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趣味の変体仮名

一子相傳極秘巻(いっしそうでんごくひのまき)第三

 

読んだ本 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554808


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一子相伝極秘巻第三

 目録
一匹夫も天下に名を揚ぐる妙決
一一生貧乏にならぬ極秘の印下
一水の底にて行燈をとぼす秘術
一刀の刃を握りて手のきれざる妙術
一屋根の上にて角力をとりて落ざる秘術
一一切の持病を愈(いや)す妙法


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一百八十歳の齢(よはい)を保つ秘伝
一妖物(ばけもの)に踊をおどらせる奇妙秘伝

目録終

一子相伝極秘巻第三

 ○匹夫も天下に名をしらるゝ立身の仕やう極秘伝
一今太平の世の中なれば たとへいかほどの才智あり
 とも一ヶ国にも名は揚られず 韓信が智謀をたくわへ
 千人の胯をくゞりてもpくゞり損 国家混乱せざればどふで
 忠臣はあらわれず 扨は算盤の玉に目の玉をたし
 て働らかせても高が勘略奉行 砂糖箱の進物も役
 替の甘味がついたばかり 海内(かいだい)に名はうられず此節に


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 生れては山林に身を隠していくさをのがるゝ 世話し
 なし 出家遁世して武士を捨(すつ)るにも及ばず 商人(あきんど)は
 商人 百姓は百姓 浮仮丿(うつかりひひょん)と世をおくる すべき手柄のな
 き世ほどありがたき事はなし それとも当世に名
 を揚んと思はゞ上手なる役者になるがよし 長
 崎より津軽のはてまで江戸の海老蔵が名を 
 しらぬものはなし 殊に衣類の模様より髪の結
 つき詞のつかいよふまで江戸中の鏡となりて皆

 其風(ふう)をまなび男女顔色(がんしょく)を変して役者の贔屓
 を争ふありさま 誠に移風易俗(いふうえきしょく)聖人の楽(がく)にまで
 り名を海内にひろむるもことわりなり されば伊藤
 萩生の学才も活(いき)た内には人しらず 今しられてもちん
 ふんかんの仲間ばかり 何れの芸もみな迂遠(まわりとおし)捷経(ちかみち)
 なるは役ばかりしかも其威光何となく草木も
 なびくよふなるぞ 馬鹿/\し

 ○一生貧乏(ふべん)にならぬ極秘伝


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一凡そ生(しやう)あるもの死あり 春夏ある故に秋冬あり
 金銀は定まれる主なし 主が定りてあらば世上の
 用にたらず 我も一生のかゝへものなり 車と金銀は廻る
 を以て宝とす 車が廻らず金銀が通用ならずは
 何の用にかたつべき 豪富(かねもち)が永代金持であらんと
 思ふほど横着なる事はなし 元来貧乏(ふべん)なればふ
 へんになる気づかいなし 是一生ふべんにならぬ妙
 法なり 此故に古人も貧は冨を失なはずとい

 へり

 ○水の底にてあんどうとあかす妙術
一あんどうを水のいらぬよふに油紙にてはり 竹の筒を
 いきぬき穴にして 水の中にて火をとぼすべし

 ○立ちの刃を握りてきれざる秘伝
一めりやす手さしの様に鏈(くさり)にて作りて 手にはめ刃を
 握るべし 少しもきれず

 ○屋根の上にて角力をとりて落(おち)ざる妙術


7(挿絵)


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一大縄を腰につけ 垂木(たるき)に結びつけてよし 投られても落
 ざる事妙なり

 ○一切の持病を愈(いや)す大妙薬秘方
一凡そ病は七情(じやう)と外邪(ぐはいじや)を根本とするよし醫書に
 はいへり 今太平の世に居て是を近く考るに懶(もの)
 惰(ぐさ)と多欲と奢侈(おごり)との三つよりおこる よきゝぬ着
 て炬燵に入て寒気を防ぐものが寒気に中(あた)りやす
 く風もひきやすし 冬の節 麻布(あさぬの)着て野山に出(いて)

 てはたらくものは さりとては無病なり 炎天にてら
 され日々にはたらくものは暑気に中(あたら)ず うすもの
 着てすゞしき座敷に扇(おふき)手にはなさぬものが暑気
 にもたへがたく しかも中(あたり)やすし 又淫慾(いんよく)食(じき)慾 睡眠(ねむり)の
 三慾も病の発(おこ)る元なれとも 身をはたらかし暇(いとま)なき
 ものは自ら此慾もうすし 鳥獣(とりけもの)の病なきも身をう
 ごかしていとまなき故なり 流るゝ水の腐らず 戸
 の樞(くるり)に虫のつかざるも養生の道にかなふゆへなり 死


9
 生命なりといへど寒中の雪を北辰(きたむき)に積(つみ)て むし
 ろを覆へば春までたもつ 峯の松を湿地に植(うゆ)れば
 枯るを見よ 八百やが筍 茄子(なすび)の貯へを見れば人の命を
 たもつにも秘法ある事を知べし 長命をたもち
 持病を愈すは農業の働(はたらき)ほど良薬なるものはなし
 然れとも のみにくき薬なる故 上品の人は用ひかたし
 といへとも命とつりかへなれば思案あるべき事なり
 又農業のはたらきに似たる働もあるべし 何れ成(なり)

 ともつとむべし 殊に気積(きしやく)食(しよく)積 疝(せん)積抔(など)いつる痼(ぢ)
 病 吉益流(よしますりう)の下し薬にても元気のぬけるばかりなり
 平和の薬にては 牛の角に風やまひにはあたらず 是(これ)
 等(ら)の人 農業散(のうぎやうさん)を三年用ひ菽麦(そはん)を食(くら)ひて魚鳥(ぎよてう)
 の肉を遠慮せば 氷に湯をそゝぐが如く病を減ず
 べし 然れとも上品(ひん)の人は飲にくき薬なれば始の程
 は少しつゝ用ゆべし 是 神農(しんのう)黄帝(こうてい)扁鵲倉公(へんじやくさうこう)なと
 いへる明醫(めいい)相伝の極秘方なり


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 ○百八十歳の齢(よはひ)をたもつ極秘伝
一強(しい)て慾を張(はり)命(めい) をたもたんと思ふものは昼夜眠ら
 ずに居るがよし 一日にても二日の意(こゝろ)なり 是九十年活(いき)
 て百八十年の割合なり 東坡(とうば)の云(いは)く 無事にして静(しづか)に
 座すれば一日両日に似たり 年七十を得て便(すなはち)是百四十
 名つけて一味長生飲(いちみちやうせいいん)といふと

 ○妖物(ばけもの)に躍(おどり)をおどらせる秘術
一近くは相模入道といへる能天器(のうてんき)濡首(のみこうじ)ての茶碗さけ 酒

 の肴に田楽舞を好みしより天狗の妖怪(ばけもの)とおどり
 遠くは清盛入道法体(ほったい)の身なれば 仏ごぜんに
 舞はせ 妓王(ぎわう)妓女におどらせしは 婬女(いんじよ)に魅惑(だまされ)た
 るにあらずや 紅粉(こうふん)を面(おもて)に粧(かざ)れば不艶(みにくき)女も し
 ほらしく 老たるも若やき一限(ひときわ)化(ばけ)の手際をあら
 はす 此ゆへに妖怪の妖(ばけ)の字は夭(わかき)女と書けり その
 化物根元をしらざるもの 此ばけ物に迷はされ生涯
 をあやまる事古今其数をしらず 漢の高祖


11
 の大智(たいち)にてさへ女房にしては呂后(りよこう)の悪心を見ぬく
 事あたはず 高祖崩御の後(のち)甚だ害をなせり
 頼朝の上総の五郎兵衛 悪七兵衛を見出す眼力(がんりょく)に
 も政子の根性を見ぬく事あたはず 終(つい)に北條家へ
 うばはれたり 殷(いん)の紂(ちう)王は妲己(だっき)といふ女に眩惑(だまされ)て
 天下を失ひ 武烈天王は玉藻の前にだまされ天
 下を失ひしを狐のわざといひ伝へしは 狐の仲間
 の甚だ迷惑 隴頭(ろうとう)の鸚鵡にはあらね共 ものがいは

 るゝものならば人間に恨(うらみ)をいふべき事なり され
 ば彼(かの)化物の毒気に中(あた)れば覚えず侠然(さむけ)を名づけ
 て恋風と云 少し心が展転(ぐれかへれ)ば釈迦も黄色の涎沫(よだれ)
 を流し 達磨もすゝきの眼に変ず ましてその他
 の凡夫をや 猶近く妖物(ばけもの)を見むと思はゞ先つ金銀
 が先きにたつ ばけ物屋敷の水上(みなかみ)は京の嶋原
 大坂の新町 江戸の吉原 それより国々所々に
 なき所はなし 其附随ふ眷属(けんぞく)に牛(ぎう)といへるは うし


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 のばけもの面皮(つらのかは)を厚くして取りたがるの名なり
 花車(くはしや)とは滅他(めった)に掴(つかみ)たがる 金花猫(ねこまた)の経(へ)上り やり手
 は人を槍玉に揚(あぐ)る下こしらへ 梅川・忠兵衛の縁をと
 る太鼓は人に身上をうたせる因縁それとはしらず
 主親の血の汗を流して儲(もうけ)し金銀を惜気なく
 つかひ捨(すて)鼻毛は凧巾の糸より長くして楽しみ
 と思ふ 戯気(たはけ)は黒虫を赤飯と味(あぢは)ひ 馬糞を団子と
 思ひ 狐の小便を酒なりとて飲がごとし 眼前にばけ

 物の害をなす事狐狸(きつねたぬき)の及ぶところにあらず 尤
 いにしへより此ばけ物は 源の頼光(らいくわう) 田村将軍の手にあ
 まし 頼政が弓にも及ばず 老たるもわかきも此まと
 ひのみやめがたしと兼好も首をひねり 女子と小人(しやうじん)
 とはやしなひかたしと孔子も我(が)を折られ 釈尊も外(げ)
 面似菩内心如夜叉(めんにぼさつないしんによやしや)と恐れ 成仏は情合かがしと御心
 よしのあみだ如来へ根ひきにして御渡しなされ
 丁子風呂に座敷を春めかせ 衣裳に伽羅をたきこめ


13(挿絵)


14
 ても其後の糞袋はどふするぞ 三十六の不浄なる膏(あぶら)と
 血にて白骨を包(つゝみ)し其躰 面皮(つらのかは)一枚剥で見よ いつ
 くに醜(みにくき)美しき想があると悪対(あくたい)をつき給ふ されば
 中華(もろこし)にては色里を荊棘林(けいきょくりん)と名付け いばらのは
 やしの如しともいひ 傾城傾国の名なりといへとも
 すべて当世の民天下太平の化育(くはいく)に誇り 武威も
 自然と柔和を貴(たつと)び意(こゝろ)も女のよふになり 華奢風
 流古しへに百倍せり 古人の曰(いわく)富貴奢りを生じ

 奢り淫乱を生じ 淫乱病を生ずと誠なるかな
 虚労(きよろう)骨蒸(こつしやう)の病ひ 古しへまれなるに 今は民間にさへ
 多き事古しへの百倍 しかも治するもの百に一つも
 なし 是皆 婬火骨を焼(いんくはほねをやく)のわずらひなり 殊に婦人
 繁昌の世なれは男も女も風俗を学び裾長く袖な
 がく身の廻り皆女らしきをよしとすれば 女はかへ
 つて男を見下し男の風俗を持込 羽織を着し
 眉毛は文微明(ぶんちやうめい)風(ふう)の金刀(きんとう)に切りもみあげは 赤坂流


15
 の奴ときて馬耙(まくわ)程なる櫛をさし 艪械(ろかい)のやうなる
 笄(かうがい)は傍の眼もつきそふなり 万統殿より家美(かみ)殿
 とつかひかけるもちかける 身上がなをる程女の権
 威が次第にまし 牝鶏が時を鼓(つゝる)が亭主の耳には
 入らぬが奇妙 さるあいだ古人は美人 愈(いよ/\)毒気(どくき)
 多しと恐れたり 呂氏(りょし)春秋には蛾眉(がび)は伐性(ばっせい)の斧
 なりとて 美目(みめ)よき女を斧(まさかり)にたとひるが 身を伐(き)
 らるゝ事を恐れたり 世話にいふごとく女の心と秋
 
 の空は日に七度の晴雲(はれくもり)有 狐の性をしらずして 丈
 夫の身として指を切り 肘を噛(かみ)二世の契りを天に
 誓ふ闇走兒(あんほんたん)恋は思案の外(ほか)といへと一段思案の内
 なれども思案袋の薄きゆへなり 火は烈(はげし)へれ共
 石へはつかず 水は潤せども金(かね)へは湿らず 古人も妖(よう)は徳に
 勝(かた)ずといへり 正しき人にばけ物は近よらず

極秘巻三終