよみ見るにもおろかなら
さるこゝちにするや
  竹柳園(?)

(目録略)


6
  凡例
一 上の巻は雅俗にかゝはらず年代の古きと作者の珎らしき
  をあつめ序跋のみを抜き出だしぬ
一 各々本文長ければわづらはしく且つ塵功記の類ひは今と
  かわることなし然れ共希に珎らしき物つらねの類図して下の巻に出す
一 文面本の儘に模写すべけれども大小長短等しからざれば
  唯文段を違へず字のまゝに写して一字を洩さず
一 下の巻は大概本書を透き写して往古質素の趣をあらはす
一 爰に集むるもの往古の印板のみにして写本は只小野の於通
  浄瑠璃十二段の如き印板になければ是非なく猶としを
  折ふて得るに任せ集め出ださんことを希而巳(のぞむのみ?)

牟芸古雅志 上之巻  狂言堂如皐 輯

 金銀万能丸の序
抑この物がたりは見ることのやすふしてそのこゝろをうることかたし
柳営善政公おくがきにかゝせたまひしやうに道無入道がいやしき
言葉を引もどしおもてよりうらにかえし見ばかならずひとつ
心のさだまれるのりをしらんかしこの物がたりする人のみさほと
なれるにや長享年中より永正のすえまでたび/\邪士
世をみだすわざあれと良将良臣おほふして君を君とし
大樹を大樹とせし遊人に大君万歳をつがせたまひ他姓大


7
樹にならざるは諸人吾神明のおきてをまもり三教の道を潤
色とせしゆえなり人皆もとをもとゝしてもとの心にもとづきうち
をうちとしてうちの心にかなひ外をほかとして外の心にもとづかば
我神明のいきをなめて異国のためにもはづかしめらるべからず
おろそかにしてすえの世の人はまことの父母をしらずしてまよ
へるのみぞかなしきにかゝるめでたき世に生れぬるはうれし
からざらんや
 文亀三年孟春初五日 正新居左大臣公藤序也
  同跋
ふるき世のことわざにいやしきか岐(ちまた)の言葉に世のすみにごりをしる

といふ事まことなるかなこゝに長享の初めの年東山の院士羽林中(うりんちう)
郎将わが神道の達人なりけるがものはおなじきを友とするならひ
にや老仏の門徒に一如上人といひしものと性子(せいし)といふ儒門のものと
羽林のもとにやづねゆきて儒仏二教を以てわが神道に対し
よもすがら論じてついに根元なれば神明のいきをなめて
誠の道のきよめのはじめに三人宗廟にまいりけるがみちの
ほどは野(や)なるものゝはなしにうき世のにごりを聞ていよ/\
おの/\誠一のこゝろいやましける神風やみもすそ川の
きよきながれにあらたなる御つげをうけ人の心のよこしま
なるをすぐなるみちにせよとて国々におしえをなす誠に日の


8
もとのおほいなるたからなりひとつこゝろのりをあげてあま
たの人の人なるもの西に出で東にいづこれひと人に羽林の心
よりおこりぬあゝ此ものがたりを見むものたゞにこれを
見ばなんのたすけかあらんいやしき道無がたとへをひき
もどしおもてよりうらにかえし見ばおのづから身を治むる
の道にちかからんわれ武にくるしみて文にくらしよろづ
我心の業(わざ)いとくちおしきのみたゞ心のまことにむかふばかり
に此物がたりのおはりに言葉をつくるのみ
        武林源義政
此金銀万能丸(まんのうくはん)は本世鏡抄(もとせいきやうしやう)と号し文亀の頃の著述にて即ち

序跋は扶桑拾葉にも載せ給ひし也しかるを貞享四年
丁卯二月摂州大坂北御堂前書林森田庄太郎板にて
金銀万能丸と外題し序跋本文そのまゝにて上下
二巻今云ふ八文字屋ものと云へる如き目録有下の巻に出だす

寛文十三年
 連俳附合(れんはいつけあい)武蔵野の序 意行子(いこうし)
むさし野のひろき君のめぐみにあまねくうるほひ霞の関
の戸さゝぬ御代のおさまれるしるしに爰もかしこも俳諧
道に心を入間の郡(こほり)みよし野のよしあしをわきまへねど下手の
横すき横やまのやまずしてあけくれ懐紙に向ひの岡の


9
うす紅葉の色よき句をつかふまつらんとあんじわづらへど堀
兼の井のふかきことをしらねば玉河のたま/\席に交はりても
名所旧跡の附け句にいたりてはいよ/\あら井の磯の汐のさし合
笠嶋の浪の打越しをわきまへかね付けかねてやみぬる事あまたゝ
びなれば予がごとき未熟のためにと思ひ立ちて浅葉野の浅
きざえを以て忍びの岡のしのび/\硯のすみだ川の水をしゞて
千種の言の葉のたねをあつめて一部となし武蔵野と
名つけぬこいねがはくは二俣川のふかくしりたる人狭(さ)
山(ま)の池の浅きみづからを助けて濁れる水を汲かへ清き
水茎に書改めとふびよともふ事をしかり


 同項
  新板塵劫記(ちんかうき)序  芳田光由
それ算は伏義隷首(ふつきれいしゆ)に命じてより周官に保氏(ほし)を置き是より
以来(このかた)算数世におこなはれて国家の重器たり誠に故有る我
算の要たる事国家を治め百姓をみちびくに及んて方田不(ほうでんふ)
足(そく)勾股円長(かうこうえんちやう)あり其狭広(きやうくわう)をはかりて其耕(かう)をおさむるに
井田(せいでん)の法あり千一の法あり若し其法をみだるときは百姓
おだやかならず又軍をなし賦(ふ)をなすに士をひき歩卒(ふそつ)をまし
ふるに算数をもつてよく道びきおさむるなり妙なるか事
遠山(えんざん)の高さいたらずして爰に知り海淵(かいえん)の深さいらずして


10
底をしるいわんや天理をや日月の行道春秋の運気そのほか
巫医百工(ふいひゃくこう)のたぐひみな算数によつて吉凶をもとめ血気の順
逆をしる此道によらずして妙を知り理をさとすことはなんぞや
然れとも深きを知り委しきを悟す事はいたらざれば得がたし故に其
鋼領をしるして聖門にいるひとつの便りとせんとおもへど下愚(かぐ)の
まめならっざれば或は不足あるひはしげくてなん有なん
よく明らかならん人違闕(いけつ)をたゞさば誠太助とや成ん

  同跋
 此新編塵劫記吉田光由)以下略


此南膳武州は須弥の南に当って涌出でたる国ときく殊さら
黄金白銀は土中より生へあまたの珍宝器物遊行せり
しかりといへどもおのがさま/\゛有処には山を積み無き処には塵
塚もやまらざるもいと詮なし爰に予が朝な夕な手に
随ふ器(うつはもの)を詠て独りおもふに木を以て宮を造れば信を生じ
其木を筥(はこ)に造れば物を入る器となる宮は宮筥ははこ
その役々は是世の宝なり思へば一つの器とても心ありて
用ゆるに千里(ちさと)の内を廻り歩行(あるく)器物もの云ざれば打わつて


11
語らんとすること即家内の幸い蔵ならんとて次第に
詩句連歌を添へ世の謗りに目がけず造化無尽蔵に預けぬ

  元禄
   鸚鵡が杣序  竹本筑後掾有原博教
いろはにほへとは尊円親王の御筆も七歳の太郎松が書け
るも点畫(てんくわく)かはる事なくいの字はいの字によみろの字はろ
の字にきあまれども善悪階級は千重万段心こと葉の
及ぶ処にあらずからにしき晋元(しんげん)の王義之趙子昴(わうぎしてうすごう)敷
しまの倭(やまと)には道風佐理行政などあまたの名筆の工みに
書きなせる文字の形しな/\゛なれど筆法は十二点にはじ

まりて十二点の外を出でず韻會字彙玉篇(いんえじいぎょくへん)等二十余万
の鳥の跡たへせぬ宝なりけりと物書く人の語り給へるに
かたえなる万(よろづ)に心得たる人の申されしは六藝の道いづれ
かわる事のあるべき文武の楽は美つくし善つくさす
のたがひめこそあらめ楽においては五音十二律にもるべ
からず申楽を見侍るに上手のさし扇の下手のさし扇
さす処にちがひなく引く処さらにかわらずつゞみ太鼓また
然(しか)也上手の笛とて笙篳篥の声を吹かずひいやひやりを
よく/\吹あふするばかり也立出て峯の雲は誰(た)が舞ふでも
熊野(ゆや)四海波しづかにては誰が諷ふても高砂平家の


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ふくに諷ふたる名人もなけれどもよしあしの雲泥なるはいか
にぞや万藝かくのごとし定まりたる事を能くすべし但その
中に曲節は時にしたがひ折にふれて臨機応変まゝ有る
べきにやしかはれど利久詔鴎(じやうおう)宗和などのかわりし物
数寄目をおどろかすといへども湯の上に茶を入て香煎
ふるやうなる無理なる物好もなし名におふ歌人(うたびと)のさま/\゛
狂歌の雑体はあれども五七五七々の外はよみたまはず
もろ/\の芸能師伝を受て定まりたる事をよく/\切
磋琢磨して時に応じて略変の用捨こそ達人の
わざとも名人の芸ともいふなれと語り給ひしを僕

末座にありてつく/\゛うけいはるに我浄瑠利の道におもひ
合せていさゝかも違はず浄瑠璃はじまりて百十余年
瀧野沢角両検校平家にくはしく琵琶の妙手たりし
より浄るり物語りと云双紙をつゞりなして薬師の十二
神をかたどり十二段と云ふしを語り出だせりそのときは三
味線に合するといふ事もなく扇をひらき左に持右の
手のつまさきにて骨と地紙とを掻ならしていろ/\の
拍子を取たる事その十二段の目録さえいまは知り
たる上るり語りもなく此外に都めぐりと云もの一段
是は検校の門弟京東洞院目貫屋長三郎といひし人の


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作なりかけまくもかしこき慶長の帝これを興せさせ給ひて
人形にかけさせ叡覧度々ありしより浄瑠璃太夫
領を拝し世に行れて阿口の判官。弓継ぎ。鎧がへ。井戸田
五倫くだき。是を五部の本節と伝へ侍る岷江(みんごう)の濫觴(らんじやう)たへ
ずはびこりて音曲の海波しづかなる時津風民やすき
御代の楽しみ浄るりといふ一ふしの定まりぬるにこそあさ
からね何の道も古へをあふぎて今をしのばざらめやは
此音曲も格にいりて格を離れ格をはなれて格に
いるといふ事第一の習ひなるべし古播磨太夫は浄るりの
中へ謡を入るさえまんざらの謡に聞ゆるはあくと申さ

れし謡にても歌にても浄瑠璃は打そひて浄瑠璃
格にはづれぬよふにうたへと申されし肝要の詞なりけり
僕が門弟には浄るりの文句ならば謡も唄もうたふとは
おもふべからず語るといふべしとこそおしへ侍れいはんや
時々のはやり歌木やり音頭の類ひ面影はさも有りなむ
浄留りの正体に眼(まなこ)をはづすべからず世のはやりかた
とて半年(ねん)はやるはまれなる事にて上方のはやりこと
遠国にしらず田舎のはやりもの都路にしらず上(かみ)京のこと
下(しも)の京に聞へず天満の噂難波に知らぬことのみ多し
異国には大きなる御殿ひとつの内にさへ一日の気候ひとし


14
からずと云へりはやりことさのみ好まずとおあらまほし世
間の事聞出し浄るりに入んより手前の浄上るり世間に
はやるやうに稽古ありたきもの也世継曽我の道行に
馬かたいやよとおどり歌いれし事相応せず一番の瑾(きず・瑕)今
聞くに汗をながすと三十年前を後悔する作者の心芸道
の執心さもあるべきことなり実にも文言章段の品に寄りて
いかなる名人もかたり得がたき事あるべし堅からんとす
れば太平紀のごとく艶(えん)ならんとすれば源氏物語りのごとく
端手ならんとすれば当世好色双紙の軽(かろ)くちに似て
各(おの/\)浄瑠璃にあらず詩人の平仄(ひやうそく)を分かち韻字を押すも

律呂(りつりよ)にかけてうたはん為とかや此国のうたひもの吾(わが)
駒貫河伊勢海(こまぬきかわいせのうみ)などの優なる早蕨(さわらび)吉々(きゝ)利々老(おい)
鼠などのおかしげなるも律呂にたがはぬこそありがた
けれそのごとく文句にもはこびはかせおよぎ等程ひやうし
あることなればそれに心を付けて文字うつり音声開合
甲乙(かんおつ)の位を練磨すべし申も憚りあれども逍遥院入
道内府(だいふ)實隆(さねたか)公は御日待ちの夜尺八つゞみ三味線などの
中にいで我も一芸せんとて箒木品定めのまきを素読
遊されしにあやしの下部まで聞く人感にたへて外(ほか)の
歌三味線をもけおされしとかや源氏のよみくせ


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堂上の御伝授には清濁(すみにごり)文字うつりは勿論御声になまりを
付させ給ふ処ふしを付させ給ふ処もありとかや伝へ承はる
これらをこそ音曲の亀鑑とも申べかんめれ是までは
恐れあれども一芸の本意を知らんとはげむべくまし
てつたなき辻芸門音曲を大事ありげに語り交ぜて
浄瑠璃本ふしの有る処を失ふ事いかなる下劣の甚しき
本心を外に奪はるゝ狂人ぞやと宇治加賀掾の批判尤も
成べしもし聞く人外のまぜ事をほむる時はさてはわが
浄瑠りはおとりたるとかへり見ていよ/\たしなむべき
事なり名医の調合ある益気湯(えききとう)も野巫(やぶ)医者のあは

する敗毒散も薬味はかはらねども大きなる人をそこなひ
又大きに人を助く浄瑠りにかわりたるふし古今なきこと
なり只趣向年代せりふ風景時宜にそむかず無理な
らぬやうに地色ふし詞まで心をかえて精をふかく語り
なす事かの病根によりて配剤加減あるがごとしほかの
ことまじゆるは一味二味の加薬の如く本方のための加
薬にて加薬の為の本方にあらずとしるべしかく有れば
とて本式にわきめもふらずつくりつめたるごとく成るは
佛(ほとけ)藝とて嫌ふ事也其中の意味は声と節との和に
ありて言語道断天然の所なるべし万巻の書を


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諳んじても面授口伝なくしとは万の道なりがたしとかや峯の
薬師の浄瑠璃の本方相伝のうへに年をかさねて工夫
をつみて加減の修行あらまほしく四十余年来寤寐(ごび)
にも是をわすれずといへども今に淵底(えんてい)を尽さず是と
語り得たりと思ふ事のなきは我身ながらいかなる事
ぞやと申侍りし詞のうちより山本治重其座にありて
鸚鵡が杣の板行なりていまだ序とする物なく幸いに只
いまの教訓しなくてよと硯をならして口うつしのやがて
紙上にうつりけるはむべもあふむの囀りなりけら/\
 同跋

(欄外上)
山本治重は
正本や九右衛門
一風迚是も
じやうるり
其ほかにも
戯さくの
著述あり

  同跋   散人不移子平安艸
           近松門左衛門

一声二節迦陵頻伽の玉子のふは/\奇妙の声の薬と云々
上(かみ)は黄泉を窮むるに得ることなし文質彬々(ひん/\゚)とは
三味線の声浄瑠璃孔子の時に始り論語の語の字
をかたると訓ずと自己の工夫に年月を費し師伝を
守らざればサアといふ時事をかきそめ恥を書初め天筆
和合楽一年中の初段のはじまり扨も其後此一句微
妙の七文字五十四帖のいづれの御時伊勢御のむかし
男伏義(ふつぎ)氏の天下に王たるにも肩をならぶる発語の詞
此類(るい)いかい事詞は古きを以てさきとす心は新らしきを


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以て詠ずべしとその心はいかに心を古風にそめよとこそ
道正坊の説法云ひ勝ちの世の中口もつて云はぬが損
噛み当つたる犬の蚤も痒い処へ手がとゞかずアゝしん気
あたご山には太郎坊くらま山には僧正坊瑞軒やまには
?(みゝつく)を見て天狗共おどろくべし相応/\のふるまひ
京の祇園の文字が献立には鴈も鯛も古めかしく
あみ笠嶋にはちぬ鯛龍と成て天上す一座いつきやうに
よつてほむるとも思ひあがりて稽古油断せざれと
こそ凡夫功を経て仏と成り下手修行して名人と
なる離婁(りろう)が名公輸子(ゆし)が巧みも規矩を以てせざれば

なす事あたはず九技百家の稽古の労を?(へ:歴)ずして至極を
しらば古人なんぞ積功累徳を称美し給はん腐草化(ふそうけ)して
蛍となりてこそ玉の光りは顕はるめれいまだなりもせふ
草葉のうちより光りを蛍に争はんとする是ぞしやら
草葉のつゆを筆に滌(そゝ)ひで跋といふ事こんな物哉(なら)んかし

 (元文)養気臺(ようきたひ)の序  自隋落先生
世に住める事水車(みずくるま)の如く心に望絶ゆる間なく手足に
用のなきときなし百(もゝ)の憂き百の世話替る/\゛来りて
静かなるいとまなく今是を除いてしばらく無いの境に


18
遊ばんとおもふに爰に一物あり其名を枕といふ是をとりて
天窓(あたま)に架する時は神(しん)鎮り體(たい)伸びておもふこともなく慮(はか)ること
もなししかはあれど枕といへるにも品多くくゝり枕のやはらか
なるには深閨の恨み尽きず長まくらの油(あぶら)垢は偕老の思ひ深く
文(ふみ)枕は傾城買の挙句引出しまくらは藪医者のものずき
旅籠屋の挽切枕には旅人の草臥を直し出女の手枕
にはいかなる契をやこむる肘まくらの楽しみは物知り
のうえ邯鄲の枕には盧生が妄想を尽す獏枕は邪を
避け夜明は灯の代り遊仙はからくり枕重明(てうめい)は見物
の器(き)是らは予が枕にくらぶるにあらず枕よ/\九憂の

昼寝には籠枕の涼しき或ははり枕やぐら枕鼓の胴夢想まくら
ぎち/\まくら指し枕其品そのかたちは替れども用をなす所は
一(いつ)也枕よ/\汝は寝るの器(うつは)にして人の情をば知るべからず
然れども待宵の遅きにはたゝかれ逢ぬ恋にはなみだに
ぬれたり汝があづかる処にあらずして汝罪を蒙れり汝が
不仕合(ふしあはせ)いかんかたなししかれともしめやかなる雨の夜鴛鴦(おし)
のふすまの内比翼の床(とこ)の上親子にも隠せる事汝斗は
よく聞らんおかしき折もあり浦やましきときもあらん歟
是を以て罪をかふむるのさし引きとすべし予は汝に損得なし
只寝ることの役者とす下司の楽は寝楽半時のいびきは


19
大名もかはらざりけり孟子浩然の気を養ふといふもたしかに
一睡のうちなるへし是を以て汝名づけて養気臺といふかつ
汝にいましめおしゆる事有 面白き夢嬉しきゆめうまき
夢は覚ますことなかれ おそろしかなしき夢は見すること
なかれ 火事盗賊あらば早くつけよ 寝言はおかしく
とも笑ふ事なく人に語るべからず

  享保
   徒然時勢粧(つれ/\゛いまやうすがた)の廓 錦文流
つれ/\なるまゝに終日(ひめもす)頭陀袋のほこりをはらひもてる
調度の置所もそと/\に入れ直しぬるに爰かしこにて聞

はつりなるおぼえ書とてほうごのかたから鼻紙の端
くれにかき置けるものありとりひろげて見けるに貴(たっと)
気(げ)なることおかしき事あはれなること心ちよき事
むようなることもつともなる事ども取集むるにおよそ
二百四十三品おのつとつれ/\゛の文(もん)段につうぜりよつて此
題号にすがつて徒然時勢(いまよう)粧(すがた)としかいふさきのだんを
書くべきとてこのたんより持こむにもあらずましてこゝろ
ある人に見すべきにもあらずもしは絵にもとづきて
わらはべのもてあそびぐさにもならんかしとつゞりよせ
たる愚盲の草菊(さうかう)ひと人に狂人の物いふに似通ひたるもの


20
なるべし干時(とき)享保第五年(とし)かのえ子皐月上旬座摩(さかすり)
の宮のかたほとりに幽居の地をしむる爰において浪花俳諧
僧錦頂子(きんてうし)文流老昧(ぶんせうらうまい)筆(ふんで)にくるふ 

  野白内證鑑(やはくないしやうかゝみ)の序  八文字自笑
人間生(しやう)あつてしゞうやむまじきは若女(にやくじよ)ふたつのたはむれ
今も昔もかはる事なしされば釈迦の時代にも衒売(げんまい)
女色(によしき)の出(いで)てもろ/\の僧俗の心を蕩(とろか)し打(たゝ)きがねを
へらさせほどなく腎虚の涅槃にいらせ給へりましてや
こらえ性なき凡夫このみちにすゝめられ身をうしなふ族(やから)

古今そのかずをしらず親父も若ひむかしは六條の遊女町に
きぬの半衿かけて鮫鞘に金鍔似せ金の扇をかざし
花やられしものがたり機嫌の能(よい)とき母にはなされしを
子耳にはさい過にし方恋敷きものと清少納言といふ女﨟
ふるき文をとりいだして観世こよりのついでにひらき
見給ひむかしのいたづらを今の老のなぐさみにしたまひ
ぬるよしこれは秋の夜のあかしかねたるには能き楽しみと
祖父(ぢい)親の書きずてのもの其ころの女郎のふみ反古(ほぐ)など
古葛籠より出(いだ)し不思議にいままで鼠もくはず残せしは
いにしへもたがひの嘘をおかしがりて残し置れしこと


21
ぞとおもはれけるひとり/\見てなげやりけるに封じ
めに印判おしていまだひらかぬかさだかなるふみ反古
是なん物前のむしんのぶみかさなくとも口舌の上げ句に
諸神をかきいれしきしやうにてやあるべし神も親父も
ゆるしたまへ是ひらかひでは置れぬと封じめ切て見るに
三十二卦(くわ)のうらなひの書き本やはらかいふみの中に是はと
心を付てよく見るに野郎遊女じゆふにあそびやどへ
きたりし時節よびよせる客のいろたる人のもとへ差し合
有かないかおいでかお出でないかまつうちの畳ざんも
あはぬ勝(がち)にしていづれの世にか安倍氏(うじ)の好色人此占(かうしよくじんこのうらない)の

こしらへ銭五文にてその夜招く君が来る来ぬを人を
やりてまつまに考へしる内証のうらかたこれは今の世に
見る人々のなぐざみにとむかしの詞そのまゝに梓にちり
ばめ世に広めて色すけるひとの恋のたすけとなしぬ
このうらかたの中にはくじんとあるはいにしへの白拍子
たぐひにや聞付ぬとて名のおかしかりきされば世はもと
しのびといえど色遊びはいまにぬれのたゞなか

   御伽名代紙子の序  其磧
正真の普賢菩薩にもせよ江口の妓美(きみ)は若き男どもの


22
ためにはあだなる遊君のたはぶれをはじめおかれしより
以来(このかた)諸国そのところ/\゛の遊女にほだされ身體をつぶし
さま/\゛難儀にあへる人そのかずかぎりなしわけてこゝの
みちに長じ親兄弟のこゝろにそむきそのみも流浪せし
ありさまをものまね狂言尽しに移して見せはべるは
狂言ながらよき誡めぞかしそうじて此遊びによいほどと
いふ程なければ深入せぬが粋(すい)なるべしたゞおそるべし慎
むべきは此遊興世の血気なるわかいひとのいけんのたねに
上手役者の狂言にせし名代の男どもをあつめて親達の
教訓のあししろとするものならじ

  江戸鹿子の序  藤田氏
万代の池の亀はほうらいに逢ふ千秋万々歳といわふ翁栄行(さかゆく)
ことのやすきこゝろにて子孫をならべて長生の家老(おひ)
せぬ門なをゆくすへもひさしけれなどゝうたはせむさし
のゝむかしものがたりのついで江府(えど)のこといとこまやかに
聞はべるにあるは神社仏閣社参さんけいあれども故事
縁記来歴をしらず名所きうせきは手のまへ足のふむ
ところにあれどもたづねもとめねばしらず諸師諸芸其
ところにいたりたづねはべるなれども知れるひとなら


23
ではしらず諸職名匠商人(あきんど)うりものどころ民家軒を
ならべしげりたる樹のごとしうち見てもおうやうしれ
はべることながらたづねて即刻もとめえること稀なり
もし他国のひとのたよりともならんかしとしれざるたい
がいをもとめえて壱部六巻とす武蔵野はしげりしげめ
や江戸かの子とふるきひとのほつtくしたまふこの心ばえ
ながら広大無辺にていとまめやかにいひがたし所々の
あらましいふをもて江戸かのことなん

  江戸惣鹿子の序  松月堂所角

おふけなき御代はゆるがぬんかなめいし鹿島の松の
ふかみどり深くむすぶのひたち帯似合いさうおふの妻
ありよつて子あり孫あり彦ありやうは祖父(ぢい)もいて所
席なふたてならぶのきの鬼瓦もときにふれ気につれて
人喰ふ顔つきにも見へず横道なること今の世のきれ
ものにいらぬ事まで値売りのしたがる世のなか身過ぎわす
れぬ人の気々まことに家をおつむるのわび次第に一家
ひろごりそのうちに士農工商区々(まち/\)にしてほまれあれど人
しらずしらぬ心からは霞が関はふだん桜はさくとおもはれつゝ
きの原は武蔵野にやつゞきけんむかひの岡は牛島のことなん


24
いふやとむげ/\とくらすもいと口おし?和(へんくわ)が珠を穴蔵堀の
ほりえたるにひとしある人京へまかりけるに人々此
府のことなん問ふ江戸鹿子にてしたり顔にこたえぬ
なれどいひ残したること草にていすかのはしの廿日すぎ
よひより月の出るこゝりしてひとつも合ずところに住める
かひなしとてわらふ鹿子まだらのふじのゆきやとたは
ぶれしへらず口すこぶる汗道具五尺手拭をしぼり奴と
帰り来てかたるしかれば江府(えふ)のほまれをことはりに似た
りと今染もそめたよ鹿(かの)の毛の筆いひ残さぬとの心にて
そうかの子といふならんさればめづらにほまれあること
(上注釈)
五尺手拭
は此ころの
はやりうた
なり

これのみにもかぎるべからずすえ/\゛になをくはふべし海は
ふかく山は高し賢君のみちは広ければシカいふ

  貞享江戸鑑の序
規はまがらず矩(く)は直なり此二つは上もなき御君子国を
廣(おゝひ)にしてその下に住める者其流れを掬(きく)するもの学ばずと
いふことなししかるにこの書今欠伸(けつしん)過不及をあらためて
年々(とし/\゛)春秋の埃塵(がいぢん)はらひて見る人安く誦む人明らかならしむ
名づけて戊辰江戸鑑といふことしかり


25
  同跋   松会堂
此板行(はんげう)は近年数多雖有之(これあるといへども)未だ不明(あきらかならず)今改正して出之(これをいだし)候此上
相違御座候はゞ御しらせ可能下候早速直し可申候まことに
この面(おもて)を見おぼへ其々の用をたし申かたもあり又遠国に
いたりては見ぬ江戸の栄国をしり候へばまつたくおろそかに
不仕(つかまつらず)うけたまはりしだい直し申候

  延宝 吉原細見の序
青陽(せいよう)の御祝儀目出度申 先ず以て御客様方 おん
ことふきえさせられうへなふ さて申あげまする

わたくし 例年名題のしゆかうおもしろくもくろみ
序書きをいれ御わらひを もよをし次に茶屋舟宿
禿やりてうら/\のあきんどならびに女郎しな定めくる
わの方角までことこまかにあらためあいしるし申候扨また
太夫かうしさんちや新ぞうつきだし京くだり名取達
にしひがしのつぼね其ほか名のかはり出る入るああるひはい
なりまたはくらひの高下いさいにぎんみをとげ差上申候
あいだもうすはくだながらこのさとへ御出(おんいで)なされ候御かたは
御ぞんじいづれも様がたひいきつよく山本がよいさういが
ないと御ひやうばんよろしう御ふいてうあそばされ毎ねん


26
御手にふれられ御らんくだされ候あいだ大かたならず本
ぐわいのいたりにぞんじたてまつり候これによつて当巳
のとしべつしてあらためたゞしくすべて五丁の内にある
ほどのこと細見にのらずといふことなし御ついでながら
申あげ候わたくしかたの細見あらため仕り本取次売り所は
揚屋町にて現金屋八蔵すみ町がしにて不川屋宗八この
両人をさきとして吟味役人多くつけ置申候間すこしの
違ひも時をうつさず相しれ申候ゆへ早速相なをし申候よつて
もうとうさういこれなく日々にあらため御手に入申候はつ
はるの御いかいぞめ御なじみの御君達初細見にのせまし候間

よく/\御吟味遊ばし御もとめ可被下候もし万々一違ひこれあり
候はゞ御えんりよなく御しらせ下さるべく候早々相なをし
申べく候此疑念のためわけて申あげ候このうへいよ/\御評
判よろしくつるかめのよはひまで御もとめ御一覧ねがひ
たてまつり候まことにもつてこのさとは遊楽のみなもとなり
凡そおろかなるをさとし老たるを若やかしかたくなを和らげ
まじはりをとぐる都(すべ)て其道にじゆくして御ためし遊ば
されべく候ことにまた御客様がたいつまでも若々と御寿
命ゆたかに益(ます/\)御全盛に御かよひ路と口に出るまゝ不老門
とはおもてへだしぬ


27
  寛保細見初清掻(すがゝき)の序
駿州よしはらを江戸柳町にうつし戯女(けぢよ)のみなもとゝす
時に明暦三年浅草龍泉寺村に土地をうつし新吉
原とことぶき老若のさべつなく数寄(すけ)るみちとてかわ
くがのかよひぢ人物に翼のなきばかり飛がごとくかの地に
いたるなかにわれはこれ過にしころ人様にしられたる吉原
見物(けんもつ)左衛門が弟吉原二徳とはやつかれでえす夜毎にこの
さとにかよひ三千の美君に見しられたもふきやくをば
来るやうにとりもち手にいらぬ女郎はひた/\と来る様に
とりもつ一名を廓通用(つうよう)男とも申さらばこよひもなよ

竹の竹に雀のよしはらすゞめくちにまかせて長せりふを
しやべり申さんきゝたまへ雨露霜雪(うろさうせつ)のさむきにもたび
はかずしていたまず白粉をかざりざれども容顔うるはし
貴人(きにん)に逢てもおそれず大酒(たいしゆ)をしてもみだれず老人をも
いとはず禿化して女郎となり女郎化していづくへ歟
飛ぶとんで魚ふちにおどり子も時なるかな/\竹さとの
後ろ帯夜見世のつれびき都路もいつしかはやるさんさがり
ひきかたまたはめりやすとうつりかはりしみすじのいと
いともかしこき君が代の千代に八ちよをさゞれいしの
岩ほとなりてこけの又娘ふうやら新ぞうやらふたみち


28
かけし道中にのぼりつめたるえもん坂堤八町ながからで
かよひくるわののふてん気きさまはすいかおれはやぼほんに
せいもん君ならでほかにあふみの源五郎鮒もごみには宵の口
二丁目のかし京町のすへの御げんといふこともめつたにな良の
大仏の花のあばへは傘(からかさ)をさした女郎へいきすぎともどかし
げなく来る客はわりなき中のたはれかや四寸も五寸もなま
いたにくぎぬき松皮木村がうふつきな御てきぞうらやまし
しみ/\すいたでかよふ神十一村の封しめを切ておさえて
はねかけて向ふもん日のだめもなく買とげ給へ去なから遣ひ
過ごせば身の為にあしはら国(こく)と申のもついせきれいの尾のさき

からいごき出て人のたねねんなふはやきくちのうちすく成る
酒は夏のことこと/\しくもにほふらんらんじやしばふね
うす雲のかほりほのかに奥ざしき木でせい柳でせい
だしてしゝとけんとの大さわぎまだよひなりとは思ひ
しにはや大門の四つめやからてんじんかしのふじや迄
てんと一座はみな納まりいつにかわりしむつごとの七つの
かねにふなやどがむかひに北風身にしみて後のえにしを松
かざりめでたくさとのはつ日影懸想文(ふみ)なるよしはら
さいけん初すがきと題することになりぬ


29
  延享二年細見の序  山本板
いにしえの奈良のみやこより木辻鳴川のながれたへず
いまの洛陽には嶋原といふ遊里あつて出口の柳に
こしほそみをならひて京女郎と世に名高く夫より
遠津国々にわたり長崎に丸山ありて唐人の寝ごとを
きゝわけ長州にはかみしもに関をすへて往来(ゆきゝ)のなみ
まくらをなぐさめ室の日和待ちにははやざきのうつりが
をほのめかし鞆(とも)に艫綱(ともづな)をとかんことをわすれ難波の新
町は揚屋のよしあしにたかぶり神かぜの古市は正直を
まもる御師達もうそのまことのふたみがうらの二心を

うらむ伏見の撞木町はしゆもく杖の隠居と金財布の底を
打(たゝひ)て駿府の二丁町にて足久保の?(にばな)に一升(いつきん)酒の酔(えひ)をさまし
潮来は銚子の盃手まくらの馴染をかさね元宮のざんざ時
雨には逗留を催し坂田の伯母は被衣(かづき)姿に都ゆかしく越の
三国(みくに)は玉屋新兵衛が無分別にその名をかゞやかせりなを
五十三次のとまり/\゛中にも岡崎は弾き習ひの三味線に
調子をあげ吉田は客をまねく二階造りに甍をならべ
大磯の化粧坂はむかしの名のみ残れり其余も所々に色里
多しといへどもあげてkぞふるに足らず只傾国の上品は
花の東の新吉原にとゞまりて爰に類する土地を聞ず


30
先ず太夫は孔雀しぼりの裳裾をひるがえして揚屋
の牡丹に遊び格子の道中はのつしりとゆふ日に
靍の粧ひをなし梅の奥ざしきをかまへたる金夜鳥(うくひす)
の風情鶉籠の部屋持はまきえのおごりにふけり
翡翠の衣紋を作りてふたり連立つ中の町(てう)鴛鴦(おし)の地中
に遊ぶがごとしそのほか色鳥のいろ/\に雀の笑ひは禿の
囀りやりては梟の夜の目も合さず茶や舟やどの水鶏(くいな)に
門(かど)をたゝかれ明ぼのに憎まるゝ烏も夕暮の黒羽折むれ
入れば春宵(しゅんしよう)一刻あたへ千金の目をおぼろ/\と真乳(まつち)
山に影をみがく廓(さと)見せ三味線の音(ね)じめはさながら

諸鳥の花の梢に遊ぶがごとし惣じて此地のはんくは美麗
なること他にこえたれば諸国参詣法師みづから硯
をならすものならじ

  役者金の揮(ざい)の序  近藤助五郎清春
かやうに候者はさる処のさるものにて候ハア是はさて/\
きつい雪かなそれゆきはがもうににて飛でさんらんす
我はしゆくしよを出てとんでうろたへるといえりけふの
寒さをいかにせんこふいふともつめたいが一倍まさり口へ
氷がとぢたイヤまづあのいほりへ参つて一夜を凌ぎませう


31
これはつめたや/\やう/\とまづこゝまでは参つたがトしば
らく内の体を見れば老僧いろりのもとに炭をたゝへて書を
ひらきいねもやらずさみし気にいたりけるにこれこそくつ
きやうよとのふ/\御あるじの御方申かね候へどもこの大雪に
身をいため跡へもさきへも参られずあはれ一夜をおんかし
候へと申けるに老僧おきもやらずよき折からのたびびと
見ぐるしくは候へどもこれへ御入り候へや楽助うれしくその
まゝに雪うちはらいじぎもなくいろりのもとへ座を結ぶ
ノウひらにろくにござれよえんりよともうすはむようのこと
御らんのごとくひんそうなりむかしのはちのきまの

はち米替らぬ年のかわりどしまづ/\茶なりときこし
めせ此ほうの御かまひはぐりなり/\とまた書をひらき
気をうつす楽助もこのていを見アゝなにさまかはつた御心
いれやとやゝありて申やう見奉る書物のしな役者ひやう
ばん数々に気をうつし給ふのは老僧にもしばい御すきと
見え申にかく田舎の御住居いながら芝居をごらんずる
こゝろいきのすいかな/\拙者もしばいをあまねく
興行せしによれば寄る物よきおりからむかしがたりの
しばいばなしうけたまわりたく候なり老僧こたへて
われとともしさいあつて芝居の道きゝつたへえせしこと


32
どもを御ふしんあらば問ひ給へ貴僧さまのことばのすへおも
しろし/\ムウまづ芝居のはじまりはいつのころにて候や
さて芝居のはじまりはさる楽田楽とてふたみちなりさる
がくと申は能役者衆是はもと山中にてさるどもあつまり
遊ぶことを謡にうつし能と申ことのはじまるでんがくは
芝居のはじまりなりむかし秋のころは百姓とも田を返し
稲をかりて休みけるに其中におどけたる百姓さま/\゛
ものまねをしてなぐさむ残りの百姓ども芝の上にいて
見物せし故田を楽しむとかき田楽とよむまた百姓共
しばのうえにいてけんぶつす故に芝居といふそののち

でんがく法師いろ/\あやをとりさま/\のものまねせしを
勘三郎これをまなびて芝居をはじめしなりまたくわい
らいしはあやつり芝居のはじめなりもとさるわかと申
ことはムウそれ此卯のとし勘三郎百年忌追善の時
中村七三郎のつとめみせしはさる若のまなび也世こぞつて
其ころ何てにも物まねせしをさるわかとくちずさむゆへ
いめうのことく申せしといふ勘三郎はとりわけしばい
の元祖なりそれゆへ顔みせよりもはじまりだいこをばうち
そむるなり其外しばいの系図いろ/\のほうもつあり
寛永年中より芝居根元の始まりなりまつた竹之丞は
(上注釈)
享保
癸の卯


33
みやこ伝内とり始めし芝居なりみな人大芝居と号(なづく)
るじゃもつともなるかなそのむかし勘三郎太夫勘弥の三
芝居は追出しのしばいなり竹之丞は一日しばいゆえ
ものしづかにてわけよくきこえしゆへ大芝居と名付たり
絵看板まねきの人形つくりものも竹之丞しばいより始
まりなりかぶきと申はむかしおくにともうす舞子始しより
歌舞妓とも申せしなりこれをみならひ作弥九兵衛たもん
庄左衛門玉川千之丞此折からは狂言は一切(ひときり)にてぶたひにも
かさり物といふこともなくたゞ女方くはしやどうけ男形斗にて
狂言しきぶねの道行横笛今川抔を長歌に合せ舞(まひ)道行

にて追出せし也又せりふ口上などもなかりしに親団十郎
伝九郎七三郎女がたのころよりつゞき狂言と申ことを
はじめ一番目より四番目まで仁義しやつきやう恋むじやう
をしぐみてこれをきやうげんのはじめとすむらさきぼう
しはちうこう荻野沢之丞はじめしなり夫より惣子供
役者までこのぼうしをかけそむる今の世にいたるまで沢
之丞ぼうしとこれをいふアゝおもへば名人の名のみばかり残り
曽我の狂言あれば十郎は七三郎五郎は団十郎朝いなは
伝九郎たれいわすともなく朝いなとあればびんうすく靍
の丸をつけ五郎はあかくかほをさいしきまへがみを


34
つけすさまじく十郎はたてがみたんぜんにて好色
おとこにきわむるもこれもこの三人の名人のはじめし
ことにて候なりマウウなるほどたとへ申せばえびすの
もんにつるぼうしはヲゝそれ八百屋お七のふうじ文をつけ
たるも過ぎしあらしのあてたりし狂言皆此かくしき也
扨此三人の曽我の狂言のつくりはじめはいつのころ
にて候うあヲゝ親団十郎の五郎にはじめてなられたるは五十
二三年前のころ山村長太夫芝居にて延宝三年五月狂
言にて勝時誉の曽我(十郎に宮崎伝吉 介つねに永島儀左衛門 かぢはらに藤田所三郎)また七三郎
十郎の初りは天和年中市村竹之丞座にて五月狂言

七三郎元服あり初て丹前好色鎌倉五人女(十郎に中村七三郎 五郎に野田蔵之丞
 介つねにさる若山左衛門 あさいなにむら山平十郎)さて伝九郎朝いなのはじまりはさるわか
勘三郎芝居にていとびん男となり同じく天和のころ正月狂
言にて奴朝奈大礒通ひ(朝いなに中村伝九郎 供やつこに坊主小兵衛)またいまの団十郎
五郎になりしはじめは宝永五年子七月十四日山村長太夫
芝居にて少将と合狂言名題は傾城一張の弓(十郎に生駒新五郎 五郎に市川団十郎
とらに筒井吉十郎 少将に中村源太郎)市川のあと日々にまさりて枡五郎三代の三舛
これ団十郎は永代役者これ/\評判記を見給へいづ
れも/\ひやうばんのじよびらきに上々吉とほうびせし
あたりめつよき金の揮(ざい)名人かな/\とてものことに
(上注釈)
今の団十郎
といふは
海老蔵
栢莚なり


35
夜(よ)は長し夜すがら是より団十郎のはつぶたいから段々
はなしてきかせませう

  江戸六地蔵建立略縁起の序  地蔵坊正元
地蔵菩薩の功徳広大にしてもろ/\の大菩薩に勝り
たまふがゆえに釈迦の付属を請け給ひ弥勒ぼさつの世に
いでさせ給ふまでの人間天人地獄餓鬼畜生修羅の
六道に輪廻する一切衆生になせるところの善業悪
業ともに地蔵ぼさつの判断にあづからずといふものはなし
すなはち閻魔王身を現じては一切の衆生の作悪(さあく)をしづめ

六地蔵と現じ給ひことは六道に遊化(ゆげ)して苦をぬき楽をあたへ
たまふしかればすなはち我々衆生はすでに地蔵ぼさつの恩
顧の者なり何ぞ六道一切のしゆじやう理としてあふこの菩
薩のあをぎうやまはざらんや一度もえんをむすびし人は生々(せう/\゛)
世々(ぜゝ)においてもろ/\の苦患をすくひ弥勒の出世にて引導し
給はんとのくわうだい慈悲のせいぐはんありくわしきは六地蔵
建立くわんけの書のするものなり

  同観化帳(くはんけちやう)の跋
抑(そも/\)予十二歳のころこきやうをいでゝ十六歳にして剃髪


36
受戒すそのゝち二十四歳のあきのころより重病をうけ
二十五歳のはるのすえにいたりて医術もかなひがたく
死すでにきはまれりこれじやうごうのなすところにして前
日よりそのさうのみにあらわれり父母(ふも)これをかなしみ
ひとへに地蔵ぼさつに延命をいのりたてまつるみづからも
親のなげき骨髄にとをりいつしんに地蔵ぼさつにせ
ぐわんすらくわれもしぼさつの慈恩をかうむりて父母
ぞんじやうのうちにいのちをのぶることを得ば尽未来際(ざい)に
いたるまで衆生のために菩薩の御利益をすゝめおほく
そんぞうを造立して衆生に帰依せしめともにあんらくを

得せしめんとちかひその夜ふしぎの霊験を得てちやう
びやうすみやかに本復すそのゝち諸国をめぐり無えんの
衆生を多くえんを結ばしむわれまた生々世々をへるとも
このぐはんなをおこたらざるのせいやくのために地蔵菩
薩の尊前にて七つの難苦行を修せり第一には指燈(しとう)
これはひだりの小指をあぶらにひたし二節(ふたふし)めまでみな
燈明に供養す第二に手燈(しゆとう)これは十七日のあいだまいにち
手のうちにあぶら燈心をいれてこれ又とうめうに供養
す第三に手香(しゆかう)これは三七日のあいだ毎日伽羅沈香
粉(こ)にしてまつかうとともに肘のうえ三寸のあいだにおき


37
香煙をくようす第四に六万度の礼拝これは七々日のあいだ
おこたらず地蔵ぼさつを一千三百六十度づゝはいしたて
まつりて都合六万度禮(らい)第五に水中らいはいこれは極
寒のうちに三日三夜すいちうにいつてみづいちどあびて
地蔵ぼさつをはいすること三度づゝ都合三千禮に一千度の垢(こ)
離(り)第六に百万べんの称名これは一七日の間もろ/\のしよく
もつうぃたつてくはずして地蔵ぼさつの名号をとなへたり
第七に六万巻の読経これは一千日のあいだおこたらず延命
地蔵経をまいにち六十巻つゝどくじゆして都合六万巻に及
べりこれらの事を書面にするは人の嘲りをかへり見ず

めうりをもとむるに似たりといへども左にはあらず予が願
誓の虚妄(こもう)あらざることをしめして童男童女の信をすゝめ
そんぞうをさうりうのぐはんすみやかにじやうじゆせしめん
がためのことなりわれせんねん廻国したりしみぎり
御在城をはいしたてまつるのせつ念願しけるは回国
おはりなばふたゝびこゝにきたりて諸人をすゝめ
帝都の六地蔵におなじく 御当地のいりくちごとに
一体づゝ金銅一丈六尺の地蔵ぼさつを六ところに都合
六たいざうりうして天下安全武運長久 御城下
はんえいをしゆくぐはんし かねてまた諸国わうらいの一切


38
衆生へあまねくえんをむずばしめんとちかふそも/\
帝都六地蔵濫觴は 人皇十四代仁明天皇の御(ぎよ)宇
参議小野篁(たかむら)平等りやくのむねを思惟したまひて六道の
能化(のうけ)なければみづから六地蔵ぼさつをざうりうし天下
安全宝祚延長洛陽繁栄のしゆくぐはんし且また諸人
わうらいのちまたに安置したてまつりて一切衆生にあま
ねくえんをむすばしめたまはんとぞ 帝都の六地蔵是也
われすでに時節を得て今年(こんねん)より六体のそんぞうざう
りうをもよほすこの書見聞のひと/\゛吾がこゝろざしを憐み
たまひて一紙半銭(いつしはんせん)のならひなく助々をくわへさせ給へわれ

生々世々においてながく其恩を報ずべし大凡このそん
ぞうをさうりうは国土あらんかぎりのたからなるべし
金銅仏(からかねぶつ)なれば火災にも滅せず一丈六尺の大像なれは
とうぞくの失もなかるべし諸人往来の衢にたつれば一切
衆生悉く縁をむすび奉る仰(あおぎ)願はくば神明佛薩(しんめいぶつた)の加護
を蒙りて六体の尊像つゝがなくざうりうして万代の一切衆
生とともに同じく善道にいたらんことを
 寛永三年丙戌五月吉祥日 観化沙門 深川 地蔵坊正元謹言

  宮薗(みやその)新曲集の序  鸞鳳軒薗八(らんぼうけんそのはち)


39
月花のあそびも酒なくんば楽しまず或夜二三子合(しあひ)逢て
酌やくきやうに打入て独りは語るひとりは弾くいまひとりは寝むり
かたりおはるこほひに酒もあさめきやうも覚め目も?(さめ)たり三人
たゞかほを見合せてつくねんとして御通夜のあかつきに似り
予曰宵のほどは一刻千金のきやう撃筑(げきちく)のあそびもおさ/\劣る
まじくおぼゆるいかにかくはおもしろからざるやといへば彼寝たる
人あくびまじりにこれはなまながき浄留理をかたれる故なりと
腹あしげに答ふ予つら/\そのこゝろを考ふるにいかにも左
あらんと感得しすなはち新曲短篇を作りてこれをかたる
かの人手をうつて大ひによろこび客あれども酒なく酒あれども

さかななきときはこのきよくまさに鯛にあつべしとの
一句のほめことばにほれてついに此篇をなす名付て
新曲集といふもとよりつたなき巴調(はてう)といへども小梅水
辛(から)の一助にもとこれをつゞるたゞ熱田のさとのあつかは
なるそしりをおそるゝのみ
(上注釈)
水からは
結びこんぶ
にて関西
酒の口取
に小梅と
ともに用
るなり

  その菊の序 元祖路考弟瀬川菊治郎 仙魚
いかなるとしいかなる日ぞやわなみ兄
路考身まかりぬ此わかれをいかにせん胸


40
つぶるゝのおもひ筆とれば又涙とゞめがたし
しかあればとし頃日ごろ親しみ有る方の
句/\おのづから机上にみつ拝吟すれば
皆さとし給ふのことのは多しとり/\゛しるし
集めまた亡き人の吟じ残せる四季の句を
書きそえてこのめる道の一すぢをたむくる
のみとしくはんえん二なが月

  同跋
人々の玉句一周むかふる日までかず/\なり月日程なく
すぎてことしはや三とせの手向となりぬることゆめ
k、あとばかりおどろかれぬいまはじめより集めおけると
またおの/\あらたにとひたまふをもてともにつらねて
一集としのちのえかふをねがふことなり
  ことの葉をつかねて露の手向哉  仙魚

  同跋
(略)


41
(略)
寛延辛未秋九月二日
 本所押上長行山大雲寺  沙門 至誉眠龍

  俳諧洗濯綴の跋 牛露軒一雪
俳諧のながれはたえずしてしかももとのはいかひには非(あら)ず
とぶとりの?鳥(いすか)川なみ/\を打越たるすき物の昨日の
風情けふはかわりゆく渕瀬のふかきとふかき浅きと

あさき心々は何れをいづれ葭芦簾(よしあしすだれ)あみ出せる発句集め
その数いくそはくぞやかけまくもかたしけなくも軒
の戸さゝぬ今此御代に生れとうまれ合ひてしやうじ
骨の立横をだにしらかみの薄きざえをもて衾張りの
筋々(すじ/\)を道の引き手とし鋸屑(おがくず)を集めしかどかわき砂
子の用意にはいかでかまさらんと鉄鎚のうち見ん
人もなくてやは釘の頭の出過ぎたるにきぬの袖がり
がましくもめん布子のえり垢深くよごれたる心を
すゞがましくやがて洗濯ものすなる盥の底の浅(あさ/\)しき


42
みづから灰汁桶のたれ/\の句数年月ため置きし
かど類(るい)にもれ行く溜りの残り鮮やかになれるに付けて作者の
ほねをりもせこそほいなく思(おぼ)すらめとさればとて
まさ/\見当たれる句を空(そら)さぬふりして置きなばまへなる
あかき人後(のち)くらきものゝしはざやとおもはれんもおこがましく
はづかしの杜の言葉世にしげければ心の及ぶたけ糺す
河原のいしう撰びえらべども猶かたく見落としの有間敷(あるまじき)
にもはたあらずその一ふしは舟さす棹の竹の浦しほ
ひしほこち見る目もしげく人のとがめや有り礒(そ)うみ
蜑(あま)の衣を綴りたつる物縫針の糸ならなくに長き

世までと細きこゝとざしをのべ置侍る物ならじ又おくに
名所あら/\書き加へけるはめづらしからねどおなじこと
いはじとにもあらねば年ごろ日頃見置き聞きおくところ
爰にしるしぬ
  俳諧の洗濯ものは灰汁をたれ
  一つ雪ぎて仕立つるかな   西武

  花の名残の序
此物語りはやんごとなき御方の御母公(ぎみ)江の嶌(しま)に詣で給ひ
鎌くらに御逗留ありしに一人の尼の住ける柴の庵の


43
たづね給ひてしめやかの御物語りのついで都にてのこと
どもきこしめし及ばれぬるをまめやかにと御尋ありしに
かたくいなみ申されしを懺悔に過去の罪を滅すとしいて
望ませ給ふにより辞しがたくやありけむもしづの尼
妙匀(めういん)が是を書つゞりて御帰府の後御慰み艸(ぐさ)にとて
まいらせあげぬ題号を花の名残といふは此書の初めに
花の名ごりの青葉と書出せるを取りて母公(ぼこう)の号(なづけ)たまひ
けるとぞつれ/\゛なるまゝに日くらし硯にむかひてといへる
草紙に准らえ知るべし

  菩提樹の弁の序  風来山人
或人南無阿弥陀仏の六字を注釈して曰くそれ南無とは
南なしと書たる文字にて死んでしまへばみな身なし
後生をねがへといふこゝろ阿弥陀とは世の人をすくはせ
たまふあみだほどにずいぶんたのめとの御誓くはん仏(ぶつ)とは
念仏をかうしやうにとのうるはめうもんなり口のうち
にてぶつ/\と申せよとのことなりしかつべらしき傍(かた)はら
より如来とはさていかにこれには殆どこまりながらいひ掛り
行(ゆか)れもせず嵯峨の釈迦でも善光寺でも開帳に出ることは
衆生済度はもちろんなれども二つにはさんけいの散銭(さんせん)を


44
によろふゆへにそこで如来と申といへば一座どつと笑ひ
けるを此書の序とはなしけらし

  同跋  同門人無名子
去御方善光寺の延記を聞給ひ夜は如来善光(よしみつ)をおひ
給ふといえるを論じて宣ふには閻浮檀金(えんぶだごん)の尊像は小像
なるよし善光が五尺の體を壱寸八分にて負はせたまふ
とは甚だもつて心得がたしと或人こたえ申されしはそこが
ほとけの通りきにて壱寸八分の尊像を五尺にも七尺
にも忽ち変じ給ふなりといへども合点し給はずさほど

通力自在ならば尊像変じて負んより竹輿(かご)を雇ふが近みち
なるべし斯智恵のなき如来にて衆生済度は覚束なしと
或人また申けるは一応竹輿を借(か)られしが善光路銭を持た
ざればなんぼ仏の通力でも柿の蔕(へた)では合点せずその
とき如来の小言(こごと)に曰く嗚呼銭なき衆生は度し難し

  浄瑠璃十二段の序  小野於通
扨も。そのゝち。上るり御ぜんの。ゆらいを。くわしくたづぬるに。たう
ごくに。ならびなし。ならびなきこそ。どをりなり。ちゝは」ふしみの
けんちうなごん。かねたかとて。三川(みかわ)のこくしなり。はゝは。やはぎ


45(44と重複)


46
長じやの。ひとりむすめ。びじんなり。かの長じや。よろづにつけて。
わく。たからを。七つまでこそ。もたれける。中にも。しろかね。こがね
をば。水のあはとぞ。思はれける。されども。長じや。子を一人も。もたせ
たまはば。ところ/\゛へ。しゆくぐはんをもうされける。されども。
しげん。しるしは。さらになし。そのころ。三河国に。はやらせ給ふ。
みねのやくしへ。参りつゝ。さま/\゛のしゆくぐはんをこそもうされ
ける。なむやくし。十二じん。ねがはくは。みづからに。なんしにても。
によしにても。子たねを。ひとりさづけ給へ。そのぐはん。じやうじゆ。
するならば。やはぎの。いえに。七つまで。ある。たから物を。壱(ひと)つ
づゝ。しだい/\に。まいらすべし。まづ。一ばんに。こんぢの。にしきの。

まもりを六十六尺の。かけおび。五尺のかづら。八つはながたの。
からのかゞみ。六十六表(おもて)。十二の。手ばこをそえて。まいらすべし。
こがねづくりの。かたな。三十六こし。そろへて。らんかんわた
して。まいらすべし。是をもふそくに。思しめさば。まばや。
そやを。百すじ。そろへて。いがきに。くみて。まいらすべし。
こんぢの。にしきの。御(み)とてう。月に。三十三。八年かけて。参ら
すべし。あけのいとにて。まきたてゝ。黒のこまおどし。三十
三疋づゝ。五ねん。ひかせて。まいらすべし。かの。御どうの前に。ほうらい
さんを。かざりたて。こがねにて。日をつくり。しろかねにて。月を。つ
くり。まいらすべし。すゞめ。諸てう。かものまがりばつるの。もとしろ


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こうの。しもふりを。もつて。御じやだんを。たてかへ/\。としに
壱度づゝ。一二ねんが間。たてゝ。まいらすべし。なんしにても。によし
にても。長じやを。あはれと。おぼしめさば。子たねを一人さづ
けたまへ。是をも御もちひ。さむらはずば。この御(み)どうの
内ぢんにて。はら十文じに。かき切。はらわた。つかんで。やくし
に。なげかけ。あら人神と。なつて。参る人に。しやうげをなし。
さむらはん時。長じやを。うらみ給ふなと。ふかく。きせいを。申つゝ。
二七日を。こもらせたり。かくて。百日の。まんずる。あかつき。仏は八じゆん
ばかりなる。らうそうに。へんじ給ひつゝ。みなすいしやうの。じゆず
を。つまぐり。長じや。御ぜんの。枕がみに。立より。いかになんぢ。うけた

たまはれ。なんぢが。なげてところ。あまり。ふびんさに。八尺のかねの。
ぼうが。八寸になり。八寸の。かねの。あしたが。四寸に。なるまで。たづね。
まはれども。さらに。なんぢに。さづくべき。子たね。一人もなし。
子たねの。なき。いわれを。かたつて。聞せ候べし。たかのぬまと。云ふ
ところに。いけあり。かのいけの。ふかさ。八万ゆじゆんなり。なんぢ
が。たけを。もうせば。十六丈の。大じやなり。この大じや。人を多く
とり。てうるいを。ほろぼじ。たるにより。なんぢに。子たねは。なき
ぞよと。やはぎの。長じやに。うまるゝ事は。かのいけの。ほとりに。
くはんおんどう。あり。此どうに。たつとき。御そう。壱人。まします。
かの池の主。成仏。せよとて。よる。ひる。ほつけ。めうでんの。


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おとなひ。なんぢに。えこう。し給ふ。かの。御きやうを。てうもんし
たりし。くりきに。より。ほどなく。やはぎの。長じやに。生れたり。
なんぢが。つまの。げんちうなごんは。人もなき。たかき。みねに。
すむ。わしといふ。たかなり。おほくの。とりのかずを。ほろぼすといえ
ども。ふな山の。かねのこえ。御きやうを。てうもん。したるにより。くけ。
大めうと。うまるゝといへども。そのいんぐはにより。子たねもなし。
さりながら。あまりになげくも。ふびんさに。子たねを。壱人さず
くるぞとて。玉手箱をひらき。たねづさを取出し。長じや
御ぜんのたもとへうつさせ給ひけるそと。おぼしめし。ゆめ打
さめて。くはんぎの。こゝろ。かぎりなし。らいはいまいらせ下向

もうし。くるま五百りやうそろへて。長じやのもちたる七つの
たからを。みねのやくしへ一つづゝ。しだい/\にまいらせたり
そのゝち。長じやほどなくくわいにんして。日数つもれば。
御さんのひもを。とき給ふ。かれをとりあげ。見たまへば。
誠に玉をのべけるごとくなれば。上るりとぞ。なづけたり。
この姫君には。おちが六人。めのとが六人。十二人あひそひて。
てうあひ申なり。きのふけふとはぞんずれとも。早十四才になり
給ふ。しいか。くはんげんに。くらからず。ちゝのためには四十三の御子。
なり。はゝのためには三十七の御子とぞ聞へける。とにもかくにも。
かのふうふの御よろこび。申ばかりはなかりける 終