仮想空間

趣味の変体仮名

国性爺合戦 第二 

 

読んだ本 https://archive.waseda.jp/archive/index.html
      浄瑠璃本データベース イ14-00002-299

 


29(左頁)
  第二 はまつたひ
綿蛮(めんはん)たる黄鳥丘隅(くはうてうきうぐ)にとゞまる 人としてとゞ
まる所にとゞまらずんば鳥にしかさるへしとかや 爰
に大日本ひぜんの国まつらのこほり 平戸の郷に
釣たれ網引世をわたる 和藤内三官(くはん)といふわか
者有 妻もおなし海士(あま)のわざもにすむ虫のわれ
からと 仲人なしの手枕にくゝり枕としめ合し 小むつと


30
といへる名にめでゝ 世をむつましくくらしけり そも此
和藤内が父はもと日本の者ならず 大明国の忠臣
大師大爺鄭芝龍(だいやていしりう)といつし者なりしが くらき帝を
いさめかねみだから長沙(ちやうしや)のつめをさけ 此日の本につくし
がた老一官と名を改め 浦人に契りをこめ此おのこを
もうけしゆへ 母が和国の和の字を用ひ 父は唐人唐の声
をかたどつて 和藤内三官と名乗 廿余年の春も

立秋も過行十月の 小六月迚あたゝかや びつちう
ぐはにめかご提げ身のすぎはひと夕なぎに夫婦つれ
立出にけり 見わたせば沙頭(さとう)に印(いん)をきざむかもめ
おきすにすだく浦千鳥 潮のひかたをすき返し蛤ふん
で色々の かいどり 小つましよほ/\とぬれて ひろひし
貝な何々ぞ かうな したゝみ あさりがい しほふきあげの
すだれがいちらと見染しひめ貝に 一筆かきておくり


31
たいらぎ口明て ほや/\笑ふあかがいに心よせがい アゝ
いたら貝 君はすがいとすいつけと 我はあはびの 片思ひ
にくやそもじのさるぼうにくはせたいぞやさゞい貝 むめ
の花貝さくらがいねもせでひとりあかにしの 誰
をまてとや 人の見るくい忘れ貝 我ふたりねの
床(とこ)ふしは 身にしゞみ貝いわひがい門出 よしのほらがいは
悦びのかいとぞ取にける 中に一つの大蛤日かげに口

を打ひらき 取人有共しらあはのしほを吹てもりあ
げしは げにや蛤よく気をはいてらうたいをなすとい
ひしも かくやと見とれいる所に 磯のもくづに飛渡りあ
さるはね音おもしろく おりいる鴫(しぎ)のきつと見付 嘴いからし
只一啄(つゝき)とねらひよる ヤアいはれぬ鴫殿 かんきんもする身で
是がほんの殺生かい 蛤も蛤口をくはつとはかいむざいん 飛
ついてかち/\/\ つゝく所を貝合にしつかと喰しめいごかせ

 

32
ず 鴫は俄に興さめがほ引つしやくつゝ羽たゝきし かしらを
ふつて岩根によせ打くだかんず鳥のちえ 蛤は砂地の得
物塩の溜へ引こまんと しりさがりに引入る羽ぶしをはつて
ばつと立 一丈斗あがれ共つられ落ては又立上り はつと
立てはころりと落 鴫のはねがきもゝはがき 毛をさか立てぞ
あらそひける 和藤内つく/\゛見て備中鍬からりと捨 アツア
面白し 雪折竹に本来の面目を悟り ひぢを切て祖師

せいらい迄の編をひらきしも尤かな断りかな 我父が教に
よつてもろこしのへいしよをまなび 本朝古来名将の
合戦せうぶの道理をかんかへ ぐん法に心をゆだねしに 今鴫
蛤の争ひによつて軍法の奥義一時に悟ひらけたり 蛤は
貝のかたきを頼んで鴫の来るをしらず 鴫は嘴の?(とき・鋭?銃?)にほこつ
て蛤の口を閉(とづ)るをしらず 貝ははなさし鴫ははなれんと まへに
気をはつて後を返り見るに隙(ひま)なし 爰に望んで我手も


33
ぬらさず二つを一どにひつつかむにいとやすく 蛤貝のかたきも
詮なく鴫のはしのとがりもついに其徳なかるべし 是ぞ両ゆう
たゝかはしめて其虚をうつといふぐん法のひみつ もろこしには
秦の始皇 六国をのんだる連衡(れんかう)のはかりこと 本朝の太平記
を見るに後醍醐の帝 天下に王として蛤の大口ひらきし
政(まつりごと)取しめなく 相模入道といふしぎ鎌倉に羽たゝきし 奢
の嘴するどく 吉野ちはやに塩を吹よせ申せしに 楠正成

新田義貞二つの貝に嘴を閉(とぢ)せめられ むしり取たる
其虚に乗てうつせ貝 蛤共につかみしはいち物の高氏(たかうぢ)将軍
武略に長ぜし所也 誠や父一官の生国は大明たつたん 鴫蛤
の国あらそひ今合戦最中と伝へ聞 あはれもろこしにわたり
此理を以て彼理を推し せめたゝかふ程ならば大明たつたん両
国を一のみにせん物おと めもはなさず工夫をこらし 思ひそ
めたる武士(ものゝふ)の一念の末ぞたくましき ことはりかな此おのこもろこし


34
に押渡り 大明だつたんを平均し異国本朝に名をあげし
延平(えんへい)王国性爺合(こくせんや)は此わか者の事成けり 小むつ遠めになふ
くもう汐がさいてくる 何をきよろりとしてぞいのとはしり
寄て是は扨 鴫と蛤と口吸ふか女夫といふ事今しつた
どうやら犬の様で見共ない どりや放してとらせふとかうがい
ぬいて口押われば 鴫も悦びあしべを指してみちくる汐
にはまぐりの 則(すなはち)かくれしづみけり

  もろこしふね
時雨そふないざ帰らふと 見やるすさきに楫(かぢ)たへゆられ
よるは珎しい作りな船 鯨舟でもなし 唐の茶舟か何じや
しらぬと舟ぞこ見れば もろこし人と覚しくて二八あまりの
上らうの ふようのかんばせ柳のまゆ袖は涙の汐風に 化粧
もはげておもやせて 哀にもうつくしく雨にしほれしはつ
花に 目はなを付しことく也 小むつ小声に成ありや絵にかい


35
て有唐の后 いたづらしてながされた物じやわいの アゝそう
じや/\よい推量 おれはわるふがてんして 楊貴妃の幽霊
かと思ふてこはかつた 何でも能女房じやないかいな ムウいやらし
唐の女房がめにつくる おやぢ様が始の様に唐にござつて こ
なたもあつちで生れたら あの様な女房だいてねさしやらふ
が 日本に生れた因果にわしが様な女房持て口惜からふ
の ハテひよんなこと斗 なんぼうつくしうても唐の女房の い

しやう付あたま付 弁才天を見る様で勿体なふて気がは
つて ねられはせぬとぞ笑ひける 其隙に上臈はまべに
おりて夫婦を招き 日本人/\ なむきやらちよんのふとらやあ
/\と有ければ 小むつふつと笑ひ出し ありや何といふお
経じやと腹をかゝへておかしがる ヤイ/\笑ふなあれは日本人
爰へおじや 頼たいといふ事と押のけて立よれば 上らう
涙にくれながら たいみんちんしんにようろ 君けんくるめいたかりん


36
かんきう さいもうすがすんへいする共こんたるりんとんな ありし
てけんさんはいろ とらやあ/\と斗にて又さめ/\゛と泣給へば
小むつは浜辺にころりと臥し腹筋よつてたへかぬる 和藤
内はつね/\゛父が詞をとういん覚へ はつと手をつきかうべ
をさげ うす/\うさすはもう さきがちんぶりかくさんきんない
ろ きんにやう/\と手を打て 互にしみ/\手を取くみ
ひたんの涙むつまじし 小むつくはつとせき上むなぐら取て

是男 唐人詞聞たふない いかにいたづらすれば迚いつの便(びん)
宜(ぎ)に唐三界 あんまりなかせぎじや やいそこなとらやあや
こつちの大事の男をよふも/\きんにやう/\にしたなあ 日
本の男のあんばいはすふて見る事も成まい 此あんばいくふ
て見よと備中ぐはふり上れば和藤内ひつたくり ヤイめをあ
いて悋気せい 是こそ日頃かたりし父一官のいにしへの主君
大明の帝の妹せんだん皇女 国の乱にて吹ながされ給ふとの御物語


37
見捨かたなくいたはしし 直ぐにわがやへお供せば庄屋のことはり
代官所の詮議なんのかのとやかましし とかくいやぢと談合
おぬしは内へ返つて早く是へ同道せい 人の見ぬ中はやう
/\といひければ小むつもはつと手を打て 扨も/\おいとし
や同じ日本の内さへも 主従高貴の姫君はあらひ風
にも当ぬと聞 ましてや是は見ぬもろこしの王胤(おういん)の浅
ましき御姿や 所もおほきに爰へお舟の寄ことも 主従

の御縁ふかきゆへ追付おやぢ様よふできませう アゝおいとし
のとらやあや さんにやう/\と涙にくれ家路に「こそは帰り
けれ かくとはしらず 一官夫婦ふしぎの瑞夢かうふりしと
当国松浦の住吉に詣ふで帰るさの濱づたひ なふ/\と
声をかけて招きよせ せんだん皇女乱国をのがれ御舟是へ
ながれよる いたはしき有様と聞もあへず一官夫婦 あつとかうべを
地に付て 御聞及びも候はん其はいにしへのていしりうと申者


38
只今の妻や子は日本の者にて候へ共 旧恩を報せずんば
忠臣の道立べからず 其こそ年よつたれ此世伜(せがれ)兵事軍
術を嗜み 御覧のごとく骨ぶとに生れ付だいたんふてきの
強力(がうりき)者 今一度大明の御代にひる返し 冥土にまします先
帝の宸襟(しんきん)をやすんし奉らん 御心やすく思召せと世に頼もしく
見上れば 皇女御涙にくれ給ひ 扨は聞及びたるていしりう
とは御身よの りとう天か悪逆だつたん国と心を合せ

兄帝を失ひ国をうばひ わらはも既にがいせられんとし
たりしを ごさんけい夫婦の臣が介抱にて けふの今迄おあしから
ぬ露の命のつれなさを たのむと斗の給ひて又さめ/\
と泣給ひ 互に通ずる詞の末 えんにつるれば唐のもの
くひの八千たび繰かへす むかしかたりぞ哀成 母もたもとをし
ぼりかねげに誠か様のことを承らん印にや けさ暁夫婦かはらぬ
夢の告げ 軍は二千里を出て西に利有といふ事を まざ/\と


39
見て候 ヤア和藤内 此夢を考え君御出世の忠勤をはげむべし
いかに/\と有ければ和藤内つゝしんで 只今其此濱にて
鴫の鳥と蛤希代のわざを見受しより 軍法のおんくはうを
悟ひらいて候 千里を出て西に利有とは 大明国は我くにより
西に当つて千里の波濤 軍法の法の字は散水に去ると書く
散水は水也水を去とは此出汐の水に任せ はやく日本の地を
さつべしとの神の告 我らが本卦師の卦に当て 師は軍の義也 坤(こん)上

坎(かん)下の卦体一陽を以衆陰をすぶるといつは 我一身を以数
万騎の軍兵をしたがへたもつ大将 今散水のさす潮にはやく日
本の地をさつて 南京北京(ほくきん)に押渡りうき世にながらへ有ならば
ごさんけいと軍慮を合せりとう天が賊徒を亡し ぐんぜい催し
だつたんへ逆よせにおしよせ たつたんあたまの芥子坊主 ねぢくび
つゝむき追ふせ 切ふせ 御代長久の凱歌をあげん事和藤内が心(しん)
魂(こん)に てつする所天の時は地の利にしかず地の利は人の和にしかず


40
吉凶は人によつて日によらず 此儘すぐに御出舟道すがら嶋々
の夷(えびす)をかたらひ案の中成軍せん御出陣といさみしは 三韓退
治の神功皇后艫(とも)袖に立しあらみさきを 今見ることきいきほひ
なり 父は大きに感心しヲゝいさぎよし頼もしし 誠や一りうの花の種は
地中にくちず ついに千輪のこずえにのぼるといふ本文 げに一官が
子なるぞや 我々夫婦も同船にて御供申べきか 大ぜいはめに立て
所々のとかいの番所 国のとがめ恐れ有 夫婦ひそかに藤津の浦

より出船すべし おことは是より乗出し便よき小嶋に姫みやを
預け置 船路をかへて追付よ 親子が忠心正直のかうべにやどる神
風は 船中何の気遣なし 出合ふ所はもろこしにかくれなき 千里が竹
にて相待べし いそげ/\と姫宮にお暇申夫婦は「はるかにわかれ
ゆく 和藤内姫みやの御手を引 もとの唐船(とうせん)にうつしのせ参らせ 押出
さんとする所に 女房息をきつて走り付 舟のとも綱しつかと取 ムウ
内にはおやぢ様母様も皆お留主 いな事と思ひしに道理こそ是


41
しや物 親子をとつくと談合して 親御の国からお内義よび
此小むつを置さりに親子夫婦四人づれ 唐へ身体引気じやの
あんまりむごいつれない なんの見落ちしおちが有 からかうらいはおろか
の事天竺雲の果迄も 共につれんといひかはしたふたりの中 な
かうどもない挨拶ない二人が胸とむねとに 起請もせいしも
おさめて有 なんぼうあかれた中成共今迄の情に せめておなじ
舟にのせ 五里も十里も沖なかの波にしづめて ふかや鮫の

餌に成共夫の手から殺て下され藤内殿と へいたをたゝき
泣くどきはなさん気色はなかりけり エゝ大事の門出不吉のほえ
づら そこ立のけめに物見せんとかいづり上れば 姫みやあはて
すがり付 とゞめ給ふを押のけかいもおれよと舟ばたたゝき おどし
に打を身に受て うたれてしねばほんまうと 濱べにとうと臥
まろび 声も おしまずなげきしが エゝ是でもしなれぬなァ よし/\
今は是迄けつかうしやもことによる 此かいていに身をしづめしん


42
いはしつとの大じやと成て もとの契りはけふの仇今におもひ
しらせんと 石を袂にひろひ入岩ほの肩によぢのぼれ
ば かけあがつて和藤内いだきとめて ヤイこりやそさうすな心
てい見付た 軍ながばの大明国こと太平に治る迄 姫みやを
汝に預け日本にとゞめおかんと思へ共 筋(すぢ)なき女の心をうかゞひ態(わざと)
つれなく見せたるぞ 是四百余州とつりがへの姫みやをしつかと
預置からは 男の心かはらぬ証拠 姫みやにつかへ奉りはしうとに

孝行夫につかふる百ばいぞや 命にかけて頼み入 国治て迎ひの
御舟のお供せよと なだむれば聞入て此方には気遣せず ずいぶんぶじで
ごされやと いへ共よはる女心 責て一夜のかくごもせず夢見た様なわか
れやと 夫の袖にすがり付わつと斗に 泣さけぶ心の 内そやるせ
なき 和藤内もむねふさがり しごくの思ひにめもくらみ 共に心はみだる
れど かくては果しいざさらばさらば/\のいとまごひせんたん女も涙なが
ら 追付迎ひの輿を待 其時伴ひ帰るべし必はやふとの給へば 畏て


43
和藤内なく/\舟を押出す 又とも綱に気付て書のこしせことの有
暫くのふと引とむる エゝ聞分なしと引切て舟をふかみにこぎ出
せば 詮方波に身をひたし 只手を上て舟よなふ 舟よとよべど
出舟の かいなき岡にかけ上り 足をつま立のび上り 見送る顔も遠
ざかる 唐土(もろこし)の望夫山(はうふさん)吾朝(わがてう)のひれふる山 今の我身のわが思ひ 石共
なれ山共なれ うごかしさらじとかきくどき涙限声限り 互によばれ招かれて姿を
かくす汐ぐもり声を へたつる沖津波の かもめ磯ちどり泣こかれてぞ

  千里が竹
「わかれ行 ふなぢのすえも しらぬ日の つくしはくもにうづめ
ども跡におうごの 神かぜや千波(ぱ)万波をおしきつて 時もたがへ
ずおやこの舟 もろこしの地にもつきにけり ていしりう一くはんは
古郷へ帰るから錦 しやうぞく引かへ妻子にむかひ 我本国と
云ながら時うつり代かはり 天下悉くりとう天が引いれにて
たつたん夷の奴(やつこ)と成 むかしのほうゆう一族とて誰を尋ん


44
様もなく しば将軍ごさんけいが生死(しやうじ)の有かもしれざれ
ば 何を以て義兵の籏を上 何国(いづく)を一城にたてこもるべ
き所もなし 然に其去天啓五年此国を立のき 日本へ
渡る時二歳に成し娘の子を めのとが袖に捨置しが 其子が母は
産落して当座に死す かくいふ父は八重の塩路の中たえて
いつ父母もしらぬ身がそだてばそだつ草木の雨 露の恵み
に長ずることく 天地の父母の助けにや 成人して今五常ぐん

かんきといふ大名一城の主の妻と成由商人の便に聞およぶ
頼む方が是斗 親をしたふ心有て娘さへ承引せば むこの
かんきもやす/\と頼まるべし これよりみちの程百八十里 打つれては
人もあやしめん 我一人道をかへ和藤内は母をぐし 日本の猟船(れうせん)
の吹ながされしと 頓智を以て人家に憩ひ追付へし これより先は
音に聞ゆる千里が竹迚とらのすむ大藪有 それを過れば
尋陽(ぢんやう)の江 これ猩々の住所 風景そびえし 高山はせきへき


45
迚 むかし東坡(とうば)がはい所ぞや それよりはかんきが在城 獅子が城
へは程もなし 其赤壁(せきへき)にて待そろへ 万事をしめし合すべしと 方
角とても白雲の 日影を心おぼへにて東西 へこそ「別れ
けれ おしへに任せ和藤内人家をもとめ忍ばんと かひ/\゛しく母を
負ひたつきもしらぬ岩がんせき こぼくの根ざし瀧津波 飛こへはね
こへ飛鳥のごとく急げ共 すへ果なき大明国 人里たえて廣々(くはう/\)たる
千里が竹に迷ひ入 和藤内ほうどくはをぬかし なふ母じや人 此

脚(すね)骨に覚え有 もう四五十里もきませうが 人にも猿にも
あふ事か 行はゆく程やぶの中ムゝウ合点たり 方角しらぬ日本人
唐の狐がなぶるよな ばかさばばかせ宿なし旅の行付次第
小豆の飯(はん)の相伴と根笹大竹おし分 ふみ分猶奥ふかく行先
に あやしや数万の人声せめ鼓せめだいこ らつぱちやるめら高
音をそらしひやう/\とこそ聞けれ すは我々を見とがめて
敵の取まくせめ太こか 又は狐のなすわざかと茫然たる其


46
折ふし そらすさましく風おこり すなをうがちどう/\/\ 竹(ちく)
葉(よう)にさつとまき立/\ふきおる 竹は劔のごとくすさまし
なん共おろか也  和藤内ちつ共おくせずよめたり/\ 扨はい
こくのとらがりな あのかねたいこはせこの者 爰は聞ゆかせん
りがはら とらうそふけば風おこりもりじうのしよいと
おほへたり 廿四けうのようけうはかう/\の徳によつて しぜん
とのがれし悪虎の難 其かう/\にはおとる共忠義に

いさむ我ゆう力 唐へわたつて力始 神力ます/\日本
りきやいばでむかふはおとなげなし 虎はおろか象でも鬼
でも一ひしぎと 尻ひつからげ身づくろひ母をかこふて
立たるは 西天(さいてん)のしゝ王も おそれつべうぞ見えてけり 案
にたがはず吹風と共にあれたるもうこのかたち ふし根につら
をすり付/\岩角に爪とぎ立 二人をめがけ啅(いがみ)けるを事
共せず ゆん手になぐりめ手に受 もぢつてかくれば身をかはし


47
たゆめば ひらりと乗うつり 上に成下に成命くらべこん
くらべ 声を力にえい/\/\ とらのいかりげいかり声山もくづるゝ
「ごとく也 和藤内も大わらは虎も半分卦毛をむしられ 両
方共に息つかれ石上につゝ立ば とらも岩間に小首をな
げ 大いきついだる其ひゞき ふいがう吹がごとくなり 母やふかげより
走出 ヤア/\和藤内 神国に生れて神よりうけししんたいはつふ
ちくるいに出合力だてしてけがするな 日本の地ははなるゝ共神は

我身にいすゞがは太神ぐうの御祓なうじゆなとかなからん
やと 肌のまもりを渡さるればげに尤と押いたゞき とらにさし
むけさしあぐれば 神国じんひの其ふしぎたけりにたける
いきほひも 忽ち尾をふせみゝをたれ じりゝ/\と四足をちゞ
め 恐れわなゝき岩洞にかくれ入る おづゝをつかんではねかへし
打ふせ/\ひるむ所をのつかゝり そつかにしつかとふまへしは天の
ぶちごまそさのおの 見ことの神力おあまてらす神のいとく


48
ぞ有がたき かゝる所にせこの者むらがり来る其中に 大将と
おぼしき者大音上ヤア/\うぬは何国の風来人 我が高名
を妨ぐる そのとらは忝も主君右軍将(うぐんしやう)りとう天より
たつたん王へけん上の為狩出したるとら成ぞ 早々渡せいぎに
及はゞぶち殺さんしやぐはん/\とわめきける りとう天と
聞よりも願ふ所とえつぼに入 ヤアがきも人数しほらしい事
ほざいたり 身が生国は大日本風来とは舌ながし さ程ほし

かるとらならば主君と頼むりとう天とやらところてん
とやら 爰へつき出しわびことさせい 直にあふて用も有
さもなひ内はいかなことならぬ /\とねめ付る ヤア物ないは
せそ討とれと一どに劔をはらりとぬく 心えたりと守りを
とらの首にかけ 劔のそばにひつすゆればつなぎしごとくに
はたらかず ヲゝ心やすしと太刀指かざしむらがる中にわつち入 八
方むじんにわりたて/\なでまくる せこの大将安大(あんたい)人官人


49
引ぐし立帰り おのれ老ぼれあまさじと一もんじにきり
かゝる 猶も神明おうごの印神力とらにくはゝつて むつくと起て
身ぶるひし 敵にむかひ歯をならしたけりうなりて飛かゝる
こはかなはじと安大人せこの者がさいたる劔 かりほこ数遣手に
当るを幸になげ付/\「打かくる とらは神力じざいをえ
劔をちうにひつくはへ/\ 岩に打当みぢんになす 刃の光
玉ちるあられ こほりをくだくにことならず 打物つくれば官

人共色めきたつて逃まどふ 後より和藤内どつこいやらぬと
顕れ出 安大人がそくびをつかんでさし上 くる/\とふり廻しえいやつ
と打付れば 岩にじゆくしを打ごとく五たいひしげて失せにける
此いきほひに官人原跡へ戻れば悪虎の口 先へ行ば和藤内
二王立につゝ立たり アゝ申御かんにん 御免/\と手を合せ土に喰付
泣いたる 和藤内虎のせをなでゝ うぬらが小国迚あなどる
日本人 虎さへこはがる日本の手並覚たり 我こそ音に聞たる


50
ていしりう老一官がせがれ 九州平戸にせき長せし和藤内とは我
事也 先帝の妹みやせんだん皇女にめぐり合 三世の恩を報ぜん
為 父が古郷へ立帰り国の乱を治(おさむる)也 サア命おしくば味方につけ
いやといへば虎のえじき いやかおうかとつめかくる ナフ何のいやでござり
ましよ たつたん王にしたがふもりとう天にしたがふも 命がおしさ
向後(きやうこう)おまへの御家来共 お情頼奉ると地にはな付て畏る
でかした/\去ながら わが家来に成からは日本流にさかやきそつ

元服させ 名も改て召つかはんと 指ぞへの小刀はづさしこれも
当座のはや剃刀 母も手々に受取て ならぶあたまの鉢の
水もむやもまずにむりむたい かたはし剃やらこぼつやら 糸びん
つびん剃刀次第 またゝく間に剃仕廻(そりしまひ)櫛半(くしはん)のはらげがみ あ
たまは日本ひげはたつたん身は唐人 互にかほを見合せて あたま
ひやつくかぜ引て くつさめ /\ 村さめ/\と涙をながすぞ道理
成 親子どつと打笑ひ そろひも揃た供廻り名も日本に改て


51
何左衛門何兵衛太郎次郎十郎迄面々が国所 かしらじになのり二
行に立てほつたてろ 承り候と お先手の手ふりの衆ちやぐちう左衛門
かぼちや右衛門 るすん兵衛東京(とんきん)兵衛 しやむ太郎ちやぼ次郎ちやるなん
四郎 ほつなん五郎うんすん六郎すん吉九郎 もうる左衛門じやが太郎兵衛 さんとめ
八郎いぎりす兵衛今参のお供先 跡に引馬とらふのこま母を たすけて
孝行の名 を取口取国を取ほまれは いこく本朝にふみまたげ
たるくらあぶみ とらのせなかに打乗りていせいを 千里にあらはせり